第101話 とある魔物の滑稽な告白―1



「……ひとつ、重大な問題を忘れているぞ。大聖術師メリエール殿」

「エッド?」



 亡者の放った低い声に、拳を引っ込めたメリエールはびくりと肩を震わせる。

 思わず一歩退がった聖術師を見つめ、エッドは拳を上げた。


「“亡者おれ”だ!」


 ぴんと立てた黒い親指で自分を指し、堂々とした声で告げる。

 その宣告に対し数秒後、相対者は珍しく呆けた声を落とした。


「え?」

「忘れたのか? 俺は親切な亡者さんだが、間違いなく魔物だ」

「あの……」

「疑ってるなら、観戦者たちに訊いてみろ」


 エッドの言葉に導かれるまま、メリエールは戸惑いながらも闇術師たちを見た。


 黙っていた友はエッドの意図を汲んだのか、仕方なくといった様子でうなずく。


「ええ、そうですね。その男は、間違いなく魔物です。我々の闇術をさんざん受けても、こうして健在しているのですから」

「ちょっと、ログレス」

「貴女はどう思いますか?」


 師の紅い目を落とされ、アレイアは素直に考えを述べる。


「ま、まあそりゃ……。普通は心臓と腕をなくしたら、生きてないもんね。混じってるあたしが言うことでもないけど……」


 彼の弟子も頬を掻いて肯定する。しかしその弱々しい答えにエッドが睨みを利かせると、少女は焦って言い足した。


「あー、えっと! うん、すっごくヤバいよあんたって! 目はどこからどう見ても魔物の金だし、肌は死体みたいな灰色だし――てか死んでるけど――爪もほら、すごく怖いし! こんなのと遭遇したら、あたしだって」

「弟子よ。張り切りすぎです」

「……あ。ごめん」


 さらに小さくなった若き闇術師に感謝するようにうなずき、エッドは疑問符を浮かべている想い人に向き直る。 


「聞いてのとおりだ。君は世界に混沌をもたらすかもしれないこんな凶悪な魔物を残して、このまま旅立とうっていうのか? 職務怠慢もいいところだな」

「!?」


 翠玉の瞳が大きく見開かれ、形の良い唇がぱくぱくと空を喰む。このような糾弾を受けるとは予想していなかったのだろう。


 想い人が硬直している間に、すかさずエッドはまくし立てた。


「君がこの世からいなくなれば、俺の“未練”とやらは叶わなくなる。そうなれば俺は、普通の亡者より“丈夫”なこの身体を活かして、世界中を歩きまわるぞ」

「エッド! あ、あなた」


 狼狽するメリエールに牙を剥き、“凶悪な魔物”は吠えた。


「君に似た人がいれば――いや、むしろ誰でも――襲いかかる。俺が歩いたあとには、哀れな犠牲者の山が築かれるだろうな」

「なにを――!」

「そのうち国から討伐指定を受けて、大勢の冒険者に追われて……。もしかしたら、どこかの“勇者”の手によって討たれることになるかも」

「エッド!」


 息が途切れることはなかったが、想い人の叫びにエッドは言葉を切った。


「そんなこと……! あなたが、そんなことをするわけがっ……!」

「もちろん俺だって、そんなことしたくないさ。けど、そういう“仕組み”らしいんだ。そんな最悪の事態を避けるため、これでも奮闘してきたつもりだったが――」


 鋭利な魔物の爪を妖しく光らせ、エッドは金色に染まったまなざしを聖術師に向ける。


「気づいたんだよ。俺にとって“最悪の事態”ってのは、君がこの世からいなくなることなんだ。だから――その後のことなんて、どうでもいい」

「エッド……!」


 彼女には、自分の姿はどう見えるのだろう。

 幾度となく考えてきた問いが、また頭をよぎった。


 平和を脅かす、凶悪な魔物。

 ヒトの心を持つ、中途半端で哀れな魔物。


 それとも――。


「でも、せっかくこうして意思を持ってるんだ。俺だって、ちゃんと自分の始末はつけていくつもりさ」

「どうするの……?」


 エッドの宣言に、メリエールはちらと野営地の隅を見た。その先には、積まれた木箱と荷袋がある――愛用の長杖が入っているのだろう。


 エッドはうなずき、礼儀正しく言った。


「丸腰じゃ不安だろ。取ってきていいぞ」

「……」


 軽やかな足音と共に、細い背中を見せてメリエールは野営地を横切る。

 もちろん、この行動に驚いたのは観戦していた闇術師たちだ。


「エッド!? メリエールが――!」

「心配ない。自分の杖を取ってもらうだけだ」

「……心配する要素しかないのですが」


 不安というより不審そうな目を向けてくる友に、エッドは牙を見せて笑った。その頃には、聖術師が見慣れた白い長杖を手に戻ってくる。


「……お待たせしました」

「うん。拳で戦う君も新鮮だが、やっぱりそれを構えてるのが似合うな。これで、こちらも遠慮しなくて済むってもんだ」

「エッド……」


 緊張で張りつめた声を聞きながら、エッドは武装していない両手を挙げてみせる。


「君が使う必要を感じた時点で、俺を滅してくれて構わない」

「!」


 エッドの勧告に、聖術師は長杖を握りしめた。

 先端に連なった五連の銀輪――たしか、彼女たちが信奉する五体の神を表したものだ――が、無慈悲な冷たい音を立てる。


 これまで彼女の前に姿を現した“亡者”は、ことごとく皆この杖に浄化されていった。

 そこに苦痛はなく、向かう先も天界だということも知っている。


 しかし――。



「エッド、やはりこんなこと……! 私は――」

「俺は、君が好きだ。メリエール」



 神の光に縋るには、まだ早い。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る