幕間 探偵と殺人姫と揺れ動く世界

第78話

「……ッ!」

「今のは……」


 遥か東の方角。生まれ故郷の国がある方から、なにか、とんでもない反応を捉えた。

 咄嗟に東の空を睨む織と愛美だが、しかし既に反応は消えている。ほんの一瞬、でもその一瞬があれば十分なほどに強烈で、濃密な魔力反応。


 間違いない。誰かが位相の力を使ったのだ。

 朱音じゃないだろう。あの子のドレスは、奪うことに特化した力だ。魔女や織のように、位相の向こう側から魔力を引っ張ってくることは出来ない。やろうと思えば出来るのだろうが、やる意味がない、と言えば正しいか。


 なんにせよ、位相の力を使えるのはキリの人間だけだ。

 なら日本に残して来たあの後輩が?


「よそ見してんじゃねぇぇぇぇ!!」

「おっと」


 悲鳴じみた怒声に、意識を引き戻される。

 果ての見えない砂漠の上。剣を持って織に斬りかかってくるのは、瞳を青く染め、血涙を流している魔術師。その綺麗な色の目には魔眼を宿していたが、見ての通り血を流すまで酷使している。今ではもう使い物にならないだろう。


 目だけじゃない。全身のあらゆるところから血を流している。脇腹には風穴が空き、右肩は抉れている。そのどちらも、紛れもなく織の手によるものだ。


 敵の剣を躱しながら、少し離れた位置で戦っている愛美へと視線をやる。振袖に身を包み刀を振り回す愛美は、なんら苦戦している様子を見せない。

 あれだと、もう暫くもしないうちに終わるだろう。


 織と愛美の戦場、その間には、見えない壁が立ち塞がっていた。

 今回の敵は兄弟の魔術師。厄介なコンビネーションと連携だったが、こうして各個撃破に努めてしまえば呆気ないものだ。


 まあ、コンビネーションなら俺たちも負けるつもりはないんだが。


 そこはそれ、より効率のいい方法を取った結果である。


「くそッ! くそッくそッくそッ!! こんなとこで死んでたまるか!!」

「それは俺も同じなんだよ。悪いな」


 振り下ろされた剣を銃で受け止め、転移で距離を取る。魔力を練り上げ、賢者の石から力を引き出した。


「術式解放、其は永久に狂い万象を焼く生きた炎!」


 展開する魔法陣。放たれたいくつもの光球は、外なる神の力を秘めている。

 傷だらけでありながらも光球を躱し続ける敵の魔術師に、織は思わず感嘆する。体力はすでに限界が近いはずだ。いくら賢者の石を宿し半永久的な魔力供給があるとは言え。男の体が、その魔力に耐えられなくなってきている。


 それでも決して膝を折ることなく立ち向かってくるのだ。

 賢者の石を宿した裏の魔術師。織と愛美が狩るべき対象。この世界に、害を齎す存在。

 ここまで堕ちてでも、叶えたいなにかが、目指している悲願があるのだろう。今まで相手をしてきたやつらは、誰もがそうだった。


 そして織たちは、その悉くを打ち砕いてここに立っている。


 だからなんだと言う話でもない。織と愛美が倒してきたやつらは、誰もがテロリスト紛いの魔術師だ。倒されて当然だし、彼ら彼女らにその覚悟がなかったとも思えない。


 だけど、それでも。


「母ちゃんを生き返らせるまで、死ぬわけにいかないんだよッ!!」


 肝心なところで、織の手は鈍ってしまう。

 直撃コースだった光球があらぬ方向へと逸れた。織の心の葛藤が、魔力コントロールにまで影響してしまったのだ。


 躱され、外れた光球は地面に着弾して、砂漠の上に炎を揺らめかせている。

 迷いは捨てろ。こいつらの目的がなんであれ、その手段は許されざるものだ。


 殺らなきゃ殺られる。織だって、こんな所で死ぬつもりはない。


 敵が魔法陣を展開させる。膨大な魔力を込めたそこから、極大の魔砲が放たれた。賢者の石を全力で稼働させ、全ての魔力を注いだ一撃。常人であれば、あるいは同じ石持ちの魔術師だとしても、これを防ぎきることは難しいだろう。


