ex.彼らの歩む道(イベント話など。随時更新)

勇亡者さまのボーナスステージ―前編―

「あー、本日はお日柄もよく……一部、ぶ厚い被毛をお持ちの魔物である皆々様におかれましては、いっそう燃え立つような初夏の日となりましたが……えー」

「……エッド。それは本当にひと月をかけて考えたスピーチなのですか?」


 呆れを含んだ友の冷たい声に、エッド・アーテルは書き直しの跡が目立つ羊皮紙から顔を上げた。“不死者アンデッド”らしい灰色の肌の中で、金色の瞳が恨めしそうに細くなる。


「悪かったな、そうだよ。だから力を貸してくれって散々言ったろ」

「生憎、知識不足なのです。我々闇術師ダークレアンは、その手の行事への参加を歓迎されない身ですので」


 肩をすくめて見せる友――ログレスのもっともな言い分に、エッドは血の気のない唇を尖らせた。いつもは漆黒の胴衣に身を包む彼が今まとっているのは、灰色の紳士服だ。面倒くさがる彼が弟子兼恋人によって王都に連行され、数日をかけて仕立てられた礼装なのだという。


 同じ色の短髪を左右にゆるりと振り、友は紅い瞳をこちらに向けて続けた。


「それに結婚式など、かつての貴方は幾らでも招かれた経験をお持ちじゃありませんか。元勇者様」

「そりゃそうだが……」


 エッドは髪油の拘束を振り切って跳ねた赤毛を手で押さえつつ、苦笑を浮かべる。たしかに『勇者』として活動していたころは、こういった場にはひっきりなしに呼ばれた。余興のひとつとして剣技を披露すると、『勇者様がこれからの災いを斬ってくださった』などと喜ばれもしたものである。


「けど、いざとなるとな」


 緊張によるため息がこぼれると同時に、エッドは自身の出で立ちを心配そうに見下ろした。夜空よりも深い黒のタキシード。その内側で銀色のベストが昼の陽光を受けて輝いている。首を圧迫する蝶ネクタイは、今はまだ物入れの中で眠らせてあった。


 そう、今日の主役は魔物である自分――そしていまだ支度部屋から姿を見せない愛しき聖女、メリエールなのだ。


「死んだ後にこんな日が来るとは、思いもしなかったな……」


 諦めたように羊皮紙を畳み、新郎である“勇亡者”は晴れ渡った空を見上げた。





「えええーっ!! あ、あんたたち、結婚式しないのっ!?」


 魔物まじりの者たちが静かに暮らす辺境、ラケア村。

 その平和な村の日課である“お茶の時間”を揺るがす大音声に、エッドは驚いてカップを取り落としそうになった。


「なんだよアレイア? びっくりした、心臓が止まるところだったぞ」

「ご、ごめん……ってあんた、もう止まってんじゃん。じゃなくてっ!」


 向かいのソファから腰を浮かした少女アレイアが、鮮やかに色づいた指をびしりと遠慮なくこちらへ突きつける。怒れる金の三つ編みは左右に跳ね上がり、褐色の頬は興奮で上気していた。


「エッド、メルと結婚するんでしょ? なのに式はしないって、なんで!?」

「そう言われてもな。彼女にも一応、確認したんだぞ。式はいつにするって」

「え、じゃあメルが断ったの? 信じらんないよ」

「うーん……。お前にはどう見えた、目撃者さま?」


 困ったエッドが話を振ると、荒ぶる若者のとなりで寛いでいた黒い胴衣の友ログレスがちらと本から目を上げる。読書を邪魔されて不機嫌になるかとも構えたが、友は細い指を机上のバスケットへと伸ばしながらぼそりと答えてくれた。


「……メルの返答はたしか、“式を行わなくとも神はお怒りにならないはず”でしたね。僕はそれは、行いたくとも方法が判りかねるという意味であったのだと思います」

「なんで? だってメルたち聖術師ホーリアンは、そういう行事には必ず呼ばれるひとたちじゃん」

「それ故、だからなのではと」


 師匠の紅い視線に促され、アレイアはぽふんとソファに腰掛け直した。まだ納得いかぬという顔でバスケットに手を伸ばすも、先行した恋人の指が中のクッキーをすべて奪い去ってしまっていることに気付いて愕然としている。


