第148話
シンデレラ脱走の報告を受けて、拷問室へ急ぐ織と愛美。シルヴィアの先導で城の中を走るが、わざわざ地下の拷問室に行くまでもなかった。
「……っ、シキ、マナミ! 避けて!」
シルヴィアの叫び声に反応して気づく。
大きな魔力反応がすぐ近くに。走っている廊下の壁。その向こう側、つまりは外から。
「うおっと」
「派手な登場じゃない」
巨大な影が突っ込んできて、壁が派手に破壊される。咄嗟にその場から離れた二人は事なきを得たが、穴の空いたそこからは巨大なドラゴンが。
突入してきたと言うより、誰かにここまで吹き飛ばされた感じだ。
全身がガラスのように透き通った、金属質の皮膚。四つ足で廊下に降り立ち、織たちを睥睨する瞳には理性が宿っていない。
「父さん! そいつがシンデレラだよ!」
外から聞こえた声に視線を巡らせれば、そこにはロングコートを翻す娘と、アウターネックの黒いドレスに
どうやら織たちよりも早く事態を知らされ、暴れ出したシンデレラの対処に当たっていたらしい。
「とりあえず、ここで戦うの得策じゃないわね」
「どうする?」
「外に出す」
一歩。殺人姫が踏み出した。
次の瞬間には巨体の懐に潜り込んでいる。圧倒的な体格差のシンデレラをその足一つで容易く蹴り飛ばし、ガラスの体はひび割れながらもまた外に飛ぶ。
追うように織と愛美、シルヴィアの三人も城の外へ飛び立ち、朱音と翠の二人と合流した。
「有澄さんは?」
「ローグってとこで捕まえたスノーホワイトも脱走したんだって。そこにも龍の巫女はいるんだけど、今は手が離せないみたいだからそっちに向かってる」
「翠、もう魔力と異能を使えるのね」
「裏技を使いました」
いえい、と無表情のままピースをしてみせる翠。シュールな可愛さがある。
いちいちピースしたりするのは、姉の影響だったりするのか。
異世界に来た初日には魔力が使えない。翠の場合は異能も、演算をやり直す必要があると言っていた。
しかし現在こうして使えているのには相応の理由がある。
どうやら、朱音から血を分けてもらったらしい。以前まだネザーにいた頃は、注射器越しの関節接種でも暴走したと聞いたのだが。
「今回は暴走の心配もありません。ドレスを着ていますし、いざとなれば朱音が無理矢理押さえつけてくれます」
「ていうか、人の血って飲むものなの……? シキたちの世界は進んでいるのね……」
「わたしは遺伝子の七割ほどが吸血鬼、血を吸う鬼です。純粋な人間ではありません」
ゾッと顔を青くするシルヴィアに、翠は淡々と説明する。こちらの世界には吸血鬼に該当する種族はいないのか。あるいは織たちの世界では人間が人間の血を吸うのだと勘違いしていたのか。
どちらにせよ、吸血の影響とこの夜の恩恵で、吸血鬼てしての遺伝子が覚醒、演算速度も上がったということだろう。
情報操作の異能さえ使えれば、魔力を自力で適応させることもできる。
「頼もしい限りだな。で、どうだ?」
「どうやら時限式で効果が現れる薬品を、事前に打ち込まれていたようです。それで暴走し脱走を果たした」
「スノーホワイトってのも同じ感じかしらね。敵の本拠地は?」
「ガイゼン。ここから東にある小国のようですね。飛びますか?」
そうしたいのは山々だが、さすがに暴走しているシンデレラを放っておくこともできない。二手に分かれて戦力を分散させるのも得策じゃないだろうし、まずはこいつをどうにかしなければ。
構える織の前に、この世界で初めて出来た友人が躍り出た。
「ここはあたしに任せて。シキたちはガイゼンへ向かうといいわ」
「でもお前、今は夜だぞ?」
光を吸収しそのまま力に変えるシルヴィアは、太陽の光が常に届く昼間だと無類の強さを誇るだろう。
だが夜だと、心許ない僅かな光しかない。街はまだ明かりが灯っているし、月や星の光が地上まで届いているとはいえ、所詮はそれだけ。昼に比べるとかなり力が落ちてしまうのではなかろうか。
「安心して。たしかに太陽の光はないけれど、この国にはたくさんの輝きがあるのだもの。あんなやつに負ける道理はないから」
綺麗にウインクしてみせたシルヴィアに、光が集まる。
街や城、あらゆるところから収束される光は、ただの光ではない。織たち四人の胸の辺りからも光球が飛び出して、シルヴィアの体が輝きに包まれる。
本能でなにかを察知したのか、真っ直ぐ突っ込んでくるガラスの巨体。
しかし強く発せられた光がそれを阻んだ。
「あたしは龍神の娘、輝龍シルヴィア。みんなの持っている心の輝きが、なによりの力になる!」
眩い光が晴れたそこには、大きな翼を広げた輝くドラゴンが。
現れると同時に放たれる光の槍が、シンデレラに突き刺さる。苦痛に歪む悲鳴が響き、ガラスの巨体が城の庭へ落ちた。
『さあみんな、今のうちに行って!』
「サンキューシルヴィア」
「ここは任せたわよ」
翠に合図を送れば、こくりと頷きが。
音もなくその異能で転移した先は、広い空洞だ。ガイゼンという国のどこかは知らないが、洞窟の中であるのは確かだろう。
二十メートルはある高い天井の下に、大きな結晶がひとつ。周囲には様々な機械が取り付けられていて、配線のようなものが結晶に伸びている。
「ドラゴン、か……?」
その結晶の中で。毒々しい紫色のドラゴンが眠っていた。
「邪龍ヴァルハラ……」
翠の呟きにギョッとする。この結晶の中にいるのが、邪龍教団の崇めるドラゴンだと?
