第128話

「いやあ悪いないきなり! ほら、好きなもん頼んでいいぞ! あ、ピザとか食うか? せっかくだしひとつ頼んでシェアしようぜ。あとドリンクバーもいるだろ? 使い方はお姫様に教えてやれよ」


 なぜか妙にテンションの高い探偵に連れられ、三人は二十四時間営業のファミレスに場所を移していた。

 こちらに尋ねる形ではあったが同意は取らず、凪は好き勝手に注文してしまう。


 アリスと二人でドリンクバーにジュースを注ぎに行き、使い方をあれこれ教えていると、グラスにオレンジジュースを注ぎ終えたアリスが口を開いた。


「どう思いますか?」

「怪しさ満点だけど、敵ではなさそう。でも警戒はしておいた方がいい」


 なにを考えているのか分からない。

 桐生凪に対する印象はそんなところか。初対面の時といい、今日といい、あまりにもタイミングの良すぎる登場。彼の言葉を信じるのであれば、千里眼という異能のおかげらしいが。


 エルドラドに対して使った力は、そんなものじゃなかった。


「一応、さっきアダムには使い魔を送った。待機するようお願いしてるけど、こっちになにかあったらすぐ飛んで来てくれるよ」

「龍さんとルークさんは?」

「二人に水を差すほど無粋じゃないさ」


 蒼は二人のことについて、詳しく聞いているわけではない。

 知っているのは、お互いがお互い、転生者になった理由に深く関わり合っているということだけだ。

 つまり、何千何万年も昔から、あの二人は強い絆で結ばれている。


 そんな二人の過ごす聖なる夜に、面倒ごとを持ち込むのは躊躇われた。


 グラスにメロンソーダを注ぎ終え、二人は凪の待つテーブルへ戻る。凪はキッズメニューの表紙に書かれている間違い探しを、馬鹿みたいに真剣な顔で解いていた。

 もう大人のくせしてよくやる。警戒するのがバカらしくなる。


 だけど実際、その間違い探しかなり難しいんだよな。十問全て解いたことが一度もない蒼は、満足げに顔を上げた凪を見てつい声を上げてしまった。


「まさか、全部解けたのか?」

「おう、これくらいなら余裕だ。作ったやつの心理を読み解けば、大体どのあたりにあるかは目処がつくからな」

「間違い探しの楽しみ方としては0点だと思うけど」

「解けりゃなんでもいいんだよ」


 純粋な少年のような笑顔を直視してしまうと、今度は警戒しているのが申し訳なくなってしまう。

 だが、余計に桐生凪という男が分からなくなった。


 初対面の時には真意を悟らせない謎めいた表情を見せたかと思えば、エルドラドと対峙した際には相手を小馬鹿にしたように不敵な笑みを見せ、今は実に子供っぽい顔をしている。


 その奥に隠されてるであろう本当の顔が、全く見えない。


 程なくして、凪の頼んだ料理が運ばれてきた。早速ピザを切り分け頬張る彼は、なにかを切り出す様子がない。

 となればこちらから尋ねるしかなく、蒼は周りに話を聞かれないための認識阻害だけかけて、最も気になっている疑問をぶつけた。


「桐生凪、あなたの使った力は一体なんなんだ? 魔女も同じ力を使っていたけど、あの異能だけは明らかにおかしいだろう」


 オレンジに輝いていた瞳。たった一言だけでエルドラドを消し去った、あの異能。

 転生者として永い時を渡ってきた蒼でも、あそこまで圧倒的で理不尽な異能は見たことがない。


「まあ待て、順に説明してやる。そうだな、まずはレコードレスについて話すべきか」

「あなたと魔女が使っていた力ですね」

「その通り。とは言っても、魔女が使ってるのは無理矢理再現した借り物、俺のやつは可能性の前借りによるハリボテだけどな」

「可能性の前借り?」


 凪はよく、その言葉を口にする。

 千里眼という異能は、ここではない別の時間軸、並行世界を覗き見るものだと言っていた。過去にあり得たかもしれない、あるいは未来であり得るかもしれない可能性。


「俺の千里眼は、ただ可能性の世界を覗くだけじゃない。そいつを引っ張ってきて、今ここで使うことができる。タダでってわけにはいかないが、俺がドレスと魔眼を使えているのはそれが理由だ」

