第17話

 桐生朱音が生まれた時。

 世界は、すでに終わっていた。


 死滅した人類。蔓延る魔物。自然に侵された人工物。機能しなくなった学院や各国政府に、至る所で起きる天変地異。

 人類以外の生態系も崩壊してしまい、地球そのものが死の星と化していた。


 その原因はハッキリとしている。

 吸血鬼グレイによる、賢者の石の暴走だ。現在進行形で暴走を続ける賢者の石は、生き残った百にも満たない人類を着実に蝕んでいた。


 それでも、戦う人間はいたのだ。

 朱音の両親がその内の二人でもあり、人間に協力してくれる銀髪の吸血鬼だっていた。

 両親やその仲間たちに祝福されながら生まれた朱音は、彼らから生きて戦う術を学んだ。魔術も、体術も、探偵としての知識やサバイバル術まで。その幼い体に、できる限りの知識を詰め込んだ。


 朱音は理解していたのだ。そうしなければ、この世界では生きていけないことを。

 なにより、大好きな両親の力になりたかった。少しでも早く力をつけて、両親のために戦いたかった。


 その夢は、儚く崩れることとなる。


 朱音が十二歳になった頃。彼女の両親は吸血鬼グレイに殺された。


 朱音が知っている限りでも、グレイと戦闘になったことは両手の指では数えられないほどにある。その度に、両親は傷だらけになって帰って来ていた。

 どれだけの怪我を負い、仲間が死んでしまっても。二人は必ず事務所に帰ってきたのだ。


 でも、その日は帰って来なかった。

 探しに出た銀髪の吸血鬼が死体を発見したのは、夜が明けてからのことだ。

 いわく、死体は酷い状態だったらしく、朱音には見せてくれなかった。


 どれだけの時間、泣き叫んだだろう。

 やがて悲しみが晴れた頃に宿ったのは、強い怒りの感情。復讐心。

 両親を殺した吸血鬼を、必ずこの手で殺すという、強い決意。


 賢者の石、そのカケラを体に宿したのは、その時のことだ。元々、父親が友人から譲り受けたという石のカケラ。それをどうにか回収したサーニャから貰い受け、己の力とした。


 結論から言えば、ダメだった。

 二年の月日全てをかけて、両親の残した全てを会得しても。朱音は、グレイに敵わなかった。まるで赤子の手を捻るが如く、容易く殺されてしまった。


 後悔以外になにが残る?


 両親が必死で生き永らえさせてくれた命を、こうも簡単に散らしてしまい。復讐を成し遂げることすら出来ず。親代わりの吸血鬼を孤独にさせてしまった。


 だから、なのだろう。もしも本当に神様がいるのだとしたら、きっと朱音のことを助けてくれた。


 ただし、最も残酷な方法で。



 ◆



「未来から来た、あなたたちの娘です。って言ったら、信じてくれますか?」


 今にも泣き出してしまいそうな笑顔。とんだ矛盾を孕んだ表情で、ルーサーと名乗っていた少女は告げた。


 言葉が出ないのは、きっとその表情を見てしまったからだ。

 予感はあったし、可能性は高いと思っていた。けれど、今目の前にいる少女は、あまりにも幼くて。


「朱音、なのか……?」


 なんとか絞り出した声は、酷く掠れていて。距離のある彼女まで届いただろうか。届いた、のだろう。笑顔が歪んで、眦には雫が溜まっているから。


 本来なら、織には知る由もないことだ。将来娘が生まれることも。その相手が愛美だということも。そして、娘の名前も。

 だが、知っている。あの未来で、短い夢の中で邂逅した少女のことを。

 目の前で泣いている、自分の娘を。


「父、さん……母さんッ……!」


 嗚咽混じりの声を上げて、それでも朱音は、一歩を踏み出して来なかった。代わりに足元には魔法陣が展開され、涙が落ちるよりも前にその姿を消してしまう。


「おい!」

「少し、時間をくれぬか」


 残されたサーニャは呆れ混じりの、けれどたしかな親愛が篭った声音で織に語りかけた。

 後ろから肩に手を置かれる。愛美だ。もう片方の手で頭を抑え、必死になにかを堪えているようにも見える。

 どうやら提案されるまでもなく、こちらも時間が必要らしい。


「明日、また改めて話をしよう。朱音のことも、我のことも、グレイのことも。全てな。ただ、すまぬが我は招かれぬ家には入れない。あの廃墟に来てもらうことになるが、それでもいいか?」

