第12話

 織が魔術学院に入学してから、早くも五日が過ぎていた。間に挟んだ土日は普通に休みだったので、実質三日ほどしか通っていないことになるが。


 因みにその土日は、至って普通に休んだ。事務所の仕事を本格的に始めるのはまだ先の話だし、そう焦る必要もない。


 さて。この三日でクラスにはある程度馴染めた織だが、では授業の方はどうか。

 学院での生活は、午後からこそが本番だ。午前中の一般教養、国語や数学などの授業はオマケに過ぎない。


 午後から各教師が開いている魔術の講義。

 これはいくつかの種類に分かれている。それぞれの教師で専門とする魔術が違うからだ。

 まだ一度も講義に足を運んでいなかった織は、教室でも比較的話す方になった安倍晴樹を連れて、一年生向けの元素魔術の講義に出ていた。


 が、しかし。壇上で元素魔術の講義を進める人物を見て、織は驚きを隠せなかった。


「なんや桐生。どないした?」

「……いや、なんでもない」


 一緒に最後尾の席に座った晴樹に尋ねられるが、適当に流しておく。

 そこにいたのは、生徒と同じ制服を着たお下げ髪の、外見年齢だけなら織たちとなんら変わらない少女が。

 しかし実際は、二百年の時を生き魔女と呼ばれ畏怖される魔術師。つまり、桃瀬桃がそこに立っていた。


 織が入学してから初めて見る桃の姿が、まさかこんなところでとは。


「なあ、一応聞いとくけど、あれって桃だよな?」

「お前まさか、魔女とも知り合いなんか?」

「あー、まあ、ちょっとな……」

「風紀委員に入ったみたいやし、知り合いやってもおかしないとは思うけど、お前、物騒な知り合いばっかやな」


 いやはや全くもってその通りだ。全力で頷きたい織ではあるが、桃が一瞬こちらを見た気がしたのでやめておいた。


 晴樹との会話を切り上げ、講義に耳を傾ける。桃は至って真面目に講義を進めていて、正直予想外というのが素直な感想だ。


「みんなも知ってる通り、元素魔術というのは四大元素を活用した魔術。土、風、火、水の四つだね。もちろん、応用として四つを組み合わせて別の元素へと変えることも出来る。例えばこんな風に」


 掌に小さな魔法陣を展開させた桃が、そこに氷塊を出現させる。水と風の元素を組み合わせて、氷の魔術へと変貌させたのだ。


「ただし、なんでも組み合わせられる訳じゃない。火と水、風と土は互いに相反する性質を持っているから、組み合わせることが出来ない。ほら、みんなもソシャゲとかやるでしょ? その属性みたいなのを思い浮かべたらいいよ」


 あまりにも魔術師らしからぬ例えを出してきたが、織にとっては分かりやすかった。中には首を傾げてるものもいたので、一概にいい例えとは言えないが。


 氷塊をそのまま手で握りつぶした桃は、黒板に火、土、水、風をひし形になるように書く。それぞれ、対角に存在している元素が相反する、ということだ。


「魔術っていうのは神秘を用いた奇跡の力だけど、それでもそこにはルールが存在している。どんな魔術師だってそれを破ることは出来ない。それは元素魔術以外にも言えることだね。さて、それじゃあ次は元素魔術の歴史について軽く話しておこうかな」


 さすがは一年生向けの講義とだけあって、その内容は基礎の基礎。さすがの織も知っているようなことばかりだったし、この場にいる生徒の殆ども既に知っている内容ではあっただろう。


 しかし誰一人として席を立たないあたり、魔術師というのは勤勉な奴が多いらしい。桃の話術も、その一因を担っている。

 連れてきた晴樹も退屈そうにはせず、しっかりと桃の話を聞いている。


 それに倣って織も真面目に講義を聞くこと五十分。チャイムが鳴ったのを合図に、桃の講義は終了となった。


「ちょっと桃に挨拶してくる」

「おう、行ってこい。外で待っとるわ」


 晴樹に一言断りを入れ、教室を出て行く生徒たちの流れに逆らいながらも教壇の方へと足を向けた。


「やっ、久しぶりだね織くん」

「だな。研究室にこもってたって聞いてたけど、出てきたのか」

「あんまり籠りすぎると体に良くないからねー。たまにこうして、息抜きに講義してあげてるの。ほら、日本支部って人少ないからさ」

「そんなに人が足りてないのか……」

「好き好んで学院の教師やろうなんて人は中々いないよ。自分の知識を他人にひけらかすってことだしね。わたしはほら、ご老人ですから。若い子たちに色々と託す意味でもね?」

