CHAPTER 03:ダーケスト・アワー

「それ、どういう意味?」


 シクロはテーブルに腰掛けたまま、落ち着き払った声で問うた。


「保安局には酒場で喧嘩が始まったと通報があった。喧嘩には相手が必要だ」

「両成敗とでも言いたげね。……さっきの話、聞いたでしょ。あたしたちは食事をしていたらいきなり絡まれただけよ。それでも同罪かしら?」

「ふん――」


 人狼兵ライカントループの隊長はシクロの傍らに立つと、全身を舐め回すようにねちっこい視線を巡らせる。

 金色の瞳にはひどく残忍な光が宿っている。ヘルメットのバイザー越しでも剣呑な殺気は隠しきれない。

 普通の人間であれば、恐怖のあまり泣き叫んだとしても責められはしないだろう。

 シクロは取り乱す様子もなく、あくまで泰然と佇んでいる。


「貴様、名前は?」

「他人に名前を訊くまえに自分から名乗るのがマナーではなくて?」

「流れ者のローディの分際で、ずいぶんとを知っているな」


 皮肉っぽく哄笑した狼男は、装甲服に鎧われた分厚い胸をそらして宣言する。


「俺の名はシェルナバシュ。わが主君、バルタザール・アルギエバ大公殿下のもとで人狼騎士団を預かっている」

「シクロ。あっちにいるのはツレのアゼト。お目もじかなって光栄だわ、騎士団長さん」


 そっけなく答えたシクロに、シェルナバシュはずいと顔を近づける。

 傍目には耳打ちしているようにも、いまにも首筋に噛みつこうとしているようにもみえる。


「すこしまえ、凄腕の賞金稼ぎの噂を聞いたことがある。まだ若い女で、年下の小僧と二人組ツーマンセルで行動しているそうだ」

「ふうん……」

「どちらもカヴァレッタ使いだ。戦闘には向かん機種だが、奴らはウォーローダーをまるで自分の手足のように操ることが出来ると聞いている」

「あたしたちには関係ない話ね」

「どうかな――」


 言うが早いか、シェルナバシュはレッグポーチから通信端末を取り出す。

 人間には大型の端末だが、毛むくじゃらの巨大な掌のなかでは、まるで子供のおもちゃみたいにみえる。


 高精細ディスプレイにおおきく映し出されたのは、荒野を走行する一台の六輪駆動車だ。

 荷台を覆うちぐはぐな色合いのタープが目を引く。

 見まがうはずもない。それはシクロとアゼトが所有する大型トランスポーターにほかならなかった。


「三日ほど前、領内を巡回中の監視ドローンがこのトランスポーターを捕捉した。荷台にはカヴァレッタ・タイプが二機。機種ごとに危険度をランク付けすることしか出来ないバカなドローンはごまかせても、俺の目は欺けない」


 シェルナバシュはにやりと唇を歪めて、これ見よがしに鋭利な歯列を露出させる。


「それで、あたしたちをどうしようっていうの?」

「どうもせん。至尊種ハイ・リネージュの司法は各諸侯の領地ごとに独立している。貴様らが他所でどんな重罪を犯していたとしても、アルギエバ大公殿下の領内で面倒事を起こさないかぎり、身柄を拘束する理由はない――が」


