CHAPTER 04:エンカウンター

 赤茶けた大地にひとすじの太い線がどこまでも伸びていた。

 道幅はおよそ千五百メートル。道路というよりはほとんど滑走路にちかい。

 標識も車線レーンも見当たらないが、人工的に作られたものであることは遠目にもあきらかだった。

 周囲の地面とはあきらかに異なる花崗岩のような色合いと硬い質感は、すくなくともむこう十万年はけっして劣化することのない半永久舗装の証だ。

 一平方メートルあたり六十兆個もの細胞――ナノマシンが塗り込められた舗装は、たえまなく自己修復を行い、必要とあれば近くの地面から必要な分子を適宜取り込むことで、竣工時の形状を可能なかぎり保持しようとするのである。

 長大な道路は、高度な恒常性ホメオスタシスを備えた一個の生物でもあるのだ。


 東西大交易路――。

 人間の文明を徹底的に破壊し、その再建にはまるで興味を示さなかった至尊種ハイ・リネージュが、に築いた数少ないインフラのひとつ。

 大陸の東西を結ぶ唯一の交通路は、荒廃した世界に残された最後の道路でもある。

 

 現在の時刻は午前七時半ちょうど。

 積荷を満載した交易商人たちのトラックや、定員オーバーの乗り合いバスがひっきりなしに往来するこの道だが、いまの時間帯は車通りもまばらだ。


 鉱山都市レンディアを出立した六輪駆動の大型トランスポーターは、東西大交易路を西へと走りつづけていた。

 運転をアゼトにまかせて、シクロは助手席で珍しく物思いに耽っている。

 その視線の先には、天地をつらぬくように巨大な塔市タワーがそびえている。

 この地の領主バルタザール・アルギエバ大公が住まう”青の聖塔ブルー・ジグラッド”だ。その名に違わず、あざやかな青色に染め上げられた外壁は、遠目にもよく目立つ。


 アゼトはハンドルを握ったまま、ちらとシクロを見やる。


「昨晩のこと、やっぱり気になりますか」

「すこしはね。ま、無事に夜も明けたことだし、このままべつの土地に入れば心配ないだろうけど」

居室キャビンで横になってきたらどうです。あのあと、けっきょく朝まで起きていたんでしょう」

「ここで平気。アゼトも疲れたら遠慮せず言いなさい。居眠り運転でもされたらたまらないもの」


 冗談めかして言って、シクロはあくびを噛み殺す。

 人間である以上、どんな猛者であろうと睡眠は不可欠だ。

 シクロもアゼトも一日二日程度なら寝ずに行動することが出来る。

 その一方で、充分な睡眠が取れない状況では心身両面のパフォーマンスが低下することも理解しているのだった。

 シートを倒し、上着を脱いだチューブトップ一枚のしどけない格好で休らうシクロに、アゼトはぽつりと問うた。

 

「ところでシクロさん、この先の予定は……」

「そうね――最近は実入りのいい仕事が続いたから、賞金稼ぎはすこしお休み。カヴァレッタにもだいぶ無理させたし、そろそろオーバーホールも受けさせたいけど、まずは腕のいい整備士チューナーを見つけなくちゃね」


 ウォーローダーの整備を請け負う機械技師――整備士チューナーは、大抵どこの集落にもいる。

 その道ひとすじの職人もいるが、そのほとんどはトラックや農業機械も幅広く手掛けるだ。

 ウォーローダーはあくまで歩兵用の装備である。その構造は戦車や戦闘機ほど複雑ではなく、重量もせいぜい小型トラックほどでしかない。

 センサーや制御コンピュータといった専門性の高い一部の部品を除けば、最前線で実際に使用する兵士がみずからメンテナンスをおこなえるように設計されているのだ。

 オーバーホールのような高度な整備を行う場合でも、自動車用の設備があればほとんどの場合は事足りるのである。


 整備そのものにはさほど高度な技術を必要としないぶん、整備士の腕のよしあしはローディの特性に合わせた細かなチューニングで判断される。

 各関節に搭載されたアクチュエータの応答速度レスポンス、サーボモータの効き具合……どれひとつ取っても、戦場におけるローディの生死に直結する。

 下手な整備士に当たったがために、整備する前よりも操縦性が悪化するといったことも珍しくはない。そんな機体で戦場に出てしまったために生命を落としたローディは、それこそ星の数ほどいるのだ。

