第三話:覚醒・吸血葬甲

CHAPTER 01:ブルー・ブラッド

 その手紙が仕事場に届いたとき、リエラはなにかの間違いだろうと思った。

 見るからに高級なビロード張りの小箱に納められていたのは、やはり上等な紙にしたためられた一通の招待状だった。


 差出人はバルタザール・アルギエバ大公。


 一帯を治める領主であり、十三選帝侯クーアフュルストに列せられる偉大なる至尊種ハイ・リネージュ

 招待状に押印された青薔薇の紋章は、アルギエバ大公以外には使うことの許されていないものだ。

 本物であることはまちがいない。それゆえ、リエラはますます困惑したのだった。

 面識はおろか遠目に見たことすらない、まさしく雲上人うんじょうびとが、なぜ自分のような貧しい町娘に招待状を送ったのか――。


 リエラは鉱山都市レンディアの鉱物加工プラントで働く女子工員である。

 年齢は今年で十五歳。母親譲りの茶色がかった髪をもつ、近所でも器量よしで評判の少女だ。

 父親が鉱山の事故によって重傷を負ったのをきっかけに、リエラは一昨年から仕事に出るようになった。

 母親はすでに亡く、まともに働けなくなった父とまだ幼い三人の弟たちを養うためには、彼女が働くほかになかったのである。


 まだ年端も行かぬ少女でありながら、リエラは一家を支える大黒柱でもある。

 寝食を惜しんで仕事に打ち込んでも、五人家族を食わせていくのは容易ではない。

 雀の涙ほどの薄給は、月々の家賃と食費を払ってしまえばなにも残らない。

 同僚の娘たちが服や化粧品の話に興じても、リエラはひたすら無関心を貫いた。

 本心から興味がなかったわけではない。ただ、手に入らないものを渇望しても無駄だと悟っただけだ。

 自分で自分の人生に見切りをつけること。それが彼女の処世術だった。


 アルギエバ大公の招待状は、そんなリエラの乾いた人生を一変させた。

 十三選帝侯は、吸血鬼のなかでもひときわ抜きん出た富と権力を持っている。

 その日暮らしを送る貧しい人間とは、文字通り住む世界が違うのだ。

 なぜ選ばれたのかはわからない。面識などあるはずもなく、大公がどのように自分を知ったのかは見当もつかない。

 一抹の恐怖は、しかし幸運の前ではほんの些事にすぎない。

 もし大公に召し抱えてもらうことが出来たなら、暮らし向きはいまとは比較にならないほどゆたかになる。

 もうなにかを諦める必要はない。見上げるだけだったあこがれの塔市タワーに住むことも夢ではないのだ。


 期待に胸を膨らませたリエラは、毎朝目覚めるたびに招待状を飽かず読み返した。

 そうして我が身に訪れた幸運が夢でないことを確かめて、少女はひそかに胸を弾ませたのだった。

 こころなしか父の態度がよそよそしくなったことは気がかりだったが、それも千載一遇の幸運の前では些事にすぎない。


 そして――ついに、運命の日がやってきた。


***


 小型の浮動車フローターがリエラを迎えにきたのは、日も暮れかかったころだった。

 無人操縦オートパイロットの浮動車は、あらかじめ入力されたプログラムに従ってレンディアの街路を駆け抜けていく。


 往来を行き交う人々の不躾な視線さえ、いまのリエラにはやけに心地よく感じられた。

 自分はこれから輝かしい別世界へとつづく階梯を登っていくのだ。

 赤茶けた鉱山都市の街並みも、もしかしたらこれで見納めかもしれない。

 そう思うと、子供のころから見慣れた景色も不思議といとおしく思えてくる。

 しかし、リエラに未練はなかった。このまま二度と故郷に戻れないとしても、それはむしろ望むところなのだ。


 そうするあいだに、浮動車は市街地を出ていた。

 やがてガラス越しに見えてきたのは、街外れの荒野にぽつねんと佇む一軒の屋敷だ。

 遠目にもはっきりと見て取れる輝くような白壁。精緻な彫刻がほどこされた正面の破風ファサードと、優美な曲線を描く中世様式の大屋根が目を引く。


 荒涼とした世界とはおよそ不釣り合いな美しい建造物は、アルギエバ大公がこの地に所有する別荘だ。

 こいまから三十年ほど前、いたずらのつもりで屋敷への侵入を試みた街の不良少年たちが警備ロボットに発見され、その場でひとりのこらず惨殺されるという痛ましい事件も起こっている。

