第149話
ドラグニアより南、海を隔てた向こうにある大国ローグへとんぼ返りする形になってしまったアリスは、城都の様子を見て唖然としていた。
「酷い……」
道に倒れているドラゴンたち。普段は人間態や小さな姿に変わっている彼らは、本来の姿に戻されて意識を失い、死んだように眠っている。
パートナーの人間たちは戸惑い、悲鳴を上げて助けを求めていた。
原因は分かりきっていた。
夜の街に降る雪に含まれた毒の仕業だ。脱走したというスノーホワイトが降らせている。
それが毒である以上、スノーホワイトを倒して全て元通りとは考えられない。アリスは解毒の術も持ち合わせていないし、またナインに頼むしかなさそうだけど。
「城も事態は察知しているはず。ならナインにこの状況が伝わっていないはずもありませんね……」
だったらアリスのやることは一つ。
この城都から更に南下している反応を捉えた。雪を降らせている雲も南へ広がっていて、スノーホワイトの通った場所に沿っている。
ローグの城都より南には、いくつか大きな街があったはずだ。道中で村や集落もあるし、このまま進まれると被害が広がるばかりになってしまう。
龍の巫女として、黙って見過ごすわけにはいかない。この世界に住まう人とドラゴンを守ることこそ、アリス・ニライカナイの使命だから。
上空に飛び立ち、手に持った愛用の杖を一振り。それだけで空に超巨大な魔法陣が広がった。ローグの城都はおろか、国全体を覆うほどの巨大さだ。
やはりこの世界の魔力は体によく馴染む。あちらの世界では不可能なレベルの魔術行使も、難なく行えるほどに。
雪が降り止み、雲が晴れる。夜空には光り輝く粒子が舞っていて、魔法陣へと吸い込まれた。まるで星が天に登るように幻想的な光景は、地上の人々の目を奪う。
小鳥遊蒼が彼方有澄とアダム・グレイスの二人とともに作り上げた魔術。この世界の魔導すらも応用した最強の一端。魔導収束。
捕捉している反応の先へ転移すれば、真っ白な体毛に全身を包んだドラゴンが。
やはりその瞳に理性は残されておらず、暴走状態にあるスノーホワイトは体全体から毒を含んだ魔力をばら撒いている。
「わざわざ雪を降らせるまでもないということですか。いや、これはさっきの雪と違って、命を奪う類の毒ですね。なりふり構う余裕がなくなりました?」
その毒に晒されて、唸りをあげるドラゴンに強く睨みつけられても。有澄は臆することもなく、それどころか余裕の表情を浮かべたままだ。
クスリと笑みを一つ見せれば、スノーホワイトは怯えたように体を震わせる。龍の巫女と似た存在であり、そこらのドラゴンや魔導師では敵わないほどに大きな力を持つのに。
目の前に飛ぶ世界最強の女性が怖くてたまらない。理性が残されていなくても、遺伝子に刻まれた本能が恐怖を叫ぶ。
「■■■■■!!!!」
「そう怖がらないでくださいよ。楽に殺してあげますから」
恐怖に突き動かされて、スノーホワイトが弾丸のように突っ込んでくる。軽やかに身を翻して躱し、空に向けて手を翳した。
広がったままだった巨大な魔法陣が、濃密な魔力の塊となって手元に収束する。
槍の形を作った魔力を握り、宙を駆ける。スノーホワイトの放つ氷柱を巧みに躱し、勢いのままに白い体へと突っ込んだ。
胸に風穴が開く。ドラゴンに比べると小さな人の体が貫通して、背後に出た有澄は軽い調子で槍を投擲した。
「
大気を切り裂く槍は、その軌跡の空間全てを破壊し凍結させながら突き進む。放たれただけでその場を滅茶苦茶に壊してしまう主神の槍は、スノーホワイトの脳天に突き刺さった。
本来なら広域殲滅用の魔術だ。破壊と凍結を周囲に撒き散らしながら突き進むはずの力を、一点に収束させている。
瞬間的に全身が凍りつき、砕け散る白い巨体。オーバーロードを使うまでもなく、勝敗は決した。
