力の理由

第11話

「父さんは、どうして戦ってるの?」


 織が事務所で銃の整備をしていると、目の前の少女が尋ねてきた。今年で十歳になる、織と愛美の娘だ。

 妻によく似たこの子は好奇心旺盛で、織が銃の整備や魔術の鍛錬をしていると、いつも近くで眺めている。そのことについて質問されたことはあれど、この様なことを聞かれるのは初めてだった。


 つい面食らってしまった織だが、それでも整備の手は止めずに答える。


「そうだな。父さんたちが犯した罪に対する、罰みたいなもんだ」

「罪と罰? この前そんな小説読んだよ?」

「マジかおい」


 まだ十歳なのに、そんな難しい本を読んでいたのか。三十近い織ですら、小難しくて読んでられないのに。


「小説の話じゃなくてな。父さんと母さんは、昔、友達を助けてやれなかったんだ。見殺しにしたって言ってもいい。だから、その罪を償うために、戦ってるんだよ」


 娘が生まれる前から使っている愛銃の整備を終わらせる。立ち上がってホルスターにしまい、娘を伴って事務所の外へ出た。


 元から人気のない通りではあったけれど、今ではかつて以上に人の気配がしない。

 この通りだけではなく、この街、いや、この星自体に。道や建物はところどころが自然に侵食され、未だ昼だというのに遠く見える街の明かりは一つもついていなかった。


 果たして生き残っている人間は、あと何人いるのか。学院が機能しなくなってからしばらく経つから、それすらも把握できない。


「辛くないの?」

「辛くはないさ」


 特に行く当てもなく道を歩いていれば、行く手に魔物が現れた。巨大な蜘蛛、のようなナニカ。


 事務所の近くに湧いて出てくる魔物を狩って回るのが日課になったのは、いつの頃からだったろう。

 この星にはもう、人間の数よりも魔物の数の方が多い。それだけはたしかだ。


 この世界にはもう、人類最強の男も、魔女もいない。ただの探偵と殺人姫が、人類の持てる最大戦力。


 魔物へと徐に手を向ける織。それを敵対行為と見たのか、蜘蛛の魔物は八本の脚に力を込め、飛びかかってきた。

 しかし魔物の体が織たちに届かず、宙空でその体を爆散させる。


 飛び散る血と肉片。前方に張った結界に阻まれ、織と少女の体を汚すことはない。


「毎日こんなことしてるのに?」

「毎日こんなことしてるのに」


 まだ年端もいかぬ少女には刺激の強い光景だろうに、少女は何食わぬ顔で質問を続ける。

 彼女にとっても、慣れた光景だった。


 もしも世界がなにも変わらなければ、こんなものを見てしまった娘は悲鳴をあげて驚いていただろうか。

 ありもしないを想像しながら、織は言葉を続けた。


「気が滅入ることはあるけどな。敵の力は強大で、愛美はともかく、俺には友達から貰った力しかない。仮にやつに勝てたとしても、そのあとどうすればいいのかも分からない。でも、辛くはない」


