第20話

「さて、どうやって島に潜入しようか」

「え、無策なの?」

「おう」


 大阪のとある海岸。大阪湾から瀬戸内海までを望めるそこに転移してきた織、愛美、朱音の三人だったが。

 認識阻害をかけられ正確な位置情報が分からない上に、侵入者を知らせる結界まで張っているらしい島へとどう潜入しようかと迷っていた。


 これは事前に学院側、延いては依頼主のネザーから提供されていた情報だったから、愛美はてっきりなにか考えがあるのだと思っていたのだが、実際はご覧の有様である。


「いざとなったら朱音がいるからどうにでもなるかなって」

「あんたね……娘に頼ってばかりでどうするのよ。恥ずかしくないの?」

「馬鹿言うな。使えるもんならなんでも使うぞ、俺は。朱音っていう最強の戦力がいるんだから、それこそ使わない手はないだろ」


 ここで勿体ぶっても仕方ないのだ。もっと言えば、織自身の変なプライドに拘る暇すら惜しい。

 勿論織だって、思うところがないわけではない。自分よりも歳下、しかも自分の娘に頼らざるを得ないとは、なんと情けないことか。ここは親らしく、ちょっとカッコいいところを見せたいとも思う。

 だが、それができれば苦労はしないわけで。


「じゃあ父さんの期待に応えちゃおうかな」


 ちょっと嬉しそうに言った朱音の瞳が、橙色に輝いた。焦点は合っておらず、ここではないどこかを見ている。

 そんな様子を見守ってしばらく、瞳の色が元に戻った朱音は術式を組み上げる。


「よし、これで大丈夫。座標は取ったから、直接転移で乗り込むね」

「今の、未来視か?」

「うん、そうだよ」


 織の異能であり、織自身は未だ上手くコントロール出来ず、その力の一端しか使えていないもの。

 それを朱音は、自分の意思で任意に発動してみせた。


「私たちの未来視は、ただ未来を視るだけじゃない。未来を引き寄せる力。望んだ未来を実現させる力なんだよ。とは言っても、なんでもかんでも思い通りってわけじゃないけどね」

「ある程度可能性の高い、自分に実現可能な範囲じゃないとダメ、ってとこか」

「いや、1%でも可能性があるなら、それを無理矢理引き寄せる。それから、割と直近の未来じゃないと発動しないかな。私の限界は三時間後まで。最初は三十分先がギリギリだったんだけどね。もちろん、今の父さんと同じような未来視も発動するよ」


 それが、織の異能の正体。蒼との特訓の際にその片鱗を見せていたが、改めて聞けば、なんとも強力な異能じゃないか。


 しかし、それでもひとつだけ疑問が残る。


「なあ。自分以外の、誰か他の未来を見ることってできるのか?」

「それはさすがに無理かな。あくまでも、自分の視点からしか見れない」


 ならば、あの日の夜。塾の帰りに見たあの未来は、一体なんだったのか。

 明らかに織の視点ではなかった。そう考えるには、あまりにも時間の辻褄が合わないからだ。そして実際にあの光景を見たのは、織ではなく愛美。

 自分ではなく、愛美の視点から未来を見たと、そう考えるのが妥当だろう。


 朱音は織自身でもあった。そして、その頃の異能を持ち越している。全く同じ異能を。

 ならば朱音の言うことは正しいのだろうが。

 どうにも気になって仕方がない。


「まあ、とりあえずはこの力をコントロールできるようになるところから、だな」


 織のその言葉に朱音が頷き、三人の足元に魔法陣が展開された。あとは魔力を放出して転移するだけだ。


「敵の戦力は、正直想定してたよりも多い。研究員の全員が戦える魔術師だから、島に入ると同時に結界が作動して、即戦闘になる。私が暴れて引きつけておくから、その隙に母さんは研究所に侵入。父さんは私と一緒ね」

「邪魔するやつは全員殺していいのね?」

「その辺は母さんの好きにしていいよ」


 殺すなと言いたかった織だが、すんでのところで言葉が出なかった。

 織の考えは、魔術世界では甘すぎる。相手はこちらを殺すつもりでかかってくるのだ。こんなことでは、いつか自分がやられかねない。それが分かっているからこそ、愛美にはなにも言えなかった。