戦争で龍神に討たれたとシルヴィアからは聞いていたのに、百年の時をこの結晶の中で生き延びていた。
情報操作の異能は強力だ。演算も終えて正常に作用するようになった今、翠の言葉は紛れもなく真実。
つまり、スノーホワイトやシンデレラの目的は、こいつの復活にあったと言うのか? しかしどうやって?
「こんなところに来客とは、珍しいこともあるものだね」
しわがれた声が空洞に響く。咄嗟に構える四人だが、現れたのは予想に反して車椅子に乗った弱々しい姿の老人だった。
くすんだブロンドの髪に、見覚えのある両耳のイヤリング。体に取り付けた機械は生命維持装置か。不気味なほどに穏やかな笑みは、例え老いていようが見間違えない。
「……ッ、……ミハイル様っ」
「私のことを知っているのか。ふむ……昔使った
「──ッ」
言葉を失っていた。開いた口からは声が出ず、意味のない吐息だけが漏れている。
ミハイル・ノーレッジは、織たちの世界で起きたことを、自分がしでかしたことを、全て忘れている。
予想外といえば嘘になるか。
仮に織たちの推測が正しければ、彼は百年ほどの月日をこの世界で過ごしたことになる。そのために気が狂うほどの死を経験して、本当に狂ってしまった。残ったのは純粋な欲求、知的好奇心のみ。
元いた世界に残してきたものなど、ミハイルとってはもはやどうでもいいものだ。
この世界こそ、彼が求めてやまなかった未知に溢れた世界なのだから。
「あなたは……! 翠がどんな思いでここに来たと……!」
友人の代わりに怒る朱音の肩に、翠が手を置いた。首をゆっくりと横に振り、一歩前に出る。
かつての主人を前に、それでも毅然とした態度で言葉を発する。
「ええ……その通りです。わたしは、出灰翠。プロジェクトカゲロウによって、あなたのために生まれた。あなたの手駒として、わたしは人生の全てを費やしていた……!」
「そうか……しかし、私は昔の実験体のことなどどうでもよくてね。わざわざ会いにきてくれたと言うことは、その体を解剖させてくれるのかな?」
「違います。ここには、あなたを殺しに来た。過去を断ち切るために。わたしが、わたしの未来を真っ直ぐ見つめられるために」
ハルバートを手に持ち、その矛先を敵に向ける。ミハイルは笑みを絶やすことなく、翠の殺意を受け止めていた。
殺されることを許容するのか、あるいは。なにか策でもあるのか。
「我が名を以って名を下す。其は遍く火を統べる守護者。世界に偏在する炎の化身。地にあって祭火となり、我が心に炎を灯せ!」
空洞に響く詠唱は、普段から感情を見せない翠の激情が乗せられたもの。
灰色の翼は炎のそれへ変わり、全身は赤く熱い燃え盛る魔力に包まれた。
彼女の姉が得意としている魔術。
纏い、炎纒。
インド神話の火神アグニの力と、黒霧が継承しているキリの力。
二つが合わさることで、出灰翠は己の心を燃やす。
「素晴らしい力だ……その力に殺されるなら本望だとも!」
「……さようなら。わたしを生んでくれたことだけは、感謝します」
巨大な炎の刀身がハルバートから伸びて、車椅子の老人を飲み込んだ。
最後まで笑いながら。ミハイル・ノーレッジは跡形もなく、体を蒸発させて完全に消えた。
