第7話

 蒼との特訓から一夜明けても、精神的な疲れが完全に消えることはなかった。

 愛美には男の意地があるだのと説明した織ではあったが、それでもかなりキツかったことに変わりはない。斬られる度に死ぬほどの痛みが生じ、次の瞬間には怪我ごとその痛みが消える。その繰り返し。


 おかげさまでそれなりに成長できた実感はある。自身の課題点も浮き彫りなったし、最後だけだが愛美との共闘も経験できた。

 しかし、だ。あの戦闘中、織の未来視には織自身でも不可解なことが起きた。


 自分の望んだ未来が見えたのだ。蒼に一撃を入れる、その未来が。それも、いつもの未来視のように直接視界が切り替わったわけではない。頭の中に望んだ未来が浮かび上がって、そして現実はその未来視の通りになった。あの時、蒼が逃げた先に鎖を放てたのも、未来視の通り動き事前にそこへ罠を張っていたからにすぎない。


 なぜそんなことが起きたのかは分からない。偶然、いつもの未来視がタイミングよく発動したのかもしれないし、もしかしたら蒼の言う通り、織の未来視は成長の最中にあって、今がまさしくその時なのかもしれない。

 だが、昨日帰ってきてから何度か試してみたが、もう一度同じことはできなかった。


 できないものは仕方ない、と切り替えることにする。本当に望んだ未来を思うがまま引き寄せられるのだとしたら、そんな力、喉から手が出るほど欲しいに決まってる。

 だが今すぐにでも手に入るものでもない。もっと現実的なところから、魔術の腕を磨くことことから始めなければ。


 そう割り切って、織は制服に着替えて部屋を出た。

 今日はあの街に、織が生まれ育ち、そしてあの事件が起きた街に戻る日だ。



 ◆



「はい、到着。とりあえず、夜までは適当に時間潰そっか」

「その前にホテルのチェックインして、荷物も置いてきましょ。ていうか、なんで路地裏に転移したのよ」

「昼間だし、ホテルまでの距離もあるしな。こんなとこでもないと人目につかない場所なんてないんだろ」


 時刻は昼過ぎ。とある地方都市の路地裏に転移してきた織、愛美、桃の三人。彼らは今日から、この街で起きていた事件、いや、今も現在進行形で起きている事件についての調査にやってきた。


 桃の転移で飛んだ先は、まだ昼過ぎだと言うのに薄暗い路地裏だ。人目を避ける意味ではベターな選択だろう。


「事務所の方でもいいかなって考えたんだけど、万が一のこともあるでしょ?」

「あら、魔女様は自分の結界に自信がないのかしら?」

「まさか。一応毎日確認してるけど、アリ一匹も通してないよ」


 桃が言った万が一とは、事務所には既に誰かの監視の目があってもおかしくない、と言う意味だ。張り巡らせた結界は毎日確認しているとはいえ、桃にも気付かれず侵入している魔術師がいないとも言い切れない。


 さて。ともあれ、織にとっては十日ぶりの生まれ故郷である。

 体感としてはもっと長く感じていたが、あの事件からはまだ十日しか経っていないのだ。この街には十七年分の思い出もあるし、友人だっている。路地裏から大通りに出た途端、妙な感慨が胸に広がるのも当然だろう。


「織、置いてくわよ」

「ああ、悪い」


 先を行く愛美と桃を慌てて追いかける。

 織たちが歩いている大通りは、この地方都市で一番栄えている場所だ。大きなショッピングモールから老舗の専門店、それなりに背の高いオフィスビルまである。

 今日は平日と言えど世間は春休み中だからか、多くの人が道を歩いていた。特に学生らしき年齢が多い。


 大通りを歩くこと五分。桃が予約していたビジネスホテルに到着した。桃の転移で桐原家、もしくは学院までは直ぐに帰れるのだが、足を使っての調査は夜をメインに行うことになっている。昼にやることがないわけでもないし、現地に拠点があるのは悪いことではない。


