CHAPTER 09:ヴァンパイア・プリンセス

 突如として視界が爆ぜた――。

 ありえないと分かってはいても、この状況はそうとしか表現出来ない。

 ほんの一瞬前まで鮮明な映像を映していたメッツガーフントのメイン・ディスプレイは、衝撃とともに砂嵐状のノイズに覆い尽くされたのだった。


 シェルナバシュは反射的に機体を後退させつつ、すばやくダメージ・コントロール・パネルに視線を落とす。

 機体の頭部が激しく点滅し、甚大なダメージを受けたことを告げている。

 どうやら頭部のセンサー集合部分を破壊されたらしい。

 目の前の敵――シクロのカヴァレッタの仕業でないことは分かっている。

 対峙した敵にみすみす急所を壊されるような下手を打つシェルナバシュではないのだ。


「……狙撃か!? どこからだ!?」


 ヴェルフィンは銃火器を携行していなかったはずだ。

 ならば、尻尾を巻いて逃げ出したもう一機のカヴァレッタの仕業か。

 カヴァレッタの貧弱な火器管制装置で、メッツガーフントの警戒センサー有効範囲外からの長距離狙撃を成功させたとはにわかには信じがたい。

 そうだとしても、現実に弾丸は命中したのだ。


 シェルナバシュはもはや用をなさないメイン・センサーを即座に停止させ、すばやく予備系統サブ・システムに切り替える。

 ディスプレイが復帰すると同時に、山吹色オレンジイエローのラインが画面上を流れていった。

 シクロのカヴァレッタだと気づいたときには、その輪郭シルエットはセンサーの死角へと潜り込んでいる。

 

「つまらん小細工を――」


 次の刹那、すさまじい衝撃がメッツガーフントを揺さぶった。

 カヴァレッタが二振りのグルカナイフを勢いよく突き立てたのだ。

 分厚い装甲に包まれたコクピットではなく、装甲を排除パージしたことでむき出しになった両肩の付け根を狙ったのは、確実に機能を停止させるためだ。

 メッツガーフントの武装は両腕のカギ爪だけだ。肩を破壊されれば、もはやでしかない。


 ごとり、と重い音を立ててメッツガーフントの両腕が地に落ちた。

 切断面からは青白い火花が散り、行き場を失ったオイルが血潮のように吹き出す。

 けたたましい警告音に埋め尽くされたコクピットのなかで、通信機インカムが女の声を吐き出した。

 

「まだ続けるつもり?」

「貴様、この俺に情けをかけているつもりか!?」

「まさか――あたしのカヴァレッタもごらんのありさまだし、お互いこのあたりで引くのが利口だと思っただけ」


 シクロはすげなく言って、グルカナイフを腰のホルダーに納める。

 これ以上戦う意志はないということを動作で示しているのだ。

 むろん、シェルナバシュがなおも戦うことを望むなら、二振りの刃はふたたび抜き放たれるだろう。


「あたしはあんたたちが生きようと死のうと関係ないし、こんなところで怪我するのも、大切な商売道具カヴァレッタを壊されるのもまっぴら御免なの」

「護衛としてに雇われたのではないのか?」

「あいにくだけど見当違いよ。あたしたちはただの通りすがり――本当にそれだけ」

「そんな戯言を真に受けるとでも……」

「べつに信じるも信じないも自由だけどね。こっちの目的はもう果たしたし、あんたがとかいうのを殺そうが連れ去ろうが、あたしたちには知ったことじゃないわ」


 シクロがその言葉を口にしたとたん、シェルナバシュはかっと目を見開いていた。

 そうだ。

 自分たちはそのために巡航船フロートシップを襲ったのだ。

 この世でただひとりの主君――バルタザール・アルギエバ大公が直々にくだした命令を果たすために。

 もし大公が任務の失敗を知ったなら、役目を果たせなかった無能な走狗イヌにはどんな仕置が待っているだろう。


 屈強な人狼兵ライカントループの背筋を悪寒が走り抜けていく。

 それはいままで戦場で感じたいかなる恐怖よりもなお冷たく、黒ぐろとした死の気配にほかならない。

 こみ上げてくる怖気を噛み殺し、シェルナバシュは努めて落ち着いた声色でシクロに告げる。


「よかろう。ここはひとまず退く。……だが、これで終わったなどとは思わんことだ。騎士団長の名にかけて、この屈辱はかならず雪がせてもらう」


 言い終わるが早いか、両腕を失った重駆逐型ウォーローダーは後退を開始していた。

 

***


 二隻の脱出艇は、巨大な砂岩の陰に隠れるように停止していた。

 どちらも外装はひどく傷んでいるが、航行に関わる部分は無事だ。

 砂岩の周囲では生き残った二機のヤクトフントが周辺警戒に当たっている。

 奥のほうに泊まった脱出艇の舷側にうずくまっているのは、暗白色オフホワイト朱色バーミリオンレッドのウォーローダーだった。

 コクピットハッチを開け放ったまま膝をついた愛機の傍らで、シクロとアゼト、レーカは、互いに向かい合っている。

 

「あらためて礼を言う。危ういところを助けてもらったことには本当に感謝して――」


 深々と頭を下げたレーカは、そこで言葉を切った。

 シクロが腕を伸ばし、金色の髪のあわいから飛び出した耳をわしづかみにしたためだ。

 

