第4章 まだどこにも記録されていない未来へ

破壊者の帰還

第135話

 目を開くと、見慣れない街の中にいた。

 前後の記憶が曖昧だ。私はたしか、学院にいたはずなのに……。


 街の様子をよく確認してみると、どことなく似た雰囲気に覚えがあった。

 そう、桐生織が、父さんが生まれ育ったあの地方都市に似ている。ただ、なにかが決定的に違うというか、どことなく違和感を覚える。


 その答えは街頭スクリーンに映し出されていた。流れる映像は今日の天気予報。ただし、その日付が違う。朱音の記憶にある日付とは、明らかに。


『2004年11月』


 朱音がいたのは、2020年の11月だ。そこからさらに十六年も前。

 訳もわからず立ち尽くしていると、前から小さな男の子たちが走ってきた。朱音に気づく様子もなくあわやぶつかりそうというところで、男の子たちは朱音の体をすり抜けていった。


 自分の手を見つめる。

 実体がない。ということは、これは夢? いやでも、夢にしては街の風景が随分とハッキリしてる。

 最初に朱音が感じた違和感は、時代の違いゆえのものだ。十六年前のこの街なんて知る由もないのに。


 状況が分からないながらも、朱音は足を動かす。どうして十六年前に遡っているのかは分からないけど、この街である理由は察しがついたから。


 繁華街を抜けて川沿いを歩き、人気のない通りを真っ直ぐ歩く。

 やがて見えてきたのは、四階建てのビル。一階は空きテナントになっているけど、二階から上はそうじゃない。

 真新しい看板には、桐生探偵事務所と書かれていた。


 そしてそのビルの前には、三人の男女が。


「思ったりよりも普通の事務所だったね」

「一般人も来るんだから、そりゃ普通に決まってるだろ。なにを想像してたんだよ」

「それでも、結界とかは張らなくていいんですか? せめて魔物避けくらいはあった方がいいと思いますけど」

「その辺はおいおいだな。この街はそこまで魔物が出るわけでもねえし」


 シルクハットの青年に、隻腕隻眼の少年。それから、長い水色の髪をした美しい少女。

 一目見ただけで分かった。十六年前の小鳥遊蒼と彼方有澄。そして、朱音の祖父にあたる桐生凪だ。


 ていうか、蒼と有澄がめっちゃ若い。

 特に有澄。今ですらとても美人なのに、若い頃の有澄はやばい。年相応の幼さがまだ残っているから、可愛さもプラスされて最早人間兵器並みの美少女っぷりだ。


「っと、悪いがそろそろ客が来るんだ」

「早速お仕事ですか?」

「まあ似たようなもんだな」

「それじゃあお暇しようか。また来るよ、凪さん」

「おう。なにか困りごとがあれば、ぜひうちをご贔屓にな」

「考えとく」


 音もなく消えた二人。

 残された凪が、オレンジの瞳を朱音に向けていた。


 

 あり得ないはずなのに、そこに立つ探偵はたしかに、あの魔眼で朱音を捉えている。


「予測通りの未来だな。まさか本当に来るとは思わなかったが、そっちの異能が影響してたりするのかね」

「私が、見えるんですか……?」


 分かっていても、聞かざるを得なかった。

 だって信じられないから。その魔眼の持ち主は自分の父親で、この人の息子で。

 ここは夢と似た場所だと思っていたのに、あちらから干渉してくるなんて。


「初めまして、だな。知ってると思うが一応自己紹介だ。俺は桐生凪。織の父親で、朱音にとってはお祖父ちゃん。よろしくな」


 ニカッと白い歯を見せた凪は、織とよく似ていた。



 ◆



 灰色の吸血鬼が、ついに位相の力を手に入れた。

 彼の行使した空を夜に変える魔術は、全世界に影響を及ぼしている。本来ならあり得ないはずなのに、世界中が真っ暗な空に包まれているのだ。

 日本も、アメリカも、イギリスも。地球の裏表など関係なく。


 結果もたらされたのは、全世界に存在している魔物の活性化。

 それは当然、桐生探偵事務所のある棗市も例外ではない。


「くそッ……どれだけ湧いてくるんだよ……!」


 逃げ惑う市民を守りながら、織は四方から襲いくる魔物を対処していた。

 右手のハンドガンから放った魔力弾が蜘蛛の魔物を穿ち、左手を掲げた先にいたガーゴイルは不可視の衝撃に体を粉々に砕かれる。また別の方向からはワイバーンが、逃げ遅れていた一般人めがけて弾丸のように飛んでくる。