 制服姿の男女三人と言うこともあってホテルマンには訝しげな目で見られたが、身分証と偽装用の学生証を見せたらなにも言ってこなかった。春休み中ということもあり、学生だけでの利用だってあるのだろう。


 それぞれに割り当てられた部屋に荷物を置いて、三人は一先ず桃の部屋て集合することに。


「さて。まずは今回の目的の確認だね」

「この街に潜り込んだ魔術師を殺してるやつの調査だな」

「そもそも、どうして魔術師がここに潜り込んでるのかも、よ。こっちの方がメインと考えた方がいいわ」


 三人で囲んだテーブルの上に、桃が街の地図を置く。何箇所かにばつ印がつけられているが、これは殺された魔術師の死体が発見された場所とのことだ。


「殺した後は証拠隠滅もせず、か」

「幸いなのは、昼夜問わず人通りが殆どない場所ばかりで見つかってることかな。朝まで死体はそのままで、一般人が見つけましたじゃ色々と困るしね」


 ある者は街の外れにある山の中で、またある者は街中の路地裏で。共通しているのは人目につかない場所というだけ、他には見当たらない。


「今のところ、候補はサーニャかフードの女の二人ね」

「ここに来てまた別のやつが出てきても面倒だしな」

「問題は、殺された魔術師が全員裏のやつらってことなんだよね」


 有り体に言えば、悪い魔術師。今回殺されているのはその全員がそんな魔術師だ。まるでハイエナの如く、桐生凪と桐生冴子の事件現場へとやって来たやつら。


 その目的自体は様々だろう。二人の死を確認する、火事場泥棒のような真似をする、この街でこれから悪事を働こうとする。いずれにせよ、学院が狩るべき対象であることは変わりないが。


「まだ残ってるであろうそいつら自体も放っておけないな……」

「だからと言って二手に分かれるのも下策ね。仮に吸血鬼と当たったとしたら、いくら私でも桃がいないとキツいわ」

「なら、吸血鬼とフードの女の捜索に重点を置こっか。やつらも今すぐに行動を起こすことはないだろうし。そもそも同業者が多数殺されていることは耳に入ってるはずだから、数はかなり減ってるかもしれない」


 とは言え、だ。フードの女はともかくとして、吸血鬼はこの街から既に退散している可能性が高い。それは一昨日の話にも出てきた。おまけに地図上のばつ印を見ればわかる通り、この街には死角となりやすい場所が多い。三人しかいない状況でその全てを同時に捜索するのは不可能だ。


 早速行き詰まった織に、そう言えば、と桃が声をかける。


「織くん、賢者の石については愛美ちゃんから聞いてるよね?」

「あ、ああ……」


 いきなり話が変わった上に、桃本人から軽い調子で問われてしまい、返事の声が思わず詰まりそうになる。

 他者の口から聞いてしまった過去の出来事。織とてそのことに罪悪感は覚えていたのだが、桃に気にした素ぶりはなく。


「じゃあ、これからはそれを前提に調査と推理を進めていくね」

「……お前も、賢者の石について詳しくは分からないのか?」

「残念ながらね。わたしはただの器。賢者の石本体に対する理解度なんて求められてないんだ。昔の研究だって、大した進展があったわけでもなかったし」

「そうか……」


 賢者の石についてなにか分かれば、事態も変わるかもしれないのだが。あるいは、あの最強の男ならなにか知っているかもしれない。


「その賢者の石の秘密についても、サーニャならなにか知ってるのかもしれない。だからまずは、サーニャを見つけるところからだね」

「フードの女はどうするのよ」

「織くんの両親の事件と関係があるとは思うんだけど、具体的にどういう関係かまではさすがに推測出来ないからね。正体が一切不明だし、サーニャと関わりがあるのかも分からない。だからこっちも、取り敢えず引っ捕らえるところからかな」


