芽生え始めた想い

第22話

 ネザーでの仕事が片付いた翌日。あれだけの事があったので今日は仕事も休みにしていた桐生探偵事務所では、織と朱音が一階で寛いでいた。


 朱音はアーサーをもふりながらテレビ番組を観ている。アーサーも気持ちよさそうに目を閉じており、朱音になされるがままだ。

 愛美は用があるとかで学院に行っている。桃がまともな生活を送っているかの確認もしてくると言っていたが、あの魔女はそんなに酷いのだろうか。

 酷いのだろうなぁ。織も一度桃の私室を見たが、見事な散らかり具合だった。あれは放っておいたら、人として最低限の生活すら危うくなるのでは。


 テレビが映しているのは、いわゆる朝のこども劇場的なあれ。一昔前、織がまだ小学生くらいの頃に流行っていたアニメの再放送だ。

 そのアニメを観ながら朱音は、この技はあの術式を応用したら、とか、この剣術なら私の体術でも、とか。なにやら物騒なことを呟いている。


「なあ朱音」

「なに、父さん?」

「お前、アニメの楽しみ方間違ってると思うぞ」

「え、そうなの?」


 そんな、今初めて知りました、みたいな顔されても。

 たしかに流れてるアニメはファンタジー満載で、魔術を扱う織たちならば現実でも再現出来るようなものもあるだろうけれど。

 アニメの楽しみ方っていうのは、そうじゃないだろう。


「なんつーか、こういうのって現実ではあり得ないもんだって考えるから、面白いもんなんだよ」

「でも、これくらいなら私もできるよ?」

「いや、そうだけどな……って待て待て、今ここでやるな」


 朱音の掌の上には、手裏剣の刃がついたソフトボールほどの大きさの玉が。

 それ、一応主人公の必殺技というか、今やってる放送分だったらそれ撃つのに腕骨折しちゃうから、あんまり気楽にやらないで欲しいんだが。

 なんというか、少年の夢が壊れる。


 そこでふと、織は一つの疑問が浮かんだ。


「そういや朱音って、魔術でなにをどこまで出来るんだ?」

「どこまで、って言われるとちょっと分かんないかな……既存の魔術なら大抵のことは出来るけど」


 大抵のことは出来るのか。サラッと言ってのけるが、それって相当ヤバいことだぞ。やっぱり俺の娘強すぎ。

 内心で若干戦慄しつつも、しかし織は、昨日見慣れない、知識にない魔術を見ていた。織の知識自体が他の魔術師よりも劣るとはいえ、天候すら操る元素魔術なんて聞いたことがない。


「ほら、昨日島で撃ってた魔術。あれってお前が作ったのか?」

「あぁ、あれ? あれは違うよ」


 リモコンでテレビを消し、朱音が織の方へ向き直る。どうやら、朱音先生の魔術講座開始のようだ。


「あれは元々、桃さんの魔術なんだ」

「桃の?」

「うん。より厳密に言うなら、賢者の石に記憶されてた魔術、かな」


 実は織は、桃が戦っているところをあまり見たことがなかったりする。

 以前ルーサーとしての朱音と初めて遭遇した際、軽く愛美の援護をしていた時くらいだ。その時に放っていたのは、元素魔術ではなく魔力砲撃にも似た魔術。上空の魔法陣から地面に向けて屹立する光の柱だった。


 しかし学院の講義では元素魔術を教えていたから、もしかしたら桃の得意とする魔術はそちらだったりするのだろうか。


 賢者の石に記憶されていた、というのもイマイチ理解しきれない。


「賢者の石はね、器の魔術師が使っていた魔術を記憶してるの。私の前が父さん、その前が桃さんで、私たち三人分の魔術を石が記憶して、器である私はその魔術を引き出すことができる。術式をまんまコピーして保存してあるから、一から構成する必要もないんだ」

「なるほど、それで術式解放、ってわけか」

「そう。まあ、今の私は殆ど使えてないけどね。まだ完全に稼働してないから、限定解放までしか出来ない。そもそも賢者の石って言っても、私のはカケラだから、桃さんの魔術を全部使えるわけでもないし」


