第76話

 共有された視覚は、いろんな景色をプロジェクターに映してくれた。


 蓮とカゲロウと一緒に授業を受けて、風紀委員会室で笑い合い、朱音やサーニャと楽しく雑談する。

 ここ数日は、ずっと。ついこの前まで葵自身がそこにいた光景を、見せつけられていた。


 そして今日。蓮とカゲロウ、龍の四人で向かった仕事先で。

 魔物との戦闘中に、叫んだ。蓮が、葵の名前を。


 そこに余計な意味を持たせる必要はないはずだ。ただ、彼はこの体を守ろうと咄嗟に叫んだだけ。私のことなんて、呼んでないはずなのに。


 それでも、嬉しかった。黒霧ではなく、葵と呼んでくれたことが。

 あの子じゃなくて、私の名前を呼んでくれたことが。


 流れる映像はそれだけじゃない。


『あの子達のことよ。好きなんでしょ?』


 表に出ている碧が発した問いかけ。それに対する蓮の答えは、予想外のもので。


『あの子達だけじゃない。碧もそこに含まれてるっていうのは、ちゃんと理解しててくれ』


 三人を引っくるめた黒霧葵として、彼は好いてくれてるのだと。あまりにも真っ直ぐな言葉を聞かされた。


 碧に言われて、ずっと考えていた。

 私は何者なのか。なにが残されているのか。

 けれど、共有された視覚から送られてくる映像を見るたびに、自分の居場所はどこにもないと痛感して。私なんか、いない方がいいんだって、思い知らされて。


 だって、みんな今のままで楽しそうじゃないか。いなくなった二人が戻って来てくれて、喜んでるじゃないか。

 だから私は、このまま消えていなくなった方がいい。そのはずなのに。


 蓮のあんな言葉を聞かされてしまえば、ただ一つだけの感情が残されてしまう。


「卑怯だよね、糸井くん。あんな風に言われちゃったら、碧だって照れちゃうよ」


 いつからそこにいたのか。

 自分と同じ顔の、けれど少しだけ幼く見える表情を浮かべた女の子が、近くの机に腰掛けていた。

 彼から黒霧と呼ばれ、彼に好かれていた、もう一人の私。


 黒霧葵という名前の、正しい持ち主だ。


「今の糸井くんの言葉を聞いて、どう思った?」

「どうって……」

「嬉しかった、でしょ?」


 頬を薄く染めてはにかむ彼女は、とても愛らしい。蓮から好かれるのも頷ける。

 それはきっと、私には出来ない表情だ。


「私のことも、碧のことも。あなたがシラヌイって呼ばれることも、吸血鬼の遺伝子を持っていることも。その全てを引っくるめたあなたのことが好きだって。彼は、そう言ってくれてるの」

「違う……」

「違わないよ」


 優しくも力強い言葉は、葵から否定の言葉を取り上げるのに十分だった。


 分かってる。この数日見せられた光景よりも、蓮のそのたった一言だけで、理解させられた。

 彼の感情も、自分の感情も。


 けれど、その感情こそが、葵を縛る鎖となってしまう。


 そうやって、蓮への気持ちがなければ、自分自身の存在すらも定義できない。

 あの時翠から言われた言葉が、今も胸の中に残っている。


 だから葵は、違うと否定し続けるのだ。

 こんな私だと、蓮に好かれる資格も、みんなと一緒にいていい資格もないから。


「大切なのは、どうするべきか、どうあるべきかじゃない。あなたがどうしたいのか、どうありたいのかだよ」


 残されたのは、シラヌイという記号と、胸の内で未練がましく残っているこの感情だけ。


 本当に?


 ダメだと思っていても、思考は逸れていく。

 ここで見せられていた映像。彼ら彼女らの笑顔は全て、この子に向けられたものだった。

 なら今まで、自分が表に出ていた時。朱音の、カゲロウの、サーニャの。なにより、蓮の笑顔は、好意は、どこに向いていた? 誰に向けられたものだった?

 そこにいたのは、一体誰だ?


