CHAPTER 05:アンダー・ザ・サン

 生ぬるい風が荒野を渡っていった。

 いま、黒煙たなびく戦場で二機のカヴァレッタと対峙するのは、一機のアーマイゼ・タイプだ。

 汎用型だけあって外観はカヴァレッタよりもずっと人間にちかい。均整の取れた四肢は、文字通り手足の延長としてさまざまな武器を扱うことに特化している。


「女、なぜそう思う?」

「まず盗賊団が村を襲ったのが決まって真夜中だったというのがひとつ。それに……」


 いったん言葉を切って、シクロはあらためてアーマイゼの全身を見回す。


「そのアーマイゼ、見た目はノーマルと大差ないけど、全身にかなり厳重なアンチ紫外線UVコーティングが施してあるわね。万が一にもコクピットに太陽の光が入り込む心配はないはずよ」


 まっすぐにアーマイゼを見据えたまま、シクロはあくまで坦々と言葉を継いでいく。


「あんたたち吸血鬼はほとんど不死身だけど、許容限界を超えた紫外線を浴びるとDNAの結合鎖が破壊される。いったん壊れた細胞は二度とまともには再生しない。つまり、生きたまま身体が爛れ、ぐずぐずに腐り落ちていくということ……」

「私が吸血鬼でありながら太陽光の下で活動するためにウォーローダーに乗り込んでいる……と、そう言いたいのか?」

「ええ。性能は比べ物にならないくらいお粗末だけど、ウォーローダーはあんたたちが”血の鎧ブラッドローダー”と呼んでるものと構造そのものは変わらないもの」


 いったん言葉を切ったシクロは、くつくつとちいさな笑い声を漏らす。


「もっとも、人間が吸血鬼あんたたちと戦うために作り出したウォーローダーに当の吸血鬼が乗ってるなんて、ずいぶん皮肉な話だけど――」


 シクロの笑声を遮るようにアーマイゼが一歩を踏み出す。

 三歩も進まぬうちに、重い音を立てて左前腕の装甲が重山刀ヘヴィ・マチェットごと脱落した。続いて右腕の装甲も七・六二ミリ機銃とともに地に落ちる。

 両腕の武装は、部下たちの機体と判別がつかないようにするための偽装にすぎなかったのだ。

 アーマイゼが背部の格納式コンシールドウェポンラックから取り出したのは、鞘に収まったひと振りの長剣だ。

 マニピュレーターが柄を掴んだが早いか、軽妙な鍔鳴りの音とともに剣が抜き放たれる。

 本来であればけっして陽の光を浴びることのない吸血鬼の愛刀は、午後の日差しを散らしてまばゆい輝きを放つ。


「いかにも――我はノルツォイク辺境伯が末子ばっし、エアハルト・フォン・ノルツォイク。誇り高き至尊種ハイ・リネージュの一員である」

「公爵家のおぼっちゃんから盗賊の頭目ね。なかなか波乱万丈な人生だこと」

「身のほど知らずの人間よ。我らへの度重なる侮辱、その血をもって贖うがいい」


 言い終わるが早いか、アーマイゼが動いた。

 その輪郭は、まるで白い靄をまとっているみたいにおぼろに揺らいでいる。

 目の錯覚でもセンサーの誤作動でもない。エアハルトは人間の視力を超えたおそるべき速度で機体を駆動させているのだ。

 ウォーローダーはあくまで乗り手ローディの四肢の延長である。

 人間をはるかに超える身体能力をもつ吸血鬼が乗り込んだなら、当然ながら性能もそれに応じておおきく向上する。


!!」


 するどく叫んで、アゼトは無我夢中で機体を前進させる。

 ブッチャーナイフを構えたカヴァレッタは、ちょうど二機のあいだに割り込む格好になった。

 進路を阻まれたエアハルトのアーマイゼは、しかし、なおも止まる素振りを見せない。


「愚か者め、自分から殺されに来たか。ならば望みどおり、まずは貴様から片付けてくれるぞ!!」


 アーマイゼの右腕が肘のあたりからふっと消失した。

 そう見えたのは、あまりにも速い挙動のために腕の末端が音速を超えたためだ。

 人間の動体視力ではどうあがいても捉えきれない神速の斬撃。

 エアハルトの脳裏にありありと描き出されたのは、一刀のもとになすすべもなく両断されたカヴァレッタと、その内部で血と肉を撒き散らすあわれな人間虫けらの姿だった。

 

