第14話
「ルーサーと共闘した?」
学院に戻ってきた織は、つい先程行ってきた依頼について早速愛美へと報告した。
晴樹と香織はすでに帰宅済みだ。学校への報告も織が引き受け、職員室よりも先に風紀委員会室に来た次第である。
愛美の座る委員長席には書類が何枚か置いてあり、今まさしくその一枚と睨めっこしている最中だったのだが。そんなことしている場合ではないとばかりに、手元の書類を傍に寄せて立ち上がる。
「碧、残りの仕事頼んだわ」
「え、嫌よ。先輩の仕事でしょ?」
「ちょっと込み入った話なの。場所を変えたい。仕事しながらなんて以ての外。分かった?」
「……分かったわ。桐生先輩と二人きりになれる場所に行きたいってことね?」
「行くわよ織」
「お、おう……」
「無視しないでよぉ!」
嘆く碧を放ったらかし、織は愛美の後に続いて部屋を出る。
向かう先は風紀委員会室の、その隣にある部屋だ。愛美が扉に手を掛けるが、開く様子はない。
「あの魔女、まだ寝てるわね……」
コメカミに血管を浮かばせた愛美が、懐から取り出した短剣で扉を斬り捨てた。どうやらお怒りのご様子だ。
扉の先は下に向かって階段が伸びていた。だがおかしい。風紀委員会室があるこの廊下は、二階のはずだ。下に階段が伸びるということは一階に繋がっているのだろうけれど、扉の向こう側はどう考えても地下のそれ。明かりは等間隔に灯されたロウソクだけで薄暗く、足下はひどく頼りない。
「桃の魔術で空間を歪ませて、扉の先が地下に繋がってるのよ。この先があの子の研究室。話はそこでしましょう」
「とことん規格外だな……」
空間を歪ませるって、一体どんな魔術を使えばそんなことが出来るのか。
今更あの魔女の実力に驚いていても仕方ない。愛美とともに階段を降りて行く。
扉の外からでは先が見えなかったが、実際に降りていけば程なくして木製の扉に行き当たった。
織も愛美も触れてすらいないのに、扉はひとりでに開く。
中はさほど広くない石造りの部屋になっていた。事務所の一階と同じくらいだろうか。しかし事務所よりも狭く感じるのは、至る所に紙や魔導書、魔導具が落ちていたり、壁に様々な魔法陣が手書きされていたりするからだろう。
「汚ねぇ……」
「この部屋はいつ来てもこんなんよ」
殆ど足の踏み場がない部屋の奥には、ベッドと机が置いてある。そのベッドの上にはなにやらタオルケットに包まっている丸い物体が。端から僅かに髪の毛が見えている。本当に寝てたぞこいつ。
「起きなさい桃」
容赦なくタオルケットを剥ぎ取る愛美。その中では当然桃が眠っていて、織は思わず目を逸らしてしまった。
気持ちよさそうに眠っている魔女は下着以外にブラウスしか身につけておらず、ボタンも止めていなくてブラとかショーツとかが丸見えになっていたからだ。
意外と胸大きいんですね。
「まただらしない格好して……ほら、さっさと起きて服ちゃんと着なさい。織も来てるのよ」
「あと五時間……」
「永眠させるわよ」
のそのそと起き上がる桃。織がついそっちを見ちゃうのは致し方ないこと。だって思春期なんだもん。
桃がグッと伸びをすると、滑らかな曲線が余計強調されてしまう。愛美にはないものだなぁとか考えてたら睨まれた。殴られないだけよしとしよう。
「おはよ、二人とも。今何時?」
「もう夕方よ。五時前。ちょっと大切な話があるから、さっさとシャワー浴びて着替えなさい」
「はーい」
織がこの場にいるのにも関わらず、桃は全く恥じらう様子もなく浴室へと向かった。
いや、地下なのに風呂あるのかよ。どこから水引いて来てるんだ。そう突っ込みたい織だったが、ここは魔女の部屋だ。なにがあってもおかしくない。
「ちょっとは恥じらってもらいたいもんなんだけどな……」
「二百年も生きてるんだから、そんなものそこら辺に落としてきてるでしょ。そういう人間性はあの子に期待しない方がいいわよ」
その姿も言葉遣いも完全に現代の女子高生だが、中身は二百年を生きた魔女だ。吸血鬼のような魔物ではなく、ただの人間として長い時を生きている。
