第84話
「蓮くん!」
「葵! よかった、無事だった!」
街に出現した魔物を蹴散らしながら合流した葵と蓮は、北側からの大きな魔力反応に気づいていた。
三つだ。
カゲロウとの通信で、灰色の吸血鬼が現れたのは聞いている。ならあと二つは。
覚えのある、懐かしい魔力。葵はいつも、その力を後ろから見ていた。偉大な魔女の、今は憧れた先輩たちに渡された、その力を。
「どうする? カゲロウと朱音を助けに行きたいけど……」
「いや、多分そっちは大丈夫。それより私たちは……」
どこから湧いてくるのか、二人は魔物に囲まれていた。しかし先程からそうなのだが、不思議なことにやつらは街の住人に手出ししない。街そのものも破壊しようとはせず、執拗に葵と蓮を狙ってくるのだ。
お陰で被害は最小限に抑えられているけど、どうにも敵の目的が見えない。
今はそこを気にしている場合ではないか。数が多いとはいえ、一体一体はそこまで強くもない。グレイの眷属で賢者の石を宿していようが、今の葵と蓮にかかればそこらの雑魚と同じだ。
さっさと全滅させようと魔力を練り上げて、視界の端に、ひとりの男の子が映った。
「やばっ、蓮くん、あそこ!」
「任せてくれ!」
犬や猫を背中に庇い、足を震わせながらも狼型の魔物と向き合っている少年。
蓮が蛇腹剣のワイヤーを作動させて魔物を斬り裂く。それを合図に、他の魔物たちも動いた。地上には同じ狼型の他にも、クマやイノシシ、カマキリやクワガタのような虫の姿をしたやつまで。空中には、鳥や蜂、果てはガーゴイルなんかも飛んでいる。
黒い翼をはためかせ、葵は魔物を蹴散らしながら少年の前に躍り出る。絶え間なく襲ってきた第二波を、蓮が黄金の斬撃で一蹴した。
「大丈夫⁉︎ 早く避難して!」
「でも、この子たちが……」
改めてその少年を見れば、視界には少し驚きの情報が。
名前は大和丈瑠。カゲロウから聞いていた、朱音の友人である少年だ。
余計に、この場に留まらせておくわけにはいかなくなった。これ以上あの子に、大切な人を失わせるわけにはいかないから。
「その子たちも一緒に、安全なところまで送るから」
「まだ他にもいるんです! 放ってはおけない!」
「私たちに任せて。あんまりうろちょろされると邪魔だから」
食い下がる丈瑠に、葵は心持ち冷たい声音で言い放った。
戦闘にまで巻き込むわけにはいかない。葵なら、異能で動物たちの位置情報も確認できる。蓮の負担が大きくなってしまうかもしれないけど、彼なら分かってくれるだろう。
異能を使って丈瑠を転移させようとしたのだが。それでも、少年は叫ぶ。
「でも……! 僕も、出来ることをやるって決めたんだ……桐生だけがつらい思いをする必要はないんだから……だから……!」
自分に出来ることを。やりたいことを。力がなくても、それでもと足掻き、誰かのためになにかをなそうとする。
葵には、その決意を否定することが出来なかった。
「だったらさ。全部終わった後、君は朱音ちゃんをちゃんと迎え入れてあげて?」
「ぇ……」
「あの子には、帰るべき日常が必要だから」
転移のための演算を開始する。転移先は事務所でいいだろう。あそこならアーサーも留守番をしてくれているから安全だし、丈瑠の異能を考えれば、あの狼とは仲良くできるはずだから。
「ああそれと、朱音ちゃんの両親には要注意ね。あの二人、ちょっと引くくらいの親バカだから」
「まっ──」
それ以上は有無を言わせず、丈瑠と動物たちを転移させた。
聖剣と蛇腹剣、糸を巧みに操り一人で魔物を食い止めてくれていた蓮と合流する。
「ごめん蓮くん」
「いいよ、こっちは任せて、葵は行ってきたらいい」
「ありがとう。後でちゃんとお礼するね」
「楽しみにしとく」
空中に飛び上がり、そこにいた魔物を墜としてから、街を見下ろす。地形情報と、人や魔物の分布、それから逃げ遅れた動物たちの位置情報も確認してから、少し顔をしかめる。
北の住宅街。心配じゃないと言えば嘘になるけど。
