第145話

「ほう、これは予想外ですね。さすがは蒼の弟子と言うべきか」


 十秒。

 宣言通りの時間が過ぎた頃には、黒龍の体は薄くなり消えかかっていた。両翼はもがれ、胸に風穴を開け、右の腕と足は斬り落とされている。完全に消えるまで時間の問題だろう。

 しかし、完璧な勝利とは言い難かった。


「キッッツ……」

「ふぅ……織、今の術式ちょっと見せてみなさい。概念干渉系なら私の得意分野だし、せっかくなら完璧にしといた方がいいわ」


 疲労で地面に大の字で倒れた織と、息を整えてすぐに反省会を開こうとする愛美。

 織が使った魔術、流星一迅は師匠であり人類最強である小鳥遊蒼の魔術だ。『視認できない速度』という概念を自身に付与する。その速度、本人曰く光速の三十倍。

 当然そのスピードで動けるだけではない。概念を付与している以上は、単純なスピードだけではなくそれに対応するための体や思考速度も手に入る。


 そんな魔術を、見様見真似で使った。

 形だけは再現できていたはずだ。実際にその速度で動いていたし、たったの十秒がとても長い時間に感じられた。

 その反動は馬鹿にできないものだったが。


「体の方が速度に追いついてないのよ。概念干渉系はあやふやなままでいいところもあるんだけど、その分細かく構成しないといけないところはとことん突き詰めないと一気に瓦解するわよ」

「なるほど……つーことはこの辺か?」


 愛美からのアドバイスをもとに、術式を書き換えていく。より自分にフィットした形へと変える。


 二人が宿した賢者の石の特性上、織が扱う術式は愛美も使用することが出来た。だから先程の十秒間では、愛美も流星一迅の恩恵に預かっていた。

 加えて彼女が普段から使っている概念強化もあり、とても適切なアドバイスが飛んでくる。


「この魔術を使えるようになって、ようやく序列一位とまともに戦えるレベルだな」

「だといいけど」


 珍しく後ろ向きな言葉は、奴の方が愛美よりも上だと自覚しているからだろう。

 戦士としての経験や技術が、どうしようもなく劣っていた。ただただ強い。そこまで実感させられたのはいつ以来だったろうか。


 だから、この魔術ひとつで序列一位の悪魔と互角だなんて思わない方がいい。例え織と愛美が二人掛かりであったとしてもだ。

 そして二人の倒すべき相手はあの悪魔ではなく、その契約者なのだから。


「よし。イブさん、次を出してくれ」

「いいでしょう。ただし、今度は流星一迅なしで倒してもらう。スピードに関してはその魔術があれば文句なしですが、他はその限りでもない」


 言って、次にイブが召喚したのは、またしても織を驚愕させるものだった。

 朱い槍を手に持った男。腕も目もしっかり両方あるし、知っている姿よりも若く見えるが、間違いない。

 小鳥遊蒼だ。


「これは蒼がまだ人類最強と呼ばれる前の姿です。力もその時程度しか持っていない。ただし、彼のソウルチェンジをひとつ再現している」

「先生ってなんの転生者か、お前知ってるか?」

「オーディンしか知らないわよ」


 だがあの槍はグングニルじゃない。

 そもそも織は、蒼がソウルチェンジを使っているところをそう多く見たわけではない。わざわざ別の魂をインストールせずとも、小鳥遊蒼のままで最強だからだ。


 ならば果たして、目の前に立つ過去の最強は、どのような力を使うのか。そこを見抜くのも含めての修行というわけだ。


「戦士としてと言うのであれば、この状態の蒼は中々のものです。学べるものも多い。盗めるものはなんでも盗みなさい」

「イブ様、どちらへ?」

「オルバの手伝いをしてきます。例の魔法薬はまだ解析できていないみたいですからね」


 踵を返して修練場を出ようとしたイブに、シルヴィアが声をかける。

 さっきは数秒で終わらせてしまったから倒した後もこの場に留まっていたが、本来なら彼女もやることがあるはずだ。昨日はそれでこの場にいなかったし、今日は引き続き事件の調査を手伝うのだろう。