「もう大丈夫そうかな」


 聞こえてきた呟きに、ハッと顔を上げる。

 机に腰掛ける彼女は、どうしてか少し寂しそうな笑顔を浮かべていて。


「ごめんね。私たちが、私たちの後悔と未練を残しちゃったのも、あなたが揺らいだ一因だと思う」

「そんなこと、ない……だって、あなた達は私の一部なんでしょ? だったらそれは、私のものでもあるよ」

「……うん。そうだね。その言葉が聞けたら、私たちはもういらないかな」


 目を丸くする。それはつまり、今度こそ二人が消えてしまうということで。


「意識してない? 無自覚だったら、それはそれでいいことなのかもだけど。今のあなたの言葉は、自分が何者なのか、ちゃんと分かってないと言えない言葉だよ」


 二人は、自分の一部なのだと。

 それはきっと、数日前の、二人が現れた時の葵からは、決して聞けない言葉で。


「でも、もうちょっとだけ待っててね。今度はちゃんと、未練を残さず消えるからさ」

「え?」

「残念だけど、ここから先は誰にも見せられないかな。あなたにも、碧にも」


 恥ずかしげにそう言って、彼女の姿が消える。同時に、プロジェクターはなにも映さなくなった。

 視覚の共有が切れたのだろう。彼女が果たしてなにをするのかは知らないけれど、言葉の通りなら多分、蓮となにかしら話をするはずだ。


 残された時間は、あと僅か。

 ならその間に、覚悟を決めなければならない。自分が何者なのか。どうしたいのか、どうありたいのか。

 それを決める、覚悟を。



 ◆



 二度目の魔物襲来以降は特になにも起こらず、あっという間に夜が訪れた。

 夕飯は案内係の男性が運んで来てくれて、それを食べ終えた頃にようやく龍が戻ってきたのだが。どうにもその顔は浮かないものだ。


「今から終わらせに行くぞ」

「え、今からですか?」

「ああ。俺たちは探偵でもなんでもないからな。推理パートなんてのは存在しない。速攻で終わらせる」


 とは言え、余りにも急だ。

 たしかにこの集落は不審な点が多い。消えた住人に、突然現れたらカゲロウを祀り上げるなど、どう考えても普通じゃない。

 だからといって今からことを起こすというのは、性急すぎないだろうか。


「さっきカゲロウとコンタクトを取ったが、ちょいと厄介すぎることになっててな。黒霧、お前も視たんじゃないか?」

「あのイノシシの魔物のことね?」


 カゲロウも碧も、イノシシの魔物になにかを視ていた。二人の異能は、一体なにを写していたのか。

 その答えは、蓮の想像を遥かに上回るものだった。


「あの魔物、元は人間よ。それも、消えたここの住人ね」

「嘘だろ……?」

「嘘じゃないわよ。たしかにこの目で視たわ。魔術的には偽装できていても、あたし達の異能は誤魔化せない」


 人間から魔物になる。それ自体は不可能ではない。事実として、吸血鬼は元々人間だという者が多い。

 魔物になる理由は多々あれど、しかし人が獣型の魔物になるなんて、聞いたことがない。


「一度視ただけじゃ分からなかったわ。演算を何度かやり直して、それからようやく視えた。プロテクトが掛けられてたのよ」

「それって……」

「ええ。あたし達と同じ異能じゃないと、不可能よ」


 この世に同じ異能を持っているものは二人と存在しない。

 ただし、一部例外が存在している。

 時間すら超越した転生者である桐生朱音か、もしくはプロジェクトカゲロウによって生み出された者か。


 つまり、ここにも異能研究機関ネザーの影がチラついているということだ。


「どうにもやつらの掌の上って感じで気にくわないが、今はそこを気にしている暇はない。問題は、あの北村とかいうやつの目的だ。神殿の裏に洞窟が隠されてたんだがな。そこに、ある魔物が封印されていた」