ここは、尊敬する先輩たちを信じよう。
◆
「立ちなさい、朱音」
突然現れて助けてくれた両親。大好きな二人が背中越しに、語りかけてきた。
「お前になにがあったのか、緋桜さんから聞いてる。本当は戦わなくていいって言ってやりたいんだけどな。でも朱音は、そんな言葉望んでないんじゃないか?」
本当は、自分がどうしたいのかなんて、最初から変わっていない。
大好きなみんなを、優しくしてくれた人たちを守りたい。幸せな時間を過ごしてほしい。そのために剣を取り、仮面を纏って過去へ来た。
「あなたは、弱い自分を許せない。そうでしょう?」
それまでの敗北を、弱さを許せず、戒めとして纏った仮面。
なら今はどうだ。
怖いことに変わりはない。自分が戦うことで、誰かが傷つき命を落とす。他の誰でもない、自分自身の手で奪ってしまうかもしれない。
一昨日の光景は今も脳裏から離れなくて、もしかしたら次は、目の前に立つ二人を。
そう考えるだけで手が震える。やりたいことは決まっているのに、それをなすための勇気を失った。
だけど、それでも。
「もう、弱い自分は嫌だ……!」
二人からの言葉だけで、失くしたはずの勇気が湧いてくる。震える手足を無理矢理押さえ付けて、立ち上がることが出来る。
手元に転移させた仮面を纏う。
決して忘れるな。この弱さを。何度も重ねた敗北を。そうして今度は掴み取るんだ。
まだ誰も見たことのない、どこにも記録されていない未来を!
「さすが、俺たちの娘だな」
「あとで沢山褒めてあげる」
振り返った両親の笑顔が、最後の一押しとなった。懐から短剣を、ホルスターから銃を抜く。
また、助けられた。二人の言葉に背中を押された。いうもいつも助けられてばかりで。だから今度は、今度こそは。
私が二人を助ける。
それこそ、転生者桐生朱音の原点だ。
「茶番は終わったかな?」
なにもない空間に、突然。人の形をしたものが現れた。
やつの異能を理解した今ならわかる。あれは再生なんかじゃない。情報の構築だ。魂をいくつも複製し、肉体を再構築している。それゆえの不死性。
プロジェクトによって生み出された三人には到底不可能な、オリジナルであるグレイだからこそ出来る芸当。
やがて元の姿を取り戻した灰色の吸血鬼は、しかしその矢先、殺人姫の手によって粉微塵に切断される。
「酷いじゃないか、殺人姫。助けてやった恩を忘れたか?」
やはりあっという間に再生したグレイは、空中に出現して愛美から距離を取った。皮肉げな笑みで地上を見下ろす。
逆に見上げる形となった織が、自信ありげに口の端を釣り上げていた。
「なあグレイ。ひとつ聞きたいんだけどな。なんであの時みたいに、空を変えないんだ?」
「チッ……やはり気づくか」
二人の会話を、朱音は遅れて理解する。
グレイは本領を発揮できない。それは何故か。以前の戦いで、蒼たちが手傷を負わせたからか? いや、違う。そんなもの、やつの異能があれば直せる。時間はかかるだろうが、完治することが出来るはずだ。
やつが吸血鬼である以上、克服したとしても少なからず影響を受ける太陽の光。
それを、位相の力でぶつけられたのだ。
今は亡き魔女につけられた傷跡が、やつの身を苛んでいる。
「せっかくだ、もう一発くらい食らっとけよ。
「それは丁重に断りたいな!」
「逃すと思う?」
「ここで仕留める!」
魔力を解放し、ドレスを纏う織。それを見たグレイが転移しようとするが、愛美と朱音が同時に斬りかかってそれも敵わない。
絶対に逃がさない。ここで、大好きな人たちの仇を討つ。
「
「
黒いロングコートを羽織った朱音が腕を斬り落とし、続け様に振袖姿の愛美が刀を袈裟に振るう。愛美の一撃がマズイことを悟ったのか、防御することもなくグレイを身を翻し辛うじて躱した。
だが逃げた先で、空に輝く太陽の光がスポットライトのように吸血鬼を照らす。
「術式解放、我は蒼穹を往く幻想の覇者。輝かしき空の光よ、その意思と力をここに示し、我らの明日を照らし導け!!」