人間性の欠落があってもおかしい話ではない。今こうして織たちと接している彼女が、桃瀬桃の本当の素であるわけがない。
きっとその内に、織には想像もできないような顔を隠している。
しばらくしてから戻ってきた桃はいつもの制服姿。髪は完全に乾いているものの、お下げにせずそのまま下ろしている。
「で、話ってなに?」
「織がさっき、ルーサーと遭遇したらしいわ」
「え、ここで?」
「依頼先でよ。織、説明して」
「ああ」
愛美には軽く説明したが、改めてもう一度、事細かに説明する。
依頼主が殺されていたところから、ルーサーと協力して魔物を倒し、やつが吸血鬼グレイについて調べていたこと。討伐対象の魔物はグレイから力を分け与えられていたことに、両親の事件の日、織を襲い愛美が殺した魔物もそれと同じだったことまで。
「最後に、ルーサーとちょっと話をしたんだ。サーニャの味方ではあるけど、俺たちの敵になるつもりはないって言ってた。俺たちがサーニャを追うから、結果的にそうなってるだけだって」
他にも色々と話はしたが、その部分は伏せておいた。この二人、特に愛美の前で言うには羞恥心が勝るし、報告するような内容でもない。
「やっぱり、グレイが関わってるのは間違いないみたいだね」
「でも、いくつか不可解な点があるわ。まず、グレイがどうしてそんなことをしたのか。それから、サーニャとルーサーはなぜ私たちに事情を話さないのか。ルーサーの正体についても、依然と分からないままよ」
愛美の言う通りだ。
かつて賢者の石を狙っていた吸血鬼グレイ。二百年も姿を現さなかったのに、なぜ今になって動き始めたのか。その動き自体も謎だ。普通ならば桃を狙うだろうに、なぜか織の前にばかりやつが力を与えた魔物が出てくる。
今日、あの魔物たちが現れたのも、偶然にしては出来過ぎだ。織たちがあの依頼に決めたのは、あそこへ向かう直前のことだし、事前に分かるわけがない。
そしてサーニャとルーサー。
もしも本当にサーニャが冤罪だとして、なぜルーサーはそのことを話さないのか。サーニャは逃げ続けるのか。二人の目的がグレイにあるのなら、桃と利害は一致するはず。サーニャは人間と友好的だったと言うし、ここは協力した方がいいはずだ。
ルーサーは、マスクの機能のおかげで言えないこともある、と言っていたか。
素顔を見せてくれないから、ルーサーの正体についても分からずじまい。おまけに魔導収束まで使い出すのだから、余計に分からなくなってしまった。
「ねえ織くん。ルーサーと話してみて、なにか感じたことはある?」
「感じたこと、か……」
そればかりは直接会話した織にしか分からないことだ。愛美は刃を交えたものの言葉は交わしていないし、桃だって戦闘中に短いやり取りをしただけ。
決してこちらに敵意を向けてこないルーサーが、どんな人間なのか。それは二人よりも、織の方が理解しているかもしれない。
少し前の、やつとの会話を思い出す。認識阻害のマスクをしているから、顔はおろか歳も性別も判断ができない。
「悪いやつじゃない、ってことくらいだな」
それでも、やつが最後に聞いてきたあの質問。織の答えに対する反応。あれを見て、聞いていれば、そうとしか思えなかった。
「なんつーか、やけに話しやすかったってのもあるんだけど、妙な親近感が湧いたってのかな……」
向こうは敵なのに、そんなものを覚えてどうするのだ。織は心の中でそう自嘲するが、二人がそこに突っ込んでくることはない。
ルーサーにあれこれと語ってしまったのは、互いの距離感が故だと織は思っている。最初は敵で、次は味方。だから口が軽くなってしまったのだと。
それで親近感が湧くというのも、矛盾した話ではあるのだろうけれど。
「うん、ありがと。参考になったよ」
「今のでか?」
「今ので、だよ。ルーサーの正体について、一つだけ仮説が立てられるんだけど、織くんの直感を信じるならその仮説がより強固なものになる」
チラリと愛美の方を片目で伺ってから、桃は仮説とやらの説明を始めた。
「ルーサーは銀色の炎を使ったんだよね? 本来の炎、自然現象や魔術による炎ではあり得ない効果を持ったものを」
