第154話
とある少女の話をしよう。
それは、少女にとっての強さだった。
他を寄せ付けぬ力の象徴。あらゆるものを問答無用に斬り伏せる、受け継いだ力の一端。
それは、少女の本能だった。
そうしなければならない。そうしないと生きていけない。囁く声を理性で捩じ伏せる。
それは、少女が抱いた欲求だった。
心の底から渇望して、己の命も天秤に乗せ。どこまでも求める。殺人という行いを。
故にそれは、少女にとっての弱さだった。
優しい家族に囲まれて育った彼女には、その欲求も本能も望まないものだった。
唾棄すべき弱さ。こんなものを持つ自分は、あの人たちと関わる権利を持っていないと考えてしまうほど。
だから少女は、正しさを求めた。そのための強さを欲した。
苛烈なまでの正しさと、果てのない強さを。
そしたらいつかは、この衝動は消えてくれるのではないかと思ったから。
けれどいつまで経っても消えなくて、いつだって強がるばかり。その裏に弱さを隠し、逃げるようにして正しいと思うことをなす。
皮肉にも、消えて欲しいと願った殺人衝動を振りまわしながら。
強さも、欲求も、本能も、弱さも。
全て、消えて欲しかった。なくなって欲しかった。
そのはずなのに。
殺人姫の少女は、今一度新たに願う。
どうか、私から弱さを奪わないで。
◆
ソロモンの悪魔、序列七十一位のダンダリオンは、人の心や精神を操る悪魔だ。
相手の思考を読み、精神を魂ごと反転させることすらも可能とする。
なるほど、聖剣の担い手である後輩がやられてしまうわけだ。
何度かの交錯を経た後、愛美は冷静に敵の力を見極めていた。
全力の状態であれば勝てない相手じゃない。単純な実力で言えば、バアルやバルバトスの方が上だ。
心を読むと言うのなら、何も考えなければいいだけ。あるいは、心を閉ざしてしまえばいいだけ。桐原愛美にはそれが出来る。
読心術なんてのは魔術でもある程度普及しているもので、故に対処法が確立されていないわけがない。
問題は、現在の愛美が全力の状態とは程遠いことだ。
「ンンン〜〜〜、いい攻撃ですねぇ! 真っ直ぐで曇りなく、汚れを知らない美しい太刀筋! 糸井蓮と同じだ! 実に小生好み!」
「あんたに好かれても反吐が出るだけよ!」
振るう刀は何度となくやつの魔導書に防がれてしまい、ゼロ距離から迫る光弾を巧みに躱して距離を取る。
愛美の動きが鈍くなっているわけではない。体術も魔術も、いつも通り最高のキレだ。ならなにが変わったのかと言うと、やはり戦い方だろう。
今まで拒絶の力に頼り切っていたツケだ。斬撃を防がれるなんて経験、片手の指で数えて足りる程度しかない。
舌打ちしながら大きく後退すると、すれ違いざまに背後から魔力砲撃が。膨大な熱量を持つそれが帯びるのは、悪魔を滅する使命を受けた天使の力。
ダンタリオンの体を容易く飲み込み、夜空へ向かって伸びていく。
「この程度で死ぬとは思えないね。とは言え、これ以上はジリ貧だと思うけど」
「うっさいわね、分かってるわよ」
隣に立つのは純白の翼を広げ、頭上にエンジェルハイロウを浮かべた小鳥遊栞。日本支部の生徒会長であり、人類最強の妹。天使と悪魔の力を自在に操る異能を持つ者だ。
「それに、あちらも心配だ」
言われて見やった先では、葵とカゲロウ、緋桜の三人が蓮と戦っている。
今の蓮は三人の力を持ってしても苦戦するのか、数の有利すら覆されそうな勢いだ。
「こんなやつさっさと片付けて、向こうを助けに行きたいんだけど……」
「そう簡単には終わらせてくれないだろうね」
視線を戻し、無傷のダンタリオンと再び相対する。老婆の顔は愉快げに歪められていて、癪に触る声が響いた。
「忌々しい力ですねぇ。小生たち悪魔の力だけでなく、怨敵天使の力まで使うとは」
「お気に召して頂けたようでなにより。せっかくの機会だから、フルコースで味わって欲しいね」
睨み合う両者。
栞の援護は大変心強いが、あともう一押しが足りない。悪魔に死の概念はなく、幻想魔眼を用いてようやく殺せる。栞の力は例外だ。天使の力を使う彼女なら、単体で殺し切ることが可能。
しかし、単純な実力として栞だけでは届かない。そこに愛美が加わったところで焼け石に水だろう。
