第97話

『あー、それは護符だね。欠乏、喜び、贈り物。その三つでその並びだと、確実に守護の類だ。術式は既に発動してなかったんだろう? だったら燃やしてしまった方がいい。ルーンの護符っていうのはそういうものだからね。放置してたらよくないことが起きる。それにしても、随分面白い依頼が舞い込んでるじゃないか。僕も今からそっち行っていい?』

『ダメですよ蒼さん。この前のエルドラドの後始末、まだ終わってませんから』

『えー、せっかくのハロウィンだよ? そんな日に幽霊騒ぎだなんて、面白そう──』

『トリックオアトリート!! お菓子くれなきゃイタズラしちゃいますよ!!』


 愛美はそこで電話を切った。最後の叫び声は明らかに自分の娘のものだったけど、まあ聞かなかったことにしよう。

 なんにせよ、欲しかった情報は手に入った。あとは織と合流して、それぞれの情報を照らし合わせなければ。


 事務所に戻りアーサーをもふりながら織の帰りを待っていると、程なくして所長様が帰還した。


「ただいまー」

「おかえり、どうだった?」

「まあ、それなりってとこだな。そっちは?」

「収穫ありよ」


 取り敢えず、進藤加奈子の家であったことを話す。

 家やそこに置かれていた家具自体に問題はなく、ルーン魔術による護符が置かれていた。その過程で、加奈子に自分たちの素性を明かした。最後に田辺雅樹のことを聞いて、戻ってきた。


「田辺雅樹は、まあ特筆すべき点はなにもなかったみたいね。温厚な性格で、争いごとを嫌って、体も生まれつき病弱だったみたい」

「でもその護符を置いたのは、明らかに田辺雅樹しかいないよな」

「ええ。その点も進藤さんに確認したわ。恋人が魔術師である可能性について。心当たりはなさそうだったけどね」

「こっちも田辺雅樹と進藤加奈子の周辺を洗ってみたけど、怪しい話はなにも出てこなかったよ。ただ、愛美の話を聞いてると、ひとつだけ別口で変な話もある」

「変な話?」


 織はどうやら、花蓮と英玲奈に情報収集を頼んでいたらしい。

 具体的には、加奈子と同じ現象が別で起きていないか、だ。そして実際、ポルターガイストのような現象を目の当たりにした人が、この街には一定数いたらしい。


「もしもこの依頼が、進藤さんと田辺さんの二人だけで終わってたなら、話は簡単だったんだけどな」

「そういうわけにもいかなそうね」


 加奈子の部屋にあったルーン魔術の護符と、街の至る所で起きているポルターガイスト。これらを結びつけるものに、愛美はひとつだけ心当たりがある。


「今日、なんの日か当然覚えてるわよね?」

「ハロウィンだろ? それがどうしたんだよ。まさか今からお菓子作れって言わないだろうな」

「言うわけないでしょ。ハロウィンが元々どう言った行事なのか、あなた知ってる?」

「……ここ、日本だぞ?」


 どうやらちゃんと知っているらしい。

 ハロウィン。それは古代ケルトを起源とする、悪魔崇拝の儀式。一方でこの日、十月三十一日は、死者の霊が訪れると言われる日だった。そこに悪霊の類が混じるため、魔除けの仮面を被ったり火を焚いたりしていた。


 死者の霊が訪れる。この一点だけを見れば、進藤加奈子の身に起きたことと重なるだろう。それも昨日の深夜、日付が変わった頃と言っていたので、正確には今日、ハロウィン当日となった時に、田辺雅樹の霊と思われる存在は姿を現した。


「ルーン魔術が残されていたことと言い、無関係じゃないはずよ」

「ケルトのドルイドはルーンを使ってたんだっけか……どこぞで儀式でもやってたってか?」

「それならさすがに、私たちでも気づくわよ。魔力の反応自体は、現代魔術だろうが古代のルーン魔術だろうが変わらないはずだもの」


 ルーンによる隠蔽。現代魔術でいうところの認識阻害を見破るためには、その術式自体を発見しなければならない。

 魔力の発生を隠され、誤魔化されているのだ。当然、その為にも魔術を使っている。そもこの系統の魔術は、それ自体の魔力すら隠してしまう。

 しかし、魔力の探知はできないが、肉眼で術式を捉えることはできる。


 だが、この付近、とりわけこの街の中で大規模な魔術儀式を行おうものなら、街の結界が反応して織や愛美も気づける。

 これも原理は同じ。魔力が探知できなくても、結界は術式の起動を探知してくれるから。


 愛美があの護符を中々発見できなかったのは、ルーン魔術による隠蔽により術式が隠されていたことと、その術式自体が既に動いていなかったせいだ。ゆえに、そもそも魔力は隠蔽に使われていたもの以外存在せず。その隠蔽が愛美の専門外の魔術だったこともあり、発見が遅れた。


