第6話「心の靴」

「あれ?」


 夜、イワンが馴染みの酒場へ入ると、そこはもぬけの殻。


「誰かいねぇか?」

「……イワンか?」

「おう、ジイサンいたか」


 その酒場の店主、初老の老人はイワンの顔を一瞬だけ見たが。


「……」


 そのまま、すぐにその目をそらしながら、うつ向く。


「ジイサン、どうしたってよ?」

「……」

「店は、イリーナはどうした?」


 無言の間、灯りの点らないその酒場は埃っぽく、まるでいきなり何年も経過したかのように見える。


「おい、ジイサン……!!」

「店はもう仕舞いじゃ……」

「何?」

「イリーナも、頭領がつれていった……」

「な、なんだって!?」

「イリーナ、アイツが店の借金の肩代わりとして、頭領が連れていった」

「ふざけるな!!」


 その怒声と共に店を踏み鳴らしたイワンの足音にも、酒場の店主はうつ向いたまま、何も反応しない。


「……ふざけるな」

「頭領なら、今ごろは飛行船の港にいるはずだ」

「……そうかい、ありがとうよ」


 そう言い残したままに、イワンはフラリとした足取りで、酒場から出ていく。




――――――




「頭領!!」


 港には人気が少なく、夜の闇にただぼんやりと灯りが灯るのみ。その薄闇の中に頭領と。


「……なんだ、イワン?」

「……イワン」


 イリーナ、彼の愛人がいた。


「頭領、イリーナを渡しな」

「渡しな、とは酷いな……」

「あんたがイリーナを買い取ったんだろうが!!」

「それは違うぞ、イワン」


 その言葉を吐いた時に頭領が、イワンを見下したような視線が彼にとってこの上なく不快である。


「イリーナは自分から私についてきたんだ」

「そんな訳があるか!!」

「ま、酒場の老人には幾ばくかの金を渡しはしたがね」


 頭領のその言葉にイワンはその目を泳がせ、彼の視線は。


「……本当よ、イワン」

「嘘だ!!」


 彼を裏切るかのような言葉を放つ、イリーナにと向けられた。


「俺は、お前の為に!!」

「頭領なら、私の生活を保証してくれる」

「そんな、そんな……!!」


 その問答を繰り広げる三者の間を、外灯に導かれた蛾がヒラリと遮る。


「俺は、お前の為に今まで……」

「私は娼婦よ」

「……」

「愛よりも、金を取るわ」


 イリーナ、娼婦である彼女の言葉に頭領が耳障りな笑い声を上げ。


「そういうことだよ、イワン」


 勝ち誇ったように、イワンの面子に泥を塗る。


「じゃあな、イワン」

「……」

「我々は、お前より一足先にこの島から出る」


 その顔、身を伏せたままのイワンにと、頭領が一方的に声をかける中、イリーナは。


「お前も、遅れずに付いてこい」

「……」


 心持ちか、頭領からその身を離らかす。


「最も、お前に俺の後にとついてこれるか、どうかだが」


 その最後の言葉でイワンの心を引き裂いた後。


「行くぞ、イリーナ」


 頭領と、イワンの元愛人は港から船へ続くタラップへとその脚を掛ける。




――――――




「頭領」

「何だ?」


 イリーナを片手に抱きながらワインを飲んでいた頭領は、伝令管を通じたその船長の声に、形よく整った眉を軽く潜める。


「何か、棄てたアジトからエアボートが迫ってきますぜ」

「何?」


 その言葉に、頭領は豪家な装飾が施された部屋から出て、夜の外気が触れる連絡通路にと足を運ぶ。


 ギュア……!!


「あれは……?」


 確かにエンジン音をけたたましく月夜に響かせながら、一隻のエアボートが機銃を放ちつつ、頭領の乗る船へと急速接近をしている。


「まさか、イワンか!?」

「……ナ!!」


 自らが買い取ったイリーナが隣に立つのを横目に見ながら、頭領は慌てたような声を出しつつに。


「イリーナァ!!」

「船長、あのバカを撃ち落とせ!!」


 そう、通路にしつらえた伝令管に叫びながら、自らも近くの対空砲座にとその身を踊らせる。


「脳にまで酒とクスリが回った、出来損ないが!!」


 バゥ!!


 その対空砲をイワン、彼の駆るエアボートは身軽にかわしながらも。


「イリーナ!!」

「……イワン!!」

「イリーナ、愛だ!!」


 彼イワンは、対空砲を操作している頭領の隣へとたたずむイリーナへの呼び掛けを止めない。


「愛なら、全てを信じられる!!」

「止めて、イワン!!」


 そのイワンの声に、イリーナはただその頭を振るのみ。


「愛では、何も解決しないわ!!」

「その通り、よく言うぜイワン!!」


 ガゥ!!


 頭領の対空砲がイワンのエアボート右舷へと命中、そのエアボートから闇夜の中でもなお黒い煙が吹き荒れる。


「所詮は、俺達は空賊!!」

「愛している、イリーナ!!」

「人の物を奪い取るのが、仕事だろうに!!」


 対空砲座では熟練の腕を持つ頭領は再びイワン、彼のエアボートにと照準を付け、その正確な火線がそのエアボートのエンジンを直撃する。


「おのれ、頭領!!」


 下方の天の河へと沈み行くエアボートの矛先をどうにか変え、イワンがその頭領の対空砲座に向けて機銃による射撃を加えようとした時。


「な、何をするイリーナ!?」


 その頭領の身体をイリーナが体当たりで思いっきりはね飛ばし、そして。


「このメスがぁ……!!」


 船の下方、ミルキーウェイへと落ち行く頭領、しかし。


 ダァ、ダ!!


「イ、イリーナ!?」


 イワンが放った機銃はそのイリーナにと流れ。


「イ、イワン……」


 命中をし、彼女のその細い身体は船から落ちていく。


「イリーナ!!」


 エンジンがほぼ大破したエアボートでそのイリーナの身体を捉えようと、無茶な操縦を行うイワン。しかし。


「う、うわ!?」


 エアボートのエンジンが爆発を起こし、イワンのその身体も空中にと投げ出される。


「ぐ、うぅ……」


 致命傷を負ったイワン、特に目への傷が深く、イリーナの姿はどこにも見えない。


「イリーナ……」


 だが、その残った力を振り絞り、うすらと開けた彼の目、その視界の中に。


「願い竜……」


 最後に彼は、虹の翼を見た。




――――――




「傷もすっかり治ったようだね、嬢ちゃん……」

「ありがとうございます……」


 低空を飛行していた軍艦に救われた彼女は、その軍医に一礼をした後。


「でも、これからどこへ行こうかしら……」

「しばらくは、この艦にいると良い」

「はい」

「それはそうと、お嬢ちゃん……」


 そう言いながら、軍医は彼女が抱えている古びたブーツを指差す。


「いくら願い竜が落とした物だからといっても、そんな汚いブーツは捨てちまいな」

「いえ、これは」


 彼女、片腕を失ったその女性は微笑みつつ、雲ひとつない青い大空を見上げて軽く笑う。


「愛の証ですから」


 遠くの浮遊島まで見える青いその世界、そこに。


 シァ、ア……


 虹色の翼が、力強く羽ばたく。

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