CHAPTER 08:シルバー・ブレット

「そろそろ息が切れてきたようだな――」


 カヴァレッタの通信機インカムからひどく陰気な哄笑があふれた。

 シクロは唇を固く結んだまま、操縦に全神経を注いでいる。

 いまのところ致命傷こそ免れているが、戦況はあきらかに不利だ。

 反撃に転じるどころか、メッツガーフントの猛攻をかいくぐるだけで精一杯というありさまだった。


「せいぜい体力の続くかぎり足掻いてみせろ。そうでなければ殺し甲斐がない……」


 獲物をじわじわと追い詰め、逃げ場のない絶望のなかで息の根を止める。

 それがシェルナバシュの常套手段だった。

 人並み外れた狩猟への執着は、人狼兵ライカントループに改造された際の洗脳措置によって植え付けられたものか。

 あるいは――それより以前まえから彼の本性に染み付いていたのか。

 いまとなっては、当のシェルナバシュ自身にも判然としない。

 

 シェルナバシュが人狼兵としてアルギエバ大公に仕えるようになってから、すでに百年あまりが経つ。

 主人に命じられるがまま、忠実な走狗イヌとして数えきれないほどの敵を仕留めてきた。

 人間だったころの記憶はたえまない闘争のなかで風化し、いまや血に飢えた獣の本性だけがシェルナバシュを衝き動かしているのだった。

 

「……あいにくだけど、あんたにむざむざと殺されてやるつもりはないわ」


 カヴァレッタの右腕からメッツガーフントにむかって細い火線が伸びた。

 シクロは機体を飛び退かせると同時に、前腕部に内蔵された七・六二ミリ機銃を発射したのだ。

 軽快な音とともに撃ち出された銃弾は、分厚い装甲に当たっては砕け散っていく。

 小口径弾が何百発命中したところで、メッツガーフントの重装甲にはかすり傷さえつかないのだ。


 メッツガーフントが動いたのは次の刹那だ。

 大柄な機体に似合わぬすばやい挙動で距離を詰めるや、カヴァレッタめがけて銃剣バヨネットと副腕のカギ爪が同時に振り下ろされる。

 転瞬、するどい金属音が乾いた大気を震わせた。

 殺意とともに躍動した三振りの刃は、しかし、いずれも標的に触れる寸前で静止した。


 カヴァレッタが両手に握ったグルカナイフでカギ爪を受け止め、さらに右足で重機関砲を銃剣ごと踏みつけたのだ。

 もしほんのわずかでも機体を退かせていたなら、カヴァレッタは三方向からの攻撃をまともに受けて無残に切り裂かれていただろう。

 シクロはあえてその場から機体を動かさず、攻撃を見切ることに専心したのだった。

 卓抜した技量と胆力がなければ実現しえない、それはまさしく離れ業だ。

 シェルナバシュはほうと感嘆のため息を洩らす。

 

「いまの攻撃を受け止めた人間は、この百年で貴様が初めてだ」

「お褒めにあずかって光栄……とでも言っておいたほうがいいかしら?」

「つくづく人間にしておくには惜しい女だ。我が主君・アルギエバ大公殿下にお仕えするつもりはないか? 賞金首を追いかけ、わずかばかりの日銭を稼ぐよりはよほどいい暮らしも出来るだろう」

「せっかくのお誘いだけど、丁重にお断りするわ。吸血鬼の走狗イヌに成り下がるくらいなら、外の世界で泥水を啜って生きてるほうがずっとマシよ」


 語気強く言い放ったシクロに、ふたたびカギ爪が襲いかかる。

 鍔迫り合いの均衡が崩れたまさにその瞬間、重機関砲を踏みつけたまま、カヴァレッタの右足首のアルキメディアン・スクリューが高速回転を開始した。

 スクリューに触れていた砲身と銃剣はたちまち折れ曲がり、原型を留めぬほどにひしゃげていく。

 こうなっては、武器としてはもはや使いものにならない。

 メッツガーフントの腕一本をまんまと潰したシクロは、そのまま後方におおきく飛び退く。

 二機のウォーローダーはふたたび真っ向から対峙する格好になった。

 

