家族の在り方

第15話

 織と愛美の住む棗市は、都市開発事業によって街の南側、つまり海側がかなり栄えた街だ。

 貨物船がやって来る港だけでなく、大型ショッピングモールも存在しているし、比較的大きい駅もあるから、隣街からやって来る人も少なくはない。


 対して北側は都市開発の対象外だった住宅地だ。一軒家がいくつも立ち並び、たまにコンビニがある程度。買い物をするなら南の方へ降りていかなければならない。それなりに急な坂道になっているところもあるから、住民以外はあまり立ち寄らないような場所。


 桐生探偵事務所は、そんな街のちょうど真ん中の辺りに位置していた。


 港の近くほど拓けているわけではないが、近くには商店街もあり下町感の強い場所。

 とは言え、人通りの多い大通りから一本外れた道にあるから、事務所の前の道は今日も人気がなく、誰かしらが依頼に来ることもなかった。


 即ち暇である。


「学院か組の方から依頼斡旋してもらうんじゃなかったのかよ」

「その予定だったんだけど、こっちに回してもらうほど依頼の数があるわけじゃないみたいなのよ」

「そりゃ平和でよござんすね」


 一階の事務所。そこにある自分の机でパソコンをカタカタと叩く織は、皮肉げに笑って作業を続ける。


 事務所のホームページを作ろうと思って色々と四苦八苦しているのだが、いかんせん上手くいかない。

 織自身、インターネットに詳しいというわけではないのだ。人並み程度にネットは触るが、ホームページを作るなんてこれまでに経験したことあるはずもなかった。


「学院の方も、最近は学生向けばかり発行されてて、私たち向けの依頼はあんまりないのよね」


 事務所の奥にあるティーテーブルの椅子に腰掛けた愛美は、いつも部屋着に使っている着物のままだ。もしかして学院の制服と着物以外に服を持っていないのだろうか。


「俺たち向けって言うと?」

「裏の魔術師が絡んでくるようなやつよ」


 有り体に言えば、悪い魔術師。

 世の中の魔術師にとって大前提である魔術の秘匿すら無視し、周囲への被害を考えることもなく、我欲のために魔術を使う学院の敵。

 これまで愛美が幾人も葬って来たその手の魔術師が対象となった依頼は、基本的に学院の生徒には発行されない。蒼や桃のような、学院を拠点として活動しているプロ向けだからだ。


 逆に生徒向けとなると、簡単な探し物から地質に含まれた魔力の調査、魔物討伐程度だろうか。最近はそのような簡単な依頼ばかりが多いらしいが、それはつまり世の中が平和な証だ。

 織のような探偵や学院、それだけではなく世の中の警察や軍隊なんかは、本来は暇であるほうがいい。探偵の場合、事件が起きてからしか動けないから余計に。


「悪いやつがいないのはいいことだ。結局、あそこのやつらもルーサーが全滅させたんだろ?」

「学院の調査ではそうなってるわ」


 織が生まれ育った地方都市。あそこに出入りしていた魔術師は、その全員がルーサーによって始末されていた。

 仮にルーサーがいなくても愛美や桃の手によって始末させられていたとは思うが、はてさて、彼らにとってはどちらに殺されるのが幸せだっただろうか。


 キーボードを打鍵する手を止めた織は、一つ伸びをする。慣れないパソコンの作業で目も疲れたし体も凝り固まっていた。

 しかし、これから先はそんなこと言っていられない。仕事が本格化するにつれて、こう言った事務作業も増えてくるだろう。実働では主に愛美に頑張ってもらう予定だから、せめてデスクワークくらいはこなさなければ。


 責任感とか以前に、所長としての尊厳に関わってくる。


 だが、疲れたものは疲れた。これ以上作業を続けても効率が悪いと思った織は、愛美に一つ提案する。


「ちょっと外出ないか?」

「デートのお誘い?」

「そんなんじゃねぇよ。お前、あんまりこの街見てないだろ。これから暮らす街なんだし、多少は知っといた方がいいと思うぞ」


 学院が休みの日は、大体二人揃って家でゴロゴロしてるか今日みたいに事務所の準備か。織は夕飯の支度なりがあるから、買い物しに街へ繰り出したことはあれど、愛美が街に出かけるところは見たことがなかった。


