CHAPTER 02:ウォー・ドッグス
酒場じゅうの視線が入り口に集中した。
渦中のシクロとアゼト、そして殺気立っていた三人の男たちも例外ではない。
扉が蹴破るように開かれたかと思うと、一群の兵士たちがどっと室内になだれ込んできた。
アサルトライフルやサブマシンガンを携え、青く塗られた
もっとも、巨漢という表現は、この場合かならずしも正しいとは言えない。
うなじまですっぽりと覆うフリッツタイプのヘルメットから覗くのは、長い
どの部位を見ても人間でないことはひと目でわかる。
きわめつけとばかりに、夜風とともに酒場のなかに吹き込んだのは、むせかえるような獣臭だった。
はたして、男たちの鍛え上げられた肉体が戴くのは、大型イヌ科動物の頭部にほかならなかった。
本物のオオカミよりもはるかに獰猛で恐ろしげな印象を与えるのは、その造形が太古の昔に絶滅したイヌ科最大にして最強の種――
「
無自覚に数歩も後じさりながら、四十がらみの中年男は震える声で呟く。
狼男たちの姿を認めたとたん、つい先ほどアゼトにへし折られた指の痛みも忘れたようだ。
三人の男たちがすばやく武器を引っ込めたのは、ほとんど本能的な動作だった。
アゼトはすばやくカウンターに視線を走らせる。
酒場で始まった喧嘩を止めてもらおうと保安局に通報した当人にしても、現在の状況は予想出来なかったにちがいない。
いつものやる気のない保安官ではなく、完全武装の人狼兵たちがやってくると知っていれば、通報は思いとどまったはずだ。
アゼトは人狼兵たちに気取られぬよう、身を低くしてそっとカウンターに移動する。
「説明しろ。これはいったいなんの騒ぎだ?」
問いかけと同時に、ひとりの人狼兵がやにわ酒場の中央に進み出た。
ほかの人狼兵よりもひと回り以上も大柄に見えるのは、装甲服を押し上げるほどに
胸に下げた金の
ヘルメットのバイザー越しに酔客たちを
魂消えたように
「よく聞け――人間ども。さる高貴な御方をお迎えするため、バルタザール・アルギエバ大公殿下がこの街においでになっている。よりによって殿下の滞在中にこのような騒ぎを起こすとは、不届き千万……」
湿気に富んだくぐもった声は、人狼兵の特徴のひとつだ。
強化手術によって声帯と口腔の構造までもがイヌ科のそれに近づいているのである。
狼男がアルギエバ大公の名前を口にしたとたん、酔客たちの顔からみるみる血の気が引いていった。
”
当地の支配者にして、
八百年以上前の最終戦争――至尊種の側では「聖戦」と呼ばれる――の時代から今日まで、永遠の若さを保ったまま生きつづける
その名前は、有力諸侯の例に漏れず、領民たちにとっては恐怖と圧政の代名詞でもある。
めったに
むろん、この場に居合わせた誰ひとりとして知る由もないことであった。
アサルトライフルの銃口を客たちに突きつけながら、人狼兵の長はふたたび恐ろしげな声で問いかける。
「十秒以内に答えろ――騒ぎを起こしたのは誰だ?」
ただの脅しではないことは明白だ。
もしだれも答えなければ、酒場はたちまち処刑場と化すだろう。
彼らもかつては人間だったなどという薄甘い期待は、人狼兵には通用しない。
みずからの意志で
***
至尊種――吸血鬼は、人間をはるかに凌駕する身体能力と驚異的な回復力をもつ最強の生命体である。
その平均寿命はじつに六百年の長きにおよび、テロメアを内包する幹細胞が生涯再生を続けることによって、死の間際までほとんど老化の兆候が現れることもない。
こと彼らに関していえば、不老不死とはけっしておおげさな比喩ではないのだ。
その反面、繁殖力はきわめて弱く、総人口は人類の一パーセントにも満たない。
人工授精や子宮を模した体外保育器といったテクノロジーの助けを借りても、かろうじて人口の減少を食い止めるのがせいいっぱいというありさまだった。
種としての致命的な脆弱さがはじめて露呈したのは、
吸血鬼の数はそもそも限られている。このさきも増える可能性はない。
一方の人間はといえば、被支配層に転落したとはいえ、依然として圧倒的な
すぐれた能力を持つ吸血鬼といえども、けっして万能の存在ではない。すべての人間を統治することは物理的に不可能だったのだ。