 いったん言葉を切ったシェルナバシュは、アゼトを見やる。

 赤髪の少年はじっとその場に直立したまま、右手首を上着のポケットに突っ込んでいる。

 人狼兵の強化された聴覚は、ポケットの奥深くで金属がすれあうかすかな音も聴き逃がさない。おそらく投げナイフの類だろう。

 シクロの身になにごとかあれば、アゼトは即座にシェルナバシュの喉首めがけて投擲するつもりなのだ。

 狼男は動じる風でもなく、ふたたびシクロに視線を移すと、湿った声で語りかける。


「噂どおりの凄腕なら、ぜひとも一度手合わせ願いたいものだ。なにしろ歯ごたえのある敵とはしばらく立ち合っていないものでな」

「悪いけど、あたしたちは見返りもなく騎士団長とやり合うほど無鉄砲でも命知らずでもないわ。……もっとも、あなたのから処分を依頼されたなら別だけれど」


 処分という言葉に触発されたのか、シェルナバシュの瞳を怒りの色がよぎった。

 人狼兵にとって、犬になぞらえられることにまさる屈辱はない。

 吸血鬼の忠実な走狗イヌであることをだれよりも自覚しているがゆえに、人間に揶揄されることは我慢ならないのだ。

 ひりつくような緊張感がまたしても酒場を覆っていく。

 まさしく一触即発という雰囲気のなか、シクロはアゼトを無言で手招きすると、入り口にむかって歩き出す。


「心配しなくても、あたしたちは明日の朝にはこの街を出ていくつもりよ。仕事はもう終わったし、これ以上ここに長居する理由はないもの」


 シェルナバシュは鼻を鳴らすと、二人を足止めしていいか判断しかねている部下の人狼兵に「通してやれ」とハンドサインを送る。


「おやすみなさい、騎士団長さん。いい夢を――」


 左右に別れた人狼兵たちのあいだを悠々と通り抜けて、シクロとアゼトは酒場を後にする。

 シェルナバシュは気絶したままの中年男と二人の部下を連行するよう命じたあと、人狼兵たちに撤収の号令をかける。

 嵐のような騒乱が過ぎ去り、すっかり静まりかえった酒場のなかで、客たちは狐につままれたみたいな面持ちで茫然と立ち尽くすばかりだった。


***


「シクロさん、無茶しすぎですよ――」


 細い路地裏に入ったところで、アゼトは低い声で言った。

 数メートル進むごとに背後を振り返っているのは、尾行を警戒しているのだ。

 いまのところ気配は感じられない。の心配はないようだ。


「もしあの人狼兵ライカントループが殺すつもりで襲ってきていたら、いったいどうするつもりだったんです?」

「そのときはそのとき。あいつはそうしなかった。それだけのことよ」


 ほんのすこしまえまで絶体絶命の危機に瀕していたことなど忘れたみたいに、シクロはあくまで飄々と言いのける。


「それに、無茶はお互い様でしょう? あのままナイフを投げてたらただじゃ済まなかったはずよ」

「それは……」

「あたしのことを心配してくれるのはうれしいけど、相手に気づかれるようじゃ不意打ちにもならないわ。……でも、ありがとね」


 シクロはふっと相好を崩すと、そのまま顔を上方にむける。

 見上げたさきには、家々の軒に区切られた細長い夜空がある。

 月のない真夜中である。

 天も地も、一片ひとひらの光さえ失せた真闇の底に沈んでいる。

 吸血鬼にとっては、これ以上ないほどに心地よい夜だ。


「あいつら、あたしたちが吸血鬼を殺してること、知ってたのかもね」


 濃墨を塗りこめたような夜空を仰いだまま、シクロはぽつりと呟いた。


「ここの領主……アルギエバ大公の命令で俺たちの様子を探りに来たということですか?」

「その可能性は捨てきれないわ。そうでもなければ、たかが喧嘩沙汰のために騎士団長があんな場末の酒場にやってくるとは思えないもの」

「それなら明日の朝まで待たずに、いますぐこの街を出たほうが――」

「忘れたの? ……夜はあいつらの世界。朝日が昇るまでは、どこにいようとおなじよ」


 シクロの言葉には諦めにも似た響きがある。

 人狼兵もけっして与しやすい相手ではないが、それでも戦いようはある。

 だが、もし吸血鬼が本気で二人の抹殺に乗り出したなら、ひたすら夜明けまで逃げ回るほかに手はない。

 たとえ首尾よくカヴァレッタに乗り込むことが出来たとしても、状況は好転しない。どちらが一方だけでも生き残れる可能性は、数パーセントにも満たないだろう。


 夜闇の助けを得た吸血鬼は、この地上で最も強く、そして恐ろしい存在である。

 五感は極限まで研ぎ澄まされ、生物学の常識を超えたすさまじい身体能力ポテンシャルを発揮する。

 かつて人間と吸血鬼のあいだで行われた最終戦争では、丸腰の吸血鬼が完全武装の一個師団を壊滅に追いやり、わずか三人の吸血鬼が一夜のうちに原子力空母を制圧した記録もある。