 既に朱音単体でも相当な魔力を持っているが故に、賢者の石は殆ど意味をなしていないと言っていた。しかし、この話を聞いてみれば全くそんなことないじゃないか。


 今まで色んなやつらから聞いた話を統合すれば、賢者の石を最初に体へ取り込んだのは桃だ。そして、その次が未来の織であり、現在は朱音が所持している。


 桃の天候すら操る元素魔術に、織の魔導収束。おまけに朱音は概念強化やその他の魔術も使えるだろうから、今の賢者の石には膨大な量の魔術が記憶されていることになる。


「私が使える桃さんの魔術は、昨日の二つと、あともう一つだけ。全部で第六術式まであるんだけどね。残りの半分はどんな魔術かも知らないんだ」

「今度桃に見せてもらったらどうだ?」

「んー、見せてもらったら、まあ、使えるようにはなると思うけど……正直、使い所に悩むんだよね、桃さんの魔術」


 たしかに、と織は納得する。

 規模が大きすぎるのだ。昨日見た二つの魔術だけでも、かたや天候を操り降り注ぐ雷、かたやあたり一面を焼け野原にする勢いで現出し続ける火球。

 あれで限定解放。ならば全力の一撃となれば、地形が変わると言われても不思議ではない。


「で、どこまで出来るかだっけ?」

「ああ、そういやそんな話だったか」

「父さんから言い出したんでしょ……」


 賢者の石と、桃が使うらしい魔術のインパクトに圧されて完全に忘れていた。

 そもそも話の始まりはそこだったか。


「大抵のことは出来るって言ったけど、あくまでも魔術の範疇ね」

「なんか、俺にでも分かる凄いやつとかないか?」

「んー、口で説明できる範囲で一番凄いのだと、超絶時空破壊魔砲、かな?」

「超絶時空破壊魔砲」

「うん。なんか凄そうな名前でしょ」


 それは、まあ、たしかに凄そうな名前ではあるのだが、同時にやたらとチープな感じがするというか。具体的には、中学二年生辺りの男の子が罹患するあの病によって生み出されそうな名前というか。


 しかし、魔術につけられた名前には必ず意味がある。その魔術の力を象徴するような、確固たる意味が存在しているのだ。

 いくらチープなネーミングだとしても、相応にヤバい魔術なのだろう。


「これは桃さんの魔術とか、賢者の石に記録されてたわけじゃなくて、魔導収束の一つだよ。だから、ちょっと練習すれば父さんも使えるようになると思う」

「へぇ、俺にもねぇ。で、どんな魔術なんだ?」

「その場に存在してる魔力を強制的に全部吸い上げて、砲撃として放つ単純な魔術」

「それって、他の魔導収束と変わらなくないか?」


 魔導収束とは、自分以外の魔力を吸収して扱う魔術だ。他者の魔力だったり、空気中に霧散している魔力だったり。

 いくつかの応用はあるものの、基本は変わらない。織の使うシルバーレイやチェイン系統も同じだ。


 朱音の今の説明を聞く限りでは、その基本となんら変わらない。強制的に吸い上げる、ということは敵味方の区別もせずにということなのだろうが、それでも普通の魔導収束とやっていることは変わらないはずだ。


「まあ、簡単に言えば、魔導収束の基礎を突き詰めていった結果、ってところかな。なによりも違うのは、魔力の吸い取り方なんだよ。父さん、人から魔力奪う時ってどうしてる?」

「そりゃまあ、それ用の鎖で捕まえたり、敵の魔術を転用したり、相手の足元に届くくらいでかい魔法陣出したりだな」

「だよね。でも、この魔術の場合は、そういうの全く必要ないんだ。無条件で、本当に強制的に吸い上げる。敵の魔力も、味方の魔力も、空気中にある魔力も、視認できる範囲の全てを」


 それは、少し反則過ぎないだろうか。従来通りなら防ぎようがあるものの、これでは対策の立てようがない。


「で、吸い取った魔力と、残ってる自分の全魔力。これを全部乗算して砲撃に転化する。自分の魔力も全部使っちゃうから、これは奥の手なんだけどね」

「とんでもない魔術があるもんだなぁ……」


 こうして話に聞くだけだと、どこか雲の上のような遠いことに感じてしまう。

 ちょっと最近感覚が麻痺してきているが、織の周囲にいる魔術師は誰もが規格外なのだ。

 晴樹と香織の三人で行った依頼が懐かしく思える。


「そ、れ、よ、り、も!」


 魔術の話はこれで終わりなのか、朱音はソファから身を乗り出した。その目は心なしか、若干輝いているように見える。


 その態度で朱音がなにを言い出すのか、なんとなく察してしまった織なのだが、とりあえずは本人の口から聞くことに。


「昨日、母さんとのデートはどうだった?」


 ほらやっぱり。

 完全に予想通りの質問をされてしまい、織の口からは思わずため息が漏れてしまう。


 どうだったと言われても、別にどうもなかったと答えるしかない。

 朱音が先に帰ってしまった後、たこ焼きを食べ終わったら普通に観光して、普通に帰ってきた。

 強いて言うなら、愛美は結構楽しそうにしてたし、そんな彼女を見ることができた織としても十分満足して家に帰ってきた。だからそんな二人を見た朱音は、なにかあったのかと勘違いしているのだろう。