離脱するため異能を使おうとした隙を見逃さず、朱音はドレスの力を発動する。
情報操作の異能を略奪し、やつの魔力を略奪し、完全に身動きを封じた。
「ルーサー、貴様……!」
忌々しげに朱音を睨んだ直後。
太陽の光が、吸血鬼の体を灼いた。
◆
地面に倒れ伏しているのは、中途半端に再生が終わってしまい、皮膚のあちこちが焼け爛れた灰色の吸血鬼。
まさか殺しきれないとは思わなかったが、紛れもなく朱音たちの勝利だ。
織が銃口を、愛美が剣の切っ先を向け、朱音は未だ倒れているカゲロウに駆け寄った。意識を失ってはいるが、怪我は塞がっている。やはりグレイは、息子であるカゲロウを殺せなかったらしい。
「しぶといわね。なんであれ食らって生きてるのよ」
「魂の複製、そのおかげだろうな」
魔術的知見から言えば、魂そのものには多くの力が眠っている。だからこそ裏の魔術師は、魂を魔力へ変換する禁術を使用するのだ。
グレイが本来持つ魂の強さに、異能で複製された大量の数。それがあれば、あの一撃を耐えられるのも道理だろう。
「で、こいつどうするの?」
「聞かなくても分かってんだろ」
朱音としては、ここで殺しておきたい。仇を討つために、これ以上悲劇を繰り返さないために。
ここでグレイを殺せば、未来は変わる。
だけど、自分の父親がどういう人間かも、知っていて。
二人が得物を下ろした時。公園に、すさまじい熱風が吹いた。
咄嗟に防護壁を張って倒れたカゲロウを守る朱音に、後退する織と愛美。
どこからか飛来した神鳥が、グレイを庇うようにして降り立った。
「こいつ、ガルーダか!」
「すっかり忘れてたわね!」
銃と剣を構え直す二人だが、ガルーダの意識は別の方へ向いている。上空、街の方。
そちらから一筋の稲妻が迸り、ガルーダの体を穿った。耳をつんざく絶叫を上げたガルーダが、神氣を纏わせた風の刃を稲妻の放たれた方向へと撃つ。
ガルーダに比べると小さな影はそれを巧みな空中機動で躱し、神鳥の右翼を捥いだ。
「葵、ストップ!」
返す刀で首を狙っていた影の正体、黒霧葵を寸前で制止する織。
その声に気づいた葵は動きを止め、地上の二人の元へ降り立った。その間にも、ガルーダの翼は再生を始めている。
「織さん、なんで止めたんですか!」
「今だけ、あいつらは見逃す」
「なんで!」
「借りがあるからな。グレイがどんなやつでも、俺と愛美を一度助けてくれたのは事実なんだ」
「でも、ここで逃したら……!」
「諦めてください、葵さん」
葵の気持ちは痛いほどに分かる。本当なら逃すべきじゃない。ガルーダは、葵の親を奪った張本人だ。グレイ自身も、グレイの眷属であるこの魔物も、この場で始末すべき。
その筈だけど。
「ここは父さんの言う通りにしましょう。この人、頑固ですから」
「……朱音ちゃんによく似て?」
「そう言うことは言わないでいいのですが!」
呆れたような、あるいは諦めたようなため息が葵の口から漏れる。納得してくれたわけではなさそうだけど、一先ず折れてくれるようだ。
「甘いな、探偵……」
喋れるまでに再生できたのか、しかしまだ倒れたままのグレイが呟いた。
未来で何度も相対した朱音には、想像もできなかったほどに弱った姿と声。
「その甘さは、貴様の弱さだ……私をここで見逃したところで、貴様らの利にはならんぞ」
「生憎と、その弱さを抱えたままで生きるって決めてんだよ。それに、お前を逃すことでメリットがないわけでもないさ」
「……異能研究機関か」
「緋桜さんとサーニャから聞いたぜ。記憶が戻ったんだってな。手段はどうあれ、お前はネザーを徹底的に潰すだろうって、あの人は言ってた。なら精々利用させてもらう」
だけど、と。ひとつ挟んで、探偵は吸血鬼を睨め付ける。その瞳に僅かながら、憎悪の炎をはらんで。
「次に戦うときは、容赦しない。覚悟しとけよ吸血鬼。お前の相手は、キリの人間だってことを忘れるな」
「肝に命じておくよ」