「そいつの封印を解くために、住人を魔物に変えて、神の力だなんて言って魔術を広めてたってことですか?」

「恐らくな」


 魔術師が魔力リソースを確保するには、いくつかの方法がある。その中の一つが、人間の魂を魔力へと変換するものだ。

 一般には禁術扱いされているのだが、裏の魔術師の中で最も普及している禁術でもある。故にその手段を取る魔術師は多く、これまでも相当な被害が報告されていた。


 一方で、魂ではなく生命力を吸収する術も存在している。

 魂を変換してしまえば、その一度で対象は死に至る。加減をすることが出来ないのだ。

 しかし生命力を吸収する場合、細かな調整が効く。仮に魂を変換しても足りない量でも、長い時間をかければ賄うことが出来るのだ。

 生命力は魂と違い、回復するものだから。


 集落の人々に魔術を広めたのは、それが目的だろう。魔術師は一般人よりも生命力が強い。そも魔力とは生命力の一種なのだ。

 いつぞやカゲロウに説明したように、一般人は魔力の蓋が閉じている。生命力がそちらに流れず、その分だけ魔術師は強い生命力を有している。


 そうして回収した魔力を、封印されている魔物復活に使っているのだろう。

 となれば、残された疑問は魔物に変えられた住人と、カゲロウのことだ。


「魔物に変えられたってのは、一種の儀式だったんだろうさ。魔術を広めるにしても、明確な敵を作らないとダメだ。その為に、一部の住人を魔物に変えた」

「でも、あの熊の魔物は? あいつらは純粋な魔物でしたよね」

「あいつらは後からやって来たやつらだ。住人を魔物に変えたことで、引き寄せられたんだろうな」

「ならあとは、カゲロウさんの方よね。わざわざあの人を神に祀り上げる理由がないわ」


 そう、カゲロウに関しては本当に謎なのだ。魔物云々に関しては、既存の魔術理論でいくらでも説明できる。

 しかし、カゲロウを神に祀り上げるのはどうにも納得できる理由が見当たらない。


 信仰によって力の増す魔術は、たしかに存在している。もしも北村がその類の魔術を使うのだとしても、しかしその信仰を北村自身に集めなければ意味がない。


「あいつ、神氣を持ってるんだったな」

「ええ。あたし達と、出灰翠って子もね」

「……神が力の源としているものがなにか、知ってるか?」

「信仰、ですか」

「そうだ」


 神は人々の信仰があってこそ、存在を許される。その信仰が強ければ強いほど、神の力、すなわち神氣も増す。

 だが、それで力を手に入れるのはカゲロウだ。北村にはなんの恩恵もない筈なのに。


「ここでネザーが出てくるってわけね」

「だろうな。プロジェクトカゲロウがなんなのから知らないが、カゲロウが祀り上げられてるのは、やつらの筋書きだろう。ったく、どこまで読んでやがんだよ」


 カゲロウがこの場に来ることを決めたのは、今日のことだ。なのに、ネザーはまるで事前にそのことが分かっていたかのように動いている。

 未来視でもなければ不可能だろう。


「この際理屈はどうでもいい。なにせ、仕掛けるなら早いうちに、ってことだ」

「魔物に変えられた人たちはどうします?」

「そこは黒霧の異能を頼るしかない」

「まあ、あの子がなんとかするわ。そこは任せなさい」


 ふと、碧の発した言葉のニュアンスに、違和感を感じた。

 彼女は蓮が黒霧と呼ぶ少女のことを葵と呼んでいたはずだ。あの子、と呼ぶのは、もう一人の、本当の黒霧葵を指した時だけだったはず。


 だがその違和感が明確な形を持つよりも早く、話は進んでしまう。


「俺は洞窟の魔物をどうにかする。見た感じ、封印も解けかけだったからな。カゲロウもこっちに連れてくから、教団の方はお前らに任せるぞ」

「今いる住人たちは、適当に記憶消すしかないわね」

「ああ。具体的にいつ頃からかは分からないから、ザッと半年分くらいは消しとけ」

「無茶言うわね……これは、カゲロウさんと分担するしかないかしら」


 それぞれのやる事も決まったところで、打ち合わせは終了。

 龍は先に家を出て、蓮と碧だけが再び家に残った。とは言え、二人もここに長く残っている理由はない。早速神殿へ向かおうとして、しかし。


「ねえ、糸井くん。ちょっといいかな?」


 突然表に出て来た葵に、呼び止められた。


「いいけど、どうしたんだいきなり?」

「多分、私と碧はもうそろそろ消えると思うから。その前に、話しておこうと思ってさ」


 何気なく発せられたのは、決して聞き逃せない言葉。

 目の前の少女が、また消えてしまうと。それは蓮にとって、酷く残酷な宣言で。けれど、思っていたほどのショックがなかったのは、半ば予想できていたからか。あるいは、蓮の心情の変化によるものか。