 とくにシクロとアゼトのように各地を放浪する流れのローディにとって、愛機を託せるだけの技量を持った整備士に出会えるかは完全に運任せだった。

 評判のいい整備士にひどいチューニングを施され、数日かけてにした苦い経験もある。


 アゼトはまっすぐ前方を見据えながら、それとなくシクロに語りかける。


「カヴァレッタのオーバーホールが済んだら、そのあとは……」

「そんな先のこと、いまから考えても仕方ないわ」


 いかにも投げやりなシクロの言葉には、不思議と自暴自棄の響きはない。

 明日どころか、一時間後に生命があることを保証してくれる者などどこにもいない世の中である。

 まして、流れのローディという境遇であればなおさらだった。

 先々のことを考えないのは、不慮の死を迎えたときに悔いを残さないためでもある。


「賞金稼ぎはどこに行ってもやることはおなじ――おかげで好きなように生きていけるんだから、文句は言わないけどね?」

 

 この世には絶対に食いっぱぐれる心配のない職業が三つある。

 医者と床屋、そしてローダー乗りローディだ――とは、古くからあるお決まりのジョークだ。


 事実、ローディとしての技術はどこに行っても重用される。

 とはいえ、その能力の使いみちは十人十色。

 ワークローダーで地道に農業や建築に従事する者もいれば、集落や交易商人に雇われて用心棒バウンサーを務める者もいる。

 盗賊や殺し屋にしても、たんに技能を役立てる方向が違ったというだけのことだ。

 人類社会が崩壊したいまとなっては、彼らの犯罪を定義する法も、悪事を咎める倫理もない。善悪や貴賤の基準はとうに消失し、すべてはの範疇なのである。


 この時代、狂っているのは殺し盗む者ではなく、その所業に対して怒りを抱く者のほうなのだ。

 盗賊や賞金首を狩ることで生計を立てているシクロとアゼトにしても、自分たちが正義の味方などではないことはむろん承知している。

 努力したところでにはなれそうにないことも、また。


「シクロさん。俺、前から行きたいと思ってた場所があるんです」

「ふうん? ……言ってみなさいな。お姉さんが聞いたげる」

「海――ずっと西の果てにあるという。むかし交易商人の爺さんに話を聞いてから、ずっと気になってたんです」

「海か。いいわね。あたしも人づてに聞いただけで、そういえば一度も見たことないなあ」

「どうせ行くあてがないのなら、二人で……」


 トランスポーターの車体がぐらりと揺れたのはそのときだった。


 ぶつけられた――最初に頭に浮かんだ可能性を、アゼトは即座に否定した。

 荷台にウォーローダー二機とさまざまな装備を搭載し、総重量二十トンちかい大型トランスポーターは、追突された程度では小揺るぎもしないのだ。

 とっさに右手に目を向ければ、交易路をそれた荒野のあたりから幾筋も黒煙が上がっている。

 おそらくあのあたりで大規模な爆発が起こったのだろう。

 七・六二ミリ弾の直撃にも耐える強固な防弾・防爆ガラスでなければ、吹き付けた爆風によってフロントガラスはあっけなく砕け散っていたにちがいない。

 

