第21話
愛美と背中合わせで雑談をすること、しばし。近くに時計なんてないので、どれだけ時間が経っているのかは分からないが、家にある漫画の最終巻予想で話が盛り上がっている頃に朱音が転移でやってきた。
敵はもういないからだろうか、ルーサーとしての仮面を外している。
「お待たせ、二人とも」
「結構遅かったわね」
「複数人で連携取られる相手は、ちょっと慣れてなかったから」
朱音がいた未来での敵は、主に魔物が相手だったし、グレイもあくまで奴単体だった。人間の魔術師が九人、それも巧みな連携を取りつつも攻められるのは、朱音にとってもあまり経験したことがなかったのだろう。
それこそ、織や愛美として生きていた頃くらいではなかろうか。
「それで、二人ともなんでここに? データってそこの部屋でしょ?」
「ちょっと休憩だよ。愛美がボロボロにやられてたから、俺はそのお守り」
「あれは私の勝ちでしょ」
「私たちの、だろ。俺がいなかったらヤバかったくせによく言う」
「そんなことないわよ。私一人でもどうにかなった」
「あれ、躱せてたのか?」
「腕一本犠牲にしたら」
「お前な……」
とんでない対処法に、織は呆れて何も言えなくなる。普通、思い浮かんでも実際にやろうとは思えない。今この場で平然と言ってみせても、実戦の最中に瞬時にその判断が下せるよりも前に、理性が働くはずだ。
けれど、愛美ならきっと、そうしてしまうのだろう。剣がなければ拳で、拳がなければ脚で、脚がなければその歯で噛み付いてでも。
「ほら、もういいからさっさと行くよ」
パンパン、と手を叩いた朱音が話を打ち切り、愛美の怪我を治療する。体力や魔力もある程度戻っているだろうから、これで取り敢えずは一安心だろう。
三人揃って長い廊下の続く先、そこにある部屋へと向かった。
扉を開けば、そこはいかにもな研究室。薄暗い照明と、地面や机の上に散らばった多くの資料。そして多数のモニターには、実験のログやデータが表示されていた。
「これ、全部か?」
「みたいだね。落ちてる資料も、モニターに映ってるログも、全部同じ実験に関してっぽいよ」
「こいつらを壊せばいいってことよね?」
興味本位でモニターに目を走らせる織は、気になる単語を見つけた。
この実験の目的とも言えるものなのだろう。大きく表示されたそれには、嫌でも目がいってしまう。
「幻想魔眼……?」
モニターには、ご丁寧にその幻想魔眼たら言うものについて、事細かく書かれていた。
数百年に一人現れる特別な異能。現実ではあり得ない事象を瞳に写し、現実に投影させる力。この研究所はどうやら、それを人工的に再現させるための実験を行なっていたらしい。
日本のみならず世界各国から孤児を集め、無理矢理に異能を発現させていた。
幻想魔眼とやらも十分インパクトのあるものだが、文字で書かれていてもイマイチその凄さが実感できない。
それよりも気になる文章が。
「おい待てよ。もしかしてネザーは、異能を後天的に発現させる技術を確立させてるってのか?」
「その前提で書かれてるみたいだから、そう言うことになるんでしょうね」
もしかしたらその件に関しては、この関西支部のみならず本部すらも関与しているのかもしれない。
織と愛美の視線は自然と朱音に向いていたが、未来から来た娘は首を横に振るだけだ。
「私も、こんなこと初めて聞いたよ。そもそも未来のネザーは、本当になんの力も持ってなかった。私が生まれた時点で、殆ど壊滅状態だったから。むしろ、どうしてそこから十四年も永らえていたのかが不思議なくらい」
可能性としては、二つ。
一つは朱音がいた未来でも、この技術は密かに確立されていた。そして敵がその技術に目を付け、存続を許されていた。
もう一つは、朱音が過去に遡ってきたことによるバタフライエフェクトだ。だがこの可能性は低い。朱音がこの時代に来たのは今年の三月のことであり、この実験は恐らくもっと昔から続いているだろう。これはログを確認すればすぐに分かることだ。
ならば、一つ目の方が可能性は高く、未来でその技術が悪用されることになってしまうのだが。
