第77話

「あー、やられちゃったか」

「ま、あたしたちにしては頑張った方じゃない?」

「雷纒使えないのはイタかったよね」

「そこはしょうがないでしょ。雷の性質は、元々この子の神氣に由来してるんだし」


 突然教室に現れた二人は、先程までプロジェクターに映る映像の向こうで戦っていたはずだ。

 カゲロウと代わって翠と戦い、奮戦するも氷の翼を砕かれ、墜落して。そこで映像は途切れた。

 つまり、葵の体は今意識を失っているのだろう。


「どう? 覚悟は出来た?」


 大人びた顔の少女が問いかけてくる。

 それに頷きを返し、葵は立ち上がった。


「私たちは消えるわけじゃない。月並みな言葉になるけど、あなたの中でちゃんと生きてる。だって、私たちはみんなで、だもんね」


 幼い顔つきの少女が、笑顔を向けてくる。

 そうだ、この子たちは消えるわけじゃない。分かっていたのに、分からないフリをしていた。自分はずっと、あそこにいちゃいけないと思っていたから。


 でも、違ったんだ。

 朱音がいる。サーニャがいる。カゲロウがいる。なにより、蓮がいる。

 みんながいるあそこに、私もいていいんだ。

 この数日見せられた外の光景は、葵にそれを教えてくれた。


 だったら、もう迷わない。

 プロジェクトがどうとか、吸血鬼がどうとか、それも全部引っくるめての私だから。


「じゃあ、改めて聞くわよ」

「あなたは、誰? なにをしたい?」


 他の誰でもない、自分自身が問いかけに。


「私は、黒霧葵。誰に何を言われようが関係ない。私は、みんなのいる場所に、大好きなみんながいる場所にいたい!」


 力強くそう返して。

 行ってらっしゃい、と。優しく、背中を押された。


 ここに存在していたはずの二人が、今度こそ完全に溶けていったのを、葵はたしかに感じていた。



 ◆



 聳え立った炎の巨人と自分の間に。

 黒い翼をはためかせた、ツインテールの少女が躍り出た。


 理解する。あの二人は、今度こそ消えてしまったのだと。黒霧葵として、目の前の少女と一つになったのだと。


「ごめん、蓮くん。ただいま」


 胸の内に、色んなものが去来する。

 黒霧と過ごした思い出。彼女への愛おしさ、もうここにいない寂しさ。

 それから、数十分前に交わした最後の会話と、唇に触れた感触。


 それら全てを胸にしまいこんで。

 それら全てに勝る嬉しさを込めて。


 蓮は、目の前の大好きな少女へと、言葉を投げた。


「うん。おかえり、葵」


 自然と浮かべられた笑顔に、葵からも柔らかな笑みが返される。


 戻ってきてくれた。本当の葵が。

 その証である黒い翼を広げ、蓮の前に立っている。


「積もる話もあるけど、取り敢えず目の前の状況をどうにかしよっか。戦える?」

「もちろん。葵のことは、俺が守る」

「それは頼もしいや。じゃあ蓮くんのことは、私が守るよ」


 剣を握り直し、葵の隣に立つ。

 二人が睨む先には、炎の巨人の中で無感動な瞳を見せる翠が。


「戻ったようですね、シラヌイ。一先ず、計画は順調と言うべきでしょうか」

「違う、私の名前は黒霧葵だよ」

「またあの時と同じ問答を繰り返すつもりですか?」

「何を聞かれても、私の答えは変わらない。今の私は黒霧葵。もう、決めたんだ」

「ふむ……どうやら、本当に順調のようですね。これであなたは正真正銘、キリの人間になった」


 聞き覚えのない言葉を耳にしたと思えば、翠が巨人を消した。地に降り立ち、しかし戦意は未だ瞳に宿ったままだ。

 どういうことだ? このまま蓮と葵の二人を相手にするなら、あの巨人は間違いなく必要だろうに。