「シルヴィア、二人を頼みましたよ」

「お任せください」


 去っていくイブを見送ってから、二人は改めて蒼のコピーに向き合う。エルドラドの時もそうだったが、こちらから仕掛けないことには向こうも反応しないらしい。

 さてではどう攻めるか、と思考を巡らせている時だった。


「シルヴィア! そこを離れなさいッ!」

「え?」


 突然叫ぶ愛美。その隣にいた織も、呼ばれた本人も意味が分からず困惑していると。

 空から飛来したなにかが、シルヴィアの背中に刺さった。それは注射器だ。織たちの世界にあるものとはデザインが大きく違うが、一目見てそうだと理解できた。


 中の液体がシルヴィアの体内に注ぎ込まれると、彼女は苦しそうにその場で蹲った。

 急いで駆け寄ろうとしたが、蹲る魔導師を中心として魔力が吹き荒れる。イブの作った蒼のコピーをそれひとつで消し飛ばした。近づけない。


「なにが起きてんだよ……⁉︎」

「私が聞きたいわよそんなの!」


 あの注射器は一体どこから、誰の手によるものだ。中に入っていた液体は?

 なにも分からない中、異変を察知したらしい城内の人々が修練場に集まってくる。


「そこの二人! こっちへ来い!」


 声を掛けてきたのはこの国の王太子。有澄の兄であるルシアだ。抜剣した彼はその切先をシルヴィアに向けている。妹の従者に対してだ。

 そのことにギョッとするのも束の間、シルヴィアの体が空に伸びる光の柱に包まれた。


「城内に入り込んだ賊を探せ! ダンテも呼び戻して対処させろ!」


 ルシアが命令を飛ばす間にも、織と愛美はすぐそこで起きている光景から目を離せない。

 やがて現れたのは、全身が光り輝く一体のドラゴン。腕の代わりに発達した翼を大きく広げ、光と共に撒き散らされる甲高い声が大気を震わせた。


「本人は君たちになにも言っていなかっただろうが、シルヴィア・シュトゥルムはドラゴンだ。それもかなり特別な」


 剣を構えたルシアが、ひどく冷たい声で目の前の事実を告げた。

 そんなこと見れば分かる。だけどなんで、どうして彼女が、今ここで龍の姿になって、王太子は剣を向けているんだ。


「あいつが打ち込まれた薬は、先日の暴走事件と同じものが使われているはずだ。あるいは、その改良品か。どちらにしても、シルヴィアが暴走していることに変わりはない」

「だったら止めてやらないと!」

「最初からそのつもりだ。殺してでも止める」

「なっ……!」


 あまりにも冷酷なその判断に、織は反論しようとして言葉を止めた。

 ルシアが背負っているのは国だ。そこに住む国民たちの命だ。その大多数のために少数を切り捨てる。将来王となる彼にとっては、この上なく正しい判断。

 その重責を理解できない織には、彼を止める権利すらない。


「■■■■■■ーーー!!!」


 甲高い声と共に、シルヴィアから光の槍がいくつも放たれた。ルシアと話している暇なんてありはしない。舌打ちをひとつして同じ数の槍を織も放ち、互いの間で相殺させる。


 爆発を伴う衝撃の余波は、付近の窓ガラスを悉く砕いた。城の女官たちは悲鳴をあげて逃げ惑い、兵士たちがその避難を誘導している。


 強い。

 今の迎撃は少しでも出力が足りなければ、容易く押し切られていた。手加減できる相手ではない。ましてや、殺さずに止めようなんて考えない方がいい。

 その思考が邪魔をして、こちらがやられてしまう。


「殺させないわよ」


 意志のこもった呟きがあった。

 国のために一人を犠牲にするなんてのは、彼女の正しさにそぐわない。それが友人であると言うなら尚更。


「国のためだかなんだか知らないけどね、そんなことのために友達を殺させないわ。この国もシルヴィアも、これから犠牲になるドラゴンたちも、全員救ってこそでしょ」

「理想論だな。全てを望もうとしていては、国を守ることはできない」

「だったらあんたの器もその程度ってことね。やる前から諦めてちゃ話にならないわ」


 この国の次期国王にそう吐き捨て、愛美は刀を構える。

 全くもって彼女の言う通りだ。

 ルシアの判断はこの上なく正しいのだろうけど、そんなもの織な関係ない。友人を見捨てなければならない正しさなんてのはクソ喰らえだ。


「織、時間を稼いで」

「お前は?」

「シルヴィアの体内に薬品が打ち込まれたんでしょ? だったらそれだけを的確に斬る。ちょっと様子を見ていたいから」

「了解、任せとけ。そういうわけだ、ルシアさん。悪いけど、ここは俺たちに任せてもらうぜ。あんたらは犯人探しでもしててくれ」


 ホルスターから銃を抜く。万全の状態とは程遠い。流星一迅の反動はまだ体に残っているし、当然その魔術をもう一度使えるわけもなく。かと言って幻想魔眼だって、この世界でどれだけ効果を発揮してくれるのか分からない。

