CHAPTER 06:ハード・デイズ・ナイト
ゆらめく炎が夜闇をやわらげていた。
岩陰に設営されたキャンプの中心で、シクロとアゼトはささやかな焚き火を囲んでいる。
傍らに停車した六輪駆動の大型トランスポーターの荷台には、二機のカヴァレッタ・タイプが並んでいる。
昼間の熱暑とは打って変わって、夜の荒野は骨まで凍てつく寒さに支配される。
冷たくおそろしげな闇に閉ざされた世界にあって、焚き火は人間に許された唯一の安らぎだった。
旅人が敵を呼び寄せる危険を承知で火を
シクロとアゼトは、どちらも昼間の軽装とは打って変わって
いかに歴戦のローディといえども、その肉体は普通の人間と変わらない。薄着で荒野の夜を乗り切れるほど強靭ではないのだ。
ところどころすり切れ、まだらに変色したコートは製造から百年あまり経つ中古品だが、そんなものでもないよりはずっとマシだった。
シクロは火にかけたステンレス製のコッヘルをスプーンでかき混ぜながら、ちらと上目遣いにアゼトを見やる。
「アゼト、もしかして怒ってる?」
「なんのことです? 味見ならまだ駄目ですよ」
「そうじゃなくて、報酬が半分に減っちゃったこととか――」
いかにもばつが悪そうに言ったシクロに、アゼトは無言でまぶたを閉じる。
***
あのあと――。
グラナト村に戻った二人は、村長に盗賊団の壊滅を報告した。
頭目が吸血鬼だったことを伏せたのは、無用の混乱を避けるためだ。
人間が
もし誰かがそのことを口外し、運悪くノルツォイク家の関係者の耳に入ったなら、エアハルトの遺族たちが復讐にやってくるかもしれない。
べつにエアハルトの死を惜しみ、その仇を討というというのではない。一族の血を引く者が劣等種たる人間に殺されたという
――村を襲った盗賊団は、どこかの領主に飼われていた軍人崩れのごろつきどもだった。
そういうことにしておけば、村にさらなる災厄が降りかかる可能性は低くなるはずだった。
戦果は盗賊十四人とウォーローダー十四機。
村長にとっては予想外の出費になったが、支払いを渋るわけにもいかない。
一人と一機につき一万
どこの村でも流れのローディは歓迎されないのが常だ。
村を襲った盗賊も、その盗賊を討伐したシクロとアゼトも、村人にとっては同じ穴のムジナでしかない。
村の外に広がる田園地帯に差し掛かったところで、シクロはあるものを認めてふと足を止めた。
遠目には田畑のなかに浮かぶ島のように見えるそこは、グラナト村の共同墓地だ。
故人の名前を彫り込んだ簡素な墓石が立ち並ぶだけの墓地には、二十人ばかりの女たちが肩を寄せ合うように集まっている。
下はまだ十歳にもならない少女から、上は九十歳は下らないだろうしわくちゃの老婆まで、女たちの年齢は幅広い。生まれてまもない赤ん坊を抱えた女も何人か混ざっている。
誰もが真新しい墓石の前でひざまずき、野良着の袖で涙を拭っている。
彼女らが畑仕事の合間を縫って墓参りにやってきたのだということはすぐに察せられた。
半年前、盗賊から村を守ろうとして殺された自警団や、略奪の際に犠牲になった者の家族だろうということも、また。
――アゼト、ちょっと待ってなさい。
アゼトがなにかを言うまえに、シクロは女たちのほうに駆け出していた。
それからシクロと女たちのあいだでどんな会話が交わされたのか、アゼトには知る由もない。
まもなくシクロが戻ってきても、アゼトはなにも問わなかった。
駆けてくる肩越しに地面に膝をついて感謝する女たちの姿が見えた。墓場でどんなやり取りがなされたかを思惟するには、それだけで充分だった。
――あたしはウォーローダーがあればいくらでも稼げるけど、旦那や息子を亡くした女は、明日の食べ物だって苦労するんだから……。
空を見上げてひとりごちるみたいに呟いたシクロに、アゼトは気付かれないようにこくりと頷いたのだった。
***
「べつに気にしてないですよ。予備の弾薬や燃料電池、それにウォーローダー用の補修部品は盗賊のアジトでたっぷり手に入りましたから、報酬が半分になっても帳簿はしっかり黒字ですし」
アゼトはシクロを安心させるように言って、コッヘルを火から降ろす。
いかにも年季の入った鈍色のコッヘルのなかで湯気を立てているのは、
見た目はお世辞にも褒められたものではないが、ふだんは味気ない
危険な仕事を終えたあとに決まってこれを作るのは、アゼトなりの自分たちへのご褒美のつもりなのだ。
シクロは髪先を指に絡めながら、料理を皿に取り分けていくアゼトをちらと流し見る。
「でもさ、ひと言くらい相談してくれても……とか思ってるんじゃない?」
