第98話

「トリックオアトリート! お菓子くれなきゃイタズラしますよ!」


 魔術学院日本支部の職員室。魔女の仮装でそこに現れた朱音は、扉を開くや否や、大きな声でそう叫んだ。

 職員室内の教師たちの視線を一身に受けながら、足を向けた先には転生者の二人が。剣崎龍とルークだ。


「やあ朱音、今日も元気がいいねぇ。その若さがボクには羨ましいよ」

「ルークさんもまだ若いと思いますが」

「おや、嬉しいこと言ってくれるね」

「自分のことをボクなんて言えてる間は、まだまだお若いと思いますよ」

「おっと、喧嘩売ってるのかな?」


 そんなことはない。そもそも、転生者に年齢やら性別やらの話をしたところでナンセンスだ。ルークは以前の生で男性だったことが多かったのだろうし、年齢なんて通算で考えたら果たしていくつになるのやら。数えるのも馬鹿らしい。


「朱音。ほれ、こいつやるよ」

「……これだけですか? 物足りないのですが」


 朱音とルークのやり取りを近くで見ていた龍が、小さな飴を投げてきた。不満そうに口を尖らせるが、残念なことにこれしかないらしい。


「どうせここ来る前にも他のところ回ってきたんだろ。あんまり食い過ぎると、両親から貰う分が入らなくなるぞ」

「余裕で入りますが。父さんが作るお菓子は別腹ですので」

「さすが愛美の娘って感じだねぇ」


 苦笑するルークに、朱音はドヤ顔を返す。

 大好きな自慢の両親に似ていると言われるのは、朱音にとって褒め言葉にしかならないのだ。


「ということですので、もっとください」

「遠慮がないところもそっくりだ」

「つっても、菓子なんかそれ以外持ってきてないぞ」

「じゃあイタズラです?」

「ボクたちに? できるの?」

「お、大人気ない……」


 朱音が全力でイタズラしようとして、ルークがそれを全力で阻止しようとすれば。それは最早イタズラの域を超えて、ちょっと過激なじゃれ合いになるだろう。

 ついでにそうなると、朱音はルークに勝てる未来が見えない。


「冗談だよ。はい、これ。有澄からの貰い物だけど、朱音にあげる」


 金髪ポニテのボクっ娘がポケットから取り出したのは、朱音もさっき学院長室で食べたクッキーだ。

 まあ、なにも貰えないよりかはいいだろう。有澄のクッキーは美味しいし。


 となると、飴玉一つだけの龍には、どうしても不満げな視線を送ってしまう。


「そんな目されても、ないもんはやれないぞ」

「けち臭いなぁ王様は。こんな可愛い子がおねだりしてるんだし、なにか買って来るくらいしてやれよー」


 割り込んできたのは、脱力しきったやる気のない声。最低限にしか身嗜みを整えていないダメ教師、久井聡美だ。


「聡美さん! トリックオアトリートです!」

「おー、あたしはこのケチな王様と違って、ちゃんと用意してるぞー」

「王様っていうのやめろ」


 龍の文句も無視して、聡美もポケットからなにかを取り出す。どんなお菓子かとわくわくしていた朱音だが、しかしその期待は容易く裏切られてしまった。


「金属……?」

「ただの金属じゃないぞー。魔障が自然発生した場所から取ってきたから、素材としては完璧な一品」

「お菓子じゃない……」


 まさかハロウィンに、錬金術の素材を渡されるとは。肩を落とした朱音に、脱力系教師は苦笑する。


「まあまあ、よく見てなよー」


 手のひらに乗せた金属。その上に魔法陣が広がる。朱音や両親たちが使う現代魔術のものではなく、古代から存在していながら未だに魔術理論が更新されていく驚くべき魔術。久井聡美が最も得意とし、それひとつで世界を畏怖に叩き落としたもの。