「さて、ナインの様子でも見に行きますか」
戦いの余韻に浸ることもなくすぐに転移する。出た先はローグ城の一室。龍の巫女、ナイン・エリュシオンに与えられた研究室だ。そこでは疲労から机に突っ伏した深緑の髪の友人が。
「ナイン、お疲れ様です」
「あー、アリスちゃん……お疲れ様ぁ〜」
「本当にお疲れのようですね。首尾は?」
「暴走してた方の薬は完璧だよ。すぐに王様にお願いして、各国に行き渡らせた。城都の眠っちゃったドラゴンはさっき自分で治してきたから安心して」
さすが仕事が早い。あとは本拠地を叩くだけだが、そっちはどうやら織たちが向かってくれているらしいし、解決も時間の問題だろう。
「それと、ノウム連邦にも敵が出たんだってぇ。ラプンツェル? って名乗ってたみたいだけど、もう倒しちゃったみたい」
「ラプンツェルですか……それはまた、相性が悪かったですね」
ラプンツェルは塔の上からとても長い髪を垂らしているお姫様だったか。有澄自身もその辺りの知識は曖昧だ。白雪姫やシンデレラほどの知名度がないから仕方ない。
しかし、ノウム連邦に滞在している龍の巫女は炎の龍神を宿している。ラプンツェルがどの様なドラゴンなのかはもはや知る由もないが、有澄とは犬猿の仲にある彼女は悉くを燃やし尽くす人だ。
自慢の長い髪も無惨に燃やされてしまったことだろう。
「ともあれ、ありがとうございました。お陰でなんとか終わりそうです」
「そうなの? アリスちゃんのことだから、今からまた本拠地に乗り込んで楽しんでくるのかと思ってた」
「あなたはわたしをなんだと……そっちは別の人たちに任せてます。頼りになる子たちなので、すぐに終わりますよ」
「異世界から来た子? あたしを助けてくれた子もだよね?」
「ええ。今度紹介します」
最後に挨拶して部屋を辞そうかと思った時だった。
全身に、重たい圧を感じた。
地面が揺れる。いや、違う。そう錯覚するほどの重圧がのしかかっている。
気がついたのは有澄だけじゃない。さきほどまで机に突っ伏していたナインですら、一瞬感じたその力に立ち上がって驚いている。
「今のは……」
「アリスちゃん、これ、もしかしてヤバいんじゃないかな……」
「もしかしなくても、ですね。行きますよナイン。これはさすがに、織くんたちだけじゃ手を焼きますから」
◆
巨大な結晶の中に、毒々しい紫の体をしたドラゴンが眠っている。
邪龍ヴァルハラ。
この世界においてミハイル・ノーレッジが復活させようとしていたドラゴンだ。
結晶には様々な機械が取り付けられていて、恐らくは親機であるコンピューターを翠が弄っていた。
カタカタとキーボードを叩く音だけが響く時間を、かれこれ十分は過ごしている。
「どう? なんとかなりそうなの?」
「魔力の供給はストップさせました。今は自壊コードを起動させてる最中です。もう少し待っていてください」
ともすればコンピュータよりも機械的な声を返された、尋ねた愛美は押し黙る。
それにしても、自壊コードとかなんのために用意していたんだと、織は結晶を見上げながら思う。
自壊だの自爆だの、そういうスイッチが存在するロボットなんかは色んなところで散見するけど、それって意味があるんだろうか。
なんて、それこそ意味のない思考に時間を費やしていると、あっ、というなんかヤバそうな声が。
「翠? 今の声なに?」
「……」
隣で作業を眺めていた朱音が聞いても、灰色の少女はなにも答えない。
ゆっくり、錆びた機械のように首を振り向かせた翠は、なぜか冷や汗を流していて。
「自壊コードを起動させていたはずなのですが……」
その続きは聞く必要もなかった。
空洞の中で地響きが鳴り、地面が揺れ始める。明らかにヤバいやつだった。
「ちょちょちょ、なにしたんだよオイ!」
「すみません、罠だったようです。一定の力が集まっていれば目覚めさせるコードを打ち込んでしまいました」
