第13話
とある地方都市。その外れにある廃墟の中で、ルーサーとしての仮面を外した桐生朱音は、満足そうに大量のハンバーガーを平らげていた。
彼女が元いた時代に、ハンバーガーなんてものはなかった。作るための食材もなく、朱音にとってのそれは父親から聞いた話の中のものでしかなかったのだ。
それが今では、金さえあれば幾らでも購入して、好きな時に食べることが出来る。
まさかこんなに美味しいものだったとは。手で持って食べれる大きさに、肉や野菜などが大量に詰まっている。父や母もかつて食べていたのだと思うと、少しずるいなと思う。
「とはいえ、食べすぎだ。我をどれだけ使いっ走りにすれば気がすむ」
「そういうつもりはなかったのですが。あ、もしかしてサーニャさんも食べたかったんですか?」
「それは元々我の金で買ったものだぞ」
この廃墟でルーサーと過ごし始めて数日が経つが、サーニャが一人で行動していた時よりも金の消費が激しくなった。主に食費で。
あるに越したことはないと思い、割と違法な手段で口座を作って金は貯めていたのだが、サーニャはあまりそれを使うことがなかった。
基本は野宿だし、服や体の汚れは魔術で落とせる。食事に至っては、人間と根本が違うのだ。吸血鬼の名の通り、血さえ摂取出来れば問題ない。それも一週間に一度程度の間隔で大丈夫。
しかしここ最近はその限りではなく、殆ど毎日食事を行なっていた。
「サーニャさんも食事にしますか? はい、どうぞ」
懐から短剣を取り出し、その刃を躊躇なく右手首へと当てる朱音。瞬く間に血が溢れて出し、廃墟の床へと落ちて行く。
まだ十代半ばの少女が、何食わぬ顔で自分の手首を切るのだ。吸血鬼の中でも比較的人間と接してきたサーニャにとっては、それが異様な光景に見えてしまう。
ため息を吐きつつも、差し出された右腕を取り、その手首へと口を当てた。
溢れ出てくる血を吸い、喉へ流す。
吸血行為とはつまるところ、魔力の摂取に過ぎない。ようは、血でなくてもいいのだ。他になにかしらの手段を用意できればそれでもいい。
ただ、吸血鬼にとって最も美味く感じられるのが人間の血であり、血を吸えば魔力以外の力が湧き上がるのも事実。
おまけにこの少女の血は、これまでサーニャが吸ってきたどの血よりも美味い。体の中に宿した石の影響もあるのだろうが、僅かな吸血でサーニャの腹が満たされてしまう。
「もういいんですか?」
「よい。貴様の血は濃すぎる」
朱音の右手首から離した口元をぬぐい、サーニャは自分の体に湧き上がる力へ意識を巡らせる。
きっと今の状態なら、朱音に後れをとることはないだろう。先日やってきた学院の魔術師三人にも。
あるいは、宿敵であるあの吸血鬼にすら。
視線を朱音へ戻せば、右の手首に銀色の炎が灯っていた。それが消えれば傷口が完全に塞がっており、調子を確かめるように手を握ったり開いたりしている。
「便利なものだな、転生者というやつは」
「そうでもないですが。この炎だって、単に治癒目的で使うならいいですが。本来の力を使おうとすれば、それなりの代償が必要ですからね」
それで話は終わりだとばかりに、朱音は傍に置いてあったマスクを被る。敗北者として立ち上がり、無詠唱で転移の魔法陣を展開させた。
「それでは、少し行ってきます。夜には戻ると思いますので」
返事を待つこともなく、ルーサーはその場から消えた。
忙しないやつだと思う。実の両親と敵対してまでサーニャを守り、かと思えば今度は、その両親を守るためにまた戦うのだから。
彼女の存在が状況に余計な混乱を生み出しているのは承知だが、サーニャはその混乱を利用するしかないと考えていた。それはルーサー、朱音とも意見が一致している。
「とは言え、ジリ貧なのも変わらぬか」
学院はまだ、桐生探偵事務所での事件はサーニャが犯人だと誤解している。恐らくはその誤解が解けてしまえば、やつは、グレイは動き出すだろう。
だが、まだその時ではない。サーニャとルーサー、それからあの魔女の三人はともかくとして、探偵の息子と殺人姫は未熟すぎる。
今グレイと相対しても、簡単に殺されるのがオチだ。それでは本末転倒。ルーサーがこの時間にやってきた意味がなくなってしまう。
ここまで考えて、サーニャは苦笑を漏らした。自分はいつから、あの少女の肩をそこまで持つようになったのか。
正直、未来の世界がどうなろうと、サーニャには関係ない話だ。むしろそんな世界でもまだ生きているらしい自分に辟易とする。
だが、その世界を変えようと足掻く少女の姿は、気高く美しい。
それは永い時を生きたサーニャが忘れてしまったもの。
人間というのは、いつだって小さな事で必死になり、その命を燃やし尽くす。
それを尊いと思ったからこそ、彼女は人間の味方でいるのだ。
ならば今回も同じだ。今まで見てきた人間とは違い、大きすぎる目的を持ったあの少女の味方でいてやる。
サーニャ自身の目的とも合致するのであれば、なおさらに。
「一筋縄ではいかんだろうがな。色々と」