 だが魔術である以上、織には通用しない。


「予想通りの未来だよ、クソ野郎」


 織の瞳が、橙色に輝く。

 展開されるのはたった一つの魔法陣。それに直撃した魔砲は、呆気なく霧散して光の粒子へと変わった。

 目を瞠る敵の前で、粒子が魔法陣へと吸収されていく。己の魔力へと変えたそれを糧に、新たな魔法陣が敵を囲むように広がった。


魔を滅する破壊の銀槍シルバーレイッ!!」


 降り注ぐ銀の槍。捲き上る砂塵。

 魔導収束の中でも、織か最も信を置く魔術だ。その破壊力は折り紙つき。

 果たして砂塵の晴れた向こうには、織の予想を裏切り、更にボロボロになりながらもなお立っている魔術師が。


「嘘だろ……」


 今度は織が目を瞠る番だった。

 手応えはあった。殺しきれていなくても、もう立ち上がれないだろうと思っていた。

 しかしやつは、まだ立っている。


 足元には砕けた半透明の石が。まだ一つ、賢者の石を隠し持っていたのだろう。それを純粋な魔力リソースへと変えて、織の攻撃を防ぎきったのだ。


「まだだ……まだァ……!」

「いえ、これで終わりよ」


 叫ぶ魔術師の眼前に、振袖姿の殺人姫が降り立った。

 容赦なく振るわれる刀は、無慈悲に魔術師の首を斬り落とす。ただの肉塊へと変わったそれを魔術で燃やし、愛美はドレスを解いて織の元へ駆け寄った。


「大丈夫だった?」

「ああ、なんとか。そっちは聞くまでもなさそうだな」

「当然よ」


 先程まで愛美が戦闘していた場所を見れば、そこにも死体を燃やす炎が。もう数分もしないうちに、灰すら残らず消えるだろう。


 四ヶ月だ。

 それだけの月日が流れた。殆ど毎日のように戦って、敵を殺す。けれど織自身は未だに直接手を下せないでいた。

 思うところがない、と言えば嘘になる。最後はいつも愛美に任せていて、彼女自身もそれでいいとは言うが。

 愛美一人に背負わせるわけには、その優しさに甘えるばかりではいけない。


 いつか必ず、織自身の手で敵の命を摘み取らなければいけない日が来る。


 覚悟は出来ているつもりだ。けれど、その時のことを考えるだけで、今も手が震える。


「大丈夫よ」


 なにを聞くでもなく、愛美が織の手を取った。柔らかく包み込まれた両手からは、彼女の優しさが流れ込んできて。


「……悪い」

「いいのよ。あなたは、そのままでいいの。それが桐生織の弱さであり、強さでもあるんだから」


 諭すように言われ、気を取り直す。

 そうだ、その弱さを抱えたままで前に進むと、決めたんだ。見失うな。間違えるな。


 織は、愛美のような強さも正しさも持ちわせていない。だけどその代わり、考えることをやめるな。

 戦い、命を奪うことの意味を。



 ◆



 十月。世界中を飛び回る織と愛美には季節などあまり関係ないが、日本は今頃秋も深まり、どころか冬の気配すら見え隠れしていることだろう。

 日本を離れてから四ヶ月も経てば、残る石持ちの魔術師も数える程度となっていた。


 イギリスやアメリカといった主要国家に集中してくれていたお陰だ。

 昨日はエジプトの砂漠のど真ん中まで向かったが、その前はロシアの北の方、殆ど氷に覆われてるような場所にもいったし、ジャングルの奥地にだって赴いた。


 だが、今日は少し毛色が違う。

 拠点を構えているイギリスから出ることもなく、織たちが自主的に敵を定めたわけでもない。

 世話になっている首席議会の一人、ロイ・クリフォード経由で依頼があったのだ。


「これは、喧嘩売ってるってことでいいのか?」

「さて、どうでしょうね。単に回収してくれってだけならいいんだけど」


 時刻は夜。二人が立っているのは、クリフォード邸よりも更に大きな屋敷の前。

 そこで蒼に貰った、賢者の石の位置を示してくれる地図を広げて、聳え立つ屋敷を睨め付けていた。


 屋敷内に、石の反応がある。それもどうやら、依頼してきたのはロイと同じ首席議会の一人らしい。

 頭によぎるのは、先月街中で遭遇した怪盗の言葉だ。


 首席議会は信用するな。

 そう忠告された。あれから織と愛美も考えてみたのだ。

 可能性としてはあり得る。やつらがグレイと繋がり、賢者の石を世界にばら撒く手助けをした。いや、ここは殆ど確定だろう。

 問題はそれ以外だ。

 織と愛美の二人を日本支部から引き離し、逆に蒼を役職で縛り付けた。そこにもグレイの介入は考えられるが、そう単純な話か?

 仮にそうだとして、グレイになんのメリットがあると言うのか。やつはアメリカで、わざわざ織たちに接触してきた。

 リスクを冒してまで対話の場を設けたのは、なんのためだったか。


 ああ、そっちの方が余程可能性としては高く感じられる。


「なんにせよ、この屋敷に踏み入ったら分かる話か」

「ええ。賢者の石以外に、もしあのイヤリングがあれば」

「グレイは石の流通に利用しただけ。現在手を組んでるのは、異能研究機関、だな」


 日本支部から引き離したのではない。シラヌイ、黒霧葵から引き離した。

 今となっては、そう考えることもできる。


「ま、ここで話してるだけじゃ意味ねぇしな。さっさと行こうぜ」

「警戒しなさいよ。どんな罠があるか分からないんだから」


 魔術学院首席議会の一人、セルゲイ・プロトニコフ。

 それがこの屋敷の主人であり、織と愛美に依頼を出したやつの名だ。ロイから聞いた話では、元々ソ連の軍人だったらしい。魔術の家系に生まれながらその道には進まず、しかし戦争の裏で暗躍していた魔術師に無力感を覚え、首席議会まで上り詰めたのだとか。

