勇亡者さまのボーナスステージ―中編―

「――そこから今日までほんと、あっという間だったよな」

「ええ」


 ことのはじまりの日を振り返ったエッドは、初夏の木立の香りを空っぽの胸いっぱいに吸い込んだ。日差しを避けるため木陰から出てこないログレスも、この数週間を振り返るように空を仰いでいる。


「まずはモルズドに、結婚式のために広場を貸し切りたいと話を持ちかけて。ニルヤとポーラには式にふさわしい食事の手配を、ドルンには誓いのための祭壇をこしらえるように頼んだのでしたね」

「ああ。みんな、本当に快く引き受けてくれて――むしろ、相当面白がってたよな? この村で結婚式が行われるのは初めてだって言ってさ」

「皆がそれぞれの流儀を持ち出してくるので、それをまとめるのは相当難儀でしたよ。ペッゴが『すべて金剛石で出来た式場を建ててはどうか』などと言い出した時は本当に参りました」


 苦労のにじんだため息を落とす友の目元には、数日前まで濃い隈が浮かんでいたものである。本番の今日に備えて少しはきちんと休んでくれたのだろう。エッドは背筋を伸ばすと、改めて幼馴染に頭を下げた。


「ああ。なんといっても、お前とアレイア――ふたりの頑張りがあったからこそ、今日という日を迎えられた。俺は手伝わせてもらえなかったからな」

「……。我が弟子が、主役にそんなことさせられないと言い張るものですから」

「本当に感謝してるんだ。ログレス」


 声に真摯なものが混じっているのを察した親友が、今日はフードで隠していない顔をこちらへ向けたのを感じる。赤髪頭を下げたままの元勇者は、幾度とない苦楽を共にしてきた戦友に心からの言葉を贈った。


「子供の頃にお前と出会って、勇者になるって決めて。学術院でもさんざん助けられて。ひとつも仕事がなかった駆け出し時代から、“華やか”極まりない勇者時代まで――お前にはずっと、世話になってばかりいると思う」

「……」

「死んだ時まで迷惑かけちまって、あの時は本当に申し訳なかったよ。でも今、こうして夢みたいな日を迎えられて……俺は幸せだ」


 言いながら、鼻の奥がツンと痛んだ気がする。痛みを感じる身体ではないはずなのに確かに自覚したその痛みを穏やかに味わいながら、エッドはゆっくりと顔を上げた。


があって続いていくことになった俺の人生で、この先お前になにを還していけるかって考えたんだ」

「エッド……」

「でも悪いな、思いつかなかった。お前は頭が良いし、自分が欲しいものは大抵自力で入手してくる。支えてくれる弟子も恋人もいるから、今更俺が走り回ることなんてないしな」


 情けなさを逃すように肩をすくめてみせるが、漆黒の友はいつものため息を落としたりはしなかった。木の幹よりも微動だにせずそこに立ち、紅い瞳でじっとこちらを見ている。


「だから約束するよ。今度はひとのためじゃなく、自分のために幸せになるって」

「……!」


 花婿衣装に包まれた背を伸ばし、エッドはかけがえのない仲間にうなずいた。


「メルを幸せにするし、自分でも幸せになる。もうお前が裏であれこれ苦心しないですむような――どこにでもある、“平凡”な家庭を目指すつもりさ」

「……“勇亡者”がのたまう台詞ではない気がしますね」

「はは、まあな。たぶんこの先も、トラブルのほうからやって来そうだし」

「哀しき現実ですが、慣れています」

「その時はまた、背中を預ける。だからその、なんだ――これからも頼りにしてるってことだ、親友!」


 最後は明るくまとめるつもりで、エッドはぐいと灰色の手を差し出した。偉大なる闇術師はその手をちらと見下ろしていたが、やがて根負けしたようなため息と共に握った。


「……スピーチの原稿を寄越してください。花嫁支度が済む前に整えます」

「そうこなくちゃな、大先生!」


 常人と比べると体温の低い友の手。

 しかし亡者にとっては、それが何よりも温かく思えた。





 同時刻――女たちが忙しく走り回る、花嫁用の支度室。

 ひときわくるくると動く金色の影が、そのよく通る声を室内に轟かせていた。


「ドレスの裾に飾る花が、この暑さですこし痛んじゃってる。ジュリアさん、西の森に入ってすぐのところに同じ花が咲いてるから摘んできてもらっていいかな? あったらあたしのとこに持ってきて。闇術で冷やして鮮度を保つよ」


 司令塔を務める少女アレイアの指示を受け、額にツノを生やした女が急いで部屋を飛び出していく。かわりにやってきたのは、羽毛で覆われた腕をもつ子供たちだ。


「アレイア! 外のかざりつけ、おわったよ。あと、なにすればいーい?」

「ありがとう、みんな。じゃあロゼナさんのところに行って、傘洋梨のジュースをもらってきてくれるかな。仕事がおわったひとに配って回ってほしいんだ。式が始まる前に倒れるひとが出たら悲しいでしょ?」

「わかったぁ! ぼくたちも飲んでいいのー?」

「もちろんだよ。みんなのおかげで、あとは花嫁さんの用意ができたら無事に式を始められそう。それまでみんなと一緒に、ゆっくりしててね」


 はぁい、と元気な返事を寄越し、魔物まじりの子供たちは陽光あふれる外へ飛び出していく。他の面々も、布地や裁縫道具の箱を抱えてアレイアに手を挙げた。


「みんな、本当にありがとう。あとはあたしがやるから、自分の最終支度に戻ってくれて大丈夫だよ」

「おやおや、花嫁さんの晴れ姿は本番までお預けってことかい?」

「んふふ、ゴメンね。でも絶対素敵な仕上がりにして、みんなを驚かせるから」

「そういうことなら、任せたよ」


 がやがやと賑やかなお喋りをかわしながら、大人たちも部屋を辞していく。しんと静まり返った部屋に残ったのはアレイアと、鏡の前の椅子に腰掛けている今日の主役――花嫁であるメリエール・ランフアのみだった。