「この爆発、どこかで戦闘が始まったみたいですね」

隊商キャラバンが盗賊に襲われてるのかもしれないわ。もしそうなら、助ければいい小遣い稼ぎになる!」


 言うが早いか、シクロはすでに運転席後部へと身を躍らせている。


「あたしが先に出て様子を探ってくる。あんたは後ろからついてくること!!」


 運転席からは居室キャビンを通って直接荷台に出られるようになっている。

 無接点電動機ブラシレスモーターの甲高い駆動音が鳴り渡ったのは、それから十秒と経たないうちだった。


 シクロがカヴァレッタの起動スイッチを押下したのだ。

 燃料電池フューエル・セルで駆動するウォーローダーは、内燃機関エンジンのような暖機運転アイドリングを必要としない。

 山吹色オレンジイエロー味方識別帯ストライプもあざやかなカヴァレッタは、左右のマニピュレーターを巧みに用いて、みずからをいましめるワイヤーとタープをほどいていく。

 すばやく各部の動作チェックを済ませたシクロは、迷うことなくスロットルを最大戦闘出力ミリタリーパワーに叩き込む。

 カヴァレッタは荷台の上ですっくと直立したかと思うと、そのまま道路に飛び降りる。


 耳障りな騒音とともに白い塵埃が巻き上がったのは次の瞬間だ。

 高速回転するアルキメディアン・スクリューが容赦なく舗装をえぐり、破片を後方に撒き散らしたのである。

 ウォーローダーのスクリューは砂漠や泥濘地といった不整地では無限軌道キャタピラを寄せつけない機動力を発揮する一方、舗装路の走行は不得手とする。

 速度と推進効率はおおきく低下し、あらゆる点でタイヤに遠く及ばないのだ。

 もっとも、旧時代の道路網がほとんど破壊され尽くした現在では、ほとんど問題にならない欠点でもあった。


 そのあいだにも、シクロのカヴァレッタはさらに速度を上げている。

 火花を散らしながら真横にスライドした暗白色オフホワイトの機体は、ぐっと姿勢を低くしたかと思うと、そのまま舗装路を飛び出す。

 土煙を巻き上げながら遠ざかるカヴァレッタを追って、アゼトはおもいきりハンドルを切る。

 六輪のタイヤを軋ませながら道路外に出たトランスポーターは、カヴァレッタに先導されるように爆発のあった地点へと向かう。


 爆風に巻き上げられた砂埃がもうもうとたちこめ、小石がフロントガラスを叩く。

 黄土色の紗幕ヴェールの向こう側では、銃声がひっきりなしに響きわたり、そこかしこで閃光とともに火柱が上がっている。

 被弾したウォーローダーの燃料電池が誘爆しているのだ。

 空にたなびく黒煙の数から推測するに、複数のウォーローダーが入り乱れる大規模な戦闘が繰り広げられているらしい。

 運転席の通信機インカムごしにシクロの声が飛び込んできた。

 

「捕捉した。前方千三百メートル、熱源多数。ウォーローダーに、あれは――」

「いったいなにがあるんです?」


 シクロが言葉を切ったのがわざとでないことはアゼトにも分かっている。

 信じがたいものを目にして、驚きのあまり言葉を失ったのだ。

 やがて砂埃が薄らぐにつれて、前方に巨大な輪郭シルエットがぼんやりと浮かび上がった。


「……!!」


 アゼトが息を呑んだのも無理はない。

 荒野の真っ只中に前触れもなく現れたのは、一軒の壮麗な屋敷だった。

 壁も屋根も純白に統一された気品ある佇まい。正面には優雅な破風ファサードが据え付けられ、大理石の周柱が建物を支えている。下界ではまずお目にかかれない、みごとな貴族風建築であった。


 近づくにつれて、アゼトは屋敷の下に奇妙な構造物があることに気づく。

 平べったい洗い桶ウォッシュボウルを逆さにしたようなそれは、後方に砂を吐き出しながら、ゆるゆると移動している。

 白い屋敷は、地面に浮かんだ奇怪な船の真上に載っているのだ。


 屋敷から火の手が上がったのはそのときだった。

 砂埃はすでに熄み、屋敷のまわりを旋回する多数のウォーローダーをはっきりと視認することが出来る。

 ウォーローダーがミサイルや榴散弾グレネードを撃ち込むたび、炎はさらに激しさを増していく。このまま攻撃が続けば、屋敷そのものが燃え落ちるのも時間の問題と思われた。


「シクロさん、あれは……」

「そのまえに車を隠しなさい。あいつらに見つからないうちに、はやく!」


 シクロは手近な岩陰にトランスポーターを誘導しつつ、ぽつりと呟く。


「まちがいない――襲われてるのは、吸血鬼の巡航船フロートシップよ」

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