第122話
少女を医務室に運んだ後、今日の授業は中止だとクラスメイトたちから携帯に連絡があった。当然だろうな、と思いながらも了解の旨を返し、携帯をポケットにしまう。
今頃教師たちは、さきほどのドラゴンについての対応に追われているだろう。消えたとは言え、どこに消えたのかすら分からない。あの亀裂の向こう側に帰った、とは考えられないのだ。
おまけに、日本支部の最高戦力がああも簡単にあしらわれた。
純粋な戦闘力なら四人のうちで最も上のルークですら、咆哮の一つで吹き飛ばされてしまったのだ。つまり現状、日本支部に対抗手段が存在しないということになる。
突然の困難に眉根を寄せるが、そっちは本部のお偉方も交えてどうにかしてくれるだろう。蒼が対応すべきは、この少女だ。
改めて、ベッドに横たわる少女を眺める。
真っ白な長髪と豪華なドレス。女性らしい起伏にも富んでいて、目を閉じて眠っている様はひとつの芸術品じみている。
お伽話に出てくるお姫様のような。
いや、蒼自身現代におけるお伽話と化すような過去をいくつか持っているが、こんなに美しい少女は見たことがなかった。
例えば、北欧の主神として君臨していた頃も。あるいは、ケルトの英雄として槍を振るっていた頃も。もしくは、円卓の一員として国を守っていた頃も。
どの記憶にも美女や美少女と呼ばれる人はいたし、かつての妻はたしかに美人が多かったけど。
そのさらに上をいく、浮世離れした少女。
そんなお姫様の瞼が、ついに、ゆっくりと開かれた。
「ん……ここ、は……」
焦点の合わない瞳。柔らかそうな桜色の唇から漏れたのは、どこかボーッとした、けれど印象強く耳に残るソプラノ。
「目が覚めたみたいだね」
「……っ」
「ストップ、僕は敵じゃない」
魔力のようなものが蠢く気配を感じ、少女が手に杖を持つ。蒼は待ったをかけた。簡単に信じてくれるとは思わないが、ひとまずそう言っておかないことには話もできない。
「何者ですか」
「小鳥遊蒼。しがない魔術師だよ。ここは魔術学院。君も魔術師みたいだし、聞いたことくらいはあるだろう?」
「ありませんね。たしかにわたしは魔導師ですが、魔術師という単語は初耳です」
「魔導師?」
逆にその単語は聞いたことがない。
魔術とは、その時代、土地によって呼び方を変えてきた。古くから魔術と呼ばれている地域もあれば、魔法や奇跡などと呼ばれていた国もある。日本風の魔術なんかは陰陽術と呼ばれ、現代では別分野として確立している。
しかし、魔導師なんて言葉は聞いたことがなかった。転生者である蒼ですら。
未だ敵意を隠そうともしない少女に、場違いながらそんな様も美しいと感じてしまう。本当に場違いだ。ちょっと自重しろよ自分。
冷静な頭で、まずはその敵意を削ろうと考える。
「とりあえず、君の名前を教えてもらってもいいかな? 出来れば出身地とかも」
「……ドラグニア神聖王国第一王女、アリス・ニライカナイです。わたしの顔を知らないのですか?」
その名前を聞いた途端。
身も心も、硬直してしまった。嫌でも思い出してしまう、片時も忘れたことのない記憶が、脳裏に駆け巡る。
落ち着け、違う。この少女は同じ名前をしているだけだ。あの子とは、似ても似つかないだろう。
「残念ながら全く。こんな美少女を知らなかったなんて、これまでの人生で一番の損失だよ」
なんとか絞り出せたのは、ふざけた言葉。肩を竦めながらの軽いジョークは、どうやら警戒心を助長することにしかならなかったらしい。心なしか、ベッドの上で後ずさった気がした。
今の、結構心にクるものがあるなぁ……相手が美少女だとなおさら。
「その、神聖なんちゃら王国? っていうのは聞いたことがないね」
「ドラグニア神聖王国です。二度と間違えないでください」
「はい、ごめんなさい」
睨まれた。美少女の鋭い眼光は二割り増しで怖い。アダムの目つきより怖い。
「そこの第一王女様は、気を失う前の記憶とかある? 黒いドラゴンが君を追っていたみたいだけど」
「エルドラドが⁉︎ どこに行きましたか⁉︎」
