帰るべき場所
第6話
昨夜は細心の注意を払いつつ風呂に入り、無事就寝することができた桐生織。
突然だが、彼はバカである。
勉強が出来ないわけではないし、理解力もあれば常識もある。
ならば具体的にどの辺りがバカなのか?
まあ、寝ぼけ眼のままで朝風呂に向かう辺り、としか言いようがないだろう。
「ああ、クソ、寝不足だ……」
今日は蒼に稽古をつけてもらう日だ。人類最強なんて呼ばれてる男に見てもらうわけだから、体調は万全にしておきたかった。
しかし、昨夜に見てしまった未来のせいで、変に目が冴えて中々眠れなかったのだ。普段は朝風呂なんてしないが、目を覚ますためにもシャワーを浴びなければ。
夜は用心しておかなければならないが、朝だったら大丈夫だろう。時刻はまだ五時前。屋敷の灯りはまだ点いておらず、組の男衆が起きるまでまだ時間はある。
部屋から風呂に向かう道中、廊下の向かいから一人の男が歩いてきた。
「おう織。おはようさん」
「ヤッさん、おはようございます。早いっすね」
坊主頭の彼は、みんなからヤスやヤッさんと呼ばれている古参の男だ。歳は組長である一徹よりも二つほど下と聞いた。一徹が若い頃から彼の右腕として色々頑張っていたらしい。
具体的になにを頑張っていたのか、織は聞いていない。ていうか、怖くて聞けない。
「なんだなんだ、寝不足か? 今日は小鳥遊のガキに稽古つけてもらうんだろ。そんなんじゃ早々に根をあげちまうぞ」
「ははっ、全くその通りです……なんでシャワー浴びようと思ってんですけど、今大丈夫っすよね?」
「今か? 今は……」
「あ、もしかしてまずかったっすか?」
「……いや、問題ねぇよ。そもそもうちはお嬢以外男ばっかなんだから、気を使う必要もねぇだろ」
「そのお嬢のために神経張り巡らさないとダメなんすけどね……」
妙な間があったのは気になったが、寝起きの頭ではあまり深く考えられない。
ガハハと豪快に笑うヤスに、織は曖昧な笑みを返すのみだ。まさか、昨夜見た未来を詳らかに話すわけにもいくまいて。
「ま、気にせず風呂行ってこい!」
背中をバシバシ叩かれる。痛い。
やたらと上機嫌なヤスと別れ、織は風呂場へ再び足を進める。広い屋敷とは言え、一週間もあればどこになにがあるのかは覚える。風呂場への足取りも迷いなく、ヤス以外の誰かと会うこともなく到着。
まあ、この時間だし、みんなが起きるまであと十分ちょっとはあるだろう。
欠伸を噛み締めながらも服を脱ぎ脱衣カゴに入れ、いざ浴場へ。
桐原家の風呂は広い。屋敷の広さと比例するように。そこらの温泉の大浴場と同じくらいではないだろうか。織はかつて家族旅行で行ったことのある温泉を思い浮かべ、そこが結構高級な温泉だと言うことを思い出しやめた。
流石に高級温泉街とかにあるものと比べるのは無茶か。
とりあえずシャワーを浴びてさっぱりしようと思い、洗面台へ近づく。
が、しかし。その足が止まった。止めざるを得なかった。
「な、なっ、なんで……!」
「ん? ……え」
だってそこに、一糸纏わぬ愛美の姿があったから。
服はおろか、タオルすらも身につけず立っていたから。
シャワーは止めてあるが、つい今の今まで使っていたのだろう。長い黒髪は水に濡れ、雫が照明の灯りを反射して輝いている。
新雪のように白い肌には傷一つなく、けれど顔だけが真っ赤に染まっていた。
未来視で見た通り女性らしい膨らみは殆ど皆無、いや絶無と言わざるを得ないが、それでも織はその小ぶりな胸とお尻から、細い肢体から目が離せない。
織とて十七歳の健全な思春期男子だ。魔術師だとか両親の死だとかとややこしいステータスはあるが、思春期の男子なのである。そんな彼が、同年代の、それもとても美少女な愛美の裸を前に視線を逸らせるだろうかいや出来ない! だから割とガン見してしまっていてもそれは致し方ないことなのである!
だってこの後殺されるからね!
