第18話
これからの事はまた後日話そうということで、今日はお開きとなった。
桃は学院に、サーニャはあの廃墟へと帰ってしまった。残されたのは織と愛美。それから、朱音の三人だ。
恐らく二人とも気を遣ってくれたのだろうが、やはり織は、朱音とどう接したらいいのか分からなかった。
「取り敢えず、朱音は今日からここに住むってことでいいわね?」
「おう。ご近所さんには愛美の妹だとでも言ってたら信じるだろ。お前らホントにソックリだし」
「後は、朱音の洋服ね」
二人からの視線を受け、ソファに座ったままの朱音は小首を傾げる。今までは認識阻害のせいで、具体的などんな格好をしているのかも分からなかった。ただ、マントとフード、それからあの仮面だけが織たちの認識できていた範囲だ。
しかし実際、マントの下には何故か学院の制服を着ていたし、朱音が身につけていたものはまるで新品のように清潔な状態を保っていた。
「今ある私の服じゃ少し大きいだろうし、一度屋敷に戻って取りに行った方がいいかしら?」
「その辺は明日以降だな。腹減ったから飯にしようぜ。……その、朱音、なんか食いたいもんあるか?」
「え、私?」
若干辿々しくも、大人しくソファに座っている娘の名前を呼ぶ。
話を振られるとは思っていなかったのだろう。虚をつかれた朱音は、見るからに返答に困ってる様子だ。
「えっと、私はなんでもいい、です、が……」
どんどん小さくなっていく声には、迷いの色が。どんな声で、口調で話せばいいのかを掴みかねているのだろう。
廃墟では愛美に、桃とサーニャがいた時は織に素の口調で話していたとはいえ、前者は感情が爆発していたし、後者はかなり慌てていた。
シラフのままでは、やはり朱音も戸惑いを隠せないらしい。
そんな朱音に微笑みかけるのは愛美だ。今朝までの不調はどこへやら。この場でまともにコミュニケーションを取れるのは愛美しかいない。
「もう、敬語なんていらないわよ。未来でもそんな話し方してたの?」
「いえ……」
「だったら、普通に喋りなさい。私達、あなたの親なんでしょう?」
「……うん」
ことここに至って、ようやく実感が湧いてきたのだろう。目の前に、あれだけ会いたかった両親がいるという実感が。
その表情には見る見るうちに喜色が広がり、口元を綻ばせる。
そんな朱音を見ていた織も、腹を括ることが出来た。どう接したらいいのか分からないなんて、そんなものは後から付属して来るものだ。織は織として、朱音と向き合えばいいだけなのだから。
「よし。それじゃあ、朱音はなんか好きな食い物あるか? 今日の夕飯はそれにしよう」
「好きな食べ物……キメラのお肉は結構好きだったかも? 後はクラーケンのゲソも美味しかったなぁ」
「ねえ朱音? 一応聞いとくけど、キメラとかクラーケンってまさか……」
「魔物だよ?」
「魔物って食えるの⁉︎」
とにかく美味しいものを食べさせてあげよう。言葉を交わさずともその気持ちを通じあわせた愛美と織は、最高級の寿司を出前で取った。
◆
夕飯を終えた後、愛美が朱音と一緒に風呂に入り、それから織も一日の疲れを流した。
どうやら未来は相当酷いらしく、食事はおろか風呂にすら驚いていた朱音。おまけにふかふかの布団で寝るのは始めてだなんて言うのだ。
寝る場所なんてどこでもいいし、風呂には入らずとも魔術なりなんなりで体の清潔は保てていたらしい。
さすがに布団二つで三人はキツいから、織は下で寝ようかと提案したのだが、朱音に涙目で乞われた時にはすでに首を縦に振っていた。
自分たちの娘だということをわかっていて、おまけにこれまでの生活のことを考えれば、際限なく甘やかしてやりたくなる。
桐生織、弱冠十七歳にして父性の目覚めだった。
「とは言え、これからどうしたもんかね」
中々寝付けない織は、一人で事務所の外に出ていた。こういう時にタバコの一本でも咥えていれば格好がついたんだろうが、そもそも織は未成年だ。