 どちらにしてもやることに変わりはなさそうだ。吸血鬼を見つけたとしても戦闘は避けられないだろうし、フードの女がこちらに友好的とも限らない。

 そうなれば、織にとってはいよいよ本当に初めての実戦。蒼との特訓のように絶対死なないわけじゃないのだ。


 覚悟を決める織に、突然の目眩が襲いかかる。未来視の予兆だ。なんとも都合のいいタイミングだ。しかし、見た内容によってはこの後の行動の指針にもなる。


 切り替わった視界の中には、廃墟が佇んでいた。街の外れの山の中にあるものだ。織も昔足を運んだことがある。

 その廃墟の前では愛美と、もう一人。フードを被った女が対峙していて。


 愛美が駆け出した瞬間、織は現実へと浮上した。


「……廃墟だ」

「見えたのね?」

「ああ」


 過去の記憶と今見た未来を地図に照らし合わせていく。織が指をさしたのは、この街から北に外れた山。そこに示されたばつ印よりも、少しだけ南西側、麓のあたりだ。


「この辺に、昔潰れたホテルの廃墟があるんだよ。俺がガキの頃は幽霊が出るだなんだで有名になったけど、最近は自然にだいぶ侵食されてて誰も近寄らなくなってる。ここに、フードの女がいるはずだ」


 織が見た未来では夜だった。今から動けば、奇襲をかけることができる。正体を暴き話を聞くことが目的とは言え、戦闘は避けられそうにない。


「桃、転移は?」

「うーん……ちょっと厳しいかも。かなり高度な結界を張ってるみたい。外部からの魔力遮断だから、中に入っても魔力は問題なく使えると思うけど」

「詠唱込みでも?」

「座標ズレて壁にめり込む可能性があるけど、それでもやってみる?」

「いえ、いいわ。行けるところまで転移して、そこからは歩いて向かいましょう」


 ここからその廃墟まで歩くとなれば、二時間以上は見積もっておいた方がいい。愛美一人なら一瞬で辿り着けるだろうが、織と桃はあんなスピードを出せないし二時間歩くのは普通にしんどい。


 だからと言って桃の転移に頼り、本当に壁にめり込んだりしたら大ごとだ。ていうか普通に死ぬ。

 ここは愛美の意見が一番現実的だろう。


「それじゃあ、出発は三十分後にしよっか。二人ともそれまでに準備しといてね」


 桃のその言葉で一旦解散となり、織と愛美は自分の部屋へ戻った。



 ◆



 転移で移動できたのは、廃墟から一キロほど離れた場所までだった。山の中までは入っていないが、街からも大きく外れていた。木々が乱立し、地面に僅かながら見えるコンクリートは草花に侵食されている。雑木林、というのが適当だろうか。

 これ以上先には転移できない、とのこと。ただし、結界の中にさえ入ってしまえば関係ないとも言っていたので、もうあと数歩足を動かせばいいだけだ。


「さて。ここからは織くんに案内してもらおうかな」

「つっても、俺だって前に来てから随分時間経ってるからな……」

「二人とも、静かに」


 言った愛美が手でしゃがめと合図するので、織と桃は指示通りにその場でしゃがむ。耳を澄ませば、足音が聞こえて来た。

 息を潜めてホルスターに手をかける。愛美も懐に忍ばせている短剣を鞘から抜いていた。


 やがて草をかき分けながら現れたのは、坊主頭の男とスーツ姿の男だ。ただならぬ雰囲気を纏っている二人組を見て、こいつらが裏の魔術師だと織は直感する。


「くそッ! なんだって俺がこんなところに来なきゃならねぇんだよ!」

「文句を言うな。仕事だぞ」


 坊主頭が不機嫌そうに叫べば、スーツの男が興味なさげにそれを諌めた。この様子だと、目的は同じらしい。本来の目的を達せないと思い、先にフードの女を始末しに来たのだろう。