「集え……」
「待て愛美……!」
静止の声も意味をなさず。全身に一瞬だけ幾何学模様が浮かび上がったと思えば、織は意識を失っていた。
犯人はヤス。
彼は後にそう言い訳したという。
◆
「なんかやつれてない?」
「お構いなく」
「お前が言うな……」
図書室にやってきた織と愛美を見るなり問いかけた蒼に、愛美が素っ気なく言う。
やつれているのは言うまでもなく織の方だ。朝の騒動の罰として、彼は愛美に首根っこを引っ掴まれて東京からここまで恐怖の絶叫アトラクションを楽しんできた。
スピードもさることながら、ビルの上なり木の上なりをぴょんぴょん飛び回るのが一番怖かった。二度と体験したくない。そもそも平気な顔してた愛美は、一体どんな運動神経をしているのか。
いくら概念強化というとんでも魔術があるとは言え、本人にも元からある程度の運動神経が備わってないと出来ない動きだったぞ。
とまあ、心の中でいくら文句を垂れても仕方がない。元を辿れば織が悪いのは火を見るよりも明らかなのだから。
因みに今日、桃はいない。蒼には会いたくないからと研究室に引きこもったらしい。
「さて。織には今日一日を使ってある程度戦えるようになってもらうんだけど、その前にまずは一つだけ」
笑顔のままで人差し指をピンと立てる蒼に、織は生唾を飲む。相手は人類最強。ここで何を言われてもおかしくはない。例えば、それなりの対価を要求されたりだとか。
果たして蒼の口から出てきたのは、そんな織を拍子抜けさせるものだった。
「織には僕のことを、先生と呼んでもらう」
「……え、それだけ?」
「それだけだよ?」
それだけらしい。
俺の覚悟を返せよこの野郎と思ったが、勝手に覚悟して勝手に拍子抜けしたのは織である。
「まあ、分かりました、先生」
そういえば愛美も蒼のことを先生と呼んでいたか。そこにこだわる理由は分からないが、この程度ならどうということはない。
満足げに頷く蒼は、おもむろに指をパチンと鳴らす。
その次の瞬間、三人は図書室はおろか学校からも出ており、富士の樹海のどこかへと転移していた。
「は? え?」
幻覚の魔術、ではないだろう。図書室にいるのに、わざわざこんな場所の幻覚を見せる理由がない。
となれば、本当に転移したとしか考えられないのだが。
無詠唱な上に魔法陣の展開すらなく、ただ指を鳴らしただけで?
魔術行使のあらゆるプロセスを無視したその行いに、織の中では驚愕よりも困惑が上回っていた。
「こんなことで一々驚いてたら、この先身が持たなくなるわよ」
「いや、でも今のはさすがに……」
概念強化というかなり高度な魔術を扱う愛美ですら、詠唱を必要とした。賢者の石を体に取り込み、膨大な魔力を持つ魔女の桃でも、無詠唱とはいえ術式と魔法陣の展開はあった。
今の蒼の転移には、そのどれもが存在しなかった。ただ魔力を放出しただけ。魔術としての体をなしていない。
「よし、それじゃあ早速始めようか。とは言っても、直接教えるのは僕も苦手だから、ただひたすらに実戦あるのみだけどね」
当の本人である蒼は何食わぬ顔で説明を続ける。愛美の言う通り、一々驚いていられないということか。
「織は実戦経験皆無だっけ?」
「父さんが相手してくれたことなら何回かありますけど、実戦って言われるとないですね」
「なら戦いの動きについては大丈夫かな。とりあえず織が実際にどの程度か知りたいし、僕と軽く手合わせしてみようか」
「え、先生と?」
声を上げたのは愛美だった。もちろん織も驚いたのだが、人類最強の男から直接稽古をつけてくれるというのだ。今はとにかく力をつけたい織としては、首を横に振れないわけだが。
「先生、ちゃんと手加減できるの? 相手は私じゃなくてど素人の織なのよ? うっかり殺しちゃわない?」
「僕だって手加減くらいできるよ」
「私の時は初日でうっかり半殺しにされたの、忘れてないわよ」
「根に持つねぇ」
なんか物騒な心配をされているのだが、本当に大丈夫なのだろうか。愛美が半殺しにされるって考えられないのだが。
いや、それがどれほど前の話かは知らないが、当時の愛美も今ほど強くはなかったのだろう。そう結論づける織ではあるが、でもやっぱり半殺しは嫌だなぁとどこか他人事のように考える。
「ほら、とにかくやるよ。時間は今日一日だけなんだから、巻いていかないとね」
「はぁ……私、ちょっと調べ物があるから学院に戻ってるわね」
諦めたのか、愛美はそれだけいいそそくさと学院へ戻ってしまった。転移じゃなく走って。愛美的にはそっちの方が楽なのだろう。
おそらくは事件に関する調べ物だと思うので、出来れば織もそれに同行したかったが仕方ない。それよりもこっちの方が優先だ。
視線を蒼へと戻すと、彼は織から十メートルほど離れたところに移動しており、どこからともなく抜き身の刀を出現させていた。右腕でそれを持ち、特に構えることもなくリラックスした態勢で立っている。
「さあ、遠慮なくどこからでもかかって来たらいい。もちろん反撃はさせてもらうけどね」