「この集落の人たちを意味もなく殺すことは、わたしとて気が進みません。しかし、今のあなたの力は確かめておく必要がある」

「だからさっきのは使わないって? 舐められたものだね。言っとくけど、こっちが手加減する理由にはならないから」

「むしろ、本気を出してもらわなければ困ります。こちらは手加減してあげますから、どうぞお好きにかかって来てください」


 安い挑発だ。そもそもの話、こうなってしまえば蓮と葵は、この場に留まり翠と戦う理由もない。

 今回の一件にネザーが関わっていたのはたしかだし、そのことについて問い詰めたい気持ちもあるが。今は龍とカゲロウに合流する方が望ましいだろう。

 翠が攻撃して来たから、あくまで迎え撃ってただけだ。葵も目を覚ました今、やるべきことは他にある。


 が、しかし。どうやら隣に立つ相方は、そう思っていないようで。


「いいよ、その挑発に乗ってあげる」


 好戦的な笑みを浮かべた葵が、黒い刀を取り出す。

 魔力が渦を巻き、風が吹き荒れた。あの二人と完全に溶け合った結果なのか、明らかに力が増している。

 今にも突撃しそうな葵を、しかし蓮は肩を掴んで押し留める。


「ストップ、葵」

「止めないで蓮くん。あの子に私たちの力を見せつけてやるんだから」

「うん、分かってる。止めるつもりはないよ」


 そう言われたのが予想外だったのか、葵が不思議そうに見上げてくる。だが、蓮としてはなにもおかしなことを言ったつもりはない。


 葵が、そうしたいと言ったのだ。

 それだけで、蓮に止める理由はなくなった。


 なにより、翠は葵を精神的に追い詰めた張本人だ。蓮としても、このままタダで返すつもりはない。


「だから、俺の血を吸ってくれ」

「え」


 今は夜だ。吸血鬼の遺伝子を持つ葵は、誰かの血を吸わずとも本来の力を発揮できる。だがそれは、翠も同じ。

 確実を期すなら、吸血によって更に力を増した方がいいだろう。幸いなことに、翠はこちらから仕掛けるのを待ってくれているみたいだし。


「いや、いやいや、ちょっ、ちょっと待って、それは、ちょっと、待って」

「……?」


 だと言うのに、なぜか葵は顔を真っ赤に染めてあわあわと落ち着かない様子だ。


 いや、まあ……蓮もその理由が全く分からないほど、バカではないのだけれど。

 だって血を吸うということは、葵が自分の肌に牙を突き立てるということで。つまりは唇が触れるということで。


 ああダメだ。考えてたらこっちまで恥ずかしくなって来た。

 頬が俄かに熱を持ち出し、結果戦場にも関わらず、羞恥に顔を赤くする二人の出来上がり。なにをやってるんだ俺たちは。


 やっぱり撤回するべきかなぁとかヘタレた考えがよぎって来た頃に、翠の冷ややかな声が届いた。


「血を吸うなら早くしてください」

「はい、すいません」

「ごめんなさい」


 思わず謝ってしまった。なんだこれ。

 いや、悪いのは自分たちなのだが。こんなのを見せられて、翠も困ってるだろう。相変わらず無表情だけど。


「じゃ、じゃあ、いくよ……?」


 濡れた瞳に見上げられ、心臓がドキリと高鳴った。今の状況も忘れて、思わず見惚れてしまいそうになる。


「うん……よし、どんと来い」


 覚悟を決めて両手を広げ、いや手を広げる意味はなかっただろ、と後悔する。

 ふわりと少しだけ浮いた葵の手が、蓮の肩に触れた。広げてしまった両手を、恐る恐る華奢で細い腰に回す。

 いや本当、なんで両手広げちゃったんだろう。抱きとめる以外の選択肢がなくなったんだが。


 蓮の手が触れた時に、ピクリと肩を震わせた葵。それから逡巡の間があって。