そして、グレイとガルーダの姿が消える。
残された朱音たちは、しかしこれで戦いが終わったわけでもない。
それ以上に、朱音としては気になることがあった。
「父さん、サーニャさんは⁉︎ 昨日出て行ったきりなんだけど会ったの⁉︎」
「サーニャと緋桜さんはここに来る途中で拾ってきた」
「本当は昨日のうちに帰って来たかったんだけど、二人の治療もあったから遅くなったのよ」
「治療って……」
サーっと血の気が引いていく。まさか、サーニャの身に何かあったのか? 昨日は野暮用を済ませて来るとしか聞いていなかったけど、危ないことをしていたなんて。
それもきっと、朱音が塞ぎ込んでいたせいなのだろう。戦いたくないなんて言ってしまったから、サーニャに無理をさせてしまったんだ。
「安心しろって。元々サーニャは自前の再生力があるしな」
「緋桜も大怪我ってほどじゃなかったから、そんなにソワソワしなくて大丈夫よ葵」
「べ、別にソワソワなんてしてませんよ⁉︎」
嘘だ。兄のことが心配だったのか、はたから見たら完全にソワソワしてた。葵もこれで結構ブラコンだし、サーニャのことも大好きだ。おまけに朱音は昨日、葵の戦う理由を聞いている。
そりゃこんな反応にもなるだろう。
「それより、他のとこの魔物をどうにかしに行かないとですよ! 蓮くんに任せきりなんですよ!」
「あー、それも大丈夫だと思うぞ」
「へ?」
「他にも何人か拾ってきたのよ。サーニャと緋桜も戦ってるけど、まあ、あの人だけでよかった感じはあるわね……」
葵が首をかしげると同時に。街に溢れていた魔力反応が、全て消えた。
それだけで朱音は理解する。両親が誰を連れてきたのかを。
「ねえ、街に被害出てないよね? ルークさんはさすがに人選ミスだと思うよ⁉︎」
両親に問い詰めたところ、顔を逸らされた。
その後葵から、建物は異能で守ってると聞かされるまで、朱音は生きた心地がしなかったのだった。
◆
ワイワイガヤガヤ、なんて擬音では全く足りないほどに騒がしい、というか喧しいのは、都内某所にある桐原邸。
どんちゃん騒ぎになっているのも当然。今日は、この家の子供が帰ってきたのだから。
例えば今日の主役たちはが厳ついお兄さん方に盛大に出迎えられていたり。
「お嬢、よくぞ、よくぞご無事で……!」
「あーもう、そんなに泣かないの虎徹。織がいるんだから無事に決まってるでしょ」
「織ぃぃぃぃ! お嬢を守ってくれてありがとなぁぁぁぁ!」
「虎徹さん、汚いです。鼻水垂れてますから」
はたまた、ツインテールの少女とイケメン二人が、呆れた顔でそれを見ていたり。
「ここは相変わらずだなぁ」
「葵は来たことあるんだっけ?」
「愛美さんに誘われて何回かね」
「ほーん、いいところじゃねぇか。ヤクザってのは意外だったけどな」
「……カゲロウ、食べ過ぎじゃないか?」
「食って力つけるんだよ。今日はなんも出来なかった。クソ親父にボコボコにされた挙句、あいつを守ってやることもできなかったしな」
「それで食べるってのも単純バカって感じよね」
「なんか言ったかチビ」
「バカって言ったんだよバカ」
「まあまあ」
あるいは、銀髪の美人がこれまたイケメンな青年とお酒を飲んでたり。
「一安心、って感じ?」
「まあな。しかし、やはり本当の親には敵わぬものだな。我らでは、朱音になにもしてやれなかったというのに」
「そんなことないだろ。サーニャさんは、朱音のためを思って行動したんだ。朱音だってそれは分かってるだろうし、感謝してると思うけど」
「だとよいがな。それより緋桜。貴様、あの出灰翠という娘に随分セクハラしていたようだな。知られたらまた葵に嫌われるぞ」
「またってなに?」
果ては眼帯をして片腕のないお兄さんが、この家の組長らしい老人と親しく話していたり。
「ありがとうございます、僕まで呼んでもらって」
「オメェには、俺の子供が世話になったからな。それに、こういうのは人が多い方が楽しいんだよ」