今度は一転して、蒼との距離を詰めてきた。鼻の先までに美しい顔が接近して、心臓が高鳴り出す。転生者といえど、精神はその時の年齢に引っ張られるのだ。おまけにこんな美少女相手だと、ドキドキしない方がおかしいだろう。
肌の白さやきめ細かさ、整った目鼻立ちを間近で見てしまい、警戒が嘘のような純粋な瞳が覗き込んでくる。美しさに気を取られていたが、可愛い、という感想を初めて抱いた。
「……さてね。どこかに消えた。君とあのドラゴンが出てきた亀裂も、一緒に閉じちゃったし」
「亀裂?」
小首を傾げる様は、やはり可愛いと形容すべきだ。警戒が薄れたお陰か、彼女の持つ本来の愛らしさが出てきているのだろう。
しかし、先程から話が噛み合わない。
蒼はこの少女の言う国も魔導師とやらも聞いたことがないし、逆にアリスは学院や魔術師を知らないという。
まさか、どこかの未来から時間遡行してきた、とか? 可能性としてはあり得るけれど、それにしては服装に違和感を抱く。
襟ぐりが浅く、上半身はぴったり体にフィットしていて、豊かなボディラインがわかりやすい。逆に下半身はくるぶしまでの長い丈で、立ち上がればふわりと広がることだろう。
白い髪と上手く調和した、濃淡のある青いドレス。
それはどこか、前時代的なイメージを抱かせる。未来の服装です、と言われても納得しづらい。
アリスの美しさといい、ドラグニアなんて聞いたこともない国名といい、感知できる魔力のような何かといい、異世界から来たと言われた方が納得できてしまう。
「少し、仮説を立てようか」
背後から声がして、咄嗟に振り返った。気配も足音もなく、そこに一人の男が立っている。シルクハットを被ったスーツ姿の青年だ。少なくとも、蒼の知り合いではない。
ほんのちょっと警戒を解き始めていたアリスも、青年の登場に再び杖を強く握り始めた。
「そこのお嬢さんがどこから来たのか、幾つかの仮説が成り立つ。未来から、あるいは過去から、はたまた異世界から。小鳥遊蒼、お前はどれだと思う?」
「その前に、お前はどこの誰かな?」
蒼は自分の強さを自覚している。時には神として、時には英雄として生きたのだ。背後を取られるなんて不覚はそうそうしない。
にも関わらず、この男は。ここまで接近して声を上げるまで、蒼にその存在を悟らせなかった。
警戒するな、という方が無理な話だ。
「いや失敬、ここではまだ知り合ってなかったな」
「……?」
不思議な物言いに、青年へ訝しげな視線を送る。しかしそれも意に介さず、彼は帽子を外し、慇懃な態度で一礼した。
「俺の名前は桐生凪。魔術学院日本支部の卒業生で、今は探偵をやってる者だ」
口角を上げた不敵な笑み。
胡散臭い。それが彼に対する第一印象。
「胡散臭いですね……」
なんて思っていたら、後ろで声に出して言っちゃう子がいた。
完全に警戒心剥き出しのアリスだ。
「酷いなお嬢さん。いや、アリス・ニライカナイ、だったかな? 俺は善良な一般探偵だぜ?」
「一般探偵ってなんだ……」
「まあ俺の推理を聞いとけ。その子の秘密を暴いてやるからよ」
胸の前で腕をクロスして、ベッドの上で後ずさるアリス。当然の反応だ。凪も特にへこたれた様子はない。
こんな美少女に警戒されてるというのに、こいつは本当に男なのだろうか。
「結論から言おう。アリス・ニライカナイは、異世界から来た」
「は?」
「いせかい?」
仮説もクソもなくいきなり放たれた結論に、蒼とアリスは揃って首を傾げた。
異世界。異なる世界と書いて異世界だ。それ以上の意味もそれ以下の意味も持たない、文字通りの異世界。
どこぞの論文でそんなものが存在するというのは聞いたことがあれど、こうして目の前に異世界人がいると言われれば、ただただ困惑してしまう。
「未来か過去。仮説は成り立つが、可能性は視えない。俺が推理すべきは、なぜ異世界からの来訪者がやって来たのか、だ」
「いや、そもそもこの子が異世界人っていう証拠は?」
「日本というこの国のことを知ってるか?」