織か朱音、どちらか一人でいいからこの場にいてくれれば。
膠着した状況の中、ダンタリオンが何かに気づいたように大きく下がった。悪魔の立っていた場所に、白い炎が無数の鏃となって降り注ぐ。
後退した悪魔へ、黄金の斬撃が迸った。防護壁が展開されるが、無駄だ。その黄金はあらゆる邪悪を討ち滅ぼすのだから。
「マジで殺人姫がもう一人いるじゃねぇか」
「栞と一緒にいるし、有澄の言った通りだったね」
「龍さん! ルークさん!」
現れた転生者二人の名前を呼べば、僅かに警戒の色を映した瞳が向けられる。やはりこの二人も、愛美を敵と認識しているのか。
後輩たちや緋桜だけでなく、転生者ほどの実力者まで。
もしかしたら、織や朱音も。私のことを敵だと思ってるかもしれない。
そんな胸中の不安は無理矢理追い出す。今考えても仕方ないことだ。まずは目の前の悪魔をどうにかして、あの言葉の意味を問い詰めなければ。
「これはまた、随分状況が混乱してますね」
頭上から降ってきた声に顔をあげれば、そこには豪奢な赤いドレスを纏った貴婦人、イブ・バレンタインの姿が。
しかし彼女の手から伸びている鎖が縛っているのは、あまりにも予想外の人物で。
「私……?」
「驚いた、桐原さんが二人いるじゃないか。一人くらいは食べちゃっても怒られないかな?」
隣の栞がふざけたことを言っているが、そちらに構う余裕などない。
誰に何を説明されずとも、理解できてしまう。そこにいるもう一人の自分こそ、この身から抜け落ちたものなのだと。
「愛美」
イブが、名前を呼んでくれた。愛美のことを覚えている。栞以外で初めて、ちゃんと自分のことを覚えている人がいた。
胸に広がる安堵を隠して、見上げた先に声を返す。
「そいつをどうにかすればいいのね?」
「話が早くて助かります。悪魔の相手はわたしたちが引き受ける。その間に、あなたはやるべきことを」
「分かったわ」
鎖から解放されたもう一人の自分は、真っ先にこちらへ突っ込んできた。黒い髪を靡かせ、音よりも速く、殺人姫としての凄惨な笑顔が肉薄する。
振るわれる刀は全て躱す。まともに受け止めようとすれば、その時点で死が確定だ。
隙を見つけて水平の一撃を見舞えば、刀の腹を殴られ軌道を逸らされる。
「集え、我は星を繋ぐ者!」
簡略化した詠唱を紡ぎ、袈裟斬りを放とうとしていた殺人姫へ七つの刃が襲いかかった。咄嗟に距離を取ってくれたことで事なきを得たが、今のは迂闊だった。
あちらの方が本能のみで動いている分、動きのキレがいい。理性で押さえつけている今の愛美では、真正面からぶつかるのは得策と言えない。
どう戦うかと思案する暇も与えられず、殺人姫は再び接近して激しく攻めてくる。それを七つの刃と己の体術のみで凌ぎ切るが、いつまでも続けていられるとは思えない。向こうは人間の身体的リミッターなんぞないだろうから、体力が先に切れるのはこちらだ。
実の所、愛美はもう一人の自分をどうすればいいのか、よく分かっていない。こいつと戦えばいいことは分かる。現在起きている異変が、自分たちを起点としていることも。
だったら、もう一人の自分を倒して殺せばいいのか、あるいは別の正解があるのか。
だけど、愛美にしかこの状況をどうにかできないことだけは、ちゃんと理解している。
「ああもうっ! こういうのは柄じゃないんだけど!」
大きく距離を取って術式を構成する。普段なら使わない、使う必要もない術式。賢者の石に記録されたそれを魔法陣として展開し、詠唱を紡ぐ。
「術式解放! 其は虚無を飲み込む重力の檻!」
魔法陣から現れたのは黒い球体。重力の塊、事象の地平線とも呼ばれるもの。
すなわち、ブラックホール。
あらゆるものを飲み込む球体は殺人姫の体を引き寄せるが、もはや当然の如く一刀の下に斬り伏せられた。
しかし、決定的な隙を作ることはできた。
消えていく球体の中から、殺人姫の懐へと潜り込む。放つのは斬撃ではなく、右の脚。相手は咄嗟に刀で防御しようとしている。ご丁寧に刃の部分をこちらに向けて。
だから蹴りの動作を途中でキャンセルし、左の拳を放った。刀の腹に命中すれば、刀身が粉々に砕け散る。
亡裏の体術、その技の一つ。虎鋼。