 首筋を、ぞわりとなにかが撫でた。目だけを動かせば、葵が舌で蓮の肌を舐めている。ピリッとした感覚の後、ついに牙が突き立てられた。


 痛みはない。なるほど、先程肌を舐めていたのは、麻酔の効果があるからか。なんて風に理解しても、妙な恥ずかしは紛れることもなく。

 体の中から、なにかが抜けて吸い取られていくのを、たしかに感じる。


 一体どれだけの時間そうしていたか。永遠とも須臾とも思える時の中、終わりを告げたのは蓮の方からだった。


「葵……さすがに、そろそろ……」


 トントン、と背中を叩いて、ギブアップを宣言する。率直に言うと、頭がクラクラして来た。ふつうに貧血、吸いすぎである。

 夢中で吸い続けていた葵が漸く牙を抜いて口元を乱暴に拭う。顔はやっぱり真っ赤なままで、けれどなにより。


 その瞳が、真紅に染まっていた。


「ご、ごめんね⁉︎ 蓮くんの血が、その、すごく美味しかったから、夢中になっちゃって……!」

「そ、そっか。それは、ありがとう……?」


 なんと返したらいいかも分からなくて、取り敢えずお礼を言っておいた。まあ、不味いとか言われるよりはいいし。


 味が良かったお陰かは知らないが、葵の身体からは溢れんばかりの魔力を感じられる。朱音の血を摂取した時以上だ。それが聖剣を持っている恩恵なのか、単純に蓮と葵の相性が良かったのかは分からないが。

 個人的には後者だと良いなぁ、なんて浮かれた考えは直ぐに捨てて、律儀に待ってくれていた翠に向き直る。


「良かったですね、シラヌイ。血の味はそれそのままに、相手との相性を示しています。糸井蓮との相性は完璧のようですよ」

「わざわざ解説ありがとう! でも余計なこと言わなくていいから! あと私は黒霧葵!」


 そうかそうか、相性が良かったのか。

 うん。まあ、うん。取り敢えず喜ぶと変態味があるので、これは頭の片隅に追いやるとして。


「とにかく! 今の私と蓮くんに勝てるなんて思わないことね! あなたを取っ捕まえて、ネザーのこととか洗いざらい全部教えてもらうんだから!」

「それから、あの時葵を追い詰めたこと、ちゃんと葵に謝ってもらうぞ。俺はまだ許してないんだからな」

「お好きにどうぞ。やれるものなら、ですけど」


 灰色の翼をはためかせた翠と、黒い翼を広げた葵が、互いの中央でぶつかる。音に等しい速さでの激突は、その衝撃を辺りに撒き散らした。

 交錯は一瞬。刀を振り抜いた葵に押され、翠が空中へ後退する。


 そこへ向けて、黄金の斬撃が放たれた。


「……っ、なるほど。これは予想以上ですね」


 言葉とは裏腹に、ハルバードを盾に変形させて蓮の一撃を容易く防ぎきる。

 間断なく葵が斬り込むが、翠は冷静だ。盾で受け止めた後、マントの下から伸びた機械の尾が鋭い刺突を繰り出す。一撃目を刀で弾き、続く二撃目に備える葵。

 だがそれ以上の攻撃は、蓮が許さなかった。


「そいつは厄介だから壊させてもらう!」


 もう一振りの剣。ワイヤーを作動させた蛇腹剣が伸び、機械の尾に絡みついていたのだ。

 力任せに握っている柄を引けば、鋭い金属音と共に尾が破壊された。一方で蓮の剣は、刃こぼれ一つしていない。


 さすがに苦い表情を浮かべる翠へ、葵が容赦なく刀を振るう。純粋なパワーは葵の方が上だ。盾で防いだものの、勢いに負けて地面に叩き落とされた。


「雷纒!」


 翼を雷のものへと変化させ、髪を青く染め全身に稲妻を纏った葵が、魔力を練り上げる。

 それに続いて、蓮も聖剣に魔力を込めた。


 立ち上がった翠は無傷だ。しかし、次の攻撃は耐えられないだろう。いくら彼女が守りに優れていようと、二人が今持てる最大の破壊力を叩き込めば──!