 その覚悟が出来ていないのは織だけ。愛美にとっては日常茶飯事だろうし、朱音にいたってはよりシビアな世界で生きていた。


「それじゃあ、準備はいい?」

「……ああ」

「いつでも」


 ルーサーとしての仮面を付けた朱音に、頷きを返す。

 いい加減、覚悟を決めなければならない。

 誰かの命を、この手で奪う覚悟を。



 ◆



 朱音の転移で降り立った瞬間、島に警報が鳴り響いた。結界が作動したのだろう。

 あっという間に研究所内から白衣姿の魔術師が大量に現れる。中には銃器を持っているやつまで。

 その数、凡そ百五十。


「私が見た未来はここまで。これで中の研究員は大体外に出てきたと思うから、後はよろしくね」

「任せなさい。さっさと終わらせてくるから、私の分も残しとくのよ」

「お前が終わったらさっさと退散するに決まってるだろ」

「それは残念」


 肩を竦めた愛美を見て、朱音が一歩前へ踏み出す。敵も朱音の持つ強大な魔力は理解しているのだろう。既に臨戦態勢ではあるが、研究員達の間にざわめきが広がり、及び腰なやつまでいる。


「き、貴様ら、何者だ! 何をしに来た!」


 そのうちの一人、恐らくリーダー格であろう白髪頭の老人が声をあげた。

 だが、朱音に対する恐怖を隠せていない。声は震え、その老体は今にも崩れ落ちそうだ。

 仮面による認識阻害も、恐怖の一因となっているかもしれない。


「聞かれて素直に答えるとでも? そう思っているのなら愚かとしか言えませんが。それに、私たちが何をしに来たのかは、あなた達が一番理解しているのでは?」


 久し振りに聞く、ルーサーとしての声。言葉。そこにおよそ温度と呼ぶべきものは含まれておらず、かつて織たちに向けられていたものよりも冷たい。


 いや、それは朱音が敵意を向けていなかったからだ。

 だから、こうして娘の冷酷な姿を見るのは初めてのこと。


「実験データを渡しなさい。とは言っても、聞いてくれないでしょう。まあ、そこはどうでもいいですが。あなた達の意思など関係ないので」


 無慈悲な言葉とともに、魔力が練り上げられる。懐から取り出した銃を構え、銃口の前に魔法陣が展開した。


「私が撃ったら行って」


 頷いた愛美が、小さく詠唱して概念強化を纏う。それを確認した朱音はなんの躊躇もなく引き金を引いた。

 溢れ出る燐光。迸るのは極大の魔力砲撃。

 いわば魔力弾と似たような、魔力を純粋な力へと転化して放射状に攻撃を放つそれは、しかし魔力弾と違いれっきとした一つの魔術だ。ゆえに、その威力も桁違い。


 リーダー格の老人を始めとした敵の集団を飲み込み、見事に空いた穴へと愛美が駆ける。元々概念強化をかけた愛美の動きは、敵の誰にも捉えられない。

 その上で朱音の砲撃で混乱しているのだから、愛美を止めようとするものは誰もいなかった。


「今の出力じゃ研究所は壊れなかったか。さすがの魔術防御ですね。それは褒めてあげましょう」


 砲撃の着弾地点。研究所の扉の前には、大きな魔法陣、防御壁が展開されている。ネザーほどの大きな組織となれば、これくらいの防衛能力は当然なのだろう。まあ、愛美の異能によって扉は真っ二つなのだが。