無表情でテヘッとか言ってみせる翠。可愛いけどそれどころじゃない。
音を立てて崩れ始める結晶。近くにいた翠と朱音は急いで織たちの方に下がる。それぞれが得物を構えて見つめる先には、結晶から解放された紫の毒々しい色をしたドラゴンが。
『ふははははは!! ついに、ついにこの体を手に入れたぞ! 礼を言うよ諸君! 君たちのおかげで、私は全てを手に入れることができる!』
ドラゴンから聞こえてきた声は、聞き覚えのあるもの。まさかと思って翠の方を見てみれば、彼女は苦々しい表情でドラゴンを見上げている。
どういう理屈かは分からないが、ミハイル・ノーレッジの意識は邪龍ヴァルハラへと移されていた。
本当にしぶといやつだ。そして今回は、今までのように簡単には殺せない。
ドラゴンの全身から放たれる魔力は異常の一言に尽きる。重い圧が体にのしかかり、空洞の中は地響きが止まない。天井から岩が落ちてきて、崩落するのも時間の問題だろう。
まだやつはなにもしていない、ただその場にいるだけなのに。
「図体がデカくなっただけで、随分と偉そうにするじゃない」
『分からないかな、この圧倒的な力が! 全てを凌駕し、平伏させるこの力が!』
「知識を求めて力に呑まれたってんじゃ本末転倒ね。手段と目的が逆転してる。酷く哀れだわ」
『邪龍の力を目の当たりにすれば、そんなことも言えなくなる!』
愛美の挑発を受け、邪龍の咆哮が響く。身に纏う魔力が急激に上昇して、全方位に魔力砲撃が乱射された。
ドラゴンの体からすれば細く思えるそれも、人間を飲み込むには十分な大きさだ。
「なんで挑発したんだよ!」
「ミハイル・ノーレッジの一番厄介なのはあの頭脳でしよ。怒りで我を忘れさせれば、そこはクリアできる。あのドラゴン自体も、別に完全復活ってわけじゃなさそうだし」
「その通りです。本来なら龍の巫女を殺して力を吸収するはずだったところを、その紛い物で代用している様子。そのうえ数も足りていない。目覚めるには十分だったようですが、万全の状態ではありません」
「殺すなら今しかない、ってことだね」
迫り来る光を躱しながら、織と朱音が魔力弾を放つ。紫の体に直撃はするものの、ダメージが通っているようには見えない。
いや、それ以前に。このままここで戦闘を続けるわけにはいかない。ただでさえ崩落間近だったのに、ヴァルハラの砲撃のおかげでもう長くは持たないだろう。
それはやつも察しているのか、体と同じ色の燐光を漏らした口を天井へ向けた。
「翠、上の状況は⁉︎」
「この上は都市部から離れた森の中です。地上に出ても問題ないかと」
その言葉に安心したのも束の間。
上に伸びた紫の光を見て、絶句することになってしまった。
地上に向かって開いた穴。放たれたブレスの軌跡にあったものは、その全てが消滅していた。
空洞を覆っていた岩も、地上の木々も、全てが跡形もなく。
余波の衝撃は暴風を巻き起こし、立っているのがやっとだ。全身に強化をかけて踏ん張っているが、気を抜くと吹き飛ばされてしまう。
ドラゴンが撃つブレスがどれだけ強力なものかは、理解しているつもりだった。以前エルドラドと戦った時だって、やつのブレスは街の半分を全壊させたのだから。
エルドラドと同等かそれ以上。
真正面から受ければ防ぎ切れるかどうか。
いつまでも驚いているわけにはいかない。ヴァルハラは翼を広げ、開いた穴から地上へと向かった。
「追うぞ!」
翠の転移で地上に先回りし、術式を構成する。ヴァルハラの出てくる穴へ向けて、翠と朱音、織の三人が魔力砲撃を放った。
これで再び空洞へ落ちてくれれば、崩落に巻き込めるのだが。そう簡単にいくわけもなく、三人の砲撃をその身に受けてなお、ヴァルハラは止まることなく地上へと突き進む。
「マジかよこいつ!」
「一旦下がりなさい!」
