この手を伸ばした先に
第114話
「サーニャさーん、カゲロウー、いますかー?」
「む、朱音か。何しに来た?」
とある地方都市の廃墟。そこに住む吸血鬼の二人を訪ねた朱音だが、その片割れの姿が見えなかった。
出迎えたのは銀髪の吸血鬼。朱音にとっては両親同様大切な人であり、この時代に来た時からお世話になってる恩人だ。
しかし、もう一人。灰色の半吸血鬼たる少年がいない。
「母さんと父さんのお邪魔になるので、今日は泊めてください!」
「マンドラゴラでも持って帰ったか」
「おお、よくわかりましたね」
「媚薬の成分があることなら、桐原愛美とて知っていることだぞ。あやつも昔、貴様と同じ依頼を受けたことがあると言っておった」
「げっ、マジですか」
しかし、事務所で話している感じだと、知らなそうに見えたのだけど。あるいは朱音の企みに気づいていて、逆にこちらが上手く騙されたのだろうか。
「媚薬効果と言っても、魔力による働きかけが大きいからな。体内の魔力コントロールだけでどうとでもなる。貴様は食ったのか?」
「はい。一匹丸々」
「効果が出るのは食い終わった後だろう。貴様らは賢者の石もあるからな。常人よりも、効果が出るのは遅い」
たしかに、体が熱くなり始めたのは食べ終わった後だった。おまけにすぐ対処できるほど、効果が薄かったのだ。
魔術の才がずば抜けた愛美であれば、朱音よりも的確に処理できるだろう。
まあ、愛美がダメでも織の方に効果があればそれでいい。
そもそも私、銀炎使ったから魔力コントロールとかよくわかんないし。
「ちぇー、それは残念です。ところで、カゲロウはどうしたんですか? せっかくシュークリーム三人分買ってきたのですが」
右手に持ったケーキ屋の箱を上げて見せると、サーニャはため息を一つ。
ちなみにシュークリーム、十個買ってきた。その内八つは、当然朱音の分だ。
「ちょうど入れ替わりで、外に出た。なにやら、悩みでもある様子だったがな」
「カゲロウが悩み、ですか」
もぐもぐと早速シュークリームを頬張りながら、首をかしげる。
彼にもそんなものがあるのか。少々意外だ。
なにもカゲロウをバカにしているわけではなくて、彼は考えるよりも先に行動するタイプだと思っていたから。
「話は聞いてあげないんですか?」
「我は放任主義でな」
「放任主義? サーニャさんが? またまたご冗談を」
朱音のために、あれだけ色々と世話を焼いてくれたサーニャが、放任主義とか。
思わず吹き出してしまった朱音を、サーニャが不機嫌そうに睨む。
「学院に来てからのあやつは、昔と変わったよ。なにも考えていないバカではあったが、バカなりに思いやることはできるようになった」
「ははーん、人間関係で悩んでるんですかね。と言っても、あの人の周りで悩むような人間関係とか、ないと思いますが」
「いや、恐らくだが、それとは似て非なるものだ。こればかりは、貴様らにも分からないだろうな」
どうやらサーニャは、カゲロウの悩みとやらを理解しているらしい。
分かってくれている人が、ひとりでもいる。それは心強いことだ。他の誰でもない、朱音自身の経験として、断言できる。
問題は、本人がそこに頼れるのかどうか。
「ところで朱音。夕飯は食べて来たのか?」
「まだですが」
「ならシュークリームは食べるな。夕飯が終わってからだ」
「えー、サーニャさんのケチ。父さんはいつも許してくれるのに」
「一度桐生織にも、しっかり話をせねばならんようだな……」
◆
廃墟の屋上に腰を下ろすカゲロウは、サーニャと朱音が街へ向かう様子を見下ろしていた。夕飯を食べに行くのだろう。
まだ午後の八時前。夜の街が騒ぎ始めた頃だ。こちらに声をかけなかったのは、二人なりに気を遣ってのことだろうか。
赤い瞳で見上げた空には、やや欠けた月が浮かんでいる。
自分たちの力。その源とも言っていい月。
手を伸ばしてみるが、届くわけもない。
「なあクソ親父。オレたちはこんなでも、家族って呼べるのか?」
声は、夜の空へ溶けて消えた。
◆
十一月中旬。朱音が変な食材を持ち帰り、バカな織はまんまと媚薬の餌食になって、数日後。