 時刻は十五時。さすがに今から港の方まで出るのは難しいが、買い物ついでに近くの商店街をうろつくくらいなら可能だ。


 そう、だから別にデートのお誘いとかそんなんじゃない。シレッとそういうこと言わないでくれよ。ちょっとドキッとしちゃうだろ。


 そんな織の心情など知る由もない愛美は、少し考える素振りを見せた後に椅子から立ち上がる。


「着替えてくるわ。ちょっと待ってて」

「……お前、それ以外にも服持ってたんだな」

「失礼ね。女の子なんだから洋服くらい持ってるわよ」


 二階へと上がっていく愛美の背中を見つめながら、果たしてどんな服に着替えるのかとちょぅとワクワクする織。


 屋敷に住んでいた頃から着物姿の愛美しか見てなかったから、正直そのイメージが定着してしまってる感じはある。

 洋服といえば、学院の制服くらいしか着ているところを見たことがない。それもしっかり着こなしている辺り、スカートなりが似合わないことはないのだろうけど。


 ていうか、冷静に考えたらよくスカートであんな戦闘が出来るな。とか思っちゃう織である。タイツ履いてるから中は見えないけど、それでも多少の恥じらいは持って欲しい。

 桃と言い愛美と言い、自分が女子である自覚が足りなさすぎる。


 思考が脱線しながらも待つこと二十分。女子の準備には時間がかかると噂に聞いたことがある織だが、それでも着替えるだけで二十分は遅すぎる。

 いい加減待ちくたびれた頃に、愛美は事務所に降りてきた。


「お待たせ」

「いやホントに待ったわ。着替えるだけで時間かかりすぎじゃね?」

「女の子には色々あるのよ」


 現れた愛美はベージュのスラックスに白のシャツの上から黒いカーディガンを羽織っていた。シンプルな服装だが、スラリと伸びた手足のおかげでやけにオシャレに見える。

 おまけに顔は薄く化粧をしているらしく、織の目にはいつもよりちょっとだけ大人びて映った。時間がかかったのはそれが理由なのだろう。


 つまり、控えめに言ってびっくりするくらい美人だった。


「んじゃ行くか」

「あら、こんな美人な女の子がオシャレしてさらに可愛くなったのに、あんたはなにも言うことがないの?」

「はいはい、可愛い可愛い」

「心がこもってない。やり直し」

「いいから行くぞ」


 適当にあしらえば、ムスッと不機嫌そうな顔に。ちゃんと褒めてやれば良かったかと後悔するものの、それはそれで気恥ずかしくて出来る気がしない織だった。



 ◆



 事務所から徒歩十分ほどの位置にある商店街は、街の南北にかけて広がっている。事務所からだと一番北側の入り口から入ることになる。

 そのまま南へ抜けてしばらく歩けば、下町感は一気に薄れて都会といっても差し支えない街並みが広がっているだろう。


 そちらへ向かうのはまた今度。今日は夕飯の買い出しと、愛美に商店街を案内するのが目的だ。


「今日はなに食いたい?」

「魚の気分ね」

「んじゃ魚屋行くか」


 焼きか煮付けか。ちょっとチャレンジしてみてムニエルなんてのもありかもしれない。いや、そもそも大食いの愛美の胃を考えれば、魚料理一品では足りないか。他にもなにか作らなければ。

 頭の中で献立を考えつつ、愛美を伴って商店街を歩く。


 こういった場所に来るのは初めてなのか、愛美は活気溢れる商店街とそこにいる人々を物珍しそうに見ていた。


 魔術が絡まなかったら、ただの箱入り娘。いや、桐原家のことを考えると箱入り娘とは少し違う気もするが。なにせ、こう言った一般庶民、それも下町っぽい雰囲気には慣れていないのだろう。