「翠……」
「大丈夫です、朱音。わたしはこのために、こちらの世界へ来たのですから。それにまだ終わったわけではありません」
安心させるように朱音へ微笑みかけた翠が、巨大な結晶へと強い眼差しを送る。
ミハイル・ノーレッジの置き土産。百年前の負の遺産。教団が崇める信仰対象。
邪龍ヴァルハラ。
こいつを復活させることが教団の目的と思われるが、具体的な条件が不明だ。
周囲に取り付けられた機器を翠が弄り始める。異能を使いながらもキーボードを叩き、モニターに高速で流れる数字をジッと眺めていた。
「機械はネザーにあったものと同じですね。少し待っていてください」
こうなると、織たちには手出しできなくなる。ここは詳しい翠に任せた方が良さそうだと思い、一歩離れたところで灰色の少女を見守る。
「強くなったわね、あの子」
「葵の影響だろうな。あいつもちゃんとお姉ちゃんやれてるじゃねえか」
織は以前までの翠と深く交流があったわけではない。愛美だって、一度言葉を交わしただけだった。
それでも、翠は彼女が姉と慕い、織と愛美にとって後輩であるあの少女のおかげで、変わりつつある。きっと葵だけではなくて、友人になってくれた朱音や、兄であるカゲロウなんかのおかげでもあるのだろうが。
変わりたいと望み、未来を願うようになったのは。紛れもなく、翠自身の意志と力によるものだ。
◆
夜のシンデレラはかなり脅威的だ。
織や愛美たちから聞いた話だと、シンデレラというお伽話は継母やその連れ子たちから虐められていた少女が、夜になると魔女に出会い、不思議な力で着飾って舞踏会に行く話。そこで王子様に見染められ、魔法が解ける午前零時を前にガラスの靴だけを落として姿を消す。
つまり、そのお伽噺の名を冠するドラゴンにとって、今この時間こそが最大限に本領を発揮する。
一方で。
輝龍シルヴィアはその名の通り、輝きを力に変えるドラゴン。なにも太陽の光だけではなく、人工的な光や人の心に宿る輝きすらも力と変える。
『■■■■■■■!!!』
『さすがは龍神の出来損ないって感じかしら。結構硬いわね』
体の周囲に漂ういくつもの光球から、シンデレラへ向けて真っ直ぐレーザーが放たれる。しかしガラスで出来た巨体には傷一つ付かず、それどころかあちこちに反射させられ城の壁や塀が崩れていく。
無闇に攻撃するのは得策じゃない。シルヴィアが敵に対して持っている情報は、元になった童話の概要程度だ。
異世界のお伽噺なんて詳しく知るはずもなく、リアルタイムで情報を更新、策を練っていかなければ。
「全員、シルヴィアを援護しろ!」
崩れた城の壁の向こうから声が聞こえて、シンデレラへ夥しい数の光弾が殺到する。
王太子のルシアが城の兵を引き連れ、加勢に来てくれたのだ。兵士たちは魔導銃という魔力を弾丸に変える銃を装備している。この世界では一般的に普及している武器だが、シンデレラはその魔力弾を反射させることなくその身で受けていた。
ダメージが入っているようには見えない。
しかし、反射させなかった。単純な威力だけで言えばシルヴィアの攻撃の方が上だ。有象無象の銃撃など反射させるまでもないと判断した? 理性を失い暴走しているドラゴンが?