 だが、この二人と遭遇したのは好都合だ。上手くいけば情報を引き出せる。

 織がそう考えた時には、愛美は既にその場から動いていた。


「なっ……!」

「学院だと⁉︎」


 突然現れた愛美に対してまともな反応も出来ず、坊主頭が胴体を真っ二つに切断される。その光景を見て、織は思わず、一瞬目を塞いでしまった。


 そしてその一瞬のうちに、スーツの男も無力化してしまう。しかしこちらは殺さず、右の手足を切断した状態で髪を鷲掴み持ち上げていた。


「あんたたちに聞くことが二つあるわ。この街に来た目的と、サーニャという吸血鬼について。答えて死ぬか、答えず死ぬか選びなさい」

「言うわけ、ないだろう……地獄に落ちろ……学院の犬め……」

「それは残念」


 待て!

 織が反射的に叫ぶよりも前に、愛美は短剣を振るっていた。首から下が地面に落ちる。その上は、愛美がまだ手に持ったまま、夥しい量の血を流していた。

 その生首を放り投げ、愛美が織たちに向き直る。返り血を浴びた制服は赤黒く染まっていて、白い肌をも犯している。


「ちょっと愛美ちゃん! 投げないでよ! あとで学院に隠蔽工作してもらうんだから!」


 文句を言いつつも愛美に魔術をかける桃。瞬く間に返り血は消えてなくなり、制服も肌も元の色を取り戻していた。


 覚悟はしていた、はずだった。


 けれど、これが魔術師同士の戦い。本当の殺し合い。

 なにより、愛美が殺人姫と呼ばれる最たる所以。


 振るわれた短剣にはカケラも迷いがなかった。先ほどまで人間だったはずの肉塊には興味もないのか、一瞥すらくれない。


「織」


 名を呼ばれ、視線がぶつかる。

 竦みそうになっていた足に力を入れ、織は立ち上がった。分かっていたことだ。桐原愛美はこういう少女であることを。いつも家で見せている優しい姿は、彼女の持つほんの一面でしかないことを。