「で、その二つの力については? そいつを聞かないことには、僕たちはなにも分からないままだ」

「位相。こいつについては前に説明したな? レコードレスは、その位相を自在に操るためのものだ。魔眼もその一端と思ってもらえればいい」


 異世界からこの世界に、超常の力を齎すための扉。また、それらをこの世界に適応させるためのフィルター。

 それが位相と呼ばれるものだ。


 そいつを操るということは、つまり。この世界にいる限り、魔力や異能といったあらゆる力を支配できることになる。


 合点がいった。だから魔女は、蒼たちのソウルチェンジを無理矢理に解除することができたのだ。

 彼女が使っていた魔力も、異世界からフィルターを通さずそのままの濃度で使用していたと考えれば納得できる。


 同時に戦慄する。

 目の前の探偵やあの魔女の使う力が、いかなるものかを正しく理解できたから。


「そう怖がらないでくれよ。魔女はどうか知らないが、少なくとも俺は、お前らにあの力を向けようとは思わないからな」

「敵じゃない、って言いたいのか?」

「それもあるが、最たる理由は違う。アリス・ニライカナイがいるからだ」

「わたし、ですか?」


 突然自分の名前を出され、アリスは不思議そうに小首を傾げる。

 ここでアリスの名前が出るのは、なにもおかしなことじゃなかったりするのだ。今回の一件、蒼が想像していた以上に、位相とやらが深く関わっている。なら当然、異世界からやってきたアリスは無関係なはずもない。


「異世界からの来訪者であるそこのお姫様には、ドレスの力も絶対じゃない。今はまだ力を完全に取り戻してないから、魔女も圧倒することが出来たんだろう」

「完全に力を取り戻したアリスには敵わないから、こっちには手を出さないって?」


 まるで自分たちなど眼中にないと言われているみたいで癪だが、実際にその通りだ。

 単純な力の差ではなく、相性の問題。

 蒼がどれほどの力を持っていたとしても、その力が作用するルール、世界の作り自体を操られては、手の打ちようがない。


「でもそれは、エルドラドにも言えることですよね」

「そこが話の肝でな。アリスとエルドラド、異世界からの来訪者である二人には、ドレスの力も絶対じゃない。だが対抗手段もまた、位相の力を操るレコードレスだけだ」


 位相の力を使って、ようやく同じ土俵に立てる。この世界のルールでは、あいつを殺せない。


「でも、それだけじゃ理由になってないだろう。結局アリスがこっちにいるから何だって言うんだ? 今の言い方だと、逆に僕たちの敵として十分な脅威になる、その証明にしか聞こえなかったけど」