 護符が守護の類のもので助かったと見るべきだ。これがなにかしらの罠であったなら、まあ、異能でどうとでもできるけど。

 いやしかし、万が一ということがあったかもしれないのだし。


「やっぱりダメね。ただの殺し合いだと、魔術特性とか系統とか気にしなくて済むけど、こういうのは向いてないわ」

「特性も系統も関係ないもんな、お前」


 なにせ全部斬って殺して終了だ。

 でも、こういう風に魔術が絡んでくると、どうにも愛美は動きづらくなってしまう。考えることが苦手とは言わないし、搦め手を使われると弱いわけでもないけれど。

 ある種、異能に頼りすぎていた面があった、ということだろう。


 愛美は天才的な魔術の才能があるけれど、それだって所詮は才能。宝の持ち腐れで終わらせるか、上手く活用するかは愛美次第。

 腐らせていたつもりはない。前向きに考えよう。まだまだ学ばなければならないことがあるというだけだ。


「切り口を変えましょうか」

「魔術の方面から考えても、まだ不確定要素が多すぎるか」


 あの護符を置いたのは、状況的に見て間違いなく田辺雅樹だろう。なら亡くなった彼は魔術師だったのか、もしくは誰かから譲り受けたのか。

 護符の具体的な効果についても、不明な点がある。守護の類だとは言っていたが、それがどう言った効果を発揮していたのか、愛美には分からなかった。おそらく織にも分からないだろう。

