CHAPTER 02:シークレット・トーキング
荒野を冷たい夜風が渡っていった。
夕陽はとうに地平の彼方に沈み、あたりは濃紺の闇に包まれている。
日没とともに人間の時間は終わりを告げ、この世のすべては吸血鬼のものとなる。
夜明けはまだ遠い。たとえふたたび朝日が昇ったとしても、真の意味で世界が人間の手に戻ることは永遠にないのだ。
いま、灯りひとつない暗闇のなかに黒ぐろとわだかまる影がある。
息絶えた巨獣の
あのあと――。
戦場を離脱した二隻の脱出艇と大型トランスポーターは、近隣に存在する旧時代の鉱山跡へと進路を取った。
すでに廃鉱となって久しいが、かつて巨大な採掘機械が出入りしていた坑道はいまなお健在だ。内部は脱出艇とトランスポーターを収容してなお余裕がある。
ひとまず立ち止まって今後の行動方針を決めるにも、アルギエバ大公が差し向けるだろう追っ手を防ぐにも、荒野に野営するよりはよほど安全であるはずだった。
宵闇があたりを覆うなか、一隻の脱出艇がひっそりと廃鉱を後にした。
リーズマリアが人間の召使いやメイドたちに脱出艇の一方を与え、安全な場所へ立ち去るように命じたのである。
自分たち
けっきょくリーズマリアのもとに残ったのは、親衛隊長レーカとその部下である二人の
***
作業灯の光の下で、アゼトは工具を手に三・五メートルの巨人機械との格闘を続けていた。
カヴァレッタの修理に取り掛かってから、すでに四時間あまりが経過している。
いまアゼトが向き合っているのはシクロの愛機だ。
先の戦闘でダメージを受けた駆動系を完全に修復するためには、すくなくとも半日はかかる。
必要な補修部品は撃破されたヤクトフントから回収してあるとはいえ、装甲を外して各ユニットを交換していく手間と労力はばかにならない。
骨の折れる仕事にもかかわらず、アゼトがひとりで整備を行っているのは、シクロにすこしでも休息を取らせるためだ。
敵はかならずまた襲ってくる。一行の運命は、それまでにシクロがどこまで体力を回復出来るかにかかっていると言っても過言ではない。
背後でふいに足音が生じたのはそのときだった。
アゼトはボルトを緩めていた手を止め、首だけでうしろを振り返る。
「シクロさん、もう起きたんですか。まだ休んでいて――」
言いさして、アゼトはおもわず言葉を失った。
視界に飛び込んできたのは、予想もしていなかった人物だった。
輝くような
「遅くまでご苦労さまです。ウォーローダーの整備は順調ですか?」
「リーズマリア……さん……」
「どうかリーズマリアと呼んでください」
ふっと微笑んだかと思うと、リーズマリアは身のこなしも軽く跳躍していた。
梯子も使わずに
荷台に設置された簡易クレーンに吊り下げられ、宙ぶらりんになったカヴァレッタを、リーズマリアは興味深げに見つめている。
「作業のお邪魔だったらごめんなさい」
「それはべつにかまわないけど……ライトの光に当たるのは身体によくないんじゃ?」
「心配してくれてありがとう。でも、すこしくらいなら平気です」
口ではそう言いながらも、リーズマリアはなるべくライトに直接当たらないように気を配っている。
太陽光に較べれば微々たるものだが、電灯にも紫外線は含まれている。あまり近づきすぎれば皮膚に痛みを感じ、場合によっては火膨れを起こすこともある。
リーズマリアはアゼトの顔を覗き込む。
赤髪の少年がそれとなくライトの光量を絞ったのに気づいたからだ。
「私、お二人にどうしてもお礼を言いたかったのです」
「ジーベンブルクまでの護衛を引き受けたこと?」
「ええ。きっと断られるものとばかり思っていましたから、とてもうれしくて」
「俺はシクロさんに従っているだけだよ。ただ……」
「ただ?」
わずかな逡巡のあと、アゼトはぽつりぽつりと言葉を継いでいく。
「君はほかの吸血鬼とはちがう。だから、吸血鬼嫌いのシクロさんも護衛を引き受けるつもりになったんだと思う」
「私はそんなに変わっていますか?」
「いままで俺たちが出会った吸血鬼は、人間のことを虫けらとしか思ってない連中ばかりだった。まさか人間の生命を大事に思っている吸血鬼がいるなんて、昨日までの俺に言ってもたぶん信じなかっただろうな」
アゼトの脳裏に浮かんだのは、数時間前に目にした光景だ。
脱出艇に乗り込むよう命じられた召使いや
別れ際、リーズマリアは彼らの手を取り、一人ひとりの名前を呼びながら、労いの言葉をかけていったのだった。
吸血鬼と人間の主従に真の信頼関係が生まれることはない。どれほど忠誠を取り繕ったところで、しょせん両者の関係を支えているのは恐怖と利益だけなのだ。