「報酬の半分はあなたのものなんだから、どう使おうと俺が口出しする筋合いじゃないでしょう。それに、俺はシクロさんのそういうところ、尊敬してるんですよ」
真顔で言ったアゼトに、シクロは「またまたぁ」とおどけてみせる。
べつに冗談で言っている訳ではない。
他人のものを収奪して生きているのは吸血鬼だけとはかぎらない。
事実、盗賊団の構成員のほとんどは人間だった。
彼らほどあからさまでなくても、盗みや詐欺によって糊口を凌いでいる輩は、額に汗してなにかを作り出している人々よりも多いのだ。
目に見えるものも、目には見えないものも、なにもかもが荒みきった時代。
だれもが自分が生き延びることだけに血道を上げるなかで、惜しげなく他人に分け与えられる人間に出会うことはめったにない。
アゼトが知るかぎり、シクロはその数少ないひとりだった。
とりとめもないことを考えながら、アゼトは白い湯気を立てる料理を皿によそうと、スプーンを握ったまま目を輝かせて待ちわびているシクロに差し出す。
「出来ましたよ。熱いから気をつけてくださいね」
「ありがとー! アゼトくんはきっといいお婿さんになるねえ」
「俺はどこにも行きませんよ」
いつまでこんな生活を続けられるのかはアゼトにも分からない。
商売道具であるウォーローダーを失うか、操縦に支障をきたすほどの大怪我をすれば、その瞬間にすべてを失ってしまうあやうい
戦闘ごとに消耗する部品と弾薬、そして日々のこまごまとした生活費……まるで底が抜けたバケツみたいに、金は入ったそばから出ていく。
仕事の報酬も、生命がけの戦いの代価としては不当なほどに安い。根無し草であるローディの生命の値段とはそういうものなのだ。
地を這い回るような境遇から脱出する方法はただひとつ。
もっとも、外部の人間が塔市の市民権を手に入れようと思うなら、すくなく見積もっても一億銭はかかる。なんらかの理由で塔市を退去せざるをえなくなった住民の識別ナンバーを買い取り、指紋や顔を作り変えるための手術にかかる費用の総額だ。
それでも、身体が動くうちにしゃにむに金を稼げば、あるいは塔市への切符を手にすることが出来るかもしれない。
そんな考えがふと脳裏に浮かぶたび、アゼトは強く否定する。
塔市の住民になるということは、たんに安楽な暮らしを約束されるというだけではない。
それは文字通りの意味で自分自身の身体と魂を売り渡すことにほかならないのだ。
吸血鬼が支配するかりそめの楽園と、暴力と破壊が吹き荒れる人間の世界。
どちらを選んだとしても真の幸福とはほど遠いことを、アゼトは誰に教えられずとも理解していた。
もしこの荒みきった世の中にそんなものが存在するなら、それは……。
「そういえばさあ――」
料理を口に運んでいた手を休めて、シクロはいたずらっぽくアゼトに問いかける。
「さっきの戦いでアーマイゼに向かっていくとき、たしかこんなこと言ってたよね」
「なんの話をしてるんですか」
「とぼけても無駄。あたしはたしかに聞いたよ。”姉さん”……ってさ」
囁くように言って、シクロはふっと相好を崩す。
成熟した大人の女性と、あどけない少女。ひとりの人間に相反するふたつの人間が同居するようなあえかな佇まい。
自分に注がれる視線に耐えかねたように、アゼトはわざとらしく料理をかきこむ。
「戦闘中のことなんかいちいち覚えてません。気のせいじゃないですか」
「どうして照れるの? あたしはうれしかったなあ。そんなふうに呼んでくれたの久しぶりだもん。いつ以来かな」
三年と四ヶ月ぶりだ。
おもわず口にしかけて、アゼトはそっぽを向く。
たしかに昔はそう呼んでいた。本当の姉だと思っていたから。
それが嘘だったと知らされた日のことは、いまでもよく覚えている。
忘れられるはずもない、あの日――。
「ね、久しぶりついでに今夜はいっしょの寝袋で寝ようか?」
「俺はまだカヴァレッタの整備と見張りがあります。休むのならどうぞお先に。食器はそのままにしておいてくれて構いませんから」
「なあんだ、がっかり――」
アゼトは
カヴァレッタの整備をしなければならないのは本当だ。
日々の整備を怠れば、それだけ戦闘中にトラブルが生じる
自分ひとりならまだしも、シクロをそんな理由で危険に晒す訳にはいかない。
「整備もいいけど、ほどほどにして休みなよ。見張りはあたしが交代したげるからさ!」
アゼトは振り向かずに手をふると、トランスポーター側面のタラップを伝って荷台に上がる。
焚き火のそばを離れてもなお火照った少年の頬を、冷たい夜風が撫ぜていった。
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