第172話

「あーもうっ! 本当になんなのこいつらは! いいところで邪魔してぇ!」


 怒鳴り散らしながら宙を駆け、人面蛇の獣を狩り続けるのはツインテールの少女。

 先程まで東京の自宅で恋人とまったりイチャイチャしてたのに、急に外で魔物が暴れ始めたために全部台無しにされた、黒霧葵だ。


 黒い翼をはためかせ、ツインテールを翻し、手に持った鎌で敵を屠る。

 一部の魔物は一箇所に集まり、巨大な体を構成し始めていた。遠近がおかしくなるほどの巨体。そちらに向かってすぐにでも倒したいが、そうもいかない。


「……っ、またっ!」


 地上を見下ろせば、魔物が両手で持った鉄の杖で、逃げ惑う人たちに襲いかかっていた。その間に躍り出るのは、黄金の聖剣を持った少年だ。

 鉄の杖ごと魔物を斬り伏せ、人々を守っている。


 家を出て異能で状況を把握してから、ずっとこの調子だ。

 この魔物が人間を素体としてることも、素体にされた人間は既に死んでいて、助けられないことも。全てわかっている。

 その上で戦い、生きて逃げる人たちを守る。


 蓮と二人でそう話したけど、地上で聖剣を振るう彼の表情は、どこか苦しげだ。

 こんな胸糞悪い戦いは、早く終わらせなければ。


「余所見するなよ、黒霧ちゃん!」

「はいっ!」


 同じく空中で戦っていたルークから、叱咤の声が届く。本部のパーティーに出席しなかった彼女と剣崎龍の二人もまた、異変を見てすぐ手助けに来てくれた。


「にしても、こう数が多いとキリがないな。蒼たちとも連絡がつかないし、どう動くべきか」

「あのデカブツをどうにかするべきなんだろうけど、そう簡単な話でもないんだろう?」

「はい。今見えてるやつの他にも、あと十体が世界中にいます。全部繋がってるから、一体倒しても他からの魔力供給ですぐに復活するみたいです」

「だったら、愛美に任せるしかないね」

「だな。俺たちはそれまで、雑魚どもの相手だ」


 殺人姫と呼ばれた彼女の力なら、その繋がりごと斬ることが可能だ。

 歯痒いが、龍とルークの言う通り、自分たちは一般人を守ることに徹した方がいい。


 多分他の場所では、葵たち以外にも戦っている魔術師はいるだろう。棗市には朱音やカゲロウ、サーニャの三人がいるし、イギリスの本部には織たちもいる。それだけじゃない、人類最強の男だって。