今頃、二階では朱音と愛美が仲良く気持ちよさそうに寝ているだろう。二人は寝顔もよく似ていた。つまり、はちゃめちゃに可愛かった。
愛美と互角の戦いを演じ、吸血鬼グレイから織を守り、更に強大な力をまだ隠し持っているらしいが。
今の朱音は、年相応の少女にしか見えない。
そんなあの子を、戦わさなければならない己の無力さ。今日の昼に行った話し合いで、身に染みた。
自分はあまりにも力が足りない。
愛美のよう異能と天性の戦闘センスも、桃のような異常な魔力も持っていない。
ここにいるのは、ただの凡人だ。使える魔術が少し特殊なだけで、それだって使い手が凡人では宝の持ち腐れだろう。
グレイの目的であろう賢者の石。それは今、桃の体内にある。
だから、焦る必要はない。時間は有限とは言え、今すぐにでもどうこうしなければならないわけでもない。
それでも、だ。織を取り巻く現状と、織自身の気持ちは必ずしも一致しない。
焦らないわけがないのだ。
朱音のこれまでと、これから織たちを待ち受けるであろう未来を思えば、尚更に。
「一人でなにしてるのよ」
背後から扉の開く音がして、中から愛美が出てきた。すっかり寝てしまっているものだと思っていたから、織は思わず目を丸くしてしまう。
「お前、寝てたんじゃなかったのか?」
「中々寝付けなくてね」
「まあ、だよなぁ……」
今日朱音と再会してから、愛美はいつもの調子を完全に取り戻しているように見えた。
どこまでも家族を大切にする、優しい少女に。
けれど、努めてそう振る舞っていただけなのだろう。今朝まではあれだけ悩んでいたのだ。そんな直ぐに元通りとはいかない。
言葉を交わすこともなく、二人並んで夜空を見上げる。
風が木々を揺らす音が穏やかに耳を撫でるだけの、静かな空間。同じ夜でも、昨日の路地裏とは大違いだ。
それは場所の差も当然ながら、多分、一緒にいる相手も関係しているのだろう。
愛美といると、心が安らいで落ち着く。
決して長い付き合いとは言えないのに。それは、短い時間の中で色んなものを共有した証拠だ。
共に戦い、一緒に暮らす中で、言葉では決して言い表せられないなにかを。
「あの子、未来の私たちについては、なにも言わなかったわよね」
沈黙を破ったのは、愛美の物憂げな声。
釣られて隣に視線をやれば、夜空を見上げたままのその横顔は、ゾッとするほどに美しかった。
息を飲み、詰まりかけた言葉を吐き出す。
「つまりは、そういうことなんだろうな。俺たちがちゃんと生きてるんなら、あの子にここまで背負わせないだろ」
「ええ。それに、まだ隠してることもある」
きっと未来の自分たちは。少なくとも、朱音が時間を遡ってきた時点では、もう死んでいる。
会いたかったと。
あの子は、たしかにそう言った。もう一度だけでも会いたかったと。そのために、ずっと頑張ってきたのだと。
何度も自分自身に転生を繰り返していたのだ。次の生を受けるたび、織と愛美の二人と会うことは出来たはず。
「中途半端に効率のいい方法を見つけちゃったんでしょうね。時間遡行が出来ちゃう、それをやろうと思えるんだったら、途中でほかの方法に気づかないはずがない」
何度もループしたのだろう。
グレイに殺されたタイミングで、戦うよりも前の状態に。
それが出来たからこそ、時間遡行を行おうと思えた。
じゃなきゃ、ずっと会いたかった、なんて言い方はしない。
「やっぱり、異能には既存の魔術理論は当てはまらないか」
「昼間の話が殆ど無駄になるわね」
もっと言えば、今朝に晴樹とアイクから聞いた話も無駄だった。
だがまあ、その辺はどうだっていい。どうせ織には一生縁のない魔術だ。
「どういう理屈でこの時代に来てようと、あの子は今ここにいる。なら、やることは変わりないでしょ?」
「……お前は、強いな」
つい、漏れてしまった言葉だった。言うつもりはなく、ただ心のうちにしまっておこうとしていた言葉。