「……分かった。明日、学院が終わってから迎えに行く」

「助かる」


 霧となって消えてしまったサーニャ。残されたのは織と愛美だけだ。

 桃とアーサーはどうしたのだろうかと一瞬頭によぎるも、今はそれどころではない。振り返り、様子のおかしい愛美に向き直る。


「愛美、大丈夫か?」

「ごめん、ちょっとだいじょばないかも……色々と整理させて……」


 ルーサーの正体が二人の娘、桐生朱音であることは、最早疑いようのない事実だ。それだけの証拠があるし、なにより、朱音のあの表情を嘘と疑うことは出来ない。


 刃を向けていた相手が、家族だった。これから先の未来で家族になる、自分の娘だった。

 そのことを知った愛美の胸中は、織程度には想像もつかない。


 トン、と。織の肩に、愛美の頭がぶつけられる。こういう時、どうすればいいのか。女性経験の少ない織には見当がつかないけれど、とりあえず頭をぽんぽんと撫でておいた。


 家族、か。


 胸の内で小さく呟き、織は廃墟の方角を見つめた。


「ごめん、遅れた! ……って、あれ? どういう状況?」



 ◆



 一夜明ければ普通に平日だ。そのあたりは現代社会となんら変わりない魔術学院。いや、変わらないように作られた、と言った方が正しいか。

 学院長の趣味と独断でそのように作り直されたのだから、改めて考えると頭が痛くなる。


 朝になっても、愛美は未だ本調子とは言えなかった。学院までの転移は難なく行えたものの、十全な状態とは程遠い。昨日やこれまでのような戦闘を行えと言われたら、確実に無理だろう。


 どのくらい愛美が酷いかと言うと。


「おはよう! ミス桐原、ミスター桐生!! さあ、今日こそ俺の……おや? ミスター、ミス桐原はなにかあったのか?」


 毎日朝恒例となっているアイクからの愛の叫びを全力で無視した挙句、むしろアイクから心配されてしまう始末。

 その後教室に辿り着いても、他のクラスメイトからは似たような反応だった。


 あの殺人姫に、いつものトゲトゲしさが抜け落ちているのだ。そんなの、ただの美少女である。ちょっと物憂げにしてるから余計にそう見える。

 断じて織の目にはなんらかの補正がかかっているとかではない。


「おう桐生、桐原のやつどないしてん。えらい元気ないやんけ」

「まあ、ちょっとな……仕事で色々あったんだよ」

「そういう君も、少し様子がおかしいように見えるな。ミス桐原と喧嘩でもしたのかい?」

「せやな、お前もなんやおかしいぞ」


 すっかりいつものメンバー感の出てきた晴樹とアイクが、織の様子を気にかける。愛美ほどではないが、織にも色々と気持ちの整理が必要だった。


 一度刃を交え、そして共闘し、昨日は命を助けてもらった。一筋縄ではいかない関係だった相手が、いきなり未来から来た実の娘だと判明したのだ。

 織は半ば予感していたからダメージが少ないものの、愛美はそうじゃないだろう。


 それより、今後のことについて考えなければならない。

 今日はこの後、桃も連れて一度あの廃墟へと向かう予定だ。そこで話をする。両親の事件から始まり、朱音とサーニャの目的、これから為すべきことまで。


 出来れば、それまでに愛美が本調子へと戻ってくれればいいのだが。


「なあ二人とも。魔術か異能で時間を遡ることってできるのか?」


 ふと、思い浮かんだ疑問だった。

 ルーサー、桐生朱音は転生者であり、その炎の力で未来から現代へ来た。

 これはあくまで、桃の立てた仮説にすぎない。だから、確証が欲しい。

 織よりも知識の多い二人なら、なにか知っていることもあるだろう。


「異能についてはよう分からんけど、魔術やったら、まあ、不可能やない、とは言えるな」

「曖昧な言い方だな」

「一応、理論は確立されているのだよ、ミスター。時間に関する魔術は、広く捉えれば転移魔術などと同じものだからね。時空間魔術と一括りにされている」

「そりゃまた大層な」


 時間と空間は、とても密接な関係にある。空間としてその場に存在しているのなら、そこには必ず時間が生じ、逆に時間が生まれれば、そこは空間として確立した場所になるのだ。