「それじゃあ、遠慮なく」
全身に魔力を巡らせ、身体強化をかけておく。次いで、まだ手に馴染まないハンドガン、グロックをホルスターから取り出した。
父親からの教えを反芻する。実戦を想定した訓練は、何度か行ったことがある。その時に言われたことを思い出せ。
深く息を吸って、吐き出し、織は銃口から魔力を射出した。魔術師なら誰でも放てる、魔力に攻撃の指向を持たせた魔力弾だ。
同時に地を蹴り、左に足を動かす。強化された筋力が唸りを上げ、一般人では到底出せないスピードで駆ける。
蒼との距離は十メートル以上を保ったまま何度も魔力弾を放つが、しかしそれらは一切蒼に届かない。右腕に持った刀で全て弾かれてしまっている。
「迂闊に距離を詰めずに遠距離からの射撃に努める。相手からの狙いを付けづらくするために走り回る。うん、いい判断だ。凪さんの教えが良かったのかな?」
呑気に余裕そうな声を出しながら、蒼は反撃に出た。織が撃ち続ける魔力弾を刀で弾きつつも魔力を放出。なにもない空中に現れたのは、たった一発の魔力弾。織のものよりも強力なのは、一目見て理解できる。
そこに込められた魔力量も、質も、全てが段違いだからだ。
それが、容赦なく織へと放たれた。
逃げることなく足を止めて防壁を張る織。誰がどう見ても、その判断は間違っていただろう。織程度の魔術師が蒼の攻撃から身を守ろうとしたところで、防壁ごと食い破られるのがオチだ。ここは逃げに徹した方が良かった。
事実として、織の防壁はガラスが割れたような甲高い音を鳴らしながらも割れてしまう。
だが、それはただの防壁にあらず。次なる攻撃のための一手にすぎない。
「へぇ」
感心したような声を出す蒼は、周囲をいくつもの魔法陣に囲まれていた。そこに宿る魔力は織本来のものではなく、蒼の放った魔力弾に込められていたものだ。
「
詠唱の代わりに魔術の名を叫ぶ。
起動された魔法陣から閃光が漏れ出て、織の声に呼応するように大爆発を引き起こした。
腹の底、体の芯まで響く轟音。爆発の余波に、魔術を放った織までたじろぐ。
まさか、ここまでの威力が出てしまうとは。
連鎖爆発は魔導収束の中でも初歩の魔術だ。相手の魔力を防壁で吸収、逆探知して相手の周囲に魔法陣を展開し爆発を引き起こす。
攻撃に扱う魔導収束全般に言えることだが、吸収した魔力によって威力は変わってくる。強い魔力ならその分だけ威力も底上げされるし、逆に弱い相手なら使い物にならない。
ある程度の威力は引き出せると思っていたが、まさかこれ程とは。砂塵は舞い上がり、爆風の熱は周囲の木々を焼き、はたまたその余波でなぎ倒している。蒼が立っていたあたりの地面も抉れているのではなかろうか。
だが織はここで気を緩めない。魔力を練り上げ、追撃の一手を打つべく術式を構成する。
相手は人類最強だ。この程度で終わるはずもない。
構成を終えた術式に魔力を通して魔法陣を展開させ、未だ砂塵の中にいるだろう蒼へ魔術を放とうとした、その時。
首筋に、ヒヤリと冷たいものが当たった。
「ここまでだね」
背後から聞こえたのは蒼の声。首筋に当てられていたのは、刀の峰の部分だ。斬られることはないと分かっていても、冷や汗が止まらない。
いや、それよりも。あの大爆発の中を、この男は無傷ですり抜けてきたというのか?
「うん、予想以上に十分戦えるじゃないか。愛美からは魔物に殺されそうになってたって聞いてたからちょっと不安だったけど、その理由もハッキリしたかな」
織の体から刀が離れ、強張っていた全身から力が抜けていく。なにせ人体の急所である首に刃物を突きつけられたことなんて、人生で一度だってなかったのだから。
「なんで無傷なんですか……」
グロックを腰のホルスターにしまいながら、織は疲れを微塵も隠さずに問うた。あの一撃は、織でも予想外の威力を発揮した。逃げられる隙なんてなかったはずなのに。
「転移しただけだよ。普通の相手ならあれは避けられなかった。まあ、そもそもあの威力も出ないけど」
「でしょうね……」
「それより、君の今後の課題についてだ」
割とショックを受けていた織だが、すぐに気を取り直す。この男相手にこの程度でショックを受けていたら、それこそ愛美が言っていたように身がもたないだろう。
人差し指と中指を立てた蒼は、今の軽い戦闘で見つけた織の問題点を指摘していく。
「君の課題は二つ。一つは、術式の構成から魔法陣展開までのスピード。もう一つは、近距離における対策だね。君が魔物に殺されかけたのは、この二つが大きな原因だ」
魔術の発動には、当然のようにプロセスが存在している。まずは体内の魔力を練り上げて術式を構成。それに形を与えるために魔力を通して生まれるのが魔法陣。あとはそこに込められた魔力を放出してやればいい。
これは複数あるプロセスの一つにすぎず、例えば強化魔術のような自身の体内に直接魔力を巡らせる場合は、魔法陣は展開されない。その代わり、肌には幾何学模様の紋様が浮かび上がる。