 錬金術。


 その魔法陣が、金属を透過する。魔法陣が消えた頃には金属も消えており、その代わりにショートケーキが乗っていた。


「はい、どうぞ。味は保証するぞー」

「いや、でもこれ、元は金属ですが……」

「大丈夫大丈夫。小鳥遊も美味いって言ってたし」

「えぇ……」


 金を錬成する。あるいは、金からなにかを錬成する。それが錬金術の基本であり全てだ。


 今しがた聡美が行ったように、金属を菓子へと変える。その逆も可能だ。菓子を金属へ。あらゆる物質を別の物質へと変えてしまう術ではあるが、必ず金属を経由しなければならない。


 石を水に変えることは可能だが、厳密には石から金属へ、金属から水へと錬成する。

 ウロボロスと呼ばれる概念はあまりにも有名だ。錬金術師は金属を経由させて物質を錬成し、その果てにある無限を、あるいは始原を求める。


 もちろん錬成する物質によって難易度は変わる。食物に変えるなんて、かなり高度な術だろう。


「それにしたって、あまり食欲は湧きませんが……」

「わがままだぞー」

「いや、さすがに聡美がおかしいでしょ。ボクだって嫌だよ、それ食べるの」

「蒼とこいつが頭いかれてるだけだな」


 旧知の仲である二人からもそう言われてしまえば、聡美も思うところがあるらしい。

 美味しいのになー、とか呟きながら、ショートケーキがボールペンに変わった。それを机の上に放り投げ、聡美は職員室を出て行ってしまう。


「すごいですね……私でもここまでは出来ませんが……」

「錬金術使わせたら世界一だからな。蒼も、そこだけは敵わないって認めるレベルだ」


 朱音の目に映った光景としては、金属がショートケーキに、ショートケーキがボールペンに変わった。

 金属からショートケーキはまだ分かる。一般的、とは言えないが、まだ錬金術の範囲内だ。しかし、ショートケーキから直接ボールペンに変えるのは、さすがに錬金術の域を逸脱していないだろうか。


 金属を一度経由させることで、永劫回帰のウロボロスを再現する。錬金術の真価はそこにあるはずだ。

 実際、術式を見た限りでは、金属を経由させてはいたのだろうけど。


 朱音たちが使う現代魔術で言うところの、詠唱破棄や高速詠唱などと同じ技術、なのだろうか。


「あの人、転生者じゃないのですよね?」

「違うな。ただまあ、似たようなものではあるが」

「似たような?」

「あいつの家は、錬金術の大家として有名なんだがな。先祖代々の研究成果やら魔力やらを子孫に残す受け継がせていくんだ」


 それだけなら、他の魔術師の家でも聞く話だろう。方法は様々ではあるが、研究成果を子孫に残そうとするのは、むしろ魔術師として当然の行いだ。


「聡美の場合、その残され方が特殊なんだよ。研究成果を子孫に残す。それ自体が一種の研究というか、錬金術の実験みたいになってる。聡美の先祖の、そのまた先祖からずっと、生まれてきた長子には親の精神性と記憶を残す。彼女が常にやる気なさそうなのは、その辺りが理由さ。彼女のご先祖様は随分ものぐさな性格だったらしい」


 連綿と続く家の歴史と、受け継がれる記憶と精神。擬似的な永劫回帰のウロボロスを再現することで、久井家の人間は錬金術という概念に対して、絶対的な優位を取ることができる。