 だから大丈夫。葵が無理に解決へ乗り込む必要はない。適材適所だ。ここは愛美に任せるべき。


 襲いくる魔物をひたすらに倒し続けていると、状況に変化が訪れた。

 雲を突き抜けるほどに巨大な、七つの顔と十本の角を持った獣が、突然。

 氷山に飲まれたのだ。


 次いで迸る剣閃。粉々に斬り裂かれた巨体はしかし、地上に落ちていく肉塊を粒子に変えて消え、次の瞬間には元の姿を取り戻している。


「今の、サーニャと朱音か?」

「だろうね。いやはや、サーニャがあそこまでの力を持ってるとは思わなかったけど、どうやらそれも効いてないみたいだ」


 異能であろうが魔術であろうが関係ない。

 黙示録の獣。世界を滅亡に追いやると言われるやつらだ。その力の特異性はご覧の通り。

 転生者の炎だって、通用するわけではないのだろう。だからこそ、ルークも手をこまねいている。


「姉さん!」

「葵!」


 突然背中に掛けられたのは、可愛い妹ともう一人の兄の声。振り返れば、アメリカのネザー本部にいたはずの翠と、棗市で戦ってると思っていたカゲロウが。


「翠ちゃん、カゲロウ! どうしてここに?」

「緋桜からの指示です。姉さんたちと合流して、大元を叩くようにと。カゲロウは途中で拾ってきました」

「ダンタリオンだね……」


 黙示録の獣を呼び寄せた張本人。何度も苦渋を舐めさせられた、ソロモンの悪魔。


 やつを倒せば、この胸糞悪い騒動も収まる。

 しかし、やつがどこにいるのかが分からない。今頃どこかで、高みの見物でもきめこんでるのだろうけど。

 あの性悪悪魔が、最前線まで出てきて楽しまないはずがないのだ。


「ダンタリオンのことは、俺に任せてくれないか」


 そう言ったのは、地上で戦っていた蓮だ。龍とルークの二人に下を任せて、葵たちの元へ飛び上がってきた。

 いつの間にか使えるようになっていた飛行魔術は、その悪魔に魂を反転させられた恩恵。決して望んだ形ではないが、蓮も強くなっている。


 だからといって、その言葉に頷けるわけがない。


「一人でなんて行かせない。アモンの時だって、四人でようやく倒せたんだよ?」

「ええ。今回も、わたしたち四人全員で相手をする方が得策です。単独行動は推奨できません」


 翠と二人で説得するも、蓮のその目を見れば、彼の意思の固さは伝わってきた。きっと、何を言っても曲げない。

 けれどそれでも、大切な恋人をわざわざ一人で死地に向かわせるわけにはいかない。


「よく考えてくれ、葵。たしかに今は、ダンタリオンの仕業で世界が危ない。グレイの目的とは合致しないし、あいつの独断専行なんだと思う。そうだろ、翠?」

「はい。グレイはこの件の解決を、魔女に一任しているようです。彼女がネザーに来て、手を組もうと持ちかけてきました。今は緋桜と桐原愛美の三人で、黙示録の獣の元へ向かっています」

「桃さんが……」


 兄がまだ学院にいた時。何度も話を聞いていた。愛美と桃、二人で過ごした日常や、こなした依頼の話を。

 実際に聞いていたのは、今の葵ではないけれど。共有された記憶の中に、たしかに存在している。


 だから、全てじゃないとはいえ、その一欠片だけでも。今の兄の心情が想像できて、葵は気づかれないように歯噛みした。


「だったら、ダンタリオンを倒して全部終わり、ってわけにはいかないと思う。灰色の吸血鬼は、確実にこの騒動に便乗してくる。過程はどうあれ、人類の抹殺っていう目的自体は半分ほど達成しかかってるんだ」


