第146話
「ん、あれ……ここは……」
「起きましたか、ナイン。おはようございます」
「アリスちゃん……? あれ、あたしたしか……あぁ、そっか……」
「覚えてるんですね」
「うん……」
ローグ城の一室で目を覚ましたナイン・エリュシオンは、優しい印象を与える垂れた目を閉じて俯く。
暴走時の記憶が残っているようだ。この子は優しい子だから、いらぬ罪悪感を抱いているのだろう。たしかに暴れて街を破壊したのは龍神エリュシオンだったけど、その原因は間違いなく邪龍教団にあるのに。
けれど、世界を守る側であるはずの龍神が暴走したという、その事実は消えない。ローグの国民たちは不安に包まれ、ナインは負い目を抱えたまま。
早く解決させなければならない理由が、ひとつ増えてしまった。
「あなたはある魔法薬を打ち込まれていました。これまで確認されていない新種のもので、未発見の薬草も使われている可能性があります」
「……うん、わかった。あたしに任せて」
みなまで言わずとも伝わったらしい。
エリュシオンはあらゆる草木を操る力を持っている。その一端として、世界のどこにも存在しない植物を作り出すことだって可能としていた。
つまり、ドラゴンを暴走させる教団の薬に対して、抗体薬を作ることができる。
ナイン自身の専門も魔法薬学だ。ローグ城で日夜研究に身を費やしてきた。知識だけならドラグニアの魔導師長やシルヴィアよりも上。さらにエリュシオンの力もあれば、作れない薬なんてありはしない。
「一度自分で受けたから、すぐに作れると思う。早速取り掛かるね」
「体は大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ、アリスちゃんは心配しすぎ」
力なく笑う顔を見れば大丈夫だとは思えないが、被りを振って思考を切り替える。
ここにいるのは友人同士のアリスとナインではなく、龍の巫女たるニライカナイとエリュシオンだ。
世界を守るという使命のため、私情を挟むべき場面ではない。
「なら任せました。薬は出来次第ドラグニアへ連絡を。わたしは一度あちらに戻ります」
「わかった。アリスちゃんも、無理はしないでね」
「それこそ大丈夫ですよ」
不敵に笑い胸を張る。およそ三年ぶりに出会った友人の心配なんて吹き飛ばすため、有澄は自身に満ちた声で発した。
「わたしは蒼さんと違って、世界最強ですからね。その責務は全うします」
◆
龍と人が共存している世界なだけあって、ドラグニア城の中にはドラゴン用のものが多くあった。
織たちがいるこの場所もそのひとつ。
天井が高く広いこの部屋は、ドラゴンのための医務室。ここにいる医者は全員が人間の姿をしたドラゴンだ。
部屋の最奥、高い天井から吊るされたカーテンで仕切られた先に、友人のシルヴィアは眠っていた。
「やっぱり、シルヴィアさんはドラゴンだったんだね」
ローグから戻ってきた朱音を伴って、織と愛美の三人は未だ目覚めない友人の様子を見にきた。
体の輝きは失われ、治癒の魔法陣の上に倒れている。以前街で暴走したドラゴンはすぐに目を覚ましたとのことだから、シルヴィアもそろそろ起きると思いたいが。
「朱音は気づいてたのか?」
「有澄さんとちょっと似てる気がしたから。魔力とか、存在の質とか、そういうのが」
その辺りは織も愛美も全く気づかなかった。彼女との会話で違和感は覚えていたものの、シルヴィアが魔力を使うところをしっかり見ていたわけではないから。
唯一使ったのは織に精神魔術をかけた時だが、織はすぐ術にかかって眠ってしまったし、愛美は機銃の相手でそんな余裕もない。観戦していた朱音だけが気付けていた。
「有澄さんはどうしたの?」
「先に報告済ませてくるって。後でこっちにも寄るって言ってたよ」
「あの人にも、立場ってもんがあるからな」
修練場で交わしたルシアとのやり取りで痛感した。そもそも織とはものの考え方や価値基準が違う。
有澄はここの王族であると同時に、世界を守る龍の巫女だ。ともすれば、ルシア以上にシビアな考え方でいるのかもしれない。
今まで接してきた彼方有澄という女性からは想像できないほどに。
だから、どれだけ従者が心配だとしても、彼女にはそれ以上に優先しなければならないことがある。