 体の中に宿る、彼女のカケラ。

 今でも思い出せる。命を賭して自分に力をくれた、あの友人のことを。それでも、大部分はあちらに持っていかれた。

 その結果がこの世界。暴走を引き起こし、世界を魔力で満たしてしまい、多くの人間が死滅して魔物が蔓延るこの世界だ。


 それでも、織は戦うと決めた。

 大切な友人も、師である男もいなくなったこの世界で、唯一の希望が生まれたから。


「朱音。お前がいるから、俺たちは戦えるんだよ。いつか、戦いのない平和な世界に、お前を連れて行きたいから」


 首を傾げる娘に、織は苦笑して頭を撫でてやる。平和な世界とやらが想像出来ないのかもしれない。この子が生まれた時には、世界は今の姿になってしまっていたから。


 だから、織は戦うことをやめないのだ。

 それが、ただの探偵、平凡な魔術師でしかない彼が、戦い続ける理由だった。



 ◆



「なんだ、今の夢……」


 目を覚ましたのは、つい先日から住んでいる新しい家の中。まだ見慣れない部屋で、隣には同居人が気持ちよさそうに寝ている。


 決して荒廃した世界ではないし、がいるわけでもない。まして、織の中にあんな膨大な魔力が宿っているわけがない。


 紛れもなく夢だ。そうに違いない。だって夢の中の織は三十歳近くになっていて、今の織は十七歳だ。酒だって飲めないしタバコだって吸えない。

 でも、夢の中で感じた魔力は、あの少女を撫でた時の感触は、本物だった。


 未来視が発動したのか? けれど、今まで夢に見ることなんてなかったし、当然ながらそれを現実として認識してしまうこともなかった。


「未来に意識が引っ張られてる、のか……?」


 完全に覚醒してしまった脳で考えてみるも、推測の域を出ない。ただ、自分の異能が今までにない力を見せた。織に分かるのはそれだけだ。


 なにより。なにより、だ。


 あれが本当に未来なのだとして。これから先、いつか本当にやってくるのだとして。

 世界の荒廃なんかよりも、もっと驚くべきことがあった。


 隣で寝ている愛美を見やる。

 彼女は穏やかな寝息を立て、ぐっすりと眠っていた。


 この美少女と自分が、夫婦になっている?

 いやいやいや、なんの冗談だ。それこそ夢だろう。まともな高校時代、ついに彼女の一人も出来なくて気が狂ったか。


「まあ、ないわな」


 そもそも、愛美からは男として見られているかすら微妙なのだ。乾いた笑いが漏れるのも仕方ない。

 しかも愛美は家事スキルが絶望的というか、災害レベルというか、とにかくヤバイ。そんなやつを嫁にするとかないない。


 首を振ってさっき見た夢を否定していると、スマホの目覚ましが鳴った。お姫様のお目覚めだ。

 そんな家事スキル災害レベルのお姫様のために、朝食の準備を始めよう。


 今日は、魔術学院へと正式に入学する日だ。



 ◆



 愛美の転移でやってきた魔術学院の校門前。数日前と違って、織と愛美以外にも生徒らしき魔術師が何名か転移してきたり、樹海の中から現れたり、果てはヘリで登校してきたり。いや、ヘリはまずいだろ。流石に周りの目は誤魔化せないぞ。


