第二話:逃亡の吸血姫

CHAPTER 01:ザ・タワー

 大陸を貫く東西大交易路に沿って、十三の巨塔は一定の間隔でそびえている。

 その高さはじつに十万キロ。最上層部は大気圏外にまで達する。

 大小のプレート状構造が五千以上の階層をなし、遠目には大小さまざまの皿を天高く積み重ねたようにみえる。

 物理法則を半ば無視した奇抜な構造は、厳密にいえばからこそ成立するものだ。


 塔市タワー――。

 その実態は地殻に打ち込まれた永久基礎と、衛星軌道上のオービタル・アンカーのあいだに張られた炭素繊維索カーボンナノチューブ製の高剛性ケーブルによって維持される軌道エレベーターである。

 どれほど階層を増築したところで倒壊する懸念はなく、各プレートの最大直径は実に十キロにも達する。

 あまねく地上を睥睨する至尊種ハイ・リネージュの居城であり、荒れ果てた地上に文明の名残りをとどめる遺跡。

 吸血鬼にとってもっとも忌まわしい陽光を浴びて輝く巨塔は、この世界のあらたなる支配者の象徴でもあった。


 蒼い塔市は、そのなかでもとくに知られた存在だった。

 至尊種の頂点に立つ十三選帝侯クーアフュルスト家がひとつ、アルギエバ家が支配する塔市である。

 基本的な構造は他の塔市と同様だが、外壁があざやかな深青色に塗られていることから、この地を通過する旅人からは”青の聖塔ブルー・ジグラッド”と呼ばれている。

 周囲では昼夜の別なく大小の戦闘・監視ドローンが哨戒にあたり、許可なく接近する物体に無差別に攻撃を仕掛ける。

 東西大交易路を旅する人々は、選ばれた者以外けっして近づくことの許されない巨塔を仰ぎ見るたび、えもいわれぬ美しさへの憧憬と、おそるべき絶対者への畏怖とがないまぜになった複雑なため息を漏らすのだった。


 むろん、すべての人間がひとしくその御稜威みいつに膝を屈するわけではない。


 いま、彼方に”青の聖塔”を望む荒野をひた走るのは、一両の大型トランスポーターだ。

 荷台にかけられたタープがばたばたと風をはらんで暴れる。機械油と雨染みで元の色が分からないほどに変色した幌がめくれるたび、ワイヤーと金具で固定された二機のウォーローダーの姿がちらちらと見え隠れする。

 周辺を巡回していた監視ドローンの一機がすかさず接近し、上空から映像記録と機種照合を試みる。


 特徴的なフォルムから、カヴァレッタ・タイプであることはすぐに判明した。

 斥候を主任務とする軽量型ウォーローダーである。

 抜群の跳躍力と加速力をほこる一方、火力は乏しく装甲も薄い。さらに操縦系に独特のクセがあるため、大半のローディは見向きもしない不人気機種モデルだ。

 脅威度を最低ランクに位置づけ、いずこかへ飛び去っていったドローンは、むろん知る由もない。


 くすんだ暗白色オフホワイトに塗られた二機のカヴァレッタが、これまで数多くの吸血鬼を屠ってきたなどとは、よもや――。


***


 むせ返るようなアルコール臭とタバコの煙が室内を充たしていた。

 ”青の聖塔ブルー・ジグラッド”にほど近い鉱山都市レンディア。その歓楽街にある酒場兼宿屋である。

 レンディアで酒を供することが許されている数少ない店のひとつだけあって、まだ宵の口だというのに酔客であふれかえっている。


 客のほとんどはむくつけき男たちだ。

 出稼ぎの鉱山労働者に交易商人、地廻りのやくざ者、そして流れのローディ……。

 およそ清潔感とはほど遠い店内には、どちらを向いても凶暴な顔がずらりと並んでいる。

 彼らが手にしたジョッキやショットグラスを満たすのは、安酒場にふさわしい低級な合成アルコール飲料だ。

 本物のビールやバーボンの製造技術はとうの昔に失われている。いまや人間の口に入るアルコールといえば、かろうじて手に入る工業用アルコールから劇毒のメタノールだけを化学的に分離した、およそ酒とも呼べない粗悪な代物だけであった。