 魔術儀式の一種ではあるが、それにしても随分遠回りな儀式だ。

 即物的かつ実戦向きの現代魔術では、まずあり得ない。


「ルーンにしろ錬金術にしろ、現代魔術と比べるとややこしいですね」

「それはお前が、現代魔術しか使わないからそう思うんだろうよ。実際一番ややこしいのは現代魔術だぞ。ルーンも錬金術も、単純な法則で動いてるからな」


 文字とその組み合わせで発動するルーン魔術に、金属を錬成、あるいは金属から錬成する錬金術。

 そう聞けばたしかに、単純な術のように思える。ただ、それを扱う身近な人間がおかしいせいで、現代魔術のほうが多様性に富んでいるのだ。


 元素や強化、復元などの初歩的な魔術に始まり、時空間や概念への干渉、純粋な力を撃ち出す魔力砲撃、果ては魔導収束まで。

 術式構成に差異はあれど、この全てが共通した法則の中で動いている。


 魔術という括りで考えるならば、現代魔術もルーン魔術も錬金術も、全て同じ法則ではあるが。例えるなら、掛け算か割り算かの違い、のようなものか。

 ルーン魔術が掛け算、錬金術が割り算とするならば、現代魔術はなんちゃら方程式とか、ちょっとややこしい類のやつだ。

 朱音はそこら辺の知識が殆どないけど、多分そんな感じだろう。


「改めて考えると、魔術ってややこしいですね」

「お前が言うなよ」


 龍の言葉はごもっとも。当然朱音は、そのややこしい理論のほぼ全てを理解した上で、絶大な力を振るっている。

 だがそのややこしさの中には、それが確立されるまでの時間や、先人たちの努力が積み上げられた結果だ。


 例えどのような目的に使われたとしても、最悪の結末をもたらしかねないのだとしても。そこだけは尊ぶべきだろう。


「現代魔術以外となると、あとは陰陽術あたりかな? 晴樹さんのとこに聞きに行こっと」

「勉強熱心だねぇ」

「興味本位ですので。せっかく蒼さんからルーン魔術を、聡美さんから錬金術を教えてもらいましたし、他も気になります」

「菓子はいいのか?」

「勿論もらいに行きますが」


 龍とルークに一礼して、帰り際に他の教師からお菓子を渡され、朱音は次の目的地へとご機嫌な足取りで駆けて行った。

 鼻歌交じりの彼女は、今街で起きている事件について知る由もない。



 ◆



 田辺雅樹の実家でルーンを扱う魔術師と相対した後、織と愛美は更なる情報を求めて、再び進藤加奈子の元を訪れた。


 とは言え、男である織が家に上がるわけにもいかない。加奈子の自宅からほど近い喫茶店で待ち合わせ、合流するや否や早速、田辺家のお手伝いさんについて尋ねた。


 そして返ってきたのは、ある意味予想通りの答えだ。


「田辺家のハウスキーパー、ですか? そんな人がいるなんて、聞いてませんけど……」

「田辺しのぶさんの話だと、仁美と呼ばれてたその人が、雅樹さんが倒れた時その場に居合わせたらしいんですけど」

「たしかに、雅樹が倒れた時に居合わせた人は知らない人でしたけど、決してハウスキーパーなんかじゃありませんでした」


 記憶の改竄程度、魔術の力があれば容易いことだ。ルーン魔術に明るくない織でも、それが可能であることは想像がつく。

 問題は、どちらの記憶が改竄されているのか、である。


 普通に考えれば、田辺しのぶだろう。あの仁美と呼ばれていたルーン魔術師は、確実に雅樹と接点があった。加奈子の部屋に隠されていた護符は、まず間違いなく仁美によってもたらされたものだ。


