第104話 お無茶がすぎます



「エッド!」



 それが誰の声なのか、エッドにはよく聞き取れなかった。


「ぐ、ぅ……っ!」


 鳩尾に深く刺さった“聖宝”から、まるで猛毒のように聖気が巡りはじめる。

 完全な亡者と化したからだろうか、以前よりも侵食に伴う苦痛が大きかった。


「やっぱ……効くなっ……!」

「あ、あんた何やってんの!?」


 駆け寄ろうとしたアレイアの肩を、彼女の師が引き止める姿がぼんやりと見える。

 ほどなくして、自分の側に誰かが跪くのを感じた。


 星が落ちてきたかのような、銀の煌めき。


「エッド!? あなた、なんてことを――!」


 自分を覗き込む顔が、たしかに想い人のものになっているのを見、激痛の中でエッドは安堵した。


「メル……。おか、えり……」

「たっ――“ただいま”なんて言いませんっ! それよりあなた、どこに行こうとしてるの!?」

「なに……ちょっと、“知り合い”のとこ、にな……」


 身体の感覚のすべてが、次々と炎をまとった蛇に食われていくようだった。義手さえも重く感じる。


「う……」


 己を支えきれないと思ったエッドは、後頭部を赤土につけようとして何か柔らかいものにぶつかった。


「! はは……。こりゃ、夢みたい、だな……」

「馬鹿言わないで! 本当にっ……!」

 