「ですね。とは言え、相変わらず騒がしすぎる気もしますけど」
「それがこいつらのいいところだ。なにがあっても、最後はこうしてバカみてぇに騒ぎやがる。神様にゃちと煩く感じるかもしれんがな」
「今の僕はただの人間ですよ。こういう、当たり前の営みの中に生きてる、人間です」
「ハッ、聞く奴が聞けば嫉妬に狂うぞ」
おまけにどう見ても成人済みには見えない小柄な女性が酒を大量に飲み、白い髪の美人さんと金髪のお兄さんに必死に止められていたり。
「にゃははははは! もっと持ってこーい!」
「ルークさん、飲み過ぎですよ!」
「介抱するのは俺なんだぞ! ちょっとは加減しろバカ!」
「えー、龍も有澄ももっと飲みなよー。ボク一人で飲んでてもつまんないよー!」
「バカ酒瓶振り回すなバカ! お前が振り回したら立派な凶器だぞバカ!」
「誰が振り回しても凶器ですけど、危ないのでやめてください!」
「にゃははははは!」
と、その女性の振り回していた酒瓶がすっぽ抜け、こちらに飛んで来た。
どうしてこの場にいるのか全くわからず、場違い感を感じすぎてもはや消えてしまいたい思いだった、超絶一般人大和丈瑠のもとへ。
いや、本当なんで僕はこんなところにいるんでしょうね。
当然、超絶一般人の丈瑠が咄嗟に反応して避けられるはずもなく。目を瞑る程度しか出来なかったのだが。
予想していた痛みは訪れず、この場で丈瑠が唯一頼みの綱としていた少女が、目の前で酒瓶を受け止めていた。
「丈瑠さん、大丈夫ですか?」
「う、うん。ありがとう桐生」
朱音がキッと酒瓶の投げられた方を睨むが、なぜかそれよりも早くキレる人が。
「ちょっとルークさん? うちの娘に向かってなんてもん投げてんのかしら?」
「あ、愛美だー! へいへい嬢ちゃん、ちょっとは揉まれて大きくなったかーい?」
「ルークお前黙ってろ! 分かりきったこと聞いてやるな!」
「ぶはっ! 龍さん今の最高! そうだよなー愛美の胸が今以上に成長するとかありえないよなー!」
「あんたら全員そこになおりなさいぶっ殺してやる! 特に緋桜は念入りに殺す!」
そうして始まる大乱闘。酒瓶が、緋色の桜が、止めようとした桐原組の人が宙を舞い、もうなにがなんやら。
魔術師なんて元から現実離れした存在だったけど、こうして目の当たりにすると自分たちと変わらないように思える。
泣いて、怒って、笑って。
美味しそうにご飯も食べるしお酒も飲む。そしたらアルコールにも酔うし、こうやってしょうもないことで喧嘩も始める。
「本当に、勘違いしてたな……」
なにも違わない。同じ人間だ。
悪いやつもいれば、いいやつもいる。
ちょんちょん、と。控えめに肩を叩かれた。そちらを見れば、キャッチした酒瓶を床に置いた朱音が、呆れたような笑みを浮かべている。
「さすがに危ないので、少し出ましょうか」
ありがたい申し出だったので、朱音について大広間を出る。そのまましばらく歩き、綺麗な月の見える縁側にたどり着いた。
「ごめんなさい、巻き込んでしまって」
「いや、いいよ。誘われるがままついて来ちゃった僕も悪いんだし」
そもそも丈瑠がこの場にいるのは、朱音の父親らしい織に誘われたからだ。
葵の手で事務所に避難していた丈瑠は、魔物を全滅させた織たちと当然のように鉢合わせとなった。朱音が友人だと紹介してくれたのだが、どういうわけかこの場に誘われ、断ることも出来ずについて来てしまったのだ。
それに、来てよかったとも、ほんの少しだけ思える。
丈瑠にとって魔術師とは、友達である猫の住処を奪った悪いやつら。街で無差別に暴れまわるテロリスト。
でも、この屋敷で見た人たちは、そんな風に見えない。
「僕の方こそ、ごめん。桐生のこと、誤解してた」
暴れ回る魔術師と戦うルーサーも、結局は他の魔術師と同じなのだろうと思っていた。
けれど、その正体が朱音なのだと、いつも一緒に猫の世話をしていた、まだ十四歳の優しい少女だと知った。