 さて。今日から織も、正式にここの仲間入りとなる。


「その前に、いくつか注意事項を伝えておくわ」


 登校してくる生徒たちを横目に見ながら、愛美は白く細い指をピンと立てた。


「ここでの取り決めとかルール的な?」

「ええ。魔術師というのは、人間個人が扱うにはあまりにも強大な力を持っている。だからこそルールを守らなければならないし、それが出来なければ獣や魔物と同じよ」


 それはなにも、魔術師に限った話ではないだろう。世界で国同士が結んでいる条約なんかも、規模は違えど同じものだ。

 人間というのは、常にルールという見えない鎖で縛られている。だがその鎖を断ち切る事はできず、そうしようとしてしまえば直ぐに集団から排除される。


「まず一つ。これは前に桃が説明してたけど、学院内での私闘は禁止」

「お前らが取り締まってるんだっけ?」

「そうね。私たち風紀委員は、例外的に学院内での武力行使が認められてるわ」


 先日、初めて学院を訪れた時のことを思い出す。そういえばあの時の野球部の人たちは無事だったのだろうか。

 どこか的外れなことを考える織を他所に、愛美は説明を続ける。


「次に、学院から出てる依頼について。これは単位とかに直接関わってくるものね」

「やっぱり単位とかあるんだな」

「こんなでも、一応学校だもの。そりゃあるわよ」


 魔術学院は学生に向けても依頼を発行している。それぞれの依頼にポイントが振ってあり、進級時に規定のポイントに満たなければ留年、と言った具合だ。


 一番ポイントを稼げるのは魔物の討伐。これを五回こなしたら大体オーケーらしい。


 と、ここまで愛美の説明を聞いた織は、一つ疑問が。


「ん? お前、魔術師相手の依頼も受けたことあるんだろ? 普通それが一番ポイント高くないか?」


 愛美が殺人姫と呼ばれるようになった所以は、決して魔物相手に大立ち回りを演じたとかではない。

 同じ人間、裏の魔術師たちを殺し回ったからこそ、そう呼ばれるようになったはずだ。ならば、そいつらを相手にする依頼もあるはず。


「それは生徒向けの依頼じゃないわよ。卒業生もここを拠点に活動してるのは知ってるでしょ? 本来はそいつら向け。私は例外」

「例外て……」

「日本支部は人が少ないのよ。生徒も含めて魔術師自体が。だから私みたいなのが駆り出されるってわけ」


 学院の生徒の一般的な実力がどの程度か織には分からないが、それでも愛美がその一般的から逸脱した強さなのは分かる。

 特に、あの体術。あまりにも人を殺すことに特化しすぎているあの体術があれば、相手が魔術師だろうが関係ないのだろう。


「で、次。この学院にも普通の学校と同じで生徒会ってのがあるけど、基本的に生徒会の決定は絶対よ。それに逆らう事は許されない」

「そりゃまた随分と物騒だな」

「まあ、今の生徒会はそこまで無茶苦茶なことは言い出さないから大丈夫よ。権力差で言えば、私たち風紀と同じくらいだし」

「そこも風紀委員は例外か」

「そうなるわね。要は、風紀と生徒会には逆らうなってことよ」


 やはり普通の学校のように見えて、細部は違ってくる。生徒会や風紀委員が権力を持っているなんて、所詮はアニメや漫画の中でしかあり得ない話だ。

 しかし、この学院では力関係がはっきりしている。


「とりあえずはこんなもんかしらね。他にも細かい取り決めはあったんだけど、その辺りは学院長が趣味で決めたやつだから、知らなくても問題ないわ」

「それでいいのか風紀委員」


 あの学院長の趣味ということは、それこそ普通の高校と変わりない校則だったりするのだろうけど、風紀委員としてその発言は如何なものか。


「ああ、それと最後に。私とか桃以上の変わり者が大量にいるから、その辺りは覚悟しておきなさい」

「お前ら以上って相当な気がするんだけど?」

「相当なやつらがいるのよ。嘆かわしいことにね」


 頭が痛いとばかりに歩みを進める愛美。織はその後をついていくが、はてさて相当な変わり者とは、どんな奴がいるのだろうか。


 とりあえず頭に浮かんだのは、フィクションの中によくいるタイプ。力こそパワー的な、最強目指して邁進してます的な感じ。

 現実の魔術師は基本的に力を求めない。それよりも知識を求める。ある意味では知識がイコールで力になりはするものの、あからさまに自分の力を誇示するようなやつもいない。


 まあ、こんな典型的なバカはそうそういないだろう。首を横に振って思考をかき消す織だったが、そんな織の耳にとても大きな声が届いた。


「久しぶりだな! ミス桐原!!」


 はぁ、と愛美がため息を一つ。そんな彼女の肩口から前方を覗いてみると、陽の光を浴びて煌めく綺麗な金髪の男が立っていた。


 腰に細身の剣を差している男は、どう見ても日本人ではない。欧州の人間だろうか。日本支部なのに、早速日本人じゃないやつが現れた。でも日本語喋ってるのはどういうことだ。