武器破壊に特化した技は、やはり普段なら使う必要のないもの。切断能力を失っていたとしても、愛美本来の体術や戦闘技術まで失われるわけではない。
相手も同じ私。条件の差異はあれど、負けるわけにはいかないのだ。
「これで厄介な異能は封じたわよ。さて、次はどうしてあげましょうか」
次の術式を構成していく。どうやらあちらは魔術を使えないみたいだから、後は少しずつ追い詰めていくだけ。
そう思っていたのも束の間。殺人姫が懐から短剣を取り出した。
「まあ、そりゃ持ってるわよね……」
嫌な汗が頬を伝う。
我ながら切断能力はかなり厄介な異能だ。その媒介となる刃物は先に潰しておきたかったのだけど。
概念強化は既に全力で、グランシャリオも目眩し程度にしか使えず、賢者の石に記録されている魔術は全てが斬り伏せられる。
魔術を使わずとも互角以上に戦われるとは。予想外というわけでもないが、このままではジリ貧だ。
殺人姫はその笑みをより一層深くしている。
もっと殺し合おうと、楽しもうと、狂気じみた殺意と共にそんな感情が伝わってくる。
これは、私の弱さの結晶だ。
殺人への飽くなき欲求や衝動、本能といったものの擬人化。亡裏の拒絶が齎し、桐原愛美が弱さだと隠していたもの。
どう足掻いても消せなくて、だから免罪符のために正しさを求めた。強さを欲した。
結局強がることしか出来なかった私が、いつまでも目を逸らしていたもの。
「愛美!」
「母さん!」
耳に馴染んだ、聞き慣れた声が二つ。絶対に忘れることなんてなくて、絶対に覚えていると信じていた家族が、振り返った先に立っていた。
「織、朱音……」
一瞬だけ、泣きそうになってしまった。胸に込み上げるものをギリギリで押さえ込む。
信じていたけど、でも、心のどこかに不安はあったから。
二人の顔を見て、答えを理解した。私は、もう一人の私に対して、どうすればいいのかを。なにをしてやればいいのかを。
「強がるだけじゃ、ダメよね……」
既に目前へ迫っていた殺人姫に向き直る。襲いくるのは短剣による刺突。的確に心臓を狙った一撃を前にして。
愛美は手に持つ刀を捨て、その短剣を受け止めた。
◆
事務所でまったり過ごしていたらいきなり大きな魔力の反応を捉え、その後突然現れた有澄からの報告を聞いて。念のためサーニャと翠には待機してもらい、朱音と有澄の三人でやって来た市立高校。
そこで織は混沌とした状況を見て、事前に聞いていたにも関わらず唖然とした。
後輩たちと緋桜の三人は蓮と戦ってるし、転生者の二人にイブ、学院で見かけたことのある少女の四人がソロモンの悪魔を相手に圧倒的な力で叩き伏せてるし。有澄もそこに参戦して、彼我の戦力差は絶対的。それでもダンタリオンは不気味に笑いながらのらりくらりと体を動かす。
なにより、愛美が二人もいる。しかもその二人が戦っていると来た。
でも、どちらが本物かなんて一目見て分かる。見間違えるわけがない。
強い光の宿った眼差しを。空色に輝く彼女の心を。
「愛美!」
「母さん!」
朱音と二人で叫べば、振り返った愛美の顔が一瞬、くしゃりと歪む。まるで泣きそうな、迷子の子供が親を見つけた時のような。
けれどほんの一瞬だけ。すぐに覚悟を決めたような表情へと変わったと思えば、そこから先はあっという間だった。
「強がるだけじゃ、ダメよね……」
漏らした呟きがここまで届く。右手の刀を地面に捨てるのを見て、織も朱音も目を丸くする。
同じ顔の少女が持つ短剣が、その胸に、心臓に深く突き刺さった。
「なにやってんだよ……!」
「来ないでっ!」
急いで駆け寄ろうとしたその足は、愛美自身の声により止められる。
胸から夥しい血を流し、口の端から伝う赤が彼女の白い肌を汚す。
「私は、織や朱音みたいには出来ない……自分の弱さが許せなくて、ずっと逃げて来た……でも、今日で終わりにするわ」
胸から短剣が抜けないことに戸惑っている殺人姫の体を、愛美は優しく抱きしめた。
桐原愛美という少女は、いつだって強がりながら生きてきた。
未来から来た娘の正体を知った時も、親友を失った時も、世界を飛び回っていた時も。
空が夜に染まり、この街に住む多くの人が魔物に蹂躙された時も。