またため息を吐きながらも、サーニャは朱音が残していったハンバーガーのゴミを片付け始めるのだった。
◆
午前の授業が終わり暇を持て余していた織は、掲示板の前で立ち竦んでいた。
風紀委員に入れられたのはいいものの、仕事は特になく部屋でまったりしてるだけだし、講義はつまらないということはないのだが、織は習うより慣れろ派だ。話を聞くだけではイマイチなところがある。
そんな話をしたところ、愛美に依頼にでも行ってきたらどうだと勧められた。彼女は委員長として書類仕事があるから同行出来ないとのことだったが、まあ仕事なら仕方ない。
あの愛美が書類仕事とは、似合わなさすぎて笑いを堪えるのに必死だった。
そんなこんなでやって来たのがここ。学院が生徒に斡旋している依頼、それを張り紙として掲示している場所。生徒たちの間では、まんま掲示板と呼ばれている。
なんか漫画とかに出てくる冒険者ギルドっぽいよなーと考えながらも、織は張り紙を眺める。
例えば落し物捜索。落し物くらいで魔術師を動員するなと言いたいが、まあ依頼主も同じ魔術師なのだろう。落とした物も、なにかしらのヤバそうなものに違いない。というわけで却下。
次に魔物の討伐。これは魔物の種類も様々で、それによって報酬も変わってくる。しかし取得できる単位数は魔物討伐として一括りにされているためか、全て同じだ。
修行という意味では、やはり実戦を経験出来る魔物討伐が一番か。そう思いすぐ目の前に貼ってあった紙を手に取る。
場所は中部地方の山の中。依頼主が所有する敷地内にトカゲの魔物が住み着いたので、どうにかしてほしいとの依頼だ。報酬は十五万円。相場がどうかは知らないが、中々の額ではなかろうか。そこらのブラック企業の手取りよりもいいかもしれない。
まあ、依頼を受けるこちらは命の危険もあるのだ。一度でこれくらい貰わないとやってられないだろう。
他にも見てみようかと顔を上げた織だが、そんな彼にかかる声が。
「よう桐生。やっぱここおったか」
「桐原さんに聞いて正解だったね」
やって来たのは安倍晴樹と三谷香織だ。どうやら、織を探していたらしい。
晴樹が織の持っている紙を覗き込むと、おっ、と声を上げた。
「なんや、ええ依頼取っとるやんけ」
「これ、そんなにいいのか?」
「どれどれ? わっ、ホントだ。報酬が十五万は中々お目にかかれないよ。ラッキーだね桐生くん」
二人によれば、高額な報酬の依頼ほど早くに取られてしまうらしい。十を越えれば中々取るのが難しくなり、十五となれば張り出されてすぐに取られるほど。
なるほど、たしかにラッキーだ。
「しかもトカゲどついたるだけでええんやろ? えらい簡単なもんに十五も付いとるし、これはやる気出て来たな」
「まだこれに決めたわけじゃないけどな。ていうか、いつからお前と一緒に行くって話になったんだ」
「あたしたち、元々桐生くんを依頼に誘おうと思ってたんだ」
これは渡りに船。元々、一人では心細いと思っていたのだ。それに勝手も分からないし、現地までの移動手段もない。最悪桃に頼ろうかと思っていたから、二人の提案はありがたい。
「んじゃ、ありがたく一緒してもらおうかな。担任に持っていけばいいんだっけか」
「そうそう。担任の先生にその紙持っていって、いつから行くのかだけ伝えておけば後の細かい手続きはやってくれるから」
「報酬はどないする? 手柄で決めるか?」
「平等に三等分でいいだろ」
謙遜でもなんでもなく、手柄で報酬の取り分を決めてしまえば織が総取りしてしまう。
魔物とは魔力によって存在を保っている。吸血鬼を代表とするような、人間から堕ちた魔物は例外に当たるが、基本的にはどの魔物も変わりない。
つまり、織が魔導収束を使ってしまえばすぐに終わるのだ。
実戦ではそう簡単に行くわけがないと分かっているが、織が圧倒的に有利なことには変わりない。
「なんやつまらんな」
「俺が総取りしちまうからな。そうなったら、手伝ってくれるお前らに申し訳ない」
「お? なんや煽っとんのか?」
「いやぁ、そうじゃないと思うけどな。安倍くんもこの前のサッカーの時、桐生くんの魔術見たじゃん」
「あー、そういやお前、あのわけわからん魔術使えるんやったな」
魔導収束については一応説明している織だ。特に隠す必要もないし、なにより直接魔力を吸われた女子たちは、得体の知れない力の正体を知りたがっていた。
それに、クラスメイトたちが今後、織と同じ魔導収束を使うような敵に遭遇しないとも限らない。
これは共有しておいた方がいい知識だ。
「んじゃ、報酬は山分けやな」
「だからってサボるなよ」
「アホ抜かせ。仕事やねんからちゃんとやるに決まっとるやろ」
「うんうん。それじゃあ行こうか!」
◆
現地までの移動は転移の使える香織にお願いし、まずは依頼主の家を訪ねることとなった。魔物を討伐するにしても、まずは情報を聞くところからだ。