「老人には見えないけどな」


 他愛のない話をしていると、晴樹も含めて織以外の全員が教室から出て行っていた。

 誰もいないなら都合がいいとばかりに、織は声を潜めて桃に尋ねる。


「事件のこと、なにか進展はあったか?」

「残念ながら、なにもないの。サーニャとルーサーは完全に足取りが消えてる。そもそも、あの街から出たのか怪しいくらいに。平行してグレイの方も追ってるし、小鳥遊にも協力してもらってるんだけどね。そっちも収穫はゼロだよ」

「そうか……悪い、調査任せきりで」

「いいのいいの。どうせわたしも暇だし」


 なにも出来ない自分に歯がゆさを感じるが、織がなにかしたところで状況が好転するわけではないのも事実だ。

 今は学院で、少しでも力をつける時。その間の調査は、他の人に任せるしかない。


 落ち込む織を励ますように、それよりも、と元気な声を上げる桃。


「風紀委員に入ったんでしょ? どう? 葵ちゃんたちとは仲良くやれてる?」

「ん、まあぼちぼちだな。もう片方、碧の方はちょっと扱いに困るけど」


 この五日間通っている風紀委員会室でのことを思い出し、織は苦笑を浮かべる。

 黒霧葵のもう一つの人格である碧。彼女は主人格とは違い、かなり大人びているというか、織をからかってはその反応を楽しもうとする愉快犯じみたところがある。


「あー、あの子は結構Sっ気があるからねぇ。織くんのこと、いいオモチャだとでも認識してるんじゃないかな」

「勘弁してほしいな」

「わたしもそのうち部屋に顔出すね。あと、織くんと愛美ちゃんの愛の巣にも!」

「その言い方やめてくれ……」


 なんか、どんどん周りが誤解を深めて行くんだが。事情を知っている桃にまでこう言われるのだから、織としては堪ったもんじゃなかった。


 なにせ、未だにあの日の夢は鮮明に思い出せるのだから。

 荒廃した未来と、彼女との間に生まれたらしい娘。


 あり得るはずがないと思いつつも、織は己の未来視がどれだけ正確かを理解している。


 その内容が内容なので、まだ誰かに相談したりはできていないが。そのうち、蒼にでも聞いてみようかとは思っているのだ。


「言っとくけど、あいつとの同居ってかなり大変なんだからな。一日目から洗濯機壊すし、同い年の男の隣で寝てるくせに無防備だし」

「つまり、色々持て余しちゃってる、と」

「そういうことは分かってても言うな」


 仰る通りなのがつらいところ。織とて思春期の男子なのだ。おまけに未来では子供がいるなんて知ってしまえば、まさかいつかは愛美と、なんて考えてしまうのも無理からぬこと。

