第101話 とある魔物の滑稽な告白―2
自分は誰から見ても、明確な主張をしたと思う。
それでもエッドの言葉が想い人に届くまで、かなりの時間を要した。
「……」
ほかの表現と照らし合わせ、彼女は己が何か勘違いを起こしていないかよくよく考えていたらしい。
そして亡者に他意はなく、言葉どおりの意味なのだとようやく気づいて赤面した。
「え、えっ……エッドっ……!?」
「急いでるところ悪いが――哀れな魔物の“未練”について、そこで聞いてくれ」
咳払いしたエッドは、ちらと外野の反応を盗み見る。
いつもの無表情で腕組みをしている幼馴染と、顔を両手でパッと覆った彼の弟子が遠慮なくこちらを見ていた。
「あっ、あの、ログレス。あたしたち、ここにいちゃマズいんじゃない……!?」
「何を言うのです。これは非常事態のための待機です。決して野次馬ではありません」
「そ、そっか! じゃあ、仕方ないよね」
平然とした師の言葉にならい、弟子は指の隙間をそっと広げて蜂蜜色の瞳を覗かせた。興奮と好奇心に輝くその視線から顔を背け、エッドは想い人だけに集中しなおす。
「ふー……」
恥も外聞もあるものか――今しか、伝えられないかもしれないのだ。
「気づいてたかもしれないけど……俺はずっと、君にこう言おうと思ってた」
「……そう、ですか……」
耳の端まで真っ赤になっているメリエールは、蚊の鳴くような声で言った。
折れそうなほど杖を握りしめている。
「シュアーナ大聖堂に忍び込んだ夜もそう言ったんだが、覚えてないか?」
「そ、それは……覚えて、います。けれどその、聞き間違いかもと……あるいは、朦朧とした私が幻覚を見たのではと……。指輪の位置についても、森は暗かったですし……」
「……。さすが、思慮深い聖女だな。確認してくれても良かったんだぞ」
「あ、あなただって! 以降、“そういった発言”をしなかったから――」
羞恥と気まずさが、二人の間に沈黙の谷を作る。
しかし今夜は、別の用事を思いつくことなど許されない。エッドは仕切り直して言った。
「パーティーにいた頃は、俺の意気地がなくて伝えられずにいた。けど、俺は……今思い返しても、やっぱり最初から君に惚れていたんだと思う」
「最初? 王都の集会所で顔を合わせた日ですか」
「……。まあ、俺が覚えている最初の日さ」
――大きな麻袋を抱え、憮然とした顔をしている聖術師。
“鶏たちの餌やりの時間ですので、失礼します――暫定、勇者様”
“勇者”としての栄光に浮き足立つ自分を厳しく窘めたあの瞳は、変わらずまだ目の前にある。
それが今や、十年を越える仲間であり――そして、かけがえのないただ一人の
「いつか、はっきりと想いを伝えようと思っていた。けど神様は、俺の怠慢を見抜いていたのかもな……。伝えることなく、あっけなく死んだ。あ、いや、罰が当たったとかじゃないんだ」
想い人が眉を釣りあげる前に、エッドは慌てて補足した。神への冒涜と受け取られては困る。
「……」
彼女の白い杖がこちらに向けられないのを見、安堵して続けた。
「俺の魔力と君の蘇生術がぶつかって、“亡者エッド”が出来上がった。本当に奇妙な話だが……それでようやく、俺は君に想いを伝えようと重い腰を上げたんだ。棺の中からな」
ついでに生真面目で不運な見習い聖術師の顔を思い出したエッドは、懐かしさに微笑んだ。
時間の概念から外れた自分にも、思い出は蓄積されていく。
「君とラケア村で過ごした時間は、俺の人生――って言っても、死んだあとだけど――の中で、一番華やかな時になった」
たどり着いたのは、魔物混じりの者たちが住む土地。
まるで誰かが用意してくれたかのような幸運に、亡者は遠慮せず飛び込んでいった。