織たち三人が降り立ったのは、緑に覆われた山の中。道は舗装さらておらず、人が住めるような場所ではなさそうだった。
しかし、舗装されていないとは言え道が出来ているということは、長く人が行き来している証拠でもある。
「おい委員長。ほんまに道合っとるんやろな」
「多分合ってると思うよ」
「多分ってなんやねん」
「関西人もよく使うだろ、それ」
「あー、たしかに。安倍くんもよく使ってるよ。何か言った後に多分とか、知らんけどとか」
「お前それはあれやろ、また違うやろ」
一体なにが違うのか分からないが、関西人的には違うらしい。
まるで遠足にでも来たかのように呑気な会話を交わしつつも足を進めていると、やがて木造の建物が見えてきた。
あそこが依頼主の家だろう。
「ごめんくださーい」
唯一の扉をノックする香織だが、中から返事はない。その後も何度かノックを繰り返すも、結果は同じ。
痺れを切らした晴樹が勝手に扉を開けようとしたのだが。
「鍵掛かっとるやんけ」
「出掛けてるのかな?」
「魔物がいるって分かってるのにか?」
「依頼主も魔術師やろうし、まあ死ぬことはないやろうけど、学院に依頼するくらいやったら無闇に出歩かんやろうな」
さて、どうしたものか。依頼主から話を聞けない以上、そもそも魔物がどこに潜んでいるのかも分からない。その魔物が具体的にどのような姿で、どれくらいの強さなのかも知っておきたいところだ。
「こういう場合、どうすればいいのかとかあるのか?」
「正味な話、依頼主に会わなかあんってわけとちゃうねん。そっちの方が結果的に効率よく依頼が片付くし、今回みたいに個人が所有しとる場所で、ってのもあるしな」
「そうそう。報酬はどうせ学院を仲介してるし、先払いみたいだから支払われないことはないしね」
なら勝手に探して勝手に終わらせるかと考えるが、しかしどうにも気になる。
織の中で、僅かな違和感が芽生えている。
両親を殺された事件から、まだ一ヶ月ほどしか経っていないから、神経質になっているだけかもしれないが。
歯の奥に魚の骨が詰まったような、小さいけれど決して無視できない違和感。
「……家の中に入ってみるか」
「鍵掛かってるよ?」
「壊せばいいだろ」
徐にホルスターから銃を抜いた織が、ドアノブに向かって魔力弾を放つ。グロックの実弾では壊せそうになかったが、魔力弾なら話は別だ。
鍵が壊れて容易く開くようになった扉を、ゆっくりと開く。銃を構えたまま家の中へ入れば、晴樹と香織の二人も織に続いた。
家はそう広くない。入ってすぐに台所があって、少し奥に進めば囲炉裏のある居間。部屋はたったそれだけだ。
だから、それはすぐに織たちの視界へ飛び込んできた。
「マジかよ……」
「マジみたいやな」
「だね」
干からびた男性の死体。恐らくは依頼の、そしてこの家の主だろう。織の違和感は、最悪の形で確信に変わってしまった。
まだこの家の中に漂っている魔力に、覚えがある。
両親のことがあったから神経質になっている? そんなことはない。その考えは、直感という意味においては正しかった。
なぜなら、この場に漂う魔力は、紛れもなく。あの日の夜、織を襲った狼の魔物と同じものなのだから。
「どういうことだよ……」
あの魔物は愛美が殺した。ただの魔物に過ぎなかったはずだ。それがどうして、こんな所でまた。
なにより、男性の殺され方だ。まるで全身の血を抜かれたように干からびている。いや、ように、などではない。実際に抜かれているのだろう。
「これ、吸血鬼の仕業かも」
「は? 吸血鬼?」
「うん。首に噛まれた跡がある。それに、ここに残ってる濃い魔力は、人間のものじゃないと思うよ」
死体にある唯一の外傷。吸血鬼の発達した犬歯による、首筋の噛み跡。
となれば、もしかして銀髪の吸血鬼、サーニャの仕業か? いや、やつは完全に足取りを消している。こんなあからさまに死体を残すとは思えない。
ならば、桃が追っているグレイという吸血鬼か。しかしそちらにしたって同じだ。桃が二百年かけて探しているのに、カケラも姿を見せないようなやつが、こんなことをしないだろう。
世の中にはまだ吸血鬼なんているだろうが、織の中ではこの件と両親の事件は完全に関係のあるものだと認識されていた。
ここに残る魔力がなによりの証拠だ。愛美や桃がいたとしても、同じ結論を出すだろう。
「依頼主が死んでいた場合、依頼はどうなるんだ?」
「俺もさすがに、このパターンは初めてやからな……」
「とりあえず、学院に連絡しないとね。携帯は……やっぱり圏外か。あたし、一回学院に戻るよ」
「頼みたいけど、委員長、魔力大丈夫なんか?」
「うん。学院に戻るだけなら残ってるから、またこっちに来る時は他の人に送ってもらう」
桃がぽんぽんと使うから忘れがちだが、転移魔術は本来、かなりの魔力を消費する。あの規格外とは違い一般的な魔術師である香織には、一日に二度の使用が限界だった。
香織が転移するために一度三人で外に出る。出来れば愛美か桃を連れてきて欲しいことを伝えようとして、しかし織の口から言葉は出なかった。