 愛美が実際に人をその手にかける様を見るのは初めてだが、それでも。

 臆するわけにはいかない。


「ちゃんとついてきなさい」

「分かってる」


 背を向け歩き出した愛美を、織は追いかける。

 その背中が遠く見えたのは、果たして錯覚なのだろうか。



 ◆



 それから歩くこと二十分。漸く目的地の廃墟が見えてきた。

 道中、他に魔術師と遭遇することもなかったが、あの二人組と同じ考えに至るやつらは他にもいるだろう。既に入り込んでいる魔術師がいる可能性もある。


 だがその考えは杞憂に終わる。

 廃墟の前には、フードとマスクを被った人間が立っていたからだ。


「思ったよりも早い到着でしたね。私が見たのは夜だったはずですが。桐生織が未来視を使いましたか」


 人間。

 そうとしか判断できない。そこにいることは分かる。けれど、性別も年齢も判別がつかないのだ。マスクをしているから当然顔も見えない。声からでも判断できない。


 恐らく、認識阻害の魔術を使用しているのだろう。だが、こいつがあの日、織の友人が見たというフードの女で間違いないはずだ。


「織のことを知ってるのね」

「ええ。あなた達二人の名前も知ってますよ。桐原愛美、桃瀬桃」

「そういうあなたは何者かな?」

「とりあえず、敗北者ルーサーと名乗っています。以後お見知り置きを」


 ルーサーと名乗った目の前の人間が恭しく頭を下げた、その瞬間。愛美が一気に距離を詰めて斬りかかった。だが初撃は届かず、ルーサーの持つ短剣に受け止められてしまう。


 鍔迫り合うこともなく後退した愛美の表情は、驚愕に染まっていた。


「嘘、なんで……?」


 愛美が驚いている理由は織にも理解できた。


 斬撃を受け止められた。そのこと自体が驚愕に値する事実なのだ。

 愛美の異能である切断能力は、たとえ何が相手でも愛美が斬れると思ってさえいれば、問答無用で発動する。昨日、蒼の刀を真っ二つにしたのを、織だってその目で見ていた。


 ルーサーの得物は短剣だ。なんの変哲もない、魔力すら纏っていないもの。そんなもので受け止められるはずの異能ではない。


「驚きすぎですよ、殺人姫。がぶつかれば、相殺してもおかしくはないでしょう」


 淡々と語るルーサーだが、桃は首を横に振る。


「あり得ない……全く同じ異能だなんて、そんなこと……結果として同じ現象を起こす異能があっても、そのプロセスやアプローチは違うはずだよ……」

「なにごとにも例外はあるんですよ。なにより、今あなた達は見たはずですが。私が、桐原愛美の剣を受け止めたところを」


 たしかに見た。俄かには信じがたいが、ルーサーは愛美の剣を受け止めていた。それがなによりの証拠となってしまう。


「なんならもう一度試してみますか?」

「上等じゃない……!」


 挑発に乗せられた愛美が、再びルーサーへと肉薄する。容赦なく振るわれた短剣はしかし、またしても同じ短剣に阻まれた。


 舞うような剣戟は、何度も甲高い金属音を響かせる。何度も、何度も。


 しかし織は、愛美の異能が通じないことよりも、ルーサーの動きに驚きを禁じ得なかった。

 愛美の体術は異常だ。人間業とは思えない。それは、昨日の蒼との特訓でも改めて思ったことだった。


 その動きと、全く同じなのだ。


 同じ体術を使っている。だから愛美の動きにも平然と対応でき、その上で奴はまだ余裕を見せている。


「私とあなたでは決着がつきませんよ」

「そんなの、やってみないと分からないでしょっ!」


 刃は何度も交わるが、結果は同じだ。異能も通じず、体術も通じず。愛美の攻撃がルーサーに届くことはない。


 膠着した戦況が動きを見せたのは、二人の上空に巨大な魔法陣が現れたから。

 愛美は事前に分かっていたかのようにその場を離脱したが、数瞬遅れたルーサーは魔法陣から迸った光の柱に飲み込まれた。


「邪魔しないでよ桃。久しぶりに骨のある相手なんだから」


 織と桃の元まで下がってきた愛美は、笑っていた。織が初めて彼女の戦闘を見た時と同じ。殺意に満ち溢れた、惨忍な笑み。

 あの時と唯一違う点は、その笑みに喜色が含まれていることか。


「落ち着いて。わたしたちの目的は魔術師殺しの調査だよ。あいつと戦うことじゃない。それにあいつの言う通り、愛美ちゃんと同じ体術を使う以上、愛美ちゃんとの決着はつかないよ。そういう体術だって、愛美ちゃんも理解してるでしょ?」