「毎日、やりたいことをしたよな。なんとなく原っぱに寝転んでみたり、川に石を投げたり。半日かけて薬草や食べられそうな植物を探しにいったり、空の端から端へ動く星を、一晩中眺めてたりな」
「ええ……それは、私もです。あんなにゆっくりしたのは、はじめてでした」
「君たちの業界じゃ、“堕落”って言うんじゃないのか?」
エッドが久しぶりに茶化すも、聖術師は得意げな微笑を浮かべて返した。
「そうよ。私は、どこかのんびりとした“亡者”さんに
「言ってくれるな。君だって、俺の誘いを断って丸一日お茶の葉をいじり回してたじゃないか」
「まあ! ひどいわ。それも、私らしい過ごし方なのに」
口調とは裏腹に、メリエールは笑っていた。
エッドがずっと見たかった、彼女本来の笑顔だ。
「あの村での日々が、あんなに楽しかったのは――君がいてくれたからだ。メル」
そう語りながら、エッドは心臓を失くしたことに密かに感謝した。
まだ胸にあったなら、勢いよく喉から飛び出していたに違いない。
「寝ぼけ眼の君に“おはよう”と言われなきゃ、俺の朝ははじまらない。それからきちんと朝食を摂る君を見て、きれいな髪を整える後ろ姿を眺める。その間、今日は何をして過ごすかを計画し合う……そんな時間が好きだった」
黙っていた外野から、はじめて意見が挙がる。
「心外ですね。同じ家屋に、僕も居たのですが?」
「お前の朝は、昼前からはじまることがほとんどだったじゃないか」
「夜更かしはダメだよ、お師匠様」
ニヤついた顔の弟子を黙殺する友に苦笑し、エッドは話を戻す。
「……楽しかったのは、日が昇っている間だけじゃない。数日おきに君は、眠らない俺のために“賑やかな夜”を計画してくれた」
「ふふ! 今でも私、ちゃんと覚えてますからね。“ルミス
村長から暇つぶしとして贈られた新品の“ルミス札”は、今では端が擦り切れるほどに使い込んだ。
「俺と君が五十六引分け――だろ?」
「ええ。最後はちょうど、ログが百勝で“永久上がり”してしまったから……やるとしたら、また最初からだわ」
これまで札遊びに興じたことのなかったメリエールは、ログレスの指導を受けるとめきめきと腕を上げていき、エッドを驚かせたものだ。
「君がいなくなって以来、使ってないが……まだ、いつもの引き出しに仕舞ってあるんだ。さっそく、明日の夜にでもどうだ? アレイアに入ってもらえば、また違う結果も出るかもしれないぞ」
「……お誘いは嬉しいわ」
さりげなく帰郷を促す作戦のように聞こえたのだろう。メリエールは悲しそうに微笑み、頭をふった。
エッドは小さくうなずき、真面目な声で言う。
「とにかく君の計画のおかげで、俺は長い夜が楽しみになった。魔物の血族が暮らすあの村でさえ、一睡もしないのは俺だけだったからな。……本当に感謝してるんだ、メリエール。ありがとう」
「エッド……」
長杖を抱きしめ、メリエールはうつむいた。
「朝も昼も、そして夜も――俺にとっては、もう区切りなんてない。そこに、君が意味をくれたんだ」
“おはようございます、エッド! 見て、最高に気持ちのいい空だわ”
“お……お腹が減ったので、お昼にしてもいいかしら?”
“おやすみなさい、エッド。明日まで、少し待っててくださいね”
彼女が笑って朝が訪れ、彼女の瞼が落ちると共に夜が来る。
それが“時”に見放された亡者の――時間をたしかめる唯一の術なのだ。
「君がいなきゃ、俺の時間は進まない。だから、メリエール・ランフア――これからもずっと、俺のそばにいてくれないか」
亡者になるよりも昔から錆びついていた重い針が、音を立てて進みはじめた。
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