 そんな愛美を若干面白いものを見る目で眺めている織に、突然声がかけられた。


「おう織! 今日はデートか?」


 話しかけてきたのは、すぐそこの肉屋の店主だった。かなりガタイのいい四十代くらいの男性だ。


「違いますよ。ほら、こいつが話してた桐原愛美です」

「へぇ、その別嬪さんが。なるほどなるほど」

「変な勘ぐりはやめてくださいよ」

「それより、今日は鶏肉が安いぞ。彼女さんが可愛いからサービスしてやる。どうだ、買ってくか?」

「だから彼女じゃねぇって言ってるでしょ」


 呆れてため息を吐きつつも、ちゃっかり鶏肉の値段を確認する。たしかにお買い得な値段だったので、鳥もも肉を三百グラム購入した。今日の献立に照り焼きチキンが追加だ。


 毎度ー、と笑顔で手を振る肉屋の店主と別れてからも、織に声をかける人は沢山いた。


 例えば、元気よく走り回る小学生だったり。


「織ー!」

「織だ!」

「織が女連れてるぞ!」

「おうおうお前ら、年上には敬語使えってこの前教えただろうが」

「彼女?」

「お嫁さんだろ!」

「つつもたせ、ってやつかもしれないって父ちゃんが言ってたぞ!」

「彼女でもなきゃ嫁でもないし、美人局なんて以ての外だ。つかお前のお父さんはなんて言葉を教えてんだよ」


 はたまた、八百屋の全体的にふくよかな体型をしたおばちゃん店主。


「あらあら桐生君、今日はデート?」

「さっき肉屋でも言われましたよ、それ」

「また可愛い子を連れてるわねぇ。あ、この前言ってた妹さん?」

「そんな感じっす」

「それじゃあ折角だし、サービスしちゃおうかしら! 美味しいイチゴがあるのよ!」

「おっ、いいっすねぇイチゴ。んじゃ何個か買います」


 果ては同い年くらいの女子高生にまで。


「うわ! 織が女連れてる!」

「壺買わされるんじゃね?」

「お前らの知能は小学生並みか……」

「出会い頭に失礼じゃね?」

「だって彼女とは思えんし」

「彼女じゃないけど、騙されてるわけでもねぇよ。てか、お前らも俺より年下だろうが。敬語を使え、敬語を」

「「無理だわー」」

「よし殴る」


 その他にもあっちこっちから声をかけられている織を見て、愛美はただ唖然としていた。

 彼がコミュニケーション能力に長けているのは分かっていたが、まだ越してきて一ヶ月と経たないうちにここまで馴染むのか。いや、織のコミュニケーション能力だけではなく、この街の懐の深さも一つの理由なのかもしれない。


 それはどこか、桐原組のみんなと通ずるものがある。

 この商店街に住む人たちみんなが一つの家族のような。そんな一体感があるのだ。


「あなた、凄いわね」


 ポツリと呟いた愛美の声を拾って、織は怪訝な顔で振り返る。


「凄いって、なにが」

「馴染むのが早すぎるって言ってんのよ。昔からここに住んでるみたいじゃない」

「そうか?」


 織自身には、あまり自覚がない。

 たしかに織はコミュニケーション能力に長けてはいるが、それは転じれば、他人と距離を詰めようと努力している証である。

 一ヶ月には満たないが、すでに三週間が過ぎようとしている。それだけの時間、毎日のように商店街へ来てそこの人達と会話をしていれば、これくらい普通だろう。


 もちろん、織自身に相応の魅力があることが大前提だが。

 そういう意味では、実に探偵向きなのだろう。世代を問わず人を惹きつけるカリスマ性を、この探偵の卵は備えている。


「ま、下心がないわけじゃないけどな。あの人らがなんか困ったこととかあった時、良好な関係を築いてたら俺たちに頼りやすくなる。仕事も増えて、困りごとは解決する。win-winだ」

「だとしても、よ。これは誇ってもいい、一種の才能だと思うわ」


 愛美や桃が織と関わろうと思ったのも、実力の足りない彼を今もこうして見捨てないでいるのも、きっと織にそれだけの魅力があるからだ。


 世の中にはたまにそういう人間がいる。

 一種の異能じみたカリスマを有した人間が。例えば小鳥遊蒼だったり、桐原一徹だったり。その誰もが自身の魅力に無頓着なのだから困りものだ。

 かく言う愛美も、そんなカリスマ性を有した一人ではあるのだが。例によって本人に自覚はない。


「才能なんて大したもんじゃないけどな。コミュニケーション能力なんて、探偵の必須スキルだし」


 そっぽを向いて答えたのは、照れ隠し故だろうか。

 こうも真剣に褒められることなんて中々ない気がする織は、話を打ち切ってすぐそこまで迫っていた魚屋へと再び足を向ける。


「で、具体的にどんなのが食いたいよ」

「白ご飯が進むのがいいわね」

「となると、焼き魚だな。塩焼きが一番いいか?」


 調理自体は簡単なものだ。照り焼きチキンも作らなければならないし、夕飯を作る時間的に考えてもそれが丁度いいかもしれない。


 しばらくもしないうちに辿り着いた魚屋は、案の定織と顔見知りである初老の男性が店主だったのだが、どうにも困り顔をしていた。

 店の様子もおかしい。灯りが点いていないのだ。


「こんちはー。おっちゃん、なんかあったんすか?」

「おお、織君か。いやな、少し困ったことになっとるんだよ」


 店の前で立ち尽くしていた店主は眉根を寄せて、自分の城を見上げた。

 灯りが点いていないどころではない。レジの電源は落ちているし、生簀の中にある水中ポンプは動いている気配がない。

 この店の中の電気が稼働していないのだ。


「停電か?」

「見れるところは全部見たんだけど、どうもそうじゃないみたいなんだ。ブレーカーは落ちてないし、コンセントが焼けてるわけでもない。それに、うちの店だけがこうなっとるんだよ。ほんの三十分前はなんともなかったんだがなぁ」