「にほん、ですか?」
「核、第二次世界大戦、ナチス、アメリカ同時多発テロ、あとはそうだな……この星の名前、とか。ひとつでも知ってるものがあったか?」
凪が今羅列したのは、この世界に生きていれば当然知っているようなこと。けれどアリスは、困惑した様子で首を横に振るだけだ。
それがなによりの答えとなっていた。
「話を戻そう。なぜお嬢さんがこの世界に来たのか。位相という言葉に聞き覚えは?」
こくりと頷けば、凪は満足そうに微笑む。
異世界に関する論文で、そんな言葉を見た。たしか、この世界に魔術や異能といった超常の力を齎した原因とか、扉とか、それらをこの世界に適応させるためのフィルターだとか、そんな感じだったはずだ。
「なら話は早い。今回はその扉が開いたのが原因だ。なぜ開いたのか。なぜ日本支部なのか。ここからは、あらゆる可能性を考慮しよう」
ピンと人差し指を立て、まるで台本でも読んでるかのように、凪は己の推理をスラスラと誦じる。
「まず、日本支部の最たる特徴。それはお前たち転生者だ。他の支部にいないことはないだろうが、転生者の中でも特に強い力を持った三人が、ここに集まっている。偶然と片付けるには捨て置けない要素だな。次に、アダム・グレイス。やつについては謎が多いからなんとも言えないが、随分特殊な異能を持ってるんだってな。似たような力を知ってるが、あそこまで明確に現象として起こすとなると、この世界の方に影響があってもおかしくはない」
この男はどこまで知っているのか。
蒼は彼に自分が転生者であることなんて話していない。いや、自分が日本支部の中でも有名なのは自覚しているし、特別転生者であることを隠していないけど。
アダムの異能については別だ。あれは、直接その目で見ていないことには、知る由なんてないはず。
「とまあ、残念なことに推理は終わってなくてな。問題は、俺がお嬢さんがいた世界についてなにも知らないからなんだが。そっちについては、俺の千里眼でも視えなかったし」
「あなたは、何者なんだ……?」
今日だけで二度目の問いかけ。
懐から取り出したなにかを、こちらへ投げてきた。それを指先で挟むように受け取る。
名刺だ。
「言っただろう、しがない一般探偵だってな。なにか困りごとがあれば、いつでも気軽に連絡してくれ。調査が進んだら、こっちからまた会いに来るかもだ」
◆
自称一般探偵が言いたいことを言うだけ言って帰ったあと、医務室には蒼とアリスの二人が取り残されていた。
アリスはただ呆然としている。自分が異世界に来てしまったこと、それが間違いなく事実であることを、受け入れられないのだろう。
「誘拐には慣れてるつもりだったんですけど、まさか異世界にまで拉致されるなんて思いもしませんでした」
「待って、誘拐じゃないから。拉致ってないから」
ジト目でこちらを睨んでいる辺り、蒼も変わらず警戒されているらしい。ちょっと和らいだかな、と思ってたのに。
「そもそも、誘拐っていうのは慣れるものでもないだろう」
「昔からわたしの身を狙う輩は多かったんです。全員自分でねじ伏せましたけど」
「とんだお転婆王女じゃないか」
それなりの身分であれば、周りから命を狙われることは多いだろう。蒼とて経験のあることだ。だから誘拐されそうになることはおかしい話ではないが、それに慣れるのはどうかと思う。
ていうか、慣れるまで誘拐されるような国なのか、神聖王国とやらは。
「何度でも言ってあげるけど、僕は敵じゃない。むしろ君には、協力して欲しいくらいだよ。あの黒いドラゴンの正体、知ってるんだろう?」
「エルドラドのことですね」
それが黒龍の名前。
ニライカナイといい、エルドラドといい、異世界から来たくせにこちらの世界の言葉を使っているのには、多少の違和感がある。だが同じ単語というだけで、そこに込められた意味まで同じというわけではないだろう。
ドラゴンの名前がエルドラドなのはともかく、ニライカナイというのは、たしか沖縄に伝わる理想郷だったはずだ。ファミリーネームに使われるようなものじゃない。