 だが、具体的にどういった関係だったのか。それが分からないことには、加奈子の記憶が改竄されている可能性も否めない。


 あらゆる人物、あらゆる場所で、あらゆる可能性を考慮した推理。

 それこそ、織が目指す探偵の姿。

 幼い頃から憧れた、桐生凪という偉大な探偵のスタイルだった。


 とは言え、織の父親の場合は、その異能があればこその推理だったのだろうが。


 その後も加奈子にいくつか質問したが、やはり彼女からこれ以上の情報を引き出すのは難しい。

 加奈子自身の知っている事実が少ないというのもあるが、それ以上に。亡くなった恋人のことを根掘り葉掘り聞くのは、織も気が引けるのだ。


 加奈子と別れた後、二人はあのルーン魔術師を追うための探知をかけるため、街中のビルの屋上へ移った。


「田辺雅樹と、あのルーン魔術師の関係か……難しいところだな」

「魔術師が一般人に、自分が魔術師であると明かす。だけに飽き足らず、護符まで手渡しているものね。それなりに親密な関係だったと思うけど」

「まさかの浮気相手とか?」

「浮気相手から貰った護符を、恋人に渡すと思う?」

「俺は浮気とかしないから分かんねえな」

「したら殺す」

「怖えよ……」


 言われなくてもするわけない。こんな美人から身に余るほどの愛情を向けられているのだ。する気も起きないし、する意味がない。それから、織はまだ死にたくないので。


「浮気相手じゃないとしたら……親友、とかはどうだ?」

「どっちのよ」

「どっちかの」

「男女間の友情って存在すると思う?」

「俺は葵のこと、友達でもあると思ってるけどな」

「男がそう考えてても、女はどうかしらね」

「浮気されたら死ぬぞ」

「するわけないでしょぶっ殺すわよ」

「ごめんなさい……」


 どうにも会話が横道に逸れてしまう。

 だが、案外バカにできない会話でもある。男女間の友情が存在するのかについては、各所で議論が交わされることだろう。家にある愛美の少女漫画とかラノベとか読んでると、そんなもん存在しないと思いがちだが。

 現実世界はフィクションのように、全ての男女が恋愛で結び付けられるわけではない。


 逆に、である。

 同性であっても、そこに恋愛が結びつかない理由にはならないのだ。


「雅樹さんじゃなくて、加奈子さんの方か……?」

「加奈子さんの浮気相手、ってこと? あの魔術師が?」

「あり得ない話じゃないだろ」

「あなた、百合に理解があったのね」

「百合……?」


 なぜそこで花の名前を出すのかと首を傾げる織だったが、そう言えば女性同士の恋愛関係などを指して百合と呼ぶのかと思い至る。

 家にある漫画で習った。


「だとしてもよ。それ、加奈子さんの記憶が改竄されてる方向で考えてるでしょ? でもそうする理由が見当たらないし、田辺雅樹との関係も余計見えなくなってくる」

「そうなんだよなぁ……」


 提示された情報が、あまりにも少ない。例えば加奈子が魔術師であったなら、魔術方面の情報を更に得られたことだろう。そこから相手の居場所や目的も割れたかもしれない。

 だが一般人からだと、魔術方面は当然からっきし。自分たちの目で見たもの以外の情報は期待できないのだ。


 となると、またしても切り口を変えるべきか。


「今回は、まだ運のいい方だな。街の騒ぎの方を調べてみるか」

「そっちがなかったら、いよいよゴリ押しで行くしかなかったわね」


 愛美の言うゴリ押しとは、幻想魔眼による逆探知だ。加奈子の護符を媒介に、織がその過去を見る。

 ただ問題としては、あの黒龍エルドラドとの戦い以降、一度も幻想魔眼を使っていないことか。制御を取り戻している自覚はあるから、大丈夫だと思うのだが。


「そうならないように祈るしかないな」


 肩を竦め、おどけるように答えた織。

 幻想魔眼への不安もあるが、それ以上に。織の中で、意地のようななにかが邪魔をしている。あるいは、探偵としてのプライドと言ってもいいかもしれない。


 父親に追いつくのだという、その意気込みこそが、彼の思考の邪魔をしているのに。



 ◆



 桐生織が生まれ育ったとある地方都市。その郊外に位置している廃ビルの中は、今や銀髪の吸血鬼と半吸血鬼の少年の住処となっていた。

 そこの五階には比較的綺麗なベッドやソファが置かれており、ところどころにゴミも落ちているが、散らかっているわけでもない。完全に人が住んでいる空間となっていた。


 その片割れである銀髪の吸血鬼、サーニャを訪ねてやってきた朱音だったのだが。


「……」

「どうした、難しい顔をして。お腹いっぱい、なんて言うんじゃないだろうな」


 いつも通り雑なもてなしと共に出された大量のお菓子を前に、朱音はしかめっ面をしていた。しかし、断じてお腹いっぱいなわけではない。まだまだ入る。

 それはそれとして、サーニャがお腹いっぱいなんて言い方をするのはちょっと可愛いな、と思ったりする朱音だが、しかめっ面を浮かべているのは勿論、考え事をしているからである。


「私、思ったのですが」

「なんだ」

「こうも貰ってばかりだと、なんだか申し訳なくなってくるんです。だから、なにかお返しできないかな、と」

「貴様が喜んでくれるだけで、他の者たちは十分だと思うがな」


 それは、そうなのだろう。

 今日は色んな人のところを回った。葵たちのいる風紀委員会室から始まり、学院長室の蒼と有澄、職員室の先生方、ここに来る前には晴樹と香織、アイクのところにも行ってきた。その全員が、お菓子を食べる朱音を見ただけで笑顔になっていた。