 たしかに、織と愛美が歩いて来た商店街には、こんなことになっている店はなかった。周囲を見渡してみるも、向かいの靴屋も右隣の薬屋もしっかりと灯りが点いている。左隣の店はシャッターが閉まっているから、どうかは分からないが。

 この様子だと、本当にこの魚屋だけが謎の停電に襲われたのだろう。


「そういうわけだから、今日はもう店仕舞いなんだ。せっかく来てくれたのに悪いね」

「まあ、さすがにこんな状況じゃ商売どころじゃないっすもんね」


 魚屋というのが痛い。魚は生物だから、いくら今がまだ涼しい四月とは言えど、このまま放っておいたら腐って商品にならなくなる。

 そうならないための対策を講じないとダメだろうし、織の言う通り商売どころじゃないだろう。


「織、ちょっといい?」

「なんだ? 残念ながら今日は魚はなしだぞ」

「それは分かってるわよ。そうじゃなくて」


 ちょいちょいと手招きする愛美。耳を貸せと言うことだろう。店主に背を向けて少し屈めば、愛美が織の耳に口元を寄せて来た。

 ふわりと香る柔らかな匂いに、耳朶を擽ぐる息遣いがこそばゆい。一瞬後ずさりしそうになるが、なんとか踏ん張る。


「あれ、多分魔物の仕業よ」

「マジで?」

「マジよ。ほんの僅かだけど、魔力が感じ取れる」


 言われて意識を集中してみれば、たしかに魔力を感じられる。

 目に見えないそれを感知できる人間は魔術師だけだ。たまに勘のいい一般人が違和感という形で感じ取るものの、普通の一般人には分からない。


 だから、この魚屋の店主からしたら本当に原因不明、突然意味のわからない事態に陥って困惑していたのだ。


「なおさら放っとくわけにはいかねぇな」

「どうするの? 魔物のことを説明するわけにもいかないけど」

「んなもん、黙ってやるに決まってるだろ」

「だと思った……」


 愛美的には仕事なり報酬なりが頭にあったのだろうが、織にとってそれらは二の次だ。まずは困っている店主を助ける。それが最優先事項。


「おっちゃん、一応ブレーカーは落としといた方がいいと思う。いきなり電気止まったんだから、またいきなり戻る可能性もあるかもっすから」

「そうしておくよ。すまないね、織君。せっかく可愛い彼女を連れて来たんだから、なにかサービスしたかったんだが」

「そいつはまた今度に取っといてくださいよ」


 会う人みんなに愛美のことを彼女だと言われ、ここでもまた同じことを言われた。もうそういうことでいいかな、とか思っちゃっても致し方ないだろう。

 否定するのに疲れた、とも言う。


 ともあれ、苦笑を返しながら店主と別れた二人は、一度事務所に戻ることに。魚は買えなかったが鶏肉は買えた。晩御飯のメニューが一品減ってしまったが、冷蔵庫に残ってるものでなんとかしよう。


 事務所に買った食材を置いた後、魔力の痕跡を辿っていこうと言うことになったのだが。


「この下ね」

「は? 下?」


 事務所の外で地面に指を向ける愛美がなにを言ってるのか、織はすぐ理解できなかった。

 下とか言われても、コンクリートの地面があるだけだ。

 まさか相手は地中に潜む異能でも持ってるのだろうか。


 異能とは人間に限らず、魔物にも宿るものだ。例えば吸血鬼なんかは、全ての個体がなにかしらの異能を有しているし、その他の人型の魔物であれば殆どが異能持ちだ。

 人型でなくとも、高度な知性を有した魔物は異能を持っていることがある。

 先日織が依頼先で遭遇し、ルーサーと協力して倒したトカゲの魔物。やつは火のブレスを放ったが、あれは異能ではない。種族としての力だ。体内にそういう機関を有していたのだろう。