それにしたって、グレイが異能に纏わるなにかしらを行なったと言うことは、朱音から聞いていない。
「それより私は、この幻想魔眼ってやつの方が気になるよ」
そう言った朱音の瞳は、モニターへと釘付けになっている。
幻想魔眼。
大層な説明を書かれているが、つまりは不可能を可能にする異能だ。出来ないことが出来るようになる。あり得ないことがあり得てしまう。
その力があれば。恐らく、終わってしまった未来を変えることが出来るのだろう。確定してしまった、あの世界を覆すことが。
朱音からすれば、喉から手が出るくらい欲しいはずだ。
しかし今はこうして実験のログとしてその存在を確認したのみであり、もしかしたらこの世界のどこかで、既にこの力を発現させた者がいるかもしれない。
数百年に一人、というのが本当であれば、朱音の手には渡らないことになる。
「でも、実験を続けてたってことは、まだこの時代では確認されてない、ってことだよな」
「そうじゃないと、ここの研究所のやつらが報われないわね」
フッと皮肉げな笑みを浮かべた愛美は、手近な資料を手に取って見ている。その中で気になるものでも見つけたのか、織と朱音をちょいちょいと手招きした。
「これ、もしかしたらあなた達も無関係じゃないかもしれないわよ」
「は?」
「見てみなさい」
差し出された資料を受け取り、そこで踊っている文字列に目を通す。
曰く、異能とは魂に宿るものらしい。後天的に異能を発現させるには、魔術で魂を弄っているとのことだが、ここは織たちに関係ない。愛美が目を付けたのは、その先だろう。
目に宿る異能のことは、ネザーでは魔眼と呼ばれているらしいが、この魔眼は厳密な意味で言うと、どれも幻想魔眼と同じことをしているのだとか。
現実にはあり得ない事象を、目という媒介物を通して現実に投影させる。ただし、それぞれの持つ異能によって制限がある。
例えば織と朱音の未来視の場合は、見た未来を現実に投影させることに特化しているが、それ以外のものを見て投影させることは不可能。
この資料にある通りなら、空気中の酸素を操って爆発を起こしたり、神話にある石化の魔眼と全く同じ力もあったりするらしい。
その空間を視認しただけで空気を操る。
人体を石へと変える。
どちらも、現実ではあり得ない事象。魔術でならば可能かもしれないが、魔力を介さなければ不可能な事象であることに変わりない。
それを可能としているのが、魔眼だという。
そこまでなら、他の異能と特に変わりはない。愛美の切断能力だって、葵の情報操作だって同じだ。織が知っている限りで言えば、サーニャの氷結能力。グレイの物質創造。朱音や蒼のような転生者。
いずれも現実ではあり得ない、それどころか魔術ですら不可能な技を可能としている。
問題は、この資料の最後の一文。
魔眼を持つものであれば、誰もがその異能を幻想魔眼へと昇華する可能性を秘めている。
「異能が別のものに変化するって言うのか?」
「それこそ、聞いたことのない話だけど……」
「もしくは、元々ある力はその幻想魔眼ってのから漏れ出した力の一部に過ぎない、って可能性もあるわね」
考えても答えは出ない。元々異能なんてのは理解不明な謎の力だ。魔術のように確立された論理や理屈があるわけでもなく、ただそう言うものなのだと、これまで受け入れられてきた。
そこに明確な理論を定義してしまえば、それこそ魔術との境界があやふやになってしまう。
「ほら、さっさとここのデータ全部消すわよ。あなた達も無関係じゃないとは言え、実際にこれが発現する確率なんてとても低いんだから。頭の片隅に入れておく程度でいいでしょ」
「それもそうだな」
まさか、自分程度がそんな大それた力を発現させるわけがない。心の中でそう結論づけた織は、散らばっている資料をかき集める。データを全て消すのがしごとなのだから、この資料も燃やすなりしておかないといけない。
三人の中で一番パソコンに強い愛美がモニターの前に進めば、突然画面が移り変わった。
「やばっ……」
「ん?」
「どうしたの?」