「あれが変なやつか?」

「そう。あれが変なやつ。その代表例みたいなもんよ」


 呆れた声音で言いながらも、愛美は足を止めない。自然、織もそれに追従して謎の金髪へと近寄ることになるのだが。


「さあ! 今日こそこの俺の愛を受け止めてもらおうか!!」


 なんか変なことを言い出した。と思えば、腰の剣を抜いたではないか。これにはさすがに驚いた織だが、愛美は慣れた様子で男に対応する。


「毎度毎度煩い」


 怒りすらも込めない、酷く無感情な声で言い放ち、男の剣が真っ二つに折れる。いや、折れたのではなく斬れたのだ。


 男の横を素通りする愛美の手には、いつの間にか懐から取り出した短剣が。


「なんか、愛がどうとか言ってるぞ……」

「放っときなさい」


 最早男に見向きもしない愛美と、斬れた自分の剣を見つめて落ち込んでいる男。そんな男をドン引きした様子で見る織。

 周囲の生徒たちもこのやり取りを見慣れているのか、またやってるぞあいつら、みたいな声まで聞こえてくる始末。


 まさか、これ毎日やってんの?

 愛美が頭を抱えたくなるのもわかった気がした織だった。



 ◆



「えー、今日から学院に所属することとなった桐生織君だ。三年生から入る変わり者だが、変わり者って意味じゃお前らと大差ないだろ。そんな変わり者同士仲良くするように」


 あんまりにもあんまりな紹介を担任からされ、織は教室内を見渡してみる。

 始業式なんてものも特になく、早速教室へと通されたわけだが、どうも人数が少ない。

 男子十人女子十人の計二十人。織を含めれば二十一人だ。日本支部は魔術師が少ない、と愛美がさっき言っていたか。


 見た感じは変な格好をしてるやつはいないが、朝のあれを見ている以上、見た目に惑わされてはいけないだろう。

 実際、あの金髪も同じクラスだった。


 担任に促されて適当に自己紹介を済まし、窓際最後尾の席へ。出席番号順だとちょうどそこらしい。織の前方には愛美も座っている。


 さて。転校生といえば質問ラッシュされるのがテンプレだろうか。織自身転校したこともなければ、今まで転校生なんぞお目にかかったこともないので、そこは漫画の知識を借りるしかない。


 だが朝礼が終わってもクラスメイトたちが寄ってくることはなかった。


「誰も俺に興味なしかよ……」

「転校生が人気者なのは、小学生までよ」


 独り言のつもりだったのだが、前に座っている愛美には聞こえたらしい。なぜか上機嫌そうにクスクスと笑っている。


 とりあえず授業の準備でもしようか。たしか、一時間目は数学だったはず。

 魔術を学ぶために学院へ来たのに、まさかここでも嫌いな数学と向き合うことになろうとは。まあ、魔術師とて一般教養くらいは身につけておかないといけないから、仕方のないことだけど。


 若干気落ちしながら前日に受け取った教科書を準備する織に、三人の生徒が近づいて来た。そのうちの一人、例の金髪男が大声で名乗りをあげる。


「初めまして、ミスター桐生! 俺の名はアイザック・クリフォード!! 英国貴族であり、魔術学院本部を統べる首席議会の一員たるクリフォード家の嫡男だ!!! 気軽にアイクと呼んでくれたまえ!!!」