「そっか……」

「ごめんね? せっかくまた会えたのに、またいきなりで」

「いや、いいよ。今はもう、分かってるから」


 この子も、碧も。黒霧葵の一部なのだと。

 決して消えていなくなるわけじゃない。一つに溶け合って、彼女の中で生き続けるのだと。今はもう、知っているから。


 だけど、どうしてだろう。鼻の奥がツンとする。言いようのない感情が胸を衝く。眦に雫が溢れて、零れるのを止められない。


「今すぐに消えるわけじゃない。でも、あの子はもう、覚悟を決めたから。だから私たちの役目はお終い。その前に、糸井くんにちゃんと、言いたかったから」


 ちゃんとお別れができなくて、それだけが心残りだったと。そう言っていた。

 分かっていたはずだ。いつかまた、別れる時が来ると。今度はちゃんと、お別れをするんだと。

 決めていたはずなのに。葵はもう、決めているのに。


「ごめんね。ずっと、見て見ぬ振りを続けて。糸井くんの気持ちは分かってたのに、言い訳ばかりして逃げてたんだ。でも多分、これが最期だから。ちゃんと言う。待っててって言われたけど、碧も言ってたでしょ? 女の子は、いつまでも待ってられないの」


 イタズラな笑みを浮かべた葵は、けれど少しの寂しさを感じさせる。もうすぐいなくなるのだと、嫌でも伝わってくる。

 その笑顔が、酷く柔らかで優しいものに変わって、小さな口が言葉を紡いだ。


「私、糸井くんのこと、好きだったよ」

「……俺も、黒霧のこと……!」


 続く言葉は、吐き出すことを許されなかった。距離を詰めて来た葵に、唇で遮られたから。

 離れていく彼女の顔は真っ赤で、えへへ、と可愛らしくはにかんでいる。

 何が起こったのか、すぐに理解出来なかった。ただ目の前で笑む女の子を見つめて、少しでもその顔を目に焼き付けることに精一杯で。


「そこから先は、まだ言わないで。ちゃんと、あの子に言ってあげて? 私は、これだけで十分だからさ」

「うん……そうだな……」


 間違えるな。履き違えるな。

 自分のこの感情を向けるべき先を。

 ちゃんと自分を見つめ直して、ちゃんと決めたことじゃないか。

 ああ、そうだ。俺が好きなのは、この子も含めた黒霧葵だ。ならばこれより先の言葉は、黒霧じゃなくて、葵に向けるべきだ。


 だから、この子に言うべき言葉は。


「ありがとう、黒霧。俺のことを、好きになってくれて」

「私こそ、ありがとう。私達のこと、好きになってくれて」


 別れは、これで済ませた。

 ならばあとは戦いに赴くだけだ。



 ◆



 神様扱いされるのも考えものだな。

 あてがわれた神殿の一室で寝転がるカゲロウは、天井を眺めながらため息を吐いた。


 豪華な料理を振舞ってくれるのはいい。特に毒なんかが入っていたわけでもなかったし、ふつうに美味いものばかりだった。

 若い女を寄越すのも構わない。カゲロウだって男だ。五十年生きてるとはいえ、吸血鬼の感覚で言えばまだまだ若造。そこまで枯れた覚えもない。


 ただし、ここの住人の態度はいただけない。

 こんな山奥にある限界集落としては、比較的平均年齢は低い方だろう。一番下で三十代前後、最も多い年齢層は四十から五十と言ったところか。そんな彼らは、多くの相談事をカゲロウに持ちかけてきた。