 想い人の柔らかい膝の上で、エッドは視線だけを持ち上げる。

 細剣から巡る量に比べれば、彼女自身から発せられる聖気など、鍋をかけるとろ火のようなものだ。


 エッドが聞いたことのない、聖術師の激しい声が降ってくる。


「私が……私がいつ、自分の役目をあなたに代わってほしいと頼んだの!? 死ぬのは、私だったのに――!」

「……そんな、こと……言うな……」


 唯一聖気に苛まれながらも動かせるのは、もはや鉛のように重く感じる義手だけだった。

 か弱い自身の魔力を固く冷たい指へと送り込み、エッドは――顔の筋肉が動いてくれることを願いながら――微笑む。


「俺は、君に……ここで死ねと、言われたら……そうする」


 うまく動かない義手を両手で包み込み、メリエールは戸惑いながらも真剣な目を向ける。

 エッドは、渾身の力を喉に集めた。



「けど、な……。君が“生きる”って、決めるまで……なんど、でも……“起きあがる”ぞ……! 棺から……土の中、から――灰の中からでも、だ……!」



 うまく伝わっただろうか。視界がかすみ、エッドは想い人の反応を確認することが出来なかった。

 金属が軋むような音が、すぐそばで聞こえた気がする。


「エッド――!」

「かならず……戻る。だか、ら……まだ、棺には……入れないで、くれよ……?」


 世界が暗転する前に見たのは、潤んだ緑の光だけだった。





「さすがに……“お無茶”しすぎなのではありませんか? エッドさま」

「!」


 刺々しいその声に、エッドはハッと目――だと感じるもの――を開いた。


 自分が実体を持たないことはすぐに気づいたが、そこは経験というものがある。

 エッドは強く自分の姿を思い描き、硬い床に“足”をつけた。


「っと! おお、できた」


 なんの苦労もなく実体を作り出したエッドの背後から、呆れたような声が上がる。


「……無駄にお器用になりましたね。しかも、描いたのが“亡者”姿とは……」

「やあ。君がいるってことは――ここは“狭間”で間違いないよな?」

「はぁ……。それをお狙いになったのでしょう?」


 答えたのは、純白の胴衣をまとった例の“天使”だった。

 可愛らしい顔つきの少女は、相変わらず不機嫌そうな半眼でエッドを見据えている。


「まったく――わたくしがそばに控えていなければ、冥府の使者に引っ立てられていたかもしれませんのに……」

「はは。助かったよ、ほんと」

「いえ。あなたさま、絶賛死んでおりますよ?」


 当たり前の指摘を下し、天使は華奢な腕を組む。


「……それで。わざわざこちらまで足をお運びになったということは、いよいよお覚悟をお決めになったのですね?」

「そんなわけないだろ?」

「……でしょうね……。では、あなたさまがお連れになった“この方”の件で?」


 天使は事務的にそう言い、胸の前に手をかざす。

 鬼火のような青白い球体――人間の“魂”が浮かび上がり、果てが見えない暗い空間を照らし出した。


「まあな。ええと……その人にも、姿を与えてやれないかな? 言いたいこともあるだろうし」

「……。よろしいでしょう。“ご本人さま確認”には、うるさいご時世ですからね」


 エッドにはよくわからない事情を呟き、天使は反対の手を魂に向けた。小鳥を空へ放すように、そっと球体を押しやる。

 

 しばらく魂は“狭間”を進み――突如、金属質なけたたましい音を立てて落下した。


「なっ……なんだ、ここは!? わたしは――」


 古めかしい鎧――血には染まっていない――に身を包んだ、鳶色の髪をもつ若き騎士。すばやい動作で身を起こした若者は、異様な空間を見回して立ち尽くした。


「よ。聖術騎士、ジリオール。その姿で会うのは、はじめてか。いやあ、若いな」

「も――亡者! それに……!」


 猪のように突進してきた聖術騎士にエッドは面食らったが、ジリオはさっと脇を通り抜けていった。


 がちゃ、と音を立てて膝をつき、迷わず頭を垂れる。


「その高貴なるお姿――貴女は、天使様ですね! なんたる光栄……!」


 得意げに薄い胸を張り、天使はエッドをちらと見る。


「見ましたか? これが、本来とるべき姿勢ですよ」

「無茶言うなよ。俺は聖堂信者じゃないし、亡者なんだぞ」


 エッドが肩をすくめてみせると、騎士がふり向いて咎めるように言う。


「貴様……! 天の御使いを前に、無礼であろう!」

「まあまあ」


 獣をなだめるように両手を広げ、エッドは苦笑した。


「とにかく、あんたもどうしてここに来たかの説明が欲しいだろ」


 大戦時代を駆けてきた騎士は、さすがに肝が据わっているらしい。


「ふん……現世ではないな。亡者である貴様と、天使様が揃っているということは、天界でも冥府でもない――その“狭間”といったところか」

「ご明察」


 冷静な考察を述べる若者に、エッドは満足してうなずいた。

 どこか威厳を増した声の天使から、補足が入った。


「本来、ここはエッドさまをお迎えするための“狭間”です。しかしエッドさまの魂が身体をお離れになる際、貴方の魂まで引き連れてきてしまった」

「それは……?」


 不思議そうな顔をしているジリオに、エッドは鳩尾に開いた新たな穴を指差してみせる。


「“聖宝”さ。あんたの『核』が入った剣の半身を身体に刺して、とり込んだんだ。で、純粋な亡者である俺は聖気にやられる。そして予定どおり、二人でここに到着するってわけだ」

「き……貴様っ! わたしを道連れに、自刃したというのか!?」


 とうの昔に死んでいる者に当てはまる表現かはわからないが、おおむね若者の言うとおりだろう。エッドは肯定すると共に、温度の感じられない空間を指して言った。


「俺は亡者になる前、一度ここに来てるんだ。それにさっきあんたと斬り合ってた時も、そこの“天使さま”と会ってる」

「だから迷わずに来れたとでも? まったく、ご冗談でしょう……」

「一度で道を覚えるのが、昔からの密かな特技なんだ」


 エッドが得意げに笑むと、天使は小さな肩を落として息を吐く。

 どこか警戒するような目を向け、ぼそりと訊いた。


「この空間は“会議室”ではありません……。あまりお時間をかけると、魂にご負荷がかかります」

「わかった。率直に、俺の要望を伝える」


 エッドは背筋を伸ばし、担当の天使を見つめた。



「この人を、天界に連れて行ってくれ――俺のかわりに」


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