 転移魔術は、現在地の座標軸と転移先の座標軸を取得し、互いにある空間を歪曲させて行われる。当然、時間への干渉もある。

 本来そこへたどり着くのに要する時間すらも捻じ曲げているのだ。


「転移魔術は、時間遡行の応用だ。言わばとても小規模な時間遡行と言っても過言ではない。俺は専門ではないから詳しいことは知らないのだが、ごく短い時間遡行を連続して何度も繰り返すことで、転移している。と聞いたことがある」

「せやから、時間を遡るってだけやったらお前も経験しとるはずなんよ」

「じゃあ、もっと長い時間を遡ることは? 十年とか、二十年とか」

「それが、不可能とは言わんけど、ってやつやな」

「……魔力量か」


 転移魔術一つでも、かなりの量を必要とする。一般的な魔術師では、一日に一回から三回程度が限界だ。

 小規模な時間遡行の繰り返しと言われる転移でもそれなのだから、十年、二十年遡るとなれば、一体どれだけの魔力が必要になることやら。

 恐らく、織を百人集めてもまだ足りない。


「それもあるけどな。なにより、そんだけ長い時間遡るにはデメリットも存在しとる」

「自身の存在を定義出来ないのだよ」

「どういう意味だ?」


 アイクと晴樹の説明はこうだ。

 今よりも過去に遡るとなれば、術者はその時間を生きていることになる。術者にとって、過去が今になるのだ。

 だがそれは、本来その時間には存在しない異物。過去の自分がその時間にいたとしても、の自分は、そこに存在していない。


 そこで矛盾が生じてしまう。

 過去に遡るというその行為自体が、未来を変えてしまう一つの原因となり得るのだ。

 遡るだけならまだいい。最終的に術者がやってきた現代へと、時間は収束されるだろう。


 だが、少しでもなにかに介入してしまえば、確実に未来は変わる。元いた時代での自分を定義できなくなる。

 未来が変わってしまえば、は存在を否定され、消える。


 仮に介入しなかったとしても、未来が不確定なものとなってしまうため、結局遡った先の過去でも自身の存在が定義出来ない。

 シュレディンガーの猫、といえば分かるだろうか。生きているのか死んでいるのか分からない状態。故に、生きていながらに死んでいると言える状態。

 時間遡行を行うだけで、遡行元の現代はその様な不安定な状態になってしまう。


 仮に現代から過去を観測し、第三者によって現代と過去、両方でその存在を確立させられていれば可能なのだろうが、残念ながらその方法はまだ開発されていない。


「ん? 待てよ? なら、短い時間遡行の連続っていう転移魔術はなんで出来るんだ?」

「アイクが応用や言うたやろ。あれは空間の側を弄っとる。時間に干渉しとる言うても、それはほんの僅かだけや。世界の時間がすぐに自分らに追いつくからな」

「短い時間遡行とは言ったが、本当にコンマ以下、何億分の一の世界だよ。そして、それを直接使用しているわけでもない。あくまでもその理論を応用させているだけだ」

「へぇー」

「お前、分かっとらんやろ」

「まあな」


 織は正直者なので、分からないことは分からないと言う。二人があれこれと専門用語も用いて説明してくれたが、織が分かったことといえば「長い時間を遡ることは不可能」「転移魔術は時空間魔術として似て非なる魔術」「つまり転移も時間遡行も自分には無理」の三つだけだ。


 しかし、もしもその理屈が異能による時間遡行にも当てはまるのだとすれば、朱音はどのようにしてこの時間に留まっているのか。


 いや、ルーサーが未来から来たという仮説は、桃が一度立てている。あの魔女がこの辺りのルールを知らないわけもないし、あの時点でその話が出ていない以上、異能には当てはまらないのかもしれないが。


「だめだ、難しいこと考えてたら頭痛が痛くなってきた」

「まるっきりアホの発言やな」

「うるせー」


 自分の頭の出来がよくないことは百も承知だが、他人から指摘されると少しイラっとする。いやまあ、それにしても頭痛が痛いはたしかにアホ丸出しだったけど。


 視線を上げて、前の席に座る愛美を見遣る。きっと今の会話は愛美にも聞こえていたのだろうが、彼女は窓の外を見るだけでこちらに一瞥もくれない。


 なにか声をかけようとして、言葉が出なかった。一体何を言えばいいのか。


「ま、嫁が元気ないからってお前まで落ち込むことあらへんわ」

「やめろ晴樹……その言葉は俺に効く……」


 あまりにもタイムリーすぎる弄りに、織は顔が熱くならないよう必死に努めた。

 チラリと見えた愛美の耳も赤くなっていた気がしたから、どうやらこちらの話が聞こえていないわけではなさそうだ。



 ◆



 学院の授業が終われば、本調子とは言わないものの、愛美は今朝に比べるといくらかマシになっていた。


「色々考えてみたけど、とりあえずはあの子と向き合うところからよね」

「まあ、そうだな」


 そういう愛美の目には、強い意志が宿っている。とりあえず大丈夫、なのだろう。愛美が何を思い、何を考えていたのかは本人にしか分からないことだが、織はそう信じることにした。