家の外に、フードを被り認識阻害のマスクをした人物がいたから。
「お前、どうしてここに……⁉︎」
「お久しぶりです、桐生織」
すぐにホルスターから銃を抜いて、呑気に挨拶してきたルーサーへと向ける。ルーサーは構えることもなく、ただその場で立ち竦んでいるだけ。
晴樹と香織は状況についていけず、織の後ろで困惑してるのみだ。
「お、おい桐生。知り合いか?」
「一応な」
「もしかして、認識阻害……?」
遅れて二人も構える。晴樹は懐からお札を取り出し、香織は素手のまま。だがいつでも魔術を放てるようにはしているだろう。
あの二人がこの場にいないのは悔やまれるが、やつから逃げるだけなら可能なはずだ。前回遭遇した時と同じく、ルーサーは織たちに敵意どころか戦意すら向けない。
「別に戦いに来たわけじゃありませんが」
「中の死体、お前らの仕業じゃないのか?」
「ああ、やっぱり死んでましたか。あなたの質問にはノーと答えますよ。サーニャさんの仕業ではありません」
「なら、なにしにここに来た?」
「ひとまず、銃を下ろしてくれると助かりますが。これではまともに話し合いも出来ません」
抵抗はしないとばかりに両手を挙げるルーサーに、織は銃を下ろした。それに倣って晴樹もお札をしまうが、香織は魔力を練り上げたままだ。いつでも三人で転移して、この場を離脱できるようにしている。晴樹とて、警戒を解いたわけではなさそうだ。
さすがは学院の所属。それも三年生。今まで修羅場も潜って来たのだろう。対応が早い上に的確だ。
だから恐らく、ルーサーとの実力差も弁えている。
「それで、お前はなんでこんなところにいるんだよ」
警戒心を剥き出しにしつつも尋ねれば、ルーサーはそんなことには構わず、顎に手を当て考えながらも言葉を発する。
「色々と複雑な事情が絡まってるのですが。まあ、そうですね。単刀直入に言うなら、桐生織、あなたの手助けをしに来ました」
◆
死んでしまっていた依頼主の家から、更に奥へと山を進んでいく。
先頭を歩くのはルーサーだ。後ろについて歩く織たちに無防備な背中を晒し、三人をとある場所へと案内する。
「なあ桐生。あいつ、敵なんやろ?」
「そのはずなんだけどな……」
「ハッキリしない言い方だね」
織は二人に、ルーサーと初めて戦った時のことを掻い摘んで説明した。
数週間前、愛美と桃と織の三人で仕事へ赴いた際に戦闘になり、あの殺人姫と魔女の二人を同時にあしらった。そして、愛美たちが追っている事件に深く関わっている、と。
織の両親の事件については伏せさせてもらった。そこから話し出すと長くなってしまうし、あまり進んで話したいような内容でもないから。
織の話を聞き終わった二人はその顔に驚愕を露わにし、次いで戦慄の眼差しを前のルーサーへと向ける。
「もしかして今のあたしたち、かなりやばい?」
「もしかせんでもそうとしか考えれんやろ。おい桐生、隙見て逃げた方がええんちゃうか」
「俺も逃げたいところなんだけどな……」
愛美と同じ体術、同じ異能。それがあると言うことは、こちらに魔術を発動できる隙なんてありはしない。
魔法陣は展開されたその場で斬り裂かれ、訳も分からぬままに全員が組み伏せられるだろう。もしも転移を使えるのがあと一人でもいれば、可能性は1%くらいあったかもしれないが。
ルーサーの使う技や魔術など晴樹の知る由のないことだが、それでも隙がないのは分かるのだろう。苦い表情で言葉を詰まらせている。
「……そんなに怖がられると、さすがに悲しいのですが」
どこか落ち込んだような声音のルーサーが、前を向いたまま言った。相変わらずその声からルーサーの性別や年齢を察することは出来ないが、それでもそこにどのような色の感情を含ませているのかは分かる。
「それに関しちゃ、自業自得だと思うぞ? 俺たちと敵対したと思えば、今度は手助けするときた。敵意を向けられてないからノコノコついてってやってるが、お前を信用したわけじゃないんだぞ」
「ええ、それは分かっていますが。それでもまあ、思うところがないわけでもないんですよ」
その言葉に、織は考えを巡らせる。
ルーサーの立ち位置はハッキリとしている。サーニャの味方だ。これは嘘ではないだろう。あの時、サーニャを追うならば容赦はしないと言ったルーサーの言葉に、嘘は感じられなかった。
だが、その割には不思議なこともある。
何故ルーサーは、織たちに敵意を向けないのか。学院がサーニャを追っているのは明らかだ。その脅威を排除したいのなら、初戦闘のあの時に三人とも消しておくべきだった。
ルーサーには、それができるだけの力があるのだから。
山の中を進んでからどれだけが経ったか。やがて一行の目の前には、大きな洞穴が現れた。山の斜面が抉られ、露出した岩肌に開けられた穴。自然に出来たものではない。しかし人工的なものにも見えない。
「この先に、あなたたちが依頼で討伐する予定だった魔物が潜んでいます」