「みごとなものだ。これほどの使い手と巡り会えるとは、俺はまったく運がいい……」

「怪我をしないうちに引いてくれるとありがたいわね」

「だが、どれほどすぐれた乗り手ローディでも、機体が腕についてこられないのでは意味がない」


 シェルナバシュは意味ありげに言って、くつくつと哄笑する。

 カヴァレッタの四肢の関節からは何条もの細い白煙が立ち昇っている。

 シクロの超人的な操縦技術によって実現する三次元的な挙動マニューバは、その一方でハードウェアに多大な負担を強いる。

 とりわけ関節を制御するアクチュエータやサーボモータは、あまりの運動量に冷却が追いつかず、いまやオーバーヒート寸前にまで追いやられているのだった。

 関節を温存すれば、当然ながら運動性能はおおきく低下する。


「その状態ではもはや自由に飛び回ることは出来まい。すばしこい飛蝗カヴァレッタの最大の武器が封じられたというわけだ」

「多少動きが鈍っても、太った狼に捕まえられるとは思わないことね」

「これを見てもおなじことが言えるか?」


 シェルナバシュが言い終わるが早いか、メッツガーフントの機体表面にまばゆい閃光が走った。

 ちいさな爆発が立て続けに生じ、機体はあっというまに白煙に包まれていく。

 自爆したようにも見えるが、そうでないことはすぐに知れた。

 機体各部に仕込まれていた爆破ボルトを一斉に作動させ、死重デッドウェイト化した装甲板と武装を切り離したのだ。


 やがて白煙のむこうに浮かび上がったのは、大柄な重駆逐型ウォーローダーとは似ても似つかぬスマートな輪郭シルエットだった。

 両腕の重機関砲と榴弾砲はどちらも投棄パージされ、カギ爪つきの副腕が取って代わっている。

 シクロが副腕だと思いこんでいたのは、どうやら本来のメッツガーフントの腕だったらしい。背中に回っていた肩関節がスイングし、正しい位置に戻ったのだ。


 そもそも、メッツガーフントは最初から重装甲・重武装の機体として設計された訳ではない。

 ありあまるパワーと豊富な搭載量ペイロードを有していたために、各種の兵器が逐次追加されていったのである。

 余分な重荷をことごとく捨て去ったことで、メッツガーフントは本来の高機動性を取り戻したのだった。

 

「なるほど――満を持してのご登場ってわけ?」

「人間の身でよく戦ったが、それもここまでだ。どのみち我々の作戦を見られた以上は生かしてはおけん」

「そういえばヴェルフィンのローディが”姫様”がどうのとか言ってたけど、よっぽどヤバい仕事の最中にお邪魔しちゃったみたいね」

「貴様を殺したあとは、生き残った連中にも一匹残らず消えてもらうとしよう。酒場にいたあの小僧もだ」

 

 むき出しになった油圧シリンダーがぎらぎらと陽光を照り返して輝く。

 獣の唸り声のような稼働音を響かせて、鋼鉄の餓狼は猛然と疾走に移った。


***


「照準システムの同期リンクはまだ終わらないのか?」


 アゼトは努めて冷静を保とうとしているが、声色に滲んだ焦燥は隠しきれるものではない。

 それも無理からぬことだ。

 シクロのカヴァレッタの挙動は、遠目にもあきらかに鈍くなっている。

 この距離では機体の状態を詳しく知ることは不可能だが、なんらかのトラブルが生じたのはまちがいない。

 レーカは愛機のコンソールを操作する手を止めることなく、ちらと横目でアゼトを見やる。


「あまり急かすな。私のヴェルフィンと貴公のカヴァレッタでは、搭載されている戦術データリンクシステムのバージョンが違う。心配しなくても、あとすこしで……」

「あまり長くは待てない。もし時間がかかるようなら、このまま目視で奴を撃つ」

「”俺の姉さんを信じろ”と言ったのは貴公だろう?」

「それは――」


 レーカの言葉に、アゼトは強く唇を噛む。

 シクロの腕を疑ったことはない。カヴァレッタでメッツガーフントと互角に渡り合えるローディは、世界に五人といないだろう。

 だが、それも機体のコンディションが万全であればの話だ。


 カヴァレッタがメッツガーフントに勝っているのは、唯一運動性だけだ。

 たったひとつのその武器は、シクロの機体に生じたトラブルと、敵が軽量化を図ったことで失われようとしている。

 シクロの生命はいまや風前の灯火だ。

 このうえは一秒でも早くメッツガーフントの目を潰し、戦場をすばやく離脱しなければならない。

 

