第90話
情報の共有は大事なことだと、織は思う。
それはどんな世界、どのような場所においても変わらないのではなかろうか。報告、連絡、相談の三つを徹底しておかなければ、防げるはずの過失を防げなかったり、思わぬところで足をすくわれたりするものだ。
とはいえ、日本に戻ってきてからは殆ど毎日、こうして学院長室に足を運んでいるのはどうなのだろう。
多少特殊な立場ではあれ、一生徒にすぎないのだから、例え学院長が己の師であっても自重すべきではないだろうか。
「ネザーが本格的に動き出してきたね。出灰翠って子に関しては、個人的なものなんだろうけど」
重々しく口を開いたのは、この部屋の主である人類最強の男。学院長、小鳥遊蒼だ。
彼にしては珍しく、あまり浮かない表情をしている。織たちが思っているより事態は深刻なのだろうか。
「緋桜さん、クリスって人は本当に信用できるんすよね?」
「ああ、間違いない。彼はこちら側だ」
同席している緋桜から、強い頷きが返ってくる。となれば、問題はあの部隊にはない。
昨日の晩、実際に彼らと食卓を囲んだ織たちの所感では、たしかに彼らは信じるに値する人物たちだった。
「それより葵、出灰翠はどうしてお前たちのとこに来たんだ?」
「知らない。自分で考えれば?」
自分の兄に問いかけられて、葵はつっけんどんに言い返す。ふんっ、と怒った様子でそっぽを向き、緋桜と目を合わせようとしない。
「緋桜さん、またなんかしたんすか」
「いや、待て待て。なんかした覚えとかないぞ。そもそも俺が葵に嫌われるようなことするはずないだろ」
「葵にじゃなくても、またどこぞの女子にちょっかいかけたとか」
「……心当たりがないこともないな」
「絶対それだろ」
後でカゲロウか蓮にでも話を聞いてみよう。あの二人なら、葵からなにか愚痴られたりしてそうだし。
ともあれ今は、ネザーに関してだ。緋桜が妹に嫌われようが、織としてはどうでもいいこと。
「一応聞いておくけど、学院本部はネザーのことをどうするつもりかな」
「これまでと変わりありません。本部は、ネザーと比較的友好な関係にある。不干渉にも近い状態ではありますが、あなた方の話を聞く限りでは違うのですね」
答えたのは、魔術学院本部から視察に訪れているアンナ・キャンベルだ。言い方は悪いが、彼女も所詮は下っ端。上の考え、その真意なんてなにも聞かされていないのだろう。
「俺と愛美は、実際首席議会の連中に嵌められた。俺たちが殺したことになってるらしいセルゲイ・プロトニコフも、ネザーの作った魔導具をしてた。裏で繋がってるのは明らかだろ」
「ただそれでも、ネザーがなんのために学院上層部と繋がったのかまでは分からない。その辺りどうなんだい、緋桜?」
「どうだろうな……プロジェクトの悲願を達成するには、異能だけじゃなく魔術も必要と考えたのか。あるいは、グレイや俺たちに対抗する戦力として扱うつもりなのか……」
緋桜とサーニャは、改竄されていた記憶が戻っている。それによって明らかにされたプロジェクトカゲロウの全容は、驚くものではあったものの衝撃的ではなかった。
「位相の向こう側への到達、か……要は、有澄さんがいたみたいな異世界に行きたいって話だろ?」
「頼まれればいくらでも連れて行ってやるけどね」
肩を竦める蒼。どうなっても知らないが、と言外に言っているようだ。
たしか、異世界に移動するのは転生者か、元から向こうの住人である有澄しか無理だという話だったか。移動する際に生じる多大な情報量。向こうの世界に適応させるため行われる魂の圧縮。それら諸々に、常人の魂では耐えられないらしい。
チラと、そのプロジェクトによって生み出されたというツインテールの後輩を見やる。