 自分がみんなから好かれている証拠なのだろうけど。朱音本人としては、それで納得できるわけではない。

 いや、この際だ。今日お菓子をもらった人たちはいいとしよう。それよりなにより、朱音にとって大切なのは、世界で一番大好きな両親なのだから。


 あの二人に、なにかを返したい。

 今も家で、朱音のためにケーキを焼いてくれてるだろう二人に。


「それでも、なにかしたいんです。私の自己満足かもしれませんが。それであの人たちが喜んでくれるなら」


 銀髪の吸血鬼が、一つ息を吐く。呆れたような目は、しかし朱音にとってよく見慣れた目だ。こう言う時のサーニャは、なんだかんだ言いつつ朱音に付き合ってくれる。


「それで、具体的な手段や方法は考えているのか?」

「もちろんです!」


 ほら、やっぱり。

 朱音がサーニャのことをツンデレ呼ばわりする所以であり、サーニャのこういうところが好きなのだ。


 その態度とは裏腹に優しい、人ならぬ彼女のことが。


「今日はハロウィンなので、やっぱりお菓子を作るべきだと思うのですが」

「やめておけ」

「即答ですか⁉︎」


 いや、まあサーニャが止めるのも分かるけど。でも朱音だって、日々成長しているのだ。師匠である蓮からたまに料理を教わったりもしてたりするし、昔ほど酷いわけではない。少なくとも、母親よりかはマシなはず。


「あのな、菓子作りは他の料理とわけがちがうのだぞ」

「レシピ通りにするのは同じだと思いますが」

「それは他の料理をレシピ通りに出来てから言うのだな」


 痛いところを突かれ、朱音は押し黙ってしまう。だって、レシピ通りにしていたらあまりにも感性が遅くて、我慢できなくなるのだ。

 弱火のところは強火にしたら早く仕上がるだろうし、調味料は多い方が美味しくなるに決まってる。


 それが料理音痴あるあるだとは、知る由もない朱音である。


「今からでも師匠にお願いすればなんとかなるはずでので……」

「蓮にか? やめてやれ。カゲロウにも言ったが、せっかくなのだから葵と二人にしてやるべきだろう」

「せっかく?」

「なんだ、知らんのか?」


 え、知らない。なに、あの二人になにがあったの?

 本人たちからはなにも聞かされていない朱音は、好奇心を隠しもしない目でサーニャを見る。が、サーニャの返答は残酷なものだ。


「……いや、我の口から言うことでもないか。本人たちから聞け」

「ちょっ、それはあんまりですが! そこまで言われたら気になりますよ!」

「とにかく、蓮はダメだ。どの道貴様とて、葵と二人きりのところを邪魔したいとは思わんだろう」

「それはそうですが……」


 どうにもすっきりしないので、今度本人達に聞いてみるとしよう。喧嘩したとか、そういうのじゃなかったらいいのだけど。


「じゃあ、有澄さん辺りに教えてもらったらいいですかね。あの人のクッキー、美味しかったので」

「貴様、もしやわざとか?」


 細められた目で睨め付けられるが、朱音には心当たりがない。わざと、とは。一体なんのことか。すっとぼけてるわけではなく、サーニャが不機嫌そうになる理由が本当に思いつかないのだ。


「普段は遠慮なしに甘えてくせに、こういう時は頼らんのだな」

「……?」

「はぁ……だから、我が教えてやると言っておるのだ」

「サーニャさんが?」


 その選択肢が、そもそも思い浮かばなかったのはなぜか。

 朱音にとって、きっとサーニャも両親と同じ枠組みに、つまり恩返しをしたい相手の一人になっているからだ。

 ほとんど無意識のうちに、サーニャから教えてもらうことを度外視していた。


 だから、サーニャからそう言われて嬉しいのだけど、それでも素直に頼もうとは思えない。


「うーん……サーニャさんに……」

「なんだ、不服か?」

「いえいえ! そんなわけありませんが! ただ、サーニャさんにも恩返しが必要かな、と思いまして……」

「今更そんなものはいらん。そもそも、一つや二つ返されたところで、足りるわけもないだろう。貴様、どれだけ我に面倒をかけさせたと思っている?」

「そ、そうですかね……」


 もちろん自覚はある。この時代に来た時も、両親がいなかった時も、サーニャは朱音を支えてくれた。嫌そうな顔をしながら、それでも朱音を信じて、朱音のために行動してくれて。