まさしく、今日の朝に織が風呂場で見たように。
余計なことを思い出して頭を振る織に構わず、蒼は説明を続ける。
「特に後者の方が原因としては大きいかな。愛美みたいに体術なりなんなりを収めてたらいいんだけど、君はそういうのに縁がなかっただろ?」
「軽い護身術程度なら」
「殺し合いの場で護身術が役立つと思うか?」
「思いませんね」
己の身を守るための動きと相手を殺すための動きは違う。
魔術師同士の戦いとは、つまり多くの場合が殺し合いだ。殺すか、殺されるか。そうでなくても、せめて相手を無力化しなければならない。おまけに魔術や異能なんて超常の力を使う人間だ。
いくら魔術師である父親から教わっていたと言っても、たかが付け焼き刃。実戦で役に立つはずもない。
「幸いにしてどちらも努力で補える範囲だ。魔術発動のスピードはひたすら魔術行使を繰り返すだけでいいけど、近距離の対策については、まともに戦おうとは思わないことかな」
「つまり、ひたすら逃げに徹しろってことですか」
「そゆこと。逃げて元の距離に戻す。本当は接近されないのが一番だけどね。最初にすぐ走り出したのはそれが理由だろう?」
「ええ、まあ。父さんにはそう教わってましたから」
主に中距離以上が基本的な戦闘となる魔術師だが、接近戦を主体とする魔術師がいないわけではない。織が知る数少ない魔術師の中でも、愛美はその最たる例だろうし、蒼だって刀を持っている。
そういうやつらを相手にすることもあるかもしれないから、と父親からは教わっていた。
実際には、転移で一瞬にして距離を詰められたわけだが。愛美が相手だとしても結果は同じだろう。概念強化を使った彼女のスピードに織が追いつけるとは思わない。
「まあ、愛美と共闘する際の相性はいいんだろうけどね。あの子は遠距離での攻撃手段を持たないし、織は接近されると弱い」
「愛美のスピードで遠距離保つのって無理じゃないですか?」
「僕か桃じゃないと無理だろうねぇ」
改めて規格外だなと思う。そしてその規格外の回し蹴りを顔面に食らって生きてる俺って……とかも思ったりしちゃう織である。
「とりあえず、今からひたすら戦うくらいしかできることはないね」
「うへぇ……」
「休憩もちゃんと挟むから安心しなって。ほら、早速二戦目行ってみよう!」
言い方は柔らかいが、どうにもスパルタ教育になりそうな予感がしてならない。
どうか無事に生きて愛美と会えますように、と願いながら、織はホルスターから再び銃を抜いた。
◆
学院に戻った愛美が向かった先は、自分が所属している風紀委員の部屋だった。
この学院には委員会は数あれど、その中でも風紀は強い権力を与えられている。私闘が禁じられている校内での治安維持が主な役割だからだ。
そのお陰で、あてがわれた部屋もそれなりに広いものだった。ソファもあるしティーポットもあるし冷蔵庫もある。寛ぐだけなら快適な空間だ。
とは言っても、所属している生徒が二人と特別顧問とかいうよく分からないのが一人、計三人では広い部屋を持て余してしまうだが。
「あ、愛美さん。お疲れ様です」
「お疲れ、葵。悪いわね、春休み中なのに呼び出しちゃって」
愛美が部屋に入ると、向かって左側にあるソファの上で寛いでいたツインテールの女子生徒が一人。
愛美以外で唯一正式な風紀委員、黒霧葵だ。少々複雑な事情から風紀委員に入ることとなった、愛美よりも一学年下、四月から二年生の生徒。
小鳥遊の方の蒼とごっちゃになるので、愛美は彼を先生と呼んで差別化していた。
そしてなにより、サーニャと両親が親しかったという後輩こそが葵である。
「サーニャさんのことで、なにか聞きたいことがあるんですよね?」
「ええ。出来れば桃にもいて欲しかったんだけど……」
「一応さっき見てきましたけど、なんの反応もありませんでしたよ」
「あの魔女はほんっとに……!」
憤慨する愛美に、葵は苦笑いを向ける。
桃が研究室に籠るのはよくあることではあるのだが、誰かの手によってそこから出されたことは未だかつて一度もない。本人の意思でしか出てこないのだ。
まあ、恐らくは向こうも事件に関してのことだろう。そうに違いない。てかそうじゃなかったら今度こそシメる。
心に固く誓って、愛美は自分の定位置である一番奥の席、委員長の席へと腰を下ろした。
「あ、お茶淹れますよ」
「あなた、なんというか、下っ端根性が芽生えてきてるわね……」
「そうですか?」
キョトンと小首を傾げる葵。その拍子にツインテールが可愛らしくて揺れる。
愛美としても、自分を慕ってくれるこの後輩を大事に思っているが、あの魔女が余計なことを吹き込んでくれたお陰でいらぬことまで覚えてしまった。別に給仕係として彼女を雇ったわけではない。
葵には出来れば、そのまま風紀委員のマスコットでいて欲しかったのに。
「それはそうと、サーニャさんのことですね。大体は昨日、碧が話した通りだと思いますよ?」