 全世界の四割に及ぶ人口が、その姿を魔物へと変貌させた。もはや人間の優位性であった数の力は覆されようとしている。

 グレイが日本支部跡地に建てた塔のこともあるのだ。もしもあれが、なにかしら大規模な術式の下準備だとして。それが今発動されてしまえば、本当に人類は滅んでしまう。


「だから、葵たちはグレイのところに向かってくれ。きっと学院長も、同じ考えだと思う。織さんや朱音だって、状況が落ち着いたらあの塔に向かうはずだ」

「でも……それでも、蓮くんを一人で行かせるなんて……!」


 蓮は一度、ダンタリオンに完敗している。その結果精神を魂ごと反転させられ、敵となってしまった。

 また同じことが繰り返されたら。あるいは、今度は命を落としてしまうかもしれない。


 そんな不安が尽きない。大好きなこの少年と、二度と会えなくなるかもしれない。


 蓮の言っていることの方が正しいとは分かっていても、素直に頷けるわけがないのだ。


「だったら、オレが蓮についてる。それだと文句ねえだろ」


 悩む葵の耳に、灰色の少年の声が。

 仕方ないな、と言わんばかりに呆れた声音は、妹である葵を安心させようとする気遣いも感じられて。


「いいか葵、お前はオレらの中で一番の戦力だ。グレイと立て続けに戦わなきゃならねえってなら、そんなお前をたかが悪魔ごときで消耗させるわけにはいかねえんだよ」

「でも、私がいなくても、織さんとか愛美さんとか、朱音ちゃんだっているじゃん!」

「お前が決着つけなきゃならねえのは、ソロモンの悪魔じゃない。違うか?」


 違わない。

 葵が相対するべきは、この身に流れている血と遺伝子、その元である灰色の吸血鬼だ。

 私をネザーから救い出してくれた、実の父親で。同時に、大切な人の仇でもあるあいつだ。断じてソロモンの悪魔などではない。


「でも、それを言ったらカゲロウだって……」

「ハッ! あんなクソ親父、オレはもうどうでもいいんだよ。それよか、ダチの助けになる方が優先だ」


 カゲロウという少年は、こういう男だ。

 なによりも友人を、身近な人物を大事にする。例え因縁深い吸血鬼と相対するチャンスを不意にしても、友人を助けるために動く。


「姉さん」

「……分かってる、翠ちゃん」


 決断を迫られている。

 悪い予感しかしない。結果がどう転んだところで、葵たちキリの人間が持つ使命を思えば、これはきっと、最後の別れになると思う。


 あの日、手を差し伸べてくれたもう一人の兄とも。

 今の私を肯定して、受け入れてくれた、大好きな恋人とも。


 迷いを払え。大好きな二人を信じろ。


 腹を括った葵は、ソッと蓮に寄り添う。何も言わずその首筋に牙を突き立て、血を啜った。

 美味しい。もっと吸えと本能が囁く。それを理性で捩じ伏せ牙を離し、そのまま彼の唇に自分のそれを重ね合わせた。


 ただ口付けるだけじゃなくて。

 葵自身の血を、彼の中へ流し込む。

 他二人の目もあるからかなり恥ずかしいけど、我慢してずっと長く、深く。


 息が続かなくて口を離せば、惚けた顔の蓮と目が合った。

 なにをされたか理解できていない様子だ。


「蓮くんの血、ちょっと貰った代わりに、私の血も蓮くんにあげたから。お守りの代わり、みたいなものかな」

「そういう……いきなりはやめてくれよ。びっくりするだろ?」

「えへへ、ごめんね。でも、全部終わって帰ってきたら、もっといっぱい、血を吸わせてね?」

「うん、分かった。約束だ」


 指切りを交わして、最後にもう一度だけ小さく口づける。

 これで、本当に最後。


「じゃあ、行ってくる。二人とも、死なないでね」

「ご武運を願います」

「当たり前だ。誰に言ってやがる」

「葵と翠も、気をつけて」


 背中に伸びる黒い翼をはためかせ、葵は翠とともに宙を駆けた。

 後ろは振り返らない。絶対に生きてまた会えると、信じてるから。



 ◆



「悪いな、カゲロウ。付き合わせちゃって」

「バカ、謝るんじゃねえよ。ダチ見捨てて行けるわけないだろ」


 葵たちの背中を見送った後、地上に降り立った蓮は、隣のカゲロウに一言謝罪した。

 しかし半吸血鬼の少年は、なにも気にする素ぶりを見せない。むしろこうあるのが当然だとでもいいたげだ。


 周囲を見渡してみれば、あれだけいた魔物は最早残っておらず、一般人たちもどこかへ逃げることができたようだ。

 それも、二人の転生者のお陰。


「糸井、俺とルークも、もう行くぞ」

「はい、剣崎さん。今まで、お世話になりました」

「やめろ、今生の別れみたいになるだろうが」

「龍はこれでも、君のこと気に入ってたからねぇ」


 クスクスと揶揄うような笑みを浮かべるルークに、龍は少しだけ顔を赤くしている。

 師である男の珍しい姿を見て、蓮は思わず顔を綻ばせた。


 龍には本当にお世話になった。学院で何度も個人的に稽古をつけてくれたし、この聖剣のことにしたってそうだ。


「本当に、ありがとうございました。あなたのおかげで、俺は強くなれた」

「勘違いするなよ、強くなれたのは誰のおかげでもない。お前自身がそうありたいと願い、努力したからだ。だからそいつは、お前を選んだ」


 選定の剣、エクスカリバー。

 糸井蓮が持つ唯一の力。この剣に認められたことが、長くはない人生で一番の誇り。


 いつの日か憧れた、正義のヒーローに。

 この剣と、あの少女に認められたから。だから蓮は、戦える。


「死ぬんじゃねえぞ、二人とも」

「死んじゃったら、黒霧ちゃんに殺されちゃうかもね」


 最後にそう言い残し、二人も転移でどこかへ消える。世界中で戦いは続いているのだ。転生者ほどの戦力が、一箇所に留まっているわけにはいかない。


 さて、と。振り返り、宙を睨む。

 つい先程まで何もなかったそこに、老婆の顔を愉快げに歪めた悪魔がいた。


「やっぱり、俺のところに来ると思ったよ、ダンタリオン」

「おや、おや、おや、余計な虫が一匹残っていますが、まあいいとしましょうかぁ」


 ソロモンの悪魔、ダンタリオン。

 蓮の精神を魂ごと反転させ、魔女を蘇らせた、断じて許し難い敵。


 こいつの本来の目的を、自分への執着を知っている蓮からすると、この場に現れるのは容易に想像できたことだ。


「糸井蓮。小生が魂を反転させてもものともせず、元の光を取り戻した少年……いい、実にいい! あなたのような人間は大好物であるからして! もっと見せていただきましょうか! あなたのその光を! 世界が終わるその時に、なにを成すのかを!」

