第103話 仕方ないだろ



「ぐっ……はぁ、はっ……!」



 金属が落ちるけたたましい音と共に、エッドは赤土にがくりと膝をついた。


 突き立て、縋れる剣はもうない。

 刀身の真ん中で綺麗に折れた聖宝は、エッドの義手の中で鈍い輝きを発していた。


「エッド!」

「だ……大丈夫だ。二人とも、おつかれさま」


 肩で息をしている闇術師たちに、エッドは片手を挙げて答える。

 

 弟子の少女は砂埃をあげて地面に座り込み、長い長い息を吐いた。


「っはあぁー……できた! き、緊張したぁっ……!!」

「すごい集中力だったぞ、アレイア。文句ない出来だったよな、お師匠さま?」


 黒い袖で首筋の汗をぬぐい、ログレスも長い息を落とす。


「ええ……。とりあえずは、労いを贈ってもいいでしょう」

「うぇー。それって、あとで小言があるってこと? もう、厳しいんだからぁ……」


 舌を見せてうめきながらも、弟子は嬉しそうに微笑んだ。その蜂蜜色の瞳を今度はエッドに向け、小さな拳をぐいと突き出す。


「エッドもすごかったよ! 正直あんたが魔力を上乗せしてくれなきゃ、ヤバかったかも……。亡者の魔力、ほんとに完璧に操れるようになったんだね」

「ま、“小さな協力者”もいたしな」


 エッドが指で自分の胸を示すも、少女は首を傾げるだけだった。


 しかし、互いを讃えあうにはまだ早い。


「あっ……う、ああぁっ……!」


 エッドに続き場の誰もが、ふらつきはじめた聖術師を見つめた。


「く、苦しんでるよ? 大丈夫なの」


 心配そうな弟子の視線を受け、ログレスは慎重に観察しつつ答える。


「……依り代であった剣を破壊され、彼の魂は寄る辺を無くしている状態です。メルに乗り移ったという意識体も、ほどなく追い出されるでしょう」

「そういうもんなのか?」

「ええ……。魂の大部分は『核』として聖宝側にあったはずですから」


 敵のふらつく身体を支えようと踏み出した弟子に退がるよう目で示し、続けた。


「魂は本来、分離できないもの……。意識体という小さな欠片も、やがて消えゆく本体へと吸い戻されるかと」


 友が立てた推測は、どうやらまた当たったらしい。

 聖術騎士は身体をくの字に折って苦しんでいる。


「あぁ、寒い……! 闇の……冥府の、気配がする……!」


 さきほどまで場を覆っていた闇の魔力はとうに霧散し、今は荒野の乾いた風が心地よいほどだった。しかし腕を掻き抱くジリオは、たしかに震えている。


 騎士はこちらの姿など見えていないかのように、天だけを睨んで呟いた。


「これほど……これほど、永く……戦ったというのに……! やはり、“そこ”へは逝けぬのかッ……!」


 その訴えに神の光が降りそそぐことはなく、黒い星空は静かに佇んでいるだけだった。

 エッドは義手の指先に絡めたままだった、折れた剣の柄を見下ろす。


「ログ。あいつの意識体がああして苦しんでるってことは……まだ『核』とやらは、破壊しきれてないんだよな」 

「……おそらくは。実際に『核』を宿しているのは、貴方が持っている柄の部分なのでしょう」


 友の指摘どおり、地面に横たわった刀身からはあの嫌な聖気が感じられない。エッドは亡者の魔力を集中させ、手中にある聖宝の半身を視た。


 かなり弱まってはいるが、たしかにまだ何かしらの力があるように感じる。むずかしい顔をしたエッドの頭上に、ぬっと黒い影が音もなく現れた。


「依り代としての形状は破壊したので、いずれ消滅は訪れるでしょう。ですが契約書の場合と同じく、完全に破壊しておいたほうが安全です。というわけで、それを置いて離れてください」


