第132話
出会い頭にとりあえず一発強力なのをお見舞いしてみたが、どうにも効いてる様子が見られない。多少怯んだ程度だろうか。
それなりの自信があっただけに、軽く凹んでしまう。
「出力の調整ミスかな? どうにもまだやりづらいな、この体は」
「普通に動けてるだけで十分だと思いますよ。そもそも今の一撃だって、蒼さん以外には不可能な術式なんですから。いきなりそんなのを撃ててる時点でおかしいですよ」
傍に立つアリスの言う通り、先程のグランドクロスという魔術は蒼にしか不可能な術式だった。
四つの元素全てを組み合わせる。まずこの時点であり得ない。
火と水、風と土はそれぞれ相反する性質を持った元素だ。通常の元素魔術では組み合わせることができないのに。そんなものを無視した術式構成。
この世界の魔術を習って日が浅いアリスでも理解できるほど、常識離れした術式だ。
一度地上に降り立てば、黒龍の眷属らしきワイバーンの相手をしている仲間たちから非難の声が浴びせられた。
「遅いぞ馬鹿、どこで何をやってた」
「俺が死にかけてるって時にアリスとイチャコラし腐ってたのか? 薄情な友人を持ったもんだな」
「ていうか、なにその体。ボクらにこっち任せてる間になにがあったのさ」
迫り来るワイバーンを破壊し、斬り伏せ、白く燃やしながら。せっかく帰ってきたってのに、心配の言葉ひとつありゃしない。
まあ、この方がらしくていいのだけど。
「いやぁ、ミーミルの泉全部取り込んじゃってさ。なんか人間やめちゃったんだよね」
「うわぁ本物の馬鹿じゃん」
ルークがドン引きの表情でこっちを見る。アダムと龍はため息を溢す始末。
いや敵に集中してくれよ。結構余裕あるなおい。
「ところで凪さんは?」
「は? そこに……っていねえし」
敵を聖剣で斬り伏せながら辺りを見回す龍だが、あの探偵の姿はどこにもない。蒼もさきほと上空から姿を確認したのだが、いつの間にやら消えていた。
しかし彼が連れてきた他の魔術師たちは、今もなおドラゴンたちと戦闘中だ。まさか敵前逃亡というわけがないだろうし、他にやることがあるのだろうか。
彼の考えていることはよく分からない。
なにせ、自分たちとは見ているもの、視えているものが違うのだ。
ドレスの力を持つ凪の離脱は痛いが、ここはあの探偵を信じるとしよう。
「凪のことは放っておけ。それより、さっさとあいつを片付けるぞ」
「ああ、ちょっと待ってくれアダム」
怪訝な顔を向けられるがスルー。エルドラドの相手をする前に、ひとつやっておかなければならないことがある。
傍のアリスに向き直り、コホンと咳払いしてから。
「アリス、この戦いが終わったら結婚しようか」
「お断りします」
とてもいい笑顔で即断られた。
これにはさしもの蒼も石のように固まってしまい、他の三人は呆気に取られている。
え、やばい待ってちょっとマジで泣きそう。
「おい馬鹿! 状況を考えろ色ボケしてる場合じゃないだろ!」
「そういうのは先に済ませてから来いよ!」
「ダハハハハ!! 蒼のやつ思いっきり振られてやんのー! いやあ聡美にも見せてあげたかった!」
「うるさいなこっちは本気で泣きそうなんだよちょっと黙ってろ!」
泉ではあんなことまで言われて、半ば無理矢理キスしてきたというのに、なぜなのか。内心でめちゃくちゃ頭を抱える蒼の前に、ため息が一つ落とされた。
「そもそも、この国の法律ではあなたの年齢だと結婚できないじゃないですか」