 朱音はさして驚くこともなく、次の術式を構成していく。


「態勢を立て直せ! 敵は三人、残ったのは二人だ! 数で押すぞ! 中に入り込んだやつは少数で追え!」


 朱音の砲撃で全体の三割は倒れたと言え、やはり立て直しが早い。統率が取れている。

 だが、それを許す朱音ではなかった。今の声から指揮官クラスを瞬時に判断し、懐まで潜り込んで首を飛ばす。

 再び広がる混乱。返り血で汚れた仮面は、敵からすると死神にでも見えているのだろう。


 舞うように四肢を動かし、短剣で肉を裂き、弾丸で眉間を穿つ。

 まさに修羅のような動きで大勢の敵を圧倒する朱音は、これで本調子じゃないというのだから恐ろしい。


 これは自分の出番はなさそうだ、と思っていると、地獄絵図と化しているそこから三人の魔術師が抜け出してきた。

 逃すことなど許されるわけもなく、織がホルスターから抜いた銃で魔力弾を放ち、一人を気絶させる。


「悪いな。こっちも仕事なもんで」

「こいつ……!」

「落ち着け! こいつからはあの仮面みたいな魔力は感じられない。十分倒せるぞ!」


 めちゃくちゃ舐められてるじゃん。

 たしかに織の実力は、目の前にいる魔術師二人分もない。どちらか片方、あるいはそれ以下。まともに戦えば、数の利もあり向こうが有利だ。


 そう、まともに戦えば、だ。織には元からそのつもりなどない。


 二人の魔術師が術式を構成し、魔法陣を展開させる。放たれるのは魔力の槍。たしかな殺意を込めて放たれるそれは、なるほど強力なものだ。

 この組織が、研究員とは別にあまり戦力を置かない理由が分かる。二人とも、織より優秀な魔術師なのだろう。


 だが関係ない。戦いの勝敗を分けるのは、魔術師としての優劣ではないのだ。


「弱いやつは弱いなりに、戦い方ってのがあるんだよ」


 二本の槍を受け止めた織の魔法陣は、音を立てて容易く割れた。畳み掛けようと次の魔術を準備しようとする二人は、しかし直前でその動きを止めざるを得なかった。


 自分たちを囲む、いくつもの魔法陣を見たから。


連鎖爆発チェインエクスプロージョン


 轟音炸裂。


 土煙が上がり、余波の熱で陽炎が揺らめく。その音に気がついたのだろう。朱音に蹂躙されている研究員の集団から、何人かが織へと割かれる。


 連鎖爆発が直撃した二人は見るも無残な姿になっているが、死んではいないだろう。全身火傷程度で済んでるはずだ。


「今の俺に、どこまでやれるかね」


 一人で多数の魔術師を相手にするのは初めてだ。とはいえ、泣き言は言っていられない。むしろ、今の自分がどの程度の力を持っているのか、たしかめるいい機会だ。


「囲むぞ! 数の有利を活かすんだ!」

「させるかよ」


 実弾を牽制に放てば、織の背後に回り込もうとしていた研究員は足を止める。やはり、魔術よりも銃弾の方に怯えてくれるらしい。

 常に身近で耐性のある魔術よりも、こちらの方がより死を意識させるのだろう。


 魔力弾の中に時折実弾を交えながら、織は敵との距離を保つ。ただでさえ数的不利な状況なのだ。せめてこちらに有利な立ち位置はキープしておきたい。


 織を包囲するのは諦めたのか、敵の一部が詠唱を開始した。残った数人はそれを妨害されないよう、織に攻撃を続け、防壁を張る。


 たしかに織は中〜遠距離が主なレンジだが、それは織に限った話ではない。魔術師の殆どがそうなのだ。それは、この研究員たちも例に漏れず。


 幸いなのは、銃器で武装しているやつらは既に全員朱音が倒していたことか。魔力での攻撃なら事前に察知できるが、魔力も何も帯びていないただの銃弾は、織にとっても脅威だ。


「全員撃て!」


 詠唱が完了し、展開された魔法陣から数多の魔術が襲いかかる。魔力の槍が、あるいは砲撃が、はたまた火球や風の刃、氷の杭が、織の元へ殺到する。


 筋力を強化して攻撃から逃れつつ、織も次の術式構成を開始する。

 魔導収束はたしかに便利な魔術だ。魔術師相手ならば有利に立ち回ることができる。だが、さすがに数の有利を覆すほどではない。それは魔導収束云々というよりも、織の実力的に。