けれど、紛れもなく織が感じたことでもある。桐原愛美という少女は、あまりにも強い。その心の在り方が。
それを聞いた愛美は、穏やかに笑って織の言葉を否定した。
「そんなことないわ。私は、弱いわよ」
「でもお前は、ちゃんと朱音と向き合ってる。最初からずっと。戸惑ってばかりだった俺とは違う」
「いえ、私だって織と変わらない。今だって、本当はどうしたらいいのかなんて分からないもの」
「そうなのか?」
「ええ。昨日、死ぬほど後悔した。まさか家族に、それも未来から来た自分の娘に刃を向けていたなんて。自分を殺したくなるほどにね。それに、あなたとの子供だなんて、今でも信じられないわよ」
「そりゃこっちだって同じだよ」
「でも、そんな私の心情に、現実が合わせてくれるわけがないでしょ? なら無理に背伸びして、肩肘張ってでも、私が現実に合わせるしかない」
そう思えてしまうことこそが強いのだ。
織には、そんなにすぐ切り替えることはできない。両親の死だって、今もまだ心のどこかに引きずっているのだ。
自身を苛む無力感も、この短い時間の中で何度だって。
それでも愛美は、ちゃんと向き合う。時に理不尽で突拍子もない、この残酷な現実に。
なにより。なにより、だ。
「それに、未来から来たのなんて関係なく、今ここにいるあの子が私たちの娘で、家族であることは変わらない事実でしょ?」
作り物かと疑うほどに綺麗な笑顔が、織へと向けられる。
一瞬見惚れて、けれど織の口元には、すぐに笑みが浮かんだ。
「相変わらずブレないな」
「当然よ。これが私だもの」
そんな愛美だからこそ。織はこんなにも、心惹かれてしまうのだろう。
◆
「学院祭?」
翌日、朱音とアーサーに事務所の留守番を任せ、いつも通り学院へとやって来た織だったのだが。これまたいつも通り織の元へやって来た晴樹とアイクの二人と話していると、そんな話題が上がった。
「おう。ゴールデンウィーク明けくらいにやんねん。まあ、文化祭みたいなもんやな」
「やっぱそういうのもあるんだな……」
文化祭。あの青春大好きおじさんな学院長なら、当然そういうものも作っているとは思っていたけど。
それにしても、世間一般的な文化祭の時期とは少し外れているようにも思えるが。まあ、誤差の範囲か。
「つっても、魔術学院の文化祭ってなにやるんだ? ここ、生徒少ないからそんなに盛り上がらないだろ」
現在の魔術学院は、織たち三年生が二クラス、二年生が四クラス、一年生が五クラスある。おまけに一クラス二十人前後だから、普通の高校と比べれば、随分と人が少ない。
織か以前通っていた高校なんて、一学年につき十クラスはあったから、文化祭や体育祭なんかの行事はかなり盛り上がったものだ。
「参加するのは学生だけではないのだよ、ミスター。ここを拠点として活動している若い魔術師は、殆ど全員参加する」
「せやから、それなりの規模になりよるねん。その分お前ら風紀委員も大変やろうけどな」
「ふーん。で、去年はお前らなにやったの」
「グラウンド全面貸し切って、桐原チャレンジ」
「なんだそれ?」
視線を前の席に向ければ、去年のことを思い出して頭が痛くなったのか、愛美がこめかみを抑えていた。
「あんなの二度とごめんよ」
「いや、マジでなにしたんだよ?」
「桐原と戦って、勝ったやつに賞品プレゼントってやつや」
「勿論! ミス桐原の百人斬りで幕を閉じたがね!!」
「なんでお前が自慢気やねん」
「正確には百五十八人よ。間違えないで」
「お前も細かいな。百人でええやろ」
そりゃまた、随分と馬鹿な催しをしたものだ。それを企画したやつも馬鹿だが、愛美に挑んだ百人以上のやつらも馬鹿だ。どうして勝てると思ってしまったのか。
「今年はもう少しまともなのにしなさいよ。少なくとも、風紀委員に目をつけられないようなやつね」
「そいつは無理な相談やな」