「しかし、あなたがエルドラドの仲間である可能性は捨てきれません」
「どうして僕が異世界の、それも仲間を攻撃されたドラゴンの味方をしないとダメなんだよ」
「あらゆる可能性を考慮しろ、と先ほどの男性も言ってましたから」
余計なことを言いやがって。蒼は内心舌打ちした。
「一応聞いておくけど、ここが異世界だってことには納得してる?」
「ええ、まあ……建物の建築法や装飾などは見たことありませんし、あなたから感じられる魔力には、魔力と呼ぶには違和感を持ちますから」
「その点は僕も同意だね。多分、ここと君の世界とで、魔力の作りが違うんだろう」
「それがどうかしましたか?」
「いや、異世界から来たってのを理解しているなら、尚更僕が君の敵と断定される理由がないと思うけど」
ぐっと言葉に詰まるアリス。思わず納得してしまったのだろう。
詰まったものをそのままため息として吐き出し、少女は杖をどこかへ消した。
「分かりました。あなたが敵ではない、ということに関しては、疑わないことにします」
「信じてはくれない、ってことか」
「敵の敵が味方という訳ではありませんから」
「違いない」
まだ十五、六歳、今の蒼と同い年に見えるが、よく分かっていらっしゃる。
蒼からこの少女を見た場合も、同じく。なにせ異世界からの来訪者なんていう全くの未知。今後なにが起きるのか、予測したくてもできない。
とはいえ、敵じゃないことを認めてもらえただけでも前進だ。
「とりあえず、今後のことを話すために学院長のところへ行こうか。道すがら、君の世界のことでも聞かせてくれよ」
手を差し出せば、随分不満げな顔ながらも白魚のような手がそこに乗せられた。
さすがお姫様、と言ったところか。手を引かれて立ち上がることに慣れてる。そんな些細な仕草ひとつとっても上品だ。
医務室の扉を開け、戯けたようにレディファーストを促す。胡乱げな瞳に睨めつけられるが、相手はどうやら本当に本物のお姫様のようだし、粗相を働いたとあれば失礼に当たるだろう。
ていうか、いくら蒼でもどんな目に遭うことやら。
察する限り、アリスはかなりの実力を持っているようだし。
「この世界では、ドラゴンは珍しいんですか?」
医務室を出て廊下をしばらく歩いていると、アリスの方から話しかけてきた。
周りにはチラホラと生徒が見受けられ、その全員から視線を頂戴しているというのに、我関せずと言った様子で。
「どちらかと言えば珍しいね。神話の時代、今よりもっと昔は世界に魔力が満ちていた。その頃には割と見られたけど、最近は滅多に見ないよ。大体の場合、ドラゴンは人を襲う魔物だからね」
「魔物、ですか……」
その言い方からするに、アリスの世界では違うのだろう。蒼の視線に促され、訥々と語り出す。
「わたしの世界では、ドラゴンは人々の生活に寄り添ってくれる存在でした。わたしたちの頼れる隣人。当然悪いドラゴンもいますが、それは人間も同じです」
「まあ、この世界にも探せばいると思うけどね」察するに、エルドラドとかいうあの黒いドラゴンは悪者ってことかな?」
「はい。二百年前、人間とドラゴンの間で戦争があったんです。ドラゴンの持つ強大な魔力と、人間の持つ進歩した技術力がぶつかった結果、戦争は百年にも及びました。今では百年戦争と呼ばれる、史上最大の戦争です」
全く同じ名称の戦争がこの世界にもあるが、その戦争は革命とは無縁だろう。
「戦争が終わったのは、五体の龍神と五人の人間が介入したから。たったそれだけの数で、人間側とドラゴン側に壊滅的な被害をもたらして、無理矢理戦争を終わらせました」
「その龍神っていうのは?」
「後から付けられた名称ですよ。元々は他よりも強い力を持った、ただのドラゴンでした。戦争を終わらせた功績を称えられて、そう呼ばれるようになったんです」
こちらの世界の神と似たようなもの、だろうか。
神が存在できる根本としては、信仰が大きな割合を占めている。人々が神を信じ、敬い、畏れ、それがそのまま力となる。