 軍人上がりということもあって、力に固執する嫌いがあるという。


 そして先月、クリフォード邸の前で愛美にちょっかいを掛けた男だ。

 その時点で織としては、向こうがどう出ようがタダで済ませるわけにはいかなくなっている。


 屋敷の門を潜り、断りもなく扉を開いて中へと入った。

 ノックやインターホンを鳴らすなんてお行儀のいい真似はしない。どうせ必要ないだろう。その証拠と言わんばかりに、二人が屋敷の中へ入ると同時に結界が作動した。


「なんだこの結界?」

「舐めてんのかしら」


 広いエントランスを見渡しながら呟いた愛美が、短剣をそっと地面に押し当てる。

 ただそれだけで、屋敷を覆っていた結界が消えた。正確には、斬られた。


「さて、どう動く?」

「向こうから来てくれたら手っ取り早いんだけど、そうもいかないわよね」


 なにせ屋敷は広大だ。手当たり次第セルゲイの姿を探すのは得策ではない。二手に分かれるのも同じく、賢いやり方とは言えないだろう。

 どうしようかと悩んでいると、天井から壁が落ちて来た。それは織と愛美を左右に分断し、そこにプロジェクターで映像が映される。


『ようこそ、我が城へ。私のことはクリフォードの小僧から聞いているかな? 首席議会に名を連ねる一人、セルゲイ・プロトニコフだ』


 小太りの中年男性が映された。

 改めてその容姿を見ると、本当に元軍人なのかと疑いたくなる。だが、首席議会の一員であることは事実だ。かなりの実力を持っているはず。


『おっと、無駄だぞ殺人姫。この壁には、とある異能の力を込めている。貴様の切断能力では破れない』


 どうやら、向こうで愛美が壁を壊そうとしているらしい。しかしセルゲイの言葉通り、壁は一向に切断される気配がない。

 映像をよく見てみれば、セルゲイの耳には見覚えのあるイヤリングが。


 決まりだ。こいつが個人的にか、首席議会全員かは知らないが、異能研究機関ネザーの協力がある。


『貴様らをここに招いた理由はシンプルだ。殺人姫、桐原愛美。貴様を我が物にするためだよ』

「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞオイ」

『探偵賢者とか言ったか、お前は必要ない。所詮は殺人姫の付属品に過ぎないからな。ここで死んでもらうことにした』


 本当に、どこまでふざけたやつなのか。おまけに救いようのないバカと来た。

 まさかこの程度の壁で、二人がなにも出来ないとでも思っているのだろうか。


 ホルスターから銃を抜き、銃口に魔力を集める。映像の向こうからは嘲笑が聞こえて来たが、まあ仕方ないだろう。

 首席議会と言えど、知らないはずだ。なにせロイにしか教えていないのだから。


 織の持つ魔眼も、愛美の持つドレスも。


 瞳がオレンジの輝きを帯び、銃から魔砲を放った。どんな異能が込められていたのかは知らないが、そんなもの関係なく織の砲撃は壁を容易く破壊する。

 同時に、穴の空いた少し隣では壁が綺麗に切断されていた。ひょこっと顔を出したのは、振袖姿の愛美だ。彼女のドレスを持ってすれば、この世界に存在するあらゆる超常の力は無意味と化す。


「私が壊すから別にいいのに」

「ストレス発散ついでだ。次はあいつにぶち込む」


 未だ残っている映像は、驚愕であんぐりと口を開けた間抜けな顔のセルゲイを映していた。すぐにその顔を怒りに染め上げ、絶叫する。


『ネザーのやつらめ、不良品を渡しやがったな⁉︎ くそッ、だから私は反対したのだ! あんな得体の知れない連中と手を組むなど!』

「勝手に自白してくれてありがとう。詳しいことは直接聞かせてもらうぜ」

『ハッ! それは不可能だ! 貴様らはこの場所に辿り着くことすらできない!』

「とか言ってるけど?」

「わざわざ明言してくれる辺り、いい人じゃねぇか」


 瞳をオレンジに輝かせたまま、転移魔術を発動させる。

 次の瞬間には広い部屋へと移動しており、その奥に座っているセルゲイがまたしても間抜けな顔を晒していた。


 不可能を可能にする、あらゆる異能の頂点に立つ力。

 幻想魔眼。

 その存在を知らないのだから、こんな反応になるのも当然か。


「こうなれば、力で屈服させてやるわ!」

「あら怖い。どうする織?」

「愛美に手を出そうってんなら、許すわけねぇだろ」


 立ち上がったセルゲイは、当然のように石を取り込んでいる。十、いやもう少し多いか。これまで遭遇したやつらの誰よりも数が多い。その辺りはさすがと言わざるを得ないだろう。