 だが、それを直接伝えるのは少し羞恥心が煽られる。だからと言ってなにもなかったと言っても、朱音は満足しないだろう。

 さてどう言ったもんかと悩んでいれば、突然朱音がソファから降り、懐の短剣を抜いた。


「お邪魔するよー」

「お邪魔します」


 その次の瞬間、何食わぬ顔で事務所の入り口を開いたのは小鳥遊蒼と、水色の髪の女性。

 朱音が蒼に向けて、短剣を振るう。


「おっと」

「何者ですか」


 すんでの所で刃を躱し、女性と二人で一歩後ろ、事務所の外へと後退する蒼。

 朱音はそれを追わず、短剣を向けたまま問うた。


 全てが一瞬の出来事すぎて、織はただ呆然と眺めていることしか出来なかった。

 突然やって来た二人にも言いたいことはあるが、この場合問題を起こしているのはどう考えても朱音の方だ。

 朱音が刃を抜いたからか、眠っていたアーサーも目を覚まして蒼に威嚇している。


 なんとか我に返り、織は朱音に声をかけた。


「待て朱音、その人たちは敵じゃない!」

「え?」

「てか、知らないのか? 小鳥遊蒼だよ。人類最強の」

「この人が?」


 そしてその背後で控えている水色の髪の女性は、たしか彼方有澄。織は一度しか会ったことがないし、なんなら話したことすらないから向こうから認識されてるのかすらも分からないが、蒼の妻だと紹介されていた。


 マジマジと蒼と有澄の二人を眺める朱音。対する人類最強は、フッと笑みをこぼして一言。


「たしかに、こうして見ると二人の面影があるね」

「特に愛美ちゃんによく似て、可愛らしい子です」


 突然攻撃されたことなど全く気にしていないのか、その声音はとても優しいものだ。

 それで毒気が抜かれたのか、朱音も短剣を鞘に納める。アーサーも威嚇をやめ、どうするのか尋ねるように朱音を見ていた。


「初めまして、桐生朱音。それとも、ルーサーと呼べばいいかな? 僕は小鳥遊蒼。君の両親の先生であり、一応人類最強ってことになってるらしい一介の魔術師だ」

「わたしは彼方有澄、蒼さんのパートナーです。桐生織くんも、一応初めましてですね」


 なんとか穏便に収まったのを見届けて、織は安堵のため息をついた。

 朱音、と名前を呼びかければ、彼女はバツの悪そうな顔をしながらも頭を下げる。どうやら織が名前を呼んだ意図は伝わったらしい。


「突然襲いかかってすみませんでした……桐生朱音です。今はそちらで呼んでください。その様子だと、私のことは全部知ってるみたいですが」

「まあね。君が二十年後の未来から来て、今までサーニャと行動し、吸血鬼グレイを打倒しようとしてるところまでは」

「殆ど全部ですよ」


 なぜ知っているのかは不思議だが、考えても仕方ない。なにせ相手は人類最強。織には到底理解できないなにかがあるのだろう。


 とりあえず二人を中に通し、ソファへと促す。紅茶を四人分淹れて持っていき、織も二人の対面へと腰を下ろした。その隣には朱音が、朱音の足元にはアーサーが。


「で、二人はなにしに来たんですか?」

「別に、これと言った用があったわけじゃないよ。暫く日本を離れてる間に、二人が同居を始めて、しかも娘まで出来たって聞いたら、そりゃ気になるだろ?」

「マジでどっから聞いたんだよ」


 どうやら、本当に様子を見に来ただけらしい。なんだかんだで蒼と会うのも久しぶりだ。どこかのタイミングで朱音のことを紹介しようとも思っていたから、ある意味丁度良かったのだが。


「それに、わたしも織くんに改めて挨拶したかったですしね。以前はすみません。せっかく図書室に来て頂いたのに、ろくなもてなしも出来なかった上に蒼さんが無茶なことをさせたみたいで」