「数が、多い……!」


 経験値の圧倒的な不足。

 いくら強化をかけて逃げ続けようと、所詮織の動きは素人に毛が生えた程度のもの。

 この数の攻撃から逃げ果せるような動きを、織は知らなかった。


 魔力弾が足に当たり、走っていた勢いそのままに転げる。次いで氷の杭が肩に命中。鋭い痛みが織の術式構成を中断させる。


「がッ……!」

「今だ! 畳み掛けろ!」


 起き上がる間もなく、再び襲いかかるいくつもの魔術。背筋に冷たいものが駆け巡るのと同時、敵の攻撃はその全てが霧散した。

 より正確に言うなら、切断された。


 こんな真似をするやつ、咄嗟に思い浮かぶのは一人だけだ。

 しかし、彼女は今この場にいなくて。織の前に立ったのは、仮面をつけた己の娘。


「第三術式限定解放」


 空を切ったその右手に、銀色の紋様が浮かび上がる。魔力を帯びて輝くそれは、朱音の指先で魔術としての形を与えられる。

 サッカーボール大の、雷の弾が出現した。


深淵を覗き叫ぶ招雷クラマーレ・ヴィタル・アビス!!!」


 放たれた雷の弾は、先頭に立って指示を出していた研究員に着弾する。ただそれだけでも感電死してしまっているにも関わらず、次いで暗くなった空から降り注ぐ無数の雷が研究員の体を貫いた。その余波で、周囲にいた研究員も何人か巻き添えを食らっている。


 朱音の攻撃はまだ終わらない。

 天候すらも操る桁外れな魔術。それを見て逃げ惑う敵に対し、情け容赦なく追撃の手を打つ。


「第一術式限定解放」


 右手の紋様が、また銀色に輝く。

 島が熱気に包まれ、研究員たちの混乱が広がる。その熱よりも、自分たちが相対している敵の魔力にこそ、恐れているのかもしれないが。


顕現せし災禍の怒りイラ・ウェニーレ・アモン!!」


 上空に開いた魔法陣から、今度は巨大な火球が無数に降り注ぐ。それは織が相手していた研究員のみならず、先程から朱音が蹂躙していたであろう研究員たちの頭上にも。


 元素魔術、なのだろう。雷や炎を操っていることから、それはわかる。しかし、これほどの規模で発動するとなれば、それは一体どれだけの魔力と術式構成の技術が必要になるのか。