!」


 オレンジの瞳をそちらに向ければ、ワイバーンが空中で動きを静止させた。容赦なく魔力の槍を放ち、ワイバーンは悲鳴と血飛沫をあげながら絶命する。

 襲われかけていたのは三十代ほどの男性だ。へたり込んでしまった彼へ、織は叫ぶ。


「早く逃げろ!」

「に、逃げるったって、どこに逃げればいいんだよ! もうどこにも逃げ場なんてないじゃないか!」

「チッ……」


 話してる暇すら惜しいのだ。男性の責めるような声は無視して、無理矢理市立高校へと転移させた。

 あそこは今、桐生探偵事務所の次に安全な場所になってるはずだ。カゲロウが異能で結界を張り要塞化してくれているから。蓮も高校の付近にいる魔物の掃討に向かってるし、こんな街のど真ん中よりはマシなはず。


 次の敵へ向けて魔力を練り始めたところで、前方に空色の光と稲妻が奔った。瞬く間に魔物を蹂躙した二色の異なる光は、織の隣で人の形を取る。


「こっちは終わらせたわよ」

「さすが、仕事が早いな」

「でも、まだまだです。湧いて出てくるのが止まらない」


 概念強化を一度解除した愛美と、雷纒を発動させたままの葵。

 ツインテールの後輩が瞳に映す情報は、正直聞かなかったふりをしたいのが本音だ。戦い始めて、一体どれだけの時間が経過しているのか。空は真っ暗な夜に包まれて変わらないから、それすらも曖昧だ。


「緋桜さんは?」

「隣町に向かったわ。休めって言ったんだけどね」


 織と愛美には賢者の石が、葵には異能とこの空の恩恵がある。魔力だけを考えるなら、殆ど無制限に供給されるのだ。ゆえに長期にわたる戦闘が可能だが、緋桜はその限りじゃない。