「ああいや、その辺は気にしてないんでいいっすよ」


 有澄に頭を下げられ、織は慌てて言葉を返す。たしかに蒼の修行はかなりキツかったが、得られたものもたしかにあった。

 もう一度やれと言われれば全力で逃げるが。


「ところで、今日は愛美は?」

「あいつなら学院に行ってます。なんか用事があるついでに、桃の様子見てくるとか」

「老人の介護とは、愛美も大変だねぇ」


 ククッ、と喉を鳴らす蒼。この男、本当に桃と仲が悪いらしい。

 それでも桃は、蒼に調査の協力をお願いしたりしていたみたいだから、ただ嫌い合っているだけ、というわけでもないのだろうけど。


「てことは、愛美は暫く帰ってこない、と」

「まあ、そうっすね」

「なら聞いとくけどさ」

「なんすか?」

「君、愛美とはどこまで行ったわけ?」


 ブフッ! と、紅茶を吹き出しそうになった。目の前に座っているのが有澄だからなんとか耐えたものの、蒼だったら容赦なく吹きかけていただろう。


 いやはや、しかし。しかし、である。まさか蒼からもその質問をぶっこまれるとは思わなかった。

 完全に不意打ち。せっかく朱音からの追及がうやむやになったと思ったのに。


「そう、そうだよ父さん! 昨日は結局どうだったの⁉︎」


 ほらこの通り。本人も半ば忘れかけてくれていたのに、蒸し返しやがってこの野郎。

 恨みがましく蒼を睨むが、当の本人はそんな織の視線を笑顔で受け流すのみ。


「へえ、昨日なにかあったんだ」

「仕事終わりに大阪に行ったんですが、私は先に帰ったのでデートしてきたはずなんですよ!」

「なるほどねぇ。で、どうだったの織? ていうかそもそも、愛美とは今現在どういう関係?」

「蒼さん……」

「いいだろ有澄。君だって気になってるくせに」

「……まあ、二人は現在珍しい状況にいるわけですし、気にならないと言えば嘘になりますけど」


 どうやら、この場に織の味方はいないらしい。せめて愛美がいてくれれば、と思ったがダメだ。あいつは絶対悪ノリしてくる。

 というか、思い浮かぶ知り合いの殆どが、この状況で織の味方をしてくれそうになかった。精々葵くらいだろう。


 我らが風紀委員の癒し枠が恋しい。


「そもそもですね、愛美とは別にどうこうなってるわけじゃないですよ」

「未来から二人の娘がきたのに?」

「まあ、そりゃ思うところがないわけじゃないですけどね」

「でも父さん、母さんのことが好きって言ってたじゃん」

「それを今ここで言うか……」


 おおー、と何故か感嘆の声を上げる蒼と有澄に、キョトンと小首を傾げる朱音。

 朱音は、まあ、その辺りの諸々が理解できないのだろう。なにせ未来で色恋沙汰なんぞなかったろうから。


「じゃあじゃあ、後は織くんが愛美ちゃんに気持ちを伝えるだけですね!」

「いやなんでそうなるんですか。もっと順序とかあるでしょ」

「必要ですか?」

「えぇ……」


 なにを当然のことを、と言わんばかりの有澄だが、隣の蒼は苦笑を浮かべている。


「まあ、その辺は有澄がちょっとおかしいだけだから。あんまり聞く耳持たなくていいよ」

「おかしいってなんですか!」

「君は積極的すぎるんだ」


 どうやら、蒼も昔は苦労していたらしい。二人の馴れ初めなんぞ知る由もない織だが、この感じだと有澄が蒼に迫っていたのだろう。


「で! 結局昨日はどうだったの! まだ答えてないよ!」

「ああ、そうだったな……」


 最初に質問したにも関わらず未だにお預けを食らっていた朱音が、もう我慢できないとばかりに大きな声を出す。


 昨日、朱音が帰った後と言えば。

 一覧に思い返されるのは、朱音が帰ってすぐの、あの言葉。


 あれは、一体どういう意味で捉えればいいのだろうか。

 朱音の言葉が嬉しかったかも、と。愛美はそう言った。彼女が示す朱音の言葉なんて、一つしかない。


 ラブラブだね、なんていうふざけたセリフだ。

 それをそのままに受け取ってしまえば、向こうも自分のことをそういう目で見てくれている、ということになるのだろうけど。


 いやでも、その後の表情を思い出す限り、揶揄っていただけっていう可能性も……。


「別に、デートなんて言っても大したことはしてねえよ」


 結局その辺りは省略することにして、織は昨日のことを三人に語り始めた。

 とはいえ、本当にただ街をぶらついていただけで、特筆すべきエピソードなんぞなかったのだが。


 朱音があからさまにガッカリする未来は、残念ながら見なくても分かってしまった。



 ◆



 連休中にも関わらず学院へやって来た愛美は、とりあえずその足で桃の元へと向かった。長期連休の際、あの魔女は確実にダラけきってろくな生活も送らない。

 夏休みほどになると、一週間に一度は学院へ来なければならないほどだ。


 前の春休みは風紀の仕事もあったし、なにより賢者の石関連で進展がありそうだったから、そんなことはなかったのだが。


「桃、入るわよ」

「あ、おはよう愛美ちゃん」


 部屋の扉を上げれば、制服姿の魔女が机に向かい合っていた。

 これは珍しい。あの桃瀬桃が、ゴールデンウィークだというのにこんな時間から起きているとは。


「おはよう。珍しく早起きね」

「まあね。ちょっと、やっておきたいことがあったから。愛美ちゃんは?」

「用事があったから、そのついでにあんたの様子を見に来たのよ」

「ふふん、残念ながら無駄足だったね」


 何故そこでドヤ顔になれるのか。普段が普段だから、ドヤれる要素など一つもないのに。


 出来れば今年の夏休みも、今日のように普通に起きて普通に人並みの生活をしていて欲しいのだが。

 いや、それをするにはまず、この部屋を片付けるところからか。愛美は桃がこの部屋に住みだした二年前から、何度もここに通っているのだが。一体いつから、こんなに散らかるようになったのだろう。