「……分かったわよ」


 苦々しい表情を浮かべながらも、愛美は一応納得してくれたらしい。

 纏った概念強化は解かずとも、桃の一歩後ろに下がった。


「戦わないのですか? 私としてもその方がありがたいですが。さすがに、三人一気に相手するのは疲れますし」


 桃の攻撃が直撃したはずのルーサーは、しかし無傷のままだ。マントの端には銀色のなにかが揺らめいている。

 それがなにか気になりながらも、桃は比較的穏やかな口調で尋ねた。


「ルーサーとか言ったね。あなたに聞きたいことがあるの。この街に潜り込んでた魔術師を殺したのは、あなた?」

「イエスといったら?」

「別にどうもしないよ。むしろ学院の仕事が減って、わたしたちからするとありがとうだね」

「それはどういたしまして」

「で、その理由はなに? 学院の情報が漏れてたことと関係があるのかな?」

「私にとっても都合が悪いからですよ、桐生探偵事務所に踏み込まれるのは」

「やっぱり、事件の関係者なんだね」

「それは難しい問いですね。関係しているといえばそうなんでしょうが。私は少々イレギュラーですから」


 まるで答えになっていない返事をしながらも、ああでも、とルーサーは思い出したかのように言う。


「サーニャさんはもうこの街にはいませんよ。昨日まではここにいたんですが、私が逃しました」


 つまり、一日遅かったというわけか。おまけに今の一言は、ルーサーがサーニャの味方である決定的なものだ。

 吸血鬼一人でも厄介なのに、こんな訳の分からない化け物までいるとは。


 織はその事実に歯噛みしながらも、聞かずにはいられなかった。


「お前は、俺の両親の事件について、何か知ってるのか?」

「知らない、と言っても信じないでしょう?」


 ルーサーの言う通りだ。ここまで介入してくるようなやつが、なにも知らないわけがない。サーニャを逃したことといい、事務所のために魔術師を殺していたことといい、あまりにも深く関わりすぎている。


「ですが、私の口からはなにも言えません。どうもこのマスク、そういう制限がかけられてるみたいでして」

「じゃあマスクを外して素顔を見せたらいいじゃない」

「それもお断りですが。他の誰よりも、あなた達二人に見られるわけにはいかないんですよ、桐生織、桐原愛美」


 そこでどうして自分たちの名前が、特に自分の名前が出てくるのか、織には見当もつかない。脅威度でいえば桃の方が上なはずだ。むしろ織なんて、気に留めるような相手ではない。


 昨日の特訓で、手加減されていたとはいえ人類最強の男と渡り合ったのは事実だ。しかしあれは愛美がいたからこそだし、相手が蒼だからこそと言える。なによりも、ルーサーはそのことを知るはずもない。


「織くん、愛美ちゃん、一先ずはホテルに戻ろう。収穫はあったし、学院に報告もしたい」

「帰るんですか? まだ私の目的とか、聞いてないと思いますが」

「答えてくれるなら聞いてあげるけど、そんなつもりないよね」

「そうですね」


 その言葉を聞きながらも、桃は転移の魔法陣を展開させる。外から中には入れなかったが、中から外へ出る分には問題ない。このまま離脱することができる。


 しかし、桃にはまだ一つだけ、聞かなければならないことがあった。


「最後に一つ。ルーサー、あなたの体内にあるそれはなに?」


 織と愛美には理解できない問いかけだ。けれど、桃にだけはしっかりと見えていた。ルーサーの体内に宿る、あり得るはずのないソレを。


 クスリと、マスクの奥から笑みの気配がした。それは一体どう言った意味を持つものなのか、表情が見えない織たちには分からない。


「あなたと同じものですよ、桃瀬桃。安心してください、この力を使うつもりはありませんから。あなた達がサーニャさんを追わない限りは、ですが」


 その言葉を最後に、桃の魔法陣が輝きを放ち転移が行われた。

 次の瞬間にはホテルの桃の部屋。収穫はたしかにあった。けれど、それ以上に。

 あまりにも大きな壁が、織たちの前に立ちはだかったのだった。



 ◆



 転移した三人を見送り、敗北者はその場にしゃがみ込む。余裕な態度を気取っておきながらも、その体はボロボロだった。

 この時間に遡るため使った異能の反動を甘く見ていたらしい。魔術や他の異能は使えても、まだあの体術を使用するには早かったか。頭に走る鋭い痛みに耐えながら立ち上がろうとするが、どうやら足も限界に近いらしい。言うことを聞いてくれない。