やがて目の前の龍が身じろぎを始めて、大きな瞼がゆっくりと開かれた。体全体に淡い光が宿る。
「よ、シルヴィア。目を覚ましてくれてよかった」
『シキ……? マナミにアカネも……あれ、あたしは……』
脳に直接響く声は、紛れもなくシルヴィアのものだ。首を伸ばして周囲を確認すると、状況は掴めたらしい。
深く息を吐けば、三人はその息を全身にもろに浴びた。帽子が飛ばされないように片手で押さえる。
『あ、ごめんなさい。あたし、こっちの姿のままだったわね』
「いや、いいよ。そんなことより、体は大丈夫か?」
『そうね……あなたたち、光を出せたりする?』
「これでいいかしら」
愛美が適当な術式で指先に光を灯せば、それはひとりでにシルヴィアの体へと引き寄せられる。
なるほど、と頷いて、今度はバスケットボールほどの大きさの光球を作る愛美。それもシルヴィアの体に引き寄せられた。
「光を魔力に変換してるのね」
『ええ。これで大丈夫だけれど、シキは少し出ててくれるかしら?』
「え、なんで」
『ヒトの姿に戻りたいのだけれど、このまま戻ったらなにも着ていないから』
「さっさと出ていきなさい今すぐに」
半ば蹴り出されるようにして、織はカーテンの外へと追いやられた。その後向こう側から強い光が発せられ、女性のシルエットがひとつ増える。
すぐそこから聞こえてくる衣擦れの音。邪な想像が頭によぎりそうになって、とりあえず近くの柱に頭を打ちつけた。
愛美も朱音もいるしシルヴィアは友人なのに、こんなこと考えるとかふざけんなよ俺、万死に値するぞ。
周りの医者たちがドン引きした様子で織を見ている。異世界からの来訪者は頭がおかしいと噂されることになるのだが、この時の織には知る由もない。
「父さん、もういいよ……って、なにしてるの?」
「心を無にしてた」
「奇行に走る変人にしか見えないよ」
真顔で発せられた言葉の棘が胸に突き刺さる。うんまあ、そうですよね。いきなり柱に頭突きし始めるやつとか絶対変人ですよね。
でもなー、分かんないかなー、男の子な自分が恨めしいこの状況。
分かるわけない。だって朱音は女の子だし。
再び仕切りの向こうは入れば、見慣れた姿の友人が。シルヴィアは出会った時の人間態で、いつも着用している宮廷魔導師の制服とローブを身につけて織がさっきまで座っていた椅子に腰掛けている。
自然と立ったままになってしまう織。別にいいけども。さっき変な想像を一瞬でもしてしまった罰だと思おう。
「その姿で大丈夫なのか?」
「あたしは光を魔力にできるの。そこに光があるだけでね。さっきマナミからもらったみたいに直接吸収すれば、普段よりも沢山魔力に変換できるわ。ここには照明もあるし、余程のことがない限り魔力が切れることはないのよ」
その余程のこととやらが、数時間前に修練場で起こってしまった。
朱音からもローグで起きたことは聞いているし、その二つを照らし合わせてみると、暴走したドラゴンが落ち着くと魔力を根こそぎ奪われるようだ。
今回の犯人らしい邪龍教団という組織。
目的はわからないが、やつらは織たちの友人に手を出してしまった。その意味を思い知らせてやらねばならない。
愛美とは相談するまでもなく、修行は中断して無理矢理にでも事件解決の手伝いをすると決まっていた。
ふつふつと怒りが沸き起こる中、シルヴィアがおもむろに頭を下げる。
「ごめんなさい」
「どうしてあなたが謝るのよ。悪いのは邪龍教団とかってやつらでしょ?」
「そうではなくて。隠しているつもりはなかったのだけれど、あたしの正体についてなにも教えていなかったから」
薄々勘づいていたことではあったが、驚愕したことに間違いはない。
ルシア曰く、他とは違う特別なドラゴン。
けれどこうして頭を下げている彼女は、ただの少女にしか見えない。
「シルヴィア。あなたのこと、聞いてもいいかしら?」
「少し長くなるけれど、それでもいい?」
「勿論だ。だから聞かせてくれよ」
こくりと頷いて、小さく深呼吸。その後に防音のための結界が貼られてから、シルヴィアは口を開いた。
「あなたたちは、龍の巫女がどのようなものかは知ってるのよね?」