 剣呑な声で尋ねれば、凪は一瞬呆気にとられたような顔をして、その後すぐに吹き出した。

 苛立ちを隠しもせずに睨んでいれば、悪い悪い、と全く悪びれていない声が。


「お前、随分そのお姫様のことが好きなんだな」

「すっ……!」


 とんでもないことを言い出した探偵に、アリスが露骨な反応を示す。一瞬で沸騰してしまった顔を誤魔化すように、オレンジジュースをストローで啜っていた。


「いやあ、これだから現実ってのは面白い。ここまで親密になってるとはな。俺が見たどの可能性にもなかった」

「その話は関係ないだろう」


 蒼としてもあまり深掘りされたくないところだ。いかんせんその辺りデリケートなお年頃なもんで。

 おまけにアリスがこんな反応するから、嫌でも意識せざるを得ない。


「話の前提からすれ違ってたな。俺はなにも、お前らにつくかエルドラドにつくか、って話をしてたわけじゃない。お前たちに力を貸すかどうかって話をしてるんだ」


 ククッ、といまだに忍び笑いを漏らす凪。

 警戒のあまり、話の筋を間違えていたのか。そう思うと一気に体の力が抜けて、疲れたため息が出てしまう。


「なら最初からそう言ってくれ」

「むしろ最初から察してくれよ。エルドラドから助けてやっただろ」


 それを言われるとぐうの音も出ない。実際あのままだと、蒼もアリスも痛手を被っていただろうし、周囲に被害が出ないとも限らなかった。


 そして、改めて考える。

 この探偵の力を借りるか否か。

 普通に考えれば、いや考えるまでもなく、彼の手を借りたほうがいい。蒼たちでは殺しきれない相手。アリス一人に全て任せるには、敵が強大すぎる。

 だが、問題が一つ。


「今までの話は、まあ俺自身のプレゼンみたいなもんだ。そっちの質問に答えただけではあったけどな。もちろん、力を貸すと言ってもタダじゃない。見返りは求めさせてもらう」


 やはりか。

 こんな上手い話、タダな訳がない。足下見てくるに決まってる。


「三つだ。俺が力を貸すために提示する条件は、三つ」

「とりあえず聞こうか」

「まあまず、俺は先輩だからな。俺のことはさん付けで呼べ」

「……それだけ?」

「それだけ」


 あまりにも軽い条件に拍子抜けしまった。思いっきり肩透かしを食らった気分だ。


「その程度でよければいくらでも」

「よし、なら二つ目だが。お前が開発した魔術、魔導収束を俺にも教えろ」


 本命はここからだ。

 アリスがこの世界に馴染むキッカケを作るため開発した、魔力を吸収する魔術。

 あまりにも強力なため、アダムからは信頼できる人間にのみ教えろ、と釘を刺されたものだ。


 どうしてその存在を知っているのかは置いておく。どうせまた千里眼のおかげだろう。

 そしてこの条件も、特に悩むことなく首を縦に振った。


「まあ、分かった」

「意外だな。そいつは信頼できる相手にしか教えないんだろう」

「これから協力しようって相手に、遠回しとはいえ信頼できませんなんて言えないだろう」

「違いない」


 もっと言えば、戦力の増強としても意味のあることだ。

 ドレスを使っている魔女に通用したのを見る限り、魔導収束はエルドラドにだって効くはずだ。凪が悪用するとも思えないし、悩む要素はない。


「さて、最後の一つだが。これは今すぐにって話じゃなくてな」


 凪の目が、何故か寂しそうな色を映す。

 まるで終わりの見えない砂漠を歩く旅人のような、あるいは寿命を全うした老人のような。

 ここではないどこか遠くを見つめる目だ。


「今から十六年後。お前たちの元に、俺の息子が訪れる。その時にあいつの、織の面倒を見てやって欲しい」


 意味がわからなかった。

 それは一体、どう言った意味で告げた言葉なのか。

 ある程度推察はできる。学院に入れるからだとか、蒼たちの力を見込んでだとか。

 でも、凪の言葉にはそれ以上のなにかが詰まっていて。


「息子の面倒くらい親が見るべきだと思うけど。どうして僕らに頼むんだよ」

「俺とあいつの母親は、十六年後の三月に死ぬからだよ」

「は?」


 今度こそ、本当に。理解不能だった。

 十六年後の未来を、今から知っているというのか? それも死ぬと分かっていて、それを受け入れている?