 未だ降り続ける火球に焼かれている研究員たちに、無機質な仮面から声が発せられる。


「誰の前で、誰に手を出してると思ってるんですか」


 だが、その声に返事をするものはいない。この島に在籍していた研究員は、今の二撃で全滅してしまっただろう。


「おーおー、こりゃとんでもない魔術だな。お前が最近噂の、ルーサーってやつか?」


 火球が降り止み、その熱と焼けた死体だけが残るそこから、声が聞こえた。


 現れたのは、二メートルはあろう黒人の男。その巨体と比べれば随分と小さく見える拳銃を肩に担ぎ、無傷でそこに立っている。

 その後ろにも、八人。老若男女様々だが、それぞれが得物を構えて立っていた。


 明らかに研究員には見えない。とすれば、ここに雇われたフリーの魔術師たちか。それも、裏の。


「やはり、限定解放では撃ち漏らしがありましたか」

「あいつら、どうやって……」

「防御に秀でた魔術師がいたんでしょう。それより、あなたは中に行ってください。あの人に危険が迫ってる」

「愛美に?」


 コクリと頷く朱音。あの愛美に危険が迫ってるなんて、もしや相当やばい相手とぶつかっているのだろうか。

 ここの研究員程度なら、織はともかく愛美にとっては脅威でもなんでもない。ならこいつらと同じ、雇われの魔術師ということになる。


「中に行くなら行っていいぜ。俺たちの興味は、そこの仮面だけだからな」

「らしいので。ここは構わず、先に行ってください」

「……お前、それ言いたかっただけだろ」

「バレました?」


 クスリと、仮面の向こうから笑みが聞こえる。

 朱音にとっては、この状況を迎えられただけでも、十分に価値のある仕事だ。

 今まで、両親の力になることが出来なかった。両親を助けることが出来なかった。

 でもここでは、それが出来る。共に戦うことが。織を救うことが。


「あれくらいの魔術師なら、どれだけ束になっても私には勝てません。さっさと片付けて私も向かうので」

「分かった。無理はするなよ」

「先に自分の心配をしてください」


 苦笑する朱音に魔術で治療してもらい、織は研究所の中へと走った。



 ◆



 研究所の中へと侵入した愛美は、とにかく下へ下へと降りていった。

 目的のデータがどこにあるのかは知らないが、こういうのは兎に角地下にあるものだ。なんかそれっぽい雰囲気の場所があるだろう。なんて曖昧な理由で。


 道中、愛美を追いかけてきた研究員と何度か交戦したが、実に呆気なく倒せてしまった。

 所詮は数だけの烏合の集、ということだろうか。

 久しぶりに強いやつと戦えると思っていただけに、内心ガッカリしながらも足を進める。


 そして最下層。地下五階に降りた時だった。

 愛美の表情が、歓喜に染まったのは。


「やはり来たか、殺人姫」

「あらあら、そういうあんたは、可愛い妹ほっぽってどこぞに姿を消したバカじゃない。こんな場所で会えるなんてね」


 広い廊下の先にいたのは、愛美にとって先輩にあたる人物。

 二年前まで魔術学院に在籍し、先代の風紀委員長を務めていた男。


「久しぶりだな、愛美。魔女は元気にしてるか?」

「ええ、元気も元気。昔みたいにちょっと落ち込んでる方がまだマシに思えるくらいね。そういうあんたこそ、元気にしてたのかしら。黒霧緋桜」


 そして、愛美や織の後輩たる黒霧葵の、兄でもある男だ。


 魔術学院卒業と同時に行方をくらませた緋桜は、これまでなんの足取りも掴めなかった。

 妹である葵にすら行く先を告げず、どこかへ姿を消していた。葵が風紀委員に入ったのは、緋桜を探すためだったのだ。


 もちろん愛美や桃も手を尽くしたが、まさかこんなところで会うことになろうとは。


「取り敢えず、なんでこんなところにいるのか聞いた方がいいのかしら?」

「まさか。お前がそんなことを気にするたまか?」

「あんたの妹に頼まれてるのよ。あんたを探せってね」

「そうか。なら、言うわけにはいかないな」

「殺してでも吐かせる」

「やってみろよ。お前が俺に勝てたことなんて、一度もなかっただろ?」


 会話が終わった、その次の瞬間。愛美は既に緋桜の懐まで肉薄して、右手の短剣を振りかぶっていた。

 あとはそれを振り抜くだけ。愛美の異能の前では、あらゆる防御が無に帰す。


 だがそれよりも早く、愛美の足がなにかに取られる。

 夥しい量の桜の花びらだ。ただの花びらではない。緋色の魔力で形成されたそれは、愛美の足を掴んで体を地面に叩きつけた後、廊下の向こうまで放り投げた。


「チッ……」

「相変わらず、速さの一点張りか。それだけじゃ勝てないって教えたはずなんだが」

「そっちこそ、相変わらず死神ごっこがお好きなようね。あの漫画、もう連載終わったわよ?」

「俺の中ではまだ続いてるんだよ」


 緋桜の指示に従い、緋色の桜が蠢く。その花びらが斬れ味の鋭い刃となることは、愛美も知っている。だが、それこそ愛美の異能と正面からぶつかれば、打ち勝つのは愛美の方だ。