 実時間では一分にも満たないわずかな時間も、いまのアゼトには永遠にも等しく感じられる。

 このまま準備が完了するのを待つべきか、それとも危険を冒してでも目視での狙撃を敢行すべきか……。

 唇を強く噛んだまま逡巡するアゼトを、レーカの声が現実に引き戻した。


「終わったぞ! 精密照準プログラムの同期リンクを確認。どちらの火器管制装置FCSも問題なく作動している」

「本当にこれで撃てるんだな!?」

「照準補正と弾道計算はヴェルフィンがやる。貴公はタイミングを逃さずに引き金を引けばいい」


 レーカが言い終わらぬうちに、アゼトは照準用ディスプレイに視線を移す。

 先ほどまでおぼろげに揺らいでいた赤い照準環レティクルは、はっきりと彼方のメッツガーフントを捕捉している。

 標的が動くたびに照準環も即座にその後を追いかけ、ディスプレイ上には彼我の相対距離と弾着予想位置を示すマーカーがめまぐるしく踊っている。

 ヴェルフィンの火器管制装置を経由することでカヴァレッタの貧弱な射撃能力は大幅に増強され、その精度はいまや砲戦用ウォーローダーに勝るとも劣らない水準に達している。

 だが、いくら機械の補助を得たところで、引き金を引くのがローディの役目であることに変わりはない。


 アゼトに与えられたチャンスはただ一度。銃弾はたった一発。

 絶対に失敗は許されないからこそ、逸る気持ちを抑えて準備が整うのを待ったのだ。

 それでも、最悪の想像はつねに脳裏をよぎる。


 もし、ほんのわずかでも引き金にかけた指に狂いが生じたなら……。

 ふいに吹きつけた突風に弾が流され、敵の目を潰しそこねたなら……。


 アゼトにとって世界の誰よりも大切なひとの生命は、その瞬間に失われるだろう。


「――――――――」


 アゼトはじっと息を殺し、照準用ディスプレイに全神経を集中させる。

 カヴァレッタとメッツガーフントの戦いはなおも続いている。

 照準環レティクルは二機のあいだで動揺し、一向に静止する気配を見せない。


 シクロのカヴァレッタがふいに動きを止めたのはそのときだった。

 その行為がなにを意味するのかは、当のシクロが誰よりもよく分かっているはずだ。

 メッツガーフントは敵機の不可解な挙動にも動じることなく、するどいカギ爪を振り上げる。

 シクロが狙撃の好機を作り出すためにわざと我が身を危険に晒したとは、むろん知る由もないことだった。

 

「”あなたは戦いの技をわたしに教え”……”わが腕に青銅の弓を引く力を与えてくださる”……」


 照準環を睨みながら、アゼトはあるかなきかの小声でつぶやく。

 それは最終戦争のあと、吸血鬼の命令で一冊残らず焼き払われた書物の一節だ。

 けっして悪しきものに知られぬように。末々の世まで教えが絶やされぬように。

 ごくわずかな人々が口伝えに語り継いできた聖なる詩篇を、赤髪の少年は自分自身に言い聞かせるように口ずさむ。


「――”わたしを憎むものを、わたしは滅ぼす”」


 まばゆい閃光マズルフラッシュと乾いた発射音が生じた。

 放たれた銀の銃弾シルバーブレットは大気を切り裂き、メッツガーフントめがけて一直線に飛翔する。

 金属を叩きつける甲高い音が響きわたったのは次の瞬間だった。

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