「さっき言っただろ。俺がドレスを支えるのは、可能性を前借りしてるだけだって。その代償さ。俺と冴子、俺の妻の未来は、十六年後で完全に閉ざされている」

「なっ……待て、待て待て、なんだよそれ、じゃあなんで可能性の前借りなんてしたんだよ。子供を残すことになるんだぞ? それがどういうことか、分かってるのか?」


 蒼とてかつての生で、何度も子を持ち親になったことがある。

 子供を守り導くのが、親の役目だ。

 凪はそれを放棄したにも等しい。


「分かってるよ。でも、これしか選択肢がなかったからな。今ここで世界が破壊されるか、十六年後の未来に繋ぐか。後者を選ぶのは当然だろ?」


 可能性を覗く目、千里眼。

 そんな異能を持っている凪が結論を出したのだ。本人はとても軽く、まるで夕飯のメニューを決めるように言ってみせたけど。


 蒼には想像できないほど、重たい選択だったはずだ。


「そんなの、間違ってます……」


 それを理解しているのだろう。それでいてなお違うと言うアリスは、キッと凪を睨み、切実さの滲む声を紡ぐ。


「残された子供の気持ちはどうなるんですか? もしかしたらその子は、両親の死という傷を一生抱えて生きていくかもしれないのに」

「その点は大丈夫だ。あいつには、頼りになるパートナーができるからな」

「でも……他の道があるはずです! 未来なんて不確定なものじゃないですか! あらゆる可能性を考慮しろって言ったのはあなた自身だったはずです!」

「それでも、だ。未来は必ず、一つの結果に収束する」


 言うつもりはなかったんだが。と、苦笑とともに漏らした探偵は、一転して真剣な表情になる。

 妙な圧を感じさせる、魔術師として、探偵としての表情に。


「いいか。どのような並行世界、可能性、分岐点を辿ろうと、この世界はいずれ遠くない未来に破滅を迎える」

「それはまた穏やかじゃないね」

「だが事実だ。俺の異能と、まあ他にも俺の仲間を頼った結果、こいつは避けられない未来だってことが分かった」


 言葉の上でだけ聞いても、いまいち現実感のない話だ。しかし、目の前の探偵はその為に寿命を削り、力を得た。

 その事実がある以上は信じるしかない。


「それでも、ひとつ。可能性がないわけじゃない」

「そのために、あなたが十六年後死ななければならない、ということですか……」

「というよりも、今この時にドレスの力が必要なんだ。未来に繋ぐ下準備のためにな」


 たったひとつの可能性に、己の命を賭ける。自分の息子を独りにしてしまってでも。

 納得し難い話だ。アリスも同じなのだろう。責めるような目つきは変わらず、けれど納得せざるを得ないと分かっているのか、それ以上言葉は出ない。


「そういや、言ってなかったか。俺の目的は、別に未来を変えることじゃない。まだ誰も見たことがない、どこにも記録されていない未来を作ることだ。そのために、この意志も、力も、全部を十六年後の未来に繋げる。そしたら織が受け継いでくれるからな」