寒さも本格的になって来た中、いつものように登校していつものように授業を受けた織は、これまたいつものように、愛美と向かった風紀委員会室でゆっくりまったりしていたのだが。
「そろそろ、本格的にネザーを潰そうと思うんだよね」
突然やって来た小鳥遊蒼から、なんの脈絡もなくそう告げられた。
「いきなり来てなに言ってんだあんた?」
「それが出来れば苦労はしないでしょ」
困惑する風紀委員会一同の心情を代弁するように、織と愛美の二人が声を上げる。
異能研究機関ネザー。これまでもやつらの介入で、何度となく煮え湯を飲まされてきた。
翠からの情報提供で、ネザーの代表についてはこの場にいる全員が共有している。
ミハイル・ノーレッジ。
全知の異能を持つ男。その名前の通り、全てを知っている。知ることのできる異能だ。過去も現在も未来も、あらゆる事象を。
故に、今この場でこうして話し合っていることも、ミハイルは知っている。
全てが相手に筒抜けとなっているのだ。
「なにもネザーという組織自体を全面的に相手取る必要はない。厄介なのは、ミハイルひとりだ。あいつさえ排除できればいい」
「だから、それが簡単に出来ないんでしょ」
全知の異能だけがやつの全てではない。
ネザーの研究により抽出し、イヤリング型の魔導具に宿した異能もある。先日は斥力操作と時間操作の二種類を使っていたが、まさかそれだけなわけがない。他にも、厄介な異能を隠し持っているはずだ。
「ミハイルの異能には、二つだけ隙がある。そうだね、翠」
「はい。あの方……ミハイル・ノーレッジの異能は、全てを知ることはできても、その知識をそのまま扱うことはできない」
ソファの上に座り、葵に髪の毛を弄られなされるがままになっていた翠が、少し複雑な表情で答えた。
やはり、全てを吹っ切れたというわけではないらしい。
まだ数日しか経っていないのだ。それも当たり前か。
「全知全能ってわけじゃない。なら向こうの取れる手段だって限られている」
「いやでも、ネザーのバカみたいな技術力は、あいつの知識があったからこそなんでしょ? 殆どそれと同じじゃないっすか」
半ばSFじみたネザーの技術力は、ミハイルが持ちうる知識を結集させた末のもの。当然科学技術のみならず、魔術との融合を果たしてはいるが。
それでも、何十年も先の技術をこの時代で再現しているのだ。
やつが異能による知識を活かせるのは、それだけじゃないはず。
「それにしたって、即興で可能とするわけじゃない。何年も時間を費やしたからこそ、あの技術力なんだろう」
「……まあ、それもそうか」
「で、二つ目ってなんだよ」
カゲロウの問いにそうか、と呟いてみせたのは、その隣に座る蓮だった。
「位相だよ、カゲロウ。全知なんて言っても、それは結局異能でしかない。なら、キリの人間や位相に関わる知識は、得られないはず」
「わたしを亡裏の里に派遣したのも、そのためでした。ミハイル・ノーレッジは、位相に関する知識を全て持っているわけではない」
「だから、その知識を得ること自体が目的になってるんだ……」
葵が聞いたという、ミハイルの目的。
自分の知的好奇心を満たすこと。
この世界の全てを知る彼が、まだ知らないものを知る。そのためにミハイルは、位相の向こう側へたどり着くことを目指している。
「正直に言って、ミハイルを排除するのは簡単だ。ただ問題は、その後の話。トップが消えたネザーがどうなるのかだよ」
「まあ、あいつが黙って見てるだけ、ってこともないよな」
この際、ミハイルを排除する手段は考えないことにする。蒼が簡単だというのなら、それ相応の手段を用意できるのだろう。
注視すべきはそこじゃない。その後の話。
灰色の吸血鬼が、どう出るかだ。
「こちらの全てを知っているということは、その上で対策を立ててくる。なら逆に、ミハイルの行動は読みやすい。目的もハッキリしてるからね。ただ、グレイは別だ。あいつの目的も、そのための手段も、まだ見えない部分が多い」
織は以前、アメリカで一度聞いていた。それは蒼も同じく。
この世界の救済。
それこそ、グレイの目的であると。
ならば何を持って救済とするのか。そのための手段はなんなのか。
朱音のいた未来。荒廃した滅びの世界こそが、やつの目指した未来なのか。