「龍神をその身に宿した女性、程度ですが」
「その龍神については?」
「あんま聞いたことないか。こっちの世界ではそこら辺関係ないし」
ていうか、元神様とか普通にいるし、後輩はなぜか神と同じ力を使うし。
気にしていたらキリがない、というのが本音だ。
「龍神というのはね、昔この世界で起きた戦争を終わらせた、五体のドラゴンのことなの。あなたたちもよく知っている水龍ニライカナイ様に、アカネが向かったローグにいる木龍エリュシオン。ノウム連邦に住んでる炎龍ホウライ、アリス様の妹君でこの国の第二王女が宿したばかりの風龍シャグリラ。そして、今は天空の国にいる天龍アヴァロン」
約220年前、人と龍の間でとても大きな戦争が起きた。
人の進んだ科学技術と龍の強力な魔導の戦いは、およそ百年間も続いたそうだ。様々な国が滅び、生まれ、人々は三世代に渡って代替わりし、この世界に生きる全ての生物が疲弊しきっていた時。
突如現れて介入したのが、五人の人間と五体の龍。
戦争を終わらせるために参戦した第三勢力は、人間側とドラゴン側に多くの被害をもたらし、また龍神たちにも深い傷を残して。
百年もの時間を費やした戦争は、終わりを見せた。
「龍神様たちが介入してから六年かけて終わった戦争には、色々と複雑な事情が絡んでいたのだけれど、そのお陰で人とドラゴンは共存の道を選べたわ」
「複雑な事情って?」
「戦争を泥沼化させようとしていたやつが、ドラゴン側にいたの。だから龍神様たちは終戦に六年もかけてしまった」
「そいつが人間とドラゴン、共通の敵になったってことね」
「その通りよ、マナミ。邪龍ヴァルハラ。当時ドラゴン側のトップだった聖龍を殺して、人間側には嘘の情報をばら撒き、戦争をさらに激化させて終わらないようしていた」
そのヴァルハラこそ、当面の敵である邪龍教団が崇める存在。
ヴァルハラとはまた、有澄にとって妙な因縁を感じさせる名前だ。織たちの世界におけるその名は、魔術神オーディンが住う場所、つまりは彼女の旦那とは切っても切れない縁がある。
「邪龍を倒すことによって、戦争は終わった。龍神たちは五人の人間それぞれに宿って眠りについたわ。それが龍の巫女よ。以来巫女は、代々血よって引き継がれてきたのだけれど……」
「けど?」
「三十年前、アヴァロンを宿していた一族の血が絶えてしまったの」
「それってやばくないか?」
「やばいわよ。もうめちゃくちゃやばいわよ。世界の均衡を保っていた龍の巫女が、一人減ってしまったのだもの。この三十年間、世界はその事実を伏せたままなの。いたずらに真実を公表してしまえば、この世界に住む人もドラゴンも混乱してしまう。邪龍教団のような組織が生まれる可能性だってある」
龍の巫女に全てを託しすぎたツケが回ってきたのだろう。
この世界の平和は、言わば龍の巫女と龍神の力が抑止力となって保たれている。その他の人間やドラゴンがなにもしていないとは決して言えない。それぞれ、自分たちの出来ることで必死に平和への貢献を果たしているのだろう。
しかし、絶対的な抑止力がなくなってしまえば。織程度にも想像できてしまうだけの影響が、この世界に広がってしまう。
「アヴァロンって言うのはまた頑固なババアでね」
「ババアってお前……」
「仮にも龍神相手に酷い言いようね」
「ババアでいいのよあんなやつ。あたしが何度も新しい巫女を迎えろって言ってるのに、全く聞く耳を持たないんだから」
ふんっ、と頬を膨らませてそっぽを向くシルヴィア。実の子供っぽい仕草だが、ドラゴンであることと戦争のことを詳らかに語れるのを考慮するに、実年齢は遥かに上だろう。
見た目が十代だから可愛く見えるけど。
「それで、結局その話とシルヴィアさんについては、どう関係があるんですか? まだこの世界について聞かされただけですが」
朱音の本題へ戻す質問に対して、シルヴィアはため息をひとつ。頭をガシガシ掻いて、心底気まずそうに言った。
「あたしは、天龍アヴァロンの子供なの……」
「えっ、お前が?」
「拷問が趣味なシルヴィアが?」
「同僚と一緒に仕事してると特に仲良くもないから会話も生まれず、沈黙に耐えきれなくて涙目になるようなシルヴィアさんが⁉︎」