 それでも、浮世の憂さを晴らすために酒場にはところせましと客が詰めかけ、連日の活況を呈しているのだった。


 男たちに比べればずっと少ないが、店内には女の姿も見える。

 彼女らがただの給仕係なのか、それとも酔客を引っかけようと待ち構えている娼婦なのかを見極めることはむずかしい。

 この手の酒場にたむろする女は、客が望めばどちらも提供するものと決まっているのだ。


 シクロとアゼトは、そんな猥雑きわまりない酒場の片隅で、すこし早い夕食を取っている最中だった。

 テーブルに並ぶのは、レンガほどもある大ぶりなチキンソテーと、雑穀と豆をくたくたになるまで煮込んだスープだ。

 お世辞にも豪勢なディナーとは言いがたいが、ふだん口にしている缶詰の戦闘糧食レーションよりはいくらかマシな献立ではある。


 二人ともなるべく目立たないようにしているつもりだが、それでも周囲からはたえまなく不躾な視線が向けられる。

 辺境にあっては、ただでさえ余所者は目立つのである。

 そのうえ大胆に肌を露出した妙齢の美女ともなれば、男たちの視線が釘付けになるのも無理からぬことだ。

 女たちからはそれ以上に刺々しい視線がむけられたことはあえて言うまでもない。


 アゼトはちらと周りを見渡したあと、シクロにそっと耳打ちする。

 

「シクロさん、やっぱりほかの店にしたほうが……」

「このあたりで食事が出来る店はここしかなかったんだから仕方ないじゃない。仕事も片付けたことだし、たまには屋根のあるところで食事したって罰は当たらないはずよ」

「とにかく、さっさと出ましょう。嫌な予感がします」

 

 はたして、アゼトの不安は的中した。

 肩を怒らせた男たちが三人ばかり、こちらにむかってずかずかと近づいてくる。

 四十がらみの大柄な中年男と、その部下らしい若者が二人。三人とも揃いの黒い防護ジャケットを着込んでいる。

 肩に引っ掛けたヘルメットバッグを見るまでもなく、典型的な流れのローディのよそおいだ。


「よお、べっぴんさん。オレたちと一杯付き合っちゃくれねえか?」


 リーダー格の中年男はテーブルに手を突くなり、鼻息も荒く言った。


「せっかくのお誘いだけど、今日のところは遠慮しておくわ。連れなら間に合ってるもの」

「つれねえこと言うなよ。俺たちはあんたに奢ってもらいてえんだぜ。同業者に没義道もぎどうな真似をしてくれたオトシマエってわけだ」

「へえ?」


 切り分けたチキンソテーを口に運びながら、シクロは気のない返事をする。

 会話というよりは、「聞いてやるから勝手にしゃべれ」とでも言わんばかりの投げやりな応対だ。

 それが中年男の癇に障ったのか、男はテーブルに思いきり拳を打ち付けると、油紙に火がついたみたいにまくしたてはじめた。


「姉ちゃん、とぼけなさんなよ。てめえ、を横取りしやがって!! いったいどういう了見してやがる!?」

「さっぱり話が見えないんだけど、あたしたちにも分かるように説明してくれると助かるわ」

「例の賞金首どものことよ。俺たちは一ヶ月かけて奴らの足取りを追ってたんだ。準備にかかった費用だってバカにならねえ。いよいよ仕事にかかろうってときに、いきなり出てきて横からかっさらいやがって!!」

「連中の機体にはあんたたちの名前は書いてなかったわ。お門違いの逆恨みもいいとこ――」


 話は三日前にさかのぼる。

 シクロとアゼトが賞金首の情報を得たのは、レンディアの街に立ち寄ってまもなくのことだった。

 三ヶ月ほど前から街の近郊に強盗団が出没するようになり、交易商人たちが積荷を奪われる事件が多発していたのである。

 むろん商人たちも出来るかぎりの自衛手段を講じたが、十七機からのウォーローダーを運用する強盗団に太刀打ち出来るはずもない。

 レンディアの有志による討伐も失敗に終わり、雇い入れたローディも捗々しい結果を出せずにいると聞くに及んで、シクロとアゼトは早々と仕事に取り掛かったのだった。


 強盗団が壊滅したのは、それから二日後の夜更けだった。

 シクロとアゼトは、ひと仕事終えて帰路につく強盗団を待ち伏せしたのだ。賊の常套手段セオリーを逆手に取ったのである。

 不意を衝かれた強盗団は、二機のカヴァレッタの巧みな連携の前になすすべもなく壊滅に追いやられたのだった。


 街の保安官は喜んで懸賞金を支払ったが、しかし、事態はそれだけでは収まらなかった。

 前任者のローディたちにしてみれば、自分たちが一ヶ月かかっても成果を出せなかった仕事を、ぽっと出の二人組にあっさりと横取りされてしまったのである。

 報酬をもらい損ねただけでなく、プロとしてのメンツも丸つぶれだ。

 プライドを傷つけられたリーダー格の四十男は憤懣やるかたなく、こうして二人に因縁をつけにきたという次第だった。

 

「このアマ、さっきから黙って聞いてりゃあ図に乗りやがって!! ただじゃおかねえぞ!!」

「いったいどうするつもり?」

「けっ、なにを眠たいこと言ってやがる。ローディならウォーローダーで決着ケリつけるに決まってんだろうが。もっとも、俺たちの使ってる機体を聞いたら尻尾巻いて逃げ出すかもしれんがなぁ」