思案するように俯いている彼女は、その辺りのことをどうでも良さそうに考えている。
プロジェクトによって生み出された三人のうち、位相の力に辿り着いたのは葵だけだ。
そもそもが位相の力とは、キリの人間でなければ操ることが出来ない。葵が黒霧家で育てられたのも、ネザーの思い通りになった形となる。
「翠ちゃんについては、私に任せてくれませんか? なんだか、放っておけなくて……」
「うん、分かった。出灰翠に関しては、葵に任せるよ。ただし、彼女はネザーの代表とかなり近い位置にいる。情報を引き出せそうなら、出来る限りそうしてくれ」
「はい」
「織の方も、今は特別動かなくてもいい。その部隊とは協力するように」
「言われなくても」
話も終わり、この場は解散。緋桜は泣きそうな顔になりながらもどこぞへ消え、アンナは図書室に行くらしい。織も葵と共に風紀委員会室へ向かう。
「そう言えば、今日は愛美さんと一緒じゃないんですね」
「いつでも一緒ってわけじゃねえよ。報告に行くのは俺だけでも十分だろ。そっちこそ、蓮と一緒じゃなくていいのか?」
「蓮くんはカゲロウと依頼に行きました」
ムスッと、不機嫌そうな顔の葵。緋桜に強く当たっていたのは、この辺りも原因か。
たしか昨日も別行動だったらしいし、鬱憤が溜まっているのかもしれない。だからと言って兄にあたるのはどうかと思うが。
「愛美も委員長と女子会つってどっかいったし、朱音は講義だし。今日は俺と葵だけか」
「えー……」
「なんだよその目は」
「この耳のこと、忘れたとは言わせませんからね」
「昨日のことだしなぁ……」
愛美や朱音と同じく、葵の頭にはピンと立った二つの三角が。紛れもなく織の仕業であるから、なにも言い返せない。
「冗談ですよ。もう割り切りました。誤魔化せないこともないですしね」
「ならよかった。んで、どうする? 朱音の講義終わるまで待つか?」
「んー、どうせだし、棗市に配備されたっていう部隊の人たちのとこに連れてってくださいよ。もしかしたら、そこの人に織さんの目とか、私たちのこととか聞けるかもじゃないですか」
「そういうことなら了解だ」
朱音には伝えなくても大丈夫だろう。織たちが学院にいなければ勝手に帰るだろうし。
そういうわけで早速、二人は織の転移魔術で棗市の南へと跳んだ。
◆
棗市の南側。再開発途中の土地に拠点を構えている特殊部隊。小隊名をハウンドを言う。猟犬を意味する言葉だが、どうにも物騒なネーミングセンスだ。
そこに降り立った織と葵が真っ先に見た光景は、広い土地を使った小隊の演習だった。
四つ足の動物を模したような機械が、駆動音を鳴らしながら大地を駆けている。それを追うのは、昨日挨拶を交わした隊長の村雨率いるハウンドの面々。それぞれが銃を構え、敵である四つ足を追い詰めて行く。
「なんだあの機械?」
「魔術で作られたゴーレム、みたいですよ」
異能でその情報を視た葵が、横から説明してくれた。
本来なら土塊などから錬金術で作り上げるゴーレム。それを科学的な機械に応用し、あのゴーレム、というかロボットみたいなのを作っているらしい。
内部に貯蔵された魔力を動力源としているため、既存のエネルギーに頼らずとも動けるようだ。魔力切れに陥っても、電力などと違って再充填は即座に可能。
もしもそれが、人々の暮らしにまで普及させることができれば。既存のすべてのエネルギーを、魔力で賄うことができれば。
もしやあのロボットは、とんでもない次世代のものなんじゃないか。
織がその可能性に戦慄するのも束の間。四つ足は銃弾の雨に晒され、呆気なく機能停止してしまったのだが。
「やあ織。今日も来てたのか」