舌打ちと共に砲撃をやめて大きく後退する。織たちがいた場所にはヴァルハラの巨体が飛んでおり、砲撃によるダメージも見られない。
とてつもない防御力は、エルドラドのような異能じみた力じゃない。やつが纏う魔力ゆえのもの。しかもただの魔力じゃなくて、龍神の力とやらが混ざっている。
「有澄さんが言ってた。この世界のドラゴンはみんな、龍神であっても例外なく、逆鱗が弱点だって」
「顎の下辺りだっけか。懐まで潜り込まないとダメじゃねえか」
話している間にも、紫の体からは再び砲撃が全方位へ乱射される。空中を飛びながら躱す四人だが、これでは中々やつの懐へ潜り込めない。
愛美の狙い通り、やつの頭脳は完全に機能していないようだが、単純な力だけでも十分厄介だ。
「なんとかして隙を作るしかないわね。翠、トドメはあなたに任せるわ」
「分かりました。わたしの手で、今度こそ終わらせます」
翠が力強く頷いたのを確認して、殺人姫と敗北者が宙を駆ける。織にとっては近づく隙のない乱射の中でも、あの二人にはそのための道が見えている。
巧みな空中軌道で肉薄した二人は、それぞれドラゴンの両翼へと刃を振るった。
「「
紡がれるのは同じ魔術。魔力の刃を伸ばした刀と短剣が振り下ろされる。しかし刃は翼を斬り落とすことなく、甲高い音を鳴らして見たこともない魔法陣に阻まれていた。
亡裏の拒絶が機能していない。
四人ともが驚愕に目を見開く中、愛美と朱音の斬撃を防いだ魔法陣が輝きだす。
放たれるのは渦巻く風の刃。それ自体は二人とも斬り伏せることで対処できているが、ヴァルハラには通用しなかった。
後退して織と翠に合流した二人は、やはり苦しげな表情を見せている。
「まさか斬れないとはね……」
「ここが異世界だから、本体には通用しないのかな」
キリの力の一つである拒絶。それが異能の形を持ったのが、愛美と朱音の持つ切断能力だ。ただのひとつも例外なく、悉くを斬り伏せる力。
しかし、キリの力はあくまでもこちらの世界のもの。異世界であるここでは十全に発揮できるわけではない、ということか。
それは織の幻想魔眼も同じだ。自分自身を対象にするならまだしも、この世界のものに対して使おうとすれば、どうにも上手くいかない。
愛美は空の元素を使えないこともあるし、かなりのハンデを抱えてしまっている。
「それでもやるしかないでしょ。有澄さん達の助けを待つわけにもいかないんだから」
「だね。エルドラドの時みたいに、使い方を変えればいいだけかもしれないし」
果敢にも再び突っ込む親娘。刃を振るうたび魔法陣に阻まれ、反撃は斬り伏せてまた剣を振るう。
さすがに余裕が無くなったのか、乱射されていた砲撃も止んだ。周囲の地面は抉れ木々は薙ぎ倒されているが、これでようやく織も近づける。
「術式解放! 其は大海を割る嵐の剣!」
ヴァルハラの頭上まで飛び上がり、天に掲げた腕の先に巨大な剣が出現した。それを渾身の力で振り下ろす。
愛美と朱音に気を取られていたせいで防御が間に合わず、大剣は邪龍の脳天に直撃した。しかし魔力の鎧を纏った強固な鱗には傷が入るだけで、刃が通ることはない。
それでも、これまでで最も大きな隙が生まれた。それで十分だ。
灰色の翼をはためかせた翠は、すでに懐へ潜り込んでいる。
「我が名を以って名を下す。其は神をも滅する炎の槍、我が心を薪とし燃やし屠れ!」
燃え盛る魔力を纏った半吸血鬼の少女が、ハルバートを携えて弾丸のように突っ込んだ。翠自身が一本の槍となり、邪龍の逆鱗を穿つ。
『■■■■■■■■■!!!!!』
苦痛に歪む悲鳴が轟く。紫の巨体がぐらりと揺らいで地に落ちた。
だが四人はまだ警戒を解かない。ドラゴンがいかに強い生命力を有しているのか、嫌と言うほど理解しているから。
立ち上がったヴァルハラから、更に強力な魔力が発せられる。ここまでの比にならないほどに濃密な力。口から紫の燐光が溢れ、上空の四人に向けて放たれた。