「あ、忘れてた」
転生者ゆえの弊害か。昔は現代で言う中学生ほどの年齢でも普通に結婚してる子とかいたし、そのあたりの倫理観ガバガバだったし。
しかしまさか、アリスが日本の法律を知ってるとは。勤勉なこの子のことだから、蒼が知らないところで他にも色々と調べたりしていたのだろうか。
「それから忘れてるかもしれませんけど、わたしはこう見えて一国の王女ですよ? わたし一人の都合で勝手に決めれるものでもないんです。あとお父様をちゃんと説得してください」
つまり、その条件さえクリアできればいいと言うことで。
「色良い返事をもらえたということで、黒龍退治といこうか!」
「あいつの耳は腐ってるのか?」
「いや、ただの馬鹿だ」
「ひー、ひー、ダメだ、笑いすぎてお腹痛い!」
律儀に待ってくれている黒龍に再び相対すれば、三方から馬鹿にする声が。背後からはまたしてもため息。
しょうがないだろこうでも言っておかないと心が折れそうなんだから。
「もうそれでいいです。さっさとエルドラドを倒してしまいましょう」
蒼の隣に並び立ち、アリスは仇敵である黒龍を見上げて、異世界からやってきた両者が睨み合う。
『随分と大層な口を叩くじゃないか、龍の巫女。力を取り戻したようだが、貴様程度が今の儂に敵うと思っているのか?』
直接脳に響く声は思念波によるもの。
そしてやつが言う通り、いくらアリスが力を取り戻したと言っても、彼女一人では今のエルドラドに太刀打ちできないだろう。
それほどまでに、この黒龍は力を増している。この世界の魔術師を食ったおかげで、やつ本来が持つ力を圧倒的に凌駕していた。
それでも。
蒼が本気で惚れた少女は、不敵に笑って自信満々に、堂々と言ってのける。
「倒しますよ、エルドラド。あなたはここで倒します。わたし一人じゃない、わたしの隣にいてくれるこの人と、みんなと、わたしたち全員で!」
叫びに呼応してアリスの魔力が増大し、周囲の気温が瞬間的に下がった。冷気が漂い、アリスの体は薄く発光している。
「ドラゴニック・オーバーロード!」
やがて光がアリスの体を隠し、現れたのは黒龍と変わらぬ巨体。しかし対照的にしなやかな四肢で地に立つ、白く美しいドラゴン。
大きな翼を広げ甲高い声で鳴くのは、龍の巫女が宿した龍神ニライカナイ。
白と黒。二匹の龍神が激突した。
巨体同士のぶつかり合いは周囲に衝撃の余波を撒き散らし、近くを飛んでいたワイバーンはニライカナイの冷気で容赦なく凍りつく。
絶大な力同士のぶつかり合いの最中、二つの小さな影が躍り出る。
「ボクに任せて、怪我人は下がってた方がいいんじゃない?」
「馬鹿言うな、とっくに完治してるっての」
ルークと龍だ。上空に飛び上がって後退したアリスに代わり、白炎を剣の形に変えたルークが弾丸のように突っ込む。
それに対応できることもなく、エルドラドの右翼に白い炎が侵食した。
図体が大きいだけあった、人間態の時よりも攻撃を当てやすい。
『逆鱗を狙ってください! 全てのドラゴンはそこが弱点です!』
「任せろ、ソウルチェンジ・アーサー!」
アリスの飛ばした思念波に頷き、龍は聖剣を下段に構えて肉薄する。
黄金の輝きを帯びるのは、選定の剣。正しい心を持つものにしか使えない、悪しきものを裁く聖なる
「
龍の逆鱗、エルドラドの顔の真下まで迫った円卓の王は、その正しき心を刃に乗せて、悪しきものを断罪するために剣を振るう!