最初は混乱したし、朱音たちが戦うことで猫が住処を追われたのは事実。それは今も許せない。
でも、拒絶してやらないでほしいとサーニャから言われて、考えた。考えて考えて、それでようやく答えのようなものに行き着いた。
「桐生には、桐生の事象があったんだよな。それに、僕たちを守ってくれてたのに変わりなかった」
「……守れなかった人もいます」
「でも、僕のことは守ってくれた」
朱音の事情を全て知っているわけではない。両親らしい二人が丈瑠とそう変わらない歳だったり、自分よりも幼いのに死生観や倫理観があまりにも現実離れしていたり。
なにかあるのだろうとは思えても、魔術なんてものを全く知らない一般人の丈瑠には、全く想像できない。
でも、まだ十四歳の少女にただ守ってもらうだけなんて、そんなの間違っているはずだ。自分にだって、なにかこの子のために、あるいは誰かのために出来ることがあるはず。
そう思って、丈瑠は行動に移した。魔物が蔓延る街に出て、逃げ遅れた動物たちを助けようとした。
まあ、結果的には葵から叱られて、無理矢理避難させられたのだが。ついでに事務所に戻ってきた葵にもう一度叱られた。
「丈瑠さんは強いですね」
「僕が?」
「はい。私なんかより、ずっと」
そんなわけがない。自分は無力な一般人だ。
そう返そうとして、けれど朱音の目に宿った真摯な光に、言葉は押しとどめられた。
代わりに出てきたのは、丈瑠の願いを込めたこんな問いかけ。
「また前みたいに、一緒に猫の世話を出来るかな?」
「わ、私からお願いしたいくらいです!」
えへへ、と愛らしく笑う朱音を見て、丈瑠も自然と笑顔を浮かべた。
◆
「あれ、朱音ちゃんは?」
「さっきあのガキとどっか行ったぞ」
大広間に朱音の姿がないことを不思議に思った葵。カゲロウの言葉に一瞬首をかしげるが、丈瑠のことだと理解して納得する。
織が連れて行くと言った時には驚いたけど、その意図もなんとなく理解できてきた。
朱音にはこの時代に、同年代の友人がいない。一番近くて葵たちだが、それでも三つ歳が離れている。丈瑠も朱音の二つ上だが、まあ辛うじて同年代と言える範囲だ。
織は緋桜から朱音のことを聞いていたらしいし、丈瑠とのことも耳にしていたのだろう。だから、あの二人がちゃんと、もう一度友達になれるように気を遣ったということか。
それにしては、多少荒療治が過ぎると思うけど。一般人の男の子をこの空間に放り込むとかやりすぎだ。
「せめてもの意趣返しじゃないのかな」
「あー、娘に手を出した男に対する、ってやつ? 親バカだからなぁ二人とも」
蓮の言葉に乾いた笑みを返しながらも、目の前で繰り広げられている大乱闘を眺める。
愛美がルークと龍、緋桜に襲いかかり、襲われている側はなんとも楽しそうに笑いながらのらりくらりと躱している。それがまた愛美の苛立ちを募らせ、今では魔術も飛び交うなんでもあり。
止めることを諦めたのか、織は被害が拡大しないように結界を張ることに専念してる。
頼むからちゃんと愛美の手綱を握ってて欲しいし、お兄ちゃんは余計なこと言わないで欲しい。
「これから、どうなるんだろうな」
「そうだね……」
緋桜とサーニャと合流した時。葵たちは、二人が取り戻した記憶のことを聞いた。
ずっと両親を殺した仇だと思っていた相手が、実は自分たちを助けてくれた、らしい。
十年前のあの日。あの事故の時。
グレイも、ガルーダも。本当は葵たちを助けてくれたのだと言う。
葵自身の記憶は未だロックがかかったままだから、イマイチ実感は湧かないけれど。
今日殺せたはずのカゲロウを殺さなかったことといい、緋桜たちの証言といい。グレイがプロジェクトで生まれた自分たちに情を抱いているのは、事実なのだろう。
いっそ、あの吸血鬼が徹底的に悪だったら良かったのに。それなら、ただ憎むだけで済んだのに。
だがそれでも、葵はこう言う。
それがどうした、と。
グレイがどうであろうが、あいつは魔女を殺した。未来の世界で、朱音を苦しめた。