なんて会話をした後だったが、その日は至って普通に授業をして終わった。学院祭について色々と決めるのはまた後日、ということだろう。
授業が終われば、愛美と二人で風紀委員室へ。そこには既に葵の姿があった。桃は自室だろう。
とりあえず葵には、サーニャのことで色々と話を聞かせてもらったので、昨日起きたことを説明しておいた。
「そうですか……サーニャさん、やっぱり冤罪だったんですね」
「ええ。そのうち葵も会うといいわよ。私か桃に言ってくれれば、サーニャのとこに連れてってあげるから」
「はい」
ホッと胸をなでおろす葵は、本気でサーニャのことを心配していたのだろう。
自分の知り合い同士が敵対しているなんて、誰だってそんな状況は遠慮したい。
「そうだ。その朱音ちゃん、今度の学院祭に呼んだらどうですか?」
「それは……どうなんだ?」
「まあ、どうせ当日は魔術師で溢れかえるんだし、あの子一人来たところで問題ないでしょ。どうにかして魔力は隠してもらわないとダメだと思うけど」
意図して探査しない限り、個人が所有する魔力がどの程度なのかは案外わからないものだ。しかし、それは一般的な魔術師に限る。
蒼や桃みたいな異常な魔力を持っているのなら、話は別。つまり、その二人と同等以上の力を持つ朱音も同じだ。
「学院祭といえば、去年の愛美さん凄かったですよね。またあれやるんですか?」
「やるわけないでしょ」
「えー、せっかくカッコよかったのに」
「そんなに凄かったのか?」
ここまで言われているのであれば、やはり気になってしまう。まあ、大体は今まで説明されたので想像出来るのだが。
「そりゃもう! 最初は一人ずつ相手してたんですけどみんなもう秒殺で。十人超えたあたりから、愛美さんが言ったんですよ! どうせ似たような雑魚ばかりなんだから、纏めてかかって来なさい、って!」
「うわぁ、めっちゃ言いそう……」
「その三分後には百五十人くらいの魔術師全滅でしたね」
訂正、想像以上だった。
全員一気に相手したのは、まあ良しとしよう。でも三分て。早すぎるだろおい。
どうせ概念強化全開だったに違いない。それで後から頭痛くなって、ちょっと後悔したことだろう。愛美はたまに、後先考えない時があるから。この前のサッカーがいい例だ。
「ちなみに、誰も殺してないよな?」
「さすがの私もその辺の分別はつくわよ。まあ、何人か死にそうなのはいたから、桃に治療させたけど」
ドサリと委員長席に腰を下ろした愛美を見て、葵がお茶を淹れるために席を立つ。織もソファに座って、葵が淹れてくれたお茶を頂くことに。
「あれが見世物じゃなかったら楽しかったんだけど。中には私の概念強化を研究しよう、なんて馬鹿もいたらしいわ。そんな簡単に出来るように作ってないってのに」
「そもそも、お前の動きを目で捉えれるやつがいたかも疑問だな」
「いなかったわね」
「少なくとも、挑戦者の人たちはいつ自分がやられたのか理解してなかったですね」
「だろうな」
あれは明らかに音を超えている。そんなスピードを目で追えるのだとしたら、それは同じスピードを出せるやつだけだ。
しかしそんな魔術師は多くいるわけではない。愛美のように近接戦闘を主としていること自体が珍しいのだ。おまけにあのスピードとなると、数は更に少なくなる。
その後も特に仕事があるわけでもなく、お茶を飲みながら談笑していたのだが。
「……お仕事よ、先輩方」
突然表に出てきた碧がそう言った。
本当に会話中突然のことだったので割と本気でビックリした織だが、愛美は慣れてるらしい。特に驚いた素振りも見せずに言葉を返す。
「場所は?」
「校門。認識阻害の仮面をつけたやつと生徒五人が戦闘。瞬殺されてるわね。死んでないと思うけど。あー、他にも集まってきたわ。これ、結構大きい騒ぎになるわよ?」
この場から一歩も動いていないのに、まるでその場にいるかのようの状況を報告してくれる碧。魔術か、もしくは異能か。