「
迸るのは黄金の光。容赦なくエルドラドの逆鱗に直撃し、黒い巨体がよろめいた。
追い討ちとばかりに、無数の魔力弾と鋭い氷柱が黒龍を貫く。
上空の蒼とアダム、アリスのものだ。
黒龍の瞳がこちらを睨む。そこに宿るのは激しい怒り。
「おい、かなり怒ってるぞ。本当に弱点なんだろうな」
「弱点だからこそ怒ってるんじゃないのか? どのみちアリスが言ってるんだし、間違いはないだろうさ」
会話を交わしながらも、術式構成の手は止めない。アダムが手をかざした先に魔法陣が展開されるが、一方の蒼はただ手を伸ばすだけ。にも関わらず、両者から魔力砲撃が放たれた。
早くも再生の始まっていたエルドラドの体に、二筋の極光が突き刺さる。
かたや人類最強と呼ばれた男の、かたや人間をやめ魔術という概念にまで存在が昇華された男の砲撃だ。
エルドラドの巨体が背中から地面に倒れる。
蒼の存在が変質してしまった恩恵。その一つが魔術発動のプロセスの省略。
詠唱を省くことはあれど、魔法陣の展開すら行わずに魔術行使できる人間などいない。しかし蒼は、すでに彼自身が魔術として存在している。ゆえに力を引き出すだけでよく、本来なら術式構成すらも省略してしまえる。
「呑気に寝てる場合じゃないぜ?」
仰向けに倒れた黒龍に向けて、天から稲妻が降り注いだ。かと思えば大地は膨大な熱に包まる。天地どちらからもその体を焼かれるエルドラドへと、さらに嵐が刃となって襲いかかり、地面からは地脈の魔力が直接衝撃となって襲いかかった。
簡単な元素魔術でしかないが、今の蒼が使えばどれもが絶死の一撃へと昇華される。
後々加減が難しそうだとは思うものの、今はそこを考える必要もない。
蒼の魔術に続けて、ニライカナイの口から氷の
「■■■■■■■■■!!!!!」
「それはまずいな……」
腹の底まで響く咆哮とともに、その口からは黒い燐光が漏れ出ていた。
同じく脅威を感じ取ったルークと龍が、二人と一匹の前に出る。
「ソウルチェンジ・アテナ!」
「サポートは任せろよルーク!」
守護女神アテナへとソウルチェンジしたルークの手には、ひとつの汚れもない神聖な盾が。それに龍の紅炎を纏わせ名を叫び力を解放するのと、エルドラドの口から黒い波動が放たれたのは同時だった。
「
盾が魔力で肥大化し、黒い波動とぶつかる。
アイギスも紅炎も、ともに絶対防御の概念を与えられたものだ。防げない攻撃はない。
そのはずなのに。
その二つを同時に使用して、それでも圧されている。ルークが更に魔力を注ぎ、龍が紅炎の展開を厚くするが、足りない。
全てを飲み込み破壊せんとするエルドラドの息吹は、概念防御すらも打ち破ろうとしている。
「チッ、上に逸らすぞ!」
返事の代わりに、ルークは盾にほんの少し角度をつけた。正面から受けるのではなく、軌道を逸らして上に受け流す。
黒い波動は雲を突き破り、どこまでも空高く伸びていく。
やがてエルドラドの攻撃が止んだ頃には、ルークは殆ど全ての魔力を使い果たしていた。
「もう無理……ボクはこの辺でリタイア……」
「いや、十分助かった。龍、ルークを頼むよ」
「言われなくても」
二人は転移で離脱する。おそらく、隔離してある学院の中へと避難したのだろう。
ともあれ、エルドラドの一撃は防げた。まさかあれを連発できるわけでもあるまい。決着をつけるなら今のうちだ。
「次で終わらせようか、エルドラド。墓場が異世界になって申し訳ないけどね」
徐に伸ばした手の先。複雑な術式によって魔法陣が展開される。
本来なら必要としない魔法陣を。その意味を成すのはただ一つ。より多くの力を引き出す時ということだ。
「……え、あれ? なんでですか⁉︎」
「ああ、ごめんねアリス。ちょっと魔力もらうよ。ついでにアダムも」
「俺はついでか……」
つい先程までドラゴンだったアリスが、元の人間の姿へと戻っている。蒼の魔法陣に魔力を吸収され、オーバーロードを保てなくなったのだ。
アリスだけじゃない。アダムの魔力も、激しい戦闘の末空気に溶け込んだ膨大な魔力も、目の前で低い唸り声をあげるエルドラドからですら。
この場に存在している全ての魔力が、蒼の展開した魔法陣に吸収される。
それは魔導収束を作り上げた時、真っ先に思い浮かんだ術だ。術式構成が複雑すぎて半ば断念していたが、今の蒼なら問題なく使えてしまう術。
魔力を吸収する。魔導収束の使い方を極めた、シンプルにして唯一絶対の魔術。