 だから恩を返したいと思っていたのだけど、本人がこの調子だ。この辺り、やはり朱音の両親とはスタンスが違う。

 織と愛美はきっと、朱音がなにか恩返しをしたいと言えば、喜んで受け入れてくれるだろう。けれどサーニャは、それを拒む。形あるものとして受け取ることをしない。


 永い時を生きた吸血鬼特有の価値観なのか、サーニャの個人的な性格に起因しているのか。あるいは、そのどちらもか。


 なんにせよ、こうなってしまってはサーニャは本当になにも受け取ろうとしないだろう。

 仮にお菓子を作ってあげたとして、彼女はきっと、自分一人で食べるよりも朱音と一緒に食べることを望むと思う。

 そういう優しいヒトなのだ、サーニャは。


「分かりました……じゃあ、また面倒をおかけしますが、私にお菓子作りを教えてください」

「ああ。仕方ないから、付き合ってやる」


 そう言って微笑んだサーニャの顔は、やはり優しい、穏やかなものだった。

 時刻は午後の二時を過ぎた頃。今から作って、夜には両親に、自分の作ったお菓子を振る舞おう。そして自分は、父が作ってくれたケーキを一緒に食べる。


 そんな光景を想像して、朱音は俄然やる気を漲らせた。



 ◆



 街の至る所で起きていたと言われる、ポルターガイスト事件。

 その調査を始めたのは、そろそろ夕方に差し掛かるという時間だった。十月最終日ともなれば、十六時を過ぎると空が茜色に染まり始める。


 綺麗な夕焼けを背に街のあちこちを駆けずり回った織と愛美。

 商店街を始めとした知り合いに聞き回った結果、半ば予想通りの結論が一つ。


「ここ二、三年のうちに家族が亡くなった人ばっかだったな」

「まあ、幽霊騒ぎだもの。ある意味当然でしょうね」


 一度事務所に戻った二人は、調査の結果をまとめてみる。

 外はすでに薄暗くなって来ていて、もしかしたらそろそろ朱音が帰ってくるかもしれない。


 親が、子供が、あるいは孫や兄弟、果てはペットまで。

 家族が亡くなり、家で仏壇をお供えしている家ばかりで、ポルターガイスト現象は見られていた。

 愛美の言う通り、当然の結論だろう。事件は幽霊騒ぎだ。魔術的観点から言えば、幽霊の存在は明確に肯定されている。

 ただ、視認できるわけではないし、幽霊がなにか騒ぎを起こすと言うこともあり得ない。可能であるとするなら、それはすでに魔物化したゴーストだ。

 ゴーストであるなら、街の結界に反応があるはず。それがない。


「くそッ、全然わかんねぇな。まだケーキの材料すら買ってねぇってのに」

「あの子が帰ってきたら、どう説明するの?」

「仕事だったって土下座する」

「父親のプライドってもんをちょっとは持ちなさいよ……」


 呆れたように言われ、しかし織の中にそんなものはなかった。なぜなら、織の父親である凪にそんなものがなかったから。

 大体母親の冴子の尻に敷かれていて、けれどいざという時はやる男。


 そんな凪なら、こういう時どうするのか。

 千里眼と呼んでいたあの魔眼で、打開策を見つけられるのか。あるいは、その知識と経験による推理を打ち立てるのか。

 それを果たして、今の自分に出来るのかと言われれば、織は首を横に振ってしまう。


 織の異能は未来視だ。過去は見れない。だから、すでに起きてしまった事件の真実を、無条件で知ることなんて出来ない。

 父親ほどの知識も経験も、あるわけがない。


「ねえ織。あなた、なにか勘違いしてないかしら?」

「今回の事件についてか?」

「そうじゃないわよ」


 強い光を宿した双眸に見つめられ、織は少したじろいでしまう。

 ただ、なんのことを言われているのを直ぐに理解して、織はひとつ息を吐き出した。


「勘違い、か……」