グレイも位相の力を、賢者の石を狙っていることは知っている。特に、朱音の石だ。織たちが日本に戻ってきた時、グレイは朱音を狙っていた。
桃が持っていた石は、織と愛美が宿しているのに。
その理由も分からない。
「最悪のパターンは、グレイがネザーを乗っ取ること。あの技術力をやつにそのまま使われたら、厄介なんてものじゃない」
「ならいっそ、壊滅させた方が早いんじゃない? お望みとあらば、全部消してくるけど」
笑顔でとんでもないことを言う愛美だが、実際にそれが出来てしまう。
彼女たった一人だけでも、異能研究機関を壊滅においやることが。
相手が何千何万の兵隊を動員しようが関係ない。ただ一人の少女が、その全てを殺す。
だからこそ、彼女は殺人姫と呼ばれるようになった。
「いや、それは悪手だ。なにせ、僕よりさらに上の人たちも絡んで来るからね。組織ごとってのはちょっと面倒なことになる」
「また学院本部かよ……」
隠そうともせず舌打ちをする織の脳裏には、先日怪盗と戦った日に見た、アンナの姿が過っていた。
目的のためなら手段を選ばない、部下を労おうともしない、権力に固執しただけの哀れなやつら。
あんなやつらがトップなのに、よくもまあ魔術世界は荒れないものだ。
それも、目の前にいる人類最強の存在があるからこそ、なのだろうが。
「だから、ミハイルをこちらに誘き寄せる。そのための手段は任せてくれ」
「それも向こうに筒抜けじゃないんですか? 実際に向き合って分かったんですけど、こっちの思考もお見通しなんだと思います」
自分の経験から語る葵に、人類最強はただ、不敵に微笑むだけだ。
「それなら問題ないよ。言っただろ? あいつは、位相に関わる知識を得られない、って」
◆
さて。学院長室に戻った蒼には任せてくれ、と言われたものの。織たちとしても、黙って見ているだけ、なんてわけにはいかない。
特に後輩たち、プロジェクトカゲロウによって生み出された三人は、ネザーと因縁が深いのだ。
出来れば、その手で決着をつけたいところだろう。
もっと言えば、葵もカゲロウも、本人たちは記憶が戻っていない。
サーニャに、あるいは黒霧家に助けられた以前の記憶が。
緋桜やサーニャから話を聞いただけで、実感としては全くないはずだ。
「チビ、この後時間いいか」
「私? 別にいいけど、なにかあった?」
「後で話す。ちょっとついて来い」
二人は蓮と翠、それから愛美に断りを入れて、部屋を出て行ってしまった。
残されたのは、ほんの少し奇妙な五人。
織と愛美、朱音はまあおかしくないのだが、そこに蓮と翠が加われば、中々珍しい五人組の完成だ。
「先輩たちはこの後どうしますか?」
「それなんだけどな。ネザーと本格的に戦うっていうなら、ちょっと考えてることがあるんだよ」
「レコードレスね」
一発で言い当てられてしまった。さすがは愛美、こちらの考えてることなんてお見通しのようだ。
続けて問いかけてくるのは、少し表情を暗くした朱音。
「もしかして、亡裏の里で私が言われたこと?」
「ああ。朱音のドレス、本領は別のところにあるって、亡裏垓は言ってただろ? できれば、それを使いこなせるようになって欲しい。戦力は万全に整えるべきだからな」
「わたしも、ですね。朱音は今のままでも十分だと思われますが、わたしはまだ、あの力に慣れていませんから」
翠の言葉に頷きを返す。
いや、ドレスの力を万全に、ということなら、織だって同じだ。
世界を作り変える力。幻想魔眼。
それを万全に振るうためのドレス。しかし織は、位相の向こう側から魔力を引き出すことにしか、ドレスの力を使えていない。
魔眼にしたって、世界を作り変えるなんて大仰な使い方は、今もって使える気がしないのだ。
だがまあ、それは取り敢えず置いといて。
「翠のドレス、桃と同じでしょう? だったら性能も同じなはずよ」
「万能型、ってやつだな。奪うのも消すのもできるだろ。ただ、制限時間も引き継いでる可能性があるな」
恐らくだが、魔女が使っていたドレスは織たちのどらよりも高性能だ。ゆえに制限時間が存在した。ある種のストッパーとして。
彼女にドレスを扱う資格がなかったから、というわけではない。
だって桃は、間違いなく。