 いや、本当に声でかいな。本人に悪気はないんだろうが、思わず耳を抑えてしまう織。見れば、愛美も他の二人も迷惑そうな顔をしていた。


 そして残った二人も、アイクに苦言を呈しつつも織に自己紹介する。


「相変わらずうっさいなお前は……俺は安倍あべ晴樹はるき。関西出身の陰陽師や。よろしゅうな、桐生」

「あたしはこのクラスの委員長をやってる三谷みつや香織かおり。アイクが煩いのはそのうち慣れると思うから、ちょっと我慢しててね」

「桐生織だ。よろしくな」


 制服の裾を捲り便所サンダルを履いた関西弁の男と、ボブカットでメガネをかけた優しそうな少女。

 男の方は多少個性的なファッションセンスだが、それでも普通の高校生に見える。


「それより、俺は二人の関係を知りたいのだが?」

「二人?」


 どうやらアイクは、普通に会話するときは声量も普通らしい。そのことに安堵しつつも、問われた内容に首を傾げる。

 いや、この場合の二人とは、織と愛美のこと意外にあり得ないのだろうけど。


「そうそう。桐生、お前そこの桐原とえらい仲ええみたいやんけ。さっきもアイクがばっかり振られるとこにおったみたいやしな」

「多分みんなも、桐原さんと仲が良いから、桐生くんに近寄れないんじゃないかな?」

「そういうことか……」


 どうやら今朝のアイクによるひと騒動はいつものことらしかったが、今日に限ればそこに異物が混ざっていた。

 恐らく、あれを見ていた生徒の殆どが思ったことだろう。殺人姫の後ろにいる男は誰だ、と。


 そりゃ今日転校して来たばかりなのだから、織のことを知るやつなんているわけもない。


 さてどう説明したもんかと悩んでいると、織よりも先に愛美が答えた。


「仲が良いのは当然よ。織は私の家族だし」

「え、そうなの⁉︎」

「そうよ。私の弟」

「おいちょっと待て。勝手に弟認定すんな」


 さすがに待ったをかけた。誕生日は一月しか違わないのだから、仮に兄弟姉妹みたいなもんだとしても弟ではないだろう。


「でも苗字ちゃうやんけ。桐の文字しかあっとらんぞ」

「よもや、二人は夫婦ということはないだろうな⁉︎」

「ねぇよ。ない。絶対ない」


 大声で絶望したような表情のアイクにすぐさま否定を入れる。

 アイクはホッとした顔になったが、織としては冗談では済ませられない話だ。なにせ、今朝見ていた夢を思い出してしまうのだから。


「その辺は色々あるんだ。出来れば詮索しないでくれ。でもまあ、兄妹みたいなもんではあるな」

「ちょっと、兄妹じゃなくて姉弟でしょ? いつからあんたの方が兄になったのよ」

「そうやってすぐ噛み付いてくる辺り、まだまだ子供って感じで妹だと思うぞ?」

「あんたこそ、必死になりすぎじゃない? そこまで言うなら無理矢理分からせてあげましょうか?」

「おいやめろ。短剣チラつかせるな。私闘禁止じゃなかったのかよ」

「私、風紀委員だから」

「職権乱用じゃねぇか!」


 まさかこいつ、戦いたいから風紀委員やってるわけじゃないだろうな。そうでないことを祈りたい。


「二人が仲良いのはたしかみたいだね」

「夫婦漫才ってやっちゃな」

「ミスター! 君は結局、ミス桐原とどういう関係なんだ!! ミセス桐原なのか⁉︎」

「アイクうっさいぞ。二人がちゃう言うとるんやからほっといたれや」


 含み笑いを浮かべた晴樹の言葉には、事実はどうあれ、というのが隠れている気がしたのだが、気のせいだろうか。

 これで二人暮らししてるとか言ったら、とんでもないことになりそうだ。


「んじゃまあ、これからよろしゅうな。そのうち一緒に依頼受けに行こうや」

「あ、あたしもあたしも! その時はよろしくね!」