戦争を終わらせたという功績。その事実に対する人々の信仰や畏れが、ただのドラゴンを神へと昇華させた。
この世界風に考えれば、そんなところか。
「戦争が終わっても、悪さを企む輩はいなくならない。人間もドラゴンも。百年経った今だって」
「龍神様は?」
「眠りにつきました。いくら圧倒的な力を持っていても、やはり数には勝てませんから。戦争が終わった頃にはボロボロで、戦友だった五人の人間の体に、それぞれが宿る形で。そしてその人間たちの子孫に、今も受け継がれています」
「そのうちの一人が君、ということだ」
「察しがいいですね」
「ただの当てずっぽだよ」
チロリと睨まれ、肩を竦める。
異世界からやって来たのだ。そこらへんの一般人がそんなことを可能なはずない。なにかしら特別な力でもない限りは。
「わたしたちのような力を受け継いだ者のこたを、龍の巫女と呼びます。最初の五人も、その後の子孫も、代々女性にしか受け継がれませんから」
「余程の女好きなんだね、その龍神様たちは」
「なにかを宿らせる、という点に置いて、男性よりも女性の方が適しているだけです。次に龍神を侮辱すれば、二度と減らず口を叩けないようにしますよ」
「ごめんなさい」
ちょっと本気めの殺気を向けられ、蒼は慌てて謝罪した。
周囲の生徒たちから、驚きの視線を向けられている。自他共に認める日本支部最強の一角が頭を下げているのだ。果たしてあの少女は何者か、となるのも当然だろう。
「おい、小鳥遊が頭を下げてるぞ……」
「デリカシーのないことを言っては女子にキレられて、それでも口先だけの謝罪しかしなかった、あの小鳥遊が⁉︎」
「あの子、一体何者なんだ……」
とんでもない風評被害だった。たしかに軽口やジョークをよく飛ばしては、女子に怒られたりしてたけど。口先だけの謝罪ってなんだ。ちゃんと謝ってるよ。
「……」
「その目はやめてくれ……」
周囲の声が聞こえていたのか、アリスからシラーッとした目を向けられる。根も葉もない風評よりもダメージが大きい。
「あなたがどういう人間なのか、よく理解しました」
「おいおい、それはちょっと早すぎると思うぜ? もっと互いに親睦を深めていかないと、表面しか理解できず、相手が本当はどういう人間なのか勘違いしてしまう」
「そこまで深く知ろうと思えない時点で終わりですよ」
今度は蒼がぐっと言葉に詰まる番だった。その通り過ぎてぐうの音しか出ない。
「話を戻そうか……」
「自分に都合が悪い話はさっさと打ち切るその姿勢は嫌いじゃありませんよ。まさにクズ男らしくて」
「ねえ、僕って君になにかした? 謝った方がいい?」
いい加減泣きたくなって来た。
しかしそんな暇はなく、そろそろ学院長室についてしまう。
コホン、とわざとらしい咳払いを一つ。アリスの視線は心底軽蔑したものへ変わっていた。本当に泣こうかな。
「さしづめ、龍の巫女の役目は悪いドラゴンを退治する、ってところかな?」
「はい。わたしはニライカナイを継ぐ者として、あの黒龍、エルドラドを追ってました。追い詰めた先で戦闘になったんですけど、杖に込められた見覚えのない術式が起動して」
「気がついた頃には、医務室でベッドの上?」
「その通りです」
どこかへ消していた杖を再び出現させたアリスが、眉根を寄せて己の得物を見ている。
曰く、その杖は龍神の力と共にアリスへ受け継がれたものらしい。つまりは龍神の力を最大限に使うための、この世界でいう魔導具のようなもの。
見覚えのない術式たら言うものの影響で、アリスとエルドラドはこの世界に飛ばされたのだろう。
問題は、なぜその術式が起動したのかだ。
いや、それよりも驚くべき事実がある。
この美しい少女には、蒼たちが手も足も出なかったあの黒龍と、匹敵するだけの力を持っている。
聞いた限り、エルドラドとは一人で対峙していたのだろう。あるいは、他の龍の巫女もいたのかもしれないが。それだとアリスとエルドラドだけが飛ばされて来た説明がつかない。