「なんでお前がそんなこと知っとんねん」
「たまたまですが。私もその魔物に用がありますので」
依頼主が死んでしまっていた時点で、この依頼はただ事ではないと思っていたが。やはりルーサーもそこが目的になるのか。
となれば、問題はルーサーではない。この規格外の化け物じみた力を持つ魔術師が狙う、魔物の方だ。
織たちの手助けをするのは、単なる利害の一致といったところだろう。
しかしそれはそれでおかしな点もある。この依頼は学院の生徒向けに発行された依頼だ。難易度もそこまで高くない。つまり魔物はそう強くない相手のはず。
報酬は高いとのことだから、それなりの魔物が出てくるとは覚悟していた織だが、ルーサーは一体なんの目的があってその魔物を狙っているのか。
「最初に忠告しておきますが。今から出てくる魔物は、普通の魔物ではありません。気を抜くとすぐにやられますよ」
「言ってくれるやないか」
「あたしたちだって、学院でそれなりの修羅場は潜り抜けてきたんだよ」
「その慢心が命取りなのですが。まあ、実際に見てもらった方が早いですね」
気丈に返した晴樹と香織を一瞥して、ルーサーは洞穴の中へと一歩足を踏み入れる。
その瞬間だ。真っ暗闇の中に、いくつもの赤い光が灯ったのは。
いや、あれは単なる光などではない。目だ。
「やっぱり、同じだ……」
洞穴の中に充満している魔力は、先程依頼主の家で感じたものと同じだった。つまり、あの時の狼とも同じということだ。
ゆっくりと、赤い光が近づいてくる。やがて現れたのは、トカゲというにはあまりにも大きな図体。コモドドラゴンと似た姿をしているが、それよりも大きい。
その身に宿している魔力も、そこらの魔物とは比較にならない。
「なんやあれ……」
「こんなの、学生向けの依頼にいちゃいけないやつじゃん……」
「一目見て分かってくれましたか。それは僥倖ですが。さて、どうします? あなたたち二人は逃げても構いませんが」
「え、俺は?」
サラッと逃げるなと言われた織は、つい素で返してしまう。
いや、元より逃げる気は毛頭ないのだが。もしかしたら、事件の手がかりに繋がるかもしれないし。
「逃げるわけないやろが。バカにしとんか」
「うんうん。ここまで来ちゃったんだしね」
「そうですか。では、私の後ろに下がっていてください。必ず三人で一匹に対応するように。死んでも文句は受け付けませんので」
言って、ルーサーは右手を前に突き出し、魔法陣を展開させた。それを敵対行為と見たのだろう。魔物たちが唸り声を上げて突進してくる。
数は全部で六匹。どいつも図体の割に速い。だがそのうちの二匹が、ルーサーの魔法陣から射出された鎖に捕まり瞬く間に黒い粒子となって消滅する。
その光景を見て、織は目を疑った。
あの鎖は織と同じ魔術。魔導収束だ。どうしてルーサーがそれを使えるのか。開発者である小鳥遊蒼は、身近な人物にしか教えていなかったのではないのか。
疑問が湧き出てくるが、考えるのは後だ。残った四匹のうち、三匹はルーサーが対応してくれている。
最後の一匹は、ルーサーの後ろにいる織たちへと迫っていた。
「俺たちもやるぞ!」
「よっしゃ!」
「うん!」
織たちが立っていたのは洞穴の入り口だ。少し後ろに下がってひらけた場所に戻り、魔物を迎え撃つ。
香織が詠唱を始め、晴樹が懐から出したお札を投げつける。
安倍晴樹は陰陽師と名乗っていたが、魔術師と陰陽師の明確な線引きは存在していない。扱うのはともに魔力であり、神秘の力には変わりないからだ。
投げつけた札は紙とは思えないほど鋭く宙を駆ける。織も続いて銃口から魔力弾を放つが、どれも当たらない。動きが早すぎるのだ。
少し遅れて香織の放った風の刃が殺到する。それらが直撃するも、魔物の鱗には傷一つ付いていない。
「速いだけじゃなくて硬さもあるのかよ!」
「文句言っとる暇があるんやったら攻撃続けるで!」
叫んだ晴樹が、何枚ものお札を空中にばら撒いた。それらは意思を持ったように動き、上空で一つの陣を描く。
そこから降り注ぐのは、無数の雷の槍。全てが魔物ただ一匹に向けて放たれるが、やはり怯む様子はない。そのスピードを捉えきれず、当たったとしても大したダメージも感じられずに突き進んでくる。
「こっちも食らえ!」
香織が再び放った風の刃は、先ほどのものよりも強力な魔力が込められていた。それでも、変わらない。
ついに魔物が三人に肉薄し、中心に立っていた晴樹へと凶悪な爪を振るう。魔力を込めた札で防御するが、続く二撃目の爪に容易く破られた。
そのまま晴樹を押し倒そうとする魔物に、織は横からタックルを入れて魔物を引き剥がす。
強化も掛けたと言うのに、むしろ織の体にダメージが入るほどの硬さだ。
「大丈夫か、晴樹」
「すまん、助かったわ」
「桐生くん、あの魔導収束っていうのでどうにかできない?」
「多分、無理だな……」
織が攻撃に使える魔導収束は、相手の魔力による攻撃に反応して発動される。今のように肉弾戦を仕掛けられると、吸収するべき魔力が存在しないことになるのだ。