 ともすればそれは、織の願望でもあるかもしれない。そうあって欲しいと、勝手な幻想を押し付けているだけなのかもしれない。


「それじゃあ二人とも、心の準備はいい?」


 合流した桃に問われ、頷きを返す。それが合図となり、足元に魔法陣が展開された。

 一瞬の浮遊感の後、目の前には見覚えのある廃墟が。朱音が結界を解除したのだろう。


 廃墟の中へと踏み入り、五階まで上がる。具体的に廃墟のどこにいるのかは聞かされていなかったが、魔力の反応を辿ればすぐに目的の人物を見つけた。


 周囲には比較的新しいゴミが散乱していて、寝袋やソファなんかも置かれている。廃墟とは思えないほど生活感に満ちたその空間で、ルーサーこと桐生朱音は、もしゃもしゃと実に美味しそうにハンバーガーを食べていた。


「おい朱音」

「なんですかサーニャさん。私は今やけ食いの最中なのですが。それよりこのテリヤキバーガーって美味しいですね。テリヤキってなんのことです?」

「それは両親に聞け」

「相変わらずサーニャさんは馬鹿ですね。私が今更、どんな顔してあの人たちと話せばいいんですか。そもそも、本当にここに来るかも怪しいですが」

「もう来てる」

「え」


 口の周りをテリヤキソースで汚した、未来から来た自分たちの娘。

 その双眸が、ゆっくりと織たちに向けられる。驚きの色で染められた瞳は大きく見開かれ、織たちと視線がぶつかった。


 一瞬、場が沈黙に支配される。それを破ったのは、ふっと微笑んだ愛美だ。


「大食いなのは、私に似たのかしらね」

「お前と同じ魔術と体術使うんだし、そうなるのが当たり前なんじゃねぇの? それより、こうしてヤケになってる辺りの方が、お前に似てると思うぜ」


 ゆっくり。ゆっくりと、歩み寄る。

 ソファに座ったままの朱音は、金縛りにあったごとく動けない。やがてその眼前でしゃがみ込み、視線を合わせた愛美は、懐から取り出したハンカチで朱音の口元を拭った。


「ほら、汚れてるわよ。女の子なんだから、身嗜みはきちんとしなさい」

「ぁ……母、さん……」

「なに?」


 優しい笑みで見つめ、朱音の頭を撫でる。

 それがキッカケだったのだろう。朱音の瞳からはポロポロと涙がこぼれ落ちて、手に持ったバーガーも床に落とし、自分の母親に抱き着いた。


「私……私は……ずっと、もう一度でもいいから、会いたくてッ……!」

「そう。頑張ったのね」

「うん……うんっ……私、とっても頑張ったんだよ……」


 それきり朱音は、愛美に抱き締められたまま嗚咽を上げて泣き出した。

 その間、愛美はずっと朱音の頭を撫で続けていて。織はその傍にソッと寄り添うのだった。



 そんな光景を、魔女は眩しそうに眺める。

 家族。それはずっと昔に、彼女がなくしたものだ。両親の顔なんて最早思い出せないほど昔に。


「我らでは、もう理解できぬものかもしれんな。家族というのは」

「だろうね。こういう時、長く生きすぎたかなって思っちゃう」



 ◆



「アーサー! アーサーが小ちゃい! え、嘘、めちゃくちゃ可愛い!」


 場所は移り、桐生探偵事務所。入ってすぐに織たちを出迎えたのは、留守を任されていた白い狼だ。

 アーサーは真っ先に愛美の元へと駆け寄ろうとして、主人と瓜二つな客人に気づいたのだろう。その足を止めて愛美と朱音を見比べていたのだが、そうしているうちに朱音がアーサーに抱きついてしまった。


「小ちゃくてもモフモフなのは変わらないねぇ〜」


 愛美と似たなにかを感じたのか、アーサーは朱音になされるがままだ。そんな光景を微笑ましく見ながら、今なら行けるかもと織も手を伸ばしてみたのだが、狼は織に睨みを一つ。やっぱりダメでした。