 そうした種族としての力に異能の力。個体によっては魔術まで使ってくるのだから、ある意味では人間の魔術師を相手にするより厄介だ。


「この街、ずいぶん昔に使われなくなった地下水道があるのよ。前にそんな話をうちの連中がしてたわ」

「使われてない地下水道って、それゲームだったら魔物が大量にいるやつだな。レベリングしてボスと戦うやつだ」


 ははっ、と笑いながら冗談を言う織だが、何故か愛美は真顔だ。

 あれ、今のジョークは面白くなかった? 自身のジョークセンスに疑念を抱いていると、愛美がニッコリと笑った。

 けれどそれは、決してジョークが面白いから、なんて類の笑みではなくて。


「じゃあやりましょうか。レベリング」

「えっ」



 ◆



「無理無理無理無理!! 死ぬッ! 助けて!」

「泣き言吐く余裕があるなら大丈夫ね」

「大丈夫じゃないから泣き言吐いてるんだよ!」


 愛美の転移で地下水道の入り口まで移動して来た二人は、入ってからしばらくもしないうちに大量の魔物に襲われた。

 蜘蛛やコウモリ、変な虫みたいなやつまで。数えるのすら面倒なレベルの数だ。


 ここは本当に入り口からほど近い場所だ。ここでこれなら、更に奥はどうなっているのか。もっと多くの魔物がいるのか、それともこの地下水道の主が居座っているのか。


 いや、そんなことを考えるよりもまずは、目の前の魔物たちをどうにかしなければならない。


「つか、こんな数いるの知ってたんなら先に言えよ! なにがレベリングだ!」

「ちょうどいい修行になるじゃない」

「そうだけどッ!」

「あ、毒持ってるやついるから、気をつけてね」

「だからッ! そういうのはッ! 先に言えッ!!」


 魔物に追われながらも時折振り返って銃から魔力弾を放ち、ついでに愛美には文句を言っておく。

 地下水道は意外と広かったから走り回り放題だが、いつまでもそうしていては織の体力が持たない。


 因みに愛美は、少し後ろの方で見守っているだけ。たまに近寄ってきた馬鹿な魔物を一刀のもとに斬って伏せるが、自分から戦いに行こうとはせず呑気に欠伸までする始末。


「ああくそッ! 鬱陶しいなぁ!」


 逃げながらも魔力弾を放ってチマチマ数を減らしてはいたのだが、それでも魔物はまだまだうじゃうじゃといる。キリがない。


 走り回りながらも、魔力を練って術式を構成する。このままではジリ貧だ。そのうち織の体力が尽きてしまうから、一気に殲滅しなければ。

 練り上げた魔力を組んだ術式に流し込み、魔法陣を展開。放たれた五本の鎖が、最前列で織を追いかけていた魔物を絡め取る。


 魔導収束の鎖だ。

 魔力を全て吸い取られた五匹魔物は、黒い粒子となって霧散。次の術式にその魔力を直接流し込み、その場で急ブレーキ。織の周囲に大量の魔法陣が展開される。


魔を滅する破壊の銀槍シルバーレイッ!!」


 魔物五匹分だけではない。この周囲に漂っていた魔力すらも力とした破壊の槍が、魔物の群れへと襲いかかった。


 その効果は絶大。以前蒼に対して使った時と比べると威力がかなり劣るのは、魔導収束の特性上仕方ないが。それでもこの魔術は、織が使える中で最も威力のある魔術だ。

 槍は魔物の体を穿ち、食い破り、蹂躙する。


 銀の槍による絨毯爆撃が止んだ頃には、周囲に魔物の姿はなかった。


「中々やるわね」

「そりゃどーも」


 愛美はこの魔術を以前にも一度見ていたが、その時は蒼の魔力を吸収したからこそのあの威力だと思っていた。

 しかし改めて見てみれば、術式は中々に複雑な構成をしているし、織自身の魔力消費量も、魔導収束の中では多い方ではないだろうか。それでも、愛美の概念強化と比べれば少ないが。


 実際、あれだけの大技を放った後だと言うのに、織に魔力切れの様子はない。

 魔力消費量の少なさと、それによる継戦能力の高さこそ、魔導収束の強みの一つだ。後は、そこに合わせた戦闘スタイルを確立させるだけ。


「それにしても、魔物相手だと本当便利よね、その魔術。使うだけで倒せちゃうもの」

「魔物に直接使ったのは俺も今のが初めてだよ。出来ることは知ってたけどな」

「そうなの? でもこの前、先生には直接やってたじゃない」

「魔物相手と魔術師相手じゃ勝手が違うんだよ。術式構成とか、自分で使う魔力量とか、その辺りが。そもそも、ちょっと前まで実戦経験ろくになかったんだぞ。父さんがやってるのを見たことはあったし、この前ルーサーも同じことしてたから、その真似しただけ」