 それを百八十ほど歳上とは言え、女性から指摘されるのは勘弁願いたい。


「ま、いっそのこと本当に愛美ちゃんとくっつくのもありだと思うけどね」

「冗談でも笑えないな」

「冗談じゃないよ。愛美ちゃんには、そういう存在が必要なの。じゃなきゃ、いつか自分を見失ってしまう」


 桃の瞳も、声も、至って真剣なものだ。言葉通り、断じて冗談などではないのだろう。

 織よりも愛美との付き合いが長い桃。その出会いも、これまでどのような出来事を二人で経験してきたのかも、織は知らない。

 そこにはきっと、余人には理解できないなにかもあっただろう。


 そんな桃が、断言するということは。


「それ、桃じゃダメなのかよ」

「わたしはダメ。だって、あの子を導いてあげることは出来ても、隣に立ってあげることは出来ないもん」


 それがきっと、桃瀬桃にとっての境界線だ。

 長い時を生き、過去の妄執に縋る魔女と、今を生きる織や愛美たちとの。


 だから桃は、織に託す。友達と呼ぶことの出来た少女を。


 きっと、それだけが理由ではないのだろう。

 あの未来を見た織には、どうしても別の考えが過ってしまう。

 あそこに桃はいなかった。未来の自分が口にしたセリフと、記憶。だからおそらく、あの未来での桃は……。


 彼女自身、遠くない未来に自分がどうなるのかを分かっているのかもしれない。

 元より、桃の追っている吸血鬼は強大な相手だ。魔女と呼ばれる桃ですら、無事でいられる保証はない。


「別に、本当にそういう関係にならなくてもいいんだよ。でも織くんは、愛美ちゃんの隣にいてほしいな」

「……善処する」


 今はまだ、そうとしか答えられない。

 だって、未来は変えられるのだから。



 ◆



 先日見た夢に、昨日桃と交わした会話のせいだろうか。織はやけに愛美のことが気になって仕方なかった。

 単純な男だと織は自分に辟易とするが、仕方ない。そういう年頃なのだから。


 さて、そんな今日は一時間目から体育の授業。魔術の総本山で体育とかなにやるんだと思っていたのだが、やはり他の授業と変わらず、普通の高校と似たような授業内容だった。


「それにしても、魔術師がこんだけ集まってサッカーってのは、なんか変な感じだけどなぁ」

「そう言うなミスター。魔術師とて人間。そしてスポーツとは国境を超える文化の一つであり、人間の作り出した素晴らしいものだ。そこに魔術師かどうかは問われないさ」


 パス練習の相手であるアイクが、ご自慢の金髪を輝かせながら爽やかな笑顔を浮かべる。こうしていればイケメンの好青年なのだが、いかんせん愛美が絡むとすぐにダメになる。


 もはや考える余地すらなく、初見で分かりきっていた事実ではあるが、アイザック・クリフォードは愛美に惚れていた。

 本当に毎日愛美へ愛の言葉を投げかけては一刀両断されているのだから、これにはさすがの織もアイクが哀れに見えてしまう。


 とはいえ、純粋な恋心ともまた違うのだろう。アイクが愛美を見る目には、どこか崇拝のようなものを感じられるのだ。

 一体どのような目に遭えばあの殺人姫を崇拝できるのか。家での愛美、特にその家事スキルを知っている織からすると、不思議で仕方ない。


「そんじゃ試合すんぞー。チーム分けはいつも通り男子対女子。男子も一人増えたし、これで対等になるだろ」


 教師の言葉でパス練習が終了し、男女に分かれてコートへと散らばる。

 しかし、男子が増えることで対等とは。普通逆じゃなかろうか。首をひねる織に説明してくれたのは、同じフォワードとして近くに立っていたアイクだ。


「この試合中では、魔術を使っていいことになっている。もちろん転移魔術は禁止だが、それ以外でファウルにならなければなんでもアリなのだよミスター」

「え、それってつまり……」


 織がその答えに行き着くのと、試合開始のホイッスルが鳴ったのは同時だった。

 そして、遅れて聞こえてくるのは幾度か聞いたことのある短い詠唱。


「集え」


 頭のすぐ横を、物凄い勢いでなにかが掠める。冷や汗を垂らしながら振り返れば、先ほどまでそこにあったはずのボールは、ゴールネットに突き刺さっていた。


 再び前を向けば、不敵に笑う殺人姫が。


「そう、つまり! ミス桐原の独壇場というわけさ!!」

「うっさいぞアイク! 点入れられとんねんからはしゃぐなや!!」


 ゴールキーパーの晴樹がアイクに負けない大声で叫ぶが、織の隣にいるバカは目を輝かせて愛美を見つめるのみ。晴樹の声など届いていない。


 魔術の使用が認められるのなら、概念強化で信じられない身体能力を得る愛美の独壇場だ。

 もちろんこちらも魔術を使用して妨害すればいいだけなのだが、まさかあのスピードを止めろと?


 一度身をもって体験している織は、今すぐこの場から逃げ出したい気持ちに駆られた。


「愛美ちゃん頑張れー!」

「桐原さん! いつも通り男子なんかメッタメタにしてあげて!」

「今日は何十点入ると思う?」

「三十に五百円!」

「なら私は四十に千円!」


 愛美以外の女子はと言えば、まるで他人事のように応援を送り、賭け事まで始めてしまう。男子からしたら恐怖以外の何者でもないのだが、女子からしたら愛美はヒーローそのものだろう。


 ゴールから帰ってきたボールを中央に置き、振り返ってクラスメイトたちを見る。

 誰もがやる気に満ちた表情だ。彼らとて、毎度毎度愛美一人にやられるのはプライドが許さないのだろう。


「おいアイク。俺に策がある」

「ほう。ミス桐原の概念強化を破れる、というのかい?」

「なんなら、女子全員無力化できるぞ。その為にも、ちょっと術式構成の時間くれ」

「面白い。君に賭けようじゃないか。聞け、同志たちよ! どうやらミスター桐生に策があるらしい! しばらくの間、時間を稼いでくれ!」


 ホイッスルと同時、アイクは後方にボールを蹴ってミッドフィルダーへとパスを回した。どうやら他のクラスメイトたちも、織に賭けてくれるようだ。決して無理に攻め込もうとはせず、パスを回して時間を稼ぐ。