「……なに!?」


 快哉を叫ぶはずだったエアハルトの唇から漏れたのは、心底からの驚嘆の声だった。

 遅れてやってきた衝撃波ソニックブームに弾かれるように、のウォーローダーはほとんど同時に後方へ飛びずさる。

 超音速の斬撃がまともに入ったにもかかわらず、アゼトのカヴァレッタには目立った損傷はない。

 エアハルトが踏み込んだ瞬間を見計らい、アゼトは長剣の軌道上にブッチャーナイフをのだ。

 重いブッチャーナイフではとても長剣の動きに追随することは不可能だ。だが、あらかじめ斬撃が飛来する位置を予測し、先んじて空間を占めることならば出来る。

 いかにウォーローダーの装甲を薄紙のように切り裂く長剣といえども、大質量の鉄塊とまともにかち合っては無事では済まない。

 長剣が折れることを察知したエアハルトは、ほとんど無意識のうちに剣を逸らしていた。

 必殺を期した一閃は、ついにアゼトのカヴァレッタには届かなかったのである。

 

「貴様、なにをした? なぜ人間でありながら、この私の打ち込みを……」


 エアハルトが言い終わらぬうちに、風を巻いて二条の銀閃が走った。

 仕掛けたのはシクロのカヴァレッタだ。

 すばやくアーマイゼの側背に回り込んだシクロは、二振りのグルカナイフを構えて猛然と斬りかかったのである。

 エアハルトはひらりと機体を翻すと、矢継ぎ早に繰り出される攻撃を長剣で巧みにさばいていく。

 半ばからに屈曲したグルカナイフは、見かけよりもずっと重い。

 五分の攻防を演じているつもりのエアハルトが、一合打ち合うたびに押されていったのも道理だった。


(バカな――)


 ありえない。

 こんなことがあっていいはずがない。

 コクピット内のエアハルトは、苦虫を噛み潰したような面持ちでディスプレイを睨む。

 吸血鬼と人間のあいだには、どれほど鍛錬や経験を積んだところでけっして埋められない絶対的な差が横たわっている。


 吸血鬼の動体視力は飛来するレーザー光線を見切り、脚力は百メートルを三秒たらずで駆ける。年端も行かない少女でさえ、その細腕に屈強な人間の男をひねり殺すほどの腕力を宿しているのである。

 たとえ四肢がすべて欠損するほどの傷を負ったとしてもたちどころに再生し、脳を兼ねた心臓を破壊されないかぎりけっして滅びることのない完璧な生命体。

 それゆえに彼らはみずからを吸血鬼ではなく至尊種ハイ・リネージュと称し、万物のあらたなる霊長としてこの世界に君臨しているのだ。

 最大の弱点である太陽光も、紫外線防護を施したウォーローダーに乗り込めば問題にならない。


 それが、どうだ?

 絶対の強者であるはずの至尊種が人間と五分の戦いを演じている――否、

 いまエアハルトが置かれているのは、本来なら絶対にあってはならない状況にほかならなかった。

 その名も高き武門の名家・ノルツォイク家の男子たる自分が、たかが二人ぽっちの人間にこうまで苦戦を強いられるとは!

 兄たちとの跡目争いに敗れて生家を逐われ、流浪のすえに盗賊の頭目に身をやつしても、けっして失うことのなかった至尊種としての誇り。

 いまや音を立てて崩れつつあるアイデンティティの牙城に、エアハルトはなおもすがりつこうとする。

 