 だから、と言葉を繋げ、凪が頭を下げた。


「未来の織を、お前らに任せたい。どうか頼む。その時が来たら、あいつを導いてやってくれ」


 導く。

 蒼にとっては、呪いにも等しい言葉だ。

 今日この時までの自分を形作る、あの子の願い。


 チラと隣に視線を向けてしまったのは、どうしてだろう。そこに意味があるのかないのか、蒼自身でも分からない。

 それでも、視線に気づいてこちらを向くアリスは、無理矢理に自分を納得させたらしい。


 凪の覚悟の意志を、剥き出しのままでぶつけられたから。


「……わかった、顔を上げてくれ凪さん。その条件も飲む」

「本当か!」

「でも、これだけは約束してください。その時が来るまで、その子との時間を大切にするって」


 そこがアリスのできる、最大限の譲歩。

 だけどこんなこと、わざわざ言うまでもないのだ。

 だってこの男は。桐生凪は、息子の未来のため、自らの命を投げ出せるのだから。


「当然だろ。親としてやれることは全部やってやるさ。言っておくが、俺はかなりの親バカだからな」



 ◆



 凪と連絡先を交換して分かれた後、自宅から離れた位置に転移して地元に帰ってきた。

 少し、歩きたい気分だったから。


 シルクハットの青年が何度も言っていた言葉を、頭の中で反芻する。


 未来へ繋げる。


 蒼たち転生者にとって、考えたこともない話だ。不確定な未来のためよりも、刻み付けられた過去の後悔のために戦っているから。

 もっと言えば、自分の未来なんてどうでも良かった。ただ、あの時の後悔を果たせれば、それだけで。


「アリスは、自分の未来について考えたことある?」


 隣の少女に問いかけたのは、ほんの気紛れ。

 もう手は繋がれていない、一歩離れた位置を歩くアリスは、夜空を見上げて答えた。


「龍の巫女として、世界を守るために生きる。そしてそのうち知らない誰かと結婚して、世継ぎを生む。わたしの未来は、最初からそうだと決められてるんです」

「面白くないね」

「全くです」


 苦笑して同意したアリスは、蒼の言葉がどこへ向けられたものか理解しているのだろうか。

 一転して晴れやかな笑顔を見せた白い少女は、やはり微塵も理解してなさそうで。


「でも、この世界に来てから思ったんです。龍の巫女だからこうしなくちゃいけない、なんてのはないんだって。わたしの未来は、わたし自身が決める。好きなことをして、好きなものを食べて、好きな人と結ばれたい」


 はにかんだ笑みが蒼の方を向いて、ドキリと心臓が跳ねた。言葉とか、タイミングとか、色々反則だ。


「あなたはどうですか?」

「僕?」

「転生者がどんなものかはあなたから聞きました。未来よりも過去の後悔を重視していることも。なら、その後悔が果たされた先の未来を、考えたことはありますか?」


 あるはずもない。

 だって、分かっているから。この後悔が果たされる時が来ないことが、他の誰よりも分かっているから。

 世界が終わるその時まで、きっと自分は転生者として生き続けるのだろうと、確信している。


「ないなら、考えてみてください」

「と言われてもね。そう簡単に出てくるものでもないだろう」

「ダメです。今すぐ、この場で」

「えぇ……」


 いつになく押しの強いアリスに言われ、少し考えてみる。

 全てが終わったその先の未来。自分は、そこになにを求めるのか。


 ゆっくり余生を過ごしたい? 

 いや、そんなものは性に合わない。今更戦いから遠ざかるなんて、後悔云々以前に蒼の性格が許さないだろう。


 なら世界平和のために戦ってみるか?

 なんのために。平和なんてのは所詮一過性のものにすぎないと、幾度もの転生を経て理解している。無意味かつ無謀。


 あるいは、もう一度。

 どこかで教鞭を取ってみるか?


 内心で苦笑を漏らす。

 それが一番あり得ない。


 あまりにも沈黙が長かったせいか、アリスが不安げに見上げてくる。それを払拭させるためにいつもの軽口でも放とうとして、しかし少女の言葉はそれより早く耳に届いた。


「聞いても、いいですか?」


 なにを、とは聞き返さない。

 出会ったあの日、転生者について説明した時には踏み込んでこなかった、蒼の古傷について。


 進んで話そうとは思わないが、聞かれたら答えることはできる。

 けれど蒼は、己の過去について多くの言葉を持ち合わせているわけじゃない。


「小さな集落で教師をしてたんだ。今より何十世紀も前だから、学問なんて全く発展していなかったけどね。文字の読み書きや簡単な計算、大きな街にはどんなものがあるかとか、そういうのを子供たちに教えてた」


 まるで昨日のように思い出せる。

 長閑な場所だった。蒼はそこで生まれ育ったわけでもなかったが、よそ者を受け入れてくれる懐の広い集落だった。


 そこで出会った女性とも結婚したし、自分は一生をこの集落で、教師として過ごすんだろうなと思っていた。


「特に出来のいい生徒がひとりいてね。誰よりも飲み込みは早かったし、そのくせ努力は怠らない。子供たちのリーダーで、いつもお姉さんぶってて。でもたまに、すごく子供っぽいんだ。なにかを達成したら、すぐに褒めてくれって強請る」