「そう言えば、今日はあの子は?」
自分の名前を呼んだ、にしてはイントネーションが少し違う。
碧とは、黒霧葵の中に眠るもう一つの人格だ。つまり、二重人格者ということになる。
通常の乖離性同一性障害と違うのは、主人格と副人格で意思の疎通が出来、互いに記憶や視界を共有している点か。恐らくは魔術が絡んでいるだろうと見ている愛美だが、これはまた別の話。
なんにせよ、昨日愛美が話を聞いたのはもう一つの人格である碧からだった。
「碧は寝てます。休日出勤断固反対って」
「それが正しい反応よね」
「そうですかね……」
愛美だって、春休みの間はずっと休んでいたい。しかしそうはいかないのが現実だ。他の生徒たちは世の高校生と同じく休日を謳歌しているというのに、愛美の立場がそれを許さない。
こんなことなら、風紀委員長なんてやるんじゃなかった。魔女の甘言に騙された過去の己を呪いたい。
「で、そのサーニャのことなんだけど、どこにいるかとかは心当たりない?」
「んー、さすがにそこまでは……」
「普段住んでた場所とかは?」
「他の吸血鬼と同じで、各地を転々としてるって言ってたのは覚えてるんですけど……」
「まあそうよね」
葵が淹れてくれたお茶を飲みながら、考えを巡らせる。
放火魔は必ず現場に戻ってくるとは言うが、それは一般社会での常識だ。魔術世界、さらには吸血鬼に人間の常識は当てはまらない。
案外現場の近くにいる可能性はあるが、まだほとぼりも冷めていないのだからかなり低く見積もってもいいだろう。
それだけでなく、サーニャとあの吸血鬼との関係も問題だ。
桃が百八十年間ずっと追っている吸血鬼。名前はグレイ。そう名乗ったそうだ。
愛美はまだ一度も遭遇したことがないし、桃と調査を進めて一年以上経つが、これと言った進展もない。
更には織の両親と賢者の石にサーニャの弱点。織が言っていたフードの女。
問題は山積みだ。一つが解決すれば、あとは芋づる式に解決できるとは思うのだが、それにしたってそこまで導くきっかけが、痕跡が少なすぎる。
現場で感知したサーニャの魔力。あれで場所まで特定できなかったのは痛かった。だが逆説的に考えれば、それほどまでに薄いと言うことはサーニャはあの場で魔力を使用していないということだ。
吸血鬼が人間を殺すのに魔術なんて必要ない。その馬鹿力を使えば良いだけなのだから。
「結局、なにも分からないことが分かっただけか……」
せめて葵の両親だけでも生きていれば違ったのだろうが、葵が小さい頃に事故で亡くなったと聞く。
背もたれに体を預けて天井を仰ぎ見る。頭脳労働は桃の領分なのだが、この場にいない以上は自分で考えるしかない。
頭を振って一度思考を霧散させた愛美は、そう言えば、とソファに戻った葵に声をかける。
「今度、四月から風紀に一人新人を入れる予定だから」
「そうなんですか⁉︎」
「ええ。本人にはまだ言ってないけど、どうせ拒否権ないし」
「そうなんですか……」
ここに入ってから苦笑いが上手くなったなぁ、と思ってしまう葵の心中を、愛美は察せられない。
織の入学後のことについては、いくつか考えていることがある。そのうちの一つが風紀委員に入れることだ。
「葵にも念願の後輩が出来るってわけ。だから今度からはお茶汲みとかそいつにやらせればいいわよ」
「てことは、新入生?」
「三年生」
「じゃあ先輩じゃないですか! そんなことさせられませんよ!」
「そもそも、学院に入るのも四月からなのよ。だから葵の方が先輩。精々こき使ってやりなさい」
「善処します……」
真面目極まりないその返事に、愛美の口から笑みが漏れる。
相変わらず可愛い後輩だ。こんな可愛い後輩とあの変態野郎を会わせるのは気が引けるが、この方がなにかと都合がいいから仕方ない。
本当、どうしてあんなことになってしまったんだと、愛美は朝の出来事を思い返す。
毎日あの時間に風呂に入っていることは組のみんなが知っていた。別にいいと言うのに、日替わりで風呂の周囲を見回りだってされている。
しかし、今朝はその見回り当番のせいで痛い目にあったのだ。物理的に痛い目にあったのは織だが。
同年代の男子に裸を見られるなんて、愛美にとっても初めてのことだった。風呂場なのだから当然のように向こうも裸で、それを見るのですら。
まだ物心つく前に父親や虎徹たちと風呂に入っていたのとはわけが違うのだ。
殺人姫だなんだと恐れられていようと、結局は愛美だって年頃の女の子。思うところがないわけでもない。
「ねえ葵」
「はい?」
「同じ屋根の下に同級生の男子が暮らしてるって、これセーフよね?」
「限りなくセーフに近いアウトだと思いますよ?」
つまりアウトらしい。
いや、でも織は家族だし、姉弟みたいなものだし、そう考えればセーフかもしれない。
「どうしたんですか突然? あ、また面白い少女漫画かライトノベルでも見つけましたか?」
「違う。断じて違う。そもそもそんなもの読んでない」
嘘である。