 ウォーローダーは、そんな吸血鬼と戦うために生み出された兵器だった。

 その原型は、軌道エレベーターや宇宙ステーションの建設に用いられていた強化外骨格エクソスケルトンである。

 非力な人間は、機械駆動式の甲冑よろいをまとうことで、ようやくと渡り合うことが可能となったのだ。

 吸血鬼にダメージを与えうる大口径火器を運搬する膂力と、吸血鬼の攻撃を通さない鉄の皮膚はだえを末端の歩兵に与えるウォーローダーは、旧来の主力戦車と入れ替わるかたちで急速に普及していった。

 ウォーローダーの登場によって、人間ははじめて吸血鬼と互角に戦う手段を得たのだった。


 もっとも、両者の戦力が拮抗したのも一時いっときのことにすぎない。

 吸血鬼にしてみれば、人間といつまでも泥仕合を演じる義理はない。戦争はフェアなスポーツではないのだ。

 敵が機械の力を借りて戦うのであれば、こちらもおなじ手を使えばよい――。

 当初は人間の兵器を模倣することを潔しとしなかった吸血鬼たちも、勝利を捨ててまで種としてのプライドに拘泥するほど頑迷ではなかった。

 吸血鬼がウォーローダーの独自開発に着手したことで、戦争の勝敗は決したと言っても過言ではない。


 吸血鬼たちは、やがて完成した兵器を”血の鎧”――ブラッドローダーと名付けた。

 大量生産を前提としていたウォーローダーに対して、ブラッドローダーはこの世にそれぞれ一機しか存在しない特注品オートクチュールである。

 そもそも乗り手ローディである吸血鬼の絶対数が少ない以上、彼らが用いる兵器に量より質が求められたのは当然でもあった。

 生産性を度外視したことで浮いたコストとリソースは、ひたすら高性能を追求するために振り向けられた。

 装甲には高価で希少な複合素材ハイブリッド・マテリアルが惜しげもなく用いられ、それはジェネレーターやセンサー、武装においても同様だった。


 おもわぬ副産物もあった。

 人類が保有するN生物B化学C兵器への対策として装甲に施された多層コーティングは、有害な紫外線を完全に遮断し、それによって吸血鬼は昼夜をとわない活動が可能となったのだ。

 ブラッドローダーをその身にまとうことで、吸血鬼はまさしく究極の生命体として完成したのである。

 ただでさえ強力な能力をさらに増強し、最大の弱点である太陽光さえ克服した吸血鬼に立ち向かう術は、人類にはすでに残されていなかった。


 シクロとアゼトにはブラッドローダーとの戦闘経験はない。

 これまで二人が戦ってきた吸血鬼は、そのすべてがなんらかの理由で塔市タワーを追放され、人間の世界で生きていくことを余儀なくされた落伍者たちだ。

 そのような彼らに最高戦力であるブラッドローダーを持ち出せるはずもなく、下界での活動に不可欠なとして人間用のウォーローダーをやむなく使用していたのである。


 もっとも、世界の隅々まで探したとしても、ブラッドローダーと戦ったことのある人間はひとりも見つからないだろう。

 吸血鬼が操るブラッドローダーと戦うことは、人間にとって死と同義である。

 どんな凄腕のローディだろうと、人間であるかぎり勝ち目はない。

 ブラッドローダーに対抗出来るのは、おなじブラッドローダーだけなのだ。


 シクロとアゼトは、いつのまにか街外れに出ていた。

 街の外には打ち捨てられた製錬所の廃墟がある。トランスポーターはその内部に隠してあるのだ。

 夜の街はしんと静まりかえって、冷たく澄みわたった夜気が世界を充たしている。


 シクロの背中を見つめながら、アゼトは爪が食い込むほど強く拳を握りしめる。

 自分の生命に代えても、このひとは守らなければならない。

 たとえ絶対に勝ち目のない相手――吸血鬼の駆るブラッドローダーと戦うことになったとしても。

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