「ああ。その銀色の炎で、山火事寸前のところを消火した」
煌めく銀色は、今も織の網膜に焼き付いている。場違いにも幻想的だと思ってしまったほどだ。
あの炎が燃える木々を包み込んだ後には、完全に消火され、それどころかまるで時間が戻ったかのように、山は元の姿へと戻っていた。
「なら確実に、ルーサーは転生者だよ」
「転生者?」
聞き慣れない単語に、織は首を傾げる。最近流行りらしい異世界転生的な? いやでもここは異世界じゃないし。
「前世の力と記憶を持ち越して今世を生きているやつらのことよ。そいつらはみんな、おかしな炎を使う。あなたも、先生が蒼い炎を使ったのを見たでしょ?」
愛美に言われ、蒼との特訓の時を思い出す。
織が最後に撃った大技を蒼は無傷で切り抜けていたが、体には蒼い炎を纏っていた。そして本人曰く、直撃したとも言っていた。
「小鳥遊蒼が人類最強と呼ばれるのは、転生者としての力が大きいんだ。あの炎はそれぞれで色も能力も違うけど、再生力だけは共通してる。なにせ不死鳥の力だからね」
「その炎で、ルーサーは山を再生させたってことか?」
「それは違うわ。転生者の炎で再生できるのは、あくまでも自分だけ、らしいのよ。だから、ルーサーの炎が本来持ってる力と考えた方がいいわね」
自分の師がそんな存在であることも驚きだが、本当に驚くべきはそこじゃない。
ルーサーが転生者ということは、つまり愛美と全く同じ異能が使えることも説明がつくのだ。かつて、桐原愛美として生きていたのならば。
「ん? いや待てよ? それだと色々と矛盾がある……」
「さすが、気づくのが早いね」
「私の異能と体術に、賢者の石、それから魔導収束と、おそらく持ってるであろう未来視。ルーサーが私たち三人のうち、誰かが転生者になった結果なのだとしたら、ってわけね」
「でも、それだと時系列に矛盾があるぞ。俺たちとルーサーが同時にこの時代を生きてるのはおかしくないか?」
「そう。わたしもそこで仮説が躓いてたの。もしかしたら、って言う説はいくつか考えてたんだけど、それも根拠が足りなかった」
織と愛美は知らないことだが、桃は蒼から知恵を借りて随分前からこの仮説を立てていた。ルーサーが転生者であることは可能性が高く、今回の件で確定的になったが、ではこの矛盾はどう解決させるべきか。
それこそ、銀色の炎が持つ力と、織の直感の出番である。
「一番可能性が高いのは、愛美ちゃん。正直、織くんとわたしの力は後からどうにでもなるものなんだよね。賢者の石は奪えばいいし、未来視は概念強化で再現できる。魔導収束も、結局のところはただの魔術。でも、愛美ちゃんの体術だけは違う」
愛美の体術は、とある殺し屋一族のものだと織は聞いていた。そして、彼女が脳を概念強化することによって初めて本領を発揮する体術だ。
概念強化は愛美以外に誰も使えない魔術だ。愛美が開発し、他の誰にもその魔術を教えていない。
ならば必然、あの体術を使える者も愛美以外にいなくなる。
「なにより、織くんが覚えた親近感。相手が愛美ちゃんだって言うなら、それも納得がいくでしょ?」
「まあ、そうだな……」
ルーサーと愛美では口調が大きく違うが、そんなものあとから変えればいいし、転生したのであれば変わることもあるだろう。
だが、今の説明だけでは時系列の矛盾が解決していない。
「ルーサーが愛美ちゃんの転生した先の人物だとして話を進めるけど、時系列の矛盾もあの炎の力で解決するんだよ」
「……時間を操る炎、ってわけね?」
「そう。織くんが見た炎の力。多分それは、元に戻ったみたい、じゃなくて、本当に元に戻したんだと思う。その空間の時間ごと。そして、その炎の力でこの時間まで遡ってきた。こう考えれば、矛盾は解消される」
ここまで桃の説明を聞いていた愛美は、表情一つ変えることない。それどころか、鼻で笑い飛ばした。
「お生憎様、私には転生者になるような後悔なんてなにもないわよ」
「今はそうだろうね。でも、未来はどうか分からないでしょ?」
「未来……」