織と一緒に資料を拾い集めていた朱音も、愛美の声に反応してモニターへと視線を戻す。
そこに表示されていたのは、データを転送しています、の文字列。
つまり、現在進行形で、この島のどこかに研究員の生き残りが潜み、データを横取りしようとしているのだ。
「待て待て、研究員は全員倒したんじゃなかったのか?」
「そのはずだったんだけど……外部からの干渉はあり得ないし……まさか生き残りがいた……?」
「考えてる暇はないわよ。さっさとそいつを探し出さないと」
愛美の言う通りだ。ここまで来て失敗しました、では笑い話にもならない。
「私は隣の居住棟、朱音はここ、織は外を見てきて。朱音、転移で織を飛ばしなさい」
「うん、分かった」
織の足元に転移の魔法陣が展開される。ホルスターから銃を抜き、残弾を確認。予備の弾倉はまだ残っている。魔力弾と併用していれば、弾切れになる心配はないだろう。
「織」
転移が発動される、その一瞬前。
愛美が、織の名前を呼んだ。
「いい加減、覚悟を決めなさい」
その言葉を最後に、織は朱音の転移によって研究所の外へと移動した。
愛美が何を言いたかったのかは、分かっている。織だって、半端な覚悟でこの仕事に臨んだわけではない。
「言われるまでもねぇよ……」
言葉とは裏腹に、織の心臓はバクバクと煩く鳴って止まなかった。
◆
異能研究機関ネザー、その日本関西支部が存在している島は、さほど大きな島ではない。東京ドーム一つ分よりも少し大きい程度だ。
研究棟と居住棟、研究棟の前にある、朱音が大暴れした広場。後は港が一箇所。
織が真っ先に向かったのは港だ。
普通なら、データを奪ってすぐに逃げようと考えるだろう。ならば船を停めてある港で作業していると考えられる。
死体が多く転がっている広場を抜ければ、港はすぐだ。停泊しているのは、小さなクルーザーが一つ。この島から逃げるには十分だ。
銃を構えながら慎重にクルーザーへと近づけば、中に灯りが見えた。
どうやら、織が当たりを引いたらしい。
もしも。もしも未来視を自在に操れていれば。きっとクルーザーの中にいる研究員も、殺さずに無力化することが出来るだろう。
だが、今の織にそれは出来ない。緋桜との戦闘に介入した時は発動したが、あれだって何故発動したのかすら分からないのだ。
ないものねだりをしても仕方がない。
足音を出来るだけ立てずにクルーザーのすぐ隣まで近寄れば、中からは話し声が聞こえた。
男性の声と、幼い少女の声だ。
この場には似つかわしくない組み合わせに一瞬疑問を覚えるも、そういえば先程見たデータの中に、孤児を集めていると書いてあったか。
恐らく、この研究所のどこかには今も何人もの実験体が残っているのだろう。その子たちをどうするのかも考えなければならないが、今はその時ではない。
小さく息を吸って吐き、織はクルーザーの中へと乗り込んだ。
「そこまでだ」
小さな居住空間の中。そこにいたのは、パソコンに向き合っている白人の男性と、包帯で目を隠された少女だった。
男性はパソコンから離した両手を上げ、ゆっくりと振り返る。
「ここのデータを盗んでるのはお前だな?」
「……そうだと言ったら、どうする? 僕を殺すか?」
思いの外流暢な日本語に、織は一瞬面食らう。男性の傍に座っている少女は、飛び出した物騒な言葉に困惑している様子だ。
「ねえクリス、なにが起きてるの?」
「心配しなくてもいいよ、ナナ。少し、お客さんが来ただけだ」
目の見えない少女には、状況が分かっていない。織はあくまでも威圧的に、外に出ろと顎で指し示す。
こんな幼い少女の前で出来るやり取りではなかった。
「ナナ、少しだけ待っていてくれ。直ぐに戻るから」
クリスと呼ばれた男性が頷き、立ち上がってパソコンを手にクルーザーの外へ出る。織は銃を下ろさず、その後ろに続いた。
下手な動きは見せないだろう。織が研究所を襲った犯人であるのは、クリスも知っているはずだ。そして、クリス以外の研究員が全滅していることも。
織の実力を知らないクリスからすれば、織は全くの正体不明。抵抗しようとしても殺される確率の方が高いと思ってくれている。