「真似しただけって、そんな簡単に……」


 一口に魔導収束といっても、その中にはいろんな魔術がある。織が使用するものだけでも、シルバーレイのような一般的な魔導収束と、チェイン系統の魔術。吸収した魔力を攻撃に転化させるのか、強化や防御に使用するのかでも違う。他にも様々な使い方が出来るが、つまりは同じ魔導収束に見えても術式構成はかなり違ってくるのだ。


 魔導収束だけでなく、魔術全般に言える話だ。極端な例を出せば、愛美の概念強化と通常の強化のように、大まかな括りとしては同じ強化の魔術ではあるが、その中身はかなり違う。全く同じ通常の強化魔術だとしても、個々人で術式構成に癖があったりするから、少し見ただけで真似しようだなんて魔術師はいない。

 だからこそ魔術師は、研究と研鑽に多くの時間を費やすのだ。


 それを見様見真似で使えてしまうのは、織のセンスのお陰か。

 惜しむらくは、そのセンスを発揮できるだけの魔力の量と質が織に備わっていないことなのだが、魔導収束に限ればその問題はないに等しい。


「まあ、昔から変に小器用なのは俺の取り柄だからな。これくらい出来ないと、こっから先もやってけねぇよ」

「それもそうね。じゃあその調子で、私の概念強化も真似てもらおうかしら」

「それは無理」


 同じ魔導収束だからこそ即興の見様見真似で出来たのであって、あんな意味の分からない概念強化なんて魔術、一からゆっくり教えてもらったとしても使える気がしない。


 先も述べたが、織の魔力は量も質も平々凡々なものだ。センスに体がついて行っていない。仮に使えたとしても、持って一秒未満。


 愛美は量も質も、非凡なものを持っている。さすがに桃や蒼には届かないが、それでも一般的な魔術師を基準に考えれば、十分に天才と呼べるそれだ。

 凡人の織は、天才の真似事をしようなんて考えない。


「こう、概念強化と普通の強化のちょうど間くらいのやつ、ないのか?」

「そんなものないわよ。概念強化は私が自分で開発してここまで磨き上げたんだから、中途半端な劣化版なんてあるわけないでしょ」

「ちょっと質の高い強化魔術とかさ」

「欲しいなら自分で作りなさい」

「考えてみっかなぁ……」


 などと言い合いながらも、二人は地下水道の奥へと足を進める。


 真剣に強化魔術について考える織は、桃か蒼に相談しようかと悩んでいた。魔術関係で困ったら、取り敢えずあの二人だ。

 でも、蒼は最強なんて呼ばれてるだけあって、愛美と同じ天才側、織のような凡人には到底真似出来ないようなことしか提案しないだろうし、桃は桃で人間性の欠落が垣間見えている。変な要求とかされそうで怖い。


 ここは普通に、学院の教師とか同級生に相談かなぁ。


「織、止まりなさい」

「ん?」


 愛美に言われ、足を止める。織の前に出た愛美だが、周囲にはまだなにもない。入り口付近のように魔物がいるわけでもなし、電気泥棒の犯人がいるわけでもなし。


 懐から短剣を取り出した愛美が、徐に空を裂いた。


 瞬間、景色が一変する、

 地下水道から移動したわけではない。織たちがいるそこは、紛れもなく今までと同じ地下水道だ。しかし、壁や天井の至る所に、青白い稲妻が迸っていた。


「結界ね」

「相手は魔物のはずだろ?」

「つまり、魔物の中でもかなり強力なやつってことよ」


 魔物の中にも魔術を使う個体は存在する。吸血鬼などの人型は当然だし、それ以外の動物型のやつらにも、一部魔術を使用する個体が存在するのだ。

 そういう個体は例外なく、強い力と高い知性を持っている。

 半ば予想していた通りとはいえ、こうして改めて事実を突きつけられるとうんざりしてしまう。


「足元に気をつけなさい。この電気、魔力が通ってない。自然発生したとも考えられないから、異能によるものよ」


 ゴクリと生唾を飲む。触れたらどうなるか分からない。それどころか、この電気が一体どれほどの出力なのかも分からないのだ。

 下手すれば、一瞬で感電死なんてこともあり得る。


 足元に大量の地雷原がある状態で、二人は更に奥へと進んでいく。


 やがて辿り着いた突き当たり、恐らくは地下水道の最奥であろうそこにいたのは、織の身の丈を遥かに超える巨大な狼だった。


「こいつは……」

「あんたは下がってなさい」


 白い体毛は帯電していて、それを周囲へと撒き散らしている。少し離れた二人の元へは届かないが、この地下水道全体に行き渡っていた。さっきから周囲に存在していた稲妻も、これが原因だろう。