 時に躱し、時に斬り伏せ、脳に概念強化をかけて体術をフルに発揮しながら、少しずつ緋桜への距離を詰めて行く。


 二年前までは、たしかに一度も勝てたことがなかった。何度も挑んで、何度も返り討ちに遭い、蒼の元で修行した後も変わらず。

 しかし、二年前と今では違う。愛美も成長している。強くなっている。


 なにより、久しぶりの強者との戦いは、やはり楽しい。


「これこれ! この感覚が欲しかったのよ、私は!」

「やっぱりお前は、相変わらずだよ!」


 残忍な笑みを浮かべながらも肉薄してくる愛美に対して、緋桜は己の魔力を込めた花びらを放ち続ける。

 相手から溢れ出るのは明確な殺意。こちらは顔見知りのよしみで、命だけは奪わないでやろうと思っていたのに、向こうはそんなのお構いなしだ。


「集え」

緋桜一閃ひおういっせん


 短い二つの詠唱が、交錯する。

 愛美の短剣に魔力が流れ、長い刃を形成した。対して緋桜の手元には緋色の桜が収束し、和弓へと変化する。


斬撃アサルト二之項フルストライク!」


 放たれるのは絶死の一撃。

 概念強化によって必ずその首を斬り落とすべく、物理法則や人間の身体の構造すらも全て無視して、魔力の刃が緋桜へと迫る。


 だが、振り抜いた短剣は空を斬るだけに終わった。

 そこにいたはずの緋桜が、いない。残っているのは、黒い霧のみ。


「言っただろう。お前は相変わらずだと。二年前からなにも変わっちゃいない」


 背後から聞こえた声。振り向いた時には、遅かった。

 和弓に番えた矢には、濃密な魔力が込められている。それを力一杯引き絞り、ゼロ距離から放たれた矢が華奢な身体を吹き飛ばした。


 愛美が勢いよく激突した先は、どこかの部屋へと繋がる扉。

 背中は強打したが、寸前で受け身を取ったことで後頭部は守られた。

 矢も、刺さってはいない。愛美の体術は、あらゆる状態からあらゆる動作に派生可能だ。

 それに加えて、斬撃アサルト三之項フルフォートレスという魔術が間に合った。これは他の斬撃系統の概念強化と同じ。無理矢理にでも短剣で防御する魔術。

 ただ、異能で防御出来ず、刃の側面で攻撃を受け止めたため、短剣は刃が折れて使い物にならなくなっていた。


「ああ、もう……! あんた弁償しなさいよ!」

「家に言ったら新しいのくらい用意してくれるだろう。それで我慢しろ」

「特注品なのよ、この剣は!」

「それが折れて使い物にならなくなったわけだが、どうする? まだ続けるか?」

「当たり前でしょ」


 剣は折れても、まだこの拳がある。この脚がある。愛美の中の闘志は、まだ消えていない。

 朱音と初めて戦った時以来なのだ。ここまでの高揚感を、戦いの中で覚えるのは。


 ああ、本当に。笑いが止まらない。楽しい。自分よりも強大な相手と命を削り合い、奪う。他の誰にも理解されない、私だけの楽しみ。生きる糧。


「さあ、やりましょうよ緋桜。殺し合いを続けましょう。どちらかの命が消える、その瞬間まで! 燃やして燃やして、燃やし尽くしましょうよ!」


 殺人姫が、駆ける。

 まるで獣のような動きで、本能のままに。身体の関節は至る所が悲鳴を上げ、脳が焼き切れそうになっても。そんなもの、一度スイッチの入った愛美には関係ない。


 放たれた緋色の桜を置き去りにするスピードで肉薄すれば、緋桜の側頭部に蹴りが。花びらでガードしようとするものの、蹴りが入る直前でその動作をキャンセル。まるで最初から蹴りの動作に入っていなかったかと疑う程にブレない身体の軸。緋桜の腹に拳がめり込み、立て続けに頭頂部へかかと落としが。


 野性味にあふれ、しかしそれでも体術としての基本的な足捌きや身体の重心は全くブレないのだから、緋桜からしたらやり難いことこの上ないだろう。

 一連の攻撃を防御する間も無く一身に受けた緋桜だが、立ち上がるよりも前に花びらで愛美の腕を捕え、放り投げることで距離を取る。


 しかし投げられた先で愛美は魔法陣を展開、それを足場に再び吶喊。拳と脚に魔力を纏わせ、迫る花びらを薙ぎ払い、時にその身に受けて空中から強襲する。


「昔のお前に戻ったみたいで懐かしいな!」


 言いながら、緋桜は術式構成の手を緩めない。手元に花びらを収束させ、今度は緋色の刀を形成、愛美の蹴りを迎え撃つ。


 ガギィィィン!! と、本来あり得ない金属音が鳴り響けば、愛美の身体が仰け反った。それを好機と返す刀を滑らせれば、また魔法陣で足場を作った愛美の拳とぶつかり、刀が砕けて緋色の花びらへと戻り霧散した。