言うべきだろうか。以前見た夢の話を。あの未来の世界を考えるなら、愛美にも後悔とやらが出来るはずだ。
友人を救えず、世界をあんな有様にしてしまって、それでも戦っていた未来の織と愛美。
そんな現実を変えるため、時間を遡ってもおかしくはない。
「織くん、なにか思い当たることでもある?」
「ああ、いや……」
考え込んで下を向いていた織に、桃が怪訝そうな目を向ける。
言ってしまおう。今まで誰にも言わなかったのは、織の羞恥心が大きな問題だった。それさえ我慢してしまえばいいだけなのだから。
「実は、ちょっと前に夢で未来を見たんだ」
「え、織くんって夢の中でも未来視発動するの?」
「俺もあんなこと初めてだったよ。その未来が、また随分先のことでさ。俺が三十くらいだったから、十年以上先のことだと思う」
「で、どんな未来だったのよ」
「賢者の石の暴走で、荒廃した世界」
聞いた瞬間、桃の表情に影が差した。当然だろう。現在の賢者の石の器は桃だ。そして賢者の石が暴走したと言うことは、器になにかあった可能性が高い。
「夢の中だったからか、未来に大分意識が持っていかれてたんだ。だから未来の俺の記憶は一部だけど見れたし、その思考まで完全に覚えてる」
「賢者の石が暴走した原因は分かったの?」
気遣わしげに桃を見ながら尋ねる愛美だが、織はその質問に首を横に振らざるを得ない。残念ながら、そこまでは見れなかったのだ。
「それは分からなかったけど、賢者の石は二つに分かれてるみたいだった。大部分は敵に奪われて、残ったカケラは俺の体内にあった」
「わたしは、死んでたでしょ」
「……ああ」
沈痛な面持ちで答える織に、しかし桃は気にするなと首を振る。
「別にいいんだよ。わたしだって、いつまでも生きてるつもりはないしさ。仲間の仇さえ討てればそれで十分。それに、織くんの見た未来は変わるかもしれないんでしょ? だったらわたしは死なないかもしれないし、賢者の石も暴走せず、世界は今のままかもしれないじゃん」
その明るい声が、無理矢理出していることくらいは織にも分かる。
桃の言う通りだ。織の見た未来は変わる。いや、織自身が変えると決めた。ルーサーにだって宣言した。
問題は、そう決意した理由の方だ。
「もしその未来が本当に訪れたのなら、愛美が転生者になって時を遡ることだってあるかもしれない」
「いえ、それはおかしいわ。織の今の話を考えると、そもそもルーサーの正体が私ってのも怪しくなるわよ」
「は? なんでだよ」
せっかく娘のことを話そうと思っていたのに、愛美に待ったをかけられた。
この未来の話は桃の仮説を補強するかもと思って話し出したのに、愛美はその逆を言う。
「荒廃した世界で、子供が生まれると思う?」
「たしかに」
「あー……」
いや、生まれちゃってます。しかも俺とお前の子供です。
いやでも、あの子はまだあそこまで酷くなっていない段階で生まれたのかもしれない。しかも愛美が一度死んでから転生となると、世界は余計に酷い状況になってるだろう。そうなればたしかに、新しい子供が生まれてくることなんてあり得ない。
でもとりあえず、説明はしとくべきだよなぁ。
織はいい加減腹を括り、愛美の目を見据える。どうか変な反応されませんように。
「あの世界でも、子供は生まれてた」
「そうなの?」
「ああ。学院も機能しなくなって、生き残ってる人間も殆どいない中で、十歳くらいの子供がいたんだよ」
「それ、世界がそうなる前に生まれたとかじゃないの?」
「どうやら違うらしい。それに、その子の親のことを考えると、なんつーか、おかしくはないと言うか、普通に出産できるというかだな……」
「なによ、歯切れ悪いわね」
段々とイライラしてきた愛美とは対照的に、どうやら桃は察してしまったらしい。ポン、と手を打ったと思えばニヤニヤ顔へとシフトチェンジ。
さっきまでのシリアスはどこへ行ったのやら、からかうように織へと言葉を投げる。
「わたしも気になるなー。ねえねえ織くん。その子供って、誰と誰の子だったの?」
「お前、分かってて聞いてるだろ……」
「えーわたしわかんなーい!」
この魔女め……!