 そして電気泥棒の正体は、どう考えてもこいつだ。


「でも寝てるぞ?」

「ちょうどいいわ。寝てる間に首を落とす」


 瞼は閉じられ、三メートルはあろう巨体は丸められ、苦しそうに眠っている。

 稲妻に気をつけながらも近く愛美。その接近に気がついたのか、大きな目が開き、ギョロリと二人を睨んだ。


「あ、起きた」

「言ってる場合か! 離れろ!」


 立ち上がり、咆哮が轟く。

 地下水道内に反響する大きな音に耳を塞ぐ二人に構わず、狼は電気を放った。

 慌てて飛び退く愛美と、防御陣を張る織。やはり魔力によるものではない。異能だ。


「……おかしいわね」

「なにが!」

「あいつ、なんで動かないのかしら?」


 自分の背後まで退いた愛美に言われて、織は狼をよく観察してみる。

 たしかにあの場から一歩も動こうとしない。電撃を放ちはするが、正直あの凶悪な爪を一振りした方が早いのだ。織にとっても、その攻撃の方が恐ろしい。


「後ろ足、見てみなさい」

「……怪我してる、のか?」


 二人に向かって威嚇し続ける狼の後ろ足。そこにはたしかに、白い体毛を汚す赤が。

 これは好機だ。本来なら強大な力を持つのだろうが、怪我をしているならこの場で討伐できる。

 だが、愛美はなぜか短剣を懐に収めた。そしてあろうことか、なんの強化もかけずに狼に向かって歩き始めるではないか。


「ちょっ、おいッ! なにやってんだよ愛美!」

「怪我だけじゃないわよ。もっとよく見なさい」

「は?」


 狼の背後。巨体に隠れて最初は見えなかったが、そこには普通の狼と同サイズ程の個体が倒れていた。

 しかしピクリとも動かず、生きているのかすらも怪しい。


「あれは、子供か?」

「多分ね」


 ゆっくりと歩み寄る愛美に、狼の放った電撃が殺到する。しかしそれらは愛美に当たる直前であらぬ方向へと逸れてしまった。

 元から当てるつもりがなかったのか。それとも、異能を上手くコントロール出来ないほど、あの傷が深刻なのか。


「大丈夫。私はあなたの敵じゃない」


 ゆっくりと、言い聞かせるように。優しい声音で狼を諌める愛美。その言葉を信じたのか、狼は警戒を解かずとも威嚇はやめてくれる。


『貴様なら、我が子を助けられるか?』


 喋った。

 狼が、人の言葉を。


 そういう魔物がいることは、織も話に聞いたことくらいならあった。人の姿をしていなくても、高い知性を有しているのなら人語を解することができる。

 しかし、こうして人以外の生物が実際に喋っていると、驚きは隠せないわけで。


「驚いた。あなた、思念波を飛ばせるのね」

「えっ? 喋ってない?」


 たしかに声は聞こえたはずなのだが。

 思念波とは要するにテレパシーだ。口に出さずとも頭の中だけで相手と会話が出来る。しかしこれは本来、相当な信頼関係を築いた相手としか出来ない。

 それをこうして、一方的に送ってくるということは。この狼は、かなり魔術の腕が立つということになる。


『質問に答えろ。貴様らは魔術師だろう。ならば、我が子を助けられるか?』

「取り敢えず、その子を見せてもらってもいい?」


 あっさりと道を譲った狼。愛美は子供らしい狼の方へと歩み寄り、しゃがみ込んでソッと体に触れる。

 息は、辛うじてある。しかし予断を許さない状況だ。体全体に毒が回っている。外傷も酷い。魚屋から電気を奪っていたのは、この子を助けようとしていたからだろう。

 こうして近づいて見て分かったが、あの電撃は異能ではなかった。子供である狼にも、瀕死の状態でも関わらず微弱な電気が走っている。そういう器官が体内にあるのだろう。そして、奪った電気を魔力へと変換し、なんとか今まで一命を取り留めていたのだ。

 愛美の魔術であれば、治せないことはない。治せないことはないのだが……。


「あなたの傷を治す余裕はなくなるわよ」

『構わない』


 即答だった。

 親の狼にも同じ毒が回っている。恐らくは二匹とも、入り口付近にいた魔物にやられたのだろう。何故こんなところに来ているのかは気になるが、今は置いておく。


 愛美がやろうとしているのは、概念強化をかけて再生能力を高める方法だ。完全に治すことは出来ないが、取り敢えずは命の危機から脱することが出来る。


 だが、概念強化は自分以外を対象にする際、魔力の消費量が途端に跳ね上がる。元より燃費がいいとは言えない魔術だ。愛美の魔力量でそのあたりは曖昧になっているが、本来は転移などと同じで、ぽんぽん発動できるものでもない。