まだもう少し聞きたいことがあったけど、残念ながら時間切れ。学院長室の前に到着してしまった。
ノックもせず扉を開き中に入る。
「来たよ、南雲」
「君はいつになったら、学院長と呼んでくれるのだろうね」
奥に座っているのは、白髪の目立つ老人。日本支部の学院長である南雲仁だ。
その他にも、室内には三人の友人たちが。
アダムと龍、ルークだ。
「遅いぞ馬鹿。どれだけ待たせるつもりだ」
「悪い悪い、予想外の乱入者がいたもんでね。あと、アリスが目を覚ますのが思ったより遅かった」
「そこで女の子のせいにする辺り、さすが蒼だよね」
心なしか服がボロボロのルークは、樹海の木の上にでも墜落していたのだろう。さすがと言ってくれる割には褒めてる感じが微塵もしない。褒められてないから当然だが。
「無駄話はいいから、さっさと本題に入れよ。そいつ、どうするつもりだ?」
龍がぶっきら棒にそう言えば、全員の視線がアリスへ集まる。
「アリス・ニライカナイさん、だったね」
「どうしてわたしの名前を?」
「申し訳ないけど、君と小鳥遊君の会話は全て聞かせてもらっていたよ。こちらとしても、異世界からの来訪者なんてのは初めてのお客人だ。警戒するに越したことはない」
アリスが蒼への警戒を中々解いてくれなかった理由のひとつ。逆に蒼も、アリスのことを警戒していたからだ。
アリスほど顔や仕草に出しているつもりもなかったが、それを直感したのかなんなのか、とにかく勘づかれたからこそ、アリスも終始警戒していた。
途中からは蒼も完全に警戒を解いたから、それからはまた別の理由で警戒されていたのだろうけど。
「重ねて謝らせてもらおう。申し訳なかったね、我々は君のことを歓迎する」
「……その人との話は、全部聞いてたんですよね?」
「桐生君の介入は、私も予想外だったけどね。君が目を覚ましてからの会話は全て」
瞑目し、長く息を吐いたアリス。時間にして数秒にも満たない沈黙のあと、再び開かれたその目には、強い光が宿っていた。
「なら、龍の巫女のひとりとして、あなた方に協力を依頼します。この世界のどこかに消えたエルドラド、その討伐を助けてください」
深く頭を下げる。そこへ最初に声をかけたのは、同性のルークだ。
「ボクはいいよ。強いやつと戦えるなら大歓迎だ」
「理由が不純だな」
「じゃあ龍は、不純じゃない動機とかあるの?」
「人々を守るため。それでいいだろ」
どこか臭いセリフにも聞こえるが、剣崎龍が放つその言葉には、見かけ以上の重さがある。
具体的に聞いたことはないが、後悔が形になると言う炎を見れば、聞かずとも察せられる。
「龍のそういうとこ、ボクは好きだよ」
「うるせぇ」
嬉しそうな笑顔を向けるルークに、龍は少し頬を染めてそっぽを向いた。
イチャイチャするなよそでやれ。
「決まりだな」
「アダムはいいのかい?」
「今更聞くな馬鹿」
視線がぶつかり、フッと笑い合う。
いつだってこの親友は、蒼のことを馬鹿だと罵りながら、それでも最後まで付き合ってくれるのだ。
「では、私は上のお偉方を黙らせておこうかな。さすがに今回は、本部の人たちも出張ってくるだろうからね。異世界からの来訪者なんて、格好の研究対象だ」
「研究……」
「南雲、彼女を怖がらせないでくれ」
しかし冗談でもなんでもなく、アリスのことを知った魔術師の中には、研究のためにその身柄を狙う輩も出てくるだろう。
日本支部の生徒たちだって、アリスに対してどう接するのかは出たとこ勝負だ。
「大丈夫、僕が責任を持って君を守るから」
「……あなたに頼らずとも、自分のことくらい自分で守れます」
プイとそっぽを向かれてしまったが、声音に先ほどまでのトゲはない。
どうやら照れてるだけらしい。可愛い。
ともあれ、必要以上に警戒されることもなくなったようだし、少しはこちらを信じてくれたようだ。
美少女とは仲良くしたい蒼なので、頑張って好感度を稼ぐか、などと下心満載なことを考えるのだった。
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