「ぶ、無礼者!! いきなりなにをする!?」

「ねえ、あんた本当に人狼兵? どうしても信じられないんだけど」

「当たり前だ――なぜそんなことを訊く!?」

「だってさあ……」


 シクロはにやりと笑って、赤髪の少年に視線を向ける。


「そんなふうに人間にお礼を言う人狼兵なんて見たことないもの。ねえ、アゼト?」

「はあ、まあ……」


 アゼトはあいまいに答えるのがせいいっぱいだった。

 人狼兵はあくまで至尊種ハイ・リネージュ――吸血鬼の下僕である。

 たとえ元々は人間であったとしても、主人とおなじように人間を見下し、高圧的な態度で接するのが常なのだ。

 それは人狼兵が多くの人間から進んで吸血鬼の側についた裏切り者として蔑まれ、陰で嘲笑の的となっていることへの意趣返しでもある。

 レーカは、しかし、そうしたとはまるで異なる感覚を持ち合わせているらしい。

 

「……危ないところを助けてもらったのは事実だ。もし貴公らが加勢してくれなければどうなっていたかくらい、私にも分かっている。謝礼を望むというなら、もちろん相応のものを用意するつもりだ」

「ふうん、吸血鬼の下っ端にしてはなかなか殊勝なところあるじゃない?」

「その呼び方はやめてくれ。私はともかく、は……」


 断続的な電子音が会話を遮った。

 レーカの襟元に装着されている小型通信端末がふいに鳴動したのだ。

 人狼兵の少女は二人から視線をそらし、端末のむこうにいる誰かと小声で短い会話を交わす。

 

「……ですが……いえ、ご命令とあれば……」


 いったん言葉を切って、レーカはシクロとアゼトを交互に見やる。


「二人とも、私と一緒に来てくれるか」

「吸血鬼の手下にそんなこと言われて、ホイホイついていくと思う? 報酬が惜しくなったから消えてもらう……なんて言われないともかぎらないんだし」

「誓ってそのような卑劣な真似はしない!」


 レーカは咳払いをひとつすると、ためらいがちに言葉を継いでいく。


「わが主君……が貴公らとの面会を望まれているのだ」


***


 ひんやりとした空気が脱出艇の内部を充たしていた。

 ほのじろく室内を照らす淡白色アイボリーの間接照明は、きわめて微量の紫外線しか発しない特殊光源を、さらに何層かの防護フィルターで覆ったものだ。

 至尊種ハイ・リネージュの住まいは、万が一にも主人たちの身体を傷めることのないよう隅々まで配慮が行き届いている。

 もっとも、本来であれば照明など無用の長物だ。たとえ一寸先も見通せない真闇まやみのなかでも、彼らのすぐれた視覚には一点の翳りさえ生じることはない。

 吸血鬼があえて灯りをともすのは、昼の世界の住民を迎えるときだけなのだ。


「……姫様、例の人間たちをお連れしました」


 レーカは扉の前で跪くと、姿の見えない主君にむかって報告する。

 シクロとアゼトは、その後ろで訝しげに室内を見渡している。

 そこかしこに瀟洒な調度品が配置され、とても脱出艇の内部とは思えない。どの品々も、人間の世界ではとうの昔に失われた文明の名残りであった。


「ようこそお越しくださいました――」


 扉のむこうから返ってきたのは、瑞々しく澄んだ女の声だった。

 あどけなさが残る声色から察するに、まだ年端も行かない少女らしい。

 もっとも、老いることなく数百年の時を生きる吸血鬼にとって、外見や声は年齢を推測する材料とはなりえない。


「レーカ。お二方をこちらへ」

「し、しかし……!!」

「かまいません。窮地を救っていただいた方々に、私から直接お礼を申し上げたいのです」


 わずかな逡巡のあと、レーカは横目でシクロとアゼトを流し見る。

 恩人とはいえ、素性も知れない人間を主君の前に引き出すのはためらわれたが、命令とあれば逆らう訳にはいかない。


「……かしこまりました」


 レーカが言ったが早いか、軽い作動音とともに扉が開いた。

 扉の向こう側には窓のない小部屋が広がっている。

 その中心、豪奢な椅子に腰を下ろした白いドレス姿の少女を認めたとたん、シクロとアゼトはともに息を呑んだ。


 人外の美貌としか形容できない姿形がそこにあった。

 闇のなかでいっそうまばゆい輝きを宿す銀灰色シルバーアッシュの長髪。

 生まれてから一度も陽光を浴びたことのないなめらかな皮膚はだえは白く透きとおり、内側からほんのりと燐光を放つよう。

 悩ましげな長い睫毛の下では、鮮血よりもなおあざやかな柘榴色ガーネットの双眸が息づいている。

 これ以上は望むべくもないほどに完璧な目鼻立ちはいっそ人形じみて、およそ血の通った生物とも思われない。

 形のいい唇からわずかに覗くするどい犬歯の先端は、少女がおそるべき吸血鬼であることを無言のうちに物語っている。

 鈴を鳴らしたような可憐な声がふたたび流れた。


「私の招待に応じていただけたことに感謝します。照明あかりを落としたまま客人をお迎えする非礼、どうかお許しください」


 吸血鬼の少女は静かに立ち上がると、ドレスのスカートを軽く抓み、わずかに片足を下げる。

 淑やかで優雅なその立ち振舞も、シクロとアゼトには警戒感を抱かせただけだ。

 無理もない。跪礼カーテシーの動作とその意味するところは、人間の世界ではとうの昔に忘れ去られている。

 そんな二人をよそに、少女はみずからの名をおごそかに宣する。


「私はリーズマリア・シメイズ・ルクヴァース。十三選帝侯クーアフュルストルクヴァース家の当主にして、至尊種ハイ・リネージュの次期皇帝です――」

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