自分の弱さが許せなくて、弱い自分に現実が合わせてくれるはずもなくて。だから、自分がこの現実に合わせないといけない。強がらないといけない。
じゃないときっと、優しすぎて正しすぎる彼女の心は、容易く折れてしまうから。
その身を苛む殺人への飽くなき欲求が、爆発してしまうから。
殺人なんて最悪な行為に快楽を見出す自分が、嫌で嫌で仕方なかった。愛する男や大切な家族にすら向けてしまうこの衝動を、消してしまいたかった。
いつか本能に全てを飲み込まれて、守るべき人たちすらもこの手にかけてしまうかもしれないと、怖かった。
彼女の強がりは、不安の裏返し。その奥に弱さを隠して見て見ぬ振りするための。
「もう逃げない。失くなってから初めて気づいたわ。あなたも私の一部。私は強がることしか出来ないけど、それでも。いつかあなたも、私の強さの一つなんだって、そう言いたいから」
織のように、弱さを受け止めて、弱いままで前に進むなんてことはできない。
朱音のように、弱い自分を自戒の仮面へと変えることもできない。
だったら愛美は、どこまでも強がる。強がって強がって、いずれその弱さすらも己の強さへと変える。
大切な家族が血を流しているのに。
抱き合う同じ顔の二人を見て、織は眩しく美しいものだと感じてしまう。その光景に見惚れ、目を奪われる。
やがて殺人姫の体が淡く光り出し、粒子となって霧散する。同時に、街を覆っていた透明の壁がガラスの割れるような音と共に砕けた。
愛美が胸に受けた傷は元からなかったように再生していて、けれど制服と肌を汚す赤だけが痛ましい。
あまりにも目を引く光景に、全ての戦闘が一時中断される。その場の全員が愛美へ視線を向けて、中でも葵たちはかなり驚いたような、信じられないと言ったような目をしていた。
「なんで、私……愛美さんのこと……大好きな先輩のことをっ……」
「忘れてた、のか? いや、敵だと思ってた……? あいつを?」
葵は眦に雫を溜めて、カゲロウは片手で頭を押さえて、先程までの認識に戸惑っている。しかし一方で緋桜は、その目に怒りの色を濃く映していた。
「ンンン〜〜〜、こうなってしまってはつまらないですねぇ。魔女にしてやられた、といったところでしょうか」
「ダンタリオン……! お前は、どれだけ人の心を弄べばッ!」
「おや、おや、おや。とてもよい怒りだ。しかしそれが小生の生き甲斐であるからして? やめて欲しければ、小生を殺す他ありませんねぇ!」
「だったら望み通り殺してあげる」
不可視の斬撃が迸った。
あらゆるものを拒絶する力。物理的概念的問わず、彼女が斬れると思ったものの全てを切断する異能が、悪魔の体を八つ裂きにした。
血が噴き上がり、校庭の砂をグロテスクな赤に染め上げていく。
「おや、おや、おや。不意打ちとは卑怯ではありませんかぁ?」
幼い少年の顔をした悪魔は、しかし次の瞬間には無傷で同じ場所に立っている。
やつらの体を構成するのは魔力だ。契約者から送られてくる魔力により肉体を構成しており、つまりその魔力を絶たなければ無限に復活する。
そもそも、悪魔に死という概念はないのだから。殺すことすら叶わない。
「詳しいことを聞こうと思ったけど、気が変わったわ。あんたはここで殺す。織、朱音!」
「おう!」
「任せて!」
名前を呼ばれたことに言葉にできない喜びが込み上げてきて、つい笑みが漏れてしまう。
俺たちの知ってる愛美が帰ってきたんだ。みんなの認識も元に戻って、後は今回の元凶である悪魔を倒すだけ。
瞳をオレンジに輝かせ、取り出した銃剣の引き金を引く。悪魔が弾丸を躱した先には、短剣を構え同じオレンジに瞳を染めた朱音の姿が。袈裟にかけて絶死の一撃が振るわれるが、ダンタリオンの体を斬り裂く直前、互いの間に影が躍り出る。
「……ッ、師匠……!」
咄嗟に異能をオフにしたのか、空色の短剣と黒一色の聖剣がぶつかった。単純なパワーでは蓮が上なのか、無理矢理振り抜いた剣に朱音の体が弾き飛ばされる。
チラと後輩たちの方を見てみたが、二人はもう限界だ。元より万全とは程遠い状態だったのだから仕方ない。むしろよくやってくれていた方。
それでも立ち上がろうとする葵とカゲロウへ向かって、織は引き金を引きながら叫んだ。
「お前らは休んでろ!」
「でも……!」