 せめて蒼か後輩たちに見せることができればよかったのだが、学院長は忙しそうだし、後輩たちは今頃楽しくお茶会だろう。そこに水を差すような真似はできない。


 魔術的観点からは詰まりかけている。なら切り口を変えて、あるいは加えて行くべきだ。


「田辺雅樹について、もう少し詳しく調べたいところね」

「こんなことが起きてるんだ。生前なにもなかった、ってのは逆におかしい」

「職場の方は?」

「もちろん見てきたし、話も聞いてきた。友人関係も粗方な」

「じゃあ後は、実家くらいかしら?」

「一応調べはついてるぜ」

「なら決まりね」


 戻ってきたばかりではあるが、今度は織と二人で早速事務所を出る。

 時刻は丁度お昼、十二時を回ったあたり。そろそろお腹が空いてきた愛美だった。



 ◆



「あれ、誰かと電話してました? 取り込み中なら出直しますが」

「いや、終わったところだから大丈夫だよ」

「お仕事は終わってませんよ。はい、追加の書類です」


 目の前の机の上に、無情にも積み上げられて行く書類の山。とてもいい笑顔を浮かべる妻を見て、蒼は引きつった笑いが止まらなかった。

 強かになったものだ。こちらの世界に来た時とは大違い。


 しかし、せっかく朱音が来てくれたのだから、対応しないわけにもいかない。


「それで、どうしたんだい急に。てっきり愛美たちと一緒にいるのかと思ってたけど」

「さっき言いましたが。トリックオアトリート、です。お菓子くれなきゃイタズラしますよ」


 年齢よりも幼く見える無邪気な笑顔で、朱音が両手を差し出してくる。そして丁度いいことに、蒼の手元には有澄が作ってくれたクッキーがあったのだ。


「じゃあはい、これ。有澄が作ったから絶品だよ」

「ありがとうございます!」


 嬉しそうに受け取った朱音の笑顔が、今度は有澄に向けられた。


「え、わたしからも?」

「当然ですが」

「それ作ったの、わたしなんですけど……」


 なんて言いつつも、手元に皿を転移させた。蒼にも見覚えのあるそれは、家に保存してあったマカロンが乗っている。


「はい、どうぞ」

「やった! ありがとうございます!」


 どうやらここで食べるつもりらしい朱音は、ソファに腰を下ろしてもきゅもきゅとマカロンを食べ始めた。

 微笑ましい光景だ。

 ともすれば、自分以上に過酷な経緯で転生者となった少女。そんな朱音の平穏な日常を目の当たりにしていると、蒼は自分の肩に乗った重責を嫌でも意識する。


 人類最強。日本支部の学院長。

 大層な肩書きを持っていたとしても、今の蒼はただの人間だ。体の作りが多少おかしくなってはいるが、その精神性は紛れもなく人のもの。彼はもう、神様でもなんでもない。


 弱音を吐きたくなる、なんてことはない。最強の名を受けた時から、覚悟はしていたことだから。

 それでも、朱音を始めとした子供達を見ていると、朱音がいた時代のことを思うと。一層身が引き締まる。守らなければならないと、決意と覚悟を見つめ直す。


 書類を捌く手を緩めず、時たまお菓子を食べる朱音を見ては頬を緩める蒼。

 そんな折、朱音がなにか思い出したように、口を開いた。


「そういえば、さっき風紀委員会室で少し話してたのですが。ハロウィンって、日本でもなにか魔術的な関係があったりするものなのですか?」


 これはまた、随分とタイムリーな質問だ。さっきこの子の両親から、まさしくハロウィンが関わる事件、魔術について質問を受けたばかり。


「日本では中々ないはずですが。ここまで行事として浸透している以上、なにかしら影響があってもおかしくないと思うのですが」

「まあ、そうだね。全くないわけじゃないよ。その年によって差異はあるだろうけど、ゴーストが活性化するのは世界各地で確認されてる」


 元々は古代ケルトの儀式だったが、今では世界中にイベントとして浸透したハロウィン。発祥地ほどではないにしても、日本を始めとした世界各地で、影響自体はあるのだ。

 とはいえ、既に魔物化した霊、ゴーストが活性化するだけ。劇的に強くなるわけでもないから、そこまで問題とされてはいない。


「大昔はハロウィンってだけで、全ての霊がゴーストになったりしてたけどね。今ではさすがに、本場のアイルランドなんかでも中々お目にかかれないと思うよ」

「……あれ? ハロウィンって、死者の霊が会いにくる日なんですよね? そこにゴーストが混じったりするから、っていうのが今のハロウィンの発祥だって聞いたのですが」


 まさしく、今の朱音の格好。魔女の仮装なんかを世の中がしだしたのは、当時の人たちが魔除けの仮面をかぶったりしていたからだ。

 だが、会いにくる霊が全てゴーストだと言う話になれば、ハロウィンそのものの話が変わってくる。


「死者の霊が会いにくるのは事実だよ。でも、そいつが会いにきたって言う確証を得るには、まず見えていないといけない」

「あー、そう言うことですか」


 死んで魂がこの世に残ってしまった霊は、それだけだと魔術師であっても視認できない。

 それが見えるということは、既に魔物化、ゴーストに成り果てていたということだ。まあ、当時の人たちはそんなこと、知る由もなかっただろうが。


「あの時代は、今よりもっと世界に魔力が満ちてたからね。魔術という概念も、人に寄り添うものだった。だから第三者の介入がなくても、霊は勝手に魔力を持ってゴーストになってたんだ」

「霊が魔力を吸い取ったのではなく、魔力の方から霊に寄っていった、というのが重要ですね。神話に近い時代では、そういうことがよくあったらしいです」

「ああ、そういう話なら、私の生まれた時代にもありましたが」

「それは興味深いな」


 思わず仕事の手を止め、身を乗り出してしまう。有澄の視線に制されたが、それがなければ朱音から根掘り葉掘り聞き出してるところだった。


 蒼は転生者だ。ゆえに過去、あらゆる時代を生きてきたが、未来は完全なる未知の領域。この時代で未来の世界をを知る人間は、桐生朱音ただ一人だ。


「でも、霊が勝手に魔物化する、というのとは少し違いますので。あれは強い魔力に吸い寄せられてる、といった方が正しい感覚でした。魔力濃度自体は、この時代と比べるまでもなかったですが」