「終わらないさ。終わらせない」


 蓮の髪が、徐々に灰色へと変わる。手に持つ黄金の聖剣には、闇色が混ざってマーブル模様に輝く。

 魔力が全身から溢れて止まらない。葵から血を分けてもらったおかげだ。


 今この時だけ、キリの力を、黒霧が受け継いだ『心』の力を扱えている。


 だから、この状態を、制御することができる。

 蓮の持つ心の光が、正義の輝きが、そのまま彼の力となる。


「蓮、お前……その姿は……」

「葵には見せたくなかったんだ。だから、先に行ってもらった」


 自嘲気味な笑みを漏らす。この姿は、葵を傷つけたから。蓮にとっては最も重い罪の象徴だから。

 けれど、それすら受け入れ力としなければ、あの悪魔には勝てない。


「俺は、自分の心に巣食う闇も受け入れる。それすら俺の力にして、みんなを守る」

「……それでこそ、正義のヒーローってやつだな」


 へっと笑ったカゲロウが、隣で白銀に煌めく大剣を構えた。

 この友人には、感謝してもし足りない。大変な時には助け、支えてくれ、時には蓮を叱り飛ばしてくれた。


 本当に。カゲロウと友達になれてよかったと、心の底から思う。


「覚悟しろ、ダンタリオン。お前の相手は、正義のヒーローだ」

「ンンン〜〜〜、受けて立ちましょう。ソロモン七十二柱、序列七十一位の小生、ダンタリオンが! あなたのその光、存分に堪能させていただきましょう!」


 黄金と暗黒。正義と闇。

 対極にある二つの輝きを宿した聖剣の切先を、因縁深い悪魔へ向ける。


 さあ、始めよう。

 正義のヒーローとして、人々を、世界を守る戦いを。



 ◆



「くそッ……! いつまでこんなことを続けてればいいんだよッ!」


 叫びながら、織は引き金を引く手を止めない。逃げ惑う人々を守るために、かつて人間だった敵を殺す。


 心は悲鳴をあげて、今すぐにでもこの場から逃げ出したいが。状況はそれを許してくれない。

 残っている中で戦える魔術師は少ないのだ。元々本部の外を警備していた怪盗たち十数名と、中からなんとか脱出した織と栞、それから愛美の三人。


 織一人が離脱しただけでも、ここロンドンは更に被害が広がってしまう。今では人面蛇の魔物だけじゃない。他にも、瞳を紅く光らせた様々な魔物、グレイの眷属たちが暴れているのだ。

 それこそ、灰色の吸血鬼が掲げる人類抹殺が、目の前に迫る。


 そもそも逃げ出すなんてことは、織の持つ性質的にあり得ないことだ。彼はどんな困難を前にしても、決して下を向かず、前だけを見ているのだから。


 また一匹、魔物をその銃弾で倒した時。

 ガラスの割れるような音が、ロンドン中に響いた。決して攻撃の手は緩めずとも、なんとか状況を把握するために視線を巡らせる。

 異変は、大英博物館に。いや、その地下に広がる魔術学院本部に起きていた。


「封印が、解けたのか……?」


 言葉に出してみるものの、あまりに信じられない。いや、封印が解けたことは喜ばしい。織たちにとっては利点しかない。地下に閉じ込められていた蒼たちが、解放されたのだから。


 しかし、一体どこの誰が? 人類最強ですら匙を投げ、その妹である時空間魔術の天才ですら、制限された魔術行使しか行えなかったのに。


「まさか……」


 魔力感知の範囲を広げると、懐かしいそれに行き当たった。

 かつては恩人として織を導き、今は敵として立ちはだかった、あの少女の。


 しかし逆に、混乱はますます深まる一方だ。これはグレイの仕業じゃないのか。なぜあいつが、桃が学院の封印を……?