「はぁ……認識阻害のマスクね……あれ、私が斬ったわよね?」
「どうせ時間巻き戻して直したとかだろ。留守番しとけって言ったのにな」
「とりあえず、二人で行ってくれる? 出来れば騒ぎになる前にここに連れてきて」
「分かった」
「りょーかい」
碧と二人で風紀委員室を出た二人は、校門まで走る。とはいえ、この学院の敷地は広大だ。当然風紀委員室から校門までもそれなりに距離がある。
だからその道中、織は碧に質問した。
「さっき、なんで校門の状況が分かったんだ?」
「あら、わたしのことが気になる?」
「いや別にそこまで」
「なんでそんなに冷たいのよ!」
「碧の扱いはこれくらいがいいって、愛美が言ってたからな」
「……さては先輩、これまで彼女出来たことないでしょ?」
「べべべ別にそんなことねぇし?」
「動揺しすぎでしょ。まあ、冗談は置いとくとして。わたしたちの異能よ。この学院内で起きてる、わたしたち風紀委員案件の情報はリアルタイムでわたしに届くようにしてるの」
「ん? 情報を視るのが異能じゃなかったのか?」
初対面の時、愛美からはそう説明を受けた気がする。果たして情報というのが具体的にどの程度のものなのかは分からないが、この感じだとかなり詳細な情報まで分かるのだろうか。
「わたしたちの異能は情報操作。目に視えるのはその力の一端。だからわたしたちの前にプライバシーなんてものは存在しないし、先輩が彼女いない歴=年齢なのもお見通しよ?」
「いらん情報まで見んでいい。で、お前に代わったのは?」
「あの子は戦闘向きの性格じゃないのよ。それだけ」
と、そこまで話して校門に到着した。
地に倒れ伏している学院の生徒は五人に留まらず。数えてみれば、十人は超えていた。
そして校門の向こうにいる仮面の人物。織はもう認識阻害の対象から外れているのか、その正体はちゃんとわかる。
家で留守番を任せていたはずの朱音だ。
その朱音に立ち向かっているのは、二十人を越す学院の生徒たち。いや、なんでこんな大人数になってるんだ。
「粗方、なんか騒ぎがあるし楽しそうだからやじ馬根性丸出しで近づいたら、戦ってて楽しそうだし参加してみました、ってところかしらね。で、狙われてる子は先輩方の娘さんってことになってるんだけど?」
「さっき部屋で話した通りだよ……」
「あの子がねぇ」
どうやら、碧にも認識阻害は働いていないらしい。碧の異能ゆえか、もしくは朱音が未来で碧か葵のことを知っていたから、予め対象から外して来たのか。
どちらでも構わないが、隣で朱音と織を見比べてニヤニヤしてる碧には、お灸を据えておかなければならない。
「ニヤニヤしてんじゃねぇ」
「いだっ! 女の子の頭をチョップするとかどういうつもりよ!」
「いいから、さっさとあれ止めにいくぞ」
校門の方に視線を戻せば、朱音に立ち向かっていった生徒たちが次々と倒れている。一応気を遣っているのか、異能はおろか短剣すらも取り出していない素手で、おまけに魔術すら使っていない。
迫る無数の魔術を躱し、足技を主として魔術師たちを蹂躙しているのだ。改めて、自分の娘がどれだけ強いのかを思い知らされる。
「つっても、あそこに乱入するのはごめんだな……」
「可愛い後輩にいいとこ見せるチャンスよ?」
「なあ、あれ朱音が全員のしてからじゃダメか? どうせ全員気絶させるのには変わらないんだろ?」
「それだとわたしたち風紀が存在してる理由がなくなるじゃない。まあ、これが私闘かどうかは首を傾げるけれど」
肩を竦めながら、一歩前に出る碧。まさかこの小さな後輩があそこに乱入するつもりか。
おい、と織が声を掛けようとた時には、碧の手に得物が握られていた。
それは巨大な鎌だ。
碧の背丈以上の長さを誇る、漆黒の鎌。その機械的な容貌は、魔術師が持つのに似つかわしくない。
片手で軽々しく肩に担いだ碧は、空いた手でパチン、と指を鳴らす。