「なあ、なんで俺だけダメなんだ……?」

「自分より弱いやつは嫌いなんじゃない?」

「事実だけに否定出来ねぇ……」


 肩を落としながらも、織は自分の席へと腰を下ろす。愛美がソファに座れば、その隣に朱音がオズオズと少しだけ距離を開けて座り、二人の足元にアーサーが寝そべる。桃とサーニャは奥のティーテーブルの方に。


「さて。それじゃあとりあえず、色々と話さないことは話しておこうか」

「だな。出来れば、時系列順に並べて話してくれると助かるんだが」

「ならば、我が話そうか。朱音の事情も全て聞いている。本人の口からは言いにくいこともあるだろうしな」

「いえ、いいです。私が自分で、全部話します」


 一度場所を移したことにより落ち着いてしまったからか、朱音の態度はどこかよそよそしい。

 いや、それで言えば織もそうなのだが。

 いかんせん、未来から来たという自分の子供に対して、どのように接したらいいのかが分からない。歳は今の自分と大きく違わないから、余計に。


「あー、朱音。頼めるか?」

「はい……えっと……まず、私のことから話しますね」


 ぎこちない。あまりにもぎこちなさすぎる。廃墟で愛美と言葉を交わした時も、さっきアーサーに抱きついた時も敬語じゃなかったのに。

 フッ、と誰かが微笑んだ声が。ティーテーブルの方を見てみれば、歳上二人がなんともまあ生温かい目をしていた。


 その二人に言いたいことはあるが、今は朱音の話が最優先だ。


「私は、今から二十年後の未来を変えるために、この時代へと来ました。とは言っても、言葉ほど単純なわけでもないんですが。私が転生者だと言うのは、みんな知ってると思います。炎の力についても」

「時間操作、だね? その力を使って、朱音ちゃんはこの時間に来た」

「はい。でも、私がこの時間に来たのは、これが初めてのことではありませんが」

「どう言うこと?」


 隣の愛美が問いかけると、朱音は身を縮こませてしまう。恐らく、その先がサーニャの言う、本人の口からは言いにくいこと、なのだろう。


「私は転生者の中でも、少し特別なんです。通常なら、一度死んだ転生者が次の生を受ける際、時間の逆行は不可能。死んだ時点から一秒でも未来に次の生を受けますが。私の場合は、過去の人物に転生できたんです」

「それで、この時間は初めてじゃないってわけか」

「問題は誰に転生したかだけど、まあ、ある程度予想できるよね」


 転生者は記憶と力を来世に持ち越す。そして朱音は、愛美と織の異能を使える。

 そこから導き出される答えは一つだ。


「私は、桐生織としても、桐原愛美としても、生きたことがあります。とは言え、私が過去の人物に転生した時点で、そこで時間軸に分岐が生まれていますが。今の二人の人生と、私が二人として生きた人生は、大まかでは同じだとしても細部はかなり違いますから」

「並行世界の理論が確立されちゃうじゃん」

「理論だけなら魔術で時間移動も可能だろう。なら、並行世界の移動とて難しいことではない」


 桃とサーニャの二人が少し話を脱線させてしまうが、それも今はどうでもいいことだ。

 なんか時間遡行やら時間移動やらの説明を受けても、半分以上理解できなかった織にとっては興味のない話。


「未来で私は、全ての元凶であるグレイに殺されて転生者になった。だから、過去に遡って、その時間でグレイを倒そうと考えた。でも、ダメでした。桐生織としても、桐原愛美としても、あの吸血鬼には勝てなかった。親も友人も仲間も殺されて、賢者の石はただの一欠片を残してやつの手に渡る。どうやっても、同じ未来に辿り着いてしまうんです」

「なら、今の朱音は? 俺たちに転生して、その後はどうしたんだ?」

「もう一度、私として転生しました。父さんと母さんの力。それから魔女の力のカケラを宿した私として」


 それでも、グレイには敵わなかったのだろう。だからこそ朱音は、今この時代ににいるのだ。


「何度も、何度も私をやり直しました。転生者は転生した回数がそのまま力となる。だから、私は殺されるたびに私をやり直して、でも、それでもダメだった……」

「周りには、話さなかったの? あなたが転生者で、何度もやり直してることを」

「話せませんよ。少なくとも、父さんと母さんには、絶対に話せなかった」

「なんで……!」

「だって、全て話してしまえば、あなた達は私を戦いから遠ざける。父さんも母さんも、優しいから。私の代わりに、全部終わらせようと二人だけで背追い込む。それを、二人として生きた私には分かっちゃうから」