 だが、それを黙って見てる愛美ではない。


「織が考えてることは大体分かるけど、その前に私が大量得点決めればいいだけよね」


 概念強化を全身に纏い、一人敵陣に吶喊する愛美。アイクが咄嗟に結界を張るが、それを蹴り砕きボールへ向かって一直線に進む。


 結界だけじゃない。攻撃魔術すらも飛び交う中、愛美はそれらを意に介さず易々とボールを奪ってみせた。

 そして奪ったその場でシュート。晴樹の体ごとゴールネットに突き刺さるボール。射程なんぞあってないようなものだ。


 どこの超次元サッカーだよと思わなくもないが、織は口に出さないでおく。一番近くのアイクがそのネタを理解できるとも思わないから。


「あれ、晴樹は大丈夫なのか?」

「いつものことだ。心配しなくても問題ないさ。それより、あとどれくらいかかる?」

「もうちょい、だな。あと一点は勘弁してくれ」


 華麗に点を決めた愛美へとかかる歓声。小さく交わした織とアイクの言葉は、それに掻き消されてしまう。


 愛美は織の手の内を知っている。当然、織がこれからやろうとしていることにも検討がついているだろう。

 だが、これは実戦ではない。サッカーだ。愛美にこちらの作戦がバレていようと、彼女が打てる手は織の術式構成完了までに一点でも多く入れるのみ。直接妨害することは出来ない。


 だが、その考えは甘いと言わざるを得ないだろう。


 再びホイッスルが鳴り、アイクがまた後方へとパスを回す。愛美もそれを追いかけるものだと思っていたのだが、何故か織の方へと近づいてきて。


「私が指をくわえて見てるだけだと思う?」


 織の目の前で、一歩。大地を踏みしめた。

 途端、視界が揺れて尻餅をつく。平衡感覚がまともに働かず、立つことはおろか術式の構成さえも出来ない。


「おまっ……卑怯だぞ……!」

「こっちの魔力奪おうとしてたやつには言われたくないわね」


 織も一度見たことのある体術だ。地面を伝い、相手の波長を狂わせる技。脳を概念強化せずとも使えるそれは、たしか崩震と言う名前だったか。


 前に乱闘騒ぎを起こしていた野球部に使った時は、相手は泡を吹いて倒れていたから、これでも手加減されているのだろう。

 野球部に所属しているクラスメイトは当時のことがトラウマとなっているのか、ちょっと体が震えている。可哀想に。


 が、そいつを哀れんでいる余裕などない。泡吹いて倒れるよりかはマシだが、それでも立ち上がれないのは事実だ。術式の構成も一からやり直し。振り出しに戻ってしまった。


 織が復帰に時間をかけてる間にも試合は進み、愛美の足によって十点二十点と奪われていく。試合時間はまだ半分を過ぎたあたり。この調子だと、本当に四十点取られかねない。


 だが、それだけ経てばもう十分だ。これまたタイミングのいいことに、未来視も発動した。あとはその通りに動けばいいだけ。


 これだけ点を取られれば勝つことは出来ないだろうが、せめて一矢報いてやる! じゃないと男としてのプライドがズタボロだからね!


「準備完了。この規模は初めてだから、上手く行くといいけどな……!」


 展開した魔法陣は、サッカーコート全体を覆う巨大さ。織の唯一にして最大の武器とも言える、魔導収束のものだ。

 本来なら自分の魔力を殆ど必要としないが、さすがにこの規模の魔法陣を展開させるとなれば、相応に織の魔力も消費する。


 しかし、それだけの効果を得ることができた。今まさしくシュートを撃とうとしていた愛美の動きが止まったのだ。それだけじゃない。女子たちは自分に降りかかった異変へと気づき、全員が驚愕をあらわにしている。