舌打ちしたいのを必死に堪える。桃の前で言うのは失敗だったかと思うが、ここまで来たら背に腹は変えられない。
愛美自身も気になっているみたいだし、言わないわけにはいかないだろう。
「あ、もしかして織の子供? そりゃ中々言えないわよね。で、相手は誰か分かってるの? 私と桃以外でっていうと、あんまり思いつかないけど」
「……お前だよ」
「え?」
「だから! お前だよ! 俺とお前の子供が! 未来にいたんだよ!」
言った。言ってしまった。勢いに任せて、ついに。
赤くなっているであろう顔を抑えてそっぽを向く。なおもニヤついている魔女が視界に入った。無性に腹が立つから、視線だけ愛美の方に移動させたのだが。
「ぇ、ぁ、え……? 私……?」
織以上に顔を赤くして、なぜか半笑いになっていた。
その反応が予想外で、思わず面食らってしまう。てっきり桃と同じくニヤニヤしてからかってくると思っていたのだが、なんだその可愛い反応は。
いつもの余裕などこに行ったんだ。
「そ、そう、私なの……へぇ……そう……」
「お、おい、愛美?」
「ちょっと、先に戻ってる……」
フラフラー、っと扉に向かった愛美は、一人で部屋を出て行ってしまった。
嫌われたり気持ち悪がられたりといったことはなさそうだけど、あの反応は本当になんなんだ。どう思われたと判断したらいいんだ。
ていうか、ついに言っちゃったけど、今日の夜からどうやって過ごせばいいんだ。
悩む織の肩に、桃が手を置く。けれどその顔は未だにニヤついていて。
「ま、これから頑張りなよ織くん。その未来の子供のためにもさ。特に夜のプロレスごっことか!」
「余計なお世話だ!」
◆
桐原愛美にとって、桐生織は家族だ。
守るべき対象であり、彼女の中ではもう大切な存在の一人として数えられていた。
弟みたいなもの。無理矢理にでもそう思おうとしていたところはある。
愛美とて年頃の少女であり、おまけにあんな趣味をしているのだから、同年代の男子と一つ屋根の下という状況に対して思うところがないわけがない。
クラスメイトの一人から毎日のように愛を叫ばれているが、あれはまた別。自分を崇めるように見てくるやつは、そもそも眼中にない。
けれど、織は違った。自分を対等に、当たり前の女の子のように接してくれていた。
学院の生徒はみんな誰しも、多かれ少なかれ愛美に対して恐怖を抱いている。同じクラスで普段談笑しているような相手であっても。
だから、そういう意味でも織は特別だった。桃以外で、自分を対等に見てくれた。家族として接してくれた。
一度懐に入れた相手に対してはかなり甘くなるのが愛美だ。桐原組や桃、葵たちの例を見ればそれは明らかだろう。織に対してもかなり心を開いていたし、先日の体育の後だって、彼になら安心して自分の体を任せられた。
二人暮らしという状況を多少意識こそすれど、織は家族だ。仲間だ。
ずっとそう思っていたのに、まさかいきなりあんなことを言われるなんて思わなくて。
「織と私の子供……つまり、結婚してるってことよね……」
魔女の研究室から地上へと繋がる階段を歩きながら、小さく呟く。
結婚しているということは、つまり愛し合っていたということだ。今はただの家族でも、つまりはあんなことやそんなことまでしてしまうということ。
織がどんな人間なのかは分かっているつもりだ。律儀で義理堅く、たまに頭もキレる。なんだかんだで優しいし、強くなるための努力も怠らない。いつも隣で寝てる愛美に全く手を出さない紳士だし、こちらの軽口にも乗ってくれるから話していて楽しい。
世間一般的には男として魅力的なのだろうが、それでも彼はただの家族だ。そのはずだ。
愛美の顔が、また熱を持ち出す。