 人類が絶滅寸前まで追いやられ、魔物がはびこる世界。

 当然、大気に満ちた魔力はこの時代よりも濃くなっているだろう。


 だが、強い魔力に吸い寄せられる、というのは蒼も見たことがない。

 大気中の魔力を利用する術はいくつか存在している。魔導収束がいい例だが、それ以外の大規模魔術でも、術者の体内では足りない場合にそこから補ったりするのだ。


 それはあくまで、魔術によるもの。魔力の方が勝手に反応して、という例はこれまでなかった。


「っと、すこし話が逸れすぎましたね。今はそんなことより、ハロウィンについて聞きたいので」

「僕としては、もっと未来のことを知りたいんだけどね」

「面白い話でもないですが」


 朱音が話したくないというのであれば、これ以上の詮索はやめておこう。

 いい思い出の方があるのだろうけど、この子は元の時代で、あまりにも多くの悲劇に立ち会いすぎた。


「大昔は、霊が勝手に魔物化することがあったんですよね。なら今の時代、それがあり得るとしたら、やはりどこかでそれなりの規模の魔術や儀式が絡んでいるのですか?」

「そう考えるのが妥当だろうね。ハロウィンと親和性の高い魔術、ルーンなんかの可能性が高い」


 己の弟子たちのことを浮かべながら、蒼は朱音に説明してやる。


 ルーン魔術の特性としては、文字の組み合わせによってその効果を変えるところだ。それも、どのルーンを使うかによっても変化する。

 ゲルマン共通のルーン、北欧ルーン、アングロサクソンルーンの三種類。

 現在の魔術師が主に用いるのは、この中でも北欧ルーン文字によるものだ。


 そしてその特性こそ、ルーン魔術を相手取る上で最も厄介な要素になる。


「文字の組み合わせだけで発動できるから、現代魔術みたいに術式の構成が必要ないんだよ。文字がその代わりを果たしている」

「隠蔽とか認識阻害をかけられたら、中々見破りづらい、ってことですね。それでも、術式を併用する場合もあるのでは?」

「最近の魔術師はそうするパターンが殆どだね。ルーン文字自体、いくつか失われてしまったものがある。そこを埋めるために術式を使うんだよ」


 その術式も、ルーンによる隠蔽をかけられてしまえば見えなくなるのだが。

 文字を書くだけで魔術を発動できる。術式構成を必要とする現代魔術とは、一線を画したようにも聞こえるが、しかし便利なだけではない。

 当然のように抜け穴も用意されている。


「そもそもルーン文字っていうのは、一種の暗号みたいなものだったんだ。だから当時はまだその意味も広く浸透してなくて、それこそが強みだった」


 けれど現代では、一部を除いた殆どが解明されている。文字さえ見つければ、打ち破ること自体は簡単だ。

 そもそも、その文字さえ消してしまえばルーン魔術は効力を失うのだから。


「現代でルーン魔術が廃れつつあるのは、文字の意味が解明されてしまったことと、失われた文字がいくつかあること。それに加えて、現代魔術の利便性には勝てなかったことも挙げられる。まあ、戦闘に用いるならルーンの方がまだまだ便利だけどね」


 なにせ文字を書くだけだ。面倒な構成は必要としない。即効性が期待できる。

 それも、一定以上の魔力を持った者に限られるが。なにせ出力は現代魔術の方が格段に上なのだ。


「と、ここまで説明したのはいいけど、わざわざ廃れたルーンを持ってきてまで、ハロウィンで幽霊騒ぎを起こすメリットは見当たらないね。そういう事件を起こすやつは、魔物化させるよりも禁術を使って直接魔力に変えるだろうし」

「同感です。あまりにも非効率すぎますので」


 言葉とは裏腹に、蒼はこうも思っていた。

 仮にそんなことをわざわざ起こすのだとしたら。当然そこには、なにかしらの思惑が絡んでくる。それも、よくいる裏の魔術師連中が考えることより、もっと深くて複雑な。


 陰謀よりも、願いと呼ばれるべきものが。



 ◆



 田辺雅樹の実家は、棗市の北側に位置する住宅街の中にあった。その中でも更に北の方。特に富裕層が集中しているエリアの一帯にある、木造の家だ。今はそこに、母親が一人で暮らしているらしい。