「一応聞いとくぞ。その石を使って、なにを企んでる? なぜ愛美を欲しがる?」

「力だ! 貴様らには分からぬだろうが、私には力が必要なのだよ!」

「そうか、そりゃ残念だ」


 セルゲイが懐から銃を取り出す。織のグロックよりも一回り小さいそれは、第二次大戦の頃にソ連で開発された拳銃。マカロフだ。

 容赦なく発砲される。少し遅れてグロックの引き金を引けば、互いの中心で弾丸通しのぶつかる音が。壁に突き刺さった跳弾には見向きもせず、織は床を蹴って距離を詰める。


 数歩走ったところで、床に魔法陣が広がった。まるで足が縫い付けられたかのように動かなくなったかと思えば、ふくらはぎの辺りに蛇の紋様が刻まれる。


「ふはははは! 言っただろう、ここは我が城だとな! 備えていないわけがなかろう!」

「こんなもん……!」

「私の前で隙を晒すかぁ!」


 魔眼を発動させようとすれば、その隙を突いてセルゲイが発砲する。弾丸が肩を貫き、痛みに顔を歪めた。

 続け様に、蛇が刻まれた足にも激痛が走る。


「ガッ……! なんだ、これ……⁉︎」

「錬金術が到達しうる、至高の業が一つよ。永劫の痛みに苦しめ!」

「愛美! ヘルプ!」

「はいはい」


 情けなくも早速愛美に助けを求めれば、足元の魔法陣を両断してくれた。蛇は体から消え、痛みも治る。

 おそらくだが、あともう一匹の蛇を放たれていたらヤバかった。錬金術に蛇。つまり、無限や永続、循環の象徴たるウロボロス。


「悪い、助かった」

「まあ、織らしくていいと思うけど。啖呵切ったんだからあとは頑張りなさい」


 いや本当、威勢良く啖呵切って愛美に頼るとか、前から全く変わらなくて自分に呆れる。


 しかし頑張れと言われてしまったし、ここからは一人でなんとかするしかない。だってカッコつかないしね。もう手遅れだけど。


「やはり素晴らしい力だ、殺人姫! その力を我が物にすることが出来れば……!」

「させねぇって言ってんだろ!」


 瞳を橙色に輝かせ、再びセルゲイへと駆ける。未来視で罠のある場所は避けながら肉薄し、魔力を手元に収束。魔力剣を作って逆袈裟に振るえば、セルゲイは拳銃を錬金術で剣へと変えて織の剣を防ぐ。


