最終章 勇亡者さまの歩む道

第102話 交わる想い、かさなる力―1



「エッド……あなた、自分が何を言ってるか……わかって、いるの……?」



 本当に時の流れが止まったのではないかとエッドが危惧しはじめる頃、やっとそんな声が返ってくる。


 エッドはうつむきがちで表情が伺えない想い人に笑いかけた。


「滑稽か? 亡者が聖術師に告白するのは」

「……っ、当たり前です! こんなの……物語にだってない、めちゃくちゃな筋書きだわ」


 まるで、風にさらわれそうな呟き。


「亡者とは……たったひとつの“未練”を果たせないがために、死した身体に魂が囚われた者――そう、聖堂で教えられてきました」


 この論に、エッドは異を唱えなかった。

 そうかもしれない。ほかの亡者と交流を図ったことがないので真偽はわからないが、おおむね生者であった頃の自分もそう考えていた。


「だから一刻も早くその魂を浄化し、天界へ導いてやるのが聖術師の使命である――どの司祭様も、口を揃えてそう仰ったの。もちろんこれまで私も、迷いなく実行してきました」


 浄化聖術は、亡者や鬼火人などの死した身体を持つ魔物や、魂のみで彷徨う死霊などを苦痛なく滅することのできる唯一の術だという。

 しかし、今のエッドにはそれが正解とは思えなかった。


「とある面倒くさがり屋の“天使”が言ってたんだ。浄化は、その人が歩んできた人生の軌跡や記憶をも消し去る行為だって」

「……ええ、そうよ。でも、冥府に落とされるくらいなら……魂を原初の状態に戻して、今度は正しき道を歩めるように整えてあげるのが救いというもの」


 頑とした言い分に、エッドは口を開こうとした。

 しかし白い掌が夜の野営地に浮かび上がり、それを制止する。


 ようやく面を上げたメリエールは、静かに言った。


「――“正しき道”って、何なのかしら」


 みずから立てた問いに、聖術師は困ったような笑顔を浮かべる。


「死んだ人の気持ちを考えずに、蘇生術をかけること。知り合いだからと言って、すぐに浄化に踏み切らなかったこと。その亡者が、自分を好きだと言ってくれること……どれが正しくて、どれが間違っていたの?」

「メリエール――」


 エッドがその名を呼ぶと、翠玉の瞳から大粒の液体がこぼれる。



「そして……その告白を、嬉しいと感じる聖術師じぶん。これは……この気持ちは、間違っているのかしら?」



 エッドは牙があるのも忘れ、唇を噛んだ。


 今すぐ駆け出して、彼女の細い肩を抱きしめたかった。

 しかしそれはお互いにとって、苦痛をもたらす行為である。


「本当は……私こそ、冥府に堕ちるべき存在なんです」

「何を――」


 手から血の気が失せるほど強く長杖を握りしめ、想い人は弱々しく笑んだ。


「だって、そうでしょう? 神への忠誠の証であるこの白き杖を持ちながら、毎日あなたを見逃していたんだもの」


 五連の銀輪が冷厳な光をたたえ、術師を見下ろす。


「きっとあなたなら、自分の“未練”を果たしてくれる――そう願って、みずからの責任から目を背けたんです」

「……まさか、君の懺悔を聞くことになるなんてな」


 エッドの言葉に、聖術師は納得したような表情でゆっくりとうなずく。


「最初は、中途半端にしか蘇生術を施してあげられなかったことへの罪滅ぼしでした。私がそばで見ているなら、ほかの生者を襲う心配はない。なら少しの間だけ、あなたの希望を汲んであげたい……そう思っていたわ。思い上がりですけれど」


 誘拐されることを承諾した頃の話だろうか。

 エッドは割り込まず、ただ黙って想い人の語りに耳を傾ける。


「けれど……あなたは死んだにも関わらず、とても生き生きとしていて。任務で私に見せてくれた壮大なものとは違う、新たな景色を見せてくれました」


 メリエールは、広々とした星空を見上げる。

 その星のひとつひとつに、思い出を映しているかのようだ。


「予定の立っていない日の朝に、のんびりとお茶を淹れること。目的も報酬もない場所へ出かけて、ただ美しい光景で目を楽しませること。そして夕日と共に、居心地の良い家に帰ること……。いつの日からか、そんな何でもない毎日を――とても愛おしく思うようになったんです」


 村の隅に立つ懐かしき家を思い出し、エッドも微笑んだ。仮の住まいだというのに、今ではすっかり我が家と言うべき存在だ。


「……それでも、この日々は長くは続かない。あなたが自分で“未練”を晴らして旅立つか、先に私がこの杖に祈りを込める日が来るか――その選択を近々迫られるだろうと、心の隅では覚悟していたんです」

「メル……」


 聖術師の頬を、また一筋の液体が伝う。



「その日は、きっと今日です。なのに、あなたは……私に“ずっとそばに”という、無茶な要求をする。これがどれだけの罪か、わかっているの?」



 諦めたような、咎めるような――想い人の不可解な微笑みに、エッドは頭を掻いた。


「……悪い」

「謝ったって、もう言ってしまったものは取り消せないわよ? あなたの“未練”――この耳で、しっかり聞きましたからね」


 涙に濡れた頬が、星明りを照らし返している。

 エッドは静かに訊いた。


「それで……哀れな亡者の願いは、叶えられそうか?」

「……」


 メリエールは一度固く目を閉じる。

 自分の中に渦巻く葛藤と戦っているようだ。


「……それでも、私は……ジリオを、放ってはおけません」

「君なら、そう言うと思ったよ」


 エッドがあっさりそう言うと、想い人は驚いたように目を開く。



「なら、“問題”を先に解決しよう。答えは、そのあとで聞かせてくれ」


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