 その通り、なのだろう。事実、織は今だってそう思っている。朱音の話を聞いて、今すぐにでも戦いから遠ざけたいと、後は任せろと言って休ませてやりたい。


 けれど、それが出来るだけの力を、今の織は持ち得ない。


「でも、サーニャさんにだけは話したんです。そして提案されたのが、時間遡行。正直、かなり賭けの要素が強かったですが。魔術的な観点から言えば、二十年にも及ぶ時間遡行は殆ど不可能に等しい」

「でも、朱音ちゃんには織くんと愛美ちゃんに、そして自分自身に何度も転生したことで、一つの知見を得た。だよね?」

「はい。なにをやっても、未来は変わらない。私が転生という形で過去に遡っても同じなら、この未来は強く決定づけられている。だったら、時間遡行で一番の問題点は片付くんです」


 今朝、晴樹とアイクから聞かされた話を思い出してみる。殆どなにを言っているのか分からなかった織だが、たしか二人はこう言っていたはずだ。


 過去に遡ったとしても、自身の存在を確立できない。それは、時間遡行自体が一つの過去介入となってしまい、未来の形が不安定になるからだ、と。

 そして未来が変わってしまった時、過去に遡った術者は消滅してしまう。とも言っていた。


 つまり、こうして朱音と接触した今の状況だけでは、未来は変わらないことになる。やはり根本の解決をするには、グレイを倒すしかない。


 だが、倒した後はどうなる? それで本当に未来が変わったとして、ここにいる朱音は?


 朱音は転生者だ。二人から聞いた話はあくまでも魔術的な意見であり、異能がそれに当てはまるわけではない。それに、仮に消滅してしまったとしても、転生して次の人生が待っているかもしれないじゃないか。

 でも、どうしても織の頭からは、悪い予感が消えなくて。


 織のその予感自体、朱音にはお見通しなのだろう。なにせ朱音は、織自身でもあったのだから、その思考や心理は分かりきっている。


「未来が変わった後どうなるのかは、私にも分かりません。消えるのかもしれないし、未来に戻されるのかもしれない。どちらでもなく、この時間に留まる可能性だってある。魔術理論の上では消滅するらしいですが、それはあくまでも机の上で描かれただけ。実際に確かめた人がいるわけでもありませんから」


 織を安心させるためか、朱音は小さく笑む。

 それでも織の不安が完全に晴れることはない。理論として提唱されている以上、可能性が高いということだ。

 今からそんな先のことを心配していても仕方ないとは分かっているけれど。


 でも、実際にどうなるか分からないのも事実。そうでない可能性が少しでもあるのなら、それを信じたいと織は思う。


「ともあれ、そうして私は自分の炎を使って、二十年の時を遡って来ました。あの仮面は、未来のサーニャさんが作ってくれた魔導具です。私がこの時代に来たのは、ちょうど桐生凪と桐生冴子の二人が殺された日です。出来れば、一日でも前にこの時代に来たかったんですが」


 申し訳なさそうに朱音が見つめる先には、銀髪の吸血鬼が。サーニャはため息を一つ落として、朱音の説明を引き継いだ。


「まあ、そうさな。もしもあの場へ行くよりも前に朱音と出会っていれば、我が凪と冴子の元へ向かうのを止めていただろう。結果そうならなかったのだから、朱音が悔いても仕方あるまい。責任は我にある」

「ようやく、話が現代に戻ってきたのかしら?」

「ああ。結論から言えば、凪と冴子を殺したのは我ではない。グレイだ」


 それは、織も聞いた。他の誰でもなく、あの灰色の吸血鬼本人の口から。

 その時のことを思い出すだけで、織の体は恐怖に震えそうになる。圧倒的な力の差。目の前に迫った死。次にやつと対峙すれば、生きていられる保証はどこにもない。

 毎度毎度、誰かが助けてくれるわけではないのだ。


「我は桐生の二人が学院の生徒だった頃から友人でな。その二人が、賢者の石について調べていると聞いた。その件で話があると呼ばれたのが、あの日だ」


 サーニャはチラリと桃の方を見るが、桃は首を横に振るだけだ。自分は何も知らない、と言いたいのだろう。


「わたしになにかを期待されても困るよ。だって、織くんの両親のことだって知らなかったし、賢者の石についてはわたしが知りたいくらいだもん」

「それもおかしな話ではあるがな。貴様、学院の地下に住んでいるのだろう? ならば凪と冴子のことを知っていて当然だと思うが」

「桃が学院に定住するようになったのは、二年前の話よ。それまではイギリスにいたわ」


 一触即発な雰囲気の魔女と吸血鬼を諌めたのは、愛美のフォローだ。現在の学院内で最も桃と親しい彼女が言うのだから、それは嘘じゃないのだろう。


 そもそも国内にいなかったのであれば、織の両親を知らなくても納得できる。織自身、両親が海外に飛んだことがあるだなんて聞いていないし、そもそも二人はあの街の事件をメインに扱っていた。街の外に出ることすら稀だったのだ。


