第102話 交わる想い、かさなる力―2



「エ、エッド……? 解決って」



 戸惑うメリエールを置いて、エッドは久々に歩を進める。

 向かったのは、静観していた闇術師たちの元だ。


「よし。二人とも! ずいぶん回り道があったが、いよいよ大仕事だぞ」

「え! もしかして今、“あれ”をやるの!?」


 小麦色の三つ編みを跳ねさせ、アレイアは驚いて言う。

 隣の師は相変わらず無表情だったものの、遠慮なく紅いまなざしをエッドを投げた。


「……何を企んでいるのです」

「そんな悪い顔に見えるか? ただの愛くるしい死人だろ」


 おどけて肩をすくめると、友は諦めの息を吐いた。


「もとより作戦の実行には、異存ありません。が……問題があります」

「なんだ?」

「実は少々……いえ、大幅に魔力が足りないのです。僕とアレイアは言わずもがなですが、我が魔人さえも予想以上に消耗しているようで」

(だ、誰かさんが遠慮なく大技をバンバン撃つからだろぉ!?)


 懐の“宝珠”から非難の思念が拡散されるが、主人は完全に無視を決め込む。

 エッドは顎に手をやり、ひとり言のように言った。


「ああ……それは大丈夫だ。俺が手伝えると思う」

「ずいぶんな自信ですね」

「ま、やろうと思ってたことが少し早まるだけだ。心配しなくても、亡者の魔力はもうちゃんと扱える。それじゃ、はじめてくれるか?」

「……」


 エッドの意図を見定めるように闇術師は目を細めたが、やがて黒表紙の教典をとり出す。

 その様子を見た弟子が、心配そうに言った。


「いいの? ログレス」

「……ええ。貴女も、杖と教典の準備を」

「は、はいっ!」


 師の低い声に、アレイアは急いで腰に着けた荷を解く。小さな本と杖を構えるのを確認したエッドは、友に言った。


「お前も杖を使うんだろ。剣はどうするんだ?」

「地に突き立てておけば良いでしょう。闇の者でも、被弾すればかなりの衝撃となります」


 そう答え、ログレスは赤土に細剣を静かに突き立てた。

 まるで墓標のようだと思ったエッドだったが、周りを動揺させる冗談は心にしまっておくことにする。


「ではアレイア、僕について詠唱を――」

「バカにしないでよね、お師匠様。もう全部、暗記してます」

「……それは優秀なことです。では、同時に」


 杖を構え、二人の闇術師が集中状態に入る。



『迷夢の彼方に住まいし、紫紺の獣よ――』



 村で練習を重ねてきた師弟の声は、息継ぎの間隔さえもまったく同じだった。足元にまとわりつく冷気に、エッドは剣から少し離れて立つ。


 不安そうにこちらを見ている聖術師に気づき、エッドは朗らかに声をかけた。


「大丈夫だ、メル。君は、そこから動かないでくれ」

「加重魔術ね? “原初の鐘”ではないようだけど……何をする気なの」


 複数人で同じ術を発動させる行為を、“加重魔術”と呼ぶ。


 その名のとおり術の威力を倍に引き上げる、強力な技である。しかし、ただ声を合わせれば良いというものではないらしい。

 詠唱を紡ぐ者同士の相性や信頼関係も大きく影響するため、非常に難度も高いのだという。


 それゆえに、成功した場合の効果は――莫大なものとなる。


『刹那を疾駆し、懸想を裂き、天元の爪を以てすべての瑕疵かしを無に帰さん――』

「うっ……!」

「メル!」


 額を押さえてよろめいたメリエールに、エッドは叫んだ。


「高まった闇の魔力を、警戒しているのね……。大丈夫です、エッド。“彼”が出てくるけれど、まだ支配力が弱い……身体のほうは、私がこの場に押さえて、おけますっ……!」