「もう一度、力を貸してくれ……!」


 地を駆け、翠へと肉薄する。下段に構えた聖剣は黄金の輝きを帯び、蓮の心に呼応して尚増していた。

 懐に踏み込み、翠のハルバードが振り下される。それよりも一瞬早く。


選定せよ、黄金の聖剣エクスカリバー!」


 下段から振り抜いた聖剣の放つ膨大な魔力の波が、異能による防壁を張った翠を華奢な体ごと宙に打ち上げた。

 防がれたのは仕方ない。彼女の異能を使われてしまえば、いくら聖剣を持とうが、それを打ち破ることは叶わないのだから。


 だが、同じ異能を持つ葵なら。


「我が血に応えろ! 天空から生まれし雷霆、悉くを引き裂く雷光! この身に宿りしは世界を統べる帝釈天!」


 詠唱が響く。葵が天に刀を掲げると、そこへ一筋の稲妻が落ちた。稲妻は魔力を帯びると、刀を覆うようにして金剛杵を形作る。

 同時に、葵の背にある翼は、雷の羽衣へと変化していた。

 周囲へと無遠慮に振りまかれる雷の魔力は、人間や吸血鬼の使える力ではない。


 神氣。

 神が神たる所以の力を、ツインテールの少女は纏っている。

 いや、それだけじゃない。神の力よりも、更に上。蓮にも覚えのあるこの力は、朱音の持つドレスと同じものだ。


「剛力無双の雷神よ、その力の全部、私に寄越せ!天帝・開闢神話ヴァジュラッ!!!」


 射線上の悉くを焼き滅ぼす天地開闢の雷が、灰色の少女に向けて撃ち出された。

 翠の小さな体をあっという間に呑み込み、轟音を響かせながら天へと伸びる。


 金剛杵が消え雷が晴れても、周囲からは火花を散るような音が聞こえる。射線上に翠の姿はなく、羽衣を翼に戻し雷纒すら解除した葵は、よれよれと頼りなく降下してきた。


「葵!」

「なに今の……あんなに強く撃つつもりなんてなかったのに……」


 駆け寄ると、自分の両手を見つめながら呟いている。まるで葵自身でも、自分の力が信じられないと言った様子で。


 その正体は、葵も分かっているのだろう。ただ、なぜそれが使えるのかが分からない。


「それがあなたの力ですよ、シラヌイ」


 すぐ目の前から声が聞こえ、魔力の残っていない葵を庇う形で剣を構える。


 どうやって逃げ果せたのか、現れた翠は信じられないことに無傷のままだ。


「そして、おめでとうございます。あなたは、プロジェクトカゲロウの悲願に到達しました」

「どういうことだ?」

「プロジェクトの完成は、あなたじゃなかったの?」


 未だ全貌の見えないプロジェクトカゲロウ。その悲願に到達したのが葵ということは。


 まさか、と。蓮の脳裏に、一つの仮説が浮かび上がる。あり得ない話ではないはずだ。

 あの灰色の吸血鬼が魔術を、賢者の石を使いそこへ至ろうとしたように。

 ネザーはアプローチを異能一つに絞り、頂点を目指した。


「しかし、まだ未熟ですね。もっと使いこなせるようになってもらわなければ困ります。あなたには期待していますよ」

「待って!」


 静止の声を聞くはずもなく。翠は忽然とその姿を消した。


 いなくなってしまっては仕方ない。頭を切り替えろ。やらなければならないことは、まだある。


「葵、大丈夫か?」

「うん、なんとか……」


 刀を杖代わりに立っていた葵は、目を閉じて異能を発動。魔力を回復させて、強い光の宿った瞳で、蓮の目を見つめ返した。


「まだ、やらないとダメなことが残ってるよね。魔物になった人を戻して、集落の人たちの記憶を消す。うん、任せて。いけるよ」

「無理はしないでくれ」

「大丈夫だって。蓮くんは心配性すぎるの!」


 心配のし過ぎならいいのだけど。慣れない力を使ったばかりだ。異能で魔力は誤魔化せても、疲労は溜まっているはず。


 それでも、頼もしいその姿を見ていれば、止める気にはならなかって。



 ◆



 そう広くはない洞窟の中で、三つ首のドラゴンが暴れている。

 相対するのは白い翼をはためかせ宙を舞うカゲロウと、地上でその様子を見物する龍だ。


「おい! ちょっとは手伝えよ!」

「まあ待て」


 あの転生者の男は、さっきから全く手を出さずに見ているだけ。自分一人でもなんとかならないことはないが、いかんせんドラゴンの攻撃が激しい。

 三つの首による噛みつきやブレスは、隙のない連携を取り演算の余裕を与えてくれなかった。


 今もまた真ん中の首がブレスを放ち、それを躱したところに左右の首が肉薄してくる。左を避けて右に魔力を纏わせた大剣の一撃を見舞うが、硬い鱗は刃を通さない。


 一度距離を取って、体勢を立て直す。さてどう攻めるかと思案していれば、洞窟内を地響きが襲った。同時に、膨大な魔力反応を捉える。この世にあり得るはずもない、あり得てはいけない程の濃い魔力を。