「そんなに御大層な機体なら、ぜひ機種を聞かせてほしいわね」

「聞いて驚くなよ。いまどきめったにお目にかかれねえシルクレーテ・タイプ、それもフルチューン済みだ!! どうだ、恐れ入りやがったか!?」


 リーダー格の男がその名前を口にしたとたん、周りの酔客たちが一斉にどよもした。


 それも当然だ。

 シルクレーテは、重装型ウォーローダーのなかでもとくに強力なスペックを持つことで知られている。

 その最高出力は、おなじ重装型にカテゴライズされるスカラベウス・タイプのおよそ二・五倍に達する。

 主力戦車MBTと真っ向から力比べをして勝つことが出来る数少ないウォーローダーのひとつなのだ。


 高性能をほこる反面、一機あたりの単価はじつにスカラベウス五機分にもおよび、それゆえ生産数もごく少数に留まった。

 過去の戦役で純正機オリジンはすべて失われ、現在市場に出回っている機体はどれも戦後に製造された複製機レプリカだが、それでも多くのローディにとって憧れの的であることに変わりはない。

 そんなシルクレーテ・タイプをチームの全員に行き渡らせ、なおかつフルチューンを施しているとなれば、四十男は見かけによらずかなりのやり手らしい。

 むろん、その話が真実であれば、だが。

 

「で、おまえらの機体はなんだ? アーマイゼか? それともスカラベウスか?」

「あたしもこの子もカヴァレッタよ」

「カヴァレッタだあ? 冗談も休み休み言え。あれは戦闘ではとても役に立たない偵察型の……」

「そんなウォーローダーであなたたちのお仕事を取っちゃってごめんなさい。それで、話はもう終わり? あたしたちはそろそろ失礼するけど――」


 シクロはすげなく言うと、代金をテーブルに置いて席を立とうとする。

 三人の男たちが動いた。示し合わせたようなみごとな連携は、場数を踏んだチームならではだ。

 まず逃げ道を塞ぐことで身動きを封じようというのである。

 強気な女でも大の男の膂力には抗えない。まして三人がかりとなればなおさらだ。


「生意気な姉ちゃんよ、詫びを入れるならいまのうちだぜ。身体で支払うってんなら一晩じゅうたっぷり可愛がってやる。嫌だってんなら、すこしばかり痛い目見てもらうことになるがなあ」


 その様子を見て、酒場のマスターはカウンター内に据え付けられた通信機に手を伸ばす。

 それまで傍観に徹していた彼も、いよいよ店内での流血を予感したのか、保安官に通報する気になったらしい。

 あまりにも遅きに失した判断と言わざるをえまい。

 保安官の事務所から酒場までは一分とかからないが、荒くれ者同士の喧嘩沙汰において、この街の保安官は頃合いを見計らってのらくらとやってくるのが常なのだ。


 三人の男たちはいまにも飛びかかろうと身構えている。

 数秒と経たないうちに、恐怖に充ちた女の悲鳴が酒場じゅうに響きわたる。

 そのはずだった。


「い、痛えッ――」


 どすん、と派手な音を立てて、リーダー格の中年男はその場に尻餅をついた。

 先ほどまで威勢よく啖呵を切っていたのが嘘みたいに、男は嗚咽とも悲鳴ともつかない情けない声を漏らす。

 アゼトが男の左の人差し指をすばやく掴み、容赦なくへし折ったのである。

 流血沙汰が日常茶飯事の荒くれ者といえども、骨と靭帯を力任せに破壊される痛みには耐えられない。

 

「ひっ、ひいいーっ‼ 俺の指がっ……!!」

「そのひとにそれ以上近づくな。いやだと言うなら、残りの指も折る」

「こ、このクソガキィ……!! もう我慢ならねえ……てめえら、二人まとめてブッ殺してやる!!」


 痛む左手をかばいつつ、中年男は懐から折りたたみ式のナイフを取り出す。

 二人の部下も隠していた伸縮式の棍棒グラブとバタフライナイフを構え、じりじりと間合いを詰める。

 凶器を手にした敵に取り囲まれても、赤髪の少年は取り乱す様子もない。

 

「シクロさん。こいつらの相手、俺に任せてもらえますか」

「べつにいいけど――あんまり壊さないようにね。あとが面倒だからさ」


 アゼトの問いに、シクロはこともなげに言いのける。

 この場合のとは、酒場か、それとも男たちの身体のことなのかは判然としない。

 いつのまにか野次馬がぞろぞろと蝟集し、テーブルをぐるりと取り囲む。喧嘩騒ぎは最高の酒の肴なのだ。


「おめえたち、やっちまえ――」


 入口の扉が勢いよく開け放たれたのはそのときだった。

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