桐原愛美十七歳、趣味はラブコメ小説や恋愛漫画を読むこと。あとぬいぐるみ集め。
こんな乙女な趣味、聞く奴が聞けば噴飯ものだろう。風紀委員長としての威厳も殺人姫としての尊厳も全てが塵となって消えていく。
桃や葵、家の連中には知られてしまっているのだが、愛美はこれで隠し通せてると思っているのだから不思議だ。
しかし哀しいことに、愛美の乙女趣味はその思考回路にまで侵食されてしまっている。
学院長のことを馬鹿にはできないのだ。
「でも、自分が実際そういうシチュエーションになるのはアリ? アリよね?」
「随分食い気味ですね……碧が聞いてたら馬鹿にされますよ?」
「折檻するから大丈夫よ」
「体は共有だからやめてください!」
コホン、と葵が咳払いを一つ。
「私的にはナシですね。だって、色々決めないとダメなこととかあるじゃないですか」
「あー……」
「特にお風呂とかですよ! その辺り疎かにしてたら、変なハプニング起きちゃいますよ!」
「まあ、そうね……」
まさしく今朝、その取り決めを疎かにしてしまったことで変なハプニングが起きてしまった愛美としては、葵の目を見れない。
冷静に考えれば、織にはちゃんと伝えていなかったのだから、こちらに非がないとは言えないのだ。
「愛美さん? どうかしたんですか?」
「なんでもないわ」
突然目を逸らした愛美を訝しげに思った葵だが、それ以上は追求されなかった。さすがに今朝のことを誰かに話すのは恥ずかしい。
「私、そろそろ行くわね。ありがと葵。なにかわかったらまた教えて」
「あ、はい」
旗色が悪くなったと感じた愛美は、とりあえず退散することにした。
事件については結局行き詰まったままで、おまけに何故か葵に追い詰められた気がした。
収穫があったどころか損失しかない時間だった。それもこれも全部織が悪いという事にして、愛美は樹海の方へと戻るのだった。
◆
愛美が織と蒼の元へ戻ると、二人はまだ特訓を続けていた。とは言っても、蒼が刀を持って織を追い回しているだけなのだが。
織がギリギリついていける程度のスピードで蒼が追い、走り回りながらも時に魔術を行使して逃げ回る織。
そんな特訓を眺めている先客がいた。
しゃがみこんでつまらなさそうな目をしているのは、桃だ。
「桃、ここにいたの」
「ああ、おはよう愛美ちゃん」
「もうちょっとで昼だけど」
「さっき起きたから仕方ないよ」
大きくあくびをする桃は、本当に寝起きらしい。道理で葵が呼びに行っても反応がないわけだ。
「で、これなにしてるの? 先生、さっきから殺気ブンブン振り回してるけど」
「接近戦の特訓だって。あと、実戦を想定してって言ってたかな。だからじゃない?」
殺す気で向かってくる相手と立ち会うのは勇気がいる。織にも一度だけその経験があるとはいえ、あの時の彼は激昂状態にあった。
冷静な判断ができる、理性が残された状態の時に向かって来られるのとはまた違ってくる。
つまり、体に教え込もうというわけか。
たしかにそれが一番確実とはいえ、つい先日まで戦いとは無縁だった織にはキツイのではなかろうか。
そう思っていると、蒼に追いつかれた織が、背中をザックリと袈裟に斬られた。
「あ、また斬られた」
「またって、まさかさっきからずっとこんなことしてるの⁉︎」
「わたしが見たのでも、もう二十回は越してるね」
言ってるうちに、蒼が織を治療する。怪我はおろか、制服すらも元通りだ。恐らく、痛みも消えているのだろう。
けれど、一度感じた痛みがなかったことになるわけではない。蒼の魔術がいくら桁外れで、怪我も治してスタミナも魔力も回復させるとはいえ、心まで治せるわけではないのだ。
あの痛みに耐え抜いている織の心は、確実に磨耗している。
愛美には、それがこの場の誰よりも理解できた。かつて、限界まですり減らしたことがあるから。
「こんなの、いつまで続けるつもりよ……」
「織くんが一撃入れたら、だってさ」
「あんたはそれまで止めないつもり?」
「うん」
「……そういえば、あんたはそういうやつだったわね、魔女」
「そっちこそ。相変わらず愚かなくらいに優しいね、殺人姫」
桃の言葉を背に受けながらも視線を戻せば、蒼がまた織に斬りかかるところだった。
無詠唱で概念強化を纏い、懐の短剣を取り出して二人の間に躍り出る。
今まさしく振るわれようとしていた刀。その刀身を、手に馴染んだ短剣で斬る。愛美の異能の前には、鉄だろうがなんだろうが関係ない。
「なんのつもりかな?」
人類最強の男が、低い声で問いかけた。
しかしそれに臆する愛美ではない。大きく後退した己の師に短剣を向けたまま、同じ問いを返す。
「先生こそ、なんのつもり? 私の時はこんな無茶苦茶なことしてなかったじゃない。織を殺すつもりなの?」
「殺人姫が命の心配をするとはね」
「私は、織の家族としてここに立ってるのよ。そんな肩書き、今は関係ないわ」
「だとしても僕には関係ないな。そもそも、織を鍛えてくれって言ったのは愛美だ。やり方は聞いてない」