「ふざけんな織、こんな時になんもすんなって言うのかよ!」
「その通りよカゲロウ」
言葉を返したのは織ではなく、空色に輝く刀を携えた、本物の殺人姫。
苛烈な正しさと鮮烈な優しさを併せ持つ少女は、取り戻した殺意をカケラも遠慮せず周囲に振りまいている。
「
「ンンン〜〜〜、それは少しまずいですねぇ。ここは退くとしましょう」
「逃すわけないだろ!」
撤退の姿勢を見せたダンタリオンと蓮の周囲に、織の魔法陣が展開される。その全てから魔力砲撃が放たれ、二人の体を呑み地面を抉る。しかし黒い光が一瞬輝いたと思えば、蓮の聖剣により砲撃の全てを掻き消された。
予想以上に強くなっている。蓮本人や聖剣の魔力出力は、以前の比にならない。
「
瞬く間に懐へ潜り込む愛美。逆袈裟に振われた空色の刀身が、蓮の手元から聖剣を弾き飛ばした。異能をオフにした上での概念強化。その威力、衝撃に耐えられなかったのだ。
体を仰け反らせる蓮を蹴り飛ばし、愛美はダンタリオンへ肉薄した。
「やりますねぇ! さすがは本物の殺人姫! 序列一位にも引けを取らぬ強さですよ!」
「私を忘れてもらったら困りますが!」
愛美の攻撃を意外なほどに俊敏な動きで躱す悪魔に、朱音の銀炎が襲いかかる。同時に離脱した愛美が、無形の斬撃を飛ばした。
それらを空中へ転移して躱し、ダンタリオンは手に持つ魔導書を広げる。空気中の魔力がそこへ収束していった。
なにかするつもりだ。あの魔導書の正体は不明。中に記された魔術がどのようなものか、全くわからない。
撃たれる前に倒す。
織と朱音が銃口に魔法陣を展開し、愛美が居合いの構えを取った時だった。
「
背後に、闇色の斬撃が迫る。
振り返って銃口の向ける先を変え、二人は同時に引き金を引いた。
二つの極光が、漆黒の光とぶつかる。織と朱音が賢者の石を全力で稼働させてなお、押し切れない程の圧倒的魔力放出。
これが堕ちた聖剣の力。
一瞬の拮抗の後、一筋の剣閃が奔る。
聖剣の光は愛美の一刀によって容易く両断された。しかし光が晴れた先に蓮の姿はなく、ダンタリオンもどこかへ消えていた。
「逃したわね……」
舌打ち混じりに言う彼女は、いつもの愛美だ。ただ殺意を振り撒くだけの、本能の塊などではない。
今更ながらとてつもない安堵が胸の中に広がって、織は大きな息を吐いた。
「結局なんだったのよ、今回の事件は」
「俺らも詳しく把握してるわけじゃないんだけどな。もう一人のお前がいただろ? あいつがこの街を隔離して、みんなの認識を狂わせてた核なんだとよ。有澄さん曰く、色んな魔術が絡まり合ってたせいで、あの人でも詳しいところまでは分からねえらしい」
その有澄はどこかと見渡してみるが、既にこの場から離れていた。恐らくは街の隔離が解けた時点で、学院本部へ飛んだのだろう。龍とルークは残っているが、二人はどうも今の戦闘で被害が街や校舎の方にまで広がらないよう尽力してくれていたらしい。非常に申し訳ない。
「ダンタリオンの言葉からするに、本来ならもっと違う効果を発揮する魔術だったみたいなのよね……多分、私が二人にならず、私のままで本能に呑み込まれるとか、そんな感じで」
「じゃあなんで母さんが二人になってたの?」
それこそ、色んな魔術が絡まり合っていた結果なのだろう。ダンタリオン以外の何者かが、やつの術式に細工を施したか、あるいは乗っ取って別のものに書き換えたか。
一体誰が、なんのために。
その答えらしきものを、織はやつの口から聞いたような気がした。けれど、頭の中で何度も否定を繰り返す。ダンタリオンの言葉はあり得ないものだ。
だってあいつは、俺たちを守って死んでしまい、この世界のどこにもいないのだから。
「魔女」
しかし目を背けようとする織の耳に、愛美のはっきりとした声が届く。
朱音もある程度は予測できていたのか、驚いた様子は見せない。けれど表情は浮かないものだ。
あり得るはずがない。あいつは死んだ。
何度自分に言い聞かせても、織自身薄々とわかっていて。
やがて愛美は、はっきりと言葉にしてしまう。
「魔女は、桃は生きてるかもしれない」
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