「なんだ⁉︎」

「この魔力は……魔女と同じ……?」


 地上の龍がなにやらブツブツと呟いているが、距離のあるカゲロウの耳には届かない。

 こうなれば、ゴリ押しでなんとか攻め崩すか。幸いにして、あの北村とかいう男のお陰で神氣がかなり高まっている。

 後先考えない全力の一撃なら、あの硬い鱗も打ち破れるだろう。


「カゲロウ、下がれ! あっちも終わったみたいだからな、俺たちも終わらせるぞ!」


 せっかく決意したところで、龍から声がかかった。不承不承ながらも言う通りに龍の元へと戻る。


「終わらせるったって、どうすんだよ。聖剣は蓮に貸してるんだろ?」

「まあ見とけ。言っただろ、武器はまだあるってな」


 一歩進み出た龍の前に、五本の剣が出現して地面に突き刺さる。そのどれもが等しく、伝説に存在する強大な力を秘めた剣だ。


 視界に映された情報を視て、カゲロウは絶句する。剣に、ではない。その剣をこの場に顕現させた、龍の異能に。


「さて、どれがいいだろうな。やっぱここは、王道で行くべきか?」


 剣崎龍は鍛冶屋だ。

 その異能は、刀剣錬成。材料がなくとも、その場で刀剣の類を作り出すことができる。材料があればそれだけ、完成度の高いものを作れる。


 しかし鍛冶屋である以前に、龍は転生者だ。持ち越した異能の数は多く、その中でも彼が好んで使うのは刀剣錬成を含めて三つ。

 残りの二つは、並行世界への限定的な干渉と、能力付加エンチャント

 それら三つの異能を駆使して、彼は伝説に存在した刀剣を、本物としてこの世界に顕現させる。


 ソウルチェンジなんぞなくとも、彼は英雄の力をそのまま振るえるのだ。


「決めた。やっぱりドラゴン退治って言えば、こいつだな」


 手に取ったのは真ん中に突き刺さっていた、幅広の剣だ。柄に青色の宝玉が埋め込まれたそれは、竜殺しの英雄の愛剣。


 呑気に素振りしている龍に、魔物の首全てから火炎のブレスが放たれた。

 離れているカゲロウにまで届く熱。あれに呑み込まれたら、転生者といえどタダでは済まない。


 だが手に持った剣を一振りしただけで、火炎は掻き消えた。


「よし、いい感じだ」


 抜き身のままで居合の構えを取ると、埋め込まれた宝玉が強い輝きを発した。

 魔力が増大し、刀身へと集める。


 その剣の正体を悟ったのだろう。あるいは、本能が察知したか。三つ首のドラゴンはこの洞窟から脱出しようと、畳んでいた翼を広げる。

 が、すでに遅い。


慟哭せよ、黄昏の竜殺しバルムンク!」


 振り抜いた剣から、青い波動が半月状に放たれた。なす術なく直撃する三つ首のドラゴン。硬い鱗は何の意味も持たず、ドラゴンの体は呆気なく消滅する。


 悪竜ファフニールを屠ったとされる名剣、バルムンク。

 その伝説は強い力を剣に残した。

 担い手が竜種と相対したその時点で、勝利を決定させるという、絶大な力を。


 問答無用でドラゴンを消し去る剣は、まさしく伝説の名剣と呼ぶに相応しい。


「よし、終わりだ。洞窟崩れる前にさっさと出るぞ」


 こんなことなら、最初からオレはいらなかったじゃねぇか。

 内心で不満げに吐き捨て、カゲロウは崩れ行く洞窟を後にした。



 ◆



「ふう、とりあえず、これで全員かな」


 一つ息を吐いた葵からは、疲労の色が濃く見えた。何度大丈夫かと聞いても同じ答えが返ってきていたが、やはり疲れているようだ。


 あの二人と一つに溶け合い、元の葵が戻ってきてから、まだ一時間と少ししか経っていない。