 やれ都会に住む孫が心配だの、畑の収穫がどうだの、病気になりたくないだの。

 あまりにも神に頼りすぎだ。


 人間とは、自分の足で生き、自分の意思で未来を決めることができる生き物だ。艱難辛苦を乗り越えるだけの知恵と力を有している。先人たちはそうやって時代を築き上げ、今の世の中があるというのに。

 自分の力で解決しようとはせず、なにかあれば神頼み。それがもたらすのは、ただの停滞だ。この集落には未来がない。


 とはいえ、聞けば元々、この集落はすでに限界を迎えていたみたいだが。北村たちが来て、終わりを先延ばしにされたに過ぎない。


 もう一度ため息を吐き、立ち上がる。夕方に龍と打ち合わせた時間はもうそろそろだ。

 気配を消し部屋から出て廊下を歩いていると、曲がり角の向こうから話し声が聞こえて来た。二人分の影が伸びていて、それを異能で視る。

 半ば予想通りの二人組に、苛立たしく舌打ちした。


「首尾は上々。カゲロウには信仰が集まっています。神としての力も、かなり増していることでしょう」

「シラヌイの様子は?」

「特に変わりないですね。まだ引きこもったままのようです」

「では、引き続き経過観察をお願いします」


 北村のことを視た時に分かりきっていた事実だが、こうして改めて目の当たりにすれば、舌打ちの一つもしたくなるというもの。

 果たして自分たちは、どこまでネザーの掌の上なのか。


「よう、面白そうな話してんじゃねぇか」


 曲がり角の向こうに、一歩進み出る。

 そこにいたのは北村と、灰色の髪にフード付きのマントを羽織った少女、出灰翠。


「こ、これはこれは! いかがなされましたかな、我が神よ」

「お前はちょっと黙ってろ。俺はそっちの女に話があるんだよ」


 この期に及んで白々しい。ほんの一瞥くれてやれば、北村はそれだけで押し黙ってしまった。こいつ自体は大した魔術師じゃないからだ。賢者の石も持っておらず、ただネザーの後ろ盾と、神殿の奥に隠してある魔物が厄介なだけ。