ならば倒すべき敵であることに変わりはない。
「つーかよ、完全に忘れてたけど、あのアンナとか言うやつはどうすんだ?」
「あー……」
カゲロウの言葉で思い出した。今学院には、本部からの調査でアンナ・キャンベルが滞在している。
織と愛美には悪いけど、あの人が帰るまではおとなしくしといてもらわないとダメだろうけど。
「その辺りは学院長が考えてるんじゃないかな。滞在は三日って言ってたし、明日が最後だからなんとかなると思うけど」
「だね。私たちが考えることでもないと思うよ。取り敢えずカゲロウ、あの人たちと仲良くしてね?」
「オレをなんだと思ってんだよ」
そりゃデリカシーのない馬鹿な半吸血鬼だが、それ以外に答えがあるとでも思ってるんだろうか。
特に愛美との接触は要注意だ。なんぞ失礼なことをカゲロウが言ってしまえば、いつ真っ二つにされるか分かったもんじゃない。
半分吸血鬼だし再生するから別に大丈夫よねうふふとか言いながら、平気で腕くらいは斬りそうな感じある。
葵こそ愛美のことをどう思ってるのか、と突っ込まれそうだが。
「まあでも、グレイはあんなだし。ネザーの方にさえ気をつけてたら、一先ずは平和なんじゃないかな」
「だといいけどな」
葵と蓮を交互に見るカゲロウ。その目には幾分か含むところが感じられて、葵はムッと睨み返す。
「なに?」
「別に。お前ら、平和なうちに色々とケリつけとけよ」
それっきり視線を外して、また食事に戻った半吸血鬼。言われたことを理解できてしまったから、となりの蓮をチラと見遣ったのだけど。
タイミングよくバッチリ目が合ってしまい、どちらからともなくまた目を逸らした。
◆
桐原邸での宴会が終わり、丈瑠も家に送って、朱音は両親と共に事務所への帰路についていた。
「ルークさんと龍さんはともかく、なんでまだ緋桜にまで……」
「あの人、ふつうに強いもんな」
「性格に多少難あり、だけどね」
「多少どころじゃないわよあれは。妹戻ったらちょっとはマシになると思ったけど、なんにも変わってないじゃないあの馬鹿」
「妹といえば、葵も随分見違えたよな」
「葵さんも色々あったから。あとは師匠とくっ付いてくれればいいだけなんだけどね」
「師匠って……ああ、蓮のことか?」
「うん。私に料理教えてくれたんだよ!」
「お、てことは朱音、料理できるようになったのか」
「ほんのちょっとだけどね」
「だってよ愛美」
「なによその目は」
楽しい。二人と交わす会話のその全てが、朱音の心を満たしてくれる。
そして同時に、二人がいなくなってから今日まで、自分がとても寂しかったことを理解した。自覚はなかったけど。いや、自覚しないようにしていたのか。
多分、それに気づいてしまったら、朱音は耐えられなかっただろうから。
サーニャがいてくれた。ご飯も作ってくれて、一緒に戦ってくれて。両親には決して出来ないような甘え方までしたことがある。
でも、サーニャは朱音の親じゃない。未来では自分を育ててくれたけど、血の繋がった親はこの二人だけだ。
彼女といた時とはまた違った幸福感が、朱音の胸に湧いてくる。
両親に甘えてるところをサーニャに見せたら、あの吸血鬼もちょっとは嫉妬とかしてくれるかな。
なんて考えてしまうあたり、やっぱり朱音はサーニャのことが大好きなのだけど。
などと考えていると、我が家の事務所に到着した。
「あー、ようやく帰ってきた」
「クリフォード邸も良かったけど、やっぱりこっちの方が安心するわね」
「あ、二人ともちょっと待って」
扉に手をかけようとした二人を呼び止め、代わりに朱音が先に事務所へと入る。
帰宅に気がついて駆け寄ってきたアーサーと一緒に、二人に向き直って。
満面の笑みで、ずっと言いたかった言葉を告げた。
「おかえりなさい、父さん、母さん!」
第二章 完
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