クルーザーから少し距離を離し、中に声が聞こえないところまで移動した二人は、少しの距離を置いて向かい合った。
「君は、魔術学院の生徒だな?」
「……まあ、制服でバレるよな」
魔術の世界に生きる者なら、学院の制服を知っていてもおかしくない。朱音のように認識阻害を掛けているわけでもないのだ。その程度はすぐに看破されて当然だろう。
「その通りなんだが、これは学院の依頼じゃなくて個人的な仕事でね。端的に言うと、お前が今持っているデータを消すために来た」
「そうか……残念だが、これは渡せない」
内心舌打ちをする。話が通じるやつだと思ったのだが、どうやらこいつも他の研究員と同じようだ。
中にいる少女も、実験体として使えるから連れ出した、と言ったところだろうか。
ともあれ、これで織には理由がなくなった。この男を殺さなくてもいい理由が。
「欲しければ、殺して奪うがいいさ。でも君にはそれが出来ない。違うかな?」
見透かされている。
当然か。織より一回りは年上に見えるこの男。ならば織よりも修羅場は潜っているだろうし、人生経験も豊富だ。
銃を握る手に、力が入る。
いい加減、覚悟を決めろよ、桐生織。
この世界で生きて行くと決めた時から、こういう未来が来ることは分かっていたはずだ。異能なんて使わなくても、分かりきっていたはずだ。
なら、やるべきことは一つしかない。
「本当に、そいつを渡す気はないんだな?」
「何度問われても同じだよ。そのつもりはない。欲しければ僕を殺して奪え。それが出来ないのなら、僕はこいつを持って本部に逃げるだけだ」
「……分かった」
グリップを握り直し、照準を定める。
短い会話が終わった後、港には乾いた銃声が響き渡った。
◆
依頼を片付け後処理を学院に任せた後、織たちは大阪の街に繰り出していた。
時刻は十七時を回ったところ。まだ夕方だから、道には多くの人が行き交っている。
「んー! 美味しいっ!」
JR大阪駅の高架下にあるたこ焼き屋で、この上なく幸せそうにたこ焼きを食べている朱音は、こうしていれば本当に年相応の少女にしか見えない。いや、実年齢よりも少しだけ幼く見えるか。
母親と同じく食べることが大好きな朱音だが、その境遇故か愛美よりも食の趣味は雑だ。
朱音は美味しければなんでもオーケー。愛美は割と拘りが強い。好き嫌いがあるわけでもないのだが、細かな味付けで口出しされたことが織は何度かある。
「たこ焼きってすごいね! 外はカリカリなのに、中はとろっとろでめちゃくちゃ美味しいもん!」
「そうかそうか。好きなだけ食えよ」
「うんっ!」
一人前八つ入りのたこ焼きを全て平らげた後、朱音は再びレジの方に並びに行った。この店は先に会計を済ませてたこ焼きを受け取り、中の席で座って食べる方式だ。
あまり長く居座っていたら店側にも迷惑だろうとは思うが、我が娘の食事風景が可愛らしくてもっと食べさせたくなるから仕方ない。
因みに、朱音は既に五人前を一人で平らげていた。店員さんもこれには苦笑い。
「最後のあれ、良かったの?」
朱音が座っていた席を挟んで、もう一つ向こうの席。そこに座る愛美から、唐突に問いが投げられた。
なにを聞いているのかは分かる。先程済ませて来た仕事の話だろう。
「良かったもなにも、あれが最善だったろ。あそこであの人を撃ってたら、俺は一生後悔してた」
港でクリスという男性を追い詰めた織は、ついぞ彼を撃つことが出来なかった。
その代わりに銃弾が貫いたのは、クリスが持っていたパソコンだ。データはあの中にしか入っていないと言っていた。その言葉を信じるなら、これで織たちは仕事を達成したことになる。
そして、クリスは信じるに値すると判断したのだ。他の研究員と同じだと、一瞬でも疑った自分を殴ってやりたい。
彼は、あのデータを持って本部に逃げ込むと言っていた。しかし今回の仕事は、他のどこでもない、そのネザー本部からの依頼だったのだ。実験を隠したい支部の人間が、わざわざ本部にそのデータを持ち込むだろうか?