 本当に、いい子だった。いつもみんなのために何か出来ないかと悩める、優しい子だった。


「アリス」

「えっ……?」

「その子の名前だよ。君と同じ、アリスっていう名前だったんだ」


 同じなのは名前だけ。容姿も話し方も性格も、全然違う。

 それでも時折、今隣にいる白い少女があの子に重なる。


「で、ある日のこと。集落が全焼した」

「全焼って……」

「僕も含めて生き残りはゼロ。後から知ったんだけど、アリスの両親が魔術師でね。毎日のように自分たちの子供を実験台に、魔術の研究を行なっていたんだ。アリスはずっと、体の内側から焼かれる痛みに耐えていたのに、僕は気づくことができなかった。毎朝なんでもないような笑顔で挨拶してきて、みんなと同じように授業を受けて、遊び回る姿を見守っていたのに……!」

「もういいです……」

「僕はッ、何一つ気づいてやることが出来なかった! その結果が最悪の事態を招いたんだ!」

「やめてくださいっ」

「学校に残っていたアリスの体が耐えきれなくなって、彼女自身から広がった炎は集落の全てを焼いた! 校舎も、家も、そこに暮らす人たち全員も! そのくせアリスは大丈夫だって、最期の最期まで大丈夫だからって言って、僕も助けようとしたんだ! なにもかもが燃えていくのに、僕はただなにもできずに、アリスに助けられた命もその場で落として──」

「蒼さん!」


 聞き慣れた声の耳慣れない響きで、ハッと我に帰った。両手をギュッと握られて、見上げてくるアリスの瞳には、涙が流れている。


「お願いですから……もう、やめてください……ごめんなさい……わたしが、軽率に聞かなかったら……」

「どうして、君が泣くんだよ……」


 手を握られたままではその涙を拭うこともできなくて、けれどアリスは手を離すことなく、持ち上げたそれを自分の額に当てた。


「そんなの、わたしにもわかりません……」

「ははっ、なんだそれ」


 知らずこみ上げていた熱が急速に冷めていく。もっと冷静に話せると思ったけど、見通しが甘かった。

 話すうちに当時のことを明確に思い出してしまって、感情のたかぶりは抑えられなくて。おまけに、目の前の女の子を泣かせてしまう始末。


 しゃくり上げて泣くアリスの手にはほとんど力が入ってなくて、容易く抜け出すことが出来た。

 解放されて右手で、流れる涙を拭ってやる。それでも滴は止まらなくて、途端にどうしようもない愛おしさがこみ上げた。


「君は優しいな」


 頭を撫でてやると、寄りかかるようにして額を胸に当ててくる。

 話を聞いて、泣いてくれる。ただそれだけの単純なことで、ほんの少し、救われた気になるのはいけないことだろうか。


 やがて蒼から体を離したアリスは、眦を拭いながら、強い光の宿った瞳で見つめてくる。


「やっぱり、ちゃんと決めましょう。あなたが後悔を果たした先で、どんな未来を求めるのか」

「あ、そこに戻るんだ」

「だって、そのアリスちゃんはあなたに、生きて欲しかったのでしょう?」


 あの子の最期の言葉が、脳裏によぎる。


 色んな人を導いてあげて欲しいと。

 先生にしかできないことがあるから、先生にしか頼れない人がいるかもしれないから、そんな人たちの力になってあげて欲しいと。


 別れ際に、たしかにそう言われた。


「わたしはこの世界に来て、あなたに救われました。龍の巫女としてしか生きられないわたしが、それ以外の未来を求めようと思えました。あなたと出会えたおかけで。あなたが今日ここまで、導いてくれたおかげで」


 そして、今ここにいるアリスからは、そんな言葉を投げられる。


 少しは望んでもいいのだろうか。

 今までカケラたりとも見たことのなかった、未来というやつを。


「じゃあ、君の婿候補にでも立候補しようかな」

「いいですね。蒼さんのことは嫌いじゃありませんから。候補程度には考えてあげます」


 本調子に戻ったと告げる代わりの軽口は、予想外の返答で返り討ちにされた。


 そんなこと言われたら、本気になっちゃうじゃないか。

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