吸収を終えた魔法陣が、さらに緻密なものへと展開を広げた。派生する形で五つ、六つと増えていき、そこに自分の魔力まで全て注ぎ込めば、まるで万華鏡のような美しさを演出する。
「
静かな言葉と共に。
眩い光が、世界を包んだ。
◆
地球を、この世界を震わせるほどの一撃が黒龍を飲み込み、地上にはなにも残っていなかった。
黒龍の巨体も、やつの眷属である翼竜も、富士の樹海なんて跡形もない。
これでその魔術名の通りになっていないのが不思議だ。いや、本当にこの星が砕けてしまってもおかしくはなかった。
蒼の放った砲撃には、それだけの威力が秘められていたのだ。
この場に存在する全ての魔力。それは蒼自身も例外ではなく、存在の変質した彼の全魔力を注ぎ込んだ一撃。
ゆえに飛んでいることすらもままならず、三人で地上に降りたのだが。
「まだです……」
なにかに気づいたようにアリスが呟いた直後。眼前にどこからか魔力が収束し、巨大な黒いドラゴンを形作る。
その姿に先程までの強大さは感じられないが、完全に想定外だ。
「おいおい、嘘だろ。こっちはもう魔力すっからかんだって言うのにさ」
「お前のせいだ馬鹿が。味方の魔力まで勝手に吸い取るやつがあるか」
「そうですよもうちょっと後先考えてくださいよ! いきなり元の姿に戻ってびっくりしたんですよこっちは!」
「いやだって! 今ので殺せないとか思わないでしょ!」
本当に、これで殺せないとか、考えるわけがない。どれだけの魔力を注いだと思ってるのだ。殺し切れるのは位相の力か龍の巫女かという話だったが、その龍の巫女からも、エルドラド自身からも吸収した魔力も使ったと言うのに。
「どうしましょうか……」
「異能だけでなんとかするしかないかな」
「弱って見えても、そう簡単に行く相手じゃないだろう。だったらここまで苦労していない」
おっしゃる通りで。
ルークに連絡して、学院の隔離を解いてもらうか? そうすれば龍に久井、南雲と、まだ戦えるメンツは残っている。
だがトドメを刺せるわけではない。探偵と魔女はどこに行ったのだ。せっかく協力体制を築いたのに、肝心な時にいなければ意味がないじゃないか。
頭の中でいけ好かない二人に文句を並べていると。
黒龍の口から、またしても黒い燐光が溢れ始めた。
「ちょちょちょ、本当にどうするんですか! 今のわたしたちじゃ防げませんよ⁉︎」
「こう、アリスにはまだ隠された力があった的な、そんなのない?」
「ありませんよ! わたしをなんだと思ってるんですか! 本来はただの魔導師なんですからね⁉︎」
「じゃあアダムの異能でなんとか……」
「なるわけないだろ馬鹿。あれを破壊するのは流石に無理だ」
ですよねー。
エルドラドの黒い波動は放射状、断続的に放たれる。いくらアダムの異能が問答無用の破壊をもたらすとはいえ、さすがに分が悪い。
もちろんこんなところで死ぬつもりは微塵もないので、どうしようかと本気で頭を悩ませている時だった。
「我が名を以って命を下す」
今までどこで油を売っていたのか。
アウターネックに黒いドレス、
「其は神を射殺す不遜の槍、浄化の血を浴び洗礼を受けよ」
詠唱が終わり、槍が投擲される。
それは神を殺した聖槍。まさか本物ではないだろうが、その力を位相の魔力によって再現した、限りなく本物に近い槍。
神であるなら、例外なく。位相の力を使っているのなら尚更、異世界の龍神にも通用しないはずがない。
垂直に落ちてくる槍はエルドラドの頭から顎にかけて貫き、弱点である逆鱗すらも容易く破壊した。
呆気なく。
今度こそ。
エルドラドの体は、粒子となって消滅した。
「終わった、のか……?」
「みたいだな……最後は魔女に全部持っていかれた形だが」
蒼もアダムも、ここまでの疲労と緊張が途切れたことによって地面にへたり込む。
互いに顔を見合わせて破顔し、軽く拳を突き合わせた。
一方のアリスは、同じ世界から来た仇敵の残滓を見つめている。
その目に映る感情は、果たして幾ばくか。きっと蒼には理解できない範疇のもので、理解の必要もないものだろう。
空を見上げると、魔女はこちらに挨拶の一つもなく飛び去っていった。まあ、あいつはあんなものだ。
先に立ち上がったアダムが、蒼へ手を差し伸べる。親友の手を取ろうとして。
「悪いが、まだ終わりじゃないんだ」
不敵な笑みを浮かべたシルクハットの探偵が、アダムの頭に銃を突きつけていた。
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