 それでも、友達を助けるために。


「アオイといい君たちといい、そちらの世界には頑固者ばかりだな」


 背後から聞こえた笑みは、どこか優しげなもの。先程まであんなに冷たい顔を見せていた男とは同一人物と思えないほどに。


 しかしそれも一瞬のことだ。

 王族としての顔を戻したルシアは、改めて織たちに言った。


「ならシルヴィアは君たちに任せる。俺は配下と共に薬品を打ち込んだ犯人を探そう。頼んだぞ」


 その場にいた兵士たちを連れて、王太子はどこかへ去っていく。


 見上げた先にいるのは、この世界に来て初めてできた友人。織だけじゃなくて、愛美と朱音にとってもそうだ。

 眩しい輝きを放つ彼女の目には、理性が残っていない。きっとここで織たちが抑えないと、城の中で暴れ回り、果ては街を蹂躙してしまうだろう。


「許すわけにはいかねえよな、そんなの」


 魔法陣が複数展開されたのを見て、咄嗟に修練場を囲む結界を張った。これで外に被害は出ない。

 放たれるのは先ほどと同じ光槍。片手で帽子を押さえながら宙を駆け、その全てを躱し続ける。


「術式解放、其は万象を拒絶せし巨人の檻!」


 空から降り注いだ柱がシルヴィアの体を囲み、最後に降ってきた天板で檻が完成した。内部では互いの魔力が拮抗しあって火花が散る。

 かなりキツイ。だけどここが踏ん張りどころだ。


 シルヴィアはこの国が、この城が、そこに住む人たちが大好きなんだ。そんな彼女に、みんなを傷つけさせるわけにはいかない。


「愛美、まだか⁉︎」

「もうちょっと……見つけたっ!」


 刀を鞘に収め、居合の構えを取る。

 亡裏に継承されたのは『拒絶』の力。切断とはその物理的な現象にすぎず、愛美の異能は概念にまで作用する。

 ならば彼女の体を傷つけず、体内にある薬だけをピンポイントに斬ることだって可能としてしまう。


 これだけは朱音にも真似できない、力を完全に受け継いだ愛美だからこその芸当。


「徹心秋水!」


 抜き放たれた空色の刀身から、斬撃が繰り出される。輝き続ける体に直撃すれば、シルヴィアは力なくその場に倒れた。

 外傷は一つもない。気を失っている。


「大丈夫、なのか?」

「手応えはあったから、そうだと思いたいけど」


 檻を解いて龍となった友人に近寄る。

 この姿が、シルヴィア・シュトゥルムの本来の姿だ。

 薄々感じてはいた。十六年前の件を知っていたこともあるし、発言の節々にも現れていたのだ。見た目は織たちと同じくらいの歳だが、本当は違うんじゃないかと。


「とりあえず、イブさんを呼んだ方がいいよな」


 城の中でドラゴンが暴走したのだ。イブもどこかで対処に当たっているだろう。とにかくこちらの状況を伝えるためにも通信を繋げようとして。


 織は咄嗟に左へ跳んだ。

 どこかから伸びた魔力砲撃が、右手首から先を飲み込む。


「織!」

「どこからだ⁉︎」


 一瞬回避が遅れた。そのおかげで持っていたままだったグロックは跡形もなく破壊されてしまい、飲み込まれた手は焼け爛れている。

 すぐに治療して辺りを見回すが、敵の姿が見えない。


 愛美と背中合わせで警戒する中、またしても砲撃が飛んできた。今度は防護壁を展開して受け止め、その先へ愛美が無形の斬撃を飛ばす。手応えがなかったのか、隣からは舌打ちが。