 カゲロウとの実力差は弁えているのだろう。


「話、ですか。なにを聞きたいのですか? プロジェクトにまつわる事? 銀髪の吸血鬼に関する事? それとも、自分の記憶について?」

「んなことはどうでもいい。お前、あのチビに随分と大層な口叩いたらしいな」

「シラヌイのことですか。わたしは彼女に真実を教えたまでです」

「違う」


 発せられた強い否定に、翠が片眉を釣り上げて怪訝そうな目を向けた。

 この少女には分からないだろう。自分をネザーの駒としか見れない翠には、分からない。


 カゲロウは今、怒っているのだ。


「シラヌイなんて名前じゃねぇ。あいつは、黒霧葵だ」


 まさしく一触即発。怒気を含んだカゲロウの声に、しかし翠は一歩も退くことなく。どころか、嘲笑混じりの言葉を吐いた。


「あなたたちがそう呼んだところで、彼女がシラヌイとして生まれた事実は変わりません。なにより、今の彼女がそう呼ばれることを望むとは思えませんね」


 それをキッカケに。

 カゲロウの怒りは、限界を迎える。


「それ以上、オレの仲間をバカにするんじゃねぇよ」


 瞬間。

 白と灰の翼が、激突した。



 ◆



 蓮と葵が神殿へと走っている最中。その神殿の方向から、二つの影が上空に飛び出して来た。

 白と灰の二色。

 龍と合流しているはずのカゲロウと、この場にいるはずのない出灰翠だ。


「あの子が出灰翠ちゃんか」

「なんでここに……いや、それよりカゲロウは洞窟の方に向かってもらわないと」

「なら私たちに任せて。碧、行くよ」


 氷の翼を広げた葵が、上空へ向かう。

 心配ではあるが、今は止めるべきじゃない。それぞれの役割を全うしなければ。

 カゲロウが神殿の裏にあるという洞窟へと飛び去ったのを確認して、蓮も神殿へと急いだ。

 そう広くない集落だ。あっという間に辿り着いた神殿の中へ入り、昼間に案内された大広間へと踏み入る。

 予想通り、北村はそこにいた。


「まさか、あの中で一番弱いやつが一人で来てくれるとは。不幸中の幸いと言うべきかな?」

「あなた達の目的はなんだ……なんのために、この集落の人たちを……!」

「魔の探求と、我らが神の復活。それ以外の答えなどない」


 短いやり取りを交わした後、部屋の四方にカルト教団のメンバーが現れる。数は三。元々多くいたわけでないが、さすがに少なすぎる。残りは洞窟の方に向かったのだろう。


「全て、上手くいっていたんだ。ネザーの協力も得た。カゲロウとか言うやつを利用して、信仰も効率よく集まった。貴様らさえいなければ、今すぐにでも我らが神の復活は成し遂げられるのだ!」


 北村の怒号が合図となり、三方向から敵の魔術が肉薄する。床を転がってなんとか回避し、意識を研ぎ澄ませた。


 大丈夫だ、落ち着け。

 俺は強い。少なくとも、この場にいる四人より。自分の実力を正確に把握しろ。出来ること、やれることをしっかりと成し遂げろ。


 腰の剣を抜いて、魔力を練り上げ術式を構成する。

 次の魔術を放とうと詠唱を始めている左の敵に向かい、徐に左手を伸ばした。指先から放たれる超硬度の糸が、鏃となって身体を穿つ。その身体に糸を固定し、力任せに振り回す。後方にいた敵がそれに巻き込まれ体勢を崩し、駄目押しに魔術を発動。二人の頭上に展開された魔法陣から糸が射出され、身体を縫い付ける。