「あ、あのアレイア……。なんだか悪いです、こんなに皆を働かせてしまって」

「なーに言ってんのさ、花嫁さん! 皆今日を楽しみにしてきたんだからね」


 花嫁の肌を包むのは薄布一枚だ。今から何層も着込まねばならないので致し方ない格好なのだが、神職である彼女は恥ずかしいのかもじもじと身を捩っている。


「あんたが誰よりも綺麗になって、あの銀色の絨毯を歩くこと。それが村の皆が望む景色だし、あんたができる最高の恩返しなんだ」

「アレイア……」

「おっと、今泣くのは無しだからね! もう化粧しちゃったんだから」


 少し震えた友の声に、アレイアは苦笑してぽんと細い肩を叩いた。見上げてくる花嫁、そのハッとするような美しさに彩られた顔を見ると、自然と目頭が熱くなってしまう。


「あ、ヤバ……。あたしが泣きそう」

「ええっ!?」

「ううん、これは本番にとっとくの。付添人の目が真っ赤じゃダサいもんね」


 赤みが残らない程度にパンと両頬を打ち、少女は部屋の中央にそびえる布地の塔を見据える。このひと月、自分と皆が心血を注いで作り上げた花嫁のドレスだ。


「じゃあいよいよ着付けに入るよ。準備はいい、メル?」

「あ……え、ええと」

「うそ! 待って、ホントにやめるなんて今更言わないでよ!? それこそ泣くじゃ済まされないんだからね」

「ち、違うの! あのですね、アレイア――私、先に言っておくことが」

「まさか太った? 大丈夫だよ、あたしの見立てではまだ全然」

「ありがとう」


 口を閉じない自分を黙らせるには、無理にでも言葉をねじ込むしかないとでも思ったのだろうか。メリエールがしっかりと発した言葉に、付添人の少女は目を見開いて固まった。


「えっ?」

「ありがとう、この式を準備してくれて。私にこんなに素敵なドレスを仕立ててくれて」

「メル……」

「あなたとログが動いてくれなければ、きっと今日という日はなかったと思うの。自分がドレスを――お嫁さんになるなんて、今でも信じられないわ」


 翡翠の瞳が優しく輝き、静かに部屋の中央へと向けられる。アレイアもつられて見ると、白い衣装の裾が微笑むようにふわりと揺れた。


「神の御前にこの衣装を着て出られないことは、もちろんわかっていたの。でも女の子として、ただの憧れだけで袖を通してみたい……そんな気持ちはあった。不謹慎極まりないことですけれどね」

「そんな――そんなことないッ!」


 花嫁の顔に一瞬浮かんだ暗さを感じ取り、アレイアは身を乗り出して叫んだ。


「ヒトだって魔物だって、愛する存在と一緒になる瞬間を大事にしたいと思う気持ちは一緒だよ! それまでの人生のなかで一番きれいに着飾って、一番素敵な気持ちになって、一番だいすきなひとと腕を組んで最初の一歩を踏み出す――それのどこが悪いってんのさ!?」

「アレイア……ありがとう」


 労わるようなそのひとことで、少女は自分が泣いていることに気づいた。化粧台の上にあったハンカチを差し出され、情けない気持ちになりながら受け取る。


「あっ、あたし……あんたたちのこと、この数年分しか知らない。でもあんなに苦しい環境を跳ね除けて、ようやく一緒になった瞬間を知ってる。だから二人の門出を、一番近くでお祝いしたくて」

「わかっています。本当よ。あなたに式を行ってはどうかと切り出された時、私は本当に驚いたわ。気持ちだけでも察してくれる友達がいるのは幸せなことね」


 白いしなやかな手が伸びてきて、アレイアの頭をぽんぽんと撫でる。その仕草は、これから彼女が結ばれることになる男とそっくりだ。


「でもあなたがドレスのデザインを徹夜で何枚も描きおこして、ログが村の皆に声をかけて回っているのを見て……ようやく、自分がお嫁さんになるという実感を得ることができたの」

「迷惑じゃ……ないんだよね?」

「ええ。自分が何度も取り仕切ってきた婚礼の場にみずから立つという感覚は、まだ想像できないのですけれど――それでも純粋に、これから起こることがとっても“楽しみ”なのよ」


 そう言い切って笑った花嫁の顔には、もはや不安のひと欠けさえも見つけられなかった。美しい顔の上で躍るのは、悪戯好きの子供のようなきらめき――あるいははじめて花弁を開き、世界の風にふれて歓ぶ花のごとき清らかさ。


「今日も、それからこれからも。きっともっと、素敵なことであふれる毎日にしたい。力を貸してくれますか、私の親友?」

「うん……うん……っ!」

「そうと決まったら最後の仕上げをお願いしたいわ、付添人さん。そして今日の経験を、いつか“あなたたち”の時に活かしてほしいです」

「なっ! も、もう、気が早いよ。あたしたちは、まだそんなの全然――」



 楽しげに笑い合う声と絹のこすれる音が、柔らかに部屋を渡っていった。


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