 少なくとも、二年前はこうじゃなかった。


「そうそう、ひとつ伝えておきたいことがあったんだけど」

「なになに、織くんとなんかあった?」

「違うわよ」


 今の文脈でどうして織の名前が出てくるのか。いや、伝えておきたいことがある、と言っただけなのだから、文脈もクソもない。

 まあ。たしかに。最近はもう自分と織はすっかりセットみたいな扱いをされてる。

 それでも別に、四六時中一緒にいるわけじゃないのだ。いや、一緒に住んでるから似たようなものかもしれないけど。


「織は関係ない、こともないけど。そうじゃなくて。昨日の仕事で、緋桜と会ったわ」

「え、嘘」

「ホントよ」


 魔女の目が驚きで見開かれる。昨日のことを思い出してか、愛美はため息を一つ吐いた。


 黒霧緋桜。

 愛美よりも二つ年上の先代風紀委員長で、黒霧葵の兄。殺人姫に唯一勝てた生徒。そして、卒業と同時に一切の足取りを残さず、その行方をくらませた男だ。

 彼のことを知っている人間は、現在の三年生にも多くいる。ともすれば、下級生ですら名前を聞いたことくらいはあるのではないだろうか。


「昨日、ネザーの関西支部を壊滅させてきたんだけどね。そこで雇われてたわ」

「ネザーか……そりゃ行方を追えないわけだ」


 愛美と桃にとって、緋桜は恩人と言ってもいい。彼は、それだけのことを二人にした。

 家族以外の誰も信じられず、ただひたすらに魔術師を狩り続けていた殺人姫。

 永い時の中、一部の人間性が欠落して妄執に囚われかけていた魔女。

 その二人を引き合わせ、救ったのは緋桜だ。


 二人を風紀委員に入れ、愛美のことは時にコテンパンにし、桃には魔女としてではなく、一人の人間として向き合って。


 そうやって、今の二人がある。互いに掛け替えのない友人と、そう言い合えるまでになった。


 だから、行方をくらませたと聞いた時には、本当に驚いたのだ。それに、当時は懸命に探した。それからしばらくして、妹の葵が風紀委員を訪ねてきて。

 今日までだって、グレイや賢者の石と並行して、桃は緋桜の捜索も行っていた。


 それがまさか、そんな所にいたなんて思わなかった。


「ていうか愛美ちゃん、緋桜と戦ったの?」

「ええ。正直、織がいなかったら危なかったわね。殺されはしなかったでしょうけど、昔みたいに大怪我してたに違いないわ」

「そっか……これ、葵ちゃんたちには?」

「一応伝えるつもりよ。あの子たちには、知る権利があるもの」


 そして、愛美には伝える義務がある。

 葵たちと緋桜は家族なのだ。緋桜の目的や次の行き先が不明とはいえ、伝えないわけにはいかない。


「この後、野暮用済ませたら葵をサーニャのところに送る予定だけど、あんたも来る?」

「んー、せっかくだし、わたしも行こうかな。それで、野暮用って?」

「緋桜に剣壊されたから、せっかくだし先生に頼んであの人のところ連れてってもらうと思ってるのよ」


 昨日の戦闘で、愛美の短剣は刃の部分が真っ二つに折れてしまった。本来なら緋桜に大量の金を請求したいところなのだが、残念ながら壊した本人は行方知れず。

 朱音の炎で直すことも出来るし、実際昨日はそう提案されたのだが、せっかくだから新しく作り直してもらおうと愛美は考えた。