「まだ来るわよ!」

「任せろ!」


 今度は真上から砲撃。同じく防護壁を展開するが、容易く破られる。しかし同時に、敵の砲撃も粒子となって消えた。

 いや、織が吸収したのだ。


 なにもない空間に魔法陣が大量に描かれる。吸収した敵の魔力を逆探知して放たれるのは、魔導収束の初歩も初歩。


連鎖爆発チェインエクスプロージョン!」


 上空で巻き起こる大爆発。周囲に轟音を響かせたそこから、ひとつの影が落ちてきた。

 音もなく着地したのは、くすんだブロンドの短髪を持ち、胸に十字架を下げた女性。


 爆発によるものか、身に纏った黒いローブの端は少し煤けている。


「もしかして、こいつが犯人か?」

「状況的に考えて間違いないでしょうね」

「異世界からの来訪者は中々やるみたいよ、シンデレラ。大丈夫、私ならできるわ」


 その瞳は織たちを捉えているが、言葉は自分自身に向けているもの。独特の空気感を纏った女性は、その魔力も異質なものだ。


 有澄やシルヴィアと似ている。

 つまり、ドラゴンである可能性が高い。


「随分と隠れるのが上手い。見つけるのに時間をかけてしまいましたよ」


 そんなハスキーボイスが聞こえたと思ったら、女性へ向けて無数の鎖が四方から伸びる。躱そうとした敵は、しかし足をすでに鎖に捕らえられていた。


 瞬く間に雁字搦めに縛り上げられ、ミシミシと嫌な音が修練場に響く。次第に骨の折れる音が聞こえ始めるが、鎖はまだ女性の華奢な体を締め上げようと蠢いている。


「殺しはしません。あなたには聞きたいこともある。まずは拷問室までご同行願いましょう」


 やって来たイブはとても残酷で、なのに楽しそうな笑顔を浮かべていた。



 ◆



 ドラグニアから南、海を挟んだ先にある大国ローグは、一年を通して暖かい気候に包まれる。四季があるとは言え比較的温暖な一年が続くドラグニアよりもさらに南にあるのだから、朱音たちの世界に照らし合わせればある意味当然と言えよう。