「黙示録の獣か。これはまた、厄介なものを引き出してきたな」

「先生⁉︎」


 音もなく背後に現れたのは、地下に閉じ込められていた蒼だ。その傍には有澄とアダムの姿も。

 一緒にいたはずのイブがいないが、果たしてどこへ行ったのか。


「織、よく踏ん張ってくれたね」

「……この魔物、元は人間だったんだ」

「ああ、知ってる」

「俺は、それを何体も……何体も殺して……!」


 頼りになる師の姿を見てしまえば、思わず弱音が次々と漏れてきた。


 今まで一度だって。織は自分の手で、人を殺したことがなかった。手を汚すのはいつも愛美だ。

 けれど、今まさしく。

 相手はもう人間ではないとは言え。既に素体となった人は死んでいるとは言え。

 この手で、の命を奪った。


 裏の魔術師なんかじゃない。本来なら魔術なんて関わることすらなく、守るべきはずの人々を。


「織くん……」

「こんな世界にいたら、誰もが一度は通る道だ。その上でどうするかは、織次第だがな」

「アダムの言う通りだよ。織、君はこれからどうする? どうしたい?」


 どうしたいかなんて、そんなの決まってる。

 ここで織がどれだけ悩み、泣き叫んだところで、やるべきことは、やりたいことは、とっくの昔に決めているのだから。


「歩みは止めない。俺は、前を向く」


 世界のためにだなんて言わない。

 大切な家族が、笑って暮らせる未来のために。桐生織は、いつだってそのためだけに戦ってきた。


「さすがは僕の弟子だ、そう言うと思ったよ」

「先生、これからの具体的な方策を教えてくれ。どうすれば、このクソみたいな事件は解決するんだよ」

「グレイのところに乗り込む」


 提示されたのは、シンプルでわかりやすい唯一の答え。


「この状況自体は、あいつも予想外のはずだ。恐らくはダンタリオンの仕業。学院の封印を解いたのも魔女のようだしね。でも、あいつがこの機を逃すわけがない」


 蒼の言葉が示す通り、黙示録の獣に混じってグレイの眷属も暴れている。やつは、ダンタリオンの離反に便乗して、人類抹殺を完遂するつもりだ。


「黙示録の獣ってのは? 結局あのデカブツはなんなんだよ」

「失われた魔導書。聖典に記された、世界の終わりに現れる獣のことさ。あのデカイのが世界中に十一体。それが全て完全に顕現すると、魔王が復活すると言われてる」


 魔王。ここ最近、どこかで聞いた言葉だ。

 そう、魔術学院本部の、さらに地下深く。そこに広がる迷宮は、果たしてなんという名前だったか。


「呼ばれ方は色々あるけどね。赤い龍とか第六天とか、そういうの」

「そいつが世界を滅ぼすってことか……」

「恐らくだが、俺やイブと同等の存在だ。あらゆる世界の爪弾きもの、世界という枠に収まることを許されない、文字通り枠外の存在だな。なにがどうして本部の地下に封印されてるのかは知らんが、復活すればヤバいことになるのは間違い無いだろう」