「あなたには、あなたのやり方があるでしょ。あなたのお父さんみたいにやろうと思っても、上手くいくわけないわ」

「そうなんだろうけどな。生憎と、父さん以外の探偵ってやつをあんまり知らないんだ」

「それだけじゃないでしょ?」


 全く、どこまで見透かされているのか。図星を突かれて、思わず笑みまで漏れてしまう。


 父親の背中を、今も明瞭に思い出すことができる。瞼を閉じれば、凪の仕事を手伝った時の記憶が浮かんでくる。


 こんな探偵になりたいと思った。

 家では頼りないくせに、色んな人から頼りにされて。膨大な知識と経験を元にとんでもない推理を打ち立て、あらゆる事件を解決に導いて。抵抗する犯人を抑える実力も持っていて。

 だから、意識的にも無意識のうちにも、その影を追ってしまう。父親のスタイルを真似ようとしてしまい、こんな時彼ならどうするのかまで考える。


 桐生織は、桐生凪になれるはずもないのに。


「そもそも、あなたのお父さんの千里眼とあなたの未来視じゃ、力が違いすぎるわよ。並行世界を覗くのが千里眼なら、あなたの未来視はその分岐点となる場所を視ているんだから。真似できなくて当然ね」


 突き放したような物言いは、しかしどうしようもなく優しい響きをしている。


 父親にはなくて、今の織が持っているもの。

 それは、たしかに存在している。他の誰でもない、自分の父親が教えてくれたじゃないか。織にしかない強さを。


 ならば織は織のやり方で、探偵桐生織として、父親の背中に追いつけるはずだ。


「目が覚めた。ありがとな」

「これくらいなんてことないわよ」


 笑い合って、軽い口づけを交わす。


 さて、そうは言っても、である。織の心持ちが変わったところで、現状が変わるわけではない。

 今夜なにが起きるのかは、既に未来視で確認している。それまで待つのも手だが、出来ればそうなる前に片付けたい。朱音のために、ケーキを焼いてやらないとダメなのだ。

 もう時間的に無理そうではあるが、最後まで諦めない。なんとしても、朱音をガッカリさせるわけにはいかない。


 ジッとしててもどうにもならないと思い、再び調査に出るため立ち上がった時だった。


「外が、明るい……?」


 愛美がそう呟き、事務所を出る。つられて視線を外にやれば、たしかに外が明るい。

 そろそろ夜に差し掛かる時間。薄暗い空が広がっていたはずなのに。

 急ぎ足で織も外に出て空を見上げれば、驚くべき、そして予測した通りの光景が広がっていた。


「もう始まってんのか……!」

「じゃああれが、死んだ人たちの魂ってこと?」


 織が未来視で見た光景。

 それは、幽霊が可視化され、街に溢れる未来だった。

 今、棗市の上空には、街のあちこちから光る球体のようなものが飛び回っている。いわゆる霊魂と呼ばれるものだと思われるが、さすがにそこまでは定かじゃない。


「どこかであのルーン魔術師が儀式を始めたのか……」

「どうするの? 場所はまだ分からないけど」

「さっきお前が言った通りだよ」


 織だけでは、まともな推理を立てることもできない。持っている情報が少ないのだ。

 なら、新たな情報を得る他ない。言葉の上では簡単でも実際に難しいそれを、容易くやってのける後輩がいる。


「俺は弱いからな。自分一人じゃなにもできない。でもそれが、父さんにはない俺の強みにもなる」


 自分の弱さを認め、抱えた上で戦う。

 それが桐生織という人間だ。


「だから、素直に頼ることにするさ。適材適所っていうだろ?」

「物は言いようね」


 微笑む愛美を横目に、織はスマホを取り出した。連絡する先は、情報の支配者。頼りになる後輩たちだ。

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