 あの屋敷には絶対に近づくなと、街の大人が口を酸っぱくして子供たちにお説教をしたのは、それだけの理由があるのだ。


 とくにリエラはだとかかりつけの医者にきつく言い含められていたため、危険な場所に近づいたことは一度もなかった。

 むろん、浮動車に乗っているかぎり屋敷の警備システムに敵と認識されることはなく、万が一にも攻撃を受ける心配はない。

 

 重厚な門構えを過ぎた浮動車は、玄関前の車回しで音もなく停止した。

 ひとりでに開いたドアをくぐり、リエラはおそるおそる車外に出る。客人ゲストとして認識されているのか、あたりは静まり返ったままだ。

 生まれてはじめて目にする白亜の大邸宅に圧倒されながら、リエラはそろそろと玄関に近づいていく。


 乳鋲が打たれた分厚い扉が音もなく開いた。

 うやうやしく上体を折ってリエラを出迎えたのは、黒い燕尾服テイルコートをまとった大柄な男だ。

 電子頭脳を収めた透明な頭を見れば、人間でないことはひと目で分かる。

 吸血鬼が所有する執事ロボットだ。


「リエラ様ですね。あちらで御主人様がお待ちです――」

 

 機械仕掛けの執事は、あくまで無機質な電子音声で告げると、リエラを招き入れる。

 もう夕刻だというのに邸内には灯りひとつなく、長い廊下には濃密な闇がわだかまっている。

 吸血鬼の住まいの特徴だ。彼らは紫外線を恐れるあまり、電灯の類を設置しようとはしないのである。


 先へ進むにつれて、闇はますます濃くなった。

 血を吸われることへの恐怖は、しかし、リエラにはない。

 ――。

 それは、塔市タワーの外に暮らす人々の常識だった。

 最終戦争の末期、追い詰められた人類軍が見境なく核・生物・化学兵器を使用したことで地上は汚染され、八百年以上の歳月が経過したいまも清浄にはほど遠い状態にある。

 よほど喫緊の必要に迫られないかぎり、吸血鬼がそのような場所で生まれ育った人間の血を吸うことはない。

 言ってみれば、わざわざドブ川に棲む魚を好んで食べようという人間がいないのとおなじことだ。


 もっとも、たとえ汚染された血液を摂取したとしても、吸血鬼にはなんら問題とはなりえない。彼らの代謝能力はあらゆる毒物をたちどころに分解し、放射線によって破壊された細胞も元どおりに修復される。

 それほど強力な免疫と再生力をもつにもかかわらず、微々たる――人間にはまったく無害なレベルの――紫外線を浴びただけで死に至るのは、吸血鬼の高度科学をもってしても未解明の謎であった。

 