 愛美の体術、その技の一つである虎鋼という技だ。武器破壊に特化したそれは、力の流れすらも拳一つで操る愛美の体術、その特徴の一つでもある。

 動き自体に目がいきがちだが、彼女の体術は本来、人を殺すことに特化したものだ。波長や魔力の流れを操る技の応用で、武器など幾らでも破壊できる。

 特にこの緋桜の刀の場合、元が魔力で出来ているだけに効果はてきめんだ。


 一度地面に降り立った愛美は、尚も間合いを詰める。単純な肉弾戦なら愛美に軍配が上がるからだ。だから緋桜もどうにかして距離を取ろうとするのだが、一度攻勢に出た愛美の隙を突くのは難しい。


 いや、ただ難しいだけだ。それを成し得るだけの技術が、緋桜にはある。


 放たれた愛美の拳は、先程の斬撃と同じように空を切った。残っているのは黒い霧のみ。まただ。さっきも、いやそれどころか二年前にも、同じような手法で攻撃を躱された。

 緋桜と葵の親が、そう呼ばれるようになった所以の魔術。自身の身体を霧に変える魔術だ。


 しかし今度は、背後に気配を感じない。その代わり四方に魔法陣が展開され、鎖が射出される。至極シンプルな拘束魔術。それを一歩後ろに退いて躱せば、前方は距離五メートルほどの位置に、弓を構えた緋桜が。


「今度は、躱せない」

「それはどうかしら?」


 やけに冷静な口調の愛美に、緋桜は一瞬疑問を覚える。


 たしかに、短剣を持たない愛美は先程の魔術を発動できない。

 ゼロ距離とは言え防げたのは、あの魔術が間に合ったからこそだ。仮にこうして距離が開いていても、あの矢は愛美の目でも追えないスピードで、今度こそこの身体を貫くだろう。