「どうしてそこまで愛美に拘る! お前には賢者の石があるだろ!」

「私が力を持っていても意味がないからだ!」


 単純なパワーでは及ばず、押し切られて大きく後退する織。舌打ちしながらも魔法剣を投擲、弾かれる直前で術式が作動し、剣は網に変わる。

 セルゲイは魔力の斬撃をいくつも飛ばして網を斬るが、今度は切れたところから鏃となって襲いかかった。

 だが、小太りな体躯に似合わず俊敏な動きで、鏃は回避される。


「殺人姫の持つ美貌! そしてカリスマ! それらを兼ね備えてこそ、民を守り導くことができる!」

「そういうこと聞かされると、こっちの意志が弱っちまうだろうが……!」


 セルゲイは元軍人だ。国のため、民のために戦った誇りを、彼は未だ胸に持っている。

 いくらその手段が許されるべきものではないとしても、その目的は正しいものと言えてしまうのだ。


 しかし、その直後。魔術師は下卑た笑みを顔に浮かべ、邪な感情を瞳に宿して愛美を舐めるように眺めた。


「なにより、美しいものをこの手に収めたいと思うのは、男として当然の欲求だろう?」

「ああそうそうそう言うのが聞きたかったんだよそんな目で俺の女を見んじゃねぇぞぶっ殺す!! 位相接続コネクト!!!」


 魔力を解放する。賢者の石が持つ本来の力を稼働させた。室内だというのに風が吹き荒れ、織の体を光が包む。


 これは魔術ではない。用いるものが魔力だとしても、魔術よりも更に一つ上の次元にある力。

 この世界の法則を操る、絶対の力だ。


 光が晴れて現れたのは、裾が長く黒い燕尾服にシルクハットの姿へと変貌した探偵。

 胸元にはネクタイの代わりに、半透明の石が輝いていた。


 位相を操る力。

 その中でも一際異彩を放ち、最も強力なもの。それが、織のドレスだ。


未来を創る幻想の覇者レコードレス・フューチャー


 刹那。

 世界が、歪んだ。



 ◆



「なにを、した……?」


 床に倒れ臥すセルゲイが、震える声で呟いた。全く理解できない。なにが起きたのか、なにをされたのか、相対していたのは、何者なのか。

 傷はない。血も出ておらず痛みもない。その筈なのに、体は言うことを効かないのだ。


 織はすぐにドレスを解き、倒れたセルゲイへと歩み寄る。


「言ったところで、お前には理解できねぇよ。なにせ、俺だって未だによく分かってないんだからな」

「は、ははっ、なんだそれは……そんなやつに、私は殺されるというのか……」


 銃口を突きつければ、魔術師の口からは笑みが漏れた。なにもかもを諦めた者が漏らすもの、ではない。


 愉快げに、嘲るように、まるで策は成ったと、その笑顔が語っているかのように。


「ははははは! 遅い、遅いんだよ探偵賢者。もう、なにもかもなぁ!」

「お前、何を言って……」

「織!」


 愛美の呼ぶ声が聞こえ、咄嗟にその場から離れた。織のいた場所、倒れていたセルゲイの胸には、魔力で形成された鋭い槍が刺さっている。

 血が床を汚し、男の笑い声は止まっていた。


 自害したわけじゃない。あの槍は、ここにいない他の誰かの魔術だ。

 咄嗟に未来視を発動させて、数秒後に訪れる最悪の未来を視た。


「やられた……そういう事かよ畜生……!」

「なに、どうしたの⁉︎」

「嵌められたんだよ」


 外からバタバタと足音が聞こえ、愛美に説明するのも惜しんで外へ転移する。

 空中に出て地上を見下ろせば、何十人もの魔術師が屋敷を囲んでいた。さっきの足音は、そのうちの何人かが突入して来たのだ。


「ああ、そういうことね……最悪じゃない……」

「考えられる限り、な」