「本当にしぶといわね!」
「どこにこんな力隠してたんだよッ」
散開して躱せば、背後の遠くにあった山へと光が突き刺さる。山頂をごっそり削られたそこを見て思わずうわぁ、と声が漏れた。
「直撃したらやばいね」
「しかし攻撃自体は直線状です。エルドラドのように、広範囲に渡る放射状のものではない。躱すこと自体は容易いでしょう」
再び飛び上ろうとするヴァルハラに向けて、それぞれが攻撃を放つ。魔力弾や砲撃、異能を乗せた斬撃は、しかし咆哮の一つに全て掻き消された。
さてどうするか。逆鱗への攻撃は有効だと判明したのはいいが、二度目となると容易く近づかせてはくれないだろう。あの咆哮を近距離でそのまま受けてしまえば、吹き飛ばされるだけで終わるわけがない。確実に痛手を被る。
しかし、遠距離からチマチマ攻撃しているだけでは、いつまで経っても倒せない。
結局はやつの逆鱗に有効打を与えるしかないのだ。
思考を巡らせながらも攻撃の手は緩めず、なんとかヴァルハラを地上に留まらせる。
膠着していた状況が動いたのは、突然だった。周囲の薙ぎ倒された木々たちが不自然に動き出し、鋭い鏃となって紫の巨体を貫いたのだ。
悲鳴を上げる邪龍。その背後に、ヴァルハラよりも更に巨大な、翼を持たない新緑のドラゴンが現れた。
この世界の秩序を守る、龍神エリュシオンだ。
突進して逞しい二本の角でヴァルハラの胸を貫く。そのまま空中へ放り投げた先には、しなやかな四肢を持った白く美しいドラゴンが。織たちも見覚えのあるその姿は、彼方有澄が変化したもの。
龍神ニライカナイ。
その口から吐き出された氷のブレスがヴァルハラに直撃し、巨大な体は瞬時に凍結する。
『織くん、シュトゥルムのリミッターを解除してください!』
「リミッターって、そんなのあるのかよ!」
出し抜けにそう言われても、シルヴィアからはなにも聞いていない。銃剣シュトゥルムの特徴といえば、変形機構のみだ。輝龍の力を宿したという割にはそれしかないとは思っていたが。
『龍神の娘が作った龍具です、シルヴィア本人も把握していない機能があるはず! 魔力を過剰に流せば勝手に外れるはずです!』
説明してくれている間にも、ヴァルハラは凍結から解放されて有澄へと襲いかかる。地上からエリュシオンの援護を受けながら、ニライカナイは氷柱やブレスで迎撃する。さすがに龍神の攻撃とあればかなり通用するのか、ヴァルハラの攻めも消極的なものだ。
「彼女の言葉は真実です。その銃剣は、魔力を過剰に流すことでまた別の姿へと変化するようですね。おそらくですが、龍の巫女が使うオーバーロードと同じ原理でしょう」
その異能で銃剣の情報を視た翠から補足が入る。
龍の巫女が龍神へと姿を変える際、魂へ魔力の過剰供給を行うことで発動される。
だからこその
「とりあえずやってみるか」
「朱音、私たちもまだやるわよ」
「当然。舐められたままじゃ終われないもんね」
振袖姿の殺人姫と仮面の敗北者が、もう一度ヴァルハラへ向けて駆けた。
エリュシオンの操る木々がまるで生き物のように蠢き、邪龍の体を縛り上げる。身動きの取れなくなったそこに、いくつもの氷柱が殺到した。躱す術を持たず全てを一身に受けるヴァルハラ。被弾した箇所から少しずつ凍結が進んでいる。
愛美と朱音が狙うのは翼だ。機動力を削いで後に繋げるため。
銀色の炎を纏った短剣が振るわれた。
「
魔法陣が展開される。たしかに朱音の斬撃は、さきほどもそれに阻まれた。きっと龍の力とやらが関係しているのだろうが、つまりはその防御をすり抜ければいいだけの話。
今現在の斬撃は防げても、過去のそれまでは防げない。
『■■■■■!!!』
悲鳴が上がる。左の翼に剣閃が迸り、ヴァルハラの体から離れ無惨にも地に落ちた。