 彼女の短剣は、昨日言ったように特注品だ。愛美の魔力が通りやすいよう、魔術的な加工が施されている。それは蒼の知り合いに作ってもらったものだから、今日はそのお願いをしに行った後、葵をサーニャのいるあの廃墟へ送り届ける予定だった。


 の、だが。


「小鳥遊なら今日はいないよ。有澄ちゃんも一緒に、どっか出かけた」

「間が悪いわね」


 小さく舌打ちを一つ。あの人類最強は、いつもいつも肝心な時にいない。

 愛美としてはさっさと作ってもらって、直ぐにでも新しい短剣を手に馴染ませたいのだが。しばらくは、二年前まで使ってた中古のダガーナイフで我慢するしかないか。


「それじゃあ、私の短剣はまた今度ね。葵が来るまで暇だし、どうしましょうか」

「なら久し振りに組手しようよ。最近あんまり動いてないから、体がなまってるんだよね」

「いいけど、やるからには手加減なしよ?」

「もちろん」


 この後学院の外、富士の樹海で魔女の悲鳴が轟いたのだが、それを聞いたものは殺人姫以外にいなかった。



 ◆



「うぅ……腰痛い……」

「腰痛の心配? いよいよ年齢を考えた方がいいんじゃないかしら」

「愛美ちゃんが思いっきり投げるからでしょ!」

「隙だらけのあんたが悪いのよ」


 腰を摩り猫背になっている桃と、フッとばかにするような笑みを浮かべる愛美。その二人の前では、小さな背丈のツインテールがぶつぶつと独り言を呟いている。


「サーニャさん、元気にしてると思う? 最後に会ったのって一年くらい前だもんねぇ。え? んー、ちょっとだけ寂しかったかも。碧だってそうでしょ?」


 独り言に聞こえるが、断じてそうではない。

 黒霧葵は二重人格だ。それも、互いの人格が互いを認識し、会話まで出来てしまう、通常の乖離性同一性障害とは異なる感じの。


 事情を知らない者には見えない誰かと会話している痛い子にしか見えないだろうが、本人たちにとっては、文字通り自分自身との会話である。


 出会った当初は愛美も困惑したが、今となっては慣れたものだ。


 そして彼女ら三人が今いるのは、とある地方都市にある廃墟。今日はここに住んでいるサーニャに会いに来たのだ。


「葵、そろそろ行くわよ」

「あ、はい! ……ところで、桃さん大丈夫なんですか?」

「大丈夫でしょ」

「大丈夫じゃない!」


 文句を言うなら自分で治療しろ。そんな思いをため息とともに吐き出し、愛美は廃墟の中へと足を進めた。


 以前まではルーサー、朱音と共にここで暮らしていたサーニャだが、今は一人で、ここの五階に住んでいる。


 階段を使ってそこまで上がれば、まだ真昼間だと言うのに普通に起きて、ボロボロのソファに座り雑誌を読んでいる、銀髪の吸血鬼が。

 こうして見ると、吸血鬼のくせに人間味溢れすぎだ。


「サーニャさん!」


 葵が叫べは、サーニャの視線が愛美たちに向けられた。一瞬驚きに目を見張るも、サーニャの表情はすぐに穏やかなものへと変わる。


「久し振りだな、葵。元気にしていたか?」

「うんっ! サーニャさんこそ、色々大変だったって聞いてるけど、大丈夫だった?」

「我はこの通りだよ」


 駆け寄った葵の小さな体を、サーニャが抱え上げる。まるで親と幼い子供のようだ。


 だが、強ち間違いでもないのだろう。

 葵は両親が亡くなってから、サーニャが面倒を見ていたらしい。とは言っても、緋桜もいたのだから一緒に住んでいたわけではなく、定期的に様子を見るために家へと招かれていたというが。