 未だ煩く聞き続けるアイクを引っ張って、晴樹と香織は自分の席へと戻っていった。


 約一名騒がしすぎるが、どうやら退屈はしなさそうだ。



 ◆



 魔術学院日本支部の授業は、国語や数学などの一般教養がメインだ。しかし普通の高校とは違い、午前中のみとなっている。

 午後からは依頼に向かったり、魔術の講義を開いている先生の元へ向かったりと、生徒たちは各々の過ごし方をしているのだ。


 織はてっきり、魔術についての授業ばかりだと思っていたから、ある意味拍子抜けだ。

 魔術については午後から好きなように受ければいい。放任主義もいいところである。


 聞けば、日本支部に来るやつらはやはり相当な変わり者が多いとのこと。本格的に魔術を学びたいなら、別の支部か本部に入るらしい。


 とは言え、魔術の講義をやっているのは事実だ。とりあえずどこか受けてみようかと考えていると、前の席で帰る支度を終えた愛美が振り向いて来た。


「さて、行くわよ」

「は? どこに?」

「風紀委員会室」

「なんで俺が」

「織も風紀に入ってもらうからよ」


 その返答で頭の中の疑問符が消えるとでも思っているのだろうか。むしろ増えてしまったのだが。

 そんな織の心情などお構いなしに、愛美は席を立って教室を出てしまった。慌ててそれを追いかける織。


「ちょっと待てよ。まず、なんで俺が風紀に入らないとダメなのか説明しろって」

「その方が色々と都合いいからよ。サーニャやルーサーのことを調べるのにもね」


 その二人の名前を出されると、織は黙るしかなかった。


 今のところ、サーニャとルーサーについて有益な情報があるわけではない。桃や桐原の人たちも調べてくれてはいるものの、足取りは完全に消えてしまっている。


 ならば今は、織自身の腕を磨くことを優先すべきだが、風紀に入って少しでも状況が良くなるのなら断る理由はない。


「それに、風紀に入れば嫌でも魔術師相手の実戦を経験できるわよ」

「それはまあ、ありがたいけどさ」


 それはそれでこの学院の風紀を疑った方がいいのではないだろうか。私闘禁止なのに実戦を経験出来るって、ルール守るつもりないじゃん、ここの生徒。


 愛美に連れられて広い校舎を歩くこと約五分。教室からは比較的近い場所の一室へとたどり着く。

 扉を開いて中に入る愛美に続けば、室内はかなり広かった。


 風紀委員長と書かれたプレートの置いてある机が奥にあり、手前にはソファとテーブルが。冷蔵庫やティーセットなんかも置いてある。寛ぐには十分な広さと備品だ。


 そしてソファの上には、ツインテールの少女が座っていた。学院の制服を着ているから、ここの生徒なのだろう。


 彼女は愛美と、次いで織を見ると、驚愕に目を見開いた。


「先輩が男連れてきた⁉︎」

「煩い」

「あいたっ!」


 立ち上がり絶叫する少女の頭を、愛美が軽く叩く。そのまま奥の机、委員長の席へと座った愛美が、改めて少女に向き直った。


「今日は碧なのね」

「そんなことより、今は先輩の彼氏について聞きたいわねぇ?」


 愛美の言葉も無視して、少女が織に歩み寄る。身長はそれなりに低い。百五十前半といったところか。顔立ちもまだ幼く、おそらく歳下だろう。

 しかし、妙に大人びた雰囲気が感じられる。浮かべているのは小悪魔のような笑み。ニヤニヤと下心満載のものだ。


 そんな少女の瞳が、織を捉える。まるで品定めするかのように。


「なるほどなるほど」

「ちょっと碧。勝手にのはやめなさい」

「別にいいじゃない。先輩の彼氏がどんなやつか、わたしだって気になるのだから」

「彼氏じゃないわよ。織は私の家族」

「つまり旦那?」

「あんたね……もういいから、葵に変わって」

「はいはーい」