時界制御。あらゆる時を自在に操る朱音の銀炎は、過去を斬ることすらも可能とする。ゆえに、朱音が短剣を振るうよりも前に、邪龍の翼は斬り落とされていた。
片翼をもがれ忌々しげに朱音を見つめるが、いつまでもそっちに気を取られているのは愚行としか言えない。
もう一人、右の翼へ迫る少女が誰だと思っている。
「異能が通じないなら、魔術と剣術でゴリ押せばいいだけよね」
残酷で壮絶な笑みを浮かべた殺人姫が、空色に輝く刀を構えていた。やはり同じ魔法陣を展開するヴァルハラだが、もはや愛美の前では意味をなさない。
「
刀と魔法陣がぶつかる。
それも一瞬だけだ。容易く斬り裂かれる魔法陣。勢いそのままに刃が邪龍の体へ滑り、一振りで二つの斬撃が。翼は十字に裂かれ、またしても地に落とされた。
概念強化。その最終型とも言うべきか。
斬撃の概念に作用させることで、一振りで二つの斬撃を放つ。更にそれぞれの斬撃には三つの斬撃が内包されている。同じ箇所に、全く同時に放たれる三つの斬撃。それが二つ。
一つ目を防いだところで、全く同じタイミングで襲いくる二つ目三つ目は防げない。矛盾が引き起こす事象崩壊によって、事実上防御不能の剣。
拒絶の通用しない灰色の吸血鬼を殺すために編み出された、桐原愛美最強の一撃。
両翼を失った邪龍。縛っていた木々からは解放されるが、空を飛ぶことはできない。自由落下で地に落ちるのみ。
だがその頭上を、テールコートとシルクハットの探偵が飛んでいた。
「ドラゴニック・オーバーロード!」
唱えるのは龍の巫女と同じ呪文。龍神の力を借りるという点においては、彼女らと全く同じ技だ。
手に持っていた銃剣が七つに分離、肥大化し、銃の部分を構成していた四つのパーツは織の右腕を肩から覆うように鎧になる。残りの剣を構成していた三つのパーツは、右肩の後ろで翼のように広がった。
龍神の娘、輝龍シルヴィアの力を宿した龍具シュトゥルムの、本当の姿。
纏う者に龍神の力を与える鎧と翼。
「お前のことは、一回この手でぶちのめしたかったんだよ!」
織たちの世界で好き勝手したネザーの代表としての記憶はもうなくとも、娘や後輩たちを弄んだこいつだけは、絶対に許すわけにはいかないから。
足元に魔法陣が展開される。それは織が本来使えるものではなく、この世界特有の、龍の力が込められた特殊な魔法陣。
右の拳に宿る輝きは、織自身の心を濃く反映させたもの。
全身の魔力を総動員させ、邪龍へと輝く右手を強く突き出す。
「
翳した右手から放たれるのは無尽蔵の光。濃密な魔力を伴い鏃となって、邪龍の体を穿ち大地へ落とす。
圧倒的物量とひとつひとつの光に秘められた威力を前に、ヴァルハラはなす術もなく全身を晒すのみ。
もはや力の残されていないヴァルハラは、紫の体を薄くしていて、今にも消えそうだ。
その喉元へ降り立つ灰色の少女は、抵抗もろくにできない邪龍の逆鱗へハルバートの矛先を向けていた。
『私が、死ぬ……? なぜだ……私はただ、この欲求を満たすためだけに生きていたのに……なぜ……』
「それが分かるあなたなら……きっとわたしは、あなたのことを父と呼べていたのに……」
『認めない……こんな結末は知らない……認めるわけにはいかない……!』
薄れ行く体をそれでも動かそうとするが、翠の異能によってそれも叶わない。
今にも泣きそうな、それでも強い決意を秘めた目で変わり果てたかつての主を見つめ、斧槍が振り上げられた。
「今度こそ、最後です。わたしは未来を向く。もう、あなたには縛られない」
炎を纏い、無慈悲な一撃が逆鱗を刈り取った。完全に消える邪龍の体。粒子となって夜空へ消える、ある種幻想的な光景を。
出灰翠は、いつもの感情が読めない無表情で眺めていた。
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