 それでも、育ての親、家族のようなものだ。


 葵が学院に入学してからは会う頻度も少なくなっていたようだが、しかしここ最近は、グレイにかけられた冤罪のせいで会うことすら出来なくなっていた。


「すまんな、二人とも。わざわざ葵を連れてきてくれて」


 抱き上げていた葵を地面に下ろし、サーニャは愛美たちに向き直る。その声音も、表情も、本気で二人に礼を言っているものだ。

 人間を見下す節のある吸血鬼にしては珍しい。いや、そんなサーニャだからこそ、人間と友好的な関係を築いていたのだろう。


「別にいいわよ。葵は可愛い後輩だし、そんな後輩のためなら、これくらいなんともないわ」

「うんうん。それにわたし、今日はただの付き添いだしね。暇だから来ただけだよ」

「それに一応、二人に伝えておきたいこともあったから」

「伝えておきたいこと?」


 首を傾げる葵とサーニャの二人に、とりあえず座りましょうと愛美が提案する。とは言っても、ここにはソファが一つ置いてあるだけだ。腰掛けられるものなんてそれしかないので、葵とサーニャにソファに座ってもらい、愛美と桃は朱音が残した寝袋を下に敷いて地面に座ることになった。


 そして全員が腰を落ち着かせてのを見て、愛美が口を開く。


「昨日、緋桜と会ったわ」

「お兄ちゃんと……?」

「ええ。異能研究機関ネザー。葵も、名前くらいは知ってるでしょう? 緋桜はそこに雇われてたわ」

「は、はい……どうしてそんなところに……」


 ずっと探していた、行方不明の兄。その足取りが掴めたことに若干の戸惑いを見せる葵だが、その隣に座るサーニャは違った。


 ネザーの名を聞いた時に、一瞬だけ動いたその表情を、愛美は見逃さなかった。


「それは私も分からない。すぐにまたどこかに消えたから、今どこにいるのかも、また分からなくなった。でも、葵には言っておこうと思って」

「そう、ですか……」


 考え込む葵と、黙って何も言わないサーニャ。廃墟の中には、少しだけ気まずい沈黙が下りる。

 せっかくの再会を果たしてすぐにこんな話を切り出して悪いとは思うが、それでも言わないわけにはいかなかった。


 緋桜を知っているだろうサーニャがいるなら、好都合というもの。


「ねえサーニャ。あなた、どうして緋桜が消えたのか、知らないの?」


 一同の視線が、銀髪の吸血鬼に集まる。彼女はしばらく瞑目し、やがて重たいため息を吐き出してから言葉を発した。


「知らぬ、とは言えない。予想は立てられるが、確信を持てない。それに、この場で我の口から言うことも無理だ」

「サーニャさん……」


 不安そうに揺れる瞳が、サーニャを見つめる。そんな葵を安心させるように、吸血鬼は優しく頭を撫でた。


「心配せずともよい。緋桜のことだ、なにか奴なりに考えがあるのだろう」

「はい……」


 緋桜がそう簡単にくたばるようなたまではないのは、愛美だって理解している。そもそも、愛美に勝ててしまう時点でそこいらの魔術師では緋桜に歯が立たない。

 だから、このままどこかで野垂れ死ぬ、なんてことはないだろうけど。


 パンパン、と手を打って沈んだ雰囲気を霧散させたのは、サーニャに撫でられていた葵だった。


「はいはい、シリアスな話はこれでお終い。お兄ちゃんのことは気になるけど、ここで心配しすぎても仕方ないでしょ。あとは探し出して直接問い詰めてやらなきゃ」


 いや、顔つきや表情、口調も変わっている。話を聞いててこの雰囲気に耐えられなかった碧が、無理矢理入れ替わったのだろう。


「サーニャさんも、ありがとね。あの子、色々と不安だから」

「いや、よい。我は一応、貴様らの保護者代わりだからな。それよりも、相変わらずで安心したぞ、碧」

「まーねー。わたしがこのテンションじゃなきゃ、あの子今頃潰れてるだろうし」


 それは、自分が本来の人格ではない、後から生まれた人格だと自覚しての発言だ。

 一般的な二重人格における、交代人格である碧は、自身の役割をきちんと把握している。


「それよりも。わたし的には、もっと気になることがあるのよねぇ」


 うふふ、といやらしい笑みを貼り付けた碧が、マジマジと愛美を見つめる。その視線を受けて、愛美は眉を寄せた。