「拷問は趣味じゃなくて研究内容だし! 別にみんなと一緒にいて泣いてないし⁉︎」
むしろ今まさしく泣きそうな勢いで叫ぶシルヴィア。まあでも、ぼっちなのは間違いじゃないし、拷問を研究内容にしてる理由があれだしで、織にはフォローできなかった。
「あー、それで? 龍神の娘が、なんでまたドラグニアにいるんだよ。天空の国とやらは?」
「たしかにあたしは、元々天空の国ケルビムに住んでたのだけれど、二十八年前にお母様と大喧嘩して家出してやったのよ」
「巫女の件で?」
「ええ。その後一年くらいは各地を転々としていたの。そろそろお母様も頭冷えてる頃かなーと思い始めたくらいにこの国に来たのだけれど、先代のニライカナイだったこの国の王妃様に正体がバレちゃって、それ以降アリス様の従者をやってるってわけ」
この国にやって来たのは二十七年前。つまり、有澄がまだ五歳。まさか幼少期からの付き合いだったとは。
「シルヴィアさんは、アヴァロンと仲直りしようとは思わなかったのですか? 家族がそんなに長い時間離れ離れになるのは、本当はつらいことだと思いますが……」
親と別れる。その経験を自分と重ねたのか、朱音はまるで我が事のように表情を暗くしている。
家族というものが、なによりも大切な少女だからこそ。龍神の親子を案じている。
「優しいのね、アカネは」
「実際、帰ろうと思ったら帰れるはずよね。そのケルビムとやらがどこにあるのかは知らないけど、そこで暮らしてたって言うなら簡単じゃないの?」
「それがそうでもないのよ。ケルビムはこの世界の空を常に飛び続けている。昔は周期があったのだけれど、あたしがこの国で住むようになってからはドラグニアに近づきもしないのよ? おまけに転移は妨害されるし、ニライカナイ様のところには『娘をよろしく』なんて手紙が届くし。あと五十年は帰ってやらないんだから」
「五十年て……また長いな」
「あたしたちドラゴンにとっての五十年なんて、人間にとっての五年にも満たないわ」
長寿ゆえの時間感覚。そういえば魔女や吸血鬼も似たようなことを言っていたか。ドラゴンのそれは、更にスケールが大きいが。
「だからねアカネ。あたしたち親子はこれでいいの。ドラゴンは元々、家族で過ごす習性がない生き物だから。遅かれ早かれ、いずれあたしもあの国を巣立っていたのよ」
「巣立つ、ですか……」
「ええ。人間だって、いつまでも親にべったりじゃダメでしょう? いつかは独り立ちしないといけない。その中で親との繋がりが薄れるやつだっているかもしれないけれど、あたしはこうやって仲良く喧嘩中なのだから」
その言葉に思うところがあったのか、朱音が織を見上げ、愛美の手を握る。
いつかは、朱音も二人の元を離れるのかもしれない。それがどのような形になるかは分からないが、離別というのは案外簡単に訪れるものだ。
家族三人を見て微笑みを漏らしたシルヴィアは、パンと手を打ってこの話を締めた。
「あたしについては以上よ。あなたたち、どうせアリス様の手伝いをするのでしょう? だったらあたしが、シルヴィア・シュトゥルムとしてではなく、龍神の娘である輝龍シルヴィアが力になるわ。なんでも言ってちょうだい」
ならば早速ひとつお願いさせてもらおうかと、口を開きかけた時。
仕切りになっているカーテンが開かれた。
現れたのは彼方有澄。椅子に座る従者を見ると深く安堵のため息を吐いて、勢いよくシルヴィアに抱きついた。
「あら、アリス様はいつからこんなに甘えん坊になったのかしら」
「馬鹿言わないでください……すごく心配したんですからね……」
「従者として身に余る光栄ですわ」
有澄を抱きとめながら、水色の髪を優しく撫でる。主従というよりも家族のような光景に、織たちはつい頬を緩めていた。
◆
ある程度回復したから大丈夫だと言うシルヴィアも一緒に、五人は有澄の私室兼執務室へと場所を移した。
執務机には大量の書類が積まれていて、それを見た従者からため息が。
「アリス様……」
「いや、仕方ないんですよ! 帰ってきたその日に事件がありましたし、その調査で忙しいですし! サボってたわけじゃないんです!」
旦那の悪い影響をバッチリ受けていた。