 アダムの補足に、勘弁してくれという気持ちしか湧かない。

 グレイの相手をするだけでも手一杯なのに、そんなバカみたいな存在までいるなんて。


 いや、ようは復活させなければいいだけだ。ダンタリオンがどういうつもりでグレイの契約を反故にしたのかは知らないが、やつの企みを阻止すればいいだけ。


「みなさん、翠ちゃんから連絡が入りました。愛美ちゃんと緋桜くん、それと桃さんが、黙示録の獣をどうにかするみたいです」

「なるほど……たしかに愛美なら、あれを殺しきれるか……翠は?」

「葵ちゃんとグレイの元に向かってると。ダンタリオンも、蓮くんとカゲロウくんが」

「よし、なら僕たちのやることは変わらないね。グレイのところに乗り込むよ」

「つっても、こいつらはどうするんだよ」


 人間が変貌した、鉄の杖を持つ人面蛇の魔物。こいつらは未だに、全世界で暴れている。各地の魔術師たちが対抗しているとはいえ、数が決定的に足りない。


 今だって、こうやって話している間にも。

 目の前には魔物たちがうじゃうじゃといるのだ。


「その辺りは、緋桜に色々とお願いしてたんだ」


 蒼が、人差し指を上に向ける。つられてそちらへ目をやれば、上空に無数の影が。

 魔物ではない。夜空から地上に降りてくるのは、織にも見覚えがある。

 出灰翠の異能、情報操作の一部を込め、銃火器で武装した、ネザー製のゴーレムだ。


 ロンドンの街に降り立ったゴーレムたちは、人々を守るように立ち、魔物へ銃撃を開始する。


「こいつを世界各地に飛ばしてもらってる。当然それだけじゃない。君には、頼れる仲間が他にもいるだろう?」


 夜の暗闇に、眩い光が瞬く。

 次の瞬間には魔物たちの腹に風穴が開けられ、次いで巨大な怪猫が人面蛇を喰らい尽くした。


「よう探偵! なにぼさっとしてるんだよ!」

「織さん、ここは私たちに任せてください! 織さんたちはグレイのところへ!」


 怪盗アルカディアの二人。ジュナスとルミだ。

 それだけじゃない。本部の封印が解かれたことで、閉じ込められていた魔術師たちが地上に出てきた。

 その中には、日本支部の友人たちの姿だってある。


 彼らは人面蛇やグレイの眷属たちに決して臆することなく、この世界を、生き残った人々を守るために戦うことを選んだ。


「蒼、お待たせしました。あちらの準備は整っています。ネザーに頼んでいた魔導具も回収してきた。後は門を開くだけですよ」


 虚空から現れたのは、赤い豪奢なドレスに身を包んだ貴婦人。イブ・バレンタインだ。

 その手には長さ五十センチほどの、鍵のような装置がある。


「ありがとう、イブ。用意できた戦力は?」

「特別に巫女を全員貸すようですよ。ただし、その三人に有澄の従者二人で勘弁してくれ、とルシアに渋られましたが」

「十分すぎるくらいだよ。ルシアには今度、いい酒を奢らないとね」


 イブの言葉に、まさか、という思いが過ぎる。

 異世界を渡れるのはごく限られた人間のみだ。レコードレスを使える者か、魂の強度が常人よりも高い転生者や龍の巫女。

 彼女は龍神の娘とはいえ、それでもやはりただのドラゴンに過ぎない。異世界を渡ることはできないと、本人の口から聞いている。


「では、開きますよ」


 イブが、鍵のような装置を空に掲げる。

 そこに開かれるのは、先の見通せない孔。織も通ったことのある、異世界へ繋がる扉だ。


 そこから、五人の人影が出てきた。

 内三人は直ぐにドラゴンへと姿を変え、世界中に散らばる。しかし残りの二人は人の姿のまま、織たちの元へ降り立った。


「シキ! あなたの友達、シルヴィア・シュトゥルムが助けに来たわよ!」

「シルヴィア、なんで⁉︎」


 異世界でできた友人。綺麗なセミロングの白い髪を靡かせ、宮廷魔導師のローブを羽織ったシルヴィアだ。

 その隣にいるのは、彼のパートナーだという暗殺者、ダンテ・クルーガー。


 ともに有澄の従者であるが、ただの人間とただのドラゴン。異世界を渡れるはずないのに。


「ネザーに頼んで、僕たち以外にも渡れる魔導具を作ってもらったんだ。翠が向こうに行ったからね。その時、あちらの世界の情報も視ている。それを元に作ったのが、イブの持ってきた鍵」

「マジかよ……」


 情報操作、かくも恐ろしい異能とは。


 駆け寄ってきたシルヴィアは、以前会った時からなにも変わっていない。あちらとこちらでは時間の流れが同じだから当然なのだが、どうにも久しぶりに感じる。


「再会を喜びたいところだけれど、シキには行くところがあるのでしょう? ここはあたしたちに任せてくれるといいわ」

「シルヴィア……悪い、ありがとな」

「友達のためだもの! これくらいは当然よ! さあ、行くわよダンテ!」

「初めての異世界なんですから、無茶しないでくださいよ」


 輝龍へ姿を変えた友人は、パートナーの暗殺者を背に乗せ、巨大な黙示録の獣の元へ飛び立った。


 これ以上ないくらいに頼れる援軍だ。

 シルヴィアたちだけじゃない。怪盗の二人に、学院の魔術師たち。晴樹やアイクもいる。


 彼らになら、任せられる。

 俺は俺のやるべきことを。

 あの吸血鬼との、決着を。


「行こう、先生。きっと愛美や朱音も、すぐに来てくれるはずだから」

「ああ。サクッと世界を救いに行こうか」

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