 残った一人は手にナイフを持って果敢に肉薄してくる。

 だが遅い。いつも打ち合っているカゲロウと比べると天と地ほどの差だ。

 冷静にその動きを見極め、ナイフを持っていた手を剣で斬り落とした。続け様に強化した脚力で蹴り飛ばし、他の二人と同じく糸で縫い付けて動けなくする。


 一分と経たず、北村以外の敵を戦闘不能に追いやった。

 これが蓮の実力だ。ただの魔術師相手だと、決して苦戦することはない。


「残ったのはあなただけだ。部下を連れて、この集落から出て行け」

「それを聞くと思っているのか?」

「思わないさ。でも、あなたが俺に勝てないのも、分かっただろう」

「それはどうかな?」


 北村が不敵に笑う。この状況でまだ余裕を持てることに疑問を感じていれば、外がやけに騒がしくなっているのに気づいた。


「教主様! 一体なにがあったのですか!」

「我らが神は無事なのですか⁉︎」

「姿をお見せください! 教主様! 我らが神!」


 集落の住人たちの声だ。

 戦闘の音に気づいて、この神殿にやって来たのだろう。

 そして、気づく。北村の目的を。


「まさか……!」

「遅い!」


 既に魔力の準備は完了していたのだろう。展開された魔法陣から、魔力の槍が放たれる。そのまま突き進めば、神殿の外にまで届き、そこにいる住人たちへと襲いかかる一撃。


 思考の余地もなく駆け出して、槍の軌道上に躍り出る。右手の剣を振るい槍を弾いて、上空へと逸らした。


 マズい。

 理解していても、身体が追いつかない。槍を弾いたことで出来た決定的な隙。それを敵が見逃してくれるはずもなく。

 続けて放たれた槍が、蓮の脇腹に突き刺さった。


「ぐッ……!」


 槍の勢いは殺せてはいるものの、一気に力が抜けて背中から床に倒れる。

 部屋の外から、足音が聞こえて来た。少しもしないうちに、集落の人々が現れる。


「教主様、これは一体……」

「我らが神はどこへ⁉︎」

「彼は神の遣いではなかったのですか!」


 ダメだ、状況がどんどん悪い方に転がっていく。今の北村に、集落の人々を生かしておく理由はない。蓮を確実に殺すため、苦しめるため、彼らへ矛先を向けるだろう。


「ふん、お前らももう用済みだ。ここで殺してしまうかな」

「させない……!」


 剣を杖代わりに立ち上がり、伸ばした左手から糸を放つ。しかし容易く躱され、住人たちへと魔力の槍が放たれた。

 なんとか足を動かし、痛みに顔を歪めながらも槍の前に立って、魔力を振り絞り防護壁を展開する。


 この一撃はなんとか防げた。でも、次は分からない。


「何故、そうまでしてこいつらを守る? こいつらが死のうが、貴様には関係ないだろ」

「あなたには、分からないさ」


 人の命を魔術の燃料程度にしか考えていないこいつらには、絶対分からない。


 手を伸ばせば、届く。


 ただそれだけ。それだけの理由で、蓮は出会って間もない、碌に交流もない人々を守る。


「この手が届くなら、そのための力があるなら。俺は絶対に諦めない」

「ガキが……正義のヒーロー気取りもここまでだ!」


 北村が魔法陣を展開する。これまでよりも多くの魔力が込められたそれは、この場の全員を一度に殺せるだけの魔術を放つだろう。


 それでも、蓮は諦めない。

 手を伸ばしことを、決してやめない。

 大切な女の子を守ると決めた。それだけの強さを欲した。

 例え背後にいるのが、見知らぬ他人なのだとしても。この手が届くのなら──!