ルーサーのように直接魔物から魔力を吸収できればいいのだが、織の腕ではあのスピードを捉えられない。
どうするべきかと頭を悩ませるが、魔物の方がそれを待ってくれるはずもなく。
その口の端から、炎が漏れていた。
「二人とも散れ!」
まずいと直感して織が叫ぶと同時に、炎のブレスが吐き出される。
織は咄嗟に防御壁を張ることができたが、炎の熱がチリチリと肌を刺す。容赦なく周囲の草木を焼き、しばらくもしない間に炎はこの山全体に燃え広がってしまうだろう。
なんとかその攻撃を耐え忍び二人の様子を伺えば、無事に逃げきれていた香織へと既に魔物の爪が振り上げられていた。
「ぁ……」
「委員長ッ!」
たったの一撃で命を刈り取るであろう爪。
短く悲鳴をあげた香織はなにもすることが出来ず、しかしその爪が振り下ろされることはなかった。
魔物の全身を、どこからか伸びた鎖が拘束していたからだ。
「これで最後の一匹、と。あとは吸収した魔力を解析するだけ……サーニャさんにも報告しないと」
黒い粒子となって消滅した魔物は、ルーサーの手によるもの。対応していた三匹を片付け、香織を助けてくれたらしい。
小声でなにか呟いていたが、織にはその言葉の意味は理解できない。一体解析とはなんのことなのか。
「大丈夫ですか?」
「あ、うん……ありがとう……」
目前まで迫っていた死に腰が抜けたのだろう。へたり込んでいた香織へとルーサーは手を差し伸ばし、体を支えて立たせてやる。
洞穴の方には、魔物の死体が見当たらない。ということは、あの三匹も同じようにして倒したのか。魔力を解析とも言っていたし、この魔物に力を与えた吸血鬼を追っている?
考えるのは後だ。なにはともあれ、ルーサーのお陰で香織は助かった。もしもあそこで香織がやられていたら、次は織と晴樹の番だったろう。
本来は敵対していると言っても、その礼はすべきだ。
「ありがとう、助かった」
「……」
「どうかしたか?」
礼を言った織を見て、ルーサーは押し黙る。マスクのせいで表情は見えないから、沈黙の意味を察する事も出来ない。
「……いえ、なんでも。それにまだですが。これを消火しないといけませんので」
ルーサーが顔を向けた先には、魔物のブレスで燃えた木々が。まだそこまで広がっていないとはいえ、放置する事もできない。
香織を背負ったままにルーサーが手を掲げると、その指先から銀色の炎が迸った。
煌めくその炎に一瞬目を奪われる織だが、すぐ我に帰る。
「お前……!」
「安心してください。これは燃やすための炎ではありませんから」
銀色の炎が、目の前の木々を包み込む。どこか幻想的にも思える光景。
その炎が晴れた時には、山火事は収まっていた。それだけでない。森はまるで、時間を巻き戻したかのように元通りになっている。焼けた草木も、肌を焼くような熱も、どこに存在していない。
「綺麗さっぱり元通りやんけ……」
「なにをしたんだ……?」
絶句する晴樹と織だが、ルーサーはそれに答えない。代わりに新たな魔法陣を足元に展開させる。
「一度、あの家に戻りましょう。あなたたちには少し休息が必要でしょうから」
反論も許さず、ルーサーは転移魔術を発動させた。
◆
依頼主の家に戻ってからまず最初に取り掛かったのは、死体の処理だ。
家の近くに穴を掘って、そこに埋めた。主に織と晴樹の二人が。香織には少し休んでもらいたいし、ルーサーはなにやらやることがあると言っていたから。恐らく、先ほど呟いていた解析とやらだろう。
それが終わり家の中へ入ろうとすれば、中からルーサーが出てきた。
「晴樹、中入って委員長と一緒にいてやってくれ」
「ええけど、お前は?」
「ちょっと、こいつと話がある」
この二人がただならぬ関係だということは、晴樹のみならず香織も察していることだ。彼は頷きを返して、家の中へと入っていく。
香織とて魔術師だ。これまで修羅場も潜ってきたと言っていた。けれど、ああして死が目前まで迫り、ルーサーがいなければ本当に死んでいたかもしれない。
その精神的な疲労は、織には計り知れないだろう。誰かが付いていてくれた方がいい。
晴樹が家に入ったことを確認し、織はルーサーに向き直る。
「聞きたいことがある」
「私に答えられることであれば。ただし、前にも言いましたが、このマスクのお陰で話せないこともあります。それでもよければ、ですが」
マスクを取って素顔を見せられないのかを聞こうと思っていたが、どうやらこの様子だとその質問は無駄みたいだ。
「まず、お前の目的だ。サーニャの味方をするって言ってた割に、今日は俺たちを助けてくれた。委員長の命も救ってくれた。それはどういうことだ」
「そうですね……まず、私はサーニャさんの味方とは言いましたが、あなたたちの敵とは言っていませんよ。ただ、あなたたちが彼女を追うから、結果的にそうなっているだけです」
「だから、今回は助けてくれたってか?」