 トントンとコメカミのあたりを指で叩く愛美は、怒りを隠しきれてない。

 それにしても、変わるだのなんだのとはなんのことだろう。


 織がそう疑問に思った次の瞬間。

 目の前の少女が、文字通り変わった。いや、姿形が変わったわけではない。少女の纏う雰囲気が変わったのだ。

 別の人間になったと思うほどに。

 大人びた雰囲気は霧散し、年相応の、幼い雰囲気とでも言えばいいのか。


 とにかく、同一人物とは思えないくらい、その変わり様は明らかであからさまだった。


「すみません、愛美さん……碧がまた勝手に……」

「いいのよ、あなたが悪いわけじゃないんだから。それよりほら、さっきからそこで固まってる男に自己紹介してあげなさい」


 そうでした! と慌てる少女は、先ほどまで余裕たっぷりな表情を浮かべていた人物と本当に同じなのだろうか。口調まで変わっているのに。


 改めて織に向き直った少女は、ペコリとお辞儀して自己紹介をする。


「初めまして、桐生織さん。二年で風紀委員所属の黒霧葵です。えっと、さっきまでの私は私じゃないと言いますか、私の中のもう一人の私、的な?」

「二重人格ってことか?」

「あ、はい! それです、それ!」


 その答えがすぐに出てきたのは織自身も驚いたが、どうやら正解らしい。

 しかしそれにしては、通常の乖離性同一性障害と違う点がある。聞きかじった程度の知識しかないが、本来はこうして簡単に人格を切り替えることなんてできなかったはずだ。


 が、ここは魔術師の総本山である。どんな人物が現れてもおかしくはない。

 そう結論付けて、織は早々に考えるのをやめた。


「さっきのは碧。その子のもう一つの人格よ」

「俺の名前を知ってたのは?」

「二人の異能ね。葵たちは、あらゆる情報をその目で視ることができるの。肉体は共通、意識も記憶も視界も共有してるから、さっき碧が見た織の情報を、その子も知ってるってわけ」


 ですです。と頷いてる葵は、本当に別の人格らしい。なんというか、幼いというよりも小動物感に溢れる女の子だ。


「あとは特別顧問とかいう訳の分からない役職についてる魔女がいるけど……」

「桃さんなら、今日も研究室に引きこもってましたよ?」

「今日くらい顔見せなさいよあのバカは……」


 どうやら、桃も風紀委員の所属らしい。そういえばまた暫く顔を見ていない織である。


「とまあ、この四人が現在の風紀委員。今日から織が五人目ってわけ」

「よろしくお願いします、桐生さん!」


 まだ入るとは一言も言っていないのだが、目の前で純粋無垢な笑顔を浮かべる歳下を見れば、ノーと言うこともできなくて。


「はぁ……まあ、よろしくな葵」

「ちょっと、私にはなにかないの?」

「お前に今更よろしくとか言っても仕方ないだろ」


 なんにせよ、やっぱり学院での生活は退屈しなさそうだ。


 それにしても、先生も同じ名前だし、三人も読み方同じだとややこしいな、とか思う織なのであった。



 ◆



 学院長室で一人佇む南雲仁は、窓から校庭の様子を眺めていた。

 そこでは教師立会いの下、二人の生徒が実戦形式で訓練を行なっている。学院長である彼から見れば、酷く稚拙な魔術の応酬。しかしそれは、彼らが成長の過程にあることを意味している。


 ここは南雲仁にとっての王国だ。彼が王であり、所属する生徒や教師は臣民である。

 そんな彼の、言わば王室とも呼べるこの部屋に、ノックもなく唐突に現れたのが二人。人類最強の男と、その伴侶。


「やあ南雲。聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「たまにはちゃんと扉から入ったらどうだね、小鳥遊君」