「え、嘘……?」

「なにこれ、魔力吸われてるんだけど⁉︎」

「誰かこの魔法陣壊して! 早く!」

「魔力使えないから無理だって!」


 パニックに陥る女子たちを見て、男子たちは織へと畏敬の視線を送る。そもそも、彼らにとっては見慣れぬ魔術だ。その正体を知るものは少ないだろう。


 あまり魔力を吸いすぎると、体調を崩しかねない。そろそろ潮時かと織が魔法陣を閉じようとすれば、しかしそれよりも前に、巨大な魔法陣が音を立てて割れる。


「残念。私には異能があるのよ」


 愛美の仕業だ。いつもの短剣ではなく、先の尖った小石を地面に突き立てている。織は既に未来視で見ていたとは言え、まさか本当にただの小石で異能を発動させるとは。


 あれだけ巨大な魔法陣が壊されたことには、特に疑問を挟まない。元々、魔法陣や術式というのは、かなり繊細なものだ。一箇所に亀裂を入れられただけで瓦解するのも当然。


 ここまでが、織の見た未来。魔法陣を壊されるのは織り込み済みだ。


「残念。望んだ通りの未来だよ」

「……っ!」


 瞬間、女子全員の周囲に小さな魔法陣が展開。光を放ってそれは霧散したが、効果はたしかに発揮している。


「小癪な真似をするわね……!」

「生憎と、それしか取り柄がないもんでな」


 チェイン。

 織が得意とする魔導収束の使い方だ。先日、蒼との特訓でも見せた連鎖爆発を始めとし、魔法陣が壊されたその時に漸く効果を発揮する魔術。

 今回の場合、愛美に壊されるよりも前に吸収していた魔力。その元の持ち主が魔術の対象となった。


 そして与えられた効果は強化の真逆。対象の弱体化である。


「いいぞ桐生ー!」

「さすが桐生汚い!」

「手段を選ばない卑怯者!」

「そこに痺れる憧れるー!」

「お前ら褒めてねぇだろッ!!!」


 ヤジを飛ばす男子陣に大声でツッコミを入れながらも、試合はまだ続いている。

 愛美の足元からボールを奪い、いつの間にかゴール付近へと走り込んでいたアイクへとパス。そのまま男子が、念願の一点を取り返した。


「やるやんけ桐生! やっしゃお前ら! 桐生とアイクに続くで!」


 後方からの声に男子一同大声で返し、気合いを入れ直す。まだ試合時間は半分近くあるのだ。ここから逆転も、夢ではないかもしれない。


 ていうか、晴樹はなんで無事だったんだ。愛美の殺人シュートが直撃してたはずなのに。


 なにかしらの魔術を使ったのだろうと見当を付けて、晴樹のことは置いておく。

 逆転の可能性があるかもしれないとは言え、油断は出来ない。相手は愛美だ。魔力も吸い上げ弱体化の魔術までかけたとは言え、元の身体能力が尋常じゃない。


 ボールを中央に戻し、女子チームからスタート。ホイッスルがなるが、しかし愛美は動こうとしない。


「……?」


 相手がボールに触れなければ、こちらからはどうにも出来ない。動き出さない愛美に怪訝な視線を送っていれば、愛美の周囲に魔力が蠢いた。


「お、おい、愛美? お前、今魔術を使うのはマズイと思うぞ?」


 まさかと思い忠告する織を無視して、愛美の口からは詠唱が発せられる。


「集え、理は流転し、道は反転する、疾く駆けしは我が脚、穿ち砕くは我が腕、裂き断つは我が剣、我は喰らい尽くす者、万物万象悉くを斬り伏せ、命を刈り取る者」


 織が聞いたことのない詠唱だ。けれど、これが彼女の全力全開だということは理解できた。

 全身に纏う濃密な魔力がその証だ。


 どこからそんな魔力が出てきたのか。全力の概念強化を纏った愛美に、果たして太刀打ちできるのか。

 そんな疑問で頭がいっぱいになる織へと、殺人姫が語りかける。


「これも、望み通りの未来かしら?」

「滅相もございません……」


 蹂躙が、始まった。



 ◆



 試合の結果は八十六対一。

 いやはや、見事なまでに惨敗である。いっそ清々しいレベルで。むしろどうやったらこんな点数が取れるのか。ここまで気持ちよく負けることなんて、これから先の人生でもそうはないだろう。ある意味貴重な体験だった。