そういうのは持っている少女漫画で読んだことはある。最近の少女漫画は、意外とがっつりそういう描写があったりするから。
ただ、読んだことがあるからといっても、それは所詮知識としてあるだけで。
おまけにその相手が、二人暮らししてる家族、弟みたいなものだと思っていた男子で。
「どうしよう……織の顔まともに見れないかも……」
ただちょっと恥ずかしいだけ。あんな話を聞かされたのだから、この反応は至って普通。別に織のことをどうこう思っているわけではない。
自分に必死にそう言い聞かせ、顔の熱を収めようとする愛美。
誰もが恐れる殺人姫。
しかしその実態は、恋愛偏差値クソ雑魚ナメクジなただの女の子だった。
だから、気付いていない。家族だなんだと自分に言い聞かせている時点で、織のことをしっかりと意識してしまっていることを。
◆
「ご馳走さま。今日も美味しかったわ」
「お粗末さま。そりゃ良かったよ」
その日の夜。至っていつも通りに帰宅し夕飯を食べ終わったのだが、もちろん織の内心はいつも通りなわけがない。
夕方に桃の部屋であんな話をしたのだ。愛美の些細な動きすら気になってしまって仕方ないのだが、しかし一方で愛美の方は完全にいつも通り。美味しそうに夕飯を平らげ、夕方の話なんて聞いていなかったかのように振る舞っている。
話を聞いた時は顔を真っ赤にしていたくせして、どうして今はそうも平然としていられるのか。
「じゃあ、お風呂入ってくるから」
「おう、行ってこい」
着替えを持ち風呂場へ向かう愛美。その背を見送って、織は深いため息を吐いた。
愛美とのことを置いておくにしても、考えることは山ほどある。
結局、織たちはサーニャを見つけ出して話を聞くしかないのだ。だがその為には、必ずルーサーが道を塞ぐだろう。
出来れば、戦いたくはない。やつの強さもあるが、今日の依頼で共闘した時に分かった。
やつはどうしようもない善人だ。
そうでなければ香織の命を助けたりしないし、そもそもあの場で織たち三人を殺した方が都合がいい。愛美も桃もいなかったのだから、その程度容易ににできたはず。
織たちの敵とは言っていない、なんて宣ったが、その発言こそやつが善人であるなによりの証だ。
戦いたくないという隠れた言葉が、透けて見える。
それも、やつの正体が転生した愛美ということなら、納得がいくのだが。
「どうにも腑に落ちないんだよな……」
ルーサーは魔導収束を父に教わったと言ったが、あの荒廃した世界で織以外にこの魔術を使える人間がいるとは思えない。
愛美の来世での父親が魔術師とも限らないし、その父親が魔導収束を使えるなんて、更に低い確率だ。
あの画面にしてもそうだ。ルーサーはあの仮面を頑なに外そうとはしない。転生者は記憶と力を引き継ぐと言っていたが、さすがに容姿までは引き継がないだろう。ならば、仮面をする必要はないはずだ。その上で認識阻害までかけているのはおかしい。
桃の立てた仮説は、たしかに可能性の高いものかもしれない。現状揃っている情報では、と注釈がついてしまうが。
なにか見落としはないか。たった二度遭遇した中で、重要な情報に繋がるものは。
まさか、と。一つ、織の中で浮かぶ考えが。
あり得ない話ではないはずだ。転生者の炎がどう言ったものか詳しいわけではないが、あの銀色の炎が時を渡るのだとしたら、可能性はある。
この仮説なら、今は辻褄が合わないところも、腑に落ちないところも、全てが繋がる。
いや、しかしその証拠も少ない。推測の域を出ない。まだ桃の仮説の方が可能性は高いだろう。
なんにせよ、取り敢えず愛美に相談してみるか。蒸し返すようで悪いが、話しておくに越したことはないのだし。
愛美が風呂から上がり、入れ替わる形で織も風呂に入る。そこで必死に羞恥心を押し殺してから、居間に戻って相談しようと思っていたのだが。