「だんだん動きにキレがなくなってきたんじゃない? もうお疲れかしら、吸血鬼さん」

「おのれ!! 人間風情が、この私を嘲弄するか……!!」


 エアハルトの怒号に呼応するように、アーマイゼが大地を蹴って躍動する。

 ふいに三体のアーマイゼが出現したのは次の瞬間だった。

 エアハルトの操縦によってアーマイゼが分身したのだ。

 むろん、実際に増えた訳ではない。人間の動体視力を超えた機動マニューバがもたらした一種の幻惑である。

 生身の人間ならコクピット内でミンチと化すほどの加速度も、吸血鬼の強靭な肉体であれば問題なく耐えることが出来る。

 これこそエアハルトが長年かけて磨き上げた必殺の一撃であった。


「もはや逃げ場はないぞ――終わりだ、人間!!」


 三方向からの同時攻撃を見切る術はない。

 裂帛の気合いとともにシクロのカヴァレッタに斬りかかろうとした刹那、エアハルトの両目に激痛が走った。

 焼けた火箸を眼窩に突っ込まれ、無理やり脳髄をかき混ぜられるような痛みと灼熱感。

 それは、――十字架を直視した際に生じる苦痛にほかならない。

 シクロがグルカナイフの背と背を直角に組み合わせ、のだと気づいたときには、すでに攻撃を仕掛ける好機は過ぎ去っている。


「アゼト、いまだ!!」


 すさまじい衝撃がアーマイゼを揺さぶった。

 シクロが十字架を作ったタイミングに合わせて、アゼトのカヴァレッタがするどい回し蹴りを放ったのだ。

 高速回転するアルキメディアン・スクリューが容赦なく装甲をえぐる。

 砕かれた破片が飛び散り、互いの装甲を叩くたび、金属同士がぶつかりあう軽い音が鳴り渡った。

 おおきく姿勢を崩したアーマイゼに追い打ちをかけるように、風切り音とともにブッチャーナイフが振り下ろされる。

 大質量の刃物を叩きつけられ、斬るというよりほとんどすり潰すように両足を潰されたアーマイゼは、バランスを失って地面に転倒する。


「まだだ……これしきで勝ったなどと思うな、浅ましい劣等種ども……!!」


 長剣を杖になおも立ち上がろうとしたアーマイゼは、そのまま仰向けに倒れた。

 シクロのカヴァレッタがアーマイゼの両肩にグルカナイフを突き刺し、地面に縫い止めたのだ。

 いかに吸血鬼といえども、こうなってはどうすることも出来ない。

 シクロは長剣を蹴り飛ばすと、右足のスクリューをコクピットに突きつける。


「納得行かないなら、コクピットの外に出てもう一度あたしたちと勝負する? ま、この日差しの下じゃ、ハッチを開けた瞬間に腐り落ちることになると思うけど――」


 中天をいくらか過ぎたとはいえ、太陽はいまなお燦々と降り注いでいる。

 午後一時半。吸血鬼にとっては最悪の時間帯だ。

 たとえ日陰に身を隠したとしても、地面に反射した紫外線によって耐えがたいほどの苦痛を味わうのである。

 

「ひとつだけ訊かせろ。お前たちは、もしや私と同じ……」

「ご冗談――あたしたちはれっきとした人間よ。あんたみたいな吸血鬼と一緒にしないでちょうだい」

「そうだな……太陽を浴びて生きていられる至尊種など、いるはずがない……」


 深いため息をついて、エアハルトはまるでひとりごちるみたいに語りはじめる。


「むかし……まだノルツォイクの家にいたころ、亡き祖父からこんな話を聞いたことがある。かつての聖戦で、我ら至尊種を狩るためだけに改造された人間がいたと。父や兄たちはつまらぬ伝説と鼻で笑っていたが、その名前は忘れもしない。悪名高き吸血猟兵カサドレス……お前たちがそうなのか?」

「さあ、どうかしらね。質問はひとつだけと言ったのは自分よ」


 それだけ言って、シクロは一方的に会話を打ち切る。

 ウォーローダーは大破したとはいえ、吸血鬼の戦闘力が脅威であることに変わりはない。

 太陽が人間の味方でいてくれるのは、上空にいるあいだだけなのだ。

 シクロは背部のウェポンラックに手を伸ばし、一メートルほどの細い鉄杭を取り出す。

 太陽光を浴びて瀕死となったところに、鉄杭を心臓と脳に打ち込むことで吸血鬼の抹殺は完了する。

 長く苦しませないための慈悲ではなく、一秒でも早く怪物の息の根を止めてしまいたいという人間側の切実な理由から考案された処刑法だった。


「エアハルト・ノルツォイク、最期になにか言い遺すことはあるかしら?」

「人間に敗れたのは無念だ。しかし、戦いの末に死ぬことは武門のほまれ。かくなるうえは、誇りある武人として潔く――」

「……勝手なことを言うなよ」


 横から言葉を挟んだのはアゼトだ。

 それまで黙ってシクロとエアハルトのやり取りに耳を傾けていた少年は、身動きの取れない吸血鬼にむかって静かな、しかし怒りに満ちた声で問いかける。


「人間から奪うだけ奪って、最期に満足して死ぬなんて許されると思ってるのか」

「では、いったい私にどうしろと言うのだ?」

「跡形もなくこの世から消えるまえに、傷つけた人たちにひとことくらい詫びていったらどうだ」

「たとえ勝者の命令であっても、それだけは承服しかねる。零落したとはいえ、私は誇り高き至尊種のひとりだ。人間に下げる頭などないし、謝罪の言葉を口にするつもりもない」