「もちろんそれだけが理由じゃありませんが。さっきも言ったように、私もあの魔物、正確には、魔物たちに力を与えた吸血鬼に用があったんです。一足遅かったみたいなので、とりあえず魔導収束で魔力だけは回収させてもらいましたが」
愛美や桃から受けた説明を思い出す。
たしかサーニャには、敵対している吸血鬼がいたはずだ。その吸血鬼こそ、桃が二百年追い続けている敵。名前はたしか。
「グレイ、か」
織の出した結論に、ルーサーは頷く。
ルーサーがサーニャの味方であるのなら、グレイについて調べているのも納得できる。
そして織が襲われた魔物。あれもグレイが力を分け与えた魔物だったのだろう。余計に事件との関連性を無視できなくなった。愛美や桃の推察通り、サーニャが冤罪である可能性もだ。
だが、なぜグレイはこのタイミング、この場所で、魔物に力を与えたのか。
「狙い澄ましたようなタイミングだな……」
「なぜグレイが今日、ここで魔物に力を与えたのかは私も分かりませんよ」
「お前は、俺たちがここに来ることを知っていたような口振りだったな」
「ええ。なぜかは言えませんが、私はたしかに、あなたたちがここに訪れるのを知っていました。グレイがこの場に現れるのも知っていたのですが。どうやら、こちらの予測が外れたみたいです」
なぜ自分たちの行動を把握されているのかは気になるが、本人に答える気がないのなら追及しても無駄だ。
グレイのことについては、帰ってから愛美と桃に報告しよう。
そう決めて、織は次の質問に移る。
「お前、なんで魔導収束を使えるんだ?」
織にしか使えない、というわけではない。織は元々父親からこの魔術を教わったし、開発したのだって人類最強のあの男だ。
だが、これは限られた人間にしか使えない、言わば特別な魔術のはず。
話をもっと掘り返してみるなら、愛美の異能や賢者の石にしてもそうだ。
ルーサーの持つ力はあの銀色の炎を除いて、どれもが織の知っているもの。
「やっぱり、分かりますか」
「同じ魔術を使うんだ。実際に見れば一目で分かるに決まってる」
「ですね。私のこの魔術は、父に教わりました。それだけです」
織と同じだ。なら、ルーサーの父親が蒼と親しい人物だったのだろうか。
それだけじゃない、気がする。根拠はないが、そう単純な話ではない。そんな気がするのだ。
「なら、愛美と同じ異能とか、賢者の石とか、それはなんでだよ」
「申し訳ないですが、答えられません」
「あの銀色の炎は?」
「それについても同じく。もういいですか? 私も、あなたに聞きたいことがあるのですが」
結局、得られた情報はかなり少ない。しかしサーニャとルーサーも吸血鬼グレイを探していることと、ルーサーが魔導収束を使えること。それからグレイが両親の事件に関わっていることは分かった。
それで十分収穫は得られたのだから、落ち込む必要もないか。頭を切り替え、ルーサーからの質問を待つ。
「桐生織。あなたは、どうして戦うのですか?」
てっきりこちらの内情を聞いて来るのかと思っていたばかりに、織は少し驚いた。まさか、こんな個人的なことを聞かれるなんて思わなかったから。
「桐生凪と桐生冴子が殺された真実。それを知りたいだけなら、桐原愛美と桃瀬桃に任せればいいだけのはず。あなたは自分の力不足も自覚しているでしょう。それなのに、どうして?」
たしかに、ルーサーの言う通りだ。織は自分の力不足を自覚しているし、今のままでは死んでしまう可能性が高いのも分かっている。
なら、愛美や桃に任せるのが一番のはずだ。あの二人ならきっと、快く引き受けてくれるだろう。
だが、それではダメだ。これは織自身の手で解決させないといけない事件だ。
「俺が、息子だから。それだけの理由じゃダメか?」
「ダメではありませんが……」
「それにさ、考えちまうんだよ。もしもあの時の俺に、もっと力があればって。そしたら、父さんと母さんは殺されなかったかもしれない。助けられたかもしれない。よく分かったよ。俺たち魔術師にとって、力がないってのは罪だ。だからこれは、その罪を償う罰って側面もある」
そういえば、この前夢で見た未来の中の自分も、同じような質問に似たような答えを返していたか。
あの夢は今と違い、まだ生まれてもいない娘からの質問だったが。
「辛くは、ないのですか……?」
これも、同じ質問だ。妙にシンクロしているのは何故だろう。
そして織の答えも、あの未来と同じものだ。
「辛くはないさ」
「それはどうして?」
「俺には、家族がいるからな」
思い浮かぶのは、同じ家に住んでいる美しい少女の顔。それから、織を息子と呼んでくれたもう一人の父親に、屋敷で魔術や銃の鍛錬に付き合ってくれた兄貴分。
愛美も、一徹も、虎徹、みんな織の家族だ。彼らが織を支えてくれるから、辛いだなんて思わない。思えない。
それだけじゃない。織にとっての家族は、まだもう一人いる。
気がつけば、敵であるはずのルーサーに訥々と語り始めていた。