 しかし今、そのローグでは雪が降っている。二人の魔導師の魔力に反応して、城都周辺の気温が一気に低下しているからだ。異常はそれだけに収まらず。

 世界を守る側であるはずの龍神が、破壊の限りを尽くしていた。


「やりづらい……!」


 仮面を纏った朱音は凶器と化して迫る木々を巧みに躱し、時に斬り落とし、龍神エリュシオンへと肉薄を試みる。

 しかしエリュシオンが操る草木は槍となり剣となり、朱音の行く手を阻んでいた。


 逆鱗に一撃入れるだけ。

 有澄は簡単に言ってくれたが、相手は龍神だ。暴走しているとはいえ、力の衰えなど全く感じない。むしろ理性をなくしている分、全ての攻撃が全力でやって来る。


 おまけに殺したらダメと来た。

 その制限さえなければ、戦いはとうに終わっていただろう。『拒絶』の力と銀炎の合わせ技は、異世界の竜神であろうと容易く殺せるほどの威力がある。


 まず殺してはいけない時点で、切断能力の使用が制限された。かなり痛い。朱音と愛美はそこを攻めの基点としていることが多いから。


 その上でここは街中と来た。石に記録されている魔術の殆どは大規模なものなので、街に被害を齎してしまう。

 避難はまだ終わっていないし、人々が住む家や建物を壊すのは気が引ける。


 しかし、打てる手が少ないなら、この場で作ればいいだけ。

 朱音が持つ力はそれを可能とする。


「我が名を以って命を下す! 其は天より遣われし神秘の鎧!」


 自身の周囲に展開した五つの魔法陣から、銀色の翼を持った甲冑の騎士が現れる。召喚したそれらは迫る木々への対処をさせて、朱音は高速で宙を駆ける。


 エリュシオンの懐まで潜り込んだ。顎の下、逆さになっている鱗。あれがドラゴンの弱点、逆鱗。

 銃口をそこへ向け、全力の魔力砲撃を放った。光が龍神の首から上を全て飲み込むが、それが晴れた後には無傷のエリュシオンが。怯んだ様子すらも見せない。


「もっと威力を上げないとダメってことか……だったら!」


 次の術式をながら、振り下ろされる凶悪な爪を避ける。逃れた先には鋭い刃となった葉が襲いかかり、右手のグロックから放つ魔力弾で撃ち落とした。


「我が名を以って名を下す! 其は秩序を乱す不遜の炎! 我が手に宿り貫き穿つ形を成せ!」


 炎が左手に宿り、槍の形を作る。

 再び果敢に距離を詰めた朱音は、エリュシオンの逆鱗目掛けて槍を投擲した。

 防ぐまでもないと判断したのか、槍はまともに命中する。たしかに、突き刺さるだけではこの龍神を止めることはできないだろう。

 だからそれだけじゃない。


「くさタイプにはほのおタイプって、ゲームで習ったもんね」

「■■■■■■!!!!!」


 炎は槍の形を保たず、逆鱗全体まで広がって燃え続ける。苦痛の悲鳴はどこまでも響き渡り、やがてエリュシオンの姿が徐々に小さくなり始めた。

 それを見て炎を消し、朱音は完全に人間の姿へと戻った龍の巫女を受け止める。


 深い緑の髪。眦の下がった目は閉じられていて、完全に気を失っている。

 この女性が、龍神エリュシオンの巫女。


 とりあえず城に運んだ方がいいだろうか。抱えたままでは有澄の助けに入ることもできないし、一度ハルトと合流して状況報告をした方がいいかもしれない。

 城の方へ向けて飛び立とうとした、その時だった。飛行魔術の制御が突然うまく出来なくなって、バランスを崩してしまう。なんとか持ち直したかと思えば、近くに有澄が吹き飛ばされて来た。


「有澄さん、大丈夫ですか⁉︎」

「問題ありません」


 口から血を吐き出す有澄は、全身が傷だらけだ。服もところどころ切り裂かれて血が滲んでいる。

 苛立たしげに見つめる先。スノーホワイトと名乗った少女が柄の長い斧を構え、有澄に蔑んだ目を送っていた。


「弱い、弱すぎる。これが旧世代の実力? オーバーロードを使うまでもないですね」

「へえ、その口ぶりからするに、あなたも龍神を宿してるんですか? スノーホワイトはその龍の名前だったりします?」

「旧世代に教えるわけがないでしょう」


 少女が駆けた。

 咄嗟に抱えていた巫女を宙に放り投げ、銀炎で空間固定。有澄の前に出て短剣を振るう。構わず斧を振り抜いて来た少女は知らない。朱音たちの斬撃を真正面から受け止めようとすれば、どんな末路が待っているのかを。


「っ⁉︎」

「紙一重、ですね」


 直感的になにか嫌なものを感じ取ったのか、スノーホワイトは急ブレーキをかける。おかげで斬れたのは斧の柄と見に纏う布一枚。


「異世界からの来訪者……シンデレラが対応していたんじゃなかったの……」


 苦々しく呟いている少女に追撃しようとして、朱音はまた、飛行の制御を失いかけた。勢いが削がれてしまい、一度有澄の隣へと下がる。


 魔力行使がなんらかの影響で阻害されている。だから上手く飛べないのだ。


「朱音ちゃん、この雪には毒が含まれています」

「雪に? これって、有澄さんの魔力によるものじゃなかったんですか?」

「その影響もあると思いますけど、あの少女の術でもあるみたいですね」


 上手く飛べないことだけじゃない。エリュシオンを全力の砲撃で倒しきれなかったのも、もしかしたらこの雪のせいで出力不足になっていたのかもしれない。

 あの有澄がここまで苦戦を強いられているのも、同じ理由だろう。


「ドラゴンにはよく効くみたいですね。エリュシオンだってこの毒の影響を受けていたと思いますよ。だから簡単に倒せてしまったんです」

「なら有澄さんも……」

「ああ、わたしは大丈夫ですよ」


 深く息を吸って吐いた有澄。全身の傷が見る見るうちに癒えて、剣を構え直した。


「わたしに毒は効きませんから」

「え、でも、苦戦してたんじゃ……?」

「いやぁ、慣れないことはするもんじゃありませんね。剣術って苦手なんですよ。多分それだけなら、あの子の方が断然上です」


 だったらどうして剣なんか持ってるんだ。心配して損した。

 安堵からドッと大きなため息を吐いて、朱音は放置していたエリュシオンの巫女を再び抱え直す。


「だったら任せても大丈夫ですか? 私はこの人を城へ運びますので」

「いや、もう終わります」

「旧世代が大層な口を叩く。後悔させてやりますよ、ニライカナイの巫女」


 有澄の言葉に、スノーホワイトは怒りを隠そうともしていない。

 有澄と似たような魔力を持っている上に旧世代だと蔑むその態度。そしてその有澄の発した言葉から察するに、彼女も龍の巫女と似た存在なのだろう。


「嘶け、スレイプニル」

「──は?」


 音もなく駆けた巫女が、少女の右腕を斬り落としていた。切断面から凍結が始まり、瞬く間に全身へと広がっていく。


「おっと、この高さから落ちたら砕けちゃいますし、まだ死んでもらうわけにはいきませんからね。とりあえずローグの城に運びましょうか」


 あっという間に氷像へと変わり果てたスノーホワイト。雪は止み、朱音の体内からも毒が消える。


 剣術苦手って、絶対嘘だ……。

 城へ飛び立つ有澄の後ろについていきながら、朱音は最強の意味を今一度思い知らされた。

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