途端、戦闘を行っていた全員が動きを止めた。それは朱音すら例外ではなく、まるで一時停止させた動画のように、完全に静止していた。
「はーいちゅうもーく! その子、風紀委員のお客さんだから、この場にいるやつら全員粛清対象ね♡」
「げっ、碧さんだ……」
「風紀委員だ!」
「しかも黒霧のやばい方じゃねぇか!」
「逃げろ逃げろ! 冗談抜きに殺される!」
もう一度碧が指を鳴らせば、生徒たちは動けるようになったのか、今すぐにでもこの場から逃げようと慌て出す。先程まで対峙していた朱音のことなど、もう眼中にない様子だ。
以前愛美が野球部を鎮圧した時もそうだったが、風紀委員という恐怖の象徴がいるのだから、最初から校内で戦闘なんて起こさなければいいのに。
今回の場合は、まあ、仕方がないところもあるけれど。
「逃すわけないでしょー」
軽い調子でいいながら得物を構え、その刃が魔力を帯びて肥大化した。
「じゃあ桐生先輩、バカどもはわたしに任せて、あの子連れて先に戻ってて」
「いいけど、一人で大丈夫なのか?」
「大丈夫大丈夫。わたしに戦い方を教えてくれたの、桐原先輩よ?」
不敵に笑った後輩は、ツインテールを靡かせながらも逃げ惑う生徒の中へと突撃していった。
その背を見送って後ろに振り返れば、さっさと転移して離脱した朱音が。
「で、お前何しにきたの?」
「とりあえず、場所移動しない? 仮面付けてたらまともにあなたを呼ぶことも出来ないからさ」
そういえば、その仮面にはそんな機能もあったか。どうやら認識阻害が作用していなくても、その辺りはどうにもならないらしい。
今更あなた、なんて呼ばれることに多少の違和感を覚えつつも、織は暴れる碧を尻目に風紀委員室へと朱音を案内した。
◆
「洗濯機が壊れた?」
「うん……」
しょぼくれた様子でソファに座っている朱音から話を聞いて、織は呆れればいいのかホッとすればいいのか分からなかった。
というのも、朱音がわざわざ学院まで足を運んだということは、なにか火急の用事でもあったのかと思ったからだ。
それこそ、グレイに関わるなにかが。
しかし実際に聞いてみれば、なんとも下らない理由である。
「せめてそれくらいやっとこうかなって思ったんだけど、洗濯機とかもうずいぶん長く使ったことなかったし……ボタン押してもなにも反応しなかったから、ついイラッとして……」
「それで、真っ二つに斬ったと?」
「……」
「はぁ……」
この程度の理由で気絶させられた数人の生徒が可哀想だ。ついでに二代目洗濯機くんも可哀想。
しかし、どこかで聞いたことのある話だ。親子だからってこんなところで似なくても、と織は踏ん反り返ってる愛美に視線を送る。
「洗濯機なんてボタン押すだけじゃない」
「お前が言うな、お前が」
どうやら、自分がしでかしたことを忘れていやがる様子。この親子は洗濯機くんになんの恨みがあるのか。
「なんにせよ、その程度で良かったよ。てか、なんでうちの生徒と戦ってたんだ?」
「父さんと母さんがどこにいるのか聞くのに近くの人捕まえたんだけど、そしたら侵入者だ、ついでに新しい術式試させろ、って襲いかかってきて」
「そんで仕方なく返り討ちにした、と」
「大体いつも通りね」
いつも通りなのか。いいのかそれで。
「多いのよね、この学院。出来たばかりの術式を試すために、そこら辺歩いてるやつに喧嘩売ったりするのが」
「マジで変人ばっかだな……」
「全くよ」
お前もだ、という言葉を織は辛うじて飲み込んだ。
「術式自体はなんてことない、ありきたりなものだったけどね。あの程度ならわざわざ研究しなくても、即興で適当に作れちゃうよ。五人も動員して手分けして構成していく意味もないし」
「それ、多分朱音か桃にしか出来ないぞ」
「ま、とりあえず洗濯機のことは気にしなくていいわ。また虎徹に新しいのお願いしておくし」
「だから、お前が言うなって」
「せっかく来たんだからゆっくりしていきなさい」