仕事をしない蒼を折檻する有澄は学院でも最早名物扱いされるほどだったが、その有澄自身もこの有り様とは。
本人の言う通り、予定よりも忙しくなってしまったこともあるだろうが。
「イブ様に見つかったらまた叱られますよ」
「師匠にはもうバレてるんで大丈夫です」
「威張らないでください。有澄様があちらの世界に帰った後、これを片付けるのはあたしとダンテの仕事なのですから」
「それも大丈夫、滞在中に全て片付けます」
この量を残り四日で? いや、国の書類仕事なんてどんなものか織には分からないが、事件の調査も並行して進めていたら確実に間に合わないだろ。
それでも終わらせると言ったということは。
「事件の解決も、この山のようなゴミ、じゃなくて紙束も、残り四日で全て片付けますよ。手始めに、事件の方からサクッと終わらせましょうか」
あっさりと言ってのけた有澄は自分の椅子に腰掛け、織たちにはソファを勧める。お言葉に甘えてそこに座れば、シルヴィアが五人分のお茶を淹れてくれた。
従者も席についたのを見て、王女は口を開く。
「わたしと朱音ちゃんがローグで遭遇したスノーホワイトに、師匠が絶賛拷問中のシンデレラ。この二人はまず間違いなく、巫女と同じ存在です」
「体に龍神を宿してる、ってことね?」
「龍神かどうかは分かりませんけどね。あんまり強くなかったですし」
それは織も不思議に思っていた点だ。
シンデレラというあの女性が有澄と同じ存在、つまり龍を宿しているか、やつが龍自身か。そのどちらかの可能性は疑っていた。有澄とシルヴィアに似た魔力をしていたからだ。
しかし実際に交戦してみても、織の知っているドラゴンとは見劣りした。
有澄はそもそも比べるべくもないとして、龍神の娘であるシルヴィアと比較しても、シンデレラの魔力砲撃はそこまでの威力ではなかった。
たしかに人間の魔術師、あるいは魔導師よりも強力だったかもしれない。しかしそれだけ。直前にシルヴィアの攻撃を受けていただけあって、差は如実に感じられたらのだ。
「問題は力そのものより、名前の方にあります」
「スノーホワイトとシンデレラ。どちらも私たちの世界における御伽噺ですが」
「そう、この世界には白雪姫も灰かぶり姫も存在しないんです。ニライカナイを始めとした固有名詞は同じものが存在していても、その意味が違う」
名前には相応の意味が持たされる。
織たちの世界では、魔術においての一般常識。仮にそれをこちらの世界に当てはめるとすると、有澄はニライカナイの姓を名乗っていた。王族で一人だけと言うことは、何かしらの意味があるのだろう。
ならばシュトゥルムの姓を与えられたシルヴィアは、風の龍でなければおかしい。
逆に、シュトゥルムの意味がこの世界で光や輝きなどと言ったものだとは、シルヴィア本人からも説明されなかった。
つまりその法則は、この世界で必ずしも適応されるものではない。
「スノーホワイトは毒を含んだ雪を降らせた。これは白雪姫を彷彿とさせるものです。一方のシンデレラは姿を消していたとか。夜になると美しい姿で現れ人目を引いた姫は、十二時の鐘と共に姿を消す御伽噺」
どちらも、織たちの世界での御伽噺が力のモチーフとなっている。
本来ならあり得ないことだ。しかしそれがあり得ているということは、その原因が存在している。
「アオイ様たちやシキたち以外に、誰かがこの世界に渡ってきた、ということですか? けれどそれは考えられないのでは……」
「わたしはその可能性が高いと見ています。まあ、可能性として挙げられるのは一人だけですけどね」
「……いや、待って。でもそれっておかしいわよ。仮に可能なんだとしても、今は敵の能力の原因について、つまりは教団のトップが誰かって話でしょ? まだあれから三日しか経ってないのよ?」
有澄と同じ結論に至ったのか、愛美の声は困惑一色だ。
未だにいまいち理解し切れていない織は必死に頭を回転させて、思い出した。丁度三日前、この世界に来たその日に蒼から聞いた話を。
「ミハイル・ノーレッジは殺したんだろ?」
「殺した、と言うよりは、勝手に死んだと言った方が正しいですけどね」
異能研究機関ネザーの代表、ミハイル・ノーレッジ。