 愛杖を地面に突き立て、しっかりと両手で握りしめた聖術師はそう請け負う。

 その揺るぎない眼光の強さに、エッドは構えていた拳を下ろした。


 闇術師たちを見ると、詠唱を続けながらもこちらの様子を伺っていた友と目が合う。


「大丈夫だ、続けてくれ。万が一があっても、俺が邪魔させない」


 わずかにうなずき、ログレスは深い集中状態に戻っていった。

 隣の弟子は外野の出来事など耳に入らず、目を閉じて詠唱に没頭している。


 ついに小さなうめき声が聞こえ、エッドはふり向いた。


「く……なんだ、体がっ……!?」

「やあ、お目覚めか。聖術騎士殿」


 杖を握りしめたままの想い人の顔に、見覚えのある厳しい表情が宿っていた。


 こうして改めて見ると、本当に不思議な光景である。今はたしかに、別の人物が喋っているのだ。


 揃って詠唱を行う闇術師たちを見、ジリオは目を見開いた。


「貴様ら……この娘もろとも、吹き飛ばすつもりか!」

「そんな訳ないだろ。あんたをそこから動けないようにしているのは、彼女自身だ。俺たちを信頼してくれてな」


 エッドは、港町で出会った老魔法術師の言葉を思い出した。


“みずからの意識を投げ売る覚悟なぞ、なかなか出来ることではない。己のため――いや、それ以上に大事に想う者のためにしか、出来ぬじゃろうて”


 そう、メリエールは易々と意識を明け渡しているわけではない。

 今も途方もない不安を抱えながら、暗い意識の底へと退がっていったはずである。


 その信頼に応えるのが、自分の役割だ。


「今から、あんたの『核』が入った剣を破壊する」

「……。破壊の使徒どもらしい選択だな」

「不満か?」

「わたしは敗北者だ。好きにするがいい」


 不敵な笑みの中に、諦めの色を浮かべて聖術騎士は捨て吐いた。

 エッドは頭をふって言う。


「勘違いするな。あんたを冥府には逝かせない」

「……ぬるいことを。だから、貴様は戦場に立つための覚悟が足りぬと言ったのだ」


 綺麗事だと思われたのだろう。ジリオの苦々しげな顔に、エッドは爽やかな笑みを送った。 


「そうかもな、大先輩。たしかにあんたの経験した大戦に比べれば、俺たちが今ここでやってる戦いなんて痴話喧嘩みたいなことかもしれない」


 場を覆う闇の魔力が高まり、亡者の肌を打った。


 野営地に散らばった木箱や道具類が浮き上がり、明かりが横倒しになって搔き消える。

 戻ってきた漆黒の中に、どこからか現れた淡い紫色の光が漂っていた。


「けどな。大義がなくても、国や世界のためじゃなくても――俺は、このちっぽけな戦いに勝たなきゃならない。その女性ひとには、この世で笑っていてほしいんだ」

「……」


 エッドは聖術騎士から目を離さないようにしながら後退し、“聖宝”と並ぶ。


 黒い義手でその優美な柄を握ると、ゆっくりと赤土から引き抜いた。



「だから、俺が決めたのは――人を“救う”ための覚悟だ!」



 素足で地面にしっかりと踏んばりを効かせ、エッドは剣を構える。

 細剣が得意とする突きの型ではなく、慣れた自分の型だ。


 目を閉じ、魔力の流れを集約させる。


「……っ」


 自分の力のすべてが、義手の先に宿るように。

 そこにある絶望を、打ち砕くように。



「……いいか?」

“いい よ”



 頭の奥から返ってきた声を合図に、エッドは仲間に叫んだ。


「やれ! 二人ともッ!」

『臓腑をなぶり、紅血の穴に黎明をもたらせ――』


 闇の師弟は同時に目を開き、杖を振りかざす。


 力を高めながら渦巻いていた魔力が収縮し、野営地の上空から一頭の巨大な獣が姿を現した。


『グウゥッ……!』


 いく筋もの紫の雷を全身にまとい、獣は異様に長い牙をむき出しにしてうなる。エッドの真横に音もなく舞い降りると、獲物を見定めるように太い首を回した。


 その金色に輝く両目がしっかりと、呪われた刀身を見据える。



『淘汰せよ――“軌道共鳴の紫雷獣オービタルレゾナンス・オブ・ビースト”!』



 獣と同じ色の目を開き、エッドはありったけの魔力を剣に叩き込む。


 同時に、櫛のようにずらりと並んだ獣の歯が、迷いなく刀身を包み込んだ―― 



「……っ、おれ、ろおおぉ――ッ!!」



 そして呪われし聖剣は、ついにその身を散らした。


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