 音も魔法陣の展開すらもなく転移してきたのは、小鳥遊蒼。今日入学した桐生織の師となった人物。傍に控える彼方有澄は、この学院の司書でもあり、蒼の妻でもある。


「悪い悪い、こっちの方が楽なもんでね」


 肩を竦める隻腕隻眼の男は、悪びれた様子など微塵もない。


「それで、聞きたい事というのは? 君が私に質問だなんて、昔を思い出してしまうよ」

「なに、簡単なことさ。吸血鬼グレイの居場所だよ」


 その名を聞いて、南雲は目を眇める。部屋の雰囲気が、一瞬にしてピリついたものとなった。


 吸血鬼グレイ。

 それは、桃瀬桃が探している、彼女の仲間の仇である吸血鬼だ。

 これまで誰にもその行方を掴ませず、姿さえも見せない。桃が見たのでさえ、二百年前のあの時が最後だ。


 部屋の雰囲気などお構いなしに、蒼は陽気な声音で続ける。


「お前なら知っていると思ったんだけど、当てが外れたかな?」

「残念ながら、私も知らない。あの吸血鬼は魔女殿ですら未だ探している途中だからね」

「なるほど。なら、別の質問をしようか。賢者の石について、なにか知っていることは?」

「なにが聞きたいのかな?」


 一触即発。


 蒼の方は気楽な調子を保ったままだが、南雲は明らかに普段と違っていた。漏れ出る魔力を隠すつもりもない。

 これではなにか知っていることを白状しているようなものだが、それすらも隠すつもりがないのだろう。


 それは南雲の持つ余裕からか、はたまた別の思惑があるのか。


「おっと、そうピリピリしないでくれよ。もう歳なんだから、体に障るぜ? 立場的にも、昔みたいに好き勝手できるわけじゃないんだからさ」

「まるでその目で見てきたかのように言うのだね。君が生まれるより、もっと昔の話だったはずだが」

「実際、この目で見たことがあるからね。君の本性、その奥に隠れている凶暴性を」


 小鳥遊蒼は転生者という、特別な異能を持った人間だ。

 前世の記憶と力を今世に持ち越している彼は、当然のごとく南雲仁の全盛期も知っている。


 それは南雲とて承知の上だ。蒼が転生者であることは、学院上層部であるなら誰でも知っているのだから。


「僕はね、南雲。なにも君と事を構えようってつもりはないんだよ。君がなにを企んでいるにしても、学院で育ててくれた恩があるし、僕の弟子たちにこの場所を与えてくれたことだって感謝してる」


 蒼がまだ学院の生徒だった頃。すでに南雲は学院長だったが、それでも何度か直接講義をしてくれたこともある。

 当時は平凡な魔術師だった蒼の相談に乗ったこともあったか。


 蒼の言葉は紛れもない本心なのだろう。


「ただし、心しておけよ。君がもし世界にとっての悪となるなら、僕は情け容赦なくお前を殺すぞ」


 だから、きっとこの言葉も本心だ。


 人類最強として。学院が持つ最大の力として。彼は自分が敵と決めた相手には容赦なくその力を振るう。


 かつての教え子がここまで立派になったことに、幾許かの感慨を覚える。

 だが、それだけだ。感慨を抱きはするものの、南雲仁はその企みを止めるつもりはない。


「私からも質問してみようか」

「へぇ、君からとはまた珍しい」

「全盛期の私と今の君、どちらが強いと思う?」


 質問の意図が読めない。

 魔術師としての強さとは、単純な力比べではないのだ。その知識も問われる。

 そういう意味では、転生者として多くの時間を過ごした蒼の方が上に決まっている。


 それは南雲も分かっているはず。

 それでも問うてきたということは。


「僕の方が強いに決まってるだろ。魔女ごときに負けた老人が粋がるなよ?」


 それでも、変わらない。

 答えは単純明快。桃瀬桃に負けた南雲仁が、その魔女よりも強い最強の男に敵うはずがないのだ。


 その言葉を最後に、蒼は有澄を伴ってどこかへと転移してしまった。


 部屋に残ったのは、不敵に笑う老人のみだ。



 ◆



「蒼さん、無闇に喧嘩を売るのはやめた方がいいと思いますよ?」

「別に喧嘩を売ったわけじゃないんだけどなぁ。ちょっと突っついてみただけだよ」

「それを喧嘩を売るって言うんですよ。全く、いつからこんな性格になったのか……」

「僕は割と昔からこうだけどね」

「そういえばそうでしたね……もう、付き合わされる私の身にもなってください」

「ごめんごめん。でもまあ、今回に限って言えば、僕たちは蚊帳の外かな。南雲の方は警戒しておくけど、他は多分、あの二人が解決するべき問題だし」

「……ルーサー、でしたっけ」

「そ。未来から来た、二人の子供。はてさて、織と愛美がその真実に気づくのは、一体いつになるやら」

「そういえば私、桐生織くんとちゃんと挨拶してません」

「そういやそうだったね。僕も忘れてたや」

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