「どう?」

「反応はなし。ここも外れか?」

「とりあえず、中に入れてもらって話を聞きましょう」


 改めて探知してみた織だが、魔力の反応はない。認識阻害も感じられないし、やはり田辺雅樹の周辺に魔術の気配はないのか。

 考え込む織をよそに、愛美は遠慮なくインターホンを鳴らした。


『はい、田辺です。どちら様でしょうか?』


 聞こえてきたのは、予想に反して若い女性の淡々とした声。決してしわがれたものではなく、静かで、けれど力強い声だ。


「桐生探偵事務所の者です。亡くなられた田辺雅樹さんの恋人、進藤加奈子さんから依頼を受け、その件でお伺いしたいことがあって来ました」

『少々お待ちください』


 おそらく、お手伝いさんだろう。家主に確認しに行ったに違いない。

 老いた女性の一人暮らしでは、なにかと不自由なことも多いはずだ。一等地に家があることと言い、その家の敷地もそれなりに広いことと言い、金には困っていないはず。


 しばらくしてから、家の門扉が開かれた。中から現れたのは、妙齢の女性だ。先程インターホンで対応してくれたお手伝いさんと思われる。


「お待たせいたしました。奥様がお会いしたいとのことですので、ご案内いたします」


 ひとまずは話が聞けそうなことに安堵して、織と愛美は女性の案内に従い、田辺家へと足を踏み入れた。


 桐原邸程ではないがそれなりに広い木造家屋。通されたのは、家主である田辺雅樹の母親の部屋だった。

 そこには既に、田辺雅樹の母親の姿が。年季ものの着物に身を包んだ、白髪の目立つ老齢の女性だ。


「ようこそおいでくださいました。雅樹の母、田辺しのぶと申します」

「桐生探偵事務所所長、桐生織です」

「桐原愛美です」


 代表して織が名刺を渡す。作っておいてよかった。


「お噂はかねがねお聞きしております。街の方たちからの信頼も厚いそうで」

「恐縮です。早速で申し訳ないんですが、本題に入っても?」

「ええ。亡くなった息子と、加奈子さんのためでしたら。どんなお話でもお答えします」


 お手伝いさんが持って来てくれたお茶で喉を潤してから、織はまず、進藤加奈子からの依頼と、現在の捜査状況を説明した。

 端的に説明してしまえば、亡くなった恋人の霊を見た、という話だ。

 そして加奈子の部屋には、ルーン魔術の術式とルーン文字、便宜上妙な紙が隠されていたと話し、街の至る所でポルターガイスト現象が起きているところまで。


「こちらが、進藤さんの部屋に隠されていた紙です。この紋様に見覚えは?」

「はて……私にはありませんね……仁美さん、あなたはどう?」


 愛美がスマホで撮影したものを見せるが、田辺しのぶの反応は芳しくない。嘘をついているようにも見えないから、やはり田辺家はシロか。

 仁美と呼ばれたのは、そばに控えていたお手伝いさんだ。愛美がそちらにスマホを向ければ、彼女は眉ひとつ動かさない無表情のまま、やはり淡々と答える。


「私も存じ上げません」

「失礼ですが、あなたも雅樹さんと面識が?」

「仁美さんは、まだ雅樹が実家を離れる前、五年前からずっと、住み込みで私の面倒を見てくれているのです」


 進藤加奈子と田辺雅樹の年齢は二十四。雅樹が大学生の頃から、ということだろう。そう考えると、約三年ほどは生活を共にしていたこととなる。


「雅樹が倒れた時そばにいたのも、仁美さんでした……この子がいたから、私も加奈子さんも、あの子の死に目に立てたのです」

「そう、ですか……申し訳ありません、辛いことを思い出させてしまって」


 遠い目をして語るしのぶに、織は思わず頭を下げてしまった。家族を失う。そのことの辛さは、織も知っているから。

 愛美が一瞬、心配そうな視線を寄越してきたが、場所を弁えたのだろう。すぐに前を向き、しのぶではなく仁美に問いを投げた。


「あなたは、進藤さんとも面識が?」

「はい。何度かこの家にも」

「雅樹さんが倒れた時、あるいはその前に、なにか言い残されたことなどは?」

「……なにも」

「そうですか。踏み込んだことを聞いてしまってすみません」


 頭を下げた愛美を見て、織はギョッとした。声が出そうになり、慌てて踏みとどまる。


 なぜか魔力を解放して、体に概念強化を纏っていたから。ではない。

 概念強化が不自然な解け方をして、愛美の魔力が霧散したからだ。