 激しい戦闘のすぐ後に異能の連続行使だ。蓮の血を吸ったとはいえ、そろそろ限界だっただろう。


 葵が集落の住人全員を眠らせて記憶を消し、魔物にされた人も元に戻した後。

 二人は、葵が異能の情報構築で作ったベンチに腰掛け、龍とカゲロウの二人を待っていた。とはいえ、ただ待っているだけではない。積もる話とやらが、沢山ある。


「改めて、おかえり葵」

「うん。ただいま、蓮くん」


 以前と同じ笑顔が返されて、本当に葵が戻って来たんだという実感が湧いてくる。それが嬉しくて、胸がいっぱいになって。

 でも、それを悟られるのはどことなく気恥ずかしくて。


 そんな蓮の心情を知ってか知らずか。葵は空を見上げて、訥々と語り出した。


「あの子達が表に出てる間、ずっと外の様子は見えてたんだ。蓮くんがカゲロウと喧嘩してた時から、さっき剣崎さんと三人で打ち合わせてた辺りまでかな」

「打ち合わせの後は、見てなかったのか……?」

「……? うん。あの子が視覚共有切っちゃったから、なにも見えてなかったよ」


 表情には出さず、しかし内心かなり安堵する。あの場面を目撃されるのは、別にマズイわけではないけど、かなり恥ずかしいから。なにせ見られてないならよかった。本当によかった。

 さしもの蓮も、あんなところを見られていれば羞恥に悶え苦しんでいたことだろう。


「まあ、そんなわけで色々見てる中でさ、思っちゃったんだよね。私の居場所は、どこにもないんだな、って」

「そんなこと」

「そんなことない。今なら、自信を持ってそう言えるよ」


 力強い言葉だ。そこに迷いは見えない。

 だからだろうか。心なしか、今の葵の顔つきは、以前と比べて逞しいものになっている気がする。

 憑き物が落ちた、とも言えるだろう。


「朱音ちゃんに、サーニャさんに、カゲロウに。それから、蓮くん。みんながいる場所に、私もいたいって。そう思えたから」


 今の葵は、もう決してブレることはないだろう。黒霧葵として生きると、そうあるのだと決めたのだ。

 だから、あの二人も完全に消えることが出来た。いわゆる完全体。つまり、あの二人の性格も若干引き継いでしまっているということで。


「それにさ……」


 存分に他意の含まれた、悪戯な笑みが向けられる。可愛らしい笑顔なのだけど、なぜか嫌な予感が背中に駆け巡って。

 ああ、その顔は碧によく似てるなぁ、なんて呑気に考えていると。


「吸血鬼だとか、シラヌイだとか、あの子達のこととか。全部を引っくるめた私が好きだって、蓮くんが言ってくれたもんね」

「……っ」


 頬が急速に熱を持ち出す。羞恥から葵の顔を見ていられなくなって、右手で咄嗟に顔を覆った。


 まさか、その話を今持ち出してくるとは。

 いやまあ、もちろん。こうして葵が戻って来た以上、蓮としてもちゃんと話をするつもりではあったけど。

 それにしたっていきなりだ。いきなりだが、こうなってしまっては、もう言ってしまうしかないか。


 深呼吸を一つ。

 意を決して彼女の名前を呼ぼうとした、その直前。


「あ、カゲロウと剣崎さんだ」

「え」


 おーい、と手を振りながらベンチから立ち上がり、戻って来た二人の元へ駆け寄る葵。そのままカゲロウと龍に状況の説明を始めてしまった。

 どうやら、日を改めるしかなさそうだ。


「上手いこと逃げられた気がするなぁ……」


 肩を落としてため息を零し、蓮も三人の元へと向かった。

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