やつは蒼と有澄がこの世界に招き寄せ、その場で始末したと聞いている。おまけにこの世界は、本来なら蒼たち転生者かレコードレスを持っている人間しか入れない。でなきゃ魔力に体が適応できずに死んでしまう。有澄からそう説明を受けていた。
となれば、ミハイルがどのような最期を迎えたのかも、ある程度推察できる。
「たしかにミハイル・ノーレッジは始末しました。しかし、彼がその直前まで身につけていたイヤリングには、時間操作と思わしき異能が込められていたんです」
「あの時と同じやつですね……」
ミハイルと直接戦闘したことのある朱音は、苛立たしげに舌打ちする。
死ぬその直前に魂だけを別の時間軸に飛ばす。やつはそれで朱音の凶刃から逃れた。おまけに銀炎と正面からぶつかれたと言うのだから、時界制御と同じ芸当は全て可能と思った方がいい。
「ミハイルが生き残っていたという仮定で進めましょう。この際、なぜ生きているのかという点も除いて」
「となれば、話は見えて来るのか」
「戦争が終わった後の時間まで遡って、教団を立ち上げた。やつがこの世界に適応したと考えると、全知の異能もこの世界で使えているってわけね」
「プロジェクトカゲロウのこともありますので、クローン技術はやつの頭の中にある。百年あれば人間だろうがドラゴンだろうが、簡単に作り出してしまう、ということでしょうか」
「概ねそんな感じです」
三人の推論それぞれに肯定を返す有澄だが、織としては思いっきりため息を吐きたい気分だった。
やつと直接対峙したことがあるのはたったの一度。
その一度だけで、ミハイルの狂気じみた知識欲は骨身に染みて感じられた。
その魔の手が世界を超えて、ここまで伸ばされている。看過できるはずもない。
元々は織たちの世界の問題だったのだ。これで事件に介入する正当な理由ができた。
「問題は、本当にミハイルであるという確証に足りないということです」
「どうやってこの世界に適応して、今も生き延びているのか、ね。案外力技のゴリ押しだったりするかもしれないわよ?」
「例えば?」
「死んだ瞬間に時間を巻き戻せるなら、死ぬ瞬間を何度も繰り返せばいいのよ。その度に魂は疲弊して、代わりに質を変えていく。この世界に適応しようとね」
「完全に適応してから、百年前の過去に遡って難を逃れるってわけだ」
奇しくも、織と愛美が受けた修行と同じ原理。たしかにゴリ押しこの上ないが、その可能性が高そうだ。
あくまでも机上のみだが、確証は得た。
ならば後は、ミハイルと教団を駆除するために動くのみ。
「わたしのもう一人の部下に頼んで粗方の潜伏先は壊滅させたんですけど、今のところ教団のトップらしき人物は見かけていないようです。少なくともこの国とローグ、ノウム連邦はなしですね」
「イブ様が拷問を担当しているなら、口を割るのは時間の問題だと思われますが」
「それがそっちも報告なしなんですよ」
どうやら敵の正体が見えただけで、現場での調査は足踏み状態らしい。
こういう時、頼れる後輩達がいてくれればいいのだが。葵たちの異能ならただ視るだけで一発だ。
……いや、そうだ。そうしたらいいんだ。葵とカゲロウはドレスを持たないからこの世界に来れないが、もう一人は魔女から受け継いだドレスを持っている。
おまけに今回の事件、無関係にさせたままというわけにもいかない。
「なあ、翠を呼んだらいいんじゃないか? そしたら細かいところ全部丸わかりだし、ミハイルが絡んでるならあいつを無視してやるわけにもいかないだろ」
「探偵が推理を放棄してどうするのよ……」
名案だと思ったのだが、隣の愛美から呆れられた。だってそれが一番効率いいじゃん。
「それじゃあこの後、一度向こうに戻って翠ちゃんに声をかけてきますね。葵ちゃん達に合わせて今は休息を最優先にしてますし、ソロモンの悪魔たちもしばらくは大人しいはずですから」
「残りの問題は、父さんだね」
「俺?」
朱音から急に話を振られて困惑する。全く心当たりないのだが。
俺またなんかやっちゃいました? と内心惚けていると、愛美が思い出したように声を上げた。
「織あなた、グロック壊したでしょ」
「あー、そういやそうだった」
完全に忘れてた。