 彼には葵のような特別な異能も、織や愛美のように賢者の石もないのだから。


「お兄ちゃんは大丈夫……心配するだけ無駄ですよ。どうせ無事に帰ってきますから」

「そうね。あいつの心配するより、現状を打破する算段を考えましょう。織、魔眼は?」

「対象が曖昧すぎて上手く機能しないんだ。そもそも、魔物どもの発生源も分かってないしな」

「葵」

「そこら中、としか言えませんよ。どこかから転移してきてるというより、今ここで生まれてるって言われた方が納得できるくらいです」

「それにしたって、その原因となるものはあるはずよ。視えない?」

「ごめんなさい、なんか、靄がかかってるみたいになってて……」


 グレイの影響だ。

 位相の力すら自在に操れる葵の情報操作は、今や幻想魔眼に次ぐ絶対的な力を有しているはず。それを妨げるとなれば、同じ位相と情報操作を持つグレイしかいない。


 やつが直接手を下しているというよりは、おそらくこの空に問題があるのだろう。グレイが作り出した夜空。ただ夜空を作るだけなわけがない。なにかしらの効果があるはず。


「どうやら、こっちから探す必要はなさそうだぜ」


 瞳を橙色に輝かせた織は、前を見つめながら怒りに震える声で言う。


 数秒遅れて、視線の先に男が現れた。

 緑の外套を羽織り弓を持ったその姿は、狩人と形容すべきか。


 明らかに、人間ではない。

 ヒトの姿を取りながらも、その存在感は異質の一言に尽きる。

 覚えのある感覚だ。かつてこの街で受けた依頼、その中に。同じ存在と遭遇した依頼があった。


 ソロモン七十二柱に名前を連ねる悪魔。その一柱。

 序列八位、バルバトス。


「いい時代にいい契約者を得たものだ。人間は腐るほどいる。それを好きなだけ食っていいと来た。過去最高の気分だな」


 喉を鳴らして笑う悪魔の手には、なにか、赤黒い塊のようなものが。隣の後輩が息を呑む気配。

 あれは、人間の心臓だ。

 この街に住んでいた、もう顔もわからない誰か。織が守らなければならなかった、守れなかった人の。


 あろうことか、それを口に入れた。

 グロテスクで生々しい咀嚼音が響く中、殺人姫が駆けた。殺し合いへの愉悦などもはや浮かべることもなく、爆発した怒りに突き動かされるがまま。


「契約者から聞いているぞ。特記戦力のひとり、殺人姫だな?」


 袈裟にかけて振るわれる空色の刀は、絶死の威力を秘めたもの。しかし容易くかわされて、構えてもいない弓からゼロ距離で矢が放たれた。

 なんとか防いだ愛美だが、不可解なその攻撃に舌打ちしながら後退する。


 あの距離で愛美とまともにやり合える。その事実がやつの強さを証明していた。


「こいつを倒せば、ここら一帯の魔物は消えるのね?」

「そうじゃなくても、みすみす逃がすわけにはいかないですよ」


 とはいえ。この三人であっても、正面から打ち勝てる相手ではない。それは今の短い戦闘で理解できた。


 倒し方としては以前と同じだ。

 悪魔には死の概念が存在しない。だから幻想魔眼でそれを付与し、愛美の拒絶の力でトドメを刺す。

 言葉の上では簡単だが、ではどう攻めるべきか。思考を巡らせる中、バルバトスが弓をこちらに向けた。

 ただそれだけ。矢を番えることもせず、構えを取ることもなく。


「勘違いを正しておこう」


 ただ弓を向けただけで、三人のもとに夥しい数の矢が殺到した。


「これは狩りであり、我輩は狩人だ。ならば貴様らは単なる獲物に過ぎない」


 すぐに散開したが、矢は軌道を変えて追ってきた。織は砲撃で、愛美は斬撃で、葵は雷撃で迫る矢を迎え撃つが、矢は果てることなく放たれ続ける。


 物量で相手を圧すのは、シンプルゆえに強力な一手。街に現れ続ける魔物と同じだ。こちらがいくら特異な手札を持とうとも、尽き果てることのない数の暴力はひっくり返せない。

 必要なのは対処療法ではなく、根治療法なのだから。

 それもこの数を前にしてしまえば、術者であるバルバトスへの攻撃もままならない。魔眼もドレスも発動の隙を与えてくれない。


「異能さえ上手く使えてれば……!」


 情報操作の異能であれば、この程度の攻撃を消すくらい造作もないのだろうけど。グレイの干渉によるものか、葵は異能を上手く使えていない。完全に使えなくなったわけではないようだが、力はかなり減衰していると見たほうがいい。