 そんな魔力消費が、更に増える。いくら愛美といえど、一度が限界だ。親狼の毒は消せないし傷も治せない。


「いいの? その毒、放っておいたら死ぬわよ。今だって、かなりギリギリのはずだけど」

『口説い。構わないと言っている』


 そんな一人と一匹のやり取りをただ聞いていることしか出来ない織は、歯噛みするしかなかった。

 自分にもっと魔術の腕があれば、親子を二匹とも助けられたはずだ。もしくは、愛美に魔力を受け渡す方法でもあれば。

 けれど織の魔導収束は、吸収することは出来ても、相手に渡すことは出来ない。

 奪うことしか出来ないのだ。


「……分かった」

「おい愛美、いいのか?」


 なにか、他にも方法があるはずだ。例えば今から学園に桃を呼びに行ったり、復元の魔術を専門としている桐原組の誰かを呼びに行ったり。

 思い浮かぶ悉くが人に頼る方法で、織は我ながら呆れてしまう。けれど、そうすれば二匹とも助かるかもしれない。


「今から人を呼びに行く時間なんてないわ。そうなれば、二匹とも助からない。だったら私は、親の意見を尊重する」

「でも……!」

「織」


 それでも食い下がろうとする織の名前を、愛美が優しく呼びかける。

 状況にそぐわない声音に戸惑い、けれどすぐに理解した。愛美だって、二匹を助けられるならそうしたいはずなのだ。けれど、彼女にも織にも、それだけの力がない。

 その現実を、愛美は受け入れていて、織は受け入れていない。


 だから織も、諦めるしかなかった。どちらか片方の命を。


「俺に出来ることは、なにかあるか……?」

「そうね。全部終わった後、私の体とこの子を運んでもらうくらいかしら。多分、魔力空になって動けなくなるから」


 肩を竦めて笑ったその表情には、自嘲の色が見える。

 愛美がこの魔物を助けようとした理由を考えれば、その笑顔を見るだけで織の胸が痛んだ。


 愛美は、家族というものに特別な想いを抱いている。だからこそ刃を収め、子を守ろうとするこの狼の意思を尊重したのだろう。

 二匹を助けたいという思いは、織よりも大きかったはずだ。


「さて。二つほど、聞いておきたいわ」


 魔力を練り上げる愛美。複雑すぎる術式を描く魔法陣が、子狼の上に展開される。


「まず、あなたたちはどうしてここに逃げ込んできたのか」

『吸血鬼に襲われた。男の吸血鬼だ。我々を眷属にしようとしたのだろうな』

「吸血鬼、ね……」


 小さく呟きながらも、魔術を発動させた。自分以外に概念強化をかけるのは、サーニャ追跡のために魔力を強化させて以来か。相変わらず神経の使う作業だが、愛美は狼との会話を辞めない。


『もう一つはなんだ』

「あなたたちの名前は?」

『名は持っていない。だが、そうさな。我が子が助かれば、その時は貴様らが名を付けてやってくれぬか』

「お安い御用ね」

『すまぬ。我らは魔物、貴様ら人間の敵だと言うのに』

「そんなの関係ないわ。あなたはこの子の親として、家族として、この子を助けたいと思っている。その気持ちに、人も魔物もない」

『そうか……どうやら、最期に良き人間と出会えたようだ……』


 その言葉を最期に会話が途切れ、狼は眠りについた。

 愛美の魔術が無事に子狼にかけられ、外傷が見る見るうちに塞がっていく。しかし魔力を使いすぎた愛美もその場にへたり込んでしまい、動けるのは傍観するしかなかった織のみだ。


「さ、帰りましょうか。この子も連れてね」

「ああ……」


 安らかな寝息を立て始めた子狼の体を撫でながら、愛美は笑顔を浮かべている。


 殺人姫と呼ばれ、それでもこうして魔物の親子を救った少女。その胸の内の苦しみや葛藤は、果たしてどれほどのものなのだろう。

 それはきっと、織や桃すらも含めた他者の共感を必要としないものだ。愛美本人だけが知っていればいいもの。彼女の苦しみも、葛藤も、それは彼女自身のものなのだから。

 他の誰にも、本当の意味で理解できないのだから。


 それでも織は、知りたいと思う。

 そしていつか、ほんの少しでも。彼女の心を軽くしてやれたなら。


 だって俺たちは、家族なのだから。

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