 この少女に見られると言うことは、つまりプライバシーもクソもなく全てを見られると言うこと。

 スリーサイズやら恥ずかしい過去やら、対象の情報であればあらゆるものを目に映す。


 それは、昨日の愛美の行動すらも例外ではない。


「桐原先輩、昨日デートしてきたでしょ」

「また勝手に……」


 いつも勝手に人の情報を視るな、と言っているのだが。この後輩はいつになったら言うことを聞いてくれるのか。

 葵の方はわざわざ愛美が言わずとも、常に異能をオフにしてくれているのに。


 そしてそんなことを言えば、隣に座っている魔女が反応しないわけもなく。


「愛美ちゃん、織くんとデートしたの⁉︎」

「まあ、広義の意味ではそうなるかもね」


 碧は織のことなど一言も口にしていないのだが、どうしてすぐに織と分かったのか。

 いや、相手が織くらいしかいないからか。


「とは言っても、仕事終わりに大阪の街フラついただけよ」

「たこ焼きあーんして食べさせてあげたりしたくせに?」

「碧? それ以上勝手に視ると、さすがに怒るわよ?」

「ごめんなさーい」


 全く悪びれた様子がない。サーニャも、保護者代わりを自称するのであれば少しは注意してくれないものか。


「まあでも、あれはたしかに面白かったわね。織ってちょっと揶揄うだけで、すぐ顔を赤くするのよ。可愛いわよ?」


 昨日に限らず、これまでも何度か織を揶揄ったことがあるが、その度に恥ずかしがったりして顔が赤くなるのだ。面白くないわけがない。なんというか、嗜虐心が擽られる。


 今までそういう相手がいなかっただけに、織は完全に愛美のオモチャと化していた。


「なんだ貴様ら、もうそんな仲だったのか?」

「違うわよ。なんでみんな、すぐそういう話にしたがるのかしら……」


 織が学院に入った頃のクラスメイトも、似たような反応だった気がする。あの時は愛美も悪ノリして否定しなかったが、織とは断じてそういう仲ではない。


 まあ、朱音のこともあるから、一概にノーと言えなくなってしまっているのだけれど。


 改めて考えると若干複雑な織との関係。

 そりゃまあ、愛美とて年頃の女子だ。思うところがないと言えば嘘になるが、それでもやはり、愛美にとって織は家族で、いわば弟のようなものだ。


「んー、それはあれじゃない? 桐生先輩を見る時の先輩、目が優しいもの」

「優しい?」


 碧に言われ、この一ヶ月ちょっとを振り返ってみる。別に織だけ特別扱いをした覚えはない。強いて言うなら、家族の一員として桃や碧とは違った目で見ているかもしれないけど。


 優しい目、とは。どう言うことだろう。


「自覚なかったの?」

「全くないわね」

「いやいや愛美ちゃん。わたしが断言するけど、明らかに織くんと他の人たちじゃ違うよ。色々と」

「付き合いの浅い我でも分かるな」

「えぇ……」


 そうは言われても、自覚がないものはない。

 織は家族で、弟で、未来では朱音が生まれているけれど、それでも恋愛的なあれこれは湧いてこない。


 初めて織の口から朱音の存在を知った時は、色々と混乱したりもした。まさか自分と織が、将来そんな関係になるなんて、と。

 実際に朱音と出会って、戸惑うこともあった。


 けれど、未来がそうなっているからといって、今の自分たちがそれに合わせようとする必要なんてないのだ。

 それはいつかの日に、織と話して出した結論でもある。


 朱音曰く、未来は収束する。

 ならば無理にそうなろうと、そう言う感情を持とうとしなくても、いつかはそうなってしまうわけで。


「……あれ?」


 一旦思考を停止させる。

 自分の思考に自分で戸惑う。

 織を恋愛云々で見たことはない。朱音の存在を知ってから今日まで、多少意識したことはあれど、そこまで強く思ったことはなかった。

 けれど私は、いつかの未来で織とそうなること自体を、嫌だとは思っていない?


 それはつまり、どう言うことだ?


「なんか、よく分かんなくなってきた……」


 三人のため息が重なる。

 そのため息の理由も分からず、殺人姫は余計に首を傾げるのだった。

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