本当は医務室でシルヴィアにそのことを尋ねようと思っていたのだ。今までずっと使っていた愛銃を失くしてしまったから、その代わりになるようなものはなにかないか、と。
教団のことやらミハイルのことやらで頭から抜け落ちていた。
このままだと織は素手で戦わなければならない。まあ別になかったらなかったでいいのだが、今まで魔術行使の触媒にしたことだってあったから、割と困る。
「そういう事なら、あたしに任せてくれないかしら。部屋にいい感じの龍具が揃っているわ」
「龍具っていうと、たしか魔導具的なやつだっけ?」
以前有澄が事務所に持ってきた眼鏡を思い出す。あの時は宝物庫やらなんやらと意味がよく分からなかったのだが、有澄が王女というならその言葉にも納得だ。
「補足しておくと、龍具というのはその名の通り、龍神の力が込められた魔導具ですよ」
「友達になってくれたお礼に、一つあげちゃうから!」
「重い……」
友達になったお礼の品が重すぎる……絶対高価で貴重なやつじゃん、それ。
あまりにもぼっち過ぎて、友人に向ける感情が重すぎる。あるいは、だからこそぼっちなのか。
ひとまずそういうことで話は纏まり、その場は解散となった。有澄は翠に声をかけるため一度向こうの世界へ戻り、織たち三人はシルヴィアの私室に向かう。
辿り着いた先は、特に何の代わり映えもしない、この城にはよくある一室だった。他と違う点を挙げるとするなら、照明の数が多いことか。それもシルヴィアの力を思えば納得できる。
「ちょっと待っていてね。たしかここにいい感じのやつが……」
待つこと数十秒。シルヴィアが箪笥の中から取り出したのは、銀色の大型拳銃。そのデザインは織の知識にあるどれとも違いバレルには龍の意匠が施されている。
銃身の下部分には刀身がつけられていて、いわゆる銃剣というやつだ。
「はい、これ。名前はあたしから取って、シュトゥルムっていうの。持ってみて?」
「おお、結構軽い……」
「ねえ、私にも触らせてよ」
「私も!」
受け取った銃を三人で交代に持ち各部品を眺めたりしていると、シルヴィアはとても嬉しそうに銃の説明を始めた。
「それはね、魔力で剣に変形させることができるのよ。やってみて?」
銃に魔力を込めてやれば、グリップから縦に真っ直ぐなるように銃身が動き、剣の部分は銃口の先へ。多重構造にしていたのか更に剣先が伸びて、全長七十センチほど、打刀程度の大きさに。
ガシャンガシャン言いながら変形する銃を前に、少年桐生織は大歓喜。
「すげぇぇぇぇ! 変形付きとかめっちゃカッコいいじゃん!」
「ふふ、それだけじゃないわよ! その銃にはまだまだ隠された姿が眠っているの!」
「マジで⁉︎」
「その銃剣、元はいくつかの小さなパーツで構成されてるのよ。それを全部分解させて遠隔誘導砲塔にも出来るわ」
「……おお、マジだ! しかも脳波コントロールできる!」
銃剣が音を立てて七つのパーツに分解され、それぞれが織の周囲に漂い始める。
頭で思い描いた通りの動きをし始めるそれらを見て、少年更に大歓喜。
一方で女性陣の心にはあまり響かなかったらしく。
「私のグランシャリオと被ってるじゃない」
「ていうか、父さんはなんで口頭説明だけで簡単に出来ちゃったの……?」
グランシャリオと被ってるのは俺に言われても困る。お揃いみたいでいいじゃん。
口頭で全部理解できたのはあれだ、某機動な戦士のシリーズで沢山見てきたから。
「てかいいのか? こんなに凄いの貰っちゃって」
「もちろんよ。言ったでしょう? これは友達になってくれたお礼だって。それに、暴走してくれたあたしを止めてくれたじゃない」
シュトゥルムを銃形態に戻し改めて尋ねるが、シルヴィアの答えは変わらない。
直接止めたのは愛美だし、やっぱり友達になったお礼程度ではちょっと重いのだが、ここまで言われて無碍にするわけにもいかないか。
「わかった。んじゃありがたく使わせてもらう」
「ええ。あたしが初めて作った龍具だから、あたしだと思って大切に使ってね!」
「だからいちいち重いんだよ!」
名前もシュトゥルムだから洒落にならないんだよ!
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