 迫る矢に向けて再び砲撃を放った織は、地面に新しく湧いて出てくる魔物を視界に捉えた。

 まずい。住人の避難は具体的にどれほど完了してるのかも把握していないし、そうじゃなくても街が破壊されてしまう。


 この際だ、多少の被弾は覚悟しよう。自分が傷つく分にはいくらでも構わない。

 だから無理矢理にでも魔眼を、ドレスを使って、少しでも被害を減らさないと。


 空中で急ブレーキ。回れ右して迫る矢と正面から相対した。


「待ちなさい織!」


 こちらの真意に気づいた愛美が声を上げるが、もう手遅れだ。一度止まった時点でもう逃げ切れない。

 だから、それでいい。逃げるつもりなんて毛頭ない。


 瞳をオレンジに輝かせ、この身に宿る絶対の力を行使しようとして。


 この場にいる敵の全てが、砕け散った。


 織のもとへ迫っていた矢も、愛美と葵を追っていた矢も。地上に湧いていた魔物や高みの見物を決めていた狩人まで。

 情け容赦なくされたのだ。


 意味も分からず地上に降りる三人。地面は魔物どもの血で汚れ、肉片があちこちに飛び散っている。


「あなた、なに考えてるの⁉︎」

「いや、待て愛美。これは俺の魔眼じゃないぞ」


 状況が分からないながらも、愛美が織に詰め寄って胸ぐらを掴んでくる。予想通りの反応だ。愛美なら怒ってくれると思った。

 しかし愛美は織の反論を受け付けず、きつく睨んで言葉を続ける。


「そんなことわかってるわよ! あなたさっき、自分の身を犠牲にしようとしたでしょ!」

「……それ以外手がなかっただろ」

「それでも織が犠牲になる必要はなかったはずよ!」


 こちらを心配しての、親愛がこもっているからこその怒りだと分かるから、織も強く返せない。

 なまじ朱音があんな目にあったばかりだから、愛美は必要以上に怒る。感情をむき出しにする。


 軽率すぎた。織が犠牲になれば、悲しむ人間はいるのだ。例え死ななくても、自分が傷つくことで涙を流す家族が、仲間がいる。


 まあまあ、と葵が仲裁に入って、愛美は手を離してくれた。


「たしかに織さんの選択はまちがってましたけど、今はそれよりも状況の把握が先ですよ。怒りたいならあとにしてください」


 葵の言う通りだ。

 突如もたらされた破壊という現象。織たちの誰も心当たりのないそれが、果たして誰の手によるものなのか。

 魔力は検知できなかったし、異能だとも思えない。なら一体どのような力なのか。


 そんな疑問に対する答えは、そう時を置かずに現れた。


「中々に愉快じゃない状況だな。十六年前よりも酷い。おい有澄、とりあえず敵らしきやつは全て壊したが、これで良かったのか?」

「バッチリですよアダムさん。後で師匠に褒められますね」

「やめろ、俺はお前と違ってこの歳になってもあいつから褒められたいわけじゃない」

「わたしも違いますよ!」


 長い水色の髪を靡かせる女性、彼方有澄のとなりに立つのは、彼女の夫じゃない。黒のロングコートとズボンに身を包んだ黒ずくめの少年だ。


 全く知らない少年、アダムと呼ばれたその男と親しげに話す有澄。師匠がどうやらと言っているから、実際親しい間柄ではあるのだろうが。それにしたって歳の差が開いてる。

 少年の容姿は織や愛美と同い年くらいにしか見えないのだ。一方の有澄は、実際に具体的な年齢を聞いたことがあるわけではないが、三十は過ぎてるだろう。

 なのに、二人の距離感は完全に友人のそれ。


 困惑する織たちを他所に、二人は三人の前に立った。


「お前が凪の忘れ形見か」

「父さんを知ってるのか……?」

「あとで説明してやる」

「織くんたちは下がっててください」


 杖を取り出した有澄と特に構えることもないアダムから、少し離れた位置に。砕け散ったはずの悪魔が再び現れた。

 やつに死という概念は存在していない。ゆえに、あの謎の破壊現象でも殺せないのだ。


「貴様……我輩の体になにをした……?」


 狩人は自身を襲った現象を理解できていないのだろう。悪魔であり、ヒトとは違うはずなのに。その体は、恐怖で震えている。


 人外の存在ですら理解の及ばない力に、直接向けられたわけでもない織たちですら。


「なにをした、と言われてもな。お前が勝手に壊れただけだろう」

「ふざけたことを……!」

「それよりいいのか? 狩人が獲物を相手にビビってて」


 速い。

 なんの魔術も使わず、アダムは一足に悪魔の懐へ潜り込んでいた。手に持っているのは魔力で形成された非物理的な剣。

 振るわれた剣はバルバトスの体を斬り裂いて、しかし外傷はひとつもない。血の一滴も流れず、それでも悪魔は苦しげに膝をつく。


魔蝕剣テイクオーバー

「我輩の魔力を吸収したのか!」

「不味い魔力だな。悪魔ならこんな程度か」


 手元の魔力剣を消して、バルバトスの体を蹴り飛ばす。次いで天に腕を翳せば、その手に柄の短い戦鎚が現れる。


 膨大な魔力と神氣を帯びたそれは、北欧神話の雷神が持ったとされる力の象徴。

 使用者の魔力に応じてどこまでも巨大になるハンマーは、その全てを凝縮して手元に収まる大きさとなっている。


「ふんっ!」


 素早く肉薄して、体勢の整っていないバルバトスの脳天をハンマーが打ち据える。地面で体がバウンドしたところを、水平にフルスイングした一撃がぶち当たり、狩人の悪魔は夜空の向こうへと吹っ飛んでいった。


「ホームランですね」

「グランドスラムだぞ」

「なんでしたっけ、それ」

「満塁ホームラン」


 場違いな会話を交わす二人。呆気に取られたままの三人を見渡した黒い少年は、織を捉えてこう言った。


「凪の墓はどこだ?」

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