「お前なら知ってると思うけどさ、俺には未来が見えるんだよ」
「ええ、それは知ってますが……」
「この前、夢の中で未来を見たんだ。それは多分、今から十年以上先の未来なんだと思う。そこは人間が殆ど死んだ世界でさ、街中を魔物がうろついてやがるんだ。そんな世界でも、俺には家族がいた。愛美だけじゃなくて、もう一人、いたんだ」
夢を見たのはもう数日前だ。それでも、鮮明に思い出せる。愛美によく似た顔の、可愛らしい少女を。自分を父と呼んでくれた、未来の娘を。
「未来の俺は、その子がいるから戦っていた。なら今の俺は、その子のいる未来を、少しでもいいものにしたい。俺の見た未来は変えられるんだ。あんな滅ぶ寸前の世界じゃなくて、当たり前に平和な世界に変えたい」
あの未来を見てからしばらくは困惑した。世界の有様も、愛美との関係も、なにもかもが想像を絶するものになっていたから。
でも、それは未来での話だ。織は今を生きている。
ならば変えるしかない。あの世界を。あの未来を。
愛美とのことは、まあ、一先ず置いておくとして。
未来のことも、織がそう考えてることも、他の誰にも相談したことはない。愛美にも、桃にも、蒼にもだ。
だと言うのになぜか、ルーサーにはこうして簡単に語ることができる。
きっと互いの立場が、織の心を軽くさせているのだろう。敵かと思えば、今日は味方になってくれて、今はこうして変な話に興じている。この距離感だからこそ。
「その子も含めた、家族がいるから。俺は戦うのが辛いなんて思わない。だって、家族のためになにかをするのは、当たり前のことなんだからな」
愛美の受け売りではあるけれど、それでも紛れもなく織の本心だ。
今の話を聞いて、ルーサーはなにを思ったのだろう。ただでさえマスクで表情が見えないのに、聞き終わってから背を向けてしまったから余計に分からない。
「それがあなたの、力の源なんですね……」
ただ、聞こえてきた声には様々な感情が入り乱れてるように思えた。少しだけ震えたようにも。
改めて振り向いたルーサーが、織の足元に魔法陣を展開させる。
「あなたたちを学院までお送りします。この後に及んで変な場所に飛ばそうとか、そう言うことは考えていないので安心してください」
再び発した言葉は、酷く事務的で感情のこもっていない声だ。逆に訝しんでしまうほどの。
だが織はそこを言及するつもりはなかった。聞いたとしても、この秘密主義者が答えてくれるとは思えないから。
「そこは疑わねぇよ」
苦笑して答える。恐らく、家の中にいる二人の足元にも同じ魔法陣が敷かれているだろう。
全く、どうして俺は敵であるやつと、こんな話をしていたのか。
でも、ルーサーが悪いやつじゃないってことは分かった。話が通じることも。
「では。次に会う時は、敵でないことを祈ります」
「同感だ。お前とは戦いたくないからな」
最後にそう言葉を交わして、織は学院へと転移された。
◆
織たち三人を学院へと送ったルーサーは、その場にへたり込んでしまっていた。
魔力を使いすぎたわけではない。彼女の体内には賢者の石がある。どれだけ魔力を消費しようが、魔力切れを起こすことは絶対にないから。
敗北者としての仮面を外し、先ほどの会話を思い返す。
家族のためだと、あの男は言った。それは予想していた答えだ。自分の父は、朱音がいた未来でも家族思いのいい父親だったから。
でもまさか。まだ生まれてきてもない、本当に生まれてくるのかも分からない子供に対しても、同じ気持ちを抱いてくれているなんて。
それどころか、その子のために未来を変えるだなんて。
「それは反則だよ、父さん……」
込み上げてくるものを飲み込めず、朱音の感情はついに決壊してしまう。眦から涙が溢れて嗚咽を漏らす。
今この時代で生きている彼は、十五年後には帰らぬ人となってしまう。その未来を変えるために、自分はここに来たのだ。
世界をどうにかすることなんて二の次。桐生朱音は、酷く我儘で手前勝手な願望を元に、この時代へと遡って来た。
もう一度、両親に会いたかったから。死んでほしくなかったから。
「ホント、呆れるくらい変わらないんだね……この調子なら、母さんも同じなんだろうな……」
若い頃の父と言葉を交わすことが出来た。一緒に戦うことが出来た。それだけでも朱音にとっては、飛び上がりたいほどに嬉しいことだったのだ。
その上であんなことを言われてしまえば、泣きたくもなる。
けれど、いつまでも泣いている暇はない。
外したマスクを見据える。このマスクをつけている間、自分は敗北者としての仮面を被らなければならないから。
「絶対に、未来を変える……そのためなら、なんだってやるんだ……命を削ってでも……!」
そして少女は、仮面を被る。両親のことが大好きだった桐生朱音としてではなく、未来の世界を変えるために来た
この素顔を二人に晒すのは、全てが終わった後だ。
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