 と、すこし先を進んでいた執事ロボットの姿が消えた。

 何事かと足を止めたリエラは、いつのまにか自分が広壮な空間に立っていることに気づく。

 部屋の四方よもを画定しているはずの壁は見えない。

 それだけでなく、床を踏みしめている足の感覚さえもおぼつかない。


「よく来てくれたね――」


 闇の奥から投げられたのは、甘く蕩けるような男の声だった。

 妙なる声色に耳の奥を撫ぜられ、リエラにはその場に尻餅をつきそうになる。

 力を入れようと思っても、身体が言うことを聞かない。身体じゅうの骨という骨がじんわりと溶けていくような感覚は、これまでの人生でついぞ味わったことのないものだ。


「た、大公さま……?」

「いかにも――わが名はバルタザール・アルギエバ。十三選帝侯クーアフュルストがひとり、″青の大公ブルー・ハイネス″とは私のことだ」


 言い終わるが早いか、リエラの頭上に青白い炎がいくつも灯った。

 まるで鬼火か人魂といった趣のそれは、紫外線を発しない特殊光源だ。

 ほのかな光に照らし出された顔貌かおを認めて、リエラはおもわず感嘆のため息を漏らしていた。


 美しい男だった。

 十八、九歳ほどの青年である。

 白蝋細工を思わせるなめらかな雪膚に、絹糸よりも繊細で艷やかな藍青色の髪がよく映える。

 悩ましげな切れ長の双眸に息づくのは、血色の宝玉をはめ込んだような柘榴石ガーネットの瞳だ。紅い虹彩はすべての吸血鬼に共通する特徴でもある。

 くっきりと通った鼻筋、形のいい唇とおとがい、すらりと伸びた四肢……。

 すべてのパーツが絶妙に調和し、えも言われぬ風情を醸し出している。

 吸血鬼は例外なくすぐれた容姿を持って生まれるが、なかでもバルタザール・アルギエバは飛び抜けた美貌の持ち主として知られた人物であった。


 人間とおなじ目鼻を持ちながら、鉱山街のむくつけき男たちとは似ても似つかない美男子を前にして、リエラの心臓は早鐘のように鼓動を打ち鳴らしている。


「リエラだね? 君に会えるのを楽しみにしていたよ」

「あ、あのっ……大公さま……わたし……」

「怖がらなくてもいい。数多の人間のなかから君を見つけられたのは僥倖だった」


 甘美な声で囁いて、アルギエバ大公はリエラの顎に手をやる。


「どれ、私に可愛らしい顔をよくみせてごらん……」


 アルギエバ大公の言葉に、リエラはもはや抗うことさえ忘れ、陶然と身を任せるばかりだった。

 芳しい薔薇の香りが鼻孔をくすぐる。大公の吐息の匂いだ。呼吸するたび、強い酒を無理やり含まされたみたいに頭の奥がじんと痺れていく。

 朦朧とする意識のなか、リエラはようよう声を絞り出す。


「大公さま、私、なにをされてもかまいません。ただ、ひとつだけお願いがございます……」

「なんだね? 遠慮せずに言ってみたまえ」

「どうか塔市に……大公さまの”蒼の聖塔ブルー・ジグラット”に住まわせていただきたいのです。出来れば、父と弟たちもいっしょに……」


 アルギエバ大公は目を細めつつ、リエラの顎にやさしく手をそえる。


「いいだろう――ただし、ひとつだけ条件がある」


 玲瓏な声をさえぎるように細い悲鳴が上がった。

 アルギエバ大公がふいにリエラの首筋に牙を立てたのだ。

 

「大公さま、なにを……!?」

「家族とともに塔市に住みたいのだろう? なにも恐れることはない。安心して私に身を委ねなさい」


 アルギエバ大公の言葉に、リエラはそっとまぶたを閉じる。

 首筋に牙が食い込んでいるというのにまるで苦痛を感じない。それどころか、いままで感じたことのない快楽が湧き上がってくる。

 甘やかな毒に酔いしれるように、リエラの意識は深淵へと落ち込んでいった。


***


 鉄と潮の匂いが暗闇に漂っていた。

 常人ならまず気づかないごくかすかな血臭も、人狼兵ライカントループの強化された嗅覚は鋭敏に捕捉する。


「大公殿下に申し上げます。騎士団長シェルナバシュ、ただいま帰還いたしました」


 返答の代わりとでも言うように、アルギエバ大公の姿が闇にぼんやりと浮かび上がった。

 その足元には、首筋から血を流した少女が仰向けに横たわっている。

 土気色に変色した顔と、開ききった瞳孔を見るまでもなく、すでに事切れていることはあきらかだった。


「殿下、その娘は――」

「百万人にひとりの希少な血液型をもつ娘だ。……いや、と言うべきか。それほど珍しい血の持ち主なら、私の蒐集品コレクションに加えてやろうかと思ったのだがなあ」


 唇に付着した血を舐め取って、アルギエバ大公はわざとらしく眉根を寄せる。


塔市タワーに持ち帰るまえにすこし味見をしてみれば、不味くてとても飲めたものではない。貴重な血が美味とは限らぬとはいえ、私を失望させた罪は贖ってもらわねばならぬ。どのみち金は払ってあるのだからな」