「夕方の、織が見た未来の話だけど」
まさかのまさか。愛美の方からその話を出してきた。
完全に予想外だったので、織は一瞬驚いてしまう。しかし真剣な表情の愛美を見て我に帰り、彼女が引いてくれた布団の上に座る。なぜか二人とも、正座で。
「えっと、私とあなたの子供って、それ、間違いないのよね……?」
「まあ、うん、そうだな……」
「そう、よね……記憶は一部同期したものね……」
らしくなく、随分としおらしい。ていうか、ちょっと小動物感があっていつもと違った可愛さを感じる。
だが、これはこれで少々やりづらい。この家に来た初日の勢いはどこへ行ったのやら。
「一つだけ、言っておくわ。私は、愛だとか恋だとかっていうのはよく分からない。こんな漫画を読んでても、実際に経験したことなんて一度もないから。それに、織は私の家族だから、そういう相手だって思ったこともない。そりゃ、同い年の男子と二人暮らしなんだから、思うところはあったけどね」
話す愛美はいつもの調子を取り戻していた。そしてその内容は、今まで織に語っていなかった彼女の本音だ。
「私にとっては家族が全てで、織だってその一人。だから、もしこれから、私たちの関係が変わったとしても。あなたが大切な存在であることは、ずっと変わらない」
ドクン、と。自分の心臓が高鳴る音を、織は聞いた。
凛とした声音が、狭い居間の中で響く。ともすれば、宣戦布告とも思えるほどの。
だったら、織だってちゃんと全部話さなければならない。愛美が恥を押し殺してここまで言ってくれたのだ。
それに応えなければ男が廃る。
「俺も同じだよ。初めてお前を見た時、とても綺麗だと思った。可愛いと思った。そんな女の子が一つ屋根の下で暮らしてて、今や二人暮らしだ。意識するなって方が無理だし、あんな未来を見ちまったらなおさらな」
「恥ずかしげもなく言うのね」
「これでも恥ずかしいの我慢してるんだよ。でもまあ、お前と同じって言っただろ。俺にとって愛美は家族で、俺を救ってくれた恩人。恋愛感情云々でお前を見たことないから、正直お前との間に子供が生まれるなんて、実感湧くわけがない。それにさ、俺が見た未来が原因で、俺たちがどうこうなるってのもおかしな話だろ?」
織がしているのは未来の先取りだ。本来は知るはずもない未来を盗み見ているだけだ。
だから、順序が逆。矛盾が生じるという程でもないが、これこそ時系列がおかしくなる。
「未来があるから今があるんじゃなくて、今があるから未来があるんだ。未来の俺たちがどうなってようが、今の俺たちには関係ない。精々好き勝手生きてやろうぜ」
未来の自分たちや生まれてくる子供には悪いが、そんな話今の織たちには知ったこっちゃないのだ。
あの荒廃した世界を変えるため、生まれてくる家族のために戦おうと思ったのは嘘ではない。ルーサーに言った言葉は紛れもなく織の本心だ。
けれど、間違えてはいけない。見誤ってはいけない。織が生きているのは今、この時代なのだから。
「ふふっ、そうね、その通りだわ」
「だろ?」
「ええ。でもその口ぶりだと、そのうちあんたが私に惚れちゃうんじゃない?」
「もう惚れてるって言ったら?」
「えっ」
「冗談だよ」
いつもからかわれている仕返しとばかりに、ククッと喉を鳴らす。一瞬で顔を真っ赤に染めてしまったのを見るに、どうやら愛美は攻められるのに弱いらしい。
「も、もう寝る! あんたも早く寝なさい!」
「へいへい」
あながち冗談でもないかもな。
胸の内だけで呟いて、織も寝ることにした。
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