日が出ているあいだは自由に活動出来ないという吸血鬼の体質も、昼夜の別なく回りつづける人間社会の掌握を困難にした。
このまま問題を放置すれば、ようやく勝ち取った吸血鬼の支配体制そのものが揺らぎかねない。
ヒエラルキーの最上位である吸血鬼を補佐し、底辺にあたる人間を指揮・統率する中間階層が求められたのである。
当初は
そもそも、ダンピールは汚れた雑種として吸血鬼たちから忌み嫌われる存在だ。
彼らの立場を公的に認めることは、倫理的な観点からもおよそ許容されることではなかったのである。
その後も電子頭脳を搭載した自立型ロボット、大脳辺縁系の切除によって自我を消去した除脳人間といった試作品が作られたが、いずれも失敗に終わった。
ロボットや除脳人間は性質こそ従順だが思考力や判断力に乏しく、とても実用に耐えうる水準には達していなかったのだ。
試行錯誤のすえに、当時の皇帝はひとつの決定を下した。
人間をベースとした
すなわち、人間に肉体強化手術とマインドコントロールを施し、知性を残したまま従順化を図ることで、けっして吸血鬼に逆らうことのない
人間でも吸血鬼でもない第三の身分であることを示すため、彼らには動物の顔が与えられることも決まった。
技術的にはどのような種類の顔も再現することが出来たが、なかでもとりわけ吸血鬼たちに好まれたのは、オオカミやジャッカルといった大型のイヌ科動物だ。
みずからの意志で人間であることを放棄した彼らには、これ以上ないほどにふさわしい外見と判断されたのである。
もともとイヌ科の獣人兵だけを指していた
それからというもの、現在に至るまで人狼兵は吸血鬼の忠実な猟犬でありつづけている。
支配者の恐怖と威光を世界の隅々まで行き渡らせることを使命とし、そのために必要であれば人間を喰い殺すことも躊躇しない。
吸血鬼と人間の双方から蔑まれるあさましい
***
「こ……こいつら、です……」
カウンターの奥でか細い声が上がった。
震える喉をなだめつつ、マスターは三人組のローディを指差している。
店内のすべての視線が集中するのを自覚して、中年男の顔色は蒼白を通り越してほとんど白蝋みたいになっている。
人狼兵のするどい視線に怯えながら、中年男はマスターににじり寄る。
「ふざけんじゃねえ。もとはと言えば、そこの女とガキのせい――」
「そちらのお客さんは絡まれただけで……騒ぎを起こしたのはそいつらです。先に武器を出したのもこの連中でして」
「このやろうッ、黙らねえか!!」
二人の口論を聞きながら、アゼトはシクロにちらと目配せをする。
数秒前、アゼトはマスターに音もなく近づき、そっと耳打ちしたのだ。
――あなたは一部始終を見ていたはず。あいつらに店をメチャクチャにされたくなかったら、俺の言うとおりにしてください。
ふつう、酒場で喧嘩沙汰が起こっても、店側がどちらかの肩を持つことはない。
酒場はあくまで酒と食事を提供する場であって、客同士の個人的なトラブルに口を挟む道理はないからだ。
だが、とばっちりで店が破壊されるかもしれないとなれば話はちがってくる。
この場をまるく収めるためには、責任を取らせるための生贄になってもらうのがもっとも早い。
客ですらないごろつきローディ三人を人狼兵に突き出すことで難を逃れられるなら、マスターとしても迷う理由はないはずだった。
はたして、事態はアゼトの目論見どおりに進んでいる。
人狼兵の隊長は長い舌で
「その格好、賞金稼ぎのローディだな」
「いえ、あのう、違うんです。わたくしどもはただの行商人でして……」
中年男が言い終わらぬうちに、ぱんと破裂音のような音が生じた。
狼男がおもいきり中年男の横っ面を張ったのだ。
なんの変哲もないビンタでも、強化された腕力で繰り出せば、すさまじい威力を発揮する。
床に倒れ込んだ中年男は口からぶくぶくと泡を吹き、白目を剥いて痙攣している。衝撃のあまり仮死状態に陥ったのだ。
人狼兵の隊長は胸ぐらを掴んで男を持ち上げると、入り口めがけて無造作に放り投げる。
呆気にとられたように立ち尽くしている中年男の部下二人には目もくれず、狼男はシクロとアゼトのほうに顔を向ける。
「貴様らも同類だな?」
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