ユニットハウスから出てきた、この部隊の指揮官であるクリスが声をかけてきた。隣には小さな赤目の少女、ナナもついている。
一方で、小隊の四人は新たに出てきたロボット、今度はサソリのようなやつを相手に演習を続けているが。
「こんにちは、織!」
「おう、こんにちはだナナ。ちゃんと挨拶できて偉いな。クリス、今日は紹介したいやつがいるんだよ」
一歩前に出た葵が自己紹介を始めるよりも前に。アメリカ生まれのクリスから、とんでもないジョークが飛び出てきた。
「もしかして、織の新しいガールフレンドかな? モテモテじゃないか」
「違います!」
「やめろクリス、マジで違うから……」
「ははっ、ジョークだよ。この国の人たちは、あまり理解してくれないけどね」
マジで、各方面から殺されそうなので、その手の冗談はやめて欲しい。
織には愛美がいるし、葵にだって蓮という想い人がいるのだ。
気を取り直すように咳払いを一つして、葵が口を開く。
「黒霧葵っていいます。織さんとはただの先輩後輩の仲で、黒霧緋桜の妹です」
「緋桜の? なんだそうだったのか。彼からしつこいくらいに話を聞いてるよ。僕は彼の友人をしてるクリスだ。こちらはナナ。よろしくね」
「よろしくお願いします!」
ナナから無邪気な笑顔を向けられ、さすがの葵も毒気が抜かれたらしい。柔らかく笑顔を返し、差し出されたナナの小さな手を握り返す。
立ち話もなんだから中に、と促され、織と葵はユニットハウス内のソファに通された。ナナがお茶を運んできてくれて、クリスが対面に腰を下ろす。
「それで、今日はどうしたんだい? 葵の紹介だけというわけでもないんだろう?」
「まあな。俺たちの異能について、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「なるほど。なんでも聞いてくれ、なにせ僕は一応、その道の専門家でもあるからね」
「んじゃまずは、プロジェクトカゲロウについてだな」
緋桜の仲間である以上、葵やカゲロウの出自に関しては聞いているだろう。
プロジェクト自体の目的も、織たちはサーニャから聞いていた。位相の向こう側、いわゆる異世界へとたどり着くための力を求めたプロジェクト。
そこまでの情報を互いに照らし合わせた後、クリスはこう言った。
「プロジェクトカゲロウはたしかに、位相の力を目指していた。君たちキリの人間が持つものと同じ力をね。でも実際には、失敗だったんだよ」
「失敗? でも私、使えるようになりましたよ?」
「それは君が、キリの人間になったからだね。カゲロウとシラヌイは、神の力までを再現することが出来た。本来なら人間にも吸血鬼にも宿ることのない神氣を、その身に宿すことが出来た。段階を踏んだのさ。人間、吸血鬼、神と、徐々に宿す力を上げ、やがて位相に至ろうと考えたのだろう」
だが、その考え自体が誤りだった。
この世にあまねく超常の力。魔力に異能、神氣すらも、位相の前では等しく同じだ。
あらゆる力が、意味を持たない。一般に超常の力の頂点と考えられている神氣ですら。
次元が違う、というのだろうか。そもそも、優劣をつけるものではない。絶対のルールとして、それらの力では位相にたどり着くことなどあり得ないのだ。
「インド神話の神、その要素を加えられた君たちは、しかし位相の力を発現できなかった。カゲロウがグレイによって奪われたのは、その事実が判明した頃らしい。灰色の吸血鬼は、いつかシラヌイも奪いにくるだろうことは容易に想像できた。ならそれを逆手に取るしかない」
そしてネザーの裏工作もあり、グレイによって奪取されたシラヌイは黒霧家に預けられ、黒霧葵として生きることになる。
それが、今から十年前の話。
葵自身、ここまでは緋桜から聞いていた。
グレイとガルーダ。そして霧の魔術師と呼ばれた緋桜の両親に、緋桜自身。
彼らの尽力によりシラヌイはネザーより奪取されたが、その際の戦闘により霧の魔術師たる二人は死亡。グレイ自身も少なからず手傷を負い、葵に力を封印する二重人格の呪いを授けた。
と、そこまで全ての記憶を、ネザーによって改竄されていたわけである。
「君たちが聞きたいのは、この後の話だろう。プロジェクトの過去についてではなく、現在について」
「はい。そこまでは、私もお兄ちゃんから聞いてましたから」
「君は……動揺、しないんだな」
葵の強い眼差しを受け、クリスが思わずと言った風に問う。
いくら事前に緋桜やサーニャから聞かされていたとは言え、多少なりとも動揺が見え隠れしておかしくないのに。
ツインテールの少女は、全くそんな様子を見せず、誇らしげに言うのだ。
「ほんのちょっと前までなら、私も取り乱してたと思います。でも、大切なのは今ですから。過去に何があっても、今ここにいる私は黒霧葵です。シラヌイなんかじゃない。黒霧緋桜の妹で、織さんや愛美さんの後輩で、あの子達のお姉ちゃん。それは変わりませんから」
あの子達というのが誰か、クリスには伝わらなかっただろう。けれど、隣に座る織には伝わった。きっと彼や彼女達にも。
織のように未来を求めるでもなく、小鳥遊蒼を始めとした転生者のように過去に縛られるでもなく。
黒霧葵は、どこまでも今を見つめている。
今ここにあるものを、なによりも大切に。それが彼女の生き様だ。
「僕の友人はシスコンだとばかり思っていたが、どうやら間違いは言っていなかったらしい」
「いや、あの人がシスコンなのはたしかですよ。鬱陶しいくらいです」
「そこは否定してやんなよ……」
秒で否定したぞこの後輩。実はブラコンのくせして、ツンデレさんなのかな?
「話を戻そうか。プロジェクトの現在について。というより、出灰翠と呼ばれる少女についてだ」
「俺は会ったことないけど、その子もグレイの遺伝子を持ってんのか?」
「私やカゲロウと同じでしたよ。情報操作の異能を持ってて、吸血鬼の特性を濃く受け継いでた」
カゲロウが完璧なハーフ。葵は吸血鬼の要素を三割なのに対し、翠は半分以上が吸血鬼の遺伝子に占められているらしい。
なにより特筆すべきなのは、グレイですらその存在を、つい最近まで知らなかったことだ。つまり、カゲロウや葵よりもかなり遅れて誕生したことになる。
「カゲロウは失敗、シラヌイは経過観察ということになって、プロジェクトの大筋は別方向にシフトしたんだ。彼女は、その時に生まれた子だよ」
「別方向?」
「ああ。位相の力には届かなくても、神の力には届くことが証明されたからね。既存の法則の中で最強の戦士を作り上げる。その結果生まれたのが、出灰翠という少女だ」
強力な異能に、他を寄せ付けない神氣。更には魔物として最上位に位置する吸血鬼の特性まで兼ね備えている。
なるほどたしかに、最強の戦士たりえるのかもしれないが。
「あの子には、決定的に足りないものがあった。だからお兄ちゃんに負けて、私たちのところに姿を見せた……」
「君やカゲロウと違い、出灰翠にはネザーしかないんだよ。そこで生まれ、そこで育った。ネザーの代表に寵愛され、それ以外の愛情を知らない。それでいて、自分の作られた理由を知っている。だから彼女には、自分というものがないんだろう」
織にはよく分からないところだ。
自分というのがなんなのか。彼は、そこに悩みを抱いたことなどない。いや、この世界に存在するほぼ全ての人間が、ふつうに生きていれば持つことのない悩みだ。
葵も翠も、境遇が特殊すぎるだけ。
それを言えば、カゲロウの精神力の強さには感嘆する他ないのだが。
「プロジェクトについてはこんなところかな。正直、代表の考えてることなんて下っ端の僕にはなにもわからない。位相の向こう側をなんのために求めてるのかなんて、あの吸血鬼ですら知らないんじゃないかな」
ネザーがなにを企んでいるのかは、部分的ではあるが掴めている。ただ、なんのためにそれを求めるのか。目的が不明だ。
グレイは、世界を救済するといった。
そのために位相の力が必要だと。
ならばネザーは、なぜ位相の力を欲するのか。その向こう側へたどり着いて、なにを成そうというのか。
「さて、俺たちの、と言ったからには、織の異能についても聞きたいことがあるんだろう?」
「あ、ああ。そうだけど……」
クリスの隣に座る、幼い少女を見る。つまらなさそうな表情一つせずに話を聞いていたナナは、織の持つ力と決して無縁とは言えない。彼女がここにいるのは、まさしくその幻想魔眼が原因でもあるのだから。
「ねえナナちゃん。お姉さんと外に出ない? 近くにショッピングモールもあるし、せっかくだから案内してあげよっか」
「本当⁉︎ 是非行きたいわ!」
ナナの情報は葵も視ていただろうから、気を利かせてくれたのだろう。クリスとほんの一瞬アイコンタクトを取れば、彼も小さくうなずいた。
「それはいい。ナナ、楽しんできなさい」
「ええ、もちろんだわ! クリスにお土産も買ってきてあげるから、楽しみにしてくれるかしら!」
「もちろんだとも。葵、すまないがナナのことを頼んだよ」
「はい、任せてください」
二人が手を繋いで外に出たのを確認して、織はクリスに頭を下げる。
「悪い、あの子の前で言うわけにもいかなかったからな」
「いいさ。それについては、僕も同感だ」
ナナは以前、ネザー関西支部で幻想魔眼を人工的に発現させるための実験台にされていた。毎日痛みを伴いながら無理矢理に異能を使わされ、そんな中現れたのが織たちだったのだ。
今はクリスが身元引き受け人になり、家族同然のようの暮らしているという。
「それで、君の魔眼についてだね。こちらについては、プロジェクトよりも教えられることが多いと思う」
「元々あんたは、幻想魔眼の研究をしてたんだもんな」
そもそもネザーの企みを考えれば、幻想魔眼の研究だって位相に至るための保険のようなものだったのだろう。
プロジェクトが、葵がダメだった時の第二候補。だからこそあの時、ああも簡単に関西支部を切り捨てた。
「まず尋ねたいが、君は幻想魔眼をどう言った異能だと捉えている?」
「不可能を可能にする力。この世にはあり得ないはずの事象を瞳に映し、現実に投影する力だろ。それとも、位相との関わりについて話した方がいいか?」
「いや、その辺りは僕も知っている。賢者の石とともに、この世界に初めて齎された力。以来数百年に一度、キリの人間の中で目覚める者が現れる、だろう?」
旧桐生探偵事務所、織の実家で父である凪が遺した言葉。それと一致する。
「僕にもそれ以上は分からない。ただ、その力の真価については、また別のところにあるんだ」
「不可能を可能にする。それだけじゃないってか?」
「その通りだとも。あるいは、君たちキリの人間の使命とカッチリ嵌るかもしれない」
「どういうことだよ」
クリスがキリの人間の使命について知っていることは、なんら不思議ではない。緋桜から話がいっているだろうし、そのことについて専門家のクリスから意見を求めるのも理に適っている。
だから、そこは拘泥すべきところではない。
織の父。凪は、幻想魔眼と賢者の石は、キリの人間の使命にとって必要不可欠だと言っていた。
その理由は、おそらく魔眼の真の力に隠されているのだろう。
「これはあくまで、僕の推察なんだけどね」
そう前置きしたクリスが、真剣な表情で、低い声で、教えてくれた。
「幻想魔眼は、世界を創る、もしくは創り変える力だ。今ある世界を、新しい世界に塗り替えるためのね」
◆
ナナを連れて港町のショッピングモールにやって来た葵。平日ゆえにそこまで人は多くないが、やはり幼い少女を連れていると緊張してしまう。
なにもナナだからというわけではなく、あるいは、世の中のお父さんお母さん方も似たような気持ちを抱いたことがあるのではないだろうか。
「凄いわ! 人が沢山で、可愛らしいお洋服なんかも沢山! カバンや髪留めも売ってあるのね! どのお店に入ろうかしら!」
こういった場所に来るのは初めてなのか、興奮した様子のナナ。手を繋いでいるものの、逸れないか、迷子になってしまわないかとても不安である。
いざとなったら葵の異能ですぐに位置は分かるものの、それでも不安なものは不安だし、変な緊張もしてしまう。
が、微笑ましく可愛らしいナナを見ていれば、そんなものはすぐに吹き飛んでしまうもので。
「ねえナナちゃん。お姉さんがお洋服買ってあげようか?」
「え? そんな、悪いわ。わたしも一応、お小遣いは持っているもの」
「大丈夫大丈夫。ほら、お近づきの印に、ね? 可愛いの選んであげるからさ」
ふふふ、と。はたから見れば怪しすぎる笑みを浮かべた葵に、ナナはわずか後ずさる。兄が兄なら、妹も妹だ。
基本的に葵は、可愛いものが大好き。朱音の事にしてもそうだし、その辺り碧の悪い影響をしっかり受けているのだ。
さてさてどんな洋服を着せてあげようかと邪悪な笑みで思考を巡らせていると、背後から突然頭を叩かれた。
「なにやってんだお前。幼児誘拐か?」
「これ、警察に電話した方がいいやつ?」
「違うからっ!」
葵の頭を叩いたのはカゲロウ、その隣で携帯を取り出しているのは蓮だ。
突然現れた二人からあらぬ疑いをかけられ、その上不審者を見る目をされてしまえば、葵も正気に戻る。
「ご、ごめんねナナちゃん。ちょっと強引だったよね?」
「いいえ、大丈夫よ。それより、そちらのお二人はどなたかしら。お姉さんのお知り合い?」
「うん。友達の糸井蓮くん。あとカゲロウだよ」
「友達……」
「くくっ……」
紹介した二人が一部のワードにそれぞれの反応を見せたが、そこは知らんぷり。今ナナの前で論ずることではない。
「この子はナナ。えっと、色々あって預かってる、知り合いの子、かな?」
「よろしくお願いします!」
「うん、よろしく」
「なんで疑問形」
ナナに微笑みかける蓮と、葵を怪訝な目で見るカゲロウ。どうやらこの半吸血鬼は、未だに誘拐を疑っているらしい。
「ていうか、二人ともなんでここにいるの?」
「依頼終わって風紀委員会室にも事務所にも誰もいなかったから、魔力辿って来た。桐生先輩も近くにいるんだろ?」
「その辺り説明するよ。話すとちょっと長くなっちゃうし、これでいいかな。えいっ」
異能を発動させた。葵の持つ情報を、直接二人の脳内に送信したのだ。昨日この街に来た部隊のこと、さきほどクリスから聞いたこと、それら全てを。
蓮とカゲロウは一瞬混乱した様子を見せたものの、送られてきた情報をそれぞれで整理し終えたのか、納得したようになるほど、なんて言っている。
「プロジェクトに関しては、まあ、後で話すとして、その子のことは分かった」
「いきなりはやめろよ、びっくりすんだろ……」
「楽なんだしいいじゃん」
ともあれ、蓮とカゲロウも合流したことで、四人でモール内を歩くことに。
まず向かうのは、やはり子供服のお店。情報を視たところ、ナナはまだ九歳だ。背丈も小さく、当然婦人服売り場なんかに行っても意味がない。
近くの店を適当に選んで入り、その中から本人が気に入る服を探す。
「ナナちゃん、このワンピースなんてどうかな?」
「素敵だと思うわ!」
「よしっ、じゃあ試着してみよう!」
半ば強引に試着室へ押し込み、出てきたナナは瞳と同じ色のワンピースに着替えた。あまり子供っぽすぎず、すこしだけ背伸びしてる感じが非常に可愛らしい。
「わたしにはすこし、大人っぽすぎないかしら?」
「そんなことないよ! すごい似合ってる! お姉さんが買ってあげるね!」
「なあ、やっぱり通報した方がよくないか、こいつ」
「まあ、葵は可愛いの好きだし……」
後ろで何か言ってる気がするけど無視。ただ、蓮の苦笑いが葵の耳に虚しく響く。
その後も葵は、蓮とカゲロウがいなければ間違いなく通報されていたレベルで鼻息荒く、ナナの服を見繕っていく。入った店の店員さんは誰もが乾いた笑みを浮かべていて、しかし葵がそれに気づく様子はない。
ナナの体力も考えて、店を四軒ほど回った後にフードコートで休憩することに。
「ありがとう葵! こんなにたくさんお洋服を買ってもらえるなんて! ああでも、クリスになんて言われるかしら」
「クリスさんには私から言うから、ナナちゃんはそんな心配しなくてもいいんだよ」
ナナを含めた周りの人には見えていない猫耳と尻尾を、上機嫌そうに揺らす葵は、その手にクレープを持っている。もちろんナナの手にも。
一方で男二人は荷物持ちに命じられていたため、甘いものより水分を欲していた。だからクレープではなくコーラを飲んでいる。
「ところで、ひとつ聞きたいことがあるのだけれど」
「なに? なんでも聞いてよ、お姉さんが答えてあげる!」
「どちらが葵のボーイフレンドなのかしら?」
ブフッ、と吹き出したのは葵の隣に座っていた蓮。対面のカゲロウに、口に含んでいたコーラが思いっきりかかった。
「オイ蓮」
「いや、ごめんカゲロウ……」
「えっと、ナナちゃん……? どうしてそんなことを……?」
「織は昨日、愛美を連れてきていたわ。だから葵も、どちらかとお付き合いをしているのかと思ったのだけれど。もしかして、違ったのかしら?」
そう言えば、織は昨日、ナナも含めたあの部隊の面々と夕食を共にしたと言っていたか。どうせその時に聞いたのだろう。そうでなくても、ただでさえ朱音が二人を父と母と呼んでいるのだし。
「わたしの予想では、蓮がそうだと思ったのだけれど」
「え、そう?」
「ええ! 二人とも、とても仲良しに見えたわ! きっとお似合いの二人よ!」
「そ、そっかー……」
えへへ、とつい頬が緩んでしまう葵。隣の蓮は顔が真っ赤だ。
「でも残念なことに、私と蓮くんはただの友達だよ。ね?」
「う、ん……まあ、うん……」
からかい混じりに蓮へと話を振ってみれば、やたら曖昧な返事が。
この後遅れて襲ってくる羞恥心とか後悔に苦しむんだろうなぁとか頭の片隅で思いつつ、しかし蓮をからかうのは楽しいから仕方ない。
が、しかし。攻撃の手は、思わぬところからやってきた。
「残念だと思うのなら、どうして葵からコクハクしないのかしら? 好きなら好きと伝えるべきだと思うわ!」
「あー、いや、まあ、はい、そうですね……」
「二人がお互いに好き合うなら、ちゃんと結ばれるべきだと思うの!」
「おっしゃる通りです……」
全く他意の含まれない幼気な眼差しでそう言われると、葵としてはなにも言えなくなる。それどころか肩身が狭くなって縮こまってしまう始末。それは隣に座る蓮も。
「ざまあねえな」
ただ一人、カゲロウだけが愉快そうに笑っていた。
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