「つーか、頼むから仲良くしてくれよ。これから手を取り合って協力しようって話だろ?」

「諦めなさい織。無駄に歳だけ重ねたババアはその分気が短くなるのよ。老害とも言うわね」

「よーし愛美ちゃん、表にでようか」

「ふっ、その程度でキレる辺り、魔女と言えど程度が知れてるな」

「わたしよりババアなくせして余裕ぶっこいてんじゃないよ年増吸血鬼」

「あ゛ぁ?」

「だから! 喧嘩するなって!」


 ダメだ。こんなんじゃ協力しようなんて夢のまた夢じゃないか。

 そもそも、集まってるメンツを冷静に見返してみると、誰も彼も一癖も二癖もあるやつばかり。


 未来から来た自分の娘と同居人の殺人姫に、二百年を生きた魔女。おまけに人間ですらない吸血鬼までいやがる始末。

 まともな一般人は織だけだ。


 しかし戦力という点で見れば、この上なく頼もしい。


「いいから、続きを話してくれ。俺の両親を殺したのがグレイで、あんたは冤罪だってことは分かった。ならなんで、それをすぐに説明してくれなかったんだ?」

「私とあの場で遭遇した時、はさすがに無理でも、その後ならどうとでも説明できたはずよね。特に、朱音と初めて会った時とか」


 それこそが、これまでの状況をややこしくしていたのだ。さっさと冤罪だと説明してくれていたのなら、織たちとしてもこうして協力を惜しまなかった。

 しかしそうしなかったということは、それなりの理由があるはずだ。


「理由は三つある。一つは、あのややこしい状況を利用して、グレイのことを探りたかったからだ。我らが互いに潰し合おうとしている限り、やつは直接介入してこないと睨んでいた」


 そしてその狙い通り、グレイは眷属とした魔物を放つばかりで、本人は昨日まで姿すら見せなかった。


「朱音が動き回れば、グレイも黙って見ているわけにもいかないだろう。なにせ、未来から自分の命を狙いに来ているのだ。一度だけでも、直接自分で朱音を見に来るはず。まあ、そうやって誘き出したのが昨日の話で、見事仕留め損ねたわけだが」

「んぐっ……」


 サーニャからの視線が痛い。あそこに織がいなければ、もしくは愛美か桃がいたのなら、グレイを仕留めることが出来たかもしれない。しかし、そうはならなかった。

 何故なら織が弱いからだ。


 なんかもう申し訳なさやらなんやらで、泣きたい気持ちになってきた。


「ふ、二つ目は……?」


 なんとか気を持ち直し、サーニャに問いかける。が、サーニャは朱音の方へと視線をやっているだけだ。

 釣られて、全員が朱音の方を向く。


「え、私が言うんですか?」

「その方が面白いだろう」

「酷い人ですね……」

「生憎、我は人ではないのでな」


 ククッ、と喉を鳴らすサーニャに、ため息を零す朱音。

 どうやらこの二人は、随分と仲がいいらしい。ともすれば、織と愛美よりもよほど親子に見えてしまうくらいだ。


「えっと、二つ目は、シンプルに実力の問題です」

「朱音ちゃんとサーニャの二人なら、グレイを倒すのも出来ないことはないと思うけど?」

「それは、私が本来の力を発揮できればの話ですが。この時間に遡って来てから、どうも上手く力を出せないんですよ」


 困ったように眉根を寄せている朱音。たしかに昨日の戦闘では、賢者の石の力を使おうとしていなかった。

 放った魔術は魔導収束の鎖と、織たちの前から逃げ出した際の転移のみ。

 カケラとは言え、賢者の石だ。朱音の体には膨大な量の魔力が宿っているはず。


「炎を無理な使い方したデメリット、だと思うんですが。今はある程度回復してるのですが、この時代に来た時は魔術はおろか異能すら使えませんでした」

「いや、待て待て。ならお前、最初に愛美と戦った時は? 概念強化使ってたんじゃないのか?」

「使ってませんよ?」


 キョトンと小首を傾げる朱音だが、その事実に織も愛美も開いた口が塞がらない。

 まさか、素であの身体能力だというのか。いやでも転生者は力を持ち越すって話だったし、いやいやでも、だからってあれがなんの強化も掛けていないとか、さすがに人間離れしすぎでは?