 ふたたび黒き本を開いた師匠を見、座り込んだままの弟子は呆れと感嘆の声で言った。


「まっ、まだ撃てるの!? あたしなんか、もうカラッカラ……」

「……今日のところは、そこで干上がっていることを許可しましょう。さあエッド、剣を地面に」

「……」


 友の要求を理解しながらも、エッドはじっと折れた剣に見入っていた。

 顔を上げると、膝をついてうなだれる聖術騎士の姿が目に入る。


 しかし、それはもはや敬虔なる信徒の祈りではない。

 ただ一人とり残された者の、悲痛なうめきそのものだった。



「なぜだ……友も、家族も――愛しき者はみな、もう神の御許に旅立った。なのに、なぜ……わたしは――!」

「やっと素直になってきたじゃないか。お堅い騎士さま」



 エッドの声に、ジリオはゆっくりと顔を上げる。

 生気を欠いた翠玉の瞳が、ぼんやりとエッドを見つめた。


「そんなに落胆するなよ。ちゃんと言っただろ? 冥府には逝かせないって」

「……貴様……?」


 訝しみながらも、その瞳にわずかに光が戻ったのを確認してエッドは微笑む。


 反対に、鋭利さを増した声が頭上から降ってきた。


「……エッド。今すぐその剣を置いて下さい。いい加減、僕も疲れました」

「魔力を消耗したことにか? それとも――今から俺が、また“勝手”しようとしてることにか?」

「どちらにもです」


 低くそう言い放ち、ログレスは迷いなく黒い杖を構える。


 エッドは親友の顔に浮かんだ珍しい表情を見、わずかに眉を上げた。しかし亡者であれ、すでに結んだ約束を違えるわけにはいかない。


「……見逃してくれよ、親友。いつもみたいにさ」

「貴方の悪だくみに付き合わされるのには慣れています。あとで一緒に、理不尽な責を負わされることにも」


 紅い瞳の奥に、うっすらと懐かしい薄灰色が揺らめいた気がした。

 エッドは思わず微笑む――自分と同じたんこぶを頭にこしらえ、ふてくされていた子供の目だ。



「ですが……その“あと”さえ来ないというなら、今止めないでどうするのです」



 苦々しいその声に、エッドは黙った。

 論でこの男を打ち負かせるとは思っていない。


 自分にできるのは――昔から――行動で結果を示すだけだ。


「悪い。でも、やらせてくれ」

「……貴方はもう、国を背負う“勇者”ではないのですよ。そこまでして、他人を助ける必要はないと思いますが」

「俺がそうしたいんだから、仕方ないだろ?」


 エッドがけろりと言うと、友はいっそう眉根を寄せる。

 しかしやがて、呆れたように頭をふって呟いた。


「……両親を亡くし、強すぎる魔力のお陰で周りにも疎まれ――死を望んでいたどこかの幼子にも、貴方はそう言いましたね」

「そうだったか?」


 エッドが肩をすくめてみせるも、闇術師は静かに語り続ける。


「その赤毛の子供も、栄えある肩書きなど持ってはいませんでした。けれど結局、勝手に絶望から引きあげ――勝手に、“友”を名乗った」



“おまえ、まほうが使えるんだろ? なら、おれの仲間になれよ!”

“……なんで、ぼくが”

“だって、おれは『ゆうしゃ』だから。パーティーには、『まほうつかい』がいなくちゃだろ!”



 ずいぶんと今日は、昔の思い出が鮮明に頭を駆ける。


 エッドはそっと牙を覗かせて微笑んだ。きっと友も、同じ日の光景を思い出しているに違いない。



“ぼく以外にも、きみにはたくさん――”

“おまえがいいんだよ、ログレス”

“……どうして”

“んー。おれがそうしたいんだから、しかたないだろ!”



 全身を泥と小傷にまみれさせた赤毛の少年が、白い歯を輝かせてにっと笑う。

 同じく傷だらけの子供は、黒い胴衣の土を払ってぼそりと言った。



“……ぼくは『まほうつかい』ではありません。『闇術師ダークレアン』です”



「はは。強引なやつだな」

「……その光景を、またもや目にすることになろうとは」


 その呟きと共に、音もなく杖がおろされる。

 聞き慣れたため息を落とすと、闇術師はエッドを睨みつけた。



「……存分、“勝手”にすると良いでしょう、エッド・アーテル。ただし、必ず“あと”で手痛い叱責を受けること――ひとりで。いいですね?」

「ありがとう、ログレス」



 友が歩を退けたのを確認したエッドは、懸命に長杖に縋っている聖術師を見据えて言った。


「待たせたな」

「き、さま……っ!?」

「まだ“居る”んだろ。よかった、あんたを連れていきたいところがあるんだ」


 エッドの朗らかな笑みを見、聖術騎士は苦しそうな顔で目を細めた。


 義手の中でくるりと軽やかに聖宝を回し、エッドはしっかりと逆手に持つ。



「それじゃ――悪いが、一緒に死んでくれ。聖術騎士殿」



 折れた細剣は、亡者の鳩尾に吸い込まれるように沈んだ。


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