「無視かよ……」
愛美的には、引っ越して初日のあの事件は無かったことになっているらしい。
ともあれ、愛美の言う通りせっかく来たのだ。学院を見て回るのは出来ずとも、ここでゆっくりしていくくらいは問題ない。
いつもお茶を淹れてくれる葵がいないので、代わりに織が朱音のお茶を淹れてやる。
「でもさ、朱音ってこの時代を生きたこともあるんだろ? だったら洗濯機の使い方とか知ってたんじゃないのか?」
ふと思い聞いてみた。朱音は織と愛美にも転生しているから、この時代の知識はあるはずだ。そういえばテリヤキがなんなのかも知らない様子だったし、もしかしたら他にも、現代の知識が抜け落ちてるかもしれない。
「例えばさ。父さんが十年前に、三日間だけ続いた習慣にもならないようなものがあったとして、それを思い出せる?」
「……無理だな」
「つまりそう言うことだよ。現代を生きてた頃のことなんて、もう殆ど覚えてない。二人として生きた記憶はあっても、私でいた時間の方がずっと長かったからさ」
何気なく振った話だったのに、思ったよりも重い答えが返ってきてしまった。
少しだけ哀しそうに笑う朱音に、織はなんと言ったらいいものか分からなくなる。
だが、どうやら愛美は違ったらしい。
「それじゃあ、三人で色んなところに行かないとダメね」
「色んなとこ?」
「ええ。遊園地とか動物園に遊びに言ってもいいし、朱音の服を買うのにショッピングとか、どこか遠くに美味しいもの食べに行ったりとか。とにかく、色んなところよ」
昨日の夜、事務所の外で交わした会話を思い出す。
現実が自分に合わせてくれるわけがなくて、自分が現実に合わせなければならない。
朱音がこの時代にやって来たことに戸惑いこそすれ、だからと言ってその戸惑いが朱音を蔑ろにしていい理由にはならないのだ。
例え未来の話だろうと、家族であることに変わりないから。
その言葉は、織が覚悟を持つには十分だった。朱音を、家族として受け入れる、娘として接する覚悟を。
「そうだな。転移すればどこにだろうと行き放題だし。朱音はどんなとこ行きたい?」
「私は……美味しいもの、食べたいかな……」
「じゃあ、今度連れて行ってあげる」
「その前に、桐原の家にも挨拶しに行かないとな」
「みんな腰抜かすかもね」
それでも、あの家の人たちなら。朱音のことも受け入れてくれるだろう。家族の一員として。
ついでにアーサーを連れていってもいいかもしれない。一体何人に懐くのかも楽しみだ。
「戻りましたー」
「おつかれ様。碧は?」
「疲れたからって引っ込みましたよ。もう、身体は共有だから、疲れたのは私も同じなのに」
風紀委員室に戻って早々、ぶつくさと文句を言う葵。多少制服は汚れているが、身体は完全に無傷。
碧と違って、葵の方にはまだ表情や顔つきに幼さが残っているから、あんな大きな鎌を担いでいたのと同一人物とは思えない。
そんな葵が、ソファに座っている朱音に気づいた。
しかし朱音の方は、何故か怯えた様子で葵を見ている。
「あの、葵さんですよね? もう一人の方じゃないですよね?」
「違うけど、あ、もしかして朱音ちゃん? うわ、すごい、本当に愛美さんそっくりだ! サーニャさんと一緒にいたんだよね? あの人元気だった?」
「ええ、まあ……」
詰め寄る葵だが、朱音は警戒心バリバリの猫みたいに後ずさる。
朱音の隣に座った葵が距離を詰めれば、その分朱音も距離を取り、それを何度か繰り返すうちに朱音はソファの端に追い詰められた。
「あの、ちょっと、あんまり近づかないでくれると助かりますが……」
「え、なんで!」
「それは、その、未来でちょっと……」
「なにをしたの未来の私⁉︎」
マジでなにされたのか気になったが、朱音の怯え様を見ていると迂闊に聞けなかった。
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