 にやりと牙を覗かせつつ、エッドは親友へと交渉を持ちかけた。


「言っておくがお前が頬張ってるクッキーは、俺がメルに頼んで焼いてもらったものだ。“情報料”としてはお釣りがくる美味さだろ?」

「嵌めましたね。なんと恐ろしき魔物でしょう」

「ねえ、ふざけてないで教えてよお師匠さま! メルはどうして――」


 指に付着した菓子のかけらまで残さず味わった後、大闇術師は満足したように背を沈めて口を開く。


「神の前で生涯添い遂げることを誓う、婚姻の儀。その一切を取り仕切るのが彼女たち聖術師の役目です。しかし無論、自身が結婚できないというわけではありません」

「フツーの結婚と違うトコって言えば、指輪を中指にすることくらいでしょ?」

「おや、昨日の中級闇術に関する知識は乏しくとも、そういった“雑学”はよくご存知なのですね。弟子よ」

「い、今はいいでしょ、そんなこと!」


 皮肉を込めた揶揄にぶんぶんと手を振り回して抵抗する若者を退けつつ、ログレスはエッドを見た。


「つまり問題は“新郎”――貴方にあるのでしょうね」

「……俺が不死者だからか」

「ええ。“おぶらーと”とかいう役に立たぬ薄布には包まず、ここは友として真摯に見解を述べるとしましょう」

「あんた包んだことなんか無いじゃん」


 頬を膨らます弟子を無視し、友はカップに紅茶を注ぐ。鮮やかな水色の中で舞う小さな茶葉のかけらを見ると、エッドの心もどこか不安定に揺らいだ。


「神に仕えし聖女と、世の理に反逆せし“勇亡者”。この村で暮らしていると、しばしば忘却の彼方へ押しやりがちになる事柄ですが――貴方たちの関係はやはり、異端なのです。一般の方法で式を執り行うことはすなわち、神への愚弄に等しい」

「だよな。メルが神様に向かって俺を紹介する場面が浮かばないよ」

「そんな……それだけ?」


 唖然としているアレイアを見、エッドは首を傾げて言った。


「それだけって、立派な理由じゃないか。けど安心してくれ。村長モルズドにも確認したが、この魔物の村じゃそういった“形式”はとくに必要ないと言っていたぞ。婚姻の日には村総出の宴会を催すとも申し出てくれたし――」

「そ、そうじゃなくてっ!」


 ふたたび勢いよく立ち上がった少女は、蜂蜜色の目を落ち着きなく泳がせた。しばらく迷った後、決意を固めた様子でキッとエッドを見据える。


「メルはね、なりたいんだよ――お嫁さんに!」

「だから、なるじゃないか。もう日は決めてあるんだ。来月の……」

「違うの。あのね――メルは、花嫁着ウェディングドレスを着たお嫁さんになりたいんだよっ!!」


 しん、と部屋が静まりかえった。読書に戻ろうとしていたログレスも宙で手を浮かせたまま、紅い瞳を丸くしている。エッドはしばし固まったのち、ようやく声を上げた。


「ど……どういうことだ? アレイア」

「言ったまんまだよ。彼女は立場とか神への忠誠心やらで遠慮してるけど、ホントは……本当は、綺麗なドレスを着てあんたと並びたいって思ってるんだ」

「聞き捨てならぬ情報です。もちろん確信に至る証拠はあるのでしょうね?」


 ログレスが低い声で問うも、若き闇術師は自信に満ちた表情でうなずいた。


「先週、あたしとメルで王都に買い物に行ったでしょ。その時たまたま、通りの聖堂で式をやっててさ。ちょうど、新郎新婦が聖術師から祝福を授かる場面だったんだ」

「ほう。そのような聖気溢れる場によく留まっていられましたね。修行の一環ですか?」

「あんたは黙ってて。ほら、これうちから持ってきたお菓子」


 アレイアは早口にそう言い、師匠の黒い胸元に新たなバスケットを押し付ける。いそいそと布をめくる恋人を確認すると、エッドに向き直って続けた。


「あたし、何も知らないで言ったんだ。“綺麗だね。でもきっと、あんたが着たらもっと素敵な花嫁になるよ”って」

「!」

「そしたら彼女、ちゃんと答えたよ――“そうだったら嬉しいわ”って。でも、うん……今思えばたしかに、ちょっとぎこちないっていうか、寂しそうな笑顔だったな」


 しゅんと肩を落として言い添える少女から目を逸らし、エッドはどっとソファの背に倒れ込んだ。見慣れた天井の木目を虚ろに辿りながら呟く。


「そうか……彼女が、そんなことを」

「ああもう、あたしバカだったよ。メルの気も知らないで、はしゃいで……。その後も色々訊いちゃった。ドレスや髪型はどんなデザインが良いかとか、あたし闇術師だけど付添人をしていいかとかさ。全部具体的に答えてくれたから、きっと式は近いんだって……うう、どうしよう!」

「どうもこうも、起こった事象は取り消せませんよ」

「じゃあ今すぐそんな闇術編み出してよ! てか食べるの早っ」


 血色の悪い喉をごくりと鳴らして菓子を飲み込んだ師匠は、狼狽る弟子を眺めて平坦な声で言った。


「時を遡る術を編み出すことに比べれば、大抵の苦難など容易いものに思えますが」

「もーっ、またそうやって難しいこと言う!」

「果たしてそうでしょうか。現に我らには、いつも“不可能”を屈服させてきた存在がついている」

「え?」


 魔力を帯びた紅い瞳が、妖しげな光を帯びて細くなる。その様子を見たアレイアは、ぴんと三つ編みを立ててエッドに振り向いた。


「そう……そうだよ! あははっ、なーんだ! そんなの、とっくに遅かったんだ」

「どういうことだよ。二人とも」

「あのね。散々神サマに中指立ててきたあたしたちが、今更そんなこと気にするほうがおかしいんだって話!」

「なっ」


 仰天する魔物を尻目に、大闇術師の弟子は師そっくりの笑顔を浮かべた。



「やってやろうじゃん――“魔物流”結婚式をさ!」


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