「自分ではなにも作らずに、他人ひとのものを掠め取っていくだけ……そんな生き方が許されると思っているのか!?」

「我々は万物の霊長として当然の権利を行使しているだけにすぎん。人間に責められる謂れなどない」


 死を前にしてなおも傲岸不遜なエアハルトを前に、アゼトは身体の内側から怒りがこみ上げるのを否が応でも自覚する。

 と、カヴァレッタがぐらりと揺れた。シクロが後ろから軽く小突いたのだ。

 

「そこまでにしときなさい、アゼト。吸血鬼こいつらになにを言ってもムダ。絶対に改心も反省もしない。あんたもよく知ってるはずよ」

「……すみません、シクロさん」

「こいつが逃げ出さないようにしっかり見張ってなさい。……逃げられっこないけど、念のためね」


 言い終わらぬうちに、シクロは「あっ」とちいさな声を上げた。

 アーマイゼのコクピットハッチが開け放たれたのだ。

 ゆるやかな放物線を描いて、長身の影がふわりと地面の上に降り立った。

 まばゆい太陽光の下に曝け出されたのは、女と見まがうほどに美しい黒髪の青年だ。

 雪のように白い肌と、大粒の柘榴石ガーネットをはめ込んだような赤い瞳。

 朱を塗ったように赤々と色づいた唇からは、吸血鬼の証である鋭利な犬歯が覗いている。

 秀麗な顔貌にたちまち苦しみの相が兆した。人間にはまるで無害なレベルの紫外線でも、吸血鬼は数秒の曝露で致死量に達するのだ。

 

「私は至尊種として誇りある死をえらぶ。戦いには敗れても、おまえたち人間の手になど……かかるものか……」


 まだコクピットを出てから十秒と経っていないにもかかわらず、エアハルトの白いかんばせは赤黒く変色しはじめている。

 もはや言葉を発することも叶わないのか、乱杭歯をむき出しにした唇からは獣じみた絶叫がほとばしる。

 生きながらにして地獄の業火に焼かれるようなそのさまは、吸血鬼に恨みを持つ者でさえ目を背けずにはいられないほどにむごたらしく、そして痛ましい。

 細胞は即座に自己修復を図ろうとするが、紫外線によって不可逆的に破損した遺伝子情報は正常な再生を妨げ、壊死した組織は末端からぼろぼろと剥離していく。


 けっきょく、エアハルトが消滅するまでは五分とかからなかった。

 急激な細胞崩壊に加えて、太陽光によって暴走した免疫系に喰われたのだ。

 あらゆる病原菌やウイルスを寄せつけない最強の免疫細胞がみずからの肉体に牙を剥けば、いかに吸血鬼といえども助かる術はない。

 骨の一片までも喰らい尽くす苛烈な暴食のあとに残されたのは、かつては輝いていたのだろう黒い軍服と、汚れた革の長靴ブーツだけだ。

 それもやがては誰の目にも留まることなく風化していくだろう。

 ひとりの吸血鬼がここで生涯を終えたことを示す痕跡は、この地上になにひとつ残らない。


「誇り、か……」


 乾いた風にはためく軍服を見つめて、アゼトはぽつりと呟く。


「シクロさん。奴は姿を隠したまま俺たちを不意打ちをしようと思えば出来たはずです。それをしなかったのも、吸血鬼の誇りがあったからでしょうか」

「さあ、どうかしらね。連中の考えてることなんて、あたしには分からないし、分かりたくもない」


 言葉の端々に同情がにじむアゼトとは対照的に、シクロの声色はあくまで冷たい。


「行くよ、アゼト。村に戻って戦果を報告しなくちゃね」


 エアハルトだったものを見つめたまま身じろぎもないアゼトに、シクロは努めて明るく声をかける。

 ひととおり残骸の映像を記録して回ったあと、二機のカヴァレッタは連れ立って戦場を後にしたのだった。

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