前提として、本部が関西支部の実験を知ったのには、まず理由があるはずだ。例えば、支部の人間が本部に告発したとか。
おそらくはクリスこそが、本部に告発した張本人だったのだろう。
あの実験体の少女も、あの場からクリスが逃してやろうと考えていたのだ。少女はクリスを信頼している様子だったし、クリスも少女を気遣う様子を見せていた。
なら、クリスを殺す理由はない。むしろ殺してはいけない、あの支部での実験を本部へと伝えるべき人間だった。
ここまでの結論に一瞬で辿り着いたのだ。我ながら中々冴えていると織は思う。
「お前にあんなこと言われた結果がこれだからな。情けないやらなにやらだが、それでも後悔はしてない」
「そう」
二人の目の前では、店員が汗を流しながらたこ焼きをひっくり返している。そんなこと一つとっても、職人芸のように華麗だ。
近くに座る人たちは思い思い話に花を咲かせていて、誰も織たちの話を聞いていない。
鼻腔を擽るソースの匂いは、嫌でも食欲をそそらせる。
そんな、当たり前の街中。当たり前の日常。
誰もが死など程遠い場所で生きている。
「多分、俺はまだ誰も殺せない。その覚悟が、出来てない」
「甘いのね」
「だな。魔物ならいくらでも殺せるのに、人間ってなるとやっぱりダメだ」
服の下に隠れている銃を、そっと触る。
こいつは人の命を奪うための道具だ。そして織は、それを与えられた。ともすれば、この場の全員の生殺与奪を握れる力。
その力の使い方を、見誤りたくない。
なんのための魔術なのか。なんのための異能なのか。
なにを成すための力なのか。
それをゆっくりと見極める時間は、もしかしたらないのかもしれないけれど。
それでも、織にはこの先いくつもの選択肢が与えられるはずだ。今日のように、誰かの命がかかったものだってある。
その選択を間違えてしまおうと、決して後悔はしたくない。
「あなたの考えは甘いけど。それでも、嫌いじゃないわ」
「お前なら、容赦なく斬って捨てると思ったんだけどな」
「そんなことないわよ。悩むことは悪いことじゃないもの。悩んで、足掻いて、踠いて、苦しんで。そうして出した結論がどんなものでも、それは尊ぶべきものだわ。それがどこの誰の、どんな答えでもね」
そしてその答えをぶつけ合うことこそ、愛美が求める戦いだ。
互いの全てを、意志も理念も目的も命すらも掛けた、その果てにある殺し合い。
きっと、織には理解できない。出来ないからこそぶつかって、知ろうと思える。
それが人間というやつだ。
その果てが命のやり取りだとしても。
「ところで織」
「あ?」
「食べないなら貰うわよ」
「あ、おい!」
さっきから全然減っていない織のたこ焼きを、愛美が爪楊枝で刺して自分の口へと素早く運んだ。
シリアスな話をしてたと思えば急にこれである。いや、多分我慢できなくなっただけだこれ。さっきから織と二人で朱音の食事姿を微笑ましく眺めてるだけだったし、なんなら愛美の分も朱音に上げてたから、愛美もいい加減たこ焼きを食べたかったのだろう。
「お前な、食いたいなら自分の分また買ってきたらいいだろうが」
「面倒だもの。さっさと食べない織が悪いんじゃない」
言いながら、織の前に置かれていた器ごと自分の元に引き寄せる。
織だって久し振りに食べるたこ焼き、しかも本場大阪のたこ焼きを割と楽しみにしていたのに。
恨みがましく愛美を見つめていれば、ニヤリと口角が上がった。
「なに、そんなに食べたいの?」
「そりゃな。お前らほど食い意地張ってるわけでもないけど、俺だって腹減ってるんだよ」
「なら食べさせてあげる」
「は?」
「はい、あーん」
「ふごっ」
疑問符を浮かべ口を開けば、その口の中にたこ焼きが捻じ込まれた。
「あっふ! あふ、あふい!」
「大袈裟ね」
「あふいあふい!」
なんの準備もなく、唐突に熱々のたこ焼きを捻じ込まれたのだ。断じて大袈裟などではない。てかなんだ、この色気のないあーんは。某ダチョウの倶楽部なトリオ芸人じゃないんだぞ。
「んくっ……お前な、火傷したらどうするんだよ!」
「織なら大丈夫かなって」
「無駄な信頼を寄せるな!」