 だが、それは矢が放たれたらの話だ。


「おい」


 緋桜の背後。その先に、橙色の輝きが見えた。声に驚いた緋桜が弓をそちらに向けた途端、弓は形を崩し、花びらとしても維持できず、その先にいた男の元へと吸収される。


 普段ならその気配を察知できていただろうが、愛美との戦いに集中するあまり、背後に迫る脅威に気づかなかったのだろう。


 あの子ならこちらの異変を察して、役に立たない男を寄越してくると思っていたけど。どうやら、愛美の予想よりも早くのご登場らしい。


「俺の家族になにしてんだ、お前」


 男、桐生織が言うと同時に、緋桜はいくつもの魔法陣に囲まれた。



 ◆



 自身の展開した魔法陣から槍が放たれた後、織は敵の状態も確認せず、向こう側にいた愛美へと駆け寄った。


 いや、確認する必要がなかった、と言った方が正しいか。直撃し、無力化させる未来を引き寄せたのだから。


「愛美! 大丈夫か⁉︎」

「叫ばないで、頭痛いから……」


 頭を抑えながらフラフラよろめく愛美の身体を支えてやる。思ったよりも華奢な身体は至る所に生傷を作っているのだが。こんな時でも構わず、織に女を意識させた。


 とりあえずその場に愛美を座らせた後、視線を敵へと移す。どこの誰かは知らないが、愛美をここまで追い詰めるのだ。

 織が持つ中で最も攻撃的なシルバーレイを直撃させたとは言え、果たして本当にあの未来の通りになっているのか。


 自分の異能ではあるが、まだどこか信じられていない自分がいる。


「驚いた、まさか魔導収束を使える魔術師がいたなんてな」


 現れた男は、全身ボロボロで頭から血を流しながらも、それでも立っていた。いや、立っているのがやっと、と言ったところか。


 殺傷力は低めに設定していたから、槍が身体を貫くことはなかったとは言え、それでもダメージがないわけがない。


「いや、驚くべきはそこじゃないか。愛美が仲間を頼ることにこそ驚いたよ。俺が学院にいた時とは大違いだ」

「でしょうね。私もまさか、こんな自分になるとは思わなかったわ」


 どこか親しげに話す二人を見て、織は困惑する。状況的にこの男は敵だと思っていたのだが、まさか違ったということもあるまい。


 そんな織を見かねて、愛美が男を紹介してくれた。


「黒霧緋桜。二年前まで学院に所属していた、先代風紀委員長よ。それから、葵たちの兄でもあるわね」

「え、先輩だったのか?」

「ついでに、そこの殺人姫に一度も負けたことがない、唯一の生徒だった」

「その情報は余計よ」

「そりゃ失礼」


 その先輩がどうしてこんなところに。いや、フリーの魔術師として生きているのなら、こういうこともあるのか。

 恐らく、緋桜は研究所に雇われたのだろう。外の魔術師と同じで。


 問題は、緋桜以外が皆裏の魔術師だった点なのだが。


「そいつ、二年前に卒業してから行方知らずだったのよ。葵が風紀委員にいるのも、その辺が関係してるってわけ」

「お兄さんを探すため、ってわけか」

「そういうこと。私と桃がどんだけ探しても見つからないと思ったら、こんなとこにいるもの。そりゃ足取りも途絶えるわよ」


 異能研究機関ネザーは、秘密の多い組織だ。そんなところで雇われの用心棒をやっていれば、そりゃどれだけ調べても見つからないだろう。

 何故行方をくらませたのかはわからないが、緋桜にとっては絶好の場所だったに違いない。


「それよりも、あんたは目的を果たしに行きなさい。多分、そこの部屋にデータがあると思うから」

「お前は大丈夫なのか?」

「大丈夫よ。ちょっと休めば回復するわ」

「本当だろうな?」

「口説い。さっさと行く」


 言われて、再び緋桜に視線をやる。いくら愛美と知り合いとはいえ、緋桜の仕事はここの守護だろう。ただで通してもらえるとは思えない。

 だが、その緋桜自身が力なく首を振った。


「今更妨害する気にはなれないさ。一応、義理は果たしたからな。殺人姫の足止め。これだけやれば十分だろ。俺はまたどこぞに消えさせてもらうよ」


 その言葉を最後に、緋桜の体が霧散した。まるで吸血鬼のように、霧へと変化した。しかし僅かな魔力を感じられたことから、あれはれっきとした魔術なのだろう。

 あんな魔術を実戦でも使われれば、そりゃ愛美だって苦戦する。


「……やっぱお前が回復するまで待つ」

「はあ? 何言ってんのよ。織がいても大して出来ることないでしょうが」


 愛美の反論も無視して、隣にドサリと腰を下ろした。出来ることはない。そんなことは分かっている。さっさとデータを壊しに行った方がいいことも。

 それでも、だ。好きな女の子がこんなボロボロになっていて、それを置いて仕事を優先するなんて、織には出来なかった。


「どうせここの研究員は全員やられてるんだ。急いだところで変わらねえよ。だったら、お前の暇つぶし相手にでもなってやる」

「あなたね……」

「それに、こういう時くらい、ちょっとは俺に寄りかかれよ。家族、なんだろ?」


 自分でも少しクサいセリフかとは思ったが、紛れもなく織の本心だ。

 疲れて、傷だらけになって、それでも戦って。そうしてボロボロになったこの子は、なにに寄りかかって休めばいい? その傷を癒せばいい?

 そのための家族ではないのか?


 ムスッと不機嫌そうな表情の愛美は、それでも諦めたのか。もしくはこんな織に呆れたのか、ため息を一つ落とす。


「……背中」

「背中?」

「だから、背中貸しなさい。どうせ朱音がすぐ来るでしょうけど、それまでの間。ちょっとだけ、寄りかからせて」


 言うや否や、織が許可するよりも早く、愛美は背中合わせで織にもたれかかった。


 果たして、愛美は今、どんな表情をしているのだろう。その顔が見えないのが少しだけ残念で。でも、こうして背中合わせに彼女の体温を感じられるのが、無性に嬉しく、むず痒かった。

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