 アルギエバ大公は吐き捨てるように言って、リエラの亡骸に視線を落とす。


「しかし……この娘も、まさか自分の父親に売り飛ばされたとは思いもよらなかっただろうにな。目先の金ほしさに実の親がわが子を差し出すとは、いかにも劣等種にんげんらしいことよ」


 呵呵と乾いた笑声を上げたアルギエバ大公は、シェルナバシュに視線を向ける。

 紅い瞳は冷たく冴えわたり、長年仕えてきた家臣でさえおもわず目を背けたくなるほどに残忍な光を宿している。


「シェルナバシュよ。リーズマリアの首はどうした?」

「申し訳ございません。あと一歩というところで思わぬ邪魔が入り、態勢を立て直すためひとまず撤退を――」


 シェルナバシュはそこで言葉を切った。

 べつに自分の意志で沈黙したわけではない。主人の冷ややかな視線を浴びて、それ以上なにかを口にすることが出来なくなったのだ。


「シェルナバシュ。この私に仕えて何年になる」

「……今年で百と十七年にございます」

「人間だったころのおまえは、人類軍残党レジスタンスの闘士だった。反逆者として処刑されるはずだったおまえを拾い、騎士団長として取り立ててやったのは、ほかならぬこの私だ」


 アルギエバ大公は遠い日々を懐かしむように語りながら、シェルナバシュに微笑みを向ける。


「おまえはいままで私の忠実な猟犬イヌとしてよく働いてくれた。だが、それも過去の話だ。ろくな護衛もなく、ブラッドローダーにも乗れぬ小娘ひとり満足に殺せぬような駄犬を飼っていても仕方がない……」


 アルギエバ大公が底冷えのする声で告げるや、シェルナバシュはその場に跪いた。


「殿下、どうかいま一度私に機会をお与えください!! この命に代えても、次こそはかならずや……!!」

「次があるかどうかを決めるのはおまえではない」


 整ったかんばせにやわらかな笑みを浮かべたまま、アルギエバ大公は右手首を軽く振る。

 刹那、するどい風切り音が生じたかと思うと、あざやかな血の色が床をまだらに染めていった。

 シェルナバシュの両腕が肩口から切り落とされたのである。

 見るも痛々しいその姿は、奇しくも先の戦闘で愛機メッツガーフントが被った損傷と符合した。


「首を飛ばさなかったのはせめてもの温情とおもえ――」


 アルギエバ大公はその身に寸鉄も帯びていない。

 正真正銘、まったくの無腰である。

 高位の吸血鬼は、戦いにおいてかならずしも武器を必要としない。彼らの強靭な肉体は、それ自体がおそるべき兵器へと変わるのだ。

 大公は右手首を軽くしならせただけで、指向性の衝撃波ソニックブームを繰り出したのだった。

 いかに歴戦の人狼兵であっても、不可視の刃に襲われてはなすすべもない。


 血溜まりのなかで呻吟するシェルナバシュには目もくれず、アルギエバ大公はその場でくるりと踵を返す。


「た、大公殿下……!! どうかお待ちを――」

「腕が繋がるまでおとなしく寝ておれ。リーズマリア・ルクヴァースの始末はおまえたちには任せておけぬ」

「まさか、御自らご出陣を……!?」


 アルギエバ大公は答えず、軽く指を鳴らしただけだ。

 それが合図だったのか、天井に据え付けられた特殊光源が一斉に点灯し、広間を埋めていた濃密な闇がみるまに薄れていく。

 やがてうっすらと闇の奥に浮かび上がったのは、蒼い装甲をまとった巨大な人形ひとがただ。

 美しくも恐ろしいその姿に、シェルナバシュは痛みも忘れて息を呑んでいた。


「久しぶりに降り立った下界だ。わがブラッドローダー、”ブラウエス・ブルート蒼く高貴なる血脈”にも存分に血を吸わせてやろうではないか」

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