ついでに地味に恥ずかしい。織たちのことなど誰も気にかけていないとは分かっていても、こんな美人の女の子にたこ焼き食べさせてもらってることには変わりないのだ。
たしかに色気もクソもなかったが、好きな子に食べさせて貰うのは男のロマンでもある。そんなイベントを、こんな罰ゲームじみた形で済ませてしまったのは、かなり悲しいが。
色々と複雑な感情を込めて愛美を睨むも、くすぐったそうに笑うのみ。
畜生可愛いじゃねぇか。
どうにかして逆襲したいと考えた織は、愛美の元からたこ焼きを取り戻し、爪楊枝で刺してそれを愛美に向けた。
「せっかくだから、俺からも食わせてやるよ」
「あら、ありがと」
「え」
随分あっさり、パクッと口に入れてしまう愛美。織のように熱がりもせず、美味しそうにたこ焼きを頬張っている。
なんか、思ってたのと違う。
「いや、お前、なんかないわけ?」
「なにが?」
「だからさ、俺から食べさせられるのに、こう、羞恥心的なものは?」
「別にないけど?」
キョトン、と首を傾げた愛美は、本当になんとも思っていないのだろう。
再び口角を上げた愛美は、先程よりもいやらしい笑みを顔に貼り付けていた。さっきはニヤリだったのに、今度はニタァ、って感じだ。
「もしかして、織は私に食べさせられて、なにか思うところでもあったのかしら?」
「……」
「ま、こんな美少女からあーんされるんだもの。当然よね」
勝てない。小悪魔モードの愛美にはどう足掻いても勝てない。これで恋愛感情云々が全くなさそうに見えるのだから、男である織としては堪ったもんじゃない。
周囲の喧騒よりも重く響くため息を吐き出した織は、背後に気配を感じて振り返ると、そこにはニコニコ満面の笑みを浮かべた朱音が立っていた。
「やっぱり二人とも仲良いね。ラブラブだ!」
「おい。待て朱音ちょっと待て。それは語弊があるマジで」
「そう見える?」
「うんっ!」
「愛美も悪ノリしてんじゃねぇよ!」
そういえば昨日、朱音からはさっさと愛美とそういう仲になれ、と言われたか。
もちろん織としては吝かではないのだけれど、いきなりそんなことを言われてはい分かりましたとなるはずがない。
男の子には色々あるのだ。
いや、そもそも。織一人がその気になっても、結局大切なのは愛美の気持ちである。その辺りを無視するわけにはいかない。
「私、これサーニャさんにも食べさせて上げたいから、先に帰ってるね! 二人はデートでもしてから帰ってきたらいいから!」
「ちょっ、おい! 朱音⁉︎」
「じゃーねー」
銀色の炎が揺らめいたかと思えば、次の瞬間には朱音の姿が消えていた。
あの炎、こんな事に使うなら仕事中に使って欲しかった。
「全くあの子は……こんな所で力使うんじゃないわよ……」
「まあ、秘匿もクソもない世界だったろうからなぁ……」
さすがに道行く人にも今の炎は見られていたみたいだが、本当に一瞬だけだった。目の錯覚とでも解釈してくれるだろう。
こんな街中で転移の魔法陣使われるよりはマシだ。いや、それにしても人一人がこの場から消えた事実は変わらないが。
「で、どうする?」
「なにが」
「この後のことよ。朱音に言われた通り、デートでもする?」
「んぐっ……」
愛美から直接その言葉を発せられて、織の頬が俄かに熱を持ち出す。そんな織の様子が面白いのだろう。クスクスと笑う愛美は、その言葉に対して本当になにも思っていなさそうだ。
けれど、織からすれば逃す手はない。魔術絡み以外で愛美と出掛けたことなんて、それこそアーサーと出会ったあの日くらいしかないのだ。
たまにはそういうあれやこれやを忘れて、年頃の男女みたいに遊んでみてもいいかもしれない。
「それはそうと」
「まだなんかあるのか……」
そろそろ精神的なダメージが限界値に達して来ているのだが、どうやら愛美は追撃の手を緩めてくれないらしい。
さすが殺人姫。容赦というものを知らない。
やがて開いた口からは、唄うような言葉が紡がれて。
「あの子の言葉。案外、嬉しかったりしたかも、ね」
その発言に少しの間首を捻る織。
全てを察して織の顔が真っ赤に染まり、それを見た愛美がまた楽しそうに微笑むのは、後三分後の話。
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