 まあ、その貴重な体験とやらのために、織を除いた男子全員が怪我を負ったのだが。主に愛美の殺人シュートの犠牲になって。

 織は恐怖のあまりコートの端っこへと逃げたので、事なきを得た。だって怖かったし。


 試合結果は酷い有様だったが、授業終了後には織にとって、更なる試練が待ち受けていたのだった。


「お前、マジで勘弁してくれよ……普通あそこから全力出すか?」

「頭にきたんだから仕方ないじゃない」


 背中におぶった愛美からは、不機嫌そうな声が。しかし自分が悪い自覚はあるのか、そっぽを向いた気配もした。


 男子を蹂躙し、試合が終わった後。愛美は糸の切れた人形のように倒れて動かなくなった。魔力の使いすぎだ。

 織に吸い取られた挙句、残った魔力を総動員して全力の概念強化を行ったのだ。当然の帰結である。


 問題は、どうして織が愛美を保健室まで運ばなければならないのかだ。

 普通、こういうのは同じ女子がするべきじゃなかろうか。でも魔力吸い取られて疲れてるから、とか言われたら、その犯人であるところの織としては拒めない。


 それ以上に含むところを感じられた気がするが、気のせいということにしておこう。


「そもそも、元はと言えば織が悪いのよ。あんな煽ることされたらああなるのは当然だと思うけど」

「責任転嫁やめろ。洗濯機の時もそうだったけど、なんでお前はそう短気なんだよ」

「昔のことを蒸し返すのはモテない男がやることよ」

「まだ十日くらいしか経ってねぇよ。勝手に昔話にすんな」


 軽口を交わしながらも、しかし織の意識は別のところへ向いていた。

 愛美は体操服だ。当然のように、制服よりも生地が薄い。つまりほんの僅かながら存在している膨らみが背中に直撃してるわけで、おまけに手を回している太もものあたりはメチャクチャ柔らかいし、愛美の顔は今までのどの時よりも自分の顔に近いしで、それらを意識するなという方が無理な話だった。


 すごい。なんでおんなのこって、こんなにやわらかいんだろう。ふしぎだなー。


「……変なこと考えてるでしょ」

「べ、べべべ別に考えてねぇし⁉︎」

「動揺しすぎよ。カマかけただけだったんだけど、その様子じゃ本当に変なこと考えてたみたいね」

「……」


 なにも言えなくなった織の耳を、グイーッと引っ張る愛美。しかし力が入らないのか、大して痛くもない。


「まあ、織も男の子だものね。私のような美少女で欲情してしまうのは仕方ないことだわ」

「してねぇよ」

「本当に?」

「……してねぇよ」

「今の間はなによ」


 いやだって、男の子だし。多少は、ほら、ねえ?


 ただしそんなこと、女子である愛美に言えるはずもない。本当は言ってやりたいのだが、複雑な男心が邪魔をする。

 言いたいことも言えないこんな世の中じゃ。ポイズン。


「はぁ……お前、そう思うならちょっとは自重しろよ、マジで」

「織の前でだけ、よ?」

「……っ」

「こう言った方が、男子的には嬉しいんでしょう?」

「だから、そういうとこだぞお前本当……」


 クスクスと楽しそうな笑い声が廊下に響く。すぐ近くに顔があるからか、吐息が耳を撫でて擽ったい。


 嫌でも心臓が早鐘を打つ。ドクドクと、痛いくらいに。背中越しに聞こえてしまわないかと心配になるけれど、そんな様子はなさそうだ。


 そのことに安堵こそすれ、だからと言って織の心臓が正常な動きを取り戻すことはない。

 心臓だけじゃない。顔の色だって、平時とは程遠い色をしているだろう。

 それはさすがに隠せていないかもしれない。織の方から愛美の表情は見えないが、愛美からは見えてしまう。


 だから、気になった。彼女が今、どんな顔をして織におぶられ、織をからかっているのか。

 まだ小悪魔のようにからかいの笑みを浮かべているのか、それとも案外、織と同じで顔を赤くしたりしているのか。あるいは、いつもの仏頂面に戻ってしまっているのか。


 不意に視線を向けた先。廊下の窓には自分たちの姿が映っていて。

 難しい顔をした男と、目を閉じ、とても穏やかに微笑んでいる少女が、そこにいた。


「……織? どうかした?」


 思わず足を止めてしまえば、怪訝そうな声がかかる。なんでもないとかぶりを振って、再び保健室までの足を進めた。


 桃にはあんなことを言われたし、クラスメイトたちもなにかと揶揄してくるけれど。

 こうして自分の背中に体を預け、そんな表情をしてくれているのなら。


 今は、このままでいいかもしれない。

 どの道、この美しい少女と家族であることには、変わらないのだから。

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