主人との別れ際に使用人が涙を流すなど、すくなくともアゼトは見たことも聞いたこともない。
そんな世にもめずらしい別離の場面は、リーズマリアの思想が上辺だけのものではないことを、千万の言葉よりも雄弁に物語っていた。
「おっしゃるとおり、ほとんどの
「どうして君がほかの吸血鬼と違う考えをもつようになったのか、よかったら聞かせてくれないか」
アゼトの問いかけに、リーズマリアは困惑したように顔を俯かせた。
秀麗な眉宇に憂いの陰がよぎる。
やがて、吸血鬼の姫君は、ためらいがちにみずからの過去を語りはじめた。
「訳あって、私は十五歳まで人間の家庭で育てられました」
「……」
「子供のころは自分のことを人間だと思っていたんですよ。いま考えればおかしな話ですけど、私は本気でそう信じていたんです。自分はすこし変わった人間の女の子で、いつか大人になったら、みんなとおなじように太陽の下をおもいっきり走り回れるようになるんだ、と……」
十五歳といえば、吸血鬼の免疫機能がようやく完成する年齢だ。
定期的に吸血行為をおこない、自分の免疫を抑制しなければ生きていけない肉体へと不可逆的に変わるということでもある。
ひとたび個体としての成熟を迎えた吸血鬼は、それからの長い生涯にわたって、絶対の強者として人間たちの頭上に君臨するのである。
支配するものと支配されるもの。八百年のあいだ揺らぐことのなかった盤石の秩序。
いまでは人間でさえ当然のものとして受け入れているそれを、リーズマリアはみずからの手で変革しようというのだ。それはたんなる制度の存廃にとどまらず、現在の世界のありかたを根本から破壊することにほかならない。
「人間の家族は私にたくさんのことを教えてくれました。人間も私たちとおなじように、楽しければ笑い、悲しければ涙を流す。自分の生命を投げ出しても、大切な人を守ろうとする……そんな当たり前のことも、めったに
「君の家族は――」
リーズマリアはなにも言わず、ゆるゆると首を横に振っただけだ。
それが答えだった。アゼトはそれ以上問い詰めることもせず、ばつが悪そうに視線を逸らす。
重い沈黙が二人のあいだを埋めていく。
ややあって、アゼトはひとりごちるみたいに語りはじめた。
「俺とシクロさんの生まれ故郷は吸血鬼に滅ぼされた」
「そのお話は先ほども伺いました。ご家族を亡くされたと……」
「ただの村じゃない――
自嘲するみたいに言って、アゼトはこめかみのあたりを指先で叩く。
吸血猟兵の脳内には、小指の爪ほどのコンピュータ・チップが埋め込まれている。
血中のグリコーゲンによって作動するチップは、必要に応じて電磁パルスを発し、
チップの助けを借りることによって、吸血猟兵は肉体的には人間でありながら、吸血鬼や
それだけではない。チップに内蔵された記憶素子は、戦闘にかんする情報を収集し、さまざまな状況下での行動パターンとその結果を記録・学習していく。
やがて宿主が死ねばチップは脳内から摘出され、次世代の吸血猟兵へと移植される。
そうして最終戦争の時代から幾人もの宿主に受け継がれ、貴重な経験値を蓄積してきたチップも、現存するのはわずかに二枚。
「
「アゼトさん……」
「うまく言えないけど、自分の生きた証っていうのかな。君が吸血鬼の皇帝になって、この世界の仕組みをすこしでも変えることが出来るなら、俺たちの人生もきっと意味があるものになる……そんな気がするんだ」
それだけ言って、アゼトはついと顔をそらす。
気恥ずかしさに紅潮した顔を見られまいとしたのだ。
そんなアゼトの様子を横目に見やりながら、リーズマリアはふっと相好を崩す。
それも一瞬のこと。こちらにむかって駆けてくる足音に気づいて、二人は視線をおなじ方向に向けていた。
「姫様ー!! どこにいらっしゃるのですか!? 返事をなさってください!!」
坑道内に反響したのはレーカの声だ。
脱出艇の内部にリーズマリアの姿が見えないことに気づいて、血相を変えて探しに来たのだろう。
「リーズマリア、君はもう行ったほうがいい。あまり心配をかけちゃいけない」
「はい……アゼトさんも、あまり根を詰めすぎないでくださいね」
リーズマリアが立ち上がったのと、衝撃が
熱風が坑道を駆け抜けていく。
同時に入り口のあたりから漂ってきたのは、鼻を衝くような金属臭だ。
ウォーローダーに搭載されている
外で警備についていたヤクトフントが撃破されたのだと理解するよりはやく、アゼトはリーズマリアの手を引いて駆け出していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます