守るというコト

第89話

 しばらく猫耳と尻尾はそのままだから。

 風紀委員の先輩からそう言われた葵は、随分と間抜けな顔をしていた。その後に元凶である先輩にしこたま怒って、解放してあげたのは空が赤く染まり始めた頃。


「よくもまあ、あんなに説教の言葉が出てくるもんだな」

「まだ言い足りないけどね」

「尻尾、めちゃくちゃ逆立ってたもんな」

「怒ってたからねっ!」


 言いながらも尻尾を逆立てる葵は現在、カゲロウと二人で魔物討伐の依頼に来ていた。

 場所は北海道の札幌市。十月現在、そろそろ十一月になろうかという今日は、既に気温も一桁台をマークしている極寒の地だ。

 しかし吸血鬼の要素を持つ二人からすれば、暑いよりも百倍マシ。

 その札幌市内を、どこへ行くでもなく練り歩いている。


 蓮はどうも家の方で用事があるらしい。糸井家は魔術師の家系ではあるものの、桐原家や安倍家のようなガチガチに魔術師というわけでもない。

 彼の両親はふつうに一般企業で働いているし、学院の卒業生というわけでもないのだ。


 そんな彼の父親が誕生日だと言うのだから、依頼になんて来てる場合ではない。

 まあ、葵の個人的な願望を言えば、どうせならカゲロウではなく蓮と二人きりが良かったのだけど。


「蓮じゃなくて悪かったな」

「なにも言ってないでしょ」

「顔に出てんだよ」


 そんなに分かりやすかっただろうかと、自分の顔をペタペタ触ってみる。それで分かるはずもないのだけど。


 改めて考えてみると、カゲロウと二人で、というのは地味に初めてかもしれない。いつも蓮がいたし、そうでなくともカゲロウは基本的に朱音についてることが多かった。

 思えば、カゲロウとは不思議な関係だ。

 初めて出会ったのはほんの数ヶ月前。けれど二人は兄妹とも言える間柄であり、だからというわけではないのだろうけど、カゲロウも葵に対してそれなりに気遣う節がある。


 なんとなしに、無愛想な半吸血鬼の横顔を眺めてみる。

 粗暴な言動に騙されがちだが、カゲロウは悪いやつじゃない。出会った頃から感じていたことではあるけど、最近は特にそう思うようになった。


「なんだよ」

「別に」


 怪訝な目を返されて、葵は視線を前に戻す。カゲロウのことをどう思っていようが、それを本人に言うつもりはない。葵自身にも特に理由は思い当たらないが、なんとなく気に食わないから。


「で、オレたちはいつまで歩いてればいいんだよ。いい加減疲れてきたぞ」

「そろそろ夜なんだし、多少は我慢しなさいよ。一応囮ってことになってるんだから」


 行く先は特に決めていない二人だが、目的もなく街をうろついているわけではない。

 札幌という大都市のどこかに、魔物が潜んでいる。その情報だけを寄越された学院側としては、万が一に備えて優秀な魔術師を送るしかなかった。

 なにせ詳しい情報は殆どが不明。ただ、魔物が出るとしか聞かされていない。


 驚くほどに怪しさ満点である。学院もよくこんなものを引き受けたな、と言うレベルで。

 しかし、魔物や魔術師が出ると聞いたら引き受けないわけにもいかないのだ。もしもそれが悪戯でなく、本当に被害をこうむっているのだとしたら、一大事なのだから。


 それにしても怪しすぎるので、こうして葵とカゲロウがやって来たというわけである。

 この二人なら、大抵のトラブルにも対処できてしまう。蓮も含めた三人なら更に万全だったのだろうけど。


「それにしたって、目的地ってのがねえとやる気も出ねえよ」

「時計台にでも行く?」

「却下。前に見たことあるが、正直わざわざ見に行くようなもんでもない」

「そうなの? 観光名所扱いなんだし、それなりにすごい場所だと思ってたけど」

「日本最古の時計ってだけだろ」

「なにかしら魔術的な仕掛けが残ってたりして」

「そりゃロンドンの時計塔だろ。こんな日本の端っこにそんなもんあってたまるかよ」


 言い合いながら、二人は何を言うでもなく路地裏へと入っていく。薄暗い夜の、更に深い闇の中へ。


「相手は魔物って話じゃなかったか?」

「あながち間違ってもないんじゃない? まあそれ言ったら、私達もだけどさ」


 背後からの気配に声をかけてみれば、闇夜から灰色の少女が姿を見せる。

 カゲロウ、葵と同じく、プロジェクトによって生み出された人間と吸血鬼のハーフ。プロジェクトの集大成を自称する、出灰翠。


「よう、随分雑な方法で呼び出してくれたな。依頼にあった魔物はお前かよ」

「違いますよ。あなた達の受けた魔物討伐の依頼自体は、罠でもなんでもありません。その魔物は、すでにわたしが処理しています」


 手元に持っていたなにかを、二人の目の前に放り投げる。ガーゴイルの首だ。紅い目には生気が宿っておらず、呆気にとられたような表情のままで絶命している。何が起こったのか分からない内に殺されたのだろう。


 しかし、余計に目的が分からない。

 出灰翠は、なんのために姿を見せたのか。そもそもネザー自体の目的が不明なのだから、分かるはずもないけど。


 当初はカゲロウと葵の身柄を狙っていた。だけど今思い返せば、翠は葵に対して、成長を促していたようにも思える。

 あの二人に対する負い目や、蓮に対する複雑な感情を吹っ切り、黒霧葵として成長することを。

 その果てにあった力を思えば、余計に。


「それで、私達になにか用があるんでしょ? どうやって私達がここに来ることを突き止めたのかは気になるけど、私達の異能を考えれば、不思議なことじゃないもんね」


 情報操作。

 あらゆる情報を目に映すその異能は、時に未来視じみたことすら可能としてしまう。可視化した情報と、高度な演算能力があってこそだろう。織や朱音のように、確度の高いものではないだろうが。それでも、未来を予測することなら出来る。


 そうでなくとも、ネザーには異能持ちが多くいることだろう。あの二人とはまた違った未来視を持っている人間がいても、不思議なことではない。


「シラヌイ……いえ、黒霧葵。あなたの兄に言われました。彼やあなた達にあり、わたしにはないものがある。だからわたしは、彼よりも弱いのだと」

「お兄ちゃんに?」

「はい。わたしは、それがなんなのか知りたい。あなたなら、答えられるのではありませんか?」


 答える義理はない。

 そう返すのは簡単なことだけど。暗闇の中で光る翠の紅い瞳は、真剣な色を帯びていて。冷たく突き返すのは憚れた。


「答えてください。わたしは、強くなければならないのです。あの方のために」



 ◆



 街中に現れた魔物の駆除。

 朱音にとっては慣れたものかもしれないが、織や愛美にとっては違う。誰かを守り、庇いながら戦うという経験が、圧倒的に不足していたのだ。


 織の場合、今までは守られる側だった。桃や愛美の背中に庇われてばかりだった。

 愛美の場合、そこまで気を回す必要がなかった。なにかを守るための戦いをこれまで何度も経験してはいても、彼女が戦場へ一歩足を踏み出せば、始まるのはただの蹂躙だ。わざわざ意識して守るということをしない。


 苦戦しているわけではない。現れたのは、ただの魔物だ。今更二人が手こずるような相手でもない。


「にしても、やりづらいな……」

「こればっかりは仕方ないわね」


 襲いかかってきた魔物に銃弾を叩き込み、織は周囲にザッと目をやった。

 離れた場所から、いくつもの視線を感じる。そこに込められているのは恐怖と、ほんの少しの好奇心。

 認識阻害を己にかけているから、正体が露見することはないだろうが。やりにくいことに変わりはない。


 この街で織たちの正体を知っているのは、三人だけだ。

 市立高校に通うそこの三年生、織や愛美と同い年でもある花蓮と英玲奈の二人に、朱音の友人で同じく市立高校に通う大和丈瑠。


 先ほども、女子高生二人組が避難の誘導をしているところを目撃した。協力してくれているのはありがたいが、危ないので彼女たちにもさっさと避難してもらいたいところだ。


「しかし、マジでただの魔物が、この時間に出て来るんだな」

「ちょっと物足りないわね」


 言って、愛美が一歩踏み込む。

 威嚇し続けていたトカゲにも似た爬虫類の魔物たちは、瞬く間に肉塊へと変わった。

 返り血を浴び、血の海に佇む殺人姫は、浮世離れした美しさを醸し出す。

 遠巻きに見ている街の人たちにとっては、あまりにも非日常すぎる光景。敗北者の少女にはなかったその美しさに、逃げることすら忘れて足を止め、誰もが息を飲む。


 それは織とて例外ではない。

 己が恋人の美しい姿には、いつまで経っても慣れる気がしないのだ。いつかの未来でも、きっと彼女に、目を、心を奪われているのだろう。


「こっちも終わった?」


 一瞬の静寂を打ち破ったのは、別の場所で魔物を駆除していた朱音だ。愛美と違って返り血の汚れなど微塵も見られず、いつものマントと仮面を身につけている。


 先日のことがあったから、一人で戦わせるのは不安だったのだが。この様子だと、問題なく倒してきたらしい。


「終わったわよ。これで全部ね」

「じゃあ帰ろっか、お腹空いたし。父さん、今日のご飯なに?」

「鶏肉のトマト煮込み。ちょっと足りないもんあるから、商店街寄って帰るぞ」

「はーい」


 猫耳を上機嫌そうにピコピコ揺らす朱音。鶏肉料理が好きなのか、あるいは織の作る料理ならなんでもいいのか。

 おそらくは後者だろうなと考え、少し照れくさくなる。


 なんにせよ、一旦この場を離れなければ。そのために魔物の死体やら血の海やらを掃除しようとした矢先。

 三人は、反射的にそれぞれの得物を抜いた。


「動くな!」


 響いた声は、新たな闖入者のもの。

 織と朱音が銃口を向けた先では、武装した四人組がアサルトライフルの銃口を三人に向けていた。

 顔はヘルメットで覆われている。黒一色の戦闘服の上には、予備のマガジンを差したベストが。太ももにはハンドガンやナイフ、腰には手榴弾と、完全武装されたどこかの軍人。


「武器を捨てろ、手を挙げて後ろを向くんだ」


 どうするかと、一瞬愛美が目配せしてくる。難しい局面だ。恐らくだが、彼らはなにか勘違いしているのだろう。あるいは、魔術師が相手ならば例外なく、と命令を受けているのか。

 どちらにしても、素直に言うことを聞くわけにはいかない。


「あー、待ってくれ。なにか勘違いしてないか? 俺らはここに出た魔物を駆除したんだ。あんたらの敵じゃないと思うんだが」

「正体も分からないやつの言うことを信じろと?」


 認識阻害を見破れていない?

 ほぼ確実に、この武装した四人組は異能研究機関ネザーによって組織された部隊だろう。なにかしら魔術や異能に関わる人間だと思ったのだが、もしやただの軍人だとでも言うのか?


 そうなると、話は変わってくる。魔術世界の人間が相手なら適当に立ち回れたが、一般人であるならそうもいかない。

 そも、朱音のことを、ルーサーのことを知らない時点で気づくべきだったが。


「俺らのことをどうするつもりだ?」

「貴様らが社会を脅かす敵であるなら、この場で排除させてもらう」

「違うってさっきから言ってるんだけどな」

「ならば武器を下ろせ。こちらの作戦本部に同行してもらい、素性を全て調べさせてもらう」

「なるほど、同行ね」


 それはいい。ネザーが絡んでいるなら、こいつらの上司は魔術師かなにかだろう。少なくとも、ネザーの方から人員を割いているはずだ。それなら話は通じるし、ほぼ確実に織たちのことも知っている。

 友好的な関係を結べるかは、その後の交渉次第となるが。


「分かった、あんたらについて行く。話し合いはテーブルの上でやらないとな。こんな物騒なもん持ち出してやるべきじゃないし」


 織のその言葉を受け、愛美と朱音もそれぞれの得物を収めた。

 隊長らしき人物に促されるまま、二台に別れてジープに乗り込む。

 車窓を流れるのは、魔物が出現した混乱から少しずつ日常へと戻る街並み。慣れている、といえばおかしいのだろうけど、この街の人たちは、魔物を襲来を一種の災害と捉えている節がある。

 きっと、織や愛美がいない間に、朱音が守ってくれたおかげだ。魔物や裏の魔術師に対する危機意識をしっかり持っている。それでいて、そこから立ち直る強かさも。


 見慣れた街の風景を抜け、二台のジープは港町のあたりまでやって来た。予想通り、拠点は再開発途中の土地のようだ。

 しかし一向にそれらしい建物は見当たらず、だだっ広い開発途中の土地には、建設現場などで仮設の事務所として使われる、二階建てのユニットハウスが一つ。ポツンと、寂しげに建っているだけだ。


 まさかと思えばそのまさか。ジープはその隣に駐車され、降りるように促される。


「随分としょぼい拠点だな……」

「予算が足りなかったのだろう。それより、先程は銃を向けて悪かった」


 織の呟きを拾ったのは、隊長らしき男。ヘルメットを取った彼は、三十代半ばほどに見える厳つい顔つきをしていた。その耳には、見覚えのあるイヤリングが。


「我々はこれから、この街の平和を預かる身だ。市民の前では、常に強気でいなければならない。とはいえ、子供に銃口を向けることになるとは思わなかったがね」

「いや、あんたらが悪いわけじゃねえよ。お互い事情ってのがあるんだしさ」


 一概に彼らが悪いとも言えない。今は認識阻害も解いているから、織たちの顔ははっきりと知覚できているだろうが、先程はその限りではなかったのだから。


 ジープから降りてきた他の三人も、それぞれヘルメットを取る。おちゃらけた風貌の若い男に、寡黙な印象を受ける男。髪が短く気の強そうな女性。全員の耳にイヤリングがあることを確認して、織は内心ため息を吐いた。

 やはり、あの時に南雲が使っていたものと同じイヤリングだ。


 ジープの中で発動させた未来視。その中にあった景色と同じだ。それは、この隊長らしき男の顔も。これから発するであろう言葉も。


「私は小隊長の村雨だ。改めて、先程は申し訳なかった」

「桐生探偵事務所の所長、桐生織だ。お互い様ってことで、これから仲良く頼むぜ」


 村雨と名乗った男と握手を交わす。織のものよりも余程大きく固い手は、それだけで、いくつもの戦場を巡ってきたのだと確信できるほど。


「他のメンバーの紹介は後にしよう。中で指揮官が待っている」


 チラと後ろを振り向いてみれば、どうやら愛美と朱音がそろそろ限界っぽかった。なんのって、空腹の。軽く殺気が漏れ出るほどに。


 さっさと終わらせて帰らないとなぁ、なんて考えながらも、村雨の先導で、ユニットハウスの中へと足を踏み入れる。

 中はさほど変わった作りになっておらず、入って左手奥に机が四つ。中央の正面に一つ。右手側にはソファがあり、その対面の壁にはテレビが。

 事務所と比べればかなり広い空間のど真ん中には、恐らくブリーフィング用であろうテーブルが。その上には、何故か出前らしきピザが大量に。


 そんな空間で待ち受けていた人物を見て、織は思わず声を上げてしまった。


「あんた、もしかしてあの時の……!」

「僕のことを覚えていてくれたか、桐生織。光栄だよ」


 白衣を纏った研究者然とした男は、以前ネザーの関西支部で会ったことがある。その隣に立っている、燃えるような赤い瞳をした少女も。


 あの日の依頼で、織が最後に見逃した研究者の男だ。


「僕はクリス。こちらはナナだ。以前は君たちが依頼を受けて壊滅させた、関西支部に所属していた」

「関西支部ってことは、あの時の生き残り?」

「父さんが最後に見逃した人だよね?」


 どうやら二人も覚えていたらしい。

 幻想魔眼の研究を、非人道的な方法で行なっていたとされるネザー関西支部。学院経由でそのデータの消去、施設自体の破壊を依頼された三人は、その過程で当時行方をくらませていた緋桜と戦い、最後には彼、クリスを見逃す形で依頼を終わらせた。


 まさか、こんなところで再会することになろうとは。


 驚く織の前に、一歩。ナナと呼ばれた少女が歩み出る。


「あなたが桐生織さんね? わたしはナナ! あの時、わたしとクリスを助けてくれてありがとう!」


 無邪気で幼い笑顔が、織を見上げる。


 たまに、思うのだ。敵を殺さず、生かして見逃す自分の弱さが、本当はまちがっているのではないかと。家族を、大切な人たちを守るためには、あらゆる障害を排除しなければならないのではないかと。

 愛美ほどストイックには考えられなくとも、それでも、と考えることがある。


 けれど、今。自分の選択がまちがってなんかいないと、証明されたようで。

 泣き出してしまいそうなほど、胸にこみ上げるものがあった。

 それをグッと耐え、しゃがんでナナに目線を合わせる。


「どういたしまして。それと、こっちこそありがとうな」


 織からお礼を言われるわけが分からなかったのだろう。ナナは不思議そうに小首を傾げるものの、その意味を正確に理解していた二人の少女から、クスリと笑みが聞こえてきた。

 それが少しむず痒くて、織は話を無理矢理本題へ軌道修正させる。


「それで、俺たちをわざわざここに呼んだわけを聞こうか。あんたらは敵、ってわけじゃないんだろ?」

「もちろんだ。そもそも、僕がこの部隊の指揮を任されたのも、実は緋桜が色々と手を回してくれたおかげでね」

「緋桜さんが?」


 緋桜とクリスは、同時期に関西支部に所属していた。顔見知りでもおかしくはないが、なるほどそこで繋がるわけか。


「彼は先日の騒動で、ネザーを追放されてしまったが、彼と志を同じくする者はまだいる。つまり、現在のネザーに不信感を抱く者たちだ」

「それ、この人たちに聞かせていい話なのかよ」

「彼らが配属された初日に話てある。その上でこの場にいてくれてるんだ」


 視線を少し離れた位置に立っている村雨へとやれば、彼は小さく頷いた。


「我々は元々、単なる自衛隊員にすぎない。国の命令でここにいる。魔術師がどうの、研究機関がどうのと言うのは管轄外だ。この街を守るため、ここにいるのだから」

「そういうことなら、あんたらは信用できそうだな」


 クリスについてはまだしも、村雨を始めとした隊員たちは信用できる。なにも知らされていない一般人かとは思ったが、異能研究機関のことを知らされた上でこの場に立っているのなら、街を守るためというその言葉は信じていいだろう。


 いや、クリスに関しても、後で緋桜に裏を取ればいいだけの話なのだが。


「さて、まずは夕食でもどうかな? 互いの親交を深める意味でもね。どうやら、そちらのお嬢さん方は我慢できない様子だし」

「……朱音、ちょっとは遠慮しなさいよ」

「母さんもでしょ」


 食欲が隠しきれていなかったらしい。愛美はそっぽを向いて恥じるようにそういった。一方の朱音はもはや隠すつもりもなく、ピザをガン見している。猫耳が生えているのに、お預けを食らってる犬のようだ。


 そういえば、この猫耳はまだ見えないようにしているけど。嘘でも幻想魔眼の研究をしていたクリスなら、なにか知っていることがあるだろうか。機会があれば聞いてみよう。



 ◆



 強くなければならない。

 そう言った灰色の少女は、真摯な光を紅い瞳に宿している。決して冗談などではなく、彼女は本気で尋ねているのだ。

 敵であるはずの葵とカゲロウに。


「翠ちゃんは、どうしてネザーにいるの?」


 それから最初に口を開いたのは、葵だった。純粋な疑問。ずっと聞きたかったこと。彼女が葵に、葵自身の出自で詰め寄っていた頃から。


 なにかを寄る辺にしなければ、自分を定義出来ないと言われた。

 まさしくその通りだったのだろう。あの頃の葵は、蓮への気持ちや、あの二人が残したものに縋り、そうやって自分が『黒霧葵』であることを証明していた。

 あるいは、翠だって同じかもしれない。


「不思議なことを聞くのですね。わたしは、ネザーによって生み出された。理由などそれだけで十分では?」

「それを言ったら、私とカゲロウだってそうだよ。でも、あなたとは敵同士になった」

「クソ親父が色々と手引きした結果らしいけどな」


 二人と翠の違いは、結局それだけなのだ。

 かつて、灰色の吸血鬼の遺伝子を用いて作られた、人間と吸血鬼のハーフ。その身がネザーの元にないのは、吸血鬼本人の気まぐれにすぎない。

 グレイが、血を分けた子供とも言える二人に情を抱いてしまったがために。

 まず初めにカゲロウが。そしてその後、約四十年ほどの時を経てシラヌイが、ネザーの手から逃れることとなった。


 そこには銀髪の吸血鬼や、霧の魔術師などの介入もあった。だからこその今。

 グレイのあずかり知らぬところで生まれた翠には、助けてくれる誰かが存在しなかっただけの話。


「主体性がない、という話でしたら、自覚程度はあります。あれだけあなたに言っておきながら、その全てはわたし自身にも当てはまるものでした。しかし、ネザーの道具にすぎないわたしには、それで十分」

「お前は道具なんかじゃねぇだろ」

「道具ですよ。道具だからこそ、有用性を証明するために、強くあらねばならない」


 チッ、と。隣の半吸血鬼が舌打ちを一つ。

 憤っているのは、なにに対してか。恐らく、葵と同じなのだろう。

 自分を道具としか考えられない翠自身。

 ではなく、そのように育て、扱ってきた異能研究機関に対して。


「さあ、教えてください。あなた達にあって、わたしにはないもの。それはなんですか?」

「お前には、戦う理由がない」


 カゲロウの端的な一言に、翠は眉をしかめる。一方で葵は驚いていた。まさか、カゲロウがそんなことを言うなんて、と。


「このチビも、蓮も、仮面女も、サーニャに緋桜、オレの知ってる他の連中はな、全員が自分勝手な理由で戦ってんだよ。好きなやつと一緒にいたい、誰かが傷つくのを見てられない、家族を守りたい、後悔を果たしたい。綺麗事に聞こえるかもしれねぇが、んなもんはどうしようもなく自分本位な理由だ。お前には、それがない」

「そう言うあなたにはあるのですか?」


 ハッと鼻で笑ったカゲロウは、大胆不敵に、かつ尊大な態度で、堂々と。


「愛と平和のために決まってんだろ」


 そう言ってのけた。

 すぐ隣で聞いてた葵は、思わず呆気にとられて口をあんぐり開けてしまう。


 この半吸血鬼の少年は、恥ずかしげもなくなんてことを言い出すのか。


「……んだよその顔は」

「いや、カゲロウ、あんたそんなこと言って恥ずかしくないの?」

「どこに恥ずかしがる要素があるんだよ。いいじゃねぇか、ラブ&ピース。見知らぬ他人のそれは知らねえけど、せめてオレの周りのそれを守るくらい、オレの勝手だろ」


 いや、ある意味ではらしいのかもしれない。

 粗暴に見えて案外仲間思い、友達思いなカゲロウにとって、その願い、目的はなにもおかしなことではないのだ。


「馬鹿らしいですね」

「んだと?」

「しかし、わたしがネザーのために戦うことと、なにが違うのですか?」

「なにもかも、だよ。翠ちゃん、あなたは自分がどうしたいのか、もっと考えるべきなんだと思う」


 葵よりも重症だ。あるいは、先日までの朱音よりも。

 葵やカゲロウと違い、翠にはネザーしかないのだ。サーニャや黒霧家の人たちに助けられた二人とは、根本が違う。

 ネザーのために生まれ、ネザーのために育てられた翠には、それ以外のものが人生に存在しない。自分がどうしたいのかなんて、考えたくても選択肢がない。


 でも、もしかしたら。翠が、翠自身の答えを、いつか見つけられる時が来たなら。


「そうしたら、もしかしたらさ。私達、友達になれるかもしれない」

「……本当に、馬鹿らしいです」


 吐き捨てるように言い、翠は背を向ける。

 今のままでは、翠の望む答えは得られない。葵達の言葉も届かない。互いの間には、どこまでも分厚い壁が聳え立っている。


「黒霧葵、あなたの兄に伝えておいてください」

「なに?」

「次に会う時は、もっとちゃんとした下着を着用してきます、と」

「は?」


 それだけ言い残して姿を消した翠。その発言の真意を問うことはできない。

 ていうか、うちの兄はまたなにをしでかしたのだ⁉︎


「お兄ちゃんとお話しなきゃ」

「目が笑ってねぇぞオイ」


 葵の中で、兄の地位が大暴落した瞬間であった。緋桜の自業自得である。

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