「え、ちょっと待って。朱音、一応聞いておくけど、あの体術使う時って、脳に概念強化かけたりしてる?」

「昔はしてましたね」

「……」


 今はしていない、と。


「だからまあ、あの時も魔術は使えなかったので、母さんの動きについて行くのがやっとだったんです。なんとか異能は使えるようになってたので助かりましたが」


 つまり、この幼い少女が完全に回復すれば、それは一体どれほどの力を手にすることとなるのだろう。

 少なくとも、この場の全員を相手にしても余裕で勝ててしまうのではなかろうか。


「さっきも言ったように、今はある程度回復してるんです。賢者の石はまだ完全に動き出したわけじゃないですが、正直今の私って賢者の石はあんまり必要なかったりするんですよね。転生の回数だけは多いですから、その分魔力も持ち越して、転生するたびに増えてますし」

「なんかわたしにまで流れ弾来てない……?」


 サラッと桃のアイデンティティまで傷つけられたのだが、朱音にその自覚はないようで。


「問題は、その、父さんと母さんの方にあるというか……」


 本当に申し訳なさそうに言う朱音を見ていれば、織も愛美もある程度察しがついてしまった。結局、そこに行き着いてしまうのだ。


 はぁ、と鉛のように思いため息とともに、織は言葉を吐き出した。


「弱くてごめんなさい……」

「あ、いや、違う! 違うの! 父さんが悪いわけじゃないから! その、そう! 将来的には父さんも凄く強くなるから! だから大丈夫だよ!」


 思わず敬語から素の口調に戻るほど慌てて慰める朱音だが、娘から間接的とは言え弱いと言われてしまった織の心は、もはやズタズタになっていた。


 たしかに夢で見た未来の自分は、本当に自分なのかと疑うほどの力を持っていたけれど。それとこれとは別である。


「つまり、貴様ら二人があまりに弱いから、暫くは我らが相手をして鍛えてやるつもりだったのだ」

「そう……私、やっぱりまだまだ弱いわよね……」

「貴様の場合は、少し別だがな。地力はあるし、人間相手ならば今のままでも十分だろう。だが、相手は吸血鬼だ。戦い方を学べと言う話さ」


 つまり俺はシンプルに弱いだけですね分かります。

 さすがに無視できないダメージを心に負ってしまった織だが、まだ一つだけ聞いていない理由がある。落ち込むのはこれを聞いてからだ。


「それで、最後の一つは……」

「朱音が駄々をこねていた。それだけだ」

「ちょっ、言い方! もう少し言い方ってものがあると思うのですが!」


 吐き捨てるように言ったサーニャの言葉に、朱音が真っ赤な顔して反論する。


「オブラートに包んだ結果がこれだ。やれ合わせる顔がないだの、なにを話せばいいか分からないだの、あれやこれやと言い訳ばかり並べおって。貴様がこの時代に来たのは、両親にもう一度会いたかったからだろう。それさえ素直に口にしていれば、我だって他の方法を考えたわ」

「な、な、な、なんで全部言っちゃうんですか! あれですか、サーニャさんやっぱり馬鹿なんですか! 人の気持ちが分からない馬鹿なんですか!」

「我は人ではないとさっきも言ったが?」

「はー、そういうこと言っちゃいます? いいんですか? 私にかかればサーニャさんごとき一捻りなんですよ?」

「粋がるなよ小娘が」

「残念ながら、通算で言うと私の方がサーニャさんより年上ですが。そんな単純な計算も出来ないなんて、五百年で脳が腐り落ちました?」

「よし殺す」


 二人が発する濃密な魔力に、事務所内が揺れる。朱音は愛美が、サーニャは桃が抑えてるからいいものの、この場で二人が喧嘩なんておっ始めてしまえば事務所は一瞬で瓦礫の山へとビフォーアフターを遂げるだろう。


「頼むから、仲良くしてくれ……」


 切実な声を漏らす織は、頭を抱えるしか出来ない。

 だって弱いから、喧嘩の仲裁なんて出来っこないしね!

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