 首席議会の一人を殺した罪人。

 今の二人の立場は、そんなところだろう。

 セルゲイは、自分が死ぬのを知っているようだった。つまり、ロイ以外の首席議会、ネザーの息がかかった老人どもは、最初からこのつもりだったということだ。


 賢者の石を持つ二人を追い詰めるため、セルゲイ・プロトニコフは犠牲にされた。


 地上では魔術師たちが騒ぎ始めている。認識阻害を使っているから気づかれていないが、これから二人の捜索が始まるのだろう。


「一度屋敷に戻るぞ。もしかしたら、クリフォード邸はふつうに襲撃されてるかもしれない」

「その後は、一度どこかに身を潜めた方がよさそうね」

「ああ。日本支部に戻りたいとこだが、少し時間を置いた方がいいだろうな」


 そう決めて、すぐにクリフォード邸へと転移する。


 やはり予想通り、屋敷はすでに戦いの渦中にあった。学院から派遣された魔術師たちを相手に、ひとりの男が戦っている。

 その光景を見て、織と愛美は絶句した。

 だって、その灰色の髪は──。


「ん? ああ、戻ったのか」

「なんでいるんだよ、グレイ……!」


 憎き仇敵、灰色の吸血鬼グレイ。

 屋敷の庭で学院本部の魔術師を蹂躙しているのは、他の誰でもないそいつだったのだ。


 反応を探るも、ロイたちは屋敷にいない。あるいは、グレイによって既に……。


「安心したまえ。この屋敷にいた人間は全員無事だ。なに、私にとっても少し不都合が起きたのでね」


 襲いかかって来た魔術師を片手間で肉塊に変え、グレイはフランクに語りかけて来た。

 決して警戒は解かず、吸血鬼へ問う。


「ネザーか?」

「そうだ。首席議会は私も利用していたし、ネザーの息がかかっているのも理解していた。いやはやしかし、こんなにも早く動くとは思わなくてな。今貴様らがリタイアするのは私にとって都合が悪い、ということだよ」


 二ヶ月前、アメリカで話したことを思い出す。グレイはやけに、ネザーを敵対視していた。自分の記憶のこともあるだろうが、それ以上になにかを警戒していたのだろう。


 それがなにかは定かじゃないが、こいつとネザーの敵対関係は明らかだ。


「だから私たちを助けるって?」

「現状、私の中で警戒度が最も高いのはネザーだからな」


 言外に、貴様らの石はいつでも奪えるのだぞ、と。そう告げられた。


「そら、ここで言い合っている暇はないぞ。クリフォード邸にいた奴らは安全な場所、信頼できる者のところへ転移させている。貴様らもそこへ送ってやろう」

「待て、話はまだ──」


 言い終わるよりも前に、二人はどこかへ転移させられた。

 当然グレイが共に来るわけもなく、転移した先はまたぞろどこかのお屋敷だ。少なくとも、日本ではないのはたしかだろう。


「なんだったんだよ、あいつ……」

「今は敵じゃない、ってことかしら……味方ってわけでもなさそうだけど」


 なんにせよ、窮地は脱した、と考えていいのだろうか。

 いや、まだ警戒しておくべきだ。グレイの言葉が全て真実とは限らない。


「警戒は解いてくれよ、探偵。安心しろ、ここは安全だ」

「まあ、グレイから言われたら仕方ないと思いますけどね。でも大丈夫です、クリフォード邸の人たちは皆さん無事ですから」


 聞こえて来たのは、聞き覚えのある二つの声。まさかと思って視線を向けた先。エントランスの階段から降りて来たのは。


「怪盗アルカディア……」

「一ヶ月ぶりだな。仇敵に助けられた気分はどうだ?」

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