織や愛美たちとの未来を求めていたから。
「問題は私、だよね」
俯き、どこか落ち込んだ声の朱音。
正直に言って、朱音は今のままでも十分強い。ドレスの力を十分に発揮できずとも、それを補って余りある力を持っている。
その大部分を支えているのが、転生者という異能。その一端である銀炎。
ミハイルと戦った時、やつは別の時間軸に逃げ込むことで、朱音の銀炎から逃れたという。しかしだ。それが分かっているのなら、朱音はその逃げ道すら潰せてしまう。
銀炎の時界制御とは、そういう力だ。
だから、力の問題ではない。
これは朱音の、心の問題だ。
「師匠、ちょっと手伝ってもらえませんか?」
「もちろん。俺でよければ、力になるよ」
「朱音、わたしも同行します。その、友人、の助けに、なりたいですから」
「うん、ありがとう翠。じゃあ二人とも、私ちょっと言ってくるね!」
俺も、と言いかけて、やめた。
たしかに、娘の手助けをしてやりたい気持ちはある。だって、父親なのだ。家族なのだ。
でも、だからこそ。そんな織にしかできないことも、ある。
「いってらっしゃい、朱音」
「事務所で待ってる」
「うんっ」
信じて待つ。あの子が帰るべき場所で。
部屋を出た三人を見送り、織は座っているソファの背もたれに体を預けた。
「俺たちも、なんぞ準備してた方がいいのかね」
「準備するようなこと、ある? どうせいつも通り、その時になったら作戦も何もかも全部崩れてぶっつけ本番。出てきたやつらは皆殺しにして終了よ」
「嫌ないつも通りだな……」
もっとスマートに事件を解決。そんな探偵に憧れていた。父親がそうだったから。
それがどうだ。スマートどころか、予定通り作戦通りに行った試しなんて一度もない。そうなっても力でゴリ押しできてしまうから、問題があるわけでもないのだが。
「となると、俺ら本当にやることないな。帰るか?」
「そうね。家にあなたが残したマンドラゴラ残ってるけど、食べる?」
「絶対嫌だ」
先日のあれこれを思い出してしまい、俄かに顔が熱くなってしまう。そもそも、愛美も食べてたのに、どうして彼女には効果がなかったのか。
魔力コントロールでどうにかなることを知らない織は、不思議で仕方なかった。
「ていうか、今日は朱音が帰ってくるし。そういうのはまた今度、二人きりになった時な」
「分かってるわよ」
クスクスと耳障りのいい微笑みを聞きながら、魔物の類いは二度と食べないと、心の中で誓う織だった。
◆
「ねえ、なにここ」
「いいから、黙ってついて来い」
カゲロウに言われて風紀委員会室を出た葵は、どこにあるのかもよく分からない洞窟の中へと転移していた。
半吸血鬼の少年自ら、わざわざ注射器を一本使ってまで、この場にやって来たのだ。おまけに洞窟内は、何故か葵の目にも情報が映されない。
つまり、異能が正常に機能していない。
薄々勘付いてはいる。葵の異能が上手く働かないなんて、そんな例は一つしかないからだ。
ただ、確証がない。というより、信じられない。
「なあチビ」
「なに?」
等間隔にロウソクの置かれた薄暗い洞窟の中。カゲロウの後ろをついて歩いていると、前方から声がかかった。
葵としては、さっさと要件を済ませてしまいたいのだ。というか、この先にいるであろう人物に、今はまだ会いたくない。
さっさと帰って、翠を可愛がりたいのに。
前を歩くカゲロウは、聞いたことがないくらい思いつめた声をしていて。
「お前、家族ってなんだと思う」
すぐに答えることが、葵には出来なかった。
質問が抽象的だから、なんて理由じゃない。ただ純粋に、分からないのだ。血の繋がりなのか、同じ家に住んでいることか、もっと違う別のなにかか。
葵にも分からない。
もしかしたら、愛美たちなら答えられたのかもしれないけど。
きっとカゲロウは、葵からの答えを聞きたいのだろう。
なにも答えられないまま、二人は洞窟の奥へと進む。
その最奥。この場には似つかわしくない木の椅子には、ひとりの男が座っていた。
「よくこの場所が分かったな」
「散々そっちから呼んどいてよく言うぜ、クソ親父」
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