 明らかな異常。なにもないはずのこの家で、起こりようのない事態。

 しかし愛美自身は意に介した様子もなく、織に退室を促した。


「織、そろそろお暇させてもらいましょう」

「あ、ああ。そうだな。田辺さん、ご協力感謝します」

「いえいえ。こちらこそ、大したこと力になれず申し訳ありません。仁美さん、玄関まで送ってあげて」

「かしこまりました」


 最後にしのぶへ一礼して、来た時と同じように仁美の後について外へ出る。

 門の外へとたどり着き、仁美にも礼をしようとした織だが、それより前に愛美が口を開いた。


「現代魔術で基礎を学ばずにルーン魔術を教える。雅樹さんは、よほど腕のいい魔術師だったのね。それとも、あなたに講師としての才能があったのかしら?」

「……っ、なんの話でしょうか」


 愛美の口調が、敵に対するそれへと変わった。困惑する織だが、しかし仁美の僅かな動揺は見逃していない。

 さっき部屋で愛美が質問した時も、一度妙な間を持って答えていたか。


 だが未だ理解しきれていない織は、静観するのみだ。


「おかしいと思わない? 加奈子さんの部屋には魔術の痕跡があった。文字と術式をしっかりと置いてあったのよ。にも関わらず、田辺雅樹も含めた二人の周りには、それらしき匂いがしないもの」

「おっしゃっている意味がわかりません。あなたは、なんの話をしているのですか?」

「そこの門に出来てる変な傷は破壊のルーン、家の敷地内で魔術を発動させないものね。あなたの服の裏側には停滞のルーンが描かれている。そのポーカーフェイスは停滞のおかげかしら。たしかそんな意味があったと思うけど」


 愛美がいい終わるや否や、仁美の足元が輝いた。浮かび上がったのはルーン文字だ。魔力が解放される。

 すかさず懐の短剣を抜いた愛美が斬りかかるが、僅かに遅かった。


 絶死の一撃は空を切り、仁美は完全にこの場から姿を消していた。


「逃げ足は速いのね……」

「愛美、説明」

「説明もなにも、カマをかけただけよ」


 不機嫌そうに短剣を鞘に納める愛美。正直言って全く状況についていけてない織は、完全に蚊帳の外だった。


「加奈子さんの部屋にあった護符は、状況から見て間違いなく田辺雅樹が置いたもの。それはあなたも分かってるでしょ?」

「実は違うってか?」

「いいえ、そこは違わないわ。恐らくは、護符を作ったのも本人よ。田辺雅樹は魔術師だった。けれど田辺家は魔術師の家系でもなんでもない。なら、雅樹さんに魔術を教えた人がいる」

「お前まさか、それで適当ぶっこいたってことかよ?」

「ある程度確信を持ってからよ。ルーン魔術は元々、隠蔽に優れてるわ。ルーン文字自体が本来は暗号みたいなものだったし、ルーンは日本語で秘密を意味してる。さっき中で、私の魔力が掻き消されたでしょ? あれで候補はあの二人に絞られた。私の質問に詰まってたことといい、使用人の方が怪しかったからカマをかけたってこと」


 そしたら簡単にボロを出してくれた、ということか。愛美が指摘した門の傷。不自然には思えないが、見る人が見れば分かる。元々ルーン文字はそういうものなのだから。


「ただ、そこから先は分からないわ。雅樹さんの霊が見えたことといい、街中のポルターガイストといい、あの使用人との繋がりがイマイチ見えない。逃げたとこを見るに、ポルターガイストの方はあの使用人の仕業なんでしょうけど。動機に確証が持てないのよね」

「そもそも、あの仁美って人の情報が足りなすぎるからな。しのぶさんには聞けないし、また加奈子さんから話を聞くしかないか……」

「それより、念のため未来視使っといてちょうだい」


 言われるがままに、瞳を橙色に輝かせる。

 望んだ未来を引き寄せる力ではなく、己の未来を予測する力。


 果たしてその目に映された未来を見て、織はげんなりと肩を落としてしまった。


「今夜は騒がしくなりそうだぞ……」

「ケーキ、作ってる暇ありそう?」

「朱音のイタズラを甘んじて受けることにするよ」


 せっかく飛び切りのケーキを焼いてやろうと思ったのに。せめて、どんなイタズラでも受け入れることにしよう。


 ただ、どんなイタズラをされるかは予測したくない織だった。

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