「貴様はなにをやっておる」


 そんな少女の頭上から声が降ってきた。視線を上げれば、そこには美しい銀髪の吸血鬼が。

 昨日この街から逃したはずのサーニャだ。彼女はルーサーへと手を差し伸べている。


「サーニャさん、なんで……」

「貴様のことは信用ならんかったのでな。我を裏切らないか、見張っていた」

「ふふっ、サーニャさん、この頃からツンデレだったんですね」


 差し出された手を取れば腕を引っ張られ、その勢いのままに抱きかかえられてしまう。とはいえ、お姫様抱っこのようなロマンチックなものではなく、米俵を担ぐような形だが。


「ちょ、下ろしてください! 歩けますから!」

「一人で立てもしなかった小娘がなにをほざきよる。昨日聞いた貴様の話が本当なら、そも万全の状態からは程遠かったのだろう」

「それは、そうですが……」

「ならば今の貴様に必要なのは、少しでも長い休息だ」


 反論は全て封じ、サーニャは少女を担いだまま空に飛び上がった。そのまま廃墟の五階へと入り、肩の荷物を適当な床に放り投げた。みぎゃっ! と変な悲鳴が上がる。


「ちょっと! 発言と行動が一致してませんが!」

「煩い、喚くな。我をツンデレ扱いした罰だ。で、貴様、なぜあの二人に説明しなかった?」

「いたなら聞いてたんじゃないですか? このマスク、変な機能ついてるんですよ。だから昨日も、サーニャさんにはこうして素顔を晒したわけですが」


 言って、ルーサーはマスクを外す。そこから現れたのは、まだ幼さの残る美少女。先ほどまで彼女自身が刃を交えていた桐原愛美と瓜二つのものだ。


 観戦していたサーニャはルーサーの素顔を知っているから、同じ顔した二人が戦っていることを面白く思っていた。


「名前さえ言えないのは不便ですが、仕方ないです」

「昨日、あれだけ大見得切って自分のことを敗北者と名乗った末、結局我には本名を打ち明けるのだから、面白いやつよな」

「まだちょっと恥ずかしさ残ってるので言わないでほしいのですが!」


 自分がこの時間の人間ではないこと、元いた時間でのこと、それらを語る上で結局、ルーサーは自分の正体についても語らざるを得なかった。自分の本名と目的。異能の力とそのデメリット。サーニャとの関係などなど、全てを詳らかにした。


 昨日は不信感をあらわにしていたサーニャだったが、こうしてここに戻ってきてくれたと言うことは、少しくらい信じてくれたのだろうか。


「それで、素顔を見られたくないからなにも言えなかったと?」

「まあ、そんなところです……」

「はぁ……」


 乱暴に銀髪を掻くサーニャは、視線を落としたルーサーを見て呆れを隠そうともしない。

 サーニャがあの三人の前に出ることは出来ない。今は昼だ。殺人姫と魔女の二人を相手にすれば、五百年生きた吸血鬼とて無事では済まないだろう。

 だから、あの場でルーサーが全てを説明してくれれば、話は上手く運んでいたのだが。


 いや、それ以上に。この少女は、あの二人にこそ正体を打ち明けるべきなのだ。


 ルーサーがどのような時間にいて、そこがどのような世界になっていて、なんのためにこの時間へ遡ってきたのかを、サーニャは全て本人から聞いた。五百年の中で培った勘は、ルーサーが嘘を言っていないと確信している。


 だからこそ。


桐生きりゅう朱音あかね


 昨日聞いたばかりの、彼女の本名を口にした。決してその名前で呼ばないでくれと頼まれていたが、それをサーニャが聞く義理はない。


「よいか、よく聞け。に甘えるものだ。頼るものだ。親にとっての子は庇護の対象だ。貴様が過酷な未来の世界を生きていたことは信じてやる。だからこそだ。いつになってもよい。奴等には、その身の上を打ち明けよ」

「サーニャさん……」

「吸血鬼が言うのもなんだがな、家族の絆は大切にすべきだぞ」


 吐き捨てるように言ったサーニャの言葉を、ルーサーは心の中で反芻する。


 家族の絆。

 それを最後に感じたのは、もうどれだけ前だろうか。磨耗し焼けて擦り切れた彼女の心は、それすらも忘れてしまった。


「ともあれ、先も言ったようにまずは休息だ。貴様は体調を整えることから始めろ」

「……はい」

「それからそろそろ風呂に入れ。臭いぞ」

「ゑ゛」


 乙女的には非常にマズイことを言われたルーサーは、短く奇声を発したのだった。

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