「気取りじゃない、なるんだ。俺は、ヒーローっていうやつに!」


 叫びに呼応して、黄金の魔力が迸った。


 まさしく魔術を発動する寸前だった北村も、脇腹から血を流し続ける蓮も、その背中に守られた人々も。皆一様に、目を疑った。


 神殿の屋根を突き破り、空から一振りの剣が飛来したから。



 ◆



 神殿の裏にある洞窟。その奥には巨大な結晶が浮いていた。結晶の中で眠っているのは、三つ首のドラゴンだ。


「これ、どうやって殺すんだ?」

「聖剣ぶっぱで終わる」

「脳筋じゃねぇか……」


 龍の答えに呆れつつも、カゲロウは異能を発動した。

 そもそもカゲロウが龍と合流しなければならなかったのは、この封印を一度解くためだ。そして、中にいる魔物を殺しきる。

 封印を強めたところで、いつかまた目覚めようとする時が来てしまう。ならここで殺した方がいい。


 演算を開始し、異能を発動させる。

 やがて結晶にはヒビが入り、それが徐々に広がって、十数秒のうちに完全に割れた。


「■■■■■■■■ーーーーーーー!!!」


 洞窟内に轟く咆哮。腹の奥底まで響く音に、思わず耳を塞ぐ。鼓膜がイカれそうだ。

 しかし傍に立つ龍はひるむ様子もなく、右手に一振りの剣を現出させる。


 聖剣エクスカリバー。


 かのアーサー王の愛剣であるそれは、正しき者しか持てないと言う剣だ。

 その力は絶大。邪悪な者を選定し、容赦なく斬り伏せる。また、持ち手の魔力を増大させ、その正しき心を黄金の魔力として放つことができる。


 そんなエクスカリバーが。

 不意に、龍の手を離れた。


「ちょ、おい! なにやってんだよ!」


 突然得物を手放した龍に問いかけるも、目を丸くしている龍は、呆気に取られている様子だ。

 だが、すぐに納得したような顔になって、どこか嬉しそうな笑顔すら浮かべて呟いた。


「やっぱりな。あいつなら使えると思った」

「言ってる場合か! あれどうすんだよ⁉︎」

「落ち着け。武器ならいくらでもある。とりあえず、糸井には帰ったらあっちを使わせるか」



 ◆



 飛来した黄金の剣は、蓮も見覚えのあるものだ。

 今は洞窟にいるだろう剣崎龍、正確にはアーサー王が持つ選定の剣。


 龍の持つそれは、転生者として彼が持ち越した力の一部。現代にあるこの剣を、蓮は引き抜けなかった。

 しかし、確信がある。今ならこの剣を使えるという、根拠もない確信が。


 持っていた剣を腰の鞘に戻し、徐に右手を伸ばす。


 黄金に輝く正義の力が、蓮の手に収まった。


「な、なんだ、その剣は……その力は……⁉︎」


 脇腹の傷がひとりでに治る。消耗した魔力は回復して、それどころか、本来蓮が持っている魔力以上に増幅する。


 目にした未知の力に、この集落を狂わせたカルト教団のリーダーは、目に恐れの色を濃く映していた。

 半ば混乱したままに、北村は魔法陣から魔術を放つ。これまでのどれよりも強力な槍は、しかし蓮が聖剣を一振りしただけで両断された。


「これは、守るための力だ。あなたみたいな人から、弱い人たちを守るための!」


 両手で上段に構え、剣に魔力を込める。

 誰を何に聞かずとも、この剣の使い方が分かる。ただ己の心に従って、振り下ろせばいいだけだ。


 守りたいと。

 その心一つあれば、聖剣は力を発揮する!


選定せよ、黄金の聖剣エクスカリバー!!!」


 振り下ろされた剣から、黄金の魔力が迸る。敵の身体を飲み込んだそれは、勢いを止めることなく神殿の壁を突き破り。

 まるで流れ星のように、夜空へと一直線に伸びた。


 光が晴れたそこに、敵の姿はない。

 黄金の魔力が齎す膨大な熱量に、死体すら残らなかったのだろう。


 とにかく、これでカルト教団のリーダーである北村は倒した。あとは集落の人たちの記憶を消して、魔物にされた人たちも元に戻せばいい。

 洞窟に封印されてる魔物は、今頃龍とカゲロウがどうにかしてくれているだろう。


 なによりも心配なのは、まだ上空で戦っているだろう彼女。

 まだ神殿の中にいた集落の人たちを一旦避難させて、神殿から出た蓮は上空を見上げる。それと同時に。


 空からツインテールの少女が落ちてきた。


「黒霧⁉︎」


 急いで駆け寄るも、葵は意識を失っている。氷の翼は無残に砕けて消えていき、白く染まっていたツインテールは元の色を取り戻していた。


 遅れて、葵が戦っていた相手、出灰翠が地上に降りてくる。

 咄嗟に剣を構え、葵を庇うように立つ。そんな蓮に、翠の無感動な瞳が向けられた。


「聖剣の新しい担い手ですか。今、あなたに構っている暇はありません。そこを退きなさい」

「そうはいかない。俺はこの子を守るって、決めてるんだ」


 そのための力が、今はこの手にある。

 聖剣から齎される魔力さえあれば、目の前の灰色の少女とも戦える。


「シラヌイにそこまで固執する理由が分かりませんね。彼女はプロジェクトカゲロウによって生み出された、人間と吸血鬼の混ざり物。あなたたちとは違う存在なのですよ」

「そんなのどうだっていい!」


 叫びながら展開した魔法陣から、魔力の糸を射出した。それをハルバードで容易く弾いた翠へと肉薄し、剣を振るう。

 聖剣によって増幅した魔力を全力で稼働させ、吸血鬼の膂力と真っ向から鍔迫り合う。それでも押し切られてしまい、横薙ぎの一撃をバックステップで躱した。


「プロジェクトとか、混ざり物とか、俺には関係ない。この子は黒霧葵だ! 俺が好きになった、世界でたった一人の女の子だ!」


 さっきの一撃をもう一度撃てるかと聞かれれば、首を横に振らざるを得ない。いくら魔力が増幅されているとはいえ、それにも限度がある。

 それでも、この場所は譲らない。


 今度こそ、彼女を守ってみせるんだ。


「わたしには理解できない感情ですね。もういいでしょう。諸共消すとします。顕現せよ、火天アグニ


 炎の巨人が、現れた。

 それは神話に語られる、あらゆる火を統べた神。いくら聖剣を持とうが、ただの人間には到底敵うことが許されない相手。


 それでも、蓮は剣を握る手に力を込めた。

 力を振り絞り、刀身に黄金の魔力を纏わせる。神だろうがなんだろうが関係ない。


 さあ、ここが正念場だ。

 守り切ってみせろ。

 今度こそ、その手を彼女へ届かせろ。


 覚悟を決める蓮。その眼前に。


 黒い翼が、広がった。


「ごめん、蓮くん。ただいま」

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