「限度ってもんがあるでしょ!」
埒があかないと思った愛美が、短剣に魔力を通す。淡い光を放った刀身は半透明な魔力の刃を纏い、日本刀と変わらぬ長さまで伸びる。
目の前で殺気を撒き散らす弟子を見て、最強の男は嘆息した。家族思いなのはいいことだが、それが命取りになる。
この優しい殺人姫のためにも、少し現実を見せてやるか。新しい刀を取り出そうとして、蒼はその動きを止めた。
大気中の魔力に違和感を覚える。
この場所では、一時間に渡って織と蒼による戦闘が行われていた。その間二人が放った魔術は数知れず、魔力量も相当がこの周囲へと溶けていった。
だというのに、だ。
それらが、感じられない。まるで最初からなかったかのように。
いや違う。たしかに存在していない。
そして違和感は確信へと変わる。
蒼は愛美の背後で既に魔法陣を展開した織を睨め付けた。
それを好機と捉えた愛美が、一歩踏み出す。
たった一歩。だが、その一歩を踏み出された時点で、愛美のスピードは止められなくなる。
「さっきから散々痛めつけてくれやがって……いい加減イラついてきてんだよこっちは!」
魔法陣を展開中の織が吼えると同時、蒼の目の前へと愛美が肉薄する。左から逆袈裟に振るわれる右手の短剣は、しかしその動作を急停止させた。代わりに蒼を襲った衝撃は右の側頭部に。
愛美の回し蹴りが直撃したと理解したのは、吹き飛ばされた先の木に激突してからだ。
我が弟子ながら、中々強くなってくれている。その事実に笑みを見せた蒼へ、追撃の刃が迫っていた。
今度は全力で袈裟に振り抜いてくる。隙だらけで大振りなその一撃を躱し、即座に取り出した刀でカウンターの突きを見舞う。
が、蒼の刀は虚空を突いただけだった。
大振りな攻撃のあとにも関わらず、愛美はその場で体を無理矢理捻り、回転して躱したのだ。
概念強化。愛美が短剣に付与するそれは、三つに分かれる。カウンターか、一撃の強化か、防御か。
この、人体の構造を全く視野に入れていない回避行動はカウンターの概念強化だ。
「
魔術の名を小さく唱えた愛美に呼応して、魔力の刃が煌めく。
この場に留まるのはまずい。斬撃系統の概念強化は、斬るという概念に作用している。どのように躱しそうとしても、愛美の射程範囲にいる限りは必中する。
咄嗟に上空へ転移する蒼。愛美の刃は空振りに終わったが、二人の本命はそれではない。
突如として蒼の周囲に現れた魔法陣から、鎖が射出される。鎖は蒼の手足を拘束し、あろうことかそこから魔力を吸い上げていた。
これも魔導収束の一種だ。
「望み通りの未来だよ、クソ野郎!」
叫ぶ織の右目は、橙色の輝きを放つ。
その変化に蒼が気を取られている間に、織は魔術の準備を終える。
蒼が拘束されている上空。その周囲の空間が、あまりにも濃密な魔力にいくつもの歪みを見せる。
そこから現れたのは、魔力で作り上げた銀色の槍だ。
織自身の魔力。一時間にも及ぶ戦闘で周囲に満ちた魔力。そして今しがた、蒼から吸収した魔力。
その全てを込めた銀槍が、蒼に矛先を向けている。
「
出力調整をミスったかと最強が後悔したのは、槍に呑み込まれる数秒前だった。
◆
「あはははははははは!!!! ひ、ひー! ひー! 無理、ホント無理! 笑い死ぬ! 出力調整ミスった挙句弟子にボコられるとか笑うしかないよ! 今頃顔真っ赤だろうなー!」
腹を抱えて笑い転げているのは、傍観に徹していた桃だ。乙女としての尊厳など既にどこかへ捨ててきたと言わんばかりに地面を転げまわっている。
スカートの中もバッチリ見えていたのだが、今の愛美にそれを注意する余裕はない。いや、愛美だけでなく織も同じく、桃を気にする素振りさえ見せていない。
愛美の体術は、非常に脳を酷使する。身体への負担もさることながら、しかし脳の疲労も大きいのだ。
どのような状態からでもあらゆる動きに派生させることが可能。
それこそが愛美の体術における真骨頂である。昨日織が見た動きなど、その一端に過ぎない。もっと言えば、本領ですらなかった。
文字通り、どんな状態でもいいし、どんな動きでもいい。例えば先程の、『左からの逆袈裟斬りを放っている最中』という状態から、上段回し蹴りへの動きだ。
その後のカウンターに関しては、流石に間に合わないと思い、あらかじめ仕込んであった魔術を発動させたが。
さてでは、その様な動きを可能としている要因は果たしてなんなのか。
「頭痛い……」
それこそ脳への疲労の原因でもある。
愛美はこの体術を使用する上で、概念強化で脳を無理矢理強化していた。それによって思考速度や各神経系などの能力も飛躍的に向上し、あの体術を使えている。
頭を抑えてへたり込む愛美。今は立つ気力さえ湧かない。戦っている最中は気にならないのだが、使用後の反動はどうにかならないものなのか。
いや、それよりも。自分のことよりも、心配なのは彼の方だ。
視線を向けた先、ずっと同じ場所で立ち竦んでいる織の目は、元の黒に戻っていた。