「シルヴィアさん」
聞き慣れたパートナーの声がした。けれど姿は見えない。暗殺者である彼は、いつも影に潜んでいる。騎士を自称したいくせに、そういうところがどうしようもなく影の存在なのだ。
『ダンテ、アリス様は?』
「あの方の近くにいても、俺は足手まといになるだけですから。だったら俺はあなたのそばにいますよ」
『いい口説き文句ね。あたしじゃなかったら惚れてたわよ』
「いい加減惚れてくれてもいいと思うんですけど」
『百年早いわ』
戦場にあっても緊張感を見せない軽口は、人間からすれば長い時間を共に過ごしたからこそ。アリスと並んで付き合いの長い暗殺者は、シルヴィアにすげなくあしらわれて気配を消した。
いじけて消えたわけではない。
わざわざ言葉を交わすまでもなく、互いにやるべきことを理解しているから。
『■■■■■■■ーーー!!』
咆哮と共に四方へ斬撃が飛ぶ。シンデレラを囲むように展開しようとしていた兵士たちはそれぞれ防御行動に気を取られ、しかし戦列は崩れない。さすがの練度だ。
シルヴィアの元に飛んできた斬撃も躱そうとして、足元に鋭い痛みが走った。
見れば、輝く肢体の中に血の赤が滲んでいる。斬撃は躱したはずなのに。
疑問に思う暇もなく、シンデレラの体からガラスの鳥が飛び立った。真っ直ぐに向かってくるそれを光の槍で撃ち落とそうとするも、意思を持ったように巧みに躱す鳥はシルヴィアの目前まで迫る。
『この程度……!』
翼の一薙ぎでガラスの鳥を破壊した。的確にこちらの目を狙ってきていたが、シンデレラとはどういうお伽噺なんだ。織たちから聞いた話には、足を斬り落とそうとしたり目潰ししてくる鳥の話なんてなかったのに。
「シルヴィアにばかり気を取られていていいのか?」
剣を構えた王太子が、ガラスの巨体へと突っ込んだ。魔力を帯びた剣を振るえば、大きな金属音が鳴りその体のヒビを広げる。
愛美の蹴り、兵士たちの銃撃、ルシアの剣。反射できなかった攻撃はこの三つ。
いや、むしろ。シルヴィアの攻撃だからこそ、反射されたのか。そう考えれば辻褄が合う。なにせやつの体はガラス。鏡のように周囲の光景を写している。
シルヴィアが扱うのは光とその輝きだ。こちらの魔力に合わせて、鏡面となっている体に纏う魔力を調節している。
だからシルヴィアの攻撃だけが乱反射されたのか。
『そうと分かれば、全く怖くないわ』
魔力を解放し、全身の輝きが更に増す。
ただそれだけだ。夜空の下で、月よりも太陽よりも尚強い光を放つシルヴィアは、強力な技を撃つでもなく、ただその体を輝かせるだけ。
それでいい。輝きが強ければ強いほど、影もまた色濃く映されるのだから。
『■■■!』
短い悲鳴があった。
シンデレラの巨体が作る影が、鋭利な刃物となってひび割れたガラスの体に突き刺さっている。
「こんなもんでどうですか?」
『上出来よ、さすがはあたしのパートナー』
影が人の形を作る。闇色の髪と瞳を持ち、全身を黒い鎧に包んだ男。輝龍シルヴィアがこの国でパートナーに選んだ、ともにアリスの近衛として働く暗殺者。
その名を、ダンテ・クルーガーという。
影の刃は体のヒビから内側へと侵食を始める。それを気にすることもなく、シンデレラはただ怒りと本能に突き動かされるがまま上空で無防備な輝龍へと襲いかかった。
鋭く凶悪な爪が振われる。強い輝きを放つシルヴィアは隙だらけだ。回避は間に合わない。そのはずなのに。
唐突に輝きが消え失せて。シンデレラの爪は、虚しくも空を切った。
「強い力を持ったドラゴンが、なぜ人間の姿を取るのか知ってるかしら?」
答えは単純。強大な力の一部が制限されたとしても、小回りが効くから。
人間態へと変化したシルヴィアが、その身になにも纏わないまま術式を構成する。ソッと、決して強くはない力でひび割れたガラスの体へ触れれば、そこに魔法陣が広がった。
内部に侵食している影が反応を起こし、瞬く間に色が反転、輝き出す。
「道を示せ!
光が枝のように鋭く全身へ伸び、巨体の内側から爆ぜてガラスが砕け散った。
もはや悲鳴のひとつもなく、残されたのは夜空の下で降り注ぐガラスの破片のみ。月の光を反射して煌めく様はどこか幻想的だ。
久しぶりに全力を出したから疲れた。ひとつ息を吐いて地上に降りようと思えば、肩に宮廷魔導師のローブが掛けられた。
振り向けば己のパートナーが、明後日の方向に向けた顔を赤くしている。
「人間態に戻ったら全裸なの、どうにかならないんですか?」
「仕方ないわよ、ドラゴンは服なんて着ないもの」
「羞恥心はどこへ……」
「戦闘中にそんなこと気にしていられないわ。終わった今となっては恥ずかしいけれど。それに、頼れるパートナー様がこうしてすぐに駆けつけてくれるのだから、問題ないじゃない?」
「問題大ありですよ。アリス様に叱られますよ」
「それは嫌ねぇ」
クスクスと笑みを漏らしながら、いつもの服を召喚して一瞬で着る。ダンテ以外に裸体を見られるようなミスはしていない。
地上に降りて、グッと伸びをする。
これから事後処理だ。そろそろアリスの方も終わっているだろうし、宮廷魔導師としてやらなければならないことは山ほど残っているけれど。
シキたちは大丈夫かしら……。
暗い夜の空を見上げて、異世界からやって来た友人たちのことを想った。
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