あの瞬間、蒼だけではなく愛美も見たのだ。魔術を発動する前、彼の目が橙の輝きを帯びていたところを。
「織、大丈夫?」
「あ、ああ。俺は大丈夫だけど……」
大丈夫なら良かった。これで心置きなく文句を言える。
「このバカ織! なんであんな無茶苦茶な特訓方法に付き合ってたのよ!」
「ひでぇ言い草だな……」
「酷いのはあんたらの脳みそよ! いくら死なないからって、なんでもしていいわけじゃないのよ⁉︎」
「つってもな……俺にだって、男の意地があるんだよ」
「意地ってあんた、そんなもののために……っつぅ」
大声を出しすぎたせいか、頭に鋭い痛みが走る。反動のことを忘れていた。
逆に言えば、それを忘れるくらいに愛美は怒っているのだが。
「お、おい、お前の方こそ大丈夫か……?」
「うるさい。あんたがあんなことしてなかったら、私だって大丈夫だったのよ……」
「それは、悪い……」
心配そうに近づいてくる織を、愛美は恨みがましそうに睨む。
男というのは、どうして誰も彼もこうなんだろう。現実だろうがフィクションだろうが変わらず、変な意地やプライドにこだわって妙に頑固な時がある。
桐原組の男どもだって、愛美が読んでる漫画の中でだって、今さっきまでの織だって。
なにが彼らを突き動かすのか。愛美にはそれが理解できない。
「でも、引き下がれない理由があったからな。少しでも早く力を手に入れて、やらないといけないことも、叶えたい望みもあるから」
「叶えたい望み?」
それは、愛美が聞いたことのない言葉だった。やらないといけないことは、分かる。吸血鬼、サーニャを置い事件の真実を確かめること。
では、敢えて別々に言い分けた叶えたい望みとは、なんなのだろうか。
「それはさすがに内緒だ」
苦笑しながら言う織に手を差し出された。
内緒と言われれば気になってしまうが、とりあえず今は聞かないことにしよう。
織の手を取って立ち上がれば、タイミングよくどこからともなく、蒼が現れた。
「あー、やばかった。手加減しすぎた。愛美、ちょっと強くなりすぎじゃない?」
「先生が弱くなったんでしょ」
蒼の体には傷一つない。それに驚愕する織だが、その体からは所々に蒼い炎が吹き出している。魔力は感じられない。ということは、彼の異能だろうか。
「とりあえず、課題はクリアだね。一撃どころか何発もいいのもらっちゃったし、ついでに愛美とのコンビネーションも織の異能も見れたし、今回は良しとするよ。じゃ、そういうことで僕は帰るね」
「えっ、ちょっと待っ──」
織が呼び止めるよりも前に、蒼はどこかへ転移してしまった。自分の異能、未来視について聞きたいことがあったのだが。
「まあまあ織くん、アレもプライドってものがあるんだし、今日はソッとしといてあげなよ!」
「めっちゃいい笑顔で言うのなお前」
「久しぶりにアレの負けるところが見れて気分がいいからね!」
いい性格をしてらっしゃる。蒼と桃の仲が悪いのは愛美も知っていたが、なにも転げ回るほど笑わなくても。
「じゃ、わたしも研究室に戻るね。また明日ー」
無詠唱で魔法陣を展開した桃も帰ってしまった。残されたのは愛美と織の二人のみだ。
「って、桃がいないと家まで帰れないじゃない……」
「そうなのか?」
「私、今はまともに魔術使えないわよ」
「マジ?」
「マジ」
休憩したらマシにはなると思うし、学院まで戻って誰かしら適当なやつを捕まえて転移使わせればいい話ではあるのだが。
どの道学院には一度戻ろうか。ちょうど休憩に最適な場所もある。あそこで休憩するついでに、織に風紀委員のことについて説明してもいいかもしれない。
「とりあえず、学院まで戻るわよ。歩いたら二十分くらいかかるけど」
「そうだな」
自分の口から出した数字に自分で辟易としながらも、愛美は学院へと足を向ける。
だがしかし、それを遮る声が隣から。
「あー、愛美。その、なんだ。ありがとな」
「なに、途中で乱入したこと? てっきり邪魔されたから怒ってるもんだと思ってたけど」
「そうじゃねぇよ。俺のために怒ってくれて、俺を心配してくれたこと。正直、かなり嬉しかった。だから、ありがとう」
予想外の言葉を聞かされ、愛美は驚きから目を瞠った。
いや、驚くことはない。桐生織とはこういう人間なのだ。律儀で義理堅く、でもほんの少しだけ馬鹿な少年。
だから愛美も、口元に笑みを浮かべて柔らかい表情を浮かべることができる。
「前にも言ったでしょ。家族なんだから、お礼なんていいわよ。ほら、そんなことよりさっさと行きましょ」
「そんなことってお前……」
けれど、どうしてだろう。愛美自身が言った通り、家族なのに。ほんの少し、照れ臭くなってしまったのは。顔に僅かな熱を感じるのは。
多分それも、さっきの